King of a suicidal explosion
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昨年(2009年)次女が日野皓正氏が校長を務める、世田谷区の事業であるドリームジャズバンドに入った。4月から約5ヶ月、土日を練習に8月に公演を行った。もちろん観に行ったのだが、正直自分の聴く音楽ジャンルに「ジャズ」はなかった。上の娘もトランペットを中高生の頃やっていたので、せいぜい吹奏楽のレベルまでなら(一部ジャズっぽさはあるけど)という、どちらかといえば1人が自己主張するようなジャズはどうも昔から好きになれなかった。ぜったい聴かないのかと言われれば、大学の頃はジャズ喫茶になんかも行ったのでそういうわけではない。ジャズ喫茶はその頃に高価で手が出なかったオーディオの名機を愛でにいくようなもので、音楽そのものに感動はしなかった。次女は「自己表現」という場であるジャズを得て、毎回楽しそうに練習に行っていたが、吹奏楽部でテナーサックスを始めて1年。当然辛い練習だっただろう。学校から借りている楽器も、メンテナンスしていると言ってもお世辞にも見栄えがすると言えなかったが、自分の持ち物以上に大切にしていたようだ。バンドの本番前日のことだが、日野氏の娘が覚醒剤で逮捕というニュースが入って来た。この内容についてはhttp://sponta.seesaa.net/article/126007630.htmlに出ており、詳細はそのとおりである。こういう時に区議だかなんだか知らないが、報道が正しいと勘違いして騒ぎ立てる輩は本当にウザいのである。公演前日に父兄への説明が氏本人からあったが(私は行けなかった)、嫁が偶然乗り合わせたエレベータで、教育委員の方が絶対やります。これからもずっと続けていきます。との熱い言葉は本当にありがたかった。次女はその事実を知っても、親とはいえ本人がやったことではなく、音楽という繋がりのなかで尊敬できるから動揺はないと言っていたが…。上記のブログにも出ているが、演奏が終わりメンバーが去っていくと、徐ろに日野氏がマイクも付けず、無言でステージに帰ってきて1人で演奏を始めたのが「スターダスト」という曲だそうだ。自分はその曲に聞き覚えもなく、当然名も知らなかったが、その演奏に鳥肌が立った。感動というにはちょっと違う、何か哀愁めいたものを感じたのを覚えている。その時バンドも5年目だし、今年が最後かもという恐れを感じていた。ブログでも「最期」つまり「最後」ではない。死を表す最期という表現を使っていたので、あぁ今年はもうないのだろうか…バンドは中学3年までで、それ以後はサポートとしてまた活動できることになっているが、中2の娘はそれを終えることができず、1年の夢で終わるのかもしれない。でも望みを捨てていなかった。これからも続けられることを信じて。そして今年もバンドの募集前だが、昨年のメンバーに案内が来た。これまでやるかやらないか、何の情報もないまま不安のまま過ごしてきた娘はその日に申込書に記入した。でも本当に喜んでいるのは自分だったりする。公演の時、うちは娘の友人と祖父母、そして教室を練習の場として提供していただき、熱心にアドバイスを頂いたピアノの先生を招待した。それぞれが娘のこれまでの過程を知っている人ばかり。(あたりまえだが)公演はその日を最後に二度と同じメンバーではできない、別れの場でもある。そういったことを背負ったメンバー、周囲の人々、これを支えた委員会の方々…成果を見せるそのために行われるものだ。(ただ、区議とかでそういう気持ちのわからん者は、やれ時間が長いだとか言うもんではないし、自己主張のつもりだろうが言う権利はないよ。長いと思ったら帰ればいいでしょ?誰も最後まで見届てくれなくていいよ。まして、ブログに書くな。というオレも書くなだけどね)今は素直に今年もドリームジャズバンドが開校することを喜びたい。今年もいろいろな出会いがあるだろうし、このような区の取り組みは子供の本当の成長を間近に見られるもので、続けていただきたい。昨夏はプライベートでいろいろあったが、一つ心配が消えた。
2010.03.20
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