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日本が朝鮮を侵略した歴史を知るため、大急ぎで読んだ本 日韓歴史共通教材日韓交流の歴史 先史から現代まで明石書店 高校までの現代史でほとんど習わない、朝鮮半島の近現代史を概観できる。日本の侵略がいかに朝鮮の人々を憤らせる内容だったか。日本の朝鮮半島侵略開始からずっと、いかに朝鮮の民衆が、抵抗し、撥ね退けようとしてきたか、(義兵戦争、東学農民運動、自供啓蒙運動、19年3.1独立運動、26年6.10万歳運動、29年11.3光州学生抗日運動、)それが、朝鮮半島から、日本に弾圧されて、沿海州、中国にまで広がる様子がよく分かった(40年韓国光復軍、42年朝鮮義勇軍、)。
2010年08月22日
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沖縄戦を生きた子どもたち大田昌秀クリエイティブ21 ・・政府が提案して国会を通過させた「有事立法」を見ると、有事体制化でもあたかも行政が平時と同様に機能するかのように考えている節があります。・・・・沖縄戦の経験に照らしてみれば、地上戦のような「有事」体制下で、行政が平時どおり機能と考えること自体甘すぎるどころか、「有事」の内容をまるで知らないとしか思えないのです。・・・・戸籍簿や土地台帳などの重要文書は焼却されます。そのため、戦争が終わって、個々人の財産が確定できない事態が起きます。・・ ・・戦時下における対住民政策は、皆無に等しい状態で、守備軍首脳はひたすら軍官民の「共生共死」を唱えるばかりでした。・・・・住民を激闘の戦場に放置して、徒に「死出の道連れ」にしたのです。・・・・「一兵たりとも惜しい惜しい本土防衛力をみすみす海没の犠牲にすることは忍びない」・・・・日本本土の防衛態勢は、当時せいぜい60%程度しか仕上がっていなかったからです。そのため、一日でも長く米軍を沖縄に釘付けにして日本本土への上陸を遅らせ、その間に防衛体制の整備を仕上げようと図ったのでした。つまり、沖縄の軍官民を「本土防衛の防波堤」に供したのです。・・ ・・守備隊将兵は、現地の非戦闘員に不満を向け、不当に人々を窮地に陥れたのです。そればかりでなく、いつしか守備軍将兵に対する根拠のない猜疑心と警戒心を掻き立てさせられて、数々の陰惨な殺戮事件を生む・・・・「戦争が始まる前に国土戦のやり方をきけておくべきだったが、それがなかったので、外地の戦場でやってきた慣習をそのまま国土戦に持ち込み、沖縄戦の悲劇が起こった。」・・・・沖縄守備軍首脳の中に、かの「南京虐殺事件」に直接、間接に関わった人たちがいた、という事実を、・・・・そして、痛苦の思いで日本軍が「外地の戦場でやった慣習」の中身を知ることになるのです。 ・・平時においては、声高に「国防の重要性」を主張し愛国心を説く政府首脳や各界の指導者達が、いざ戦争が始まると、わが身可愛さに平気で自説を裏切る行為に走る人たちが後を断たなかったというのが真実の姿でした。 ・・「壕の提供」で14歳以下の子どもたち1万人以上が戦死したと言うのは、・・幼い子どもたちが家族や親戚などと一緒に避難していた自家壕から追い出された結果、非業の死を遂げたことを意味するのです。・・「食糧提供」による死者も、味方の友軍兵士に食糧を奪われて餓死したことを意味するのです。・・復帰後およそ35年間に日本政府が投下した沖縄関係経費は、全部合わせて13兆8000億円です。ちなみに自衛隊の年間予算は実質的に5兆円を越すといわれています。つまり、政府は沖縄県に支出した35年分の額を、わずか2年で軍事費に消費しているわけです。・・戦後60年余が経った現在も、セイ負の沖縄に対する政策とりわけ基地政策は、かの無謀な沖縄戦の延長線上にあると思われてならない・・国防の名において国家が始めた戦争でありながら、政府当局もかつての軍部そして現在の自衛隊も、戦争で犠牲になった人たちの調査をまともにしたこともなければ、スパイ容疑などで友軍よって非業な死を遂げた人々の遺族に対する十分な補償措置も講じてはいないのです。私たち沖縄県民が「平和の礎」を立ててきたのも、全ての戦争犠牲者に対し、人間としてこの世に生存した証しを与えたいがために他なりません。それとは別に、日米安保体制下における米軍基地問題こそが、もっとも露骨に政府の戦後の対沖縄政策が依然として戦時中の政策の延長線上にあることを端的に物語っているといえます。・・軍隊を置くための沖縄の土地が必要だったということです。 15世紀半ばから16世紀の前半にかけて50年も王位にあった尚真王は、「平和と近隣諸国との友好関係の樹立」を琉球王国の「国是」に定めました。琉球王国は「武器のない国」。「戦争のない国」として、また琉球の人々は、外来者に対して親切で礼儀正しい「守礼の民」として、外国にまでその名を知られるようになりました。琉球の人々のこのような生き方は、今日の平和憲法と称される「日本国憲法」の基本的理念に沿うものといえます。・・琉球王府は、軍隊を置く事に真っ向から反対しました。1、沖縄は、ずっと昔から隣近所の国々と貿易を営んで仲良く付き合ってきた。2、沖縄は、資源の乏しい小さな国だから、外国が領土にしようとねらう懼れはない。小さな国は、どんな軍備をしても到底守ることはできない。3、軍隊がいなければ狙われることもないし、戦争に巻き込まれるおそれもない。だが、もしも日本の軍隊が常駐するような事になれば、近隣の強大な国々を刺激して、却って自ら危険を招く事になる。4、軍隊を常駐せしめるためには、兵舎や演習場を作らねばならず、広大な土地が必要になる。そのため,農家の人々にとって命の綱ともいえる土地を取り上げられることにもなりかねず、貧しい農民をさらに苦しめてしまう。・・しかし、日本政府は、沖縄の防衛は日本全体で当たると反論しました。・・これが、そもそも沖縄の不幸の始まりとなりました。それが今に続く沖縄の軍事基地化の端緒となったからです。
2010年08月22日
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討論 戦争と平和はくっついたもので、分けられないのではないか。 天皇制日本で天皇制のけじめがつかないのは、支配層がアジアに負けたと思っていないからではないか。沖縄戦を体験したおばあさんは、日本軍による加害は、未だにヤマトでは恐ろしくて話せない、という。彼女の中で戦争は終わっていない。沖縄では、最後の軍命は終わっていない。戦争は終わっていないのかもしれない。戦争が終わって平和だと思っている我々のほうがおかしくて、そのおばあさんの感覚が正しいのかもしれない。アメリカと日本が一緒になって戦争する、ということに、成っただけかもしれない。 仏教と戦争地元、草の根で戦争を支えた者として、三者ある。1、僧侶 2、小学校校長 3、警察仏教界の責任は重い。 大谷派(皇后の実家として、戦争に協力。)が、一門の追悼から、敵として殺してしまった相手を含む、「全戦没者法要」に漕ぎつけたのは、最近である。 基督教会戦争を止める勢力に、成りえなかった教団が、70年に戦争責任告白したとたん、分裂した。キリスト者は、虐げられた者、貧しきもの、差別されたもの、とともにあろうと願う。これら、マイノリティが感じていることこそ、真実である、という認識を持っている。 朝鮮人差別、部落差別、障害者差別は、今もあり、戦争の時は、真っ先に被害者になる。軍隊は住民を守らない大阪の砲兵工廠の前を、電車が通るとき、電車の窓を閉めろ、と日本人も命令されていた。小学生のNさんはある日、それを忘れて外を眺めていた。兵隊が来て、「おまえは、スパイか!」といって殴った。戦争になると、軍は軍しか、守らない。
2010年08月21日
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金和子 (キム・ファジャ)さん 在日コリアン青年連合(KEY)在日コリアンの戦後と現在 ~民族的アイデンティティの観点から~ 在日コリアンの戦後・1945年、8,15、日本の降伏によって、植民地支配から突然「解放」された。そのとき、持ち出し金の制限、コレラの流行、故郷での生活基盤をすでに失っていたこと、その上、祖国の分断があり、日本に残留せざるを得なかった朝鮮人が60万人いた。 ・在日朝鮮人は、45年、まず選挙権を停止された。47年、5,2 外国人登録令によって、日本国籍を剥奪された。朝鮮人、台湾人は、「当分の間、外国人と見なす。」同年5,3 日本国憲法に国籍条項が設けられ、「国民」と見なされない朝鮮人は、基本的人権を憲法によっても保証されなかった。 ・戦後日本各地に朝鮮人による自主的な「国語講習所」ができた。全国に500校、生徒は6万人に及んだ。在日朝鮮人連盟により、朝鮮人学校に改組された。48年、文部省は朝鮮人学校の閉鎖を指示したため、大阪府庁前で抗議のさなか、16歳の少年が警官に射殺された。GHQ占領方針に、朝鮮人は「解放民族」だが、必要なときには「敵国民」として扱ってよい、という規定があったから。 一連の在日朝鮮人に対する政策は、植民地時代の民族差別を温存させた。また、新たに「反共」と言うイデオロギーによって、朝鮮人を"合法的に"排除した。在日朝鮮人同士も団結させない政策であった。 日本の過去の清算53年 サンフランシスコ講和条約(片面講和)に、韓国朝鮮は出席を許されず。 日米安全保障条約65年 日韓条約 大韓民国を朝鮮半島における唯一合法的な政府とし、 日韓併合条約は「もはや」無効とされた。 韓国は一切の請求権を放棄し、経済協力方式で妥結した。 韓国籍在日コリアンに「協定永住権」を認めた。03年 日朝平壌宣言を経るも、拉致問題が国交正常化を妨げている。1990年代からああ個人への謝罪と補償を求めて、戦後補償裁判が起こされるも、多くが敗訴。 現在の日本社会・北朝鮮バッシング 北朝鮮に対しては、何を言っても良いとするような露骨な差別意識・ナショナリズムと排外主義の高まり 「在特会」の台頭・歴史認識の欠如朝鮮学校に対する援助を、日本の戦後補償賭して取り扱うべきである。他民族を迫害してきた、今もしている、という意識の欠如これらを補うための、日本の歴史教育、戦後教育の見直しが求められる。過去を乗り越え、多民族・多文化共生社会に通じる総合的な教育のあり方が、議論されるべきである。
2010年08月21日
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金城馨さん沖縄の立ち位置を鮮明に。 日本ではない沖縄、という沖縄の立ち位置を鮮明にし、考え、発言したい。 沖縄差別、ということを、沖縄がはっきり言うようになった。 差別があるから、差別から逃れるために沖縄が日本人化するのではなく、差別を、差別をしている日本人に突きつけることが必要だ。それによって、自分も鍛えられる。人類館事件で、沖縄人のなかに、「我々は、一等国民だ。台湾、朝鮮、といっしょにするな。」と叫んだ一群がいた。差別から逃れるために、差別に加担する共犯化を、沖縄は過去にしてきた。
2010年08月21日
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大城盛俊さん 「沖縄戦を語る」 日本軍は、沖縄住民をだました。「皆さん、私達が守りますから、大丈夫です。」常日頃、兵隊たちは言っていた。沖縄守備隊は、兵隊の食糧を持っていなかった。住民から徴発した芋粥だけが兵隊さんの食糧だった。虫が食って、悪いにおいがした。沖縄の人たちは、かわいそうに思い、豚や米など、出来る限り差し出した。ある日飛行機が編隊を組んで飛来し、友軍と思った兵隊さんたちは「バンザイ!」と叫んだが、それは、アメリカ敵機だった。食糧備蓄も、弾薬も、アメリカ軍の上陸前の空爆で、全部灰になった。戦争にならなかった。日本軍には何もない。アメリカ軍には何でもある。 ガマでの幼児虐殺住民の隠れていたガマに、日本兵がやってきた。子どもたちが泣いていた。母親があやすが、おなかの空いた子どもたちは泣き止まない。日本兵が、注射器を持っていた。「おかあさん、この注射を打つと、子どもを泣かないようにできる。注射をうってあげよう。」嫌がる子どもに、注射を打つと、その子は、口から泡をふいて、苦しがった。死んだ子どものお母さんが、「おい、罪もない子どもに注射を打って、殺すつもりか!なんというやつらだ!殺すんなら、私たち全員を殺せ!!そのかわり、日本軍も知る、アメリカ軍も見る。そしたら、どうなるかわかってるだろう!」日本兵は恐れて立ち去った。 お母さんと別れる。生みの母と、ガマで別れた。別れは深夜2時に及んだ。おかあさんは、大城さんの養父母のガマから、再婚先の玉城村のガマに帰る途中、日本兵に捕まった。「おい、おまえはスパイやな。」「スパイではありません。」「スパイでなかったら、なぜこんな夜更けにうろうろしている。スパイやな。」怖がってお母さんはガマに逃げ込んだが、日本兵は、そのガマに手榴弾を投げ入れ、母は、殺された。 日本兵から暴行をうける。子どものない大城夫妻に引き取られ、跡取り息子として大事に育てられた。養父は、盛俊さんが軍に徴用されることを恐れて、女の子の格好をさせていた。食べ物もない。黒砂糖をひとかけら、家族で舐めてしのいだ。一家が避難したガマに、日本兵がきた。「おい、そのリュックサックはなんだ。それを、出せ。何とか言わないか。」リュックを奪おうとする日本兵に、必死ですがりついた。「これは、明日からの私たち家族の命です。とらないでください!」「なんだ、生意気なヤツだ!」首を引っつかまれて、引きずり出され、殴られ、気を失い、軍靴で蹴られ続けた。父が堪らず、「おい、おれも日本兵だ。おまえ達、そんな小さい子どもを殴って平気か。」と飛び出してきた。「おれは、中国に行って来た。おまえ達が中国でどんなことをしてきたか、知っているぞ。」「おまえが、日本兵なものか。」「これを見ろ!」父は、古い軍服を日本兵達の前に投げ出した。日本兵は、すごすご引き上げた。そのとき以来、右目は見えません。右肩は脱臼し、内臓にも傷を受けました。 アメリカが来る。アメリカ兵が、大声でしゃべりながら、ガマに近づいてくる。懐中電灯で照らし、「出てきなさい」「小さな子どもなら、殺しはしないだろうから、様子を見てきなさい。」お父さんに言われて、ぶるぶる震えて怖かったが、怒られるから出て行った。アメリカ兵は、「これは、チョコレート。甘くておいしいから、食べなさい。お父さんがいたら、このタバコをあげなさい。」チョコレートとタバコを父に持ってかえると、「これは、毒が入ってる。すぐ捨てなさい。」父が、放り投げてしまった。アメリカ兵が入ってきて、落ちていたチョコレートを拾い、食べた。私は、ピカピカしたヘンなお菓子だなあ、と思いましたが、銀紙ごと口に入れた。兵士が、驚いた事に、ウチナーで話しだした。「私は、30年前に沖縄からハワイに移住した二世です。」 収容所生活収容所から畑に芋ほりに行く。その路上、黒人兵が住民女の子をさらって暴行をはたらいた。 戦後軍人は軍人恩給をもらって、いい生活している。わたしたちは、戦争で右目を失って、右手も充分動かなくなったのに、なにもない。そんなバカなことがあるか。厚生省に、援護法の適応を求めて、何度も陳述に行ったが、いまだに対策は採られない。裁判をしようかという意見もあったけれど、弁護士費用や、なにや、たいへん。 沖縄に基地が集中した現状では、戦争が起こったとき、沖縄にはロケットが飛んでくる。前の戦争でつらい目に遭った沖縄がまた、戦争の場になる。基地はあってはいけない。 戦争は絶対してはいけない。
2010年08月21日
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マイノリティは、戦後も戦争の中にあります。マイノリティに対し、戦後処理すらなされてこなかった。マジョリティである日本人は、忘れるか、意識から追い出そうとする。いや、あなた方は忘れても、わたしたちはいる、と繰り返し繰り返し、沖縄、在日の方たちは声を上げます。彼らは、日本人が、戦後処理すらしてこなかったことの、生き証人です。彼らの歴史は、彼らがマジョリティに大きな影響力を持って当然だと告げています。それを、差別するすることで、劣った人たち、平等に扱わなくても当然の人たちーと差別することで、日本人がマイノリティを生み出してきた、といってもいい。 1945年、8.15で、「暗い歴史は終わった。」「過ちを繰り返さない。」と呪文のように繰り返すことで、過ちを、『済んだこと』にしてしまったのではないでしょうか。過去を忘れ、それぞれの人への責任も忘れ、ただ、「済んだこと」にしてしまった。いや、「不問に付し」てしまうことで、今も、どこかで、過ちを続けているのではないか。そのことにさえ、気が付けない、それは精神の空洞化ではないでしょうか。精神の破綻は、マイノリティの声に耳を傾ければ、あちこち見えてきます。沖縄に安保のため、と、75%の基地が集中してしまったのはなぜ?ー憲法9条があるのに。いまも、表層の笑顔の下に、朝鮮人め、という侮蔑の言葉が潜むのはなぜ。もっとある、ヒロシマ・ナガサキの多くの被爆者が、いままで認定されず、国が救済してこなかったのはなぜ。 マイノリティは問いかけます、あなた方の9条は、なぜ私たちに届かないのですか。なぜ同じ人間なのに、教育を受ける権利を制限されねばならないのですか。 忘れたのだ、忘れたことにさえ気づかず、経済の繁栄を選んで邁進したのです。日本人が見ることを拒否したのは、沖縄、コリアの人々だけでなく、同胞のはずの被爆者でさえ、差別し、捨てたのだ。加害の現実に目を向けることができないどころか、同胞の、自分自身の被害にさえ、向き合ってこなかったのだ。自分自身の被害すら、無きものとした。この精神の無惨を、どういえばいいのでしょう。 病魔に苦しみ、怯える、被爆した日本人のことさえ、考えられなかった。自分の被害すらみすえていない。占領中に目の前の米軍を、アメリカ帝国主義を追及できなかった。なぜか。 復員してきた軍人が、責任を問われることもなかったし、「あの」天皇さえ生き延びた。我々が解放されて、何が悪い。天皇をも私たちは許したーある意味、認めたのだ。指導層を弾劾、追放することも自らの手では、しなかった。一億総懺悔「天皇も、私も悪かった」では、天皇の責任も、支配層・財閥・軍部の責任も、私たちの責任と同じになってしまう。重慶に始まる、無差別大量虐殺を企画した軍部を糾弾しなかった。だから、アメリカの加害も追求できなかった。東京、大阪大空襲で死んだ日本人数十万、原爆投下で直後になくなった約20万の命に誓っても、許してはならなかったのに、です。 戦争の被害も加害も忘れた日本人は、アメリカの加害を追及する道義的地位も失ったのです。アメリカの加害を、追及できなかったのだから、あとは、戦争をし続けるアメリカの、帝国主義路線まっしぐら。毒食らわば、皿までも、と倫理も何もありません。 繰り返し、声が上がる、マイノリティ、シベリア抑留者、中国残留孤児たち。「あなたたちは、私たちを忘れたのか」忘れたのだ、わたしたちは、天皇の戦争責任とともに。 沖縄戦体験者の多くが、高齢になるまで体験を語ろうとしなかったように、日本人の戦争体験者もまた、語りません。加害の記憶も、重たいのです。加害の歴史を日本が認めない限り、彼らの自分史も葬られたままです。彼らも戦争から、加害から、解放されないのです。 真実和解委員会、というものがあります。歴史を、他者の歴史を、先の世代の歴史を、事実を掘り起こし、記憶し受け継いで行く営みの欠如したままで、真の和解も、解放もないはずです。歴史とは、歴史を認識するとは、それに関わる個人の、解放や、帝国主義戦争という、加害と被害が複雑に重層する民族、国家、集団間の、真の和解を、本来、意味するのです。 歴史が明らかになれば、差別意識が、本来、植民地侵略を目論む支配層によって植え付けられたものであることを理解するでしょう。 在特会などの、人種差別・排外思想が根拠とするのは、歴史を意図的に切捨て、変形、歪曲した主張です。我々の中のこの病根を絶つためにも、中国、東南アジアに対する加害、植民地支配による加害、国家に戦争の弾とされた被害、アメリカに非戦闘員の大量虐殺を行なわれた被害をしかと見て事実を認識しなければなりません。 戦後、平和憲法があるにもかかわらず、日米安保条約は破棄されず、矛盾は、基地集中となって、沖縄に押し寄せました。その後は、アメリカと一緒になって、沖縄を二重支配した政府を許したし、植民地支配の結果、日本に来ざるを得なかった在日本のコリアンたちの、国籍を奪う政府を、許した。アメリカと一緒になって、朝鮮特需で復興し、とうとう、今また、アメリカの言うままに、構造改革、市場原理主義。少数の資本が、大多数の人間を搾取する政策を進める、政府・官僚のなすがままだ。自衛隊が海外派兵を本来任務とされ、北朝鮮の脅威が煽られ、抑止が思考停止を生む現在、戦争を止める言葉は、マイノリティとされてきた人々が訴える言葉、私たちが忘却した歴史と責任の中にこそあります。 私たちをとりまく現状は、きびしい。それは、戦後、やらねばならぬこと、我々の親が、祖父が、何をしてきたか、に向きあうことをしてこなかったことと、無縁ではありますまい。戦争責任と、植民地責任に向き合う。中国、朝鮮、沖縄に対する、植民地責任を自覚し、自らの倫理性を取り戻すためには、彼らに植民地責任を明言し、それを補償することを、我々自身に課さねばなりません。そのような営みが、平和を鍛え、戦争を抑止する力、日米安保条約を止めさせる力になるのでは、ないですか。基地のない沖縄が実現するなら、マイノリティが告げる、ヤマトの責任を果たすことで、可能なのではないでしょうか。
2010年08月16日
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いままでの日米安保論に対し、私たちも新しく安保を見なおさなくてはならない。「日本はアメリカに負けた」「沖縄戦、大空襲、原爆で力尽きた」という、中国への侵略戦争で事?上敗北していたという、大方の戦後認識。じつは日本は中国、アジアへの侵略戦争をおこない、とりわけ中国での抗日戦争に負けていた。数字上からも「対米戦争」以降も投入された軍、予算は中国戦線が上回っている。この認識の誤りは侵略戦争、戦争責任、戦後も植民地支配の反省の希薄さにつながっている。 事?上のアメリカによる単独占領に、中国・アジアの抗日、反植民地戦争に負けたという意識を忘れてしまった。あるいは「中国に負けた」と思いたくなかった。さらにその後の日米安保による〃第二の占領〃は、この歴史認識をつづけさせた。侵略責任を免れてきた安保50年ではなかったか。 これらを一つひとつ、もう一度検証し、知恵や情報を持ち合い運動のなかで発展させていく。そこに本当の「歴史的勝利、転換」につながる道がある。50年の今年、私たちの運動の課題としたい。「日米同盟相対化めざす民主党政権」纐纈厚さんとめよう戦争!百万人署名 兵庫連絡会 HPより、引用。 日本はアメリカだけに負けたわけではないのだ。理由なく(侵略目的はあるけど)、中国に攻め入り、民衆の反抗にあって、中国に負けたのだ。同じように、朝鮮を収奪し、結果、朝鮮人民も、中国で抗日運動を行なった。彼らは、日本の占領に加わらなかったが、そうなっても何らおかしくなかった。 日本は、植民地戦争を仕掛けて、朝鮮・中国の人々に撃退された。その過程で、国家テロ、戦争犯罪に留まらず、幾多の植民地政策を通じて、中国・朝鮮に対し、ジェノサイドや、収奪を行なった。中国戦線とそれ以外のアジア・太平洋戦争に費やした軍事費は、日本の予算の86%を超えた。兵員200万、民間人70万の死者を出し、窮乏生活を強いた戦争で、財閥・支配層を除く日本人に得るものは何もなく、(あっても問題だけど)、その戦費は抗日戦争や対米戦争に消費された。対アジア戦争は、日本は一方的に加害者である。ところが、侵略戦争の戦場は国外だから、加害意識が希薄だ。その加害は、戦争だけでなく、植民地獲得とその運営による加害もある。加害の対象には、朝鮮、台湾、中国だけでなく、沖縄もその範疇にある、と見るべきである。この、明治から一貫して行なわれた、「富国強兵」政策=植民地獲得政策の挙句に、頑強なレジスタンスを呼び起こし、底なしの軍事費をつぎ込んで国民を苦しめた。対米戦争も、その延長にあった。その過程で生じた、対アメリカの加害と被害の重層も、帝国主義国同士の、覇権をめぐっての帰結である。つまり、資本主義の矛盾を契機に始まる侵略に始まり、覇権を巡って起こる衝突に行き着いた。その後戦後の沖縄軍事占領も、朝鮮戦争・ベトナム戦争の基地となっていることから分かるように、戦後も続いた侵略戦争の一環である。これらのことから、日本のマジョリティが植民地責任を自覚しないなら、日本の被害も糾弾できず、その再発防止もおぼつかない。日本の被害は、アメリカの、同じ政策、植民地政策の一つなのだから。自らの政府の加害を止めることも、原爆に代表される無差別爆撃を根絶する声にもなりえない。その意味で、今一度、日米安保=沖縄問題と、放置された在日問題=分断朝鮮の冷戦、を見る必要がある。アメリカ一国による軍事覇権と、形は変えているが、現在も、石油のために軍事占領されているイラク、地政学的に重要なアフガニスタン侵略の現状は、アメリカの軍事・エネルギー政策が、戦争を生んでいるもので、沖縄米軍基地、日米安保から直に地続きである。日本は属国として、アメリカの戦争に付き従っており、日本の経済の閉塞状況も、アメリカと集団的自衛権を行使して戦争で打開しようとする可能性が大きい。マイノリティの皆さんは、現状での差別の高まりを、皮膚感覚のように鋭く感じ、この道が、戦争に至る道だ、と警告されている。マイノリティは、戦後一貫して、マジョリティには隠された戦争を押し付けられ、マジョリティより戦争と平和がよく見えている。自発的にだまされているマジョリティは、その言葉をよく聴き、目を覚ませ。年次要求に見られるような、アメリカに隷属して、自国の大多数の国民の利益にならない政治がなされている現状を打開する行動を起こすべきだ。まずは、沖縄普天間基地撤去、辺野古新基地絶対反対、日米安保撤回を、全県の運動目標にしたい。我々も、アメリカとその傀儡政権・官僚に自決権を奪われているのは、沖縄人と同じだ。ヤマトンチュと、ウチナンチュの連帯は、ここに可能だろう。それと同時に、植民地責任、戦争加害責任を、必ず決着しなければならない。責任を内外に宣言し、倫理的立場から補償することを、政府に、引き続き、力強く求め続けたい。
2010年08月14日
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8月8日、8.15で講演していただく、大城盛俊さんのお宅に伺いました。車で着いた我々を出迎えて、マンションの一階で出迎えてくださいました。後姿はかくしゃくとして、とても、喉頭がんの手術を経た、77歳の方とは思えません。伊丹空港が見渡せる、空の広いお宅です。入り口に、月桃(げっとう)の植木がありました。「月桃は、沖縄戦の象徴とされているんだよ。3月から7月に花が咲く。沖縄戦は、ちょうど、月桃の咲いている間じゅう、行なわれたんだ。葉は良い匂いがして、これで食べ物をまいて蒸したりする。大城さんには、思い入れがあるのだとおもう。」 と、同行の沖縄県人Oさんが教えてくれました。きれいに整えられたお宅には、「関西 心の賞」受賞の表彰状が壁にかかっています。大城さんの、長年の、85年以後の、1700回を越す平和の語り部としての貢献を表彰したものです。変わられませんね、というOさんに、「いや、毛がちょっとうすくなってね、あなたがうらやましいよ、ガハハハ。」お話を伺いました。H4年、沖縄に行ったとき、「基地のおかげで、飯たべてる」と言う意見が、まだ強かった。人間の鎖で、普天間基地を包囲したとき、沖縄の人はぽつぽつしか、いなかった。畑仕事をする人に呼びかけても、関係ない、と言われたことがあった。それが、変わった。今年、厚労省に陳述に行った。(沖縄戦の援護法を厚生労働省が管轄してる。)「沖縄戦の残酷さを分かっているか。沖縄に基地が何のためにあるか、沖縄に基地を押し付けて平気か。」官僚は答えられなかった。基地があると、真っ先に空爆される。そのときは、沖縄戦とは全然違う戦争になる。障害者が大量に出る。八重山戦争マラリアを補償せよ、という運動に、今年も参加した。伊丹の小学校に、この前も講演にいった。戦争になったら、子どもだろうが、年寄りだろうが、年齢なんか関係ないの。十一歳ごろだったが、学校は授業は全部やめ。空港づくりに駆り出された。硬い岩盤があると、10歳の子どもに穴を掘らせて、ダイナマイトを入れて発破をかけさせた。女は、1m半ぐらいの直径のシンメイ鍋に、虫の食った芋、一升のご飯を入れて、かゆを作った。沖縄守備隊は食糧を持ってこなかった。可愛そうに思った沖縄の人たちが、豚や味噌や、いろいろなものを分けてあげた。戦争が始まるまでに、米軍はスパイを送り込んで、どこに何があるか全部知っている。座間味島には特攻隊の基地があった。そこから、戦争が始まった。日本軍は9万人、米軍は54万人。日本軍はすぐに武器も底をつき、戦争に成らない。最初から、捨て石。司令官は、「最後の一人まで戦え。」と軍命を残してさっさと自爆してしまう。戦争が始まるまでは、「安心してください、私らが守りますから。」 と言っていたのが、戦争が始まったら、自分達はガマに隠れて。沖縄の年寄りに手榴弾を持たせ、上陸戦車に投げさせた。抵抗すれば、その場で斬り殺すか、銃殺した。アメリカも敵だったが、日本軍も敵。頭が狂って心が鬼になっている。戦争が始まったら、日本軍は住民に銃を向けた。食べ物ないから、住民から食糧を奪いにきた。軍隊は沖縄をまもったか。守らなかった。質問空港作りなどに住民を動員したため、軍事機密を住民は共有することになり、これが漏れるのを怖れた日本軍が、方言で話すことをスパイと見なしたり、捕虜に投降することを禁じた、ということですが。いや、そういうことではないの。上層部から、沖縄に来る前に、命令が出ている。沖縄方言を使ったら、スパイとして殺せ。命令に逆らったら殺していい。軍事機密とか、それ以前の問題なの。沖縄の方に聞かないと分からないと思っていたのですが、米軍上陸に先立つ、鉄の暴風雨、と呼ばれる艦砲射撃こそが、多くの沖縄の人々の命を奪ったのではないのですか。日本軍の残虐行為は許されない。日本政府に捨て石にされたことが、沖縄戦が住民に多大な被害を与えた原因なのですが、アメリカは、その後の基地問題も含めて、沖縄にとってなんだったのですか。日本軍を味方と思っていたから、その日本軍に裏切られた、という思いは強い。アメリカに艦砲射撃をされたが、戦争だからしかたがない、というふうにうけいれることはできた。だけど、戦後の、アメリカ兵も怖かった。アメリカは、戦争が始まるとすぐ、おおきな捕虜収容所を作った。テントを張って、板敷きに藁をしいたもの。食糧の配布はなく、自分達で遠くの畑まで、芋ほりに出かけた。その途中で、アメリカ兵が女の子をさらって、暴行した。黒人兵が多かった。戦後のアメリカ軍も怖かった。沖縄戦の始めのほうでは、アメリカ兵は物をあげたりして親切だったが、沖縄戦の終わりのほうで、バクナー司令官が戦死し、その後アメリカ軍は怒り狂って、めちゃくちゃするようになった。ガマを火炎放射器で焼いたり。日本軍、負けるときは、わが身が助かりたい一心で、残酷なことができる。軍隊とはそういうものだ、どこでも。日本軍は残忍だったが、アメリカ軍がよかったと言うわけではない。戦争をしてはいけない。私は、ガマに隠れていたとき、入ってきた日本兵にリュックを見つけられた。「とらないでください。これは、私達家族の命なんです。」といったら、「女の子かと思ったら、声を聞いたらなんや、おまえ、男か、生意気だ!」 と、日本兵にリンチにあい、片目が見えなくなり、腹に重症を負った。捕虜になって、アメリカ軍の診療所に連れて行かれて、そこに12日間いて、英語を習ったりした。米軍が転戦するので、捕虜収容所にもどりなさいと、ジープに乗せて帰らされたが、そのとき、これを食べなさい、といろいろなものをもらった。でも、帰ったら、年寄りたちが、何も食べるものがなく、震えているので、かわいそうで、自分で食べれなかった。みんなに分けたら、アメが4っつ残った。その当時、夜になると、敗残兵が収容所に物を取りに来る。年寄りがタバコを吸っていると、「これはなんだ!」と殴って奪ったりするので、CPと書いたヘルメットをかぶって収容所内の者が夜警にたったが、木の棒一本では、日本兵から身を守ることもできず、無力だった。「うつろな目をした少女」が大田昌秀前知事によって、発見され、大城さんが「それは私です」と名乗り出られたいきさつ、などが書かれた 「沖縄戦を生きた子どもたち」(クリエイティブ21)をお借りして、お暇しました。あ、別れ際に、よく熟れたゴーヤを、2本、頂いて帰りました。おいしそうです。あとは、当日の講演で。よろしくお願いします。コメントアメリカ軍による空爆「鉄の暴風雨」は、顔のない戦争だったのではないか。湾岸戦争のバクダッド空爆のように。空爆=無差別大量虐殺は、人間の感覚を麻痺させ、受け入れさせる。あたかも、爆撃が天災であるかのように。でも、これは、アメリカの政策なのだ。住民を無差別に殺したのは、人種差別による、許しがたい罪だ。政策立案者、戦争指導層の罪は、現場の人殺し以上に、罪に問われるべきだ。アメリカ兵が親切だったのは、その後、沖縄を軍事支配するつもりだったから、懐柔策をとっていたものと思われる。つまり、アメリカ帝国主義の一環だった。
2010年08月09日
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普天間飛行場の辺野古移設に反対する関西沖縄県人会・郷友会の集い 大阪沖縄県人会連合会、沖縄県人会兵庫県本部、京都沖縄県人会、奈良沖縄県人会、近畿八重山郷友会、関西宮古郷友会、関西今帰仁村人会、関西地区読谷郷友会の共催による。 オープニングに、琉舞あり。異文化なんだ、と一目で理解。なんだか、泣けて仕方なかった。 沖縄県議会議長、新里米吉さんが、現地報告、講演。新里さんは、4.25沖縄県民大会の事務局長をなさっています。 沖縄基地問題1、沖縄米軍基地は、どのように造られたか。 第一期 捕虜収容所に拘束中捕虜拘束中に、「故郷が基地に」変貌。 第二期 53年ごろより基地拡大住民が住んでる所を、銃刀とブルドーザーで強制強奪。 第三期 50年代後半本土の基地を、沖縄に持ってきた。 第三期 72年復帰後本土の基地が60%減少する一方、沖縄の基地削減率は15%に留まり、 その結果、沖縄に75%が集中。沖縄の土地の20%。大阪府で言うと、大阪市と堺市まるまるの面積が、基地に取られていることになる。海兵隊は、もともと、沖縄にあったものではない。復帰後、日本の施策下で、海兵隊基地も、持ってきた。 日本の施策が問題。 5、2010年2月24日、県議会全会一致で、意見書を議決。自民党議員も、米軍特別委員会で、賛成。などを、経て、一人の棄権者、退場者も出さず、全会一致の議決となった。 これを受けての、4.25県民大会となり、全ての市町村が参加した。 7、5月4日鳩山首相来県時発言「抑止力」抑止力になっている、と、マスゴミ・軍事アナリスト一緒になって言い立てた。何の抑止? <参照、海鳴りの島より 引用、> 長期化する戦争で兵士が疲弊し、酒や薬物におぼれ、自殺や事故死、精神疾患が増加する。ベトナム戦争末期の状況を思い起こさせる記事である。はたしてこれは陸軍だけで起こっていることだろうか。海兵隊でも同様の事態が起こっているのではないか。米軍兵士の精神的荒廃による規律の乱れは、犯罪の多発に結びつく。沖縄でも読谷や辺野古のひき逃げ事件をはじめ米兵の犯罪が後を絶たない。県内における米兵の事件の増加や凶悪犯罪の発生などが気になり、注意を要する記事だ。 ブッシュ大統領が仕掛けたアフガニスタンとイラクへの侵略戦争はオバマ大統領に引き継がれ、住民をも標的にした殺戮が続いている。沖縄もそれに深く関わってきたことを月刊誌『自然と人間』8月号に掲載されたジャーナリスト・志葉玲氏の〈イラク戦争を担う沖縄米軍〉が伝えている。・・略・・ 志葉氏の文章は、イラク・ファルージャから沖縄を訪れたワセック・ジャシム氏が、4月25日に読谷村で開かれた県民大会に参加したときのことを報告した記事の一節である。ファルージャ攻撃の主力が在沖米軍であったことはこれまでも指摘されてきた。沖縄の基地で訓練し、鍛え上げられた米兵がイラクやアフガニスタンで殺戮をくり返す。その揚げ句、自らも精神を荒廃させ、酒や薬物に溺れ、自殺に追い込まれる者も出てくる。そして、基地の周辺に住む沖縄の住民は日々、爆音被害や墜落の恐怖、流弾事故、米兵の犯罪に苦しめられる。 戦争によって殺され、精神的に荒廃し、軍事基地の被害に苦しんでいる民衆や下級兵士がいる一方で、利益を得る軍需産業や政治家、官僚、地域ボスなどがいる。〈日本や東アジアの平和と安全〉だの〈抑止力〉だのといったところで、日々苦しめられ、殺される側にいる者からすれば、自分たちの犠牲の上に成り立つきれい事にすぎない。在沖米海兵隊がイラクのファルージャで住民を虐殺したのは、何を〈抑止〉するためか。今日から臨時国会が始まっているが、在沖米海兵隊の実態を無視した空疎な議論はいい加減にしてほしい。以上、引用おわり 韓国の発言 「北朝鮮が仮に、韓国に攻めてきたら、韓国軍と在韓米軍とで勝てる。自衛隊は必要ない。それを口実に自衛隊が韓国に来たら、南は北と結んで日本軍を迎え撃つ。」 つまり、北朝鮮は日本の脅威でもなんでもない。日本の軍備拡張の口実に使っているだけ。日本国民を政府がだましている。北朝鮮脅威論を基礎にする抑止力なんて、不要である。アメリカの国外にある唯一の海兵隊基地が沖縄だが、ほんとに北朝鮮を抑止するなら、韓国が一番、地の利を得ている、そこから撤退する米軍。それなら、なおさら、沖縄に海兵隊基地なんか不要である。9、菅首相演説「感謝」;アメリカ上・下院の感謝決議と同時、菅はアメリカとグルではないか。マスコミは辺野古問題を、鳩山個人の問題にした。火が消えつつある。海兵隊は、ヘリ空港と演習場があればどこでも良い、と言っている。なのに、政府は、県外・国外を具体的に検討していない。自分とこに基地が来ていいのか、全国の議論として、反対して欲しい。そこから、沖縄がしたように、党派を超え、広大な基地を日米安保を、このままにして置いていいのか、という全国民的議論が出てくるはず。海兵隊は何をしているか。イラク・アフガニスタンの侵略に活躍中である。沖縄県人会兵庫この8ヶ月、沖縄の心は引き裂かれきた。美しい故郷の海を見るにつけ、埋め立ては冒涜である、ほんとうにそうだ。京都沖縄県人会72年以後、基地反対のこういう運動が欠けていたのだ。これは画期的な集会だ。基地問題を正面から取り上げることは、ヤマトの沖縄県人会はしてこなかった。ウチナンチュの要は、沖縄だ。沖縄の声、涙に無関心であっていいはずがない。そして、今まで基地反対を言ったことがなかった新しい人と、参加しなかった古い組織を参加させなければ、沖縄を孤立させる。辺野古の座り込みを知った海外の人が、「名護の市民は、誇り高いですね。」という。その誇りを持って、普天間と連帯しよう。普天間から、イラク・アフガニスタンに、劣化ウラン弾がまかれる。基地の問題は、沖縄に留まらず、世界につながるのだ。
2010年08月09日
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<第1 回は、元NHK 記者でフリージャーナリストの中村尚樹氏が、「在韓被爆者の60 年」をテーマに報告した。中村氏は、日本を「唯一の被爆国」とする訴えに、被爆者の1 割が韓国・朝鮮人であるという認識が抜け落ちていること、「原爆投下と朝鮮半島の南北分断は米戦略の結果であり、その犠牲者である韓国・朝鮮人被爆者を思うことは、南北統一、さらにはアジアの非核地帯化や、核兵器廃絶へと至る道筋にもつながる」ことを主張した。>引用元http://serv.peace.hiroshima-cu.ac.jp/ 僭越ですが、広島平和研究所のホームページが面白い。研究プロジェクトや、市民講座、シンポジウムも、詳しく記録されて読むことができる。私がこの半年で学んだ論点が、この中には数年前から述べられていた!平和が、運動であり、「学」であり、「反核」が、現在形の、歴史認識の捉えなおしの場であること。発信する情報は、政府と商業メディアのことばの体系と対峙する世界を描く。
2010年08月09日
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第二次世界大戦のアメリカと日本、覇権を争った国どうしであり、アメリカと日本の関係は、日本と朝鮮、中国の関係ー侵略と被侵略ーとは本来違う。日本のアメリカからの被害は、被侵略国の被害とちがう、のか。しかし、そのことと、無差別爆撃ー都市空襲、広島、長崎、沖縄、の非人道性は、別に論議すべき問題だ。 負けて、従属国となったが、戦前よりの日本の支配層の利益と、アメリカの利益は帝国主義として一致する部分が多く、彼らは失うものがほとんどなかった。アメリカの日本に対する植民地政策は、中南米コロンビア・イラクなど他の世界の国々に対するそれと同じく、傀儡政権を通じてのものだ。アメリカと、その傀儡政権の下、戦後も、日本は一貫して、覇権を争った。Japan as Number 1 と言われて、喜んだではないか。 帝国主義、変わらなかった。 帝国主義にひそむ、侵略・植民地思想。国内の労働者階級の抑圧は、帝国主義段階に、海外の植民地の抑圧に変わる。被差別民族の低賃金は、抑圧民族側の賃金を抑制し、労働者階層内の、敵対・分断を生む。それは、支配層・資本側に有利になるため、植民地差別は意図的に流布・教育される。実は、抑圧民族側の労働者の地位向上は、非抑圧民族との共闘、解放に依存する。これは、戦前の日本の労働運動にも見られたし(1923年岸和田紡績)、アイルランド問題をめぐるマルクスの晩期の論考にもある。差別賃金は、戦前の沖縄人に対してもなされた。民族差別がなければ、相手を人間と思ってなければ、戦争=人殺しなんかできない。沖縄は、日本のアジア侵略の第一歩であった。つまり、差別は、帝国主義が必要とするのだ。帝国主義は、侵略戦争を起こし(イラク戦争、日中戦争)、覇権をめぐって軍拡する。差別は、戦争の申し子なのだ。
2010年08月09日
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忘れた、という表現と、差別する、とは別物と思います。意図的に忘れる、ということが、可能でしょうか。忘れたふりをしたのでしょうか。それとも、いまのわたしのように、時に思い出し、また、流されるのでしょうか。日本が、戦争処理もできなかったことには、いいわけする。他民族に対して行なった加害、道義的に許されないはずの加害が、「あの時は、そうしかできなかった」「みながそうだった」-で相対化される。多くの日本人にそうしか出来なかったとしても、人を殺してはならない、略奪してはならない、といった、普遍的な倫理から見て正しくない。だから、罰せられるべきだ。という考えになぜ、後からでも、ならないのでしょうか。幼少時から、天皇の赤子、侵略戦争を称える教育が、染み付いていたから、中国の、朝鮮の人を殺しても、なんとも感じなかったのでしょうか。では、その後、民主主義、とか、平和とかを習った人々は、過去の加害をどう感じるように、または、感じ取れるように、変わったのでしょう。そういうことは、なかったのではないか。だって、支配層を罰しなかった。人民の手でも、裁かなかった。A級戦犯が戦後の首相になる。これを、人々は、どう見たのでしょう。平和がいい、と言いながら、沖縄にも、中国にも、朝鮮にも、補償をしてこなかった。その平和、ってどんな平和なんでしょう。この間、教育は、どのように、過去を教えたのでしょうか。2000万人殺したことを許す平和?植民地支配で、人民、財、文化、誇り、根こそぎ収奪したことを、償わない平和?非戦闘員の無差別大量殺害を発案・実行した罪を、問わない平和?今も残る被支配民蔑視を、包み込んだ平和?教育の力が大きい、とても大きい、とするなら、これらの不正こそ、歴史を貫いて正されるべきである。それが、何よりの教育ではなかったか。 平和は、格闘し、糾弾し、自らも襟をただし、自らをも変える、ダイナミックなものではないか。
2010年08月09日
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軍備強化を望む者たちの目標は、軍事産業として、お金がうるおう事である。対する平和陣営の武器は、「倫理」である。彼らには、抑止と言おうが、戦争は、人殺しであると、もう一度いいたい。そして、自分以外の、または、自分達の階級以外の、人の命より、カネが大事であるというのが、彼らの論理だ。だからこそ、この不道徳=軍備を拡張させる前に、過去の不道徳に対し、はっきりした懲罰を与えておかねばならない。彼らに、過去の戦争犯罪が「高くつく」ことを思い知らせておけば、-彼らが、人の命より大事にするカネで支払わせるのだーそれは、歯止めになる。戦争が儲からないものにならない限り、戦争はなくならないだろう。だから、「補償」は、是非とも必要である。 「倫理」が現実世界で力を持つには、彼ら恥無き者たちを負かすには、倫理・思想に現実に力を与え、過去の不道徳や戦争犯罪に対し、権力・財界に金銭をともなう罰を与える必要がある。補償である。それは、幾ら遅くても、遅すぎることはない。慰安婦問題にも、立法化と補償が必要である。それを通じて、過去の善悪をはっきり、誰の目にも明らかにすること。
2010年08月09日
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