PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
Free Space
エコジャパンカップ2010受賞商品!小浜温泉「塩の宝石...
価格:2,100円(税込、送料別)
Category
雲仙には、河童の伝説があります。
その伝説は、「河童 昔話 三太郎」で検索されれば出てくるだろうと思います。
この話をもとに、また妄想の世界で楽しんでみたいと思います。
「河童=キリシタン宣教師」と仮定して、この話を読んでみると、面白いことにキリシタンが山岳信仰に変わっていくのです。
そして、その後、菩薩信仰に変わります。
この伝説に出てくる河童は、人として認めてもらおうと、元々雲仙に居た「山の神」に人間にして下さいと頼んでいます。
雲仙は、元々が仏教の盛んな地であったことは、フロイスによっても紹介されていますし、周知の事実だと思います。
その当時の日本の仏教は、仏教が日本に伝えられた後に、それまでの御岳信仰などの神道と神仏習合が行われていました。
その神や仏と、同等の地位を認めてもらおうとしたことが、河童が人間に成ろうとしたことだと思いました。
同等の地位を認めてもらう手段として、山岳信仰の「山の神」を頼りにした。
この事は、キリシタンが日本に入ってきた初期に、デウスを大日如来と訳して布教をしたことに似ているようです。
しかし、それはすぐに訂正され、その後は、神をデウスとして布教されたようです。
各地で布教して回る宣教師(河童)の事が、この伝説では、おしゃべりな河童として書かれているのではないでしょうか。
宣教活動だけをしていても、元からある日本の神や仏と、同等の地位を獲得出来るはずが無いと考えた「山の神」(ここでは時の権力者)は、布教活動を一時停止し、世の中の役に立つ仕事をしなさい、と教えたように思えるのです。
しかし、河童達(宣教師達)は、一時は布教活動をやめて静かにし、世の中の為になる仕事(ヨーロッパの医療や土木や天文学)をしていたのですが、何時しか又、布教活動を始めてしまった。
この結果が、「島原の乱」を引き起こしたように思えてしまいました。
その結果、残ったのが、神や仏の形に成らないまま、キリシタンの教えだけが雲仙の普賢や妙見信仰として修験の形で、残ったように思えます。
雲仙の四面宮は、妙見神社・普賢神社などを祀り、女人禁制の修験道の聖地でした。
各地の四面宮には、キリシタンの痕跡では、と思われるものが残っています。
そして、その四面宮は、島原の殿様の庇護を受けていたことが、知られているようです。
瓢箪 (ひょうたん) と河童 」 島原半島民話集 関敬吾著 】 もあるようです。
この点も、研究してみれば面白いように感じました。
この民話集を書かれた関敬吾氏は、島原半島の輩出した偉人、関三兄弟の一人として有名な方です。
又、この関氏の生家は、弘法大師伝説のある六角形の井戸の傍にあり、説明板も設置されており、町の名所になっています。
山法師の花は十字架? 2012年09月05日 コメント(20)
徳川幕府安泰の為の殉教者 2012年09月02日
原城本丸虎口出土人骨 2012年09月01日 コメント(2)