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明後日は初級箱庭セミナーの最終日。もう一度プログラムを見直しながら精神分析学者であるユングの「光と影との統合」について考えました。統合、と聞くと自分の影の部分をなくさなければ、と思ってしまう人が多いようです。ただ、その統合という表現が、西洋の精神文化ちっくだな、と思います。一神教である西洋とは違い、多神教の精神文化をもつ日本では、やはり、西洋の心理学理論をそのまま用いるのには無理があります。「統合」というと向かうところは一つなのですが、何を選んでもそこに意味を見出す日本文化には、むしろ「全体」の方がしっくりくるように思います。唯一無二の存在である、西洋の神に対して、「千と千尋」の映画にも出てきたように、八百万の神(川の神様、木の神様、火の神様などなど)が存在した日本では全く違った精神構造です。貧乏にだって、「貧乏神」なんて神をつけちゃうなんて、すごいと思いません?いたるところに、いたる場面に可能性を見出そうとしたからだと思います。影は誰でも持っているものです。まずそれを認めることです。影が気になっているうちは、部分しかみれていません。でもずっと自分に隠し続けるのは無理が生じますから、箱庭のような安心して影を出せる場所が必要になってくるんですね。
2005.09.29
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今日は旅カウンセラー養成講座の日。授業の中では、自己理解を深めるため、互いにフィードバックをすることを促します。フィードバックとは、自分では気がつかないけど、他人からは見えている部分を言ってもらうこと。ただ、このフィードバックをするときに、誰のために話してるか、という前提を忘れがちなように思えました。慣れないうちは自分がどんなことに気づくか、どんなことを言えるか、そこに集中してしまって相手主導をすっかり忘れてしまっているようです。そして、相手よりも気持が講師に向いている内容であることがたびたびみられます。ヘタをすると、フィードバックをする側の「これだけ言えるんだ」という自己満足に陥ってしまい、相手を傷つけることになります。相手を思いやる意識があるのとないのとでは、同じ言葉でも伝わるニュアンスがまったく違ったものになり、それがなければ決め付けとなってしまい、そこから相手の可能性を見出せなくなります。 思いやり。それは以前、てっちゃんさんからコメントをいただいたように、余裕がなければなかなか難しいことですが、カウンセリングは相手の可能性を見出すためにするものです。フィードバックをしながら、自分のコンディションを確認することも大切ですね。
2005.09.28
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昨日、NHKの「英語でしゃべらナイト」を見ました。私自身、毎年海外に必ず行くのでいつも「ほんまにしゃべらないと・・・」と思いつつよくみている番組です。昨日のゲストは13歳でドイツにバレエ留学し、現在ソロで活躍されている方でした。 英語体験にからんでとても興味深い内容でした。留学先のドイツでは色んな人種が集まってくるため会話は英語だけど、ネイティブの英語圏の人が、そうじゃない人たちに合わせて会話をするため、どんどん英語が下手になってくるそうな。小柄な彼は、どんなに頑張っても12のバレエ団の入団テストに落とされたそうです。その他大勢で踊るにはあまりにも身長差がありすぎて。また、海外で歌舞伎や能のことを質問されるたびに、答えられない恥ずかしさで帰国した際にそういった日本文化を勉強をしたこと、それがきっかけで日本文化というアイデンティティを持つバレエダンサーとして、成功したそうです。私が海外で体験したことや感じたこと、カウンセリングの世界を通して、多くの人に自分の国の文化に触れて自分発見をしてほしい、と願っていることとオーバーラップして、聞き入ってしまいました。 どんなに頑張っても自分はヨーロッパ人のバレエは踊れない、だったら日本人にしか踊れないバレエをやろう!という逆転の発想だ、と言っていました。最後に、「どんなに周りの人が笑っても、それはきっと君がうらやましいんだよ。そのままの自分に自信をもって」という体験に基づいたメッセージ(まだまだ字幕なしでは聞き取れませんが)はとてもリアルに胸に響きました。私も頑張ろう!!
2005.09.27
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カウンセリングを通じて何人もの人に出会って一番強いな、と感じる人は素直な人である。人に対して素直だね、と評価されるというよりも自分に対して素直な人。どんなに辛い目に合っていても自分の気持ちに素直な人は、立ち直りも早いし、自分に素直、ということは結局は外界にも素直に接していて得るものも大きいように思う駆け引きや損得勘定もときには必要だけど自分の素直な気持ちをまず分かってから。
2005.09.26
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最近、続けて機会に恵まれている同年代のお食事会。かなりユニークなのでぜひ続けたい。話題ももちろん楽しいけど、人によっての自分の印象の違いが新鮮だったり、おもしろい。自分のスタンスを確認したり、今必要なものや自分が社会に提供できるものへのヒントにもなりました。おしゃべりをしていると5、6時間はすぐにすぎていく。共通の話題もよし。まったく未体験の話もよし。今回は韓国料理店で鍋物。もう鍋物の季節になりました・・・。茄子、きのこ類、大根、人参、ほうれん草、大蒜、唐辛子、色んな野菜が入っていて、おいしい!みんなで囲む鍋は幸せな気分にさせてくれます。マッコリというお酒にも挑戦してみましたが、甘酒ほどしつこくなく、意外とあっさりしていて飲みやすくおいしい。女性同士のおしゃべりは尽きることなく、とうとう店内に蛍の光が流れる頃ようやく腰をあげる。夜10時過ぎの繁華街はいろんな人が通り過ぎて行く。街中を歩いていても、秋服を着ている人と夏服を着ている人が入り混じる中私は、というと完全にまだ夏服。そろそろ衣替えしなきゃ。
2005.09.25
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今年のカナダ研修に参加して、また一人新しいチャレンジへと旅立つ人がいます。毎回、毎回、このような旅立ちに出会えることに旅カウンセリングの果たす役割の大きさについて改めて身が引きしまる思いです。旅カウンセリングに参加して、何を見つけたのでしょう。自然と触れ合って、人と触れ合って、何を感じるのか。旅の途中から、目が輝き、あたりがよく見えるようになる。無邪気な笑みがこぼれ、少しずつ一歩踏み出してみる・・。そんな様子をみていると、今までどれだけ萎縮して生きてきたのかがうかがえる。一歩踏み出してみて、受け入れてもらったその感覚を忘れないでほしい。選ばされるのではなく、選んで生きていくことを知った意味は大きい。
2005.09.24
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自分を変えたいという声をよく聞きます。じゃあ、何をもって”変わった!”としたらいいのでしょうか? 意識?行動?変化というのは自分ではなかなか分からないものです。他人からの「変わったよ」のメッセージがきっかけとなって認識できることがほとんどです。アレクサンダーテクニックで「人の感情は刻々と変化する、ご機嫌だったのが、次の瞬間、ちょっとしたことで怒っていたりするのはこれは立派な変化。その変化に気付くのに自分の体に注意を向けましょう」と言っているように、大切なのは変化していることを意識化することです。体に注意を向けて変化に気付くより、もっと簡単に気付けるのが箱庭。箱庭をみていると、作った人の意識の変化が本当によく分かります。長い期間みればみるほど、それが如実に分かり、確実に変化しています。そして、その変化を本人に分かりやすいように、受け入れやすいようにフィードバックします。その意識の積み重ねが、今までほんの少ししか認識していなかった世界を徐々に広げていきます。広がると、ものの見方も変わります。一気に変化しようと思うからしんどくなるのです。いろんな人の変化と自由を生み出す箱庭。奥が深いです。
2005.09.22
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今日、仕事の助っ人にきてくれた人との縁が、ふとものすご~く不思議に思えた。出会ったころはこんなに深くつきあうなんて、まったく想像もしていなかった。そう思って周りを見渡してみれば、不思議だらけである。カナダにいるスタッフyukitaちゃんも、HPのデザイナーさんも土曜日に遠方から新幹線や高速をぶっとばして(?)箱庭セミナーに足を運んでくれる生徒さんたちも。準備期間を入れて、独立してからもうすぐ一年になろうとしているけど、最初は誰かに手伝ってもらおう、なんてまったく頭になかったし、どんな人たちが集まってくれるのか、予想もしていなかった。「縁は異なもの、味なもの」-。でも、よく考えると、すべてつながっている。まったく縁がなかったように見える、生徒さんたちも私を通じてつながっていたし、遠く離れたカナダでも、yukitaちゃんを通してつながりが増えている。異なもの、ではないかな。でも味なものであることは確か。そう考えると、出会ったすべての人の、たった一人がかけていたとしても、今のこの自分は成立しなくなる。 いとをかし。
2005.09.21
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先だって、友人に誘われて映画「愛についてのキンゼイレポート」を見に行きました。単に「性に対するタブーを破る」という単純な内容ではなく、いろんなテーマが描かれていました。キンゼイ博士と父親との確執、宗教、パーソナリティの問題、人間の弱さ、社会など。映画が始まってすぐにキンゼイ博士がインタビューの指導をしているシーンで徹底して判断を下さない、偏見をもたないインタビュー法が描かれていましたが、仕事がらものすごく見入ってしまいました。大量のインタビューをかさね、生物学者としてタマバチの研究をしたときに見出した「ひとつとして同じものがない、人間も誰一人として同じ人はいない、違うことがあたりまえ」に到達する。そして、徹底したレポートの統計のあとで、「愛ははかれない」のセリフ。結局、統計も、心理分析も、帰無仮説のためにあるものなのかもしれない。キンゼイ博士自身も、最後に登場するレポートを読んだ一人の女性も、自分は”only one”な存在だと認識することで危機を乗り越えていく。やっぱり、人ってアナログだということを忘れてはいけない!うんうん。映画をみた後は、内容の濃さと衝撃的な映像もあって、友達とカフェでしばし”ぼ~”としていました。(笑)
2005.09.20
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まだ日差しの厳しい朝。今日は加太のセミナーハウスのおそうじにきました。連休中ということもあって、浜辺は家族連れで大賑わい。まだ泳いでいる人もいます。今晩は十五夜だというのに、セミの声も聞こえるしまだまだ夏の気配。2ヶ月ぶりの加太は、雑草が生い茂って、すっかり虫の楽園になっていました。「さあ、やるぞ~」と気合を入れて、一人は芝刈り機、一人は建物の中の片付け、残る二人は新しい花の苗の植え付けにとりかかりました。普段の大阪での生活ではまったく縁のない蚊に対して、すっかり無防備になっていた私はすぐに格好のえじきとなり、急いで香取線香をとりに家の中に一時避難する。おまけに草刈にきたのにビーチサンダルといういでたちだったため、野ばらを踏みつけて足が血だらけ、なんて散々な目にあう始末。完全に、都会ボケです・・・。(田舎育ちのくせに・・、情けない)しばらく草をむしっていると、青くさい緑のにおいが心地よくなり雑草を根こそぎ抜くコツも思い出す。3時間たてば、庭が見違えるようになりました。「ホリホックのような庭にしたいなあ・・・」なんてつぶやくと、スタッフに「あれはかなり手がかかってるから管理が大変ですよ~!」なんていわれてしょぼん。確かに、一見無造作に植えられていた花畑も、いつも、だれかがしゃがんで手入れをしていたっけ・・。昼3時過ぎになれば、不思議とセミの声は消えていて、涼しい風とこおろぎの声が始まっていました。帰りがけに裏山でススキをとって、久しぶりに実家に帰る。田んぼのあぜ道を散歩しながら、稲の籾殻のにおいを香りつつ、お月見をしました。来月予定の加太ワークショップもきれいな月がみれるといいな。
2005.09.18
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先週の第一回目は自分を表現することの楽しさを味わってもらいましたが、今日は演出することを楽しんでいただけたと思います。初めて会ったメンバーが、これほど表現できるのも、箱庭ならではですね。今回は前回に比べてよりいっそう、お互いがそれぞれの役割や可能性を引き出しあっていましたね。特にそれぞれの「強さ」を引き出しあっていましたが、強さと一言で言っても色んな強さがあるのだなあ、と私も驚きました。一歩外から関わって巻き込まれない強さ、NOといえる強さ、関わっていく強さ、自分を貫く強さ。そんな自分の強さに参加された方々は、再認識されたでしょうか、意外に思われたでしょうか?もっともっと、いろんな可能性を箱庭で試してみてください。たくさんの、自分に出会えると思います。
2005.09.17
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物事を二つに一つ選択するのは大切なことです。でも、カウンセリング講座では人の評価に対してはもうひとつ、orもあるよ、ということを体験していただいています。人間評価をどちらかに決めちゃうと、そこで可能性は止まってしまいますし、それは部分的な判断にすぎないです。ひとつの現象に対して、例えば年商1億円収入がある、という基準を設けてそれ以上は勝ち、以下は負け、というくくりはもちろんアリですが、それはその人に対する絶対評価ではありません。人間はもともとアナログなものなのに、二つに一つのデジタルな評価はできません。今箱庭セミナーをしているのですが、箱庭を体験するとそれがよく分かります。ひとつの作品に対して、いろんな汲み取り方ができるし、たとえ何もおかなかったとしても、空白のままの世界にすら「今後この人はどんな展開をするのだろう?」といった可能性がそこにあります。では、orってなんでしょう?自分を勝ち負けのものさしで判断しない、自分の価値を生み出せる、可能性の部分だと思います。いつか日記で「カウンセラーは答えを言わない」ということについて書きましたが言わない、というよりも答えがないから言えないのです。本人が自分の可能性に気付くまで、サポートするのがカウンセラーです。日常の仕事などでのデジタルな世界に埋没してしまわないで、アナログゆえの多くの可能性を秘めた存在だということを忘れないでほしいナと思います。
2005.09.15
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午後の授業の終わりに、生徒さんたちと選挙の話になりました。今回の選挙はなんとなくいつもと違う?というムードに推されて、普段選挙に行かない人でも参加した人が多かったようです。そして、何を基準で選んだか?という話になったのですが「なんとなく、変化をもたらしてくれそう」という答えに一様に皆さんうなずいていました。日本人ってムードに弱いんでしょうね。でもそれを分かっていてムード勝ちした小泉さんのアピール戦略にも関心させられました。
2005.09.14
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今日は年末に予定しているカナダオーロラ研修旅行の最終検討に入る。カナダにいるスタッフyukitaちゃんから現地の情報を送ってもらい、最適、最良の研修旅行をするために天候やイヌイットの生活習慣、食文化の知識も頭に入れる。誰もが「一生に一度は見たい」というオーロラ。クリスマスが終わったとはいえ、まだイルミネーションが残る時期のオーロラ観測は想像するだけで今からワクワクします。ふと、いつごろオーロラのことを知ったのだろう?と考えて、思い出しました。小学校2年生のときに学校の図書館で出会った「オーロラの下で」という本でした。内容は多分、白いオオカミと犬の間に生まれた子犬(子犬も真っ白)が、立派に犬ぞりをひくリーダーに成長していく様子と、それにからめて人間ドラマが描かれていたように思います。あるときそのリーダー犬がオーロラが降り注ぐ白銀の中そりを引いて血清を届けるため賢明に走る様子が描かれていて(・・・と思います)、感動して読みながらグシュグシュ泣いていたのを覚えています。(読まれた方がいらっしゃいましたら、詳しく教えてください。)そのときにドキドキしながら思い描いた、ため息のでるような美しい映像が強烈だったのでしょう、すぐに鮮明にそのときの感覚を思い出しました。今回はオーロラ観測、ティーピー体験、カリブ観察や犬ぞり体験やイヌイットと触れ合うことで、自然、動物、人との触れ合いの順を追ったコミュニケーションプログラムを用意しました。また、新しい出会いと、新しい体験が待っています。それらを通じて、どんな自分発見をするのでしょう。最高の研修旅行を演出するために、がんばるぞ~!!
2005.09.13
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昨日の地中美術館にいっしょに行った20年来の友人とまだ興奮覚めやらぬ話をしていて、シェアするってどういうことなのか?という話になった。気心の知れた、お気楽道中。丁度昨日の青色体験の話になったときに「こんな風に感動をシェア(共有)できるなんて、嬉しいね」というと、同じ時間と場所を共有したからシェアできるのだろうか?という話になった。いや、でもお互いが同じ時間空間をシェアしていなくても「田舎風景が好きなの~」「そうそう、癒されるよね、もうすぐ稲刈りの時期でしょ?するとこおばしい香りがしてね・・・」「わかるわかる!」というやりとりはシェアになるのだろうか?さらに、いっしょに青色体験をしたあとで、わたしが感動してキャーキャー騒ぎ、でも友人が「おもしろくなかったよ・・・」と会話が少しも弾まなかったとしても、これはシェアになるのだろうか?うーん・・・。細かくみると、場所と時間は確かにシェアしたことになる。でも気持のシェアはまた別問題だな、と思う。場所時間を共有していなくても、気持は「そうそう!」のメッセージや会話のやり取りでシェアできる。「そうそう!」のプロセスがカギだな。そしてこのやりとりのひとつひとつを呼応というのではないだろうか、と思いついた。呼応した結果が気持のシェア。そして、呼応するためには、感受性が磨かれている必要がある。「見て見ず、聞こえて聞かず」では人生楽しめない。もっといろんなものを見て、多くの人とシェアできるようになりたいな、と思いつつ、現代は人間関係において呼応なしに、結果のシェアをすぐにお手軽に欲しがる傾向にあるのではないかな、時間空間だけの共有で納得しようとしているのではないかとふと思いました。
2005.09.12
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ワークショップの下見を兼ねて、香川県直島の地中美術館、ベネッセハウスに行く。昨年7月に地中美術館が開館して以来、憧れの地だった。地中に埋まった美術館。それだけで十分に惹かれる。直島までのアクセスが大変で、家を出たのは9時くらいだったのに交通手段での乗り継ぎも悪くベネッセハウスに到着したのは、午後3時を過ぎていた。急ぎ足で館内を見て回ったのだが、それでもイヴ・クライン作の「青のヴィーナス」の前では足が止まる。吸い込まれそうになる穏やかな深いブルーと柔らかい曲線にしばし見とれる。上階はホテルになっていて、宿泊すれば夜9時の閉館までゆっくり見て回れるそうだ。(ただし、とっても高い。)いつか泊まって一日のんびり直島全体を味わいたいな、とさらに憧れの場所になってしまった。次の地中美術館はこれはもう、期待以上だった。建物事態が作品となっていて、それも自然との共生になっている。一番初めに入ったモネの「睡蓮」の部屋は、部屋事態が真っ白で角がなく、床一面に微細な大理石のタイルがしきつめられ、自然光の間接照明の中圧迫感もなく、すっきりした気持になる。自然光の中で描いていたモネの睡蓮を私たちも自然光の中という同じ環境でみられるように演出されている。次のジェームス・タレルの作品「オープン・スカイ」は、キャンバスのように天井を四角に切り取られた中に、自然の空が見え、そこも光を体験する空間になっていた。今回は見られなかったが、人工の色彩も体験できるそうだ。(ますます今度は泊まりできたい!!)そして、最後にタレルの「オープンフィールド」。これが私の中で久々のヒットだった。壇上に掲げられた絵のようにブルーの光の世界が広がっている。案内の人に「壇上に上がって中にお入りください」といわれ、「えっ?中に入る?」顔を見合わせて、恐る恐る階段をのぼり、手を差し出すと、それは壁でなく、奥行きのある部屋だった。一歩踏み入れば霞がかかったように見えて、上下奥行きの距離感が分からない不思議な静かなブルーの世界。時間が止まったような、宇宙にいるような。ブルーの世界にもう少し浸っていたい、と後ろ髪惹かれつつ、5時に美術館をあとにした。帰りはうまく電車の乗り継ぎに成功して帰ることができた。帰りの電車の中で今日の体験を振り返る。 そっか。今まで美術鑑賞って”見る”ものだと思い込んでいたんだ。「体感する」芸術鑑賞。作者と鑑賞者がもっと直接的に同じ体感を共有できるという、今まで出会ったことのない新しい体験でした。
2005.09.11
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今日から箱庭セミナーの始まりです。箱庭の授業は相変わらず人気です。もっと自分を知りたい欲求の表れだと思います。発顔合わせで初めての箱庭に最初緊張が伝わってきました。箱庭で大切なのは、こちらが安心して自己表現できる空間をつくれるか、ということとどれだけ可能性を見出すか、ということ。みんなそれぞれ表現の仕方は違っても、それぞれの主張があってそれぞれに力強さを感じます。なじみのある自分と意外な自分発見の喜び。楽しそうに自己表現をしている姿は見ている側も嬉しい瞬間です。そして、一人一人どれだけ可能性を秘めているか、を改めて感じます。次回がとても楽しみです。
2005.09.10
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「言いおおせてなにかある(言い尽くしてしまったら、何が残るのだ?)」松尾芭蕉の有名な言葉です。相手に二つに一つ、白黒はっきりしてよ!の答えを迫りすぎていませんか?実はコミュニケーションにはもうひとつ選択肢があります。それが芭蕉の「いいおおせてなにかある」です。言い尽くしてしまうということは、ことばで決め付けてしまう、ということです。決め付けてしまったらそれで可能性ゼロです。あとになにも残りません。ことばの表現は意思を伝えるのにもちろん、大切です。はっきりしないことが、卑怯に思えたり、弱く感じたりするかもしれません。でも、芭蕉のように、言い尽くさない余韻にこそ、実は無限の可能性にかけているのではないでしょうか?そして相手に余韻を汲み取る能力に託しているのではないでしょうか?いつも可能性を残し、相手の汲み取る能力に託す。それは決して受身ではない、主体的な日本文化の姿勢を感じます。
2005.09.09
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出勤前に用があって心斎橋まででかけました。通りに面したコーヒーショップで早めの軽いランチを食べながら人通りを見ていると、行き交うのは10代から20代前半の若年層ばかり。急に自分が地味~になったような気がする。(笑)みんな本当にスタイルも華奢でメイクもばっちりなんだけど、どこか薄い、あまり振り返ってまで印象に残るような人がいないナと漠然と思いました。どうしてだろう?けっこう派手できれいなのに、としばらく眺めていて、以前美術作品の見方に形をみる見方と表情(雰囲気)をみる見方を発見したのを思い出しました。姿かたちはきれいで、笑っているんだけどもっと生き生きとした生命力みたいなものを発している人が少ない。露出度もますます高まっているけれど、ほとんどの人が同じような服装なので、主張しているようで群集に埋没しているような気がしました。
2005.09.07
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最近、本屋さんでコミュニケーション関連の本をよくみかけます。それだけ人間関係に行き詰っている人が多いのでしょう。カウンセリングでも、言いたいことをうまく言葉にできない、流暢に話せない、また言葉で相手を納得させたい、深層に勝ちたいという思いがあるという話をよく伺います。言葉を用いることのみがコミュニケーションだと思っている節があります。もちろん、仕事上相手を納得させたり議論して内容を擂り合わせていく、という意味においては言葉を重要視したコミュニケーション技術はとても重要ですが、その前に忘れてはならないのが相手への思いやりではないでしょうか。コミュニケーションとはまず相手がそこにいることを「私は気にかけていますよ」という「思いやり」メッセージを送ることだと思います。それは視線を送ることで伝えたり、ニッコリ微笑むことで伝えたりすることで十分伝わっています。相手を理解したい、と本気で思えば自分の意見を主張するだけでなく、相手の話やしぐさ、表情をそれこそ自分の五感をフル回転して相手を感じとるようになるでしょう。そこには双方の汲み取る力が必要になってきます。コミュニケーションの語源は「共有」です。相手を言い負かす「一人勝ち」との違いをもう一度確認してはいかがでしょうか。
2005.09.05
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京都は夏と秋が混在していた。頭上でみんみん蝉が鳴き足元で秋の虫の声が聞こえ、キョロキョロするうちに参加者のひとりがまだ青い栗を見つける。滝の音、鳥の声、声明、いろんな音を体験した中で水琴窟があった。それは多くの音が入り混じる中、本当に微かに聞こえる。リズムまでは捉えることができない。更に近づいて集中する。珍しい、二連式の水琴窟。ようやく左右の音の深さとリズムの違いを捉える。私たちは日常あまりにも主張する騒音に取り囲まれているせいか、耳を澄ますのにかなりのエネルギーを要する。その澄んだ音は周りの自然音を損なうことなく、それらと調和し自らも愛らしく奏でながら共生していた。初めは騒がしい蝉の声に誰もが耳を奪われてしまうけど、気がつけば、その合間に聞こえるかすかな水琴窟の音には人の感覚を研ぎ澄まし、主体的に聞こうとさせる効果があることに気付く。そこでみんなで蝉の騒がしい声と水琴窟の微かな音とどちらが主張しているかを話してみた。「蝉!」と答える人が多かったけれど、両方ではないでしょうか。聞こうとしなくても聞こえてくる蝉の声と、聞こうとしなければ聞こえない、かえってじっくり人の注意をひくことのできる水琴窟の静かな主張。その静かな音は一度捉えれば、多くの音が混在していても、ちゃんと聞こえてきた。人も同じではないでしょうか。一瞬でパッと人目を惹く人と、一瞬で人目を惹かなくてもその人といればなんだか落ち着く、安心して周りの人間を主体的にさせる人の存在は本当は大きい。もし、目立つ華やかな人を羨ましく思うときがあれば、あせらなくていい。どんなに頑張っても水琴窟は蝉にはなれないし(みんみん鳴いたらびっくりするでしょ?)、それぞれに合った美しい音があるのだから。まずは自分の持つ音に、耳を澄ませてください。そして、安心して自分の音を奏でてください。
2005.09.04
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今日の夕飯は最近近所に見つけた日本料理屋さん。最近いただく機会が増えたせいかお酒(それも冷酒)がおいしく感じるようになってきた。(それとも、歳をとった証拠かな?)お酒だけでなく食べ物も薄味の和食が一番おいしく感じる。今日は鱸の頭の塩焼きと初物の鱧と松茸のお吸い物。どちらもほんのりとした柚子の香りがする繊細な味付け。味付けが決して素材に勝っていない。共生している。店のご主人から和食の繊細さについてお話を伺う。味付けをする際に、お弟子さんが調味料を加える順序が違うとすぐ分かるそうだ。例えば、だしをつくるのに最初に砂糖を入れて次に塩を入れる。でも味を加減するのにさらに砂糖を加えると、あとから砂糖を加えたというのがわかるそうだ。小話で日本人が欧米に比べ海外への移住率が低いのは、その繊細な舌が原因だというのを伺う。海外の強烈な香辛料や味付けに繊細な舌は合わないのだろう。利き酒や利き茶、利き水など、日本人はもともと五感が敏感なのだ。ワインのソムリエよりも繊細な味と香りを利き分ける舌が必要なのではないでしょうか?そんな五感は季節感あふれる自然と共生する中でそれらを楽しむために生み出されてきたものなのでしょう。共生、人間関係においても「赤信号 みんなでわたれば・・・」のようにみんなといっしょなら安心する、それが日本人の本質なのだろうな~と思いつつ、初秋の味覚を堪能しました。
2005.09.02
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日本で英会話学校に3年間みっちり通った友人とアメリカに行ったことがある。空港でも、ショッピングではもちろん、気軽に現地の人と話してる彼女を見て、「すごいね!羨ましいわ」というと、ちょっと元気なく「でも話す内容がないから表面的なことしか話せないねん・・・」と言っていた。それで思い出したのが、海外に行くと普段まったく忘れている「I am a Japanese.」体験。急に思い出してあたふたする機会が何度となく訪れる。特に日本の文化に関しては、質問されてほとんど答えられなくて呆然としたことは何度もあった。普通の旅行では文化についてまで聞いてくることは殆どないが、アメリカのエサレン研究所やカナダのホリホック研究所にて1週間滞在するときには必ず日本文化について尋ねられる。そして、むしろ彼らの方が詳しかったりする。今まで質問されたことは、歌舞伎について、仏像のことについて、一茶の俳句について、高野山について。日本文化について説明できなくても、そのくせフラワーアレンジメントをしたり、海岸でart of sand を作っても、「とても日本人らしい」と言われる。表現に国民性がでているらしい。ということは、日本文化について知ることは、自分を知ることなのだろう。ヨーロッパのようにすぐ隣国が外国であったり、多民族国家のアメリカとは違って日本は島国で、ほとんど日常で海外の人と接触する機会がないから仕方がない環境ではあるということを差し引いても、普段の生活では日本人としての認識があまりにも薄い。海外での触れ合いの第一歩は自分のアイデンティティについて考えさせられることである。
2005.09.01
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