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2005/01/24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
久々に、日記ではなくて、文章を書く気持ちに成ってきた。
楽天で書くのと違ってかなり孤独な作業だ。

最初かきはじめたものは、ハッキングされて、何処の誰かが流したか知らないが・・・。
かなり、不愉快な思いと。
私文書なので、かなり、身内で起きた出来事など描いてしまった。情報が流れた。

わがやのひみつ見たいな物。

文章にかくとき、他人の目にふれると考えて書くものと、自分、もしくは一人の人物にあてる手紙など。

かなり、自分に入り込んで言ってはいけない事をかいてしまうことがある。
公開の日記だと、不特定の誰かの目をいしきすることによって、文章と化してはいけない内容が意識される。


口頭で述べる、文字にしてはいけない。
もしくは胸にしまっておくもの。

日記は、公開でも、あくまでも日記。
自分の為の記録である。
その日の出来事を書いてなくても、その頃何を考ええ居たかうかがい知れる。

そして、時に楽天の場合他人の日記で、自分以外の人の視点を学ぶ事ができる。

他人の日記で、興味の幅が広がる。
日記を書く自分自身の実際の生活の視野が広がる。

わたしは、情景を書かれた日記が好きだ。
何処何処の桜。
芭蕉。

自然物以外にも、言葉に対しての拘りなどから、
(名前の由来など)何を感じたかと言う感想がものの見方価値観を知る、その人物に好感をもったりする。

私は、日記を始めて、好きという感情に出会った。

現実の人間。
私の世界には、私の好みの人物は殆ど居なかった。


と言うより、自分の好みが判っていなかった。
目の前に居ても、それが自分の好みなのか判らないで居た。

文章を通して、他人の心の内をしることができた。
現実世界では難しい。

取り巻く環境にの摩擦の起きない相手に対しては、素直に心が開く。

文章で喧嘩になることが有る。
現実の世界では、言葉を濁して喧嘩を避ける。
言いたい事も言わないで居る。

若い人たちの間では、現実に出会って、
殺し合いまで、発展してしまう事件が多かったが。

実は私も日記の中で知り合って、実際会っている人も居る。

会って居る人は殆ど文章と人物が一致している。
そして、この人は、この分野で得意な人。
何か有ったら、今件ではこの人と相談しようなど。
心強い、味方出来た気持ちに成る。

顔見知りの人と日記を読んでもらって、やりとりする事もある。
現実の生活の中では、見えてこない、すれ違い、誤解などは、文章のやり取りをしていると、
シュミレーションが働いて、お互いの問題点が早くに明確に浮かぶこともある。

これは、実際に会っている現実のひととの関係だ。

泡雪のほうは、行きつけの飲み屋のHPに紹介して、
読んでくれた人がいる。

飲み屋でも、少し浮いたキャラクターの私が、何を考えて動いているかを知ってくれて・・・。
飲む席で、さほど、警戒されなくなった。
そんな利点もある。

特に、夫婦者で飲み屋に来る人の奥さん。
同じ女性としての共通項を見出してくれていると思う。
他人の夫には個人的な興味は無い。

夫婦は一単位。
恋人も同じ扱いだ。

それに、私は体は1つ。
今は一人だが、一人の人間が私のパートナーに成ればいい。
それ以外の人間に「色物」で見られるのは、腹立たしい。
奥さんに内緒の付き合いはいらないのだ。


知り合う人に、日記を読んでくれと、言う。

振り返って、私は、付き合った人間(恋人、結婚相手。)に、自分の生い立ちを話したことが無い。

自分の生い立ちが余りにも、特殊で話す気に成らない。
分ってもらえないという諦めが最初にあって、面倒臭かった。
理解できない人とは、個人的に二人でする食事の時間も惜しい。

相手の家族の歴史を何人の人から聞いたか数え切れない。

一昨年から、去年の日記に、初めて自分の生い立ちを振り返った。
唯一人の人間に自分を知ってもらいたくなったからだ。
自分と似た発想の人物に私という存在を認知して欲しかった。
私は、文章で恋をした。
20歳年下のその人は、現実に恋人とはなり得ない。
(わたしの価値観の中で、年齢制限がある。)
でも心は自由に恋をした。

恐らく、最初で最後の「恋」だと思う。
あれは、胸が切なく苦しい。

それに恋をして開かれた心は基のように、閉じない。
恋の苦しみは自分以外の他人を心に受け入れる、産道が開く苦しみだ。

この人物と現実に会っては居ない。
存在だけでよい。
私のとっては、聖書のキリストより、キリスト的。
アダムのような存在だ。

私に、好きという感情の「定点」をくれた。
0の地点。
私と感性の似た人物だ。


その後心が開いた状態で人間関係を始めるので、恋の苦しい現象は起きない。

その後は、ときめき?
相手が男女問わず≪愛≫が始まった。
心が誰かに囚われる恐れも無くなった。
「恋」をして私は私を見つけた。

日記の効能は自分以外の自分と出会えること。
日記の中で出会う人物は、
私の脳で創造された人物像だ。

≪時として、現実の中で出会いたい人物が居ないわけでもない。≫

まとめ、
日記は自分の成長の記録のために書いている。
他人の目を意識すると、後から読んで書いた事後悔する事が少ない。
この2点かな?






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Last updated  2005/01/24 11:56:25 PM
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