ぜんちゃんの風に吹かれた日々

ぜんちゃんの風に吹かれた日々

2006年05月08日
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カテゴリ: ライフスタイル

しかしあいにく、マキちゃんは晩メシを食べ終えヘタレていたので次回に持ち越しにした。

とにかくボクはお喋りしながら会食するのが大好きだ。
互いに心を開きもてなし合う行為でありそれはとても意義のある重要なコミュニケーションだと信じている。
心を許さない人とは絶対に食事なんか出来る訳がないし会話のない会食はありえない。
第一、受け入れがたい人に自分が食べているその姿を見せたくない。

たまに早く終わったのに至極残念だな。
でも先日、とても久しぶりにお馴染みのムナちゃんと仕事の合間を縫ってお茶を飲むことが出来たので嬉しかった。
職場が変わってから一ヶ月ほとんど会えなかったし話せなかったのだ。


世話人のムナちゃんには言い難いけれど、仕事の予定から見るとボクの出演はちょっと難しいみたいだ。

時間のやり繰りや休日の取り方が確実に難しくなってしまった。
確かに仕事が忙しいのは良い事なのかもしれないがそれと引き換えに中途半端なものが山積みになってゆく。

もしかすると多忙は罪だ。
ある意味そんな気がしている…。

自作曲CDの音源が完成した。
ディレクターをしてくれたSさんには本当に頭が下がる。実に深みのある浮遊感漂う音を出して頂いた。
しかし、しかし、なのである。
やっぱりボクのヴォーカルが問題なのだ。ヘタレなのだ。
だからSさん、もう少しボクに時間を下さい。しばらく気持ちを昂揚させてもう一度ヴォーカルを録音し直したいのですよ。
仕事の合間を利用し素晴らしい演奏を録音してくれたSさんに報いたいのです。



そんな状況のなか、来る日曜14日はボクが参加しているゴスペル・クワイヤの初の野外コンサート出演なのだ。
こりゃあ本当に困ったな。
ボクは一ヶ月近く練習に参加していないのである。
もはや気持ちだけではどうにもならない。
「仕事が忙しくて練習できませんでした」なんて言い訳は通用しないのだ。

きっと優しいメンバーたちは許してくれるに違いない。上手く音が取れなくても居てくれるだけいいからと言ってくれるに違いない。
やっぱりそれではいけないのだ。
自分たちだけで慰めあってはいけないのだ。
不特定多数の人たちに感動を与えるにはそんな甘い友情も愛情もいらないのだ。
だから練習不足のボクが他のメンバーのハーモニーを乱してしまうなら外れた方が絶対に良いに決まっている。

人に感動を与えるのはなんと難しいことなのだろう。
こちら側は絶対に本物でなくてはならないし、その表現手段としてテクニックは必要だし要求される。プロフェッショナルとしての自覚もまた必要であろう…。

「そんなことないよ」
「やっぱりハートなのよ」
なんて言ってみても、そのハートを具現化するにはそれなりの努力が必要なわけで。
つまり犠牲も必要な訳だ。





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最終更新日  2006年05月09日 02時37分32秒
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