『犬の鼻先におなら』

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2013年02月27日
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必要なのは感傷ではなく考える事では。

 う~ん。これで良いのかなぁ。
 話の決着の付け方も、描き方も、これで良いのかなぁ。
 でも、実話だそうだからなぁ。良いも悪いもないのか。

 やっぱり犬の映画だと点が甘くなります。

 パンフより粗筋。
 保健所に収容された母犬と生まれたばかりの3匹の子犬。母犬は近寄る人全てに激しく吠え、懸命に我が子を守ろうとする。妻を亡くし男手一つで二人の子供を育てる保健所職員の主人公は、そんな母犬の姿に心を打たれ、彼らを助けようと奮闘する。だが、保健所が預かれる期間は7日間だけであった・・・。

 主演は堺雅人。私の好きな俳優さんです。ご出身は宮崎県だそうで、本映画の宮崎弁は“ネイティブ”。
 また本映画監督の平松恵美子女史は20年間山田洋次監督の助監督を務められた方だそうです。そういえば、山田洋次監督の後期作品に作風が似ている気がします。

 犬の演技が素晴らしい(正確に言うと「調教師の宮忠臣さんが」でしょうが)。母犬を“演じた”柴犬は『マリと子犬の物語』でマリ役を務めた犬だそうです。2作も主役級を務めたというのは大スターですね(牙をむき出しにして威嚇しているアップのカットが数箇所あるが、あれは機械仕掛けのぬいぐるみなんではないだろうか。少しぎこちない気がする。機械仕掛けのぬいぐるみは一箇所も使っていないのなら、完全に脱帽)。

 オードリーの若林正恭氏は本作品が映画初出演。
 初出演なのに出るわ出るわ、完全に主要登場人物。出来は、う~ん「初めてにしては上手い方です」。
 オードリーの若林氏って動きで笑わせる芸人ではないよなぁ。なんで抜擢したんだろうか。暇をもてあましてブラブラしている演技とか、こけて転ぶ演技とか、あんまり笑えるとは思わず。漫才コントの才能と喜劇俳優の才能は全く別のものだと改めて認識。
 まぁ、演じた人物の人柄の良さは伝わったので、それで充分なのでしょう。


 ここからネタバレ。

 肩透かしを喰ったような気分です。
 ストーリーとしては『ロレンツォのオイル』のような展開を期待していました。
 つまり、「“感傷”を越えて、理知と人々の協力により解決“方法”を見つけ出す物語」という事ですね。

 本映画、ハッピーエンドなんでしょうかね。
 というより、ハッピーエンドにして良かったのか(そりゃ、実話だからこうなるんだと言われたら、終わりなんですが)。


 収容施設の他の犬はどうなったんでしょうか。

 (そもそも題名の「7日間」からして首を捻ります。だって最終的には保健所職員の方が引き取るんですよね。だったらさっさと初めから引き取って、自宅で7日間といわず一ヶ月でも一年でもたっぷり時間を掛けてこの犬の心を開けばいいじゃないですか。「この犬を第三者に引き取らせたい。しかしその為には人を噛む状態じゃ駄目だ。あぁ時間は7日間しかない」だと思いましたよ。「おぉ、この主人公の保健所職員は2頭も大型犬を飼っている。なるほど、これはこの人が新たに犬を飼えないという、伏線だな。上手い」なんて、そんな事も考えておりました(笑)。これもやっぱり「実話だからしょうがない」かなぁ)

 ここには(観客自身の問題でもあるという)普遍的な“方法”への“希求心”“意志”がない。普遍的な“方法”を求める心がなければ、(観客とは所詮関係のない)ただの“感傷”と“感想”が残るだけなんでは。

 いや、別にいいんですけどね、映画だから。値段に見合う分だけ楽しんで、それで帰れば充分ですから(皮肉に非ず。映画は“商品”なり)。

 ただ・・・。

 本作品、制作者サイドは所謂“社会的問題”の提起を願ったと思うのですが。


 本作品では犬が大量殺処分されている原因を、犬を棄てた人間の“人格”にのみ求めています。つまり「世の中には悪人がいて、悪事を行う。何故悪人は悪事を働くかというとそれは彼らが悪人だから」という思考停止の循環論法。

 そりゃ確かに犬をただの玩具だかアクセサリーだかの“物体”だと思っているクソ野郎もいますよ。
 しかしそれで、殺処分されている5万3千頭の全てを説明できるんでしょうか。

 典型例が本作品に登場した「老衰し恐らくは病気の大型犬」を保健所に引き取ってもらおうとした市民と保健所職員の問答のシークエンス(画面に市民は登場しません。オードリー若林氏演じる職員の報告という形)。
 本映画では市民がただのクソ野郎という設定なのですが、現実の問題としてどうか。

 仕事による転勤、飼い主の健康問題etc、様々な理由で犬が飼えなくなる、泣く泣く手放すという事があるのではないのか。
 無論、通常引き取り手を探すわけですが、「老衰し病気の大型犬」を引き取っても良いという人がそう簡単に見つかるとは思えません(見つかった場合でも多くは「既に老衰し病気の大型犬を飼っている」ので更にもう一頭飼うのは難しいでしょう)。
 どうすれば良いのでしょうか。

 「どうすれば良いのか」と考えるべきなのであって、それを「悪人がいるからだぁ」で止めてしまってはイカンでしょう(もっと言えば、仮に「原因は全て飼い主の鬼畜人格」であったとしても、その「鬼畜人格の持主」にどう対応するかという問題がやはり出てくる筈です。でもこの映画では「犬を棄ててけしからん」と登場人物が悲憤慷慨して終わり。誰も登場人物は“考え”ようとしないのね)。

 また本作品でしばしば「税金」という言葉が出てきます。主に“悪役”が発する言葉です。
 “悪役”(市民)が、犬を保健所で引き取ってもらえる根拠として述べているのが「この制度は『税金』で運営されているから」であり、他の“悪役”(主人公の上司)が犬を7日間で処分しなければならない根拠として述べているのも「予算(『税金』)の制限があるから」です(救いは主人公の上司を演じているのがベテラン俳優小林稔侍氏である事。氏の演技のおかげで、“悪役”臭が消臭され、ある程度には良識的な響を持つ台詞となっています)。

 恐らくこれ、制作者サイドの「金の問題はどうでもいいんだぁ~。命、命の問題だぁ~」という主張なのでしょうが、本当に犬の殺処分の問題を解決しようと考えるなら、この「金の問題」こそ真正面からまず考えなければならない問題の筈です(しかし映画では非難するのみのスタンス。ここでもだれも“考え”ない)。

 本当はここにこそ大きな焦点を置くべきだったと思いますよ(上司をただ予算予算と煩く言うだけの人物として描くのではなく、きちんと上司の立場にも正当性があるのだと描けば、必然的にそこに主人公と上司の対決が生まれ、ドラマに奥行きが出来たと思うんですがね)。

 更に言えば・・・。
 実は行政側は欺瞞でもなんでもなしに、棄て犬を減らしたいと考えていると思いますよ(役所つまり国家即悪と考えたい人も多いでしょうが)。何故か。
 だって、お金かかっちゃうから。仕事も増えるし。別に善意からでもなんでもないですが。
 そう考えると、役所は敵でもなんでもない。寧ろ味方につくと考えるべきでしょうね、棄て犬を減らしたいと考える人に取っては。
 「お金の為なら“善事”だってなんだってしちゃう」可能性を経済至上主義批判なり資本主義批判なりしている人はよく看過しがちです。


 映画のラスト、ほんのおまけ程度に犬の譲渡会が開催されている様子が描かれていましたが、本当はこれこそちゃんと描くべきではなかったんではないでしょうか(ちゃんとここに重点を置いたのなら「“感傷”を越えて、理知と人々の協力により解決“方法”を見つけ出す物語」になった筈なのにね)。


 また本映画では、この「7日間」規定による犬の殺処分を、主人公が服務規程違反を犯す事(黒板の数字を書き換えちゃう(笑)によってしばしば“解決”します。
 良い人だと思うよ、主人公。だけどそれは別の問題を引き起こしていないかい。
 もしかしたら犬の殺処分より、もっと怖い問題を引き起こすかも知れませんよ、こうした考えは。


 結局、ある保健所に善い人がいたよね、という話で終わっちゃってます(実話としては良いのですが、映画としてはどうなんだ)。
 少なくとも、私にとってはここに感動はなかったですね。(そりゃ、主人公が犬の前で泣く山場では涙腺を刺激されたけどね。そういうのを感動とは呼ばないのです)。感動というのは自分が信じている世界観を揺さぶられるものです。


 もし、 社会的問題を提起したいのなら感傷的に描いては駄目 です。淡々とドキュメンタリータッチでやらないと。いや「タッチ」抜きで「ドキュメンタリー『殺処分』」が一番良いかもしれません(映画『ブタがいた教室』は結構よかったですね)。

“情緒”で人々を動かそうというのはデマゴーグのやる事 人々に“考えて”貰わなければ駄目 です。
 無論、一人一人が“考えて”出した結論が、自分の主張、支持している(主に政治的に)“正しい”答えと一致するとは限りません。しかし、それで善い筈です。

 逆に言えば、民衆という“道具”を煽動して、権力を奪取、保持したい“政治的に正しい”人々は、必ず“情趣”で訴えますね。「ほぉ~ら、こんなに可哀想な人達がいるぞぉ~(そういう私は彼らの代弁者サマであるぞ)」。
 かくして、神聖にして犯すべからざる最強権力者集団“弱者サマ”が生まれる訳です。
 (因みに、こういう事を言うと「ヘイトスピーチ」認定をもれなく受ける事になりますね)

 他雑感。

 実話だから、実際に「痛くない、痛くない。ただ怖かっただけなんだよね」の「リアルナウシカ」行為(もしくはムツゴロウプレイ)をこの保健所の方は行ったんでしょうね。噛まれた時に、普通は反射的に腕を引っ込めてしまい、なかなか腕の力を抜くというのは出来ないものです。偉いものです(これ、映画の演出で実際には行っていない、なんて事ないよね。それなら「ナウシカのパクリ」だ。怒るよ)。

 山田洋次監督の後期作品って私はあんまり評価していないと改めて認識。一昔、二昔前の所謂“進歩的”主張がもはや何の意味もなく、いや意味がないどころか反って物事を考える上で桎梏にすらなっている状況なのに、その事に気付いていない、というような“鈍感”さ。そんな感じを受けるからでしょうか(でも、“職人”としては、例えば寅さんシリーズは凄いと思います)。

 「雲海」は旨い麦焼酎だと思う。協賛しているらしい。

 犬食文化のある民族の方が見たら、どういう感想を持たれるのか、少し気になります(「殺処分された犬の肉を売って、その金で収容されている犬の生存期間を伸ばせば良いのでは」なんていうアイディアが出るのでは)。






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最終更新日  2013年03月18日 05時56分12秒
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