華清池は西安から東に30 キロ離れたところ。
以前ブログで紹介した兵馬俑坑の近く。
●兵馬俑坑
http://plaza.rakuten.co.jp/jiroh26/diary/201209010000/
http://plaza.rakuten.co.jp/jiroh26/diary/200901100001/
上記 西安紀行のブログを参考まで。
話は「華清池」でしたね。
(楊貴妃の彫像)
玄宗皇帝が楊貴妃と ここに住んで温泉に入ったり 宴会と歌舞に明け暮れていた場所です。 華清宮には 玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という専用の浴室も造られています。
(玄宗皇帝専用の蓮花湯)
(楊貴妃専用の海棠湯)
楊貴妃はライチが大好きだったので600 キロも離れている産地から長安まで3 日間でライチを運べと命令するほど惚れこんでいたのですね。
唐代の有名な詩人白楽天は 玄宗と楊貴妃の華清宮でのロマンスを素材にして長編の叙事詩「長恨歌」を作っています。
「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の見ず滑らかにして凝脂を洗う」。
ここは西安事件の舞台でも有ります。
( 西安事件)
蒋介石は 楊虎城の西北軍と張学良の東北軍による共産党の討伐が はかどらないのに業を煮やし この二人の将軍に督戦するため1936 年に西安にやって来ました。
ところが 張学良は自分の父親が日本軍に殺されていて(張作霖爆殺事件:1928 年)日本に対する敵愾心が強く 中国人同士の内戦をやめて一致団結して日本と闘うべきだと考えていました。
そこで 張学良は蒋介石に対し 内戦の停止を呼びかけようとしましたが 聞き入れなかったので華清宮の五間庁に泊まっていた蒋介石を襲い 監禁。
張学良は蒋介石に対し 内戦の停止と一致して抗日の闘いに立ち上がるよう逆に督促しました。これが「西安事件」です。
( その日の様子)
12 月12 日午前五時 張学良の部下たちが五間庁の蒋介石を襲撃。蒋介石は突然の銃声で目を覚まし 着替えもできずに 窓を乗り越え 山腹に逃亡しましたが 岩間に隠れているところを張学良の護衛兵が捕らえ その後 蒋介石は西安の招待所に幽閉されることになったのです。
蒋介石が捕まった現場である山腹には石造の部屋が建てられ「兵諫亭」と名づけられています。
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elsa.さん
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曲まめ子さん
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alisa.さん