田舎の床屋のおじさん

田舎の床屋のおじさん

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Favorite Blog

わたしのブログ かもめ2602さん
会津キリシタン研究所 孤峰庵宗信さん
うろうろしたいな日記 ドラキュラママさん

Comments

きよし@ Re:函盤?と彫られた手水鉢。(05/17) 函盤は2字共器をあらわします。このよう…
かおる@ Re:没年に文政八酉天(11/17) 我が家にも文政八酉天と彫られた墓石があ…
床屋のおじさん @ Re[1]:奉捧の意味を教えて下さい(03/02) 設計屋さんさんへ -------- コメントあり…
設計屋さん@ Re:奉捧の意味を教えて下さい(03/02) 奉は「ささげる」のほかに「申しあげる」 …
笛田亜希@ Re[5]:「違い鷹の羽」の家紋が、十字型。(06/09) 床屋のおじさんさんへ 返信ありがとうご…

Free Space

小浜温泉「塩の宝石」は、私の友人が、長崎から小浜温泉まで、毎日、通って作っている商品です。
長崎県を、元気にするために頑張っています。
応援、宜しくお願いします。

Archives

2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月
2025年07月
2012年09月02日
XML

最後には殉教者となったイエスの弟子のペテロも、最初の頃は普通の人の弱い心の持ち主だったようです。

イエスに「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言われたとおり、、イエスの状況を見に行った際見つかってしまったペテロは「そんな人は知らない。」と言って、のがれています。

その後すぐに、鶏が鳴いた。

イエスの言われたとおりの行動をとったペテロは、その事を恥じキリストの教えの布教の為に、最後には命を落とすことに成りました。

しかし、そこまでの強い心を持つ事の出来る人間は、稀に居ますが、めったには居ないのではないでしょうか。

ほとんどの人が、命惜しさに「私は知りません」と言うでしょう。

しかし、心の中までは変える事が出来ないのも人間です。

そのような弱い心を持った人間も、もし仲間の人達が多くなり、力を持ったと錯覚するような情報を耳にすれば、キリシタンの教えを禁止する政権の打倒をめざし、蜂起する可能性が出てきます。

島原の乱の前にも、上総村寿庵の回状など幾つかの情報操作が成されているようです。

しかし、情報は間違っていました。

一揆軍が大敗したことにより、意図的に流された情報により、騙されたと知った立ち帰りキリシタン信者は、命欲しさに再び転んだことでしょう。

島原の乱後の幕府は、キリシタン信者に対して相当の配慮を示しているように感じます。

当時の藩主であった寺沢氏にしても松倉氏にしても、多くの乱に参加した罪なき一般庶民の命を助ける為、島原の乱が「キリシタン一揆」ではなく、藩主の悪政による「農民一揆」だとするために、一切の責任を負い 己の命を投げ出したとするならば、二人の藩主は、徳川幕府が築いた統一国家の安泰を願い、国家の為の殉教者になったように感じます。

下のサイトなどを見ても感じるのは、島原の乱後の天草や島原半島南部では、寺院や有力者を中心とした人達により、キリシタン信仰を隠した民間信仰が考え出されたように思えます。

「切 支 丹 遺 物」

http://www47.tok2.com/home/kawagoe-saitama/kirishitan/index.html

江戸期の神仏習合には、イエズス会の一部が大いに関わっているようです。

しかし、あくまでもキリシタン信仰は「耳なし芳一」のように、経文(仏教)で隠さなくてはなりません。

隠すことを忘れてキリシタンが表に現れた時には、芳一の耳が切り取られたように、それなりの処罰が待ち受けていたのでしょう。

また、芳一の耳が切り取られたとき(殉教者が出た時)に騒ぎ出すようなことがあったなら、その時こそキリシタン信仰全体が抹殺されたかもしれません。

耳を切り取られた芳一は、声ひとつ出さなかったので生きて帰る事が出来ました。

仏教に転んだことにして、仏教の中にキリシタン信仰を隠し続けた人達は、聖人に成れないペテロのようです。

原城発掘調査で、多くのペテロ十字が出土したことは、一度は「キリストを知らない」と言ったが最後は信仰の為に殉教した、聖人ペテロを目指したからかもしれません。

しかし、乱に参加した人達にも聖人ペテロには成りきれず、鶏に泣かれるのを恐れながら生き続ける事を選んだ、聖人に成る前の心の弱いペテロとして、生き抜いた人が居たのではなかったのでしょうか。

死ん でしまえばよい ことも起こらない。どんなことがあっても生きていなければならないということ。

私が子供の頃までは、正月の行事の「オンノホネ(どんど焼き)」の風習が残っていました。

中学生以下の子供達だけで、1月6日の夜までに正月飾りを各家庭から取り払ってきて保管して置き、翌7日には、真中に竹を立て楠の枝を山から切り出してきて、正月飾りを焼く用意をします。

夕方近くになると火を付けると、書初めの半紙が空高く舞い上がるように、燃え上がる炎に乗せるように投げこみ、習字の上達を祈ります。

その後その場所で、燃え残りの炭火で鏡餅を焼いてたべて、一年の健康を祈っていました。

「どんど焼き」の事を「オンノホネ」と言うのは、火が燃え上がる時に「オンノホネドーイ、トンノボボジョ」と言う掛け声をかけるからです。

この地方の方言では、「鬼の骨ぞ、鶏の女陰部」とも取れますが、これでは何の意味か分かりませんでした。

ある日ふと思い付いたのですが、「オンノホネドーイ、トンノボボジョ」には、もう一つの解釈もできるようです。

「オンノホネドーイ」を「オンノホンネドーイ」とするならば、「私の本音ぞ」と言う意味に成ります。

転んだふりをしたキリシタン信者は、キリストを知らないと言ったペテロのように、鶏が鳴きさえしなければ、「キリストを知らない」と言わなければならない場面に出会う事もないでしょう。

鶏の雌なら時の声を上げて鳴く事はありません。

オンノホネの風習を創った先人が、転んだふりをしたキリシタン信仰者だとすれば、「自分の本音は、鶏が鳴かない雌であってほしい」と思う心を、「オンノホネドーイ、トンノボボジョ」の掛け声で子供たちに代弁してもらうことで、転んだことを懺悔しているようにも解釈できるようです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年09月03日 16時51分34秒コメント(0) | コメントを書く
[徳川幕府の隠しキリシタン] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: