全2件 (2件中 1-2件目)
1

なにせ両親の住む実家が 「宇宙科学研究所」 まで歩けるくらいの距離だから、「あそこが映った!」 「竹内結子が来たんだ!」 とはしゃいでしまった。ちなみに現在、拙者は札幌市在住だけれども、去年まで相模原市に住んでいた。 小惑星イトカワの着陸に成功した探査機はやぶさ~往復60億キロという途方もない距離を飛行して去年6月13日にオーストラリアに着地した。 「はやぶさ帰還」 の歴史的な日はテレビのニュースに釘付けになったものだ。もちろん、JAXA相模原キャパスにも行って来た。↑中庭に展示してあるロケット~雰囲気が出ている。↑いろんな展示物が所狭しと並べてある・・・JAXA:宇宙航空研究開発機構相模原キャンパスは、地元では 「宇宙科学研究所」と言われている。緑が生い茂る旧米軍キャンプ跡地に作られた広大な施設だ。界隈は公園や市営博物館もあって、近隣の広大なグラウンドは、相模原市消防出初式の会場になることでも知られている。 はやぶさのカプセル公開の日は、大勢の見学者が詰め掛けた。60億キロという途方も無い距離を飛行して戻って来た訳であるが、あまりにもウルトラCな話なので感動するというよりも現実感が湧かないというのが正直な感想だった。5月23日、はやぶさ/HAYABUSA(10月1日公開)の製作記者会見が行われる相模原市役所のサイトでも、映画「はやぶさ」の話題を特集として取り上げていた。竹内結子や西田敏行が記者会見している様子などが映っていた。竹内結子は、メガネ姿の研究所員役。堤幸彦監督交えての記念撮影はもちろん、はやぶさ実物大模型の前だ。ちなみに、JAXAの研究施設がある全国6市町で 「銀河連邦」 を組織している訳だが、6都市の中のひとつ、岩手県大船渡市は今回の東日本大震災で大きな被害を受けたのはご承知のとおり。西田さんは、この映画が被災地域の皆さんを勇気付けることになれば、と抱負を語っていた。 大船渡市の被災を受けて相模原市も全面的に協力しており、消防局の派遣隊を送り込んでいる。そう、相模原市消防局のレスキュー隊の愛称も決まった。それは 「スーパーレスキューはやぶさ」 だそうだ。
2011.05.28
![]()
今年のGWは、一年半ぶりの関西訪問。札幌から汽車と飛行機を乗り継いで神戸まで来た。まずは、映画「阪急電車」のロケ地となった地区をちょっと訪問。三宮から夙川→門戸厄神→武庫川まで周遊したのであります。「生」の字は傍で見ると何なのか分からない小説や映画では特に強調されてはいなが、舞台となった場所は「阪神間モダニズム」と云う独特の文化が起こった。阪急神戸線開通後、財界や文化人が多く移り住み、伝統的価値観と神戸から輸入された西洋文明が融合し、一種独特の文明が花開いたのだ。主に20世紀初頭のブルジョワ階級の文化としての意味合いがある訳だが、もちろん戦後もその文化的潮流は受け継がれ、今でも高級住宅街として名高い。ところが平成7年、阪神淡路大震災が「阪神間」を襲った。阪神間モダニズムを象徴する存在だった神戸阪急ビルなど、解体されたまま再建もされてないが、ほとんどの地区は立派に復興し、特に阪急西宮北口駅の再開発の成功は目を見張るものがある。映画からは、大震災からの力強い復興を成し遂げた「阪神間」からのメッセージ、と云う風にも感じられる。折りしも今年は不幸にも東日本大震災が発生した訳で、この映画が震災経験者からの一つのエールにもなり得ると信じたい。懐かしい宝塚線沿線の光景大阪最終日は、池田→箕面→中山寺を周遊。最後にどっかの猫ちゃんの写真で締め括りです。拙者の大阪在住時代はまだ小学生、阪急宝塚線の蛍池駅が最寄駅で、どちらかと云うと勤労者階級が多く住む街だったと思う。阪急沿線は、大阪梅田から離れれば離れるほど高級住宅街になっていく。蛍池より宝塚に近くなるほど瀟洒な住宅が建ち並ぶ光景が認められるのだ。さらに、宝塚から今津線方面へ行くと、かなり敷居が高くなってくる。私立の学校へ通っていたので、毎日電車通学をしていたが、雲雀丘花屋敷よりも宝塚寄りに住んでいる子は、大抵お金持ち出身だった。あの人達は、今どうしていらっしゃるのだろうか。本当に懐かしい時代であります。
2011.05.08
全2件 (2件中 1-2件目)
1


