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第二次世界大戦以降、グアムにおける米軍基地の存在は、チャモロ人の言語と文化の存続、自分たちの政府を確立する権利、祖先から受け継いできた土地を所有する権利に破滅的な影響を及ぼしてきました。米軍が私たちの島の約30%を占領しているにも関わらず、私たちはその軍隊の最高司令官たるアメリカ大統領や、そのほかのリーダーの選挙に参加する権利さえ持ってはおらず、私たちの生存のための基本的人権は、この米軍基地の存在によって脅かされてきたのです。グアムにおける米軍の存在は、核廃棄物やそのほかの発癌性廃棄物による私たちの土地と周囲の海の汚染をもたらし、その結果チャモロの人々の間で癌の発生と癌による死亡の数が増えています。また、米軍基地への依存を強制されているために、他の経済的な選択肢がほとんど残されておらず、その結果チャモロの人々の息子や娘たちは生まれ育った土地を離れることを余儀なくされます。チャモロの若い人たちには、まともな収入を得られる仕事が足りないため、若い人々の一部は米軍に志願します。軍に入れば明るい将来があると勧誘されるからです。しかし、第二次大戦以降にアメリカが闘ったすべての戦争、つまりベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、現在の「テロとの戦争」でも、チャモロの人たちの戦死者の数は、人口比ではチャモロ以外の人々を上回っています。では、チャモロの人たちは、自分の息子や娘を戦争で失ったときに、何を得たのでしょうか? 私たちが二十数年をかけて育て、将来への希望を託してきた命を失ったときに、何を得たのでしょうか? わずかなお金と、アメリカの国旗と、戦没者墓地の1つの区画だけです。失われた命はどうなるのでしょうか? どうすれば取り戻せるのでしょうか?私たちはどうすれば失われた生活を取り戻せるのでしょうか? 生まれ育った土地から出ていくしかなかったチャモロの人々が帰ってくるために、そしてこの人たちが帰って来られるための基盤となる土地を取り戻すためには、どうすればよいのでしょうか? この島の米軍の存在が拡大するなら、人々が帰ってくることも、土地を取り戻すこともできなくなります。グアムは自治権のない領土、あるいはアメリカの植民地ですから、私たちには何の権限もありません。現在の米軍基地拡張計画、これには日本の国会で60億ドルの支出が承認されていますが、私たちはこの拡張計画を止めるいかなる法律上の手段もないのです。ここで、あなたがたの税金が何のために使われるかについてお話ししておきましょう。この軍事基地拡張計画の重大さを、よりわかりやすく説明するためです。アメリカはすでにグアム島の約3分の1を占領していますが、さらに2014年までに沖縄からグアムに17000人の海兵隊とその家族を移転させることを計画しています。さらに、この計画のほかに、アメリカ海軍はその関連施設、兵站能力、上陸施設の拡張を開始しています。海軍基地への核兵器搭載空母や戦闘用資材輸送艦、潜水艦、水上戦闘艦、高速輸送船の寄港を支援するためです。アメリカ空軍は、アンダーソン空軍基地における全地球規模の情報収集、監視、偵察のハブとしての機能を強化するために、戦闘機、爆撃機、空中給油機、無人偵察機などあらゆる種類の航空機を配備することを計画しています。陸軍は、グアムに弾道ミサイル防御タスクフォースを配備することを計画しています。グアムでは、今後5年間に、19000人の兵士と20000人の家族、20000人の外国人契約労働者がやってくることになります。グアムの人口は現在、173000人ですが、今後5年間に合計59000人、つまり34%の人口増加となります。このように人口が急増すると、62900人のチャモロ人は、私たちの生まれ育った島で、少数者となってしまいます。それでなくても私たちは現在、アメリカの教育方式を強制され、チャモロの言語や歴史よりも英語とアメリカの歴史を勉強するよう強制されており、私たちはそれに対して私たちの文化と言語を守るために闘っています。グアムの軍事化の目的の1つには、日本人や沖縄の人々に対する米軍の負担を軽減することがあります。それならば、グアムにも同じような敬意が払われるべきです。しかし、グアムはいまでもアメリカのものであり、私たちがアメリカへの依存をやめ、自分たちの文化と言語を守るための経済的、社会的な基盤を作り出していく権利は、意図的に無視されているのです。グアムの社会における軍事基地の負担は数倍にも増大するでしょう。軍はすでに軍事基地に関連する建設工事の契約の発注を開始しています。正式な計画が決定も承認もされていないにもかかわらずです。環境への影響の公式の調査についても、私たちには何も知らされていません。これほどの大規模な人口増加と軍の拡張がグアム島の人々に及ぼす社会的、文化的、政治的影響を想像してみてください。それにもかかわらず私たちは、その計画の内容について正確なことを知らされていません。なぜなら、アメリカ国防総省は2年間で大急ぎで実施した環境影響調査の結果をまだ発表していないからです。しかも、もっと屈辱的なこととして、この調査ではチャモロの人々の意見はほとんど聴取されていないのです。私たちはこの計画のプロセスからほぼ完全にシャットアウトされており、現在に至るまで一度も、基地拡張に賛成するかどうかを尋ねられていません。 私たちは、軍の拡張は私たちの苦しい経済を助けるといわれてきました。しかし、そうなることを証明する何の具体的な根拠もありません。明らかなことは、アメリカ国防総省もグアムの政府も、このかつてない規模の軍事力強化の必要性を説明するのに多くの困難に直面しているということです。その大きな理由は、計画のプロセスに大きな不安定要因があることです。グアムはこの軍事力強化のための施設・設備に関わる巨大な負担を負うことを期待されています。グアムの政府は、外国人労働者が流入すれば、緊急医療サービスや医療施設、水光熱、交通網、住宅の拡充が必要になると報告しています。国防総省もグアムの政府も、この島のインフラは軍の増強に伴うニーズの拡大に対応するには不十分であると言っています。たとえば、島の中心部の下水道システムについて言えば、すでに多くの開発事業が実施されていますが、処理能力の限界に達しています。昨年行われた議会の公聴会で、グアムの知事はインフラの整備のために61億ドルが必要であると証言しました。この費用は、国防総省が算定した基地内部における計画に必要な150億ドル、つまり日本の国会が一部負担を決定した費用には含まれていません。アメリカも日本も、グアムにおいて必要とされるインフラ整備の費用を負担することは考えていません。グアムの政府は現在5億ドル以上の赤字を計上していますが、アメリカ合衆国のニーズを満たすために、さらに膨大な債務を負うことになります。この債務はチャモロの未来の世代に受け継がれることになります。この世代は、この債務に何の発言権も持っていなかったにも関わらずです。この軍事基地強化の計画のプロセスの中で、私たちの意見が聞かれることもなかったし、私たちに敬意が払われることもなかったことから考えれば、この計画が私たちによい影響をもたらすと想像するのは不可能です。海兵隊が沖縄から追い出されるのは、その存在が良い影響をもたらさなかったからです。グアムでならよいことがある、ということがありえるでしょうか? 私は皆さんに、皆さんの政府がこの動きを支持することに反対するよう訴えます。皆さんには発言権があり、皆さんの政府はそれを聞かなければなりません。今年の前半にアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が日本に来て、みなさんの国との間で、海兵隊をグアムに移転するという協定に署名した場に、私たちはいませんでした。私たちには発言権がなかったのです。再び私たちの尊厳と権利が損なわれたのです。しかし、この計画を止めるのに、まだ遅すぎることはありません。私たちは協力して、チャモロの人々と日本の人々が、この協定に反対して闘う必要があります。私たちが、私たちの共有する歴史から何かを学んだとすれば、それは、戦争と軍備拡張がすべての人々を傷つけるということです。この歴史を繰り返してはなりません。この美しい国に招待していただいたことに、もう一度お礼を言います。皆さんの心には純粋なやさしさがあり、皆さんの人間性には深い誠実さがあります。私はみなさんと手を携えて、グアムと日本と、沖縄と全世界に公正さを実現するために、これからも闘っていきたいと思います。
2010年04月25日
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京都行動ホームページ、09.10.14より、引用。http://kyoto-action.jugem.jp/?page=52009.10.14 Wednesdayグアム先住民族から日本人へのアピールAさんが、「戦争あかん!基地いらん!09関西のつどい」に行ってきた報告をしてくれました。活動家であり、グアム大の教員でもある若いビクトリアさんの声は秋空に透き通るように美しいスピーチでしたが、その内容は大変重いものでした。グアム移転と基地拡張がもたらす生活と尊厳の破壊のみならず、大宮島と名づけた軍事占領下における、チャモロ人に対する日本人の殺戮・レイプなどの戦争の記憶はなお今日のものであって、賠償謝罪責任の問題もさっと触れられておられます。そのスピーチのファイルが届きました。-----------【集会概要】「戦争あかん!基地いらん!09関西のつどい」と き:10月12日(月曜日 体育の日)午後1時からところ:大阪城野外音楽堂(地下鉄、JR森ノ宮駅下車)資料代:500円集会終了後デモ(大阪城堀の縁を通って京橋まで)主催:同つどい実行委員会(06-6364-0123中北法律事務所、または06-6575-3131全港湾大阪支部)----------------グアムにもアメリカ海兵隊はいらない私たちも、戦争と基地に反対する沖縄・日本の人々と同じ思いですビクトリア・レオン・ゲレロ(チャモロ・ネーション)10月12日、大阪で開催された「戦争あかん! 基地いらん! 09関西のつどい」での発言今日、みなさんの前でお話しする機会を与えていただいたことに感謝します。それは私にとって大変に光栄なことであり、みなさんが私たちの島について、また、みなさんと私たちを結びつけている共通の災いについて関心を示していることに敬意を表したいと思います。私はチャモロの草の根の団体、「イ・ナシオン・チャモロ」、チャモロ・ネーションを代表してここに来ました。チャモロ・ネーションは、グアムの先住民であるチャモロの人々の民族としての存在を宣言するために、1991年に設立されました。チャモロ・ネーションは、私たちの島におけるチャモロの人々の4000年の歴史を誇りとし、私たちの島、私たちの水、空気、精神性、言語、文化、人権を守ることを誓っています。私は私たちの女性リーダーであるデビー・キナタから、ここでみなさんにお話しするよう言われました。[キナタさんは、一昨年のこの集会で発言された方です]彼女からのみなさんへの連帯の気持ちを伝えておきたいと思います。私はまた、私たちの島で今も続く植民地支配と軍事化と日々闘っている私の家族・親戚や先輩達の声や考えを代表して発言したいと思います。日本とアメリカ合州国とグアムを結びつけている歴史について話すのは、簡単なことではありません。それはグアムの人々にとって、今も忘れられない災いの苦痛に満ちた記憶で彩られています。1つの民族が、自分たちが起こしたのでもない戦争の犠牲になり、しかもそのことについていまだに歴史の教科書にも記述されず、犠牲に対する補償も受けていないのです。しかし、私は、この歴史は語られなければならないと思っています。今私たちの島で何が起こっているかを正しく理解するためにもです。それは私個人にも非常に関わりのある歴史でもあります。私の名前は、私のおばあちゃんの妹、ビクトリア・サン・ニコラス・イバネスにちなんで付けられました。この人は、第二次大戦のグアムでの戦闘の中で死にました。私たちの島が日本によって占領されていた時です。彼女はわずか4歳でした。しかし、彼女の精神は、私のひいおばあちゃんのナナン・ビハがそう願ったように、私の中で生きています。ひいおばあちゃんは私の母に、最初の娘にはビクトリアという名前を付けてほしいと頼みました。その戦争と、そこで失ったものの記憶が、いつまでも生き続けているようにです。私が今この日本に来て、このお話をしていることに、私は言葉にできないぐらい強い力を感じています。第二次大戦の中で多くのチャモロ人が死にました。1941年12月8日にアメリカ合州国が私たちの島を、日本帝国の軍隊の前に何の防備もない状態にして撤退した後のことです。グラムはわずか2日間で日本に占領されました。アメリカは一戦も交えることはありませんでした。しかもアメリカ海軍の司令部はチャモロの人たちに、戦争がチャモロの海岸に押し寄せていることを知らせませんでした。チャモロの人たちには、アメリカは世界最強の政府だから、グアムはいつでも守られているのだと説明していたのです。しかし、チャモロの少女、タン・アルフォンシナさんを守ったのはアメリカではありませんでした。1944年7月19日に彼女は暗い、湿った洞窟で、おにいさんの体の下に隠れていました。当時13歳だった彼女の痩せた背中に日本兵の銃剣が突き刺さり、彼女は激しい痛みを感じました。彼女はじっとしていました。痛みをこらえて、死んだふりをしていました。このとき彼女の近くでは、彼女のいとこや、友達や、家族が残忍にレイプされ、殺されていました。彼女の19歳の兄、盾となって彼女の命を守ったニコラスさんは銃弾と日本兵が洞窟に投げ込んだ手榴弾によって殺されました。65年後の今、タン・アルフォンシナさんや、私のおばあさんの妹のビクトリアや、そのほかの多くのチャモロの年配の人たちが受けた苦痛を、アメリカ合衆国はいまだに全面的には認めていないのです。グアムは合衆国の下院に議決権のない議員を選出できるのですが、グアムから選出された下院議員たちは皆、第二次大戦中にグアムの人々が経験した災禍に対する補償を要求し続けてきました。アメリカは日本に対してそのような補償を免除する一方、チャモロの人々に対する補償をいまだに行っていません。また、世界を変えたこの戦争の中でグアムが担わされた役割について、完全には認識していません。先週、アメリカの議会は再び、第二次大戦中のチャモロの人々の犠牲に対する補償に道を開く法律の制定を拒否しました。チャモロの人々は、私たちの犠牲や私たちが体験したことが、正当に認識されるべきであることを長年にわたって説明しようとしてきましたが、徒労感と苛立ちが増しています。アメリカはチャモロの土地そしてチャモロの人々を、常に自分たちの好きなように利用しており、私たちは年々自分たちの尊厳と権利が失われているのを感じています。
2010年04月25日
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4.25沖縄県民大会に連帯する京都集会 沖縄県民大会は、9万人が集った。http://www.ustream.tv/recorded/6427598まだまだ多くの県民がこちらに向かって来ています。いまや人々の輪は会場の外に広がっています。 京都では、「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」の人たちも合流して、三条大橋で集会・デモが持たれた。集会で印象的だった言葉を。京都沖縄県人会の発言。普天間の米軍飛行機・ヘリは、40年使用され、老朽化している。しかも、イラク・アフガニスタン戦争を経て、通常の2.5倍の飛行距離を飛んでいる。100年分を飛んでいるのだ!ヘリはたまたま堕ちたのではなく、堕ちないのが不思議なのだ。 関連して、琉球新報記事 本土復帰から08年度末まで普天間飛行場所属機の事故は87回発生。1年当たり約2・3回発生していることになる。07年6月の米海兵隊の公表では機体の平均使用年数がCH46E中型ヘリが39年、KC130F空中給油機が46年と老朽化が進んでおり、墜落の危険性が高まっている。 騒音問題も深刻で、年間発生回数は多い地域で2万回超。低周波騒音に悩まされる住民も多く、08年3月に判決が言い渡された普天間爆音訴訟の一審判決は騒音が忍耐の限度を超えているとして違法認定し、国に損害賠償を命じた。◆民間地覆う危険区域 クリアゾーン内に市民約4千人 普天間飛行場を「世界一危険な米軍基地」と言わしめる理由として「クリアゾーン」問題が挙げられる。クリアゾーンとは米軍機の離着陸の安全確保のためとして土地利用を禁止した区域であり、米軍のAICUZ(航空施設整合利用ゾーン)プログラムに基づく。滑走路両端の延長部分に長さ約900メートル、幅約450~690メートルの台形状の区域だ。 宜野湾市が2007年に入手した米海軍省作成の「普天間飛行場マスタープラン」(1992年版)では、クリアゾーンの存在が明らかになったばかりか、基地をはみ出して、普天間第二小学校や上大謝名公民館など18の公共施設、さらに約3600人の市民の住む地域一帯にまで及んでいることがあらわになった。デモでは、わたしは始めての経験をした。沿道の人々から、拍手とエールを受けた!
2010年04月25日
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済州島4.3事件62周年在日本四・三事件犠牲者慰霊祭 詩の朗読四月よ、遠い日よ。金時鐘 抜粋・・育んでくれた郷里が銃剣にしだかれていた時、慟哭が層を成して打ち沈んでいた時、ようやく手にした解放までが暴圧に身悶えていた その時、深手を負った済州住み処の故郷打ち捨ててひとり命ながらえた卑怯な男。記憶が毬栗となった四・三も六十年骨髄に沁みた呪文となり日ごと夜ごとひとりごちできた果てもない願い。・・ 証言1945年 8月15日 解放1948年 4月3日 「済州島4.3事件」勃発 5月10日 単独選挙 これに前後して、避難入山するもの多数 政府による討伐隊、済州島各地で住民銃殺1949年 武装隊の民家襲撃1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発 弱い人、力のない人を助けるのが国のはずだと思う。だのに、いままでどれだけの人が国のために、血を流してきたか。人間のための思想が必要だ。日本に来ても、何十年も眠れなかった。襲われて殺されるのではないかと、眠れなかった。 慰霊の舞チャン・チヘ(張智恵)在日3世
2010年04月25日
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4.24阪神教育闘争62周年記念集会民族学級の60年と展望2010 4月24日KCC会館に参加した。(いつものように、途中から、主なシンポジウムは済んでいたけど。) 主催 民族教育ネットワーク 朝鮮差別も、沖縄差別も、結局、日本側の問題だ。一世が、大変な思いをして、ハギハッキョ(我らの学校)=民族学校 を創設した、という。彼らが「大変な思い」をしたのは、日本人が差別したからだ。沖縄が基地を抱え続けているのも、本土の人間が、沖縄に肩代わりさせているからだ。六ヶ所が放射能被害に遭うのも、都市部の人間がホっかむりしているからだ。名指しされない本土の人間の罪。責任を免れてきた。知っているのに、免罪者として振舞う。どこに免罪符を買ったのか。押し付けてもよし、とするのは、意識する、しないに関わらず、我が中に差別があるからだ。そこにある問題は、彼らの問題ではない、根幹は常に「押し付けている」側の問題だ。同様に、「北朝鮮」問題は、仮想敵を必要とする「われわれ」の問題だ。幼児虐待が幼児の問題ではなく、暴力を振るうほうの問題なのとおなじだ。 隣に金さんがいて、藤原さんは元韓国のひと、という環境で育ったわたしは、みんな交じり合って地域の特色が作られる、と思っていたので、取り立てて、「在日」というくくりを、人々の上にしたことがなかった。する必要もなかった。差別を身近に感じたことがない。だから、彼らが「民族」という言葉の意味が、ホンとは、よく分かっていない。される側ではなかったからだろう。 でも、彼らが、「出自」をアイデンティティとして必要としているなら、それはそうなのだろう。わたしも、海外でマイノリティとして生活したら、「日本の文化」「日本の文学」を、アイデンティティのためと意識して、学習するのだろうか。そうだなあ、学校で、朝鮮の歴史を学んだこと、僅かだもの。「日本史」はあっても。住んでいるから習った、で済むことではないんだなあ。現代史に至っては、韓国併合までしておきながら、その前、最中、その後のこと、ほとんど何も習ってない。しかも、ヨーロッパ人がやった黒人奴隷貿易のように、帝国主義のなか、強制労働=奴隷労働の労働力として日本につれてきたんだなあ。彼らのアイデンティティを、我々が、「破壊した」んだなあ。だから、彼らが彼ら自身の「アイデンティティ」の回復に必死になるのは、当たり前だなあ。きたくて来たわけではないんだもの。そのこと=歴史に目をつぶって、彼らの言葉を理解することは、できない。 現在、在日という言葉に、積極的な意味を与える発言があったので、記載しておきます。「同化、帰化の中では、日本の社会が、新しいものを生み出すことはできない。同化しない存在が、既存の日本社会に変化をもたらす。そこに、在日の果たす役割があるのではないか。」1943年から53年までの、日本の「戦後革命期」に、在日韓国朝鮮人が果たした役割は、ー1947年2・1ゼネストーまさにそれだった。
2010年04月25日
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2010年4月22日 (木)引用です。 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-ec9c.html 4・25沖縄県民大会のうねりと共に いよいよ沖縄の読谷で開かれる「普天間基地を『国外・県外』へ」「私たちの意志を日米政府に示そう!」と掲げた県民大会が目前に迫ってきました。 大会の公式サイト「うまんちゅ揃って県民大会」http://taikai425.ti-da.net/によれば、離島を含む各自治体の実行委員会がたちあがり、東京、大阪、京都など日本各地でも連帯する集会が企画され、海外でもワシントン、ハワイなどでの取り組みが紹介されています。正に「うねり」が始まっています。 先日、4月6日、首相官邸前座り込みを行った沖縄代表団による内閣府(首相)への申し入れの場で、知花盛康さんは、「政府が誤ると、沖縄の民衆の怒りのマグマは、かってのコザ騒動を超えて爆発するぞ!」と体全体に怒りを露わにして官僚に叩きつけられました。 昨日、国会で行われた党首討論で鳩山首相は、「昨年12月、移転先の決定を先送りした判断に触れて『もし辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか』と漏ら」(今朝の朝日新聞記事)したと伝えられています。判るはずもないと言ってしまえばそれまででしょうが、本当に事態が判っていません。 昨年8月30日の政権交代、60年にわたる自民党支配の打倒は、「もう我慢ならない」という民衆の決起によって勝ち取られたものです。この間、危機に駆られた日本帝国主義総体が、強烈な右からの揺さぶりを政府にかけていることは事実ですし、本来保守の亜流である民主党がグラグラになり、「東アジア共同体」「日米同盟の深化」の道へと後戻りを始め、また「在特会」に象徴される暴力的な右翼の跋扈、跳梁が始まっていることも事実です。しかし、自民党の無残な解体状況が示されるように、私たちの国は明らかに「後戻りしてはならない道」を歩み始めたのです。 それは「もう我慢ならない」というあの8・30を引き起こした力です。沖縄の昨年11月の2万1千人の県民集会、1月の名護市長選の勝利、勝連半島への巨大基地建設への蠢きに対するうるま市のみなさんの決起、そして4・25県民大会の前倒しと島ぐるみの決起は、先日4・18の徳之島1万5千の決起、そして岩国での米軍艦載機部隊の厚木からの移駐に反対する5千~1万の市民集会(5月23日実施)の呼びかけと、「米軍再編」を真正面から見据えた決起が続々と始まるうねりを生み出しています。 2004年8月12日、宜野湾市の沖縄国際大学に岩国基地から飛来した米軍海兵隊の輸送ヘリコプターCH-53D(右写真)が墜落、炎上しました。機体の破片は、周辺の住宅に飛び散り、赤ちゃんをあやしていた母親のすぐそばにも飛び込み、負傷者や死者が出なかったことが不思議とさえ言われました。しかし、その現場は武装した米軍によって封鎖され、日本の警察も消防も近づくことが出来なかったのです。これが世界有数の経済大国と言われる日本の主権の実態です。 昨年11月には、読谷で、酔っぱらった米兵によって男性が轢き殺され放置されたまま米兵は基地に逃げ込みました。起訴が行われるまで、日米地位協定に遮られ警察は事情聴取さえ出来なかったのです。 こんなことは無数にあります。ここには、沖縄には人権が今もなお存在しないことを物語っています。沖縄の皆さんの怒りは、「もう我慢できない」という怒りは、知花盛康さんが言われたように、最早おしとどめることが出来ない「怒りのマグマ」となってぐつぐつと煮えたぎっているのです。これと8・30の事態が結びついたのです。 明治政府による琉球処分は、参政権がヤマトよりもはるかに遅れ、奈良原知事による専制支配と杣山処分に象徴される「開墾」に名を借りた農地、森林の強奪が、沖縄県民の戦前の凄まじいまでの差別と貧困を強制し、しかも沖縄戦の悲惨な犠牲を生み出しました。それもヤマト、日本軍による。そして戦後65年にわたる米軍支配です。 沖縄のみなさんが「もう我慢ならない」と言われる時、こうした130年に及ぶ歴史の総体を指し示し、私たちヤマトの人間に問うておられるのです。そして、その壮絶ともいえる歴史の中から、今、「日米同盟の深化」を沖縄のこの現実の上に語ろうとする日本政府、そして私たちに「もう我慢ならない」と突きつけておられるのです。 政府が言い、マスコミが流布してきた「普天間基地の移設」という問題の立て方は、こうした沖縄の人々の想いをすり替えようとするものに過ぎません。だから、相も変わらず「キャンプシュワブの中」か「辺野古の沖合い」などと言うプランが、あるいは「普天間基地の継続」が、これでもかと言わんばかりに出てくるのです。沖縄の皆さんが「我々を愚弄するのか」と怒られるのは当然です。 8・30からこの半年余りの沖縄をめぐる問題の核心は、沖縄の皆さんが訴えておられる「普天間基地の即時閉鎖」(移設先など問題にしているのではない!)と、少なくとも「これ以上の新基地は受け入れられない」「米軍基地は撤去すべき」ということなのです。「基地依存」という言葉がありますが、これこそ自民党政府が、ヤマトが垂れ流してきた沖縄への差別を象徴するデマゴギーです。沖縄の経済の中で米軍基地の存在による影響は、すでに5%をすら割り込んでいます。膨大な基地の土地が解放されれば、もの凄い影響が、沖縄の平和な町づくりが、生きて行く道筋が生まれるのは明らかです。 私たちは「もう我慢ならない」という沖縄のみなさんの地響きをともなううねりと共に歩む中から、岩国をはじめとした平和な暮らしを求める人々との繋がり、原子力発電の愚を繰り返して貴重な自然と住民の暮らしを破壊しようとする上関や福井(もんじゅ)のみなさんと繋がり、何よりも、国の農地強奪、農業破壊に抗して44年勝利的に闘い抜く三里塚の農民と共に、8・30で始まった「後戻りしてはならない道」を歩もうではありませんか。 三里塚反対同盟が、萩原進さんと市東孝雄さんが、この4・25県民大会に参加されることは、共に農地強奪を強制される中から、「国策」を押し付けられる中から立ちあがった、日本の戦後史を画する巨大な二つの闘いが合流することであり、決定的に重要な意味を持っています。沖縄のみなさんのうねりを共にさせていただくとともに、この決定的に重要な節目を共にすることが出来ることをかみしめながら、4月25日の県民大会に参加したいと思います。
2010年04月23日
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引用です。http://kyoto-action.jugem.jp/から。何か持っていこうと、下絵をかいてみた。4.25沖縄県民大会に連帯する京都集会のご案内 にちじ 4月25日(日)開会17:00 デモ出発18:00ばしょ 三条河川敷(三条大橋西詰)沖縄の基地問題をとりまく状況が、大きく変わるかもしれない!そんな期待を背負って動き出すかに見えた鳩山政権は、しかしいまや、口を開けば「県内移設」を唱えるばかり。「キャンプ・シュワブ陸上案」、「ホワイト・ビーチ沖案」...新聞やテレビを通して伝わってくる情報は、なんだかもう、アメリカには逆らえないんだから仕方ない、あきらめろとでも言っているかのよう。でも、本当にそうなんだろうか。なぜ、また沖縄に?このような政府側の動きに対し、沖縄ではこの間、さまざまな形で反対の意思表示がなされている。今年に入ってからだけでも、1月には名護市長選挙、2月には沖縄県議会による意見書の全会一致での可決、3月には名護市議会をはじめとする県内の各市町村自治体での県内移設反対決議...そして4月25日には、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」が開かれる。県内移設に反対する集会では初めての超党派で、10万人規模の参加を目指すという。生活に米軍基地の存在が深く入り込んでいる沖縄に暮らしながら基地を拒否することは、たぶん、身近に基地のない私たちの想像をはるかに超えて難しい。それを切実に、身をもっていちばんよく知っている人々が、それでも、拒絶の声をあげている。基地に反対し続けてきた人たち、受け入れてきた人たち、内心は基地のない沖縄を望みながらもさまざまな事情から表立って言えずにいた人たち...さまざまな立場のウチナーンチュが、それぞれの思いをもち、それぞれの怒りをもって、一つの場所に集まろうとしている。この文章のはじめに「沖縄の基地問題」と書いたけれど、本当はこれは「日本」の問題で、私たち一人ひとりの問題だ。それを選んでいる/いないに関わらず、<沖縄に基地をおしつけること>を選ばされてしまっている私たちが「もうおしつけることをやめたい」といわなければ、この問題は終わらない。だから、私たちはここから声をあげよう。きれいごとじゃなく、今、それが必要なことだから。この期に及んで「県内移設やむなし」なんて言わせてる場合じゃない、これ以上、沖縄に基地の負担をおしつけたくない!同じ思いでいるあなたの声が、状況を変える力になります。25日、よければ、一緒に。
2010年04月22日
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4月18日 「どうするアンポ」DVD上映 と 60年安保改定を闘った方を囲む会 昭和25年 朝鮮戦争 昭和32年(1957年)ごろから、「アンポカイテイ」が話題になり、地域で小規模な学習会がたくさん持たれるようになった。奈良女子大の学生が、労働組合に来て、話しをしていったり、それを聞いた組合員が、他の繊維工場に昼休みに、話をしに行ったりして、輪が広がった。地域の会所で小集会をしていると、通りがかりのおっちゃんが参加したりして、あちこちの職場に、一人、二人と、関心を持つものが増えていった。 S35年(60年)、1月15日 岸 渡米反対する市民に阻まれて空港へたどり着くことができず、ヘリコプターで脱出。街中では、子どもが、「アンポ、反対、反対、アンポ」 と声を出して遊んでいた。安保改定反対リレーマラソンが行なわれると、高校生が飛び入りで参加したり、奈良から、国会前デモに参加するためのチャーターバスに、毎回、学生が数人ずつ、「一緒に連れて行ってくれ」と飛び乗ったりした。毎回、バスは、東京市民に拍手で迎えられた。 S35年(60年) 6.15 樺美智子さん死亡その後、国会前デモ規制法が通って、デモできないことになったが、憲法で護られた『請願権』をつかって、隊列を組んで国会へ行った。「申し入れ」はダメだが、「請願」は、相手方も、蹴るわけには行かない。 安保の発展形が、反対運動を作る間もなく成立されられた「有事7法案」 討論60年安保は、改定されてしまったが、何が足りなかったと思われますか。 国会議員の数。ただし、このとき、国民の声を聞かない政府より、民衆の力のほうが、勝っておった。国民の声に反することをすることは、リスクを負う、と権力側は十分悟ったはずだ。 このころは、マスコミも、まじめに報道しておった。だから、国民全体に、「ムズカシイことはわからんが、アンポは悪いもの」という、大筋の合意があった。今は、権力が報道の力を十分理解し、コントロールしている。だから、こういう、ムーヴメントが起こりにくい。 70年アンポも盛り上がった。本来なら、安保には10年ごとの改定が義務づけられており、2010年も、60年安保と同様に、市民のムーヴメントが起こらなければならないはずなのに、それが今ちっとも話題にならないのは、そういう権力側の戦略に押し込められている。 それに代わるものが、沖縄普天間返還・辺野古問題なんだと思う。 最近の戦場で殺された日本人には、武装した護衛がついていた。護衛でさえ、武装して付くと、銃撃の対象となる。非武装だと、撃ってこないし、撃ちかえさない。だから、銃撃されない。死なない。非武装こそが、戦争にならない道だと、国民全体がわかっていた。 政治闘争としてストを打つと、民間企業の労働者でさえ処分されたが、経済闘争とリンクすると、処分されない。労働条件の改善や、賃上げ要求のストは、労働三権に基づく権利なので、企業経営側が処分できない。が、労使間契約関係にない、政治闘争としてストを闘うと、労使契約に違反したとして、経営側が処分する。法的根拠としてはそうだと、彼らは言う。憲法に、思想信条の自由が謳われてるけど、なんで処分されるの?憲法は、国家権力を縛るもの。法律は、国民に課せられたもの。だから、我々としては、法律だけ守ればいい。国は、憲法に書いてあっても守らないから、国が憲法を守らなかったら、国民が「不断の努力をし」て、国に守らせる闘争をしなければならない。 8.16は解放の日だったはずだった。8.16までの継承と検証も大事だが、8.16以後、なぜ、世界は、日本は、平和と解放に向かわなかったのか。その中核に、安保を見る。 交流会沖縄では、今まで、辺野古が、島民全体の議論になることはなかった。98年少女暴行を転機とした島民集会、教科書検定を許さない10万人島民集会、が今までの流れ。辺野古では、04年のウミンチュの反撃、団結が転機になっている。それまで、北部振興策のカネばら撒きで分断されていたウミンチュたちが、再度、結集した。その結果、辺野古沖案が頓挫し、V字案に変更された。今、沖縄は、島ぐるみで、普天間・辺野古闘争に立っている。ヤマトンチュウも、いままでになく、沖縄に連帯しつつある。 次は、5月23日、返還闘争以後、現在にいたる沖縄を語ってもらう。辺野古に関するDVDは多くでているので、選んで上映会をする。 情報4月24日(土) 韓国併合100年 今こそ平和と友好に向けて、ともに学び理解しあうために。1時から。奈良県解放センター(0742-62-5501)。在特会の暴挙が見られます。 4月25日(日)2時から。生野区観音寺(06-6741-1921)にて、済州島4.3事件62周年 慰霊祭在日の方の4・3体験者の証言会があります。
2010年04月19日
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辺野古新基地建設に関しては、基地を積極的に受け入れる自民党・公明党の政権があり、それを容認する沖縄県知事、名護市長がいて、それでも合意から12年間かけて、なにもできませんでした。なぜできないのか。沖縄県民にとっては、新しい基地を作るということは、抵抗感があることなのです。鳩山新政権には、新しい基地が建設できるかのような、錯覚があるようです。たとえ政権が変わっても、前からできないのですから、できないのですよ。 キャンプ・シュワブの陸上案が出てきました。しかしキャンプ・シュワブの陸上地域にも基地を作ることはできません。一つだけ例をいいます。96年のSACO合意の中で、北部訓練場の一部が返還されることになりました。その場所には複数のヘリパットがあります。返還する地域にあるヘリパットと同数のヘリパットを、他の地域に建設することになったのです。その建設予定地で環境アセスメントの手続きに入ったところ、1,000種類以上の希少動植物が発見されたのです。そのために建設予定地を、住民が住んでいるところに近い場所に変更しました。キャンプ・シュワブの陸上地域でも、環境アセスメントを行えば次々と希少生物が見つかるでしょう。普天間基地の代替施設の予定地として海が選ばれたのは、海は希少生物の種類が少ないのです。 共和党政権が続けば、ラムズフェルド国防長官によって、こうした計画が続くのであろうと考えていました。しかし民主党政権に変わった今は、日本が自分たちの主張を明確にすれば、米国側にも通せる環境があるのではないでしょうか。少なくても、グアム移転の段階で押しとどめるべきです。 グアム移転が実施された後に沖縄に残るのは、中型ヘリ部隊が1個中隊・12機、攻撃ヘリが数機、汎用ヘリが数機で、20機前後くらいではないでしょうか。そのヘリコプターの役割は、ジャングル戦闘訓練施設での訓練や、そのほかの演習で使われるのではないでしょうか。これらの部隊はMEU構成ではなく、輸送部隊ですから、それほど激しい訓練は行わないでしょう。MEU構成の部分は、アンダーセン空軍基地を中心に、年間2万回の飛行訓練を重ねて、そしてそれぞれ任務に発つという、そういう部分ができあがろうとしていると思うのです。 ここはやはり、米海兵隊に沖縄を諦めてもらう以外にないと思うのです。その代替を日本のどこかに置くというのなら、違う形でどっかに置くかということになるのでしょう。少なくとも、沖縄に戻すべきではないと思うのです。しかし国内的にも、米国の内にも、海兵隊の中にも、沖縄に戻りたいという声は大きくあって、だからこうした計画が、米海兵隊の中で、第3海兵遠征軍の中で、自分たちの頭作りとして議論されていると思うのですね。 確かに、10,000人の実戦部隊がいて、将軍がいないということは不思議な話です。将軍がいない沖縄に、10,000人が戻ることはないでしょう。しかし将軍も戻して、主要機能も戻していくという考え方が、基本的にあるようです。ですから、ここが踏ん張り所です。私の話は以上です。■ 「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない」のTOPへ■ 「STOP!! 米軍・安保・自衛隊」のTOPへ■ 「平和フォーラム」のTOPへ
2010年04月18日
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次に最近入手した、第3海兵遠征軍の資料について説明します。この資料は2009年の9月に『コマンドブリーフ』として作られました。おそらく第3海兵遠征軍の中で共有されている認識でしょう。先ず現状です。現在、25,000人の海兵隊員と海軍兵士が第3海兵遠征軍に所属しています。展開している地域は、沖縄、キャンプ・フジ、韓国、ハワイです。そこに米軍再編計画の中で、グアムが入っていきます。 最初に「合意実施計画」を見ると、沖縄には31MEU(司令部部隊)・第4海兵連隊・普天間基地の第36海兵航空群・戦闘兵站連隊・基地支援が残ることになっていました。一方のグアムには、HMH航空中隊と記載してあります。これは大型ヘリコプター中隊のことです。 次は「合意実施計画」に「アセスメント」の内容を反映させて宜野湾市が作成した図です。31MEU・第36海兵航空群・歩兵大隊などがグアムに移転することになっています。ですからグアムに移転する人員は増えています。 さらに次は「海兵隊に望ましい配置」です。これを見ると、一度はグアムに移転した第1海兵航空団の司令部も、航空団司令官の将軍も沖縄に戻ってくることになっています。米軍再編合意では、沖縄からグアムへの海兵隊の移転は2014年です。しかし辺野古新基地の完成予定は、2014年ではありません。新基地の建設には時間がかかります。ですから部隊はグアムへ移っているわけです。グアムのアセスの評価では、移ってくる部隊をきちんと評価しているのです。ですから普天間基地に所属するヘリコプター部隊が、グアムに移転している状態で、しばらくはいけるのです。 では辺野古を作ったらどうなるか。辺野古を作ったら、第1海兵航空団の司令部まで戻ってくる、将軍も戻ってくるのです。色んな部隊まで戻ってくるのですよ。これが、米国が考えている望ましい、あり方なのです。グアム住民に対しては、沖縄の海兵隊はグアムに行っているのだけど、戻すのですよって、言っているのですね。日本政府は6,000億円もお金出して、基地負担の軽減をさせているわけです。それをもう一度、辺野古に基地を作ると、将軍も迎えて、海兵隊航空団司令部を作って、さまざまな部隊を受け入れるのです。も入れて。そういう構図で良いのか。
2010年04月18日
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次に米国の資料に基づいて、宜野湾市が作成した図を説明します。この図は、沖縄に駐留している海兵隊の全体図です。黄色の枠がグアムへ移転する部隊です(第18海兵航空管制群司令部ならびに第36海兵航空群)。青の枠は岩国に移転する部隊です(大52空中給油中隊)。普天間基地の1個中ヘリ中隊には色が着いていないのですが、基地の管理部隊がグアムに移転することを考えれば、この部隊も当然、グアムに行くことになるでしょう。 次の図は、沖縄周辺の米軍の訓練区域です。これだけの区域・海域・空域があるために、米軍は沖縄に来て訓練を行っています。いまマリアナで同じようなことが実現されようとしています。「マリアナ・アイランド・レンジ・コンプレックス(マリアナ諸島複合訓練場計画)」です。アセスが終わって、最後の評価書が出る段階です。この間のドキュメントで見る限り、海兵隊の最大の関心事は、グアムへ移る部隊の演習環境、演習訓練環境を如いかに整えるかなのです。 海兵隊総司令官は09年6月4日の議会証言で、「訓練や施設の要求を調整し、適切に計画・実施されれば、グアムへの移転は即応能力のある前方態勢を備えた海兵隊戦力を実現し、今後50年にわたって、太平洋における米軍の国益に貢献する」としています。要するにグアムを整備する。マリアナ諸島複合訓練場計などのよってテニアンもサイパンを整備し、グアムの中の演習場に含めてしまう。そういう計画が動いているってことです。 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/100317_ginowancity_mayor.pdf「沖縄からグアムへの、海兵隊移転について」宜野湾市長 伊波洋一 「沖縄からグアム及び北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」
2010年04月18日
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ラムズフェルド国防長官のイニシアチブのもとで、沖縄の海兵隊をグアムに移していく、グアムで迅速な対応が出来る部隊に変えていく--そういうのを掲げていると思います。2010年に発表された『QDR』(4年ごとの国防体制見直し)は、「グアムを西太平洋地域における安全保障に係わるハブにする」としています。こうした計画の一環として、グアムと同時にマリアナ諸島全体で、「レンジコンプレックス=複合演習場計画」が進んでいます。これによって、沖縄で実現できなかった演習環境を、テニアンなども含めたマリアナ地域で実現する計画が着々と進んでいるのです。 次に、海兵隊司令官のジェームズ・コンウェイ大将の、09年6月に上院議会の軍事委員会で証言について説明します。その中で彼は、「日米再編合意の最大の成果が8,000名の部隊のグアムへの移転だ」といっています。それは「約8,000人の海兵隊員の沖縄からグアムへの移転は、沖縄の海兵隊が直面している民間地域の基地への侵害(インクローチメント)を解決するため」だというのです。実は「インクローチメント」というのは、住民による基地への侵害を言っているのです。住民が自分たちへ近づいてきている。基地との間に住民と摩擦が起こってくる。このことが、米国での基地問題と表現されています。普天間基地のような一番厳しいところ、他の所もそうですが、基地と住民がとにかく近づきすぎているところ。演習基地とですね。それを解決することが目的だときちんと書いてあるのですよね。そのあと、グアムへの移転というのは、演習場などを適切に配備して、見直されれば、最大限の効果を持ち、そして今後50年にわたって、西太平洋におけるアメリカの国益に貢献するというところまできちんと書いております。 『グアム統合軍事開発計画』(2006年7月)では移転する海兵隊は9,700名でした。それが『国防総省グアム軍事開発計画報告書』(2008年9月)では、10,550名になりました。さらに『環境影響評価書』(2009年11月)では10,060名です。これが一番の現状の数値でないでしょうか。沖縄の海兵隊員は、08年9月末で12,402名です。このうち10,600名がグアムに移ります。ですから沖縄に残るのは1,800名くらいです。
2010年04月18日
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日米合意では家族9,000名が移転するとされています。しかし復帰から現在までの間で、沖縄にいる軍人の家族の数が9,000名を超えたことは、4回しかありません。平成6・7・12・13年ぐらいですね。家族の数は、もともとは少なかったのですが、日本の思いやり予算で基地の中に色んな施設が作られるようになりまして、大変住み心地のいい施設になりました。また海兵隊自体も同伴計画を作りました。家族を同伴させるとコストも安くなりますし、負担もなくなるのでどんどん増えたのですが、いまは少なくなっています。そこには戦争の影響もあります。海兵隊の隊員数ですが、過去最大の時には22,000名くらいまで行ったことがあります。しかしその後は減少して、現在は12,400名くらいです。普天間基地の中ヘリ部隊は常駐部隊で家族もいます。ですから家族に対しても、住宅を維持する、また家族が通勤などするための措置をしなければなりません。米軍が辺野古の周辺にどのような環境を作るのかはわかりません。しかし辺野古に移る部隊は、単身者の部隊をイメージしているでしょう。家族9,000人を移転させるのであれば、沖縄に家族を伴って駐留している常駐部隊は、すべてグアムに移転すると考えられます。
2010年04月18日
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その前に、沖縄海兵隊の抑止力について説明します。31MEUが沖縄にいないと、抑止力が機能しないという意見があります。またある学者さんは、「31MEUを台湾に派遣する際に、沖縄からは1日でいけるが、富士演習場などにおいていては3日かかる、致命的になる」という話をしています。しかし実際には、31MEUは1年のうち半分は沖縄にいません。日本にもいません。どこにいるかというと、オーストラリアやタイなどで、安全保障条約を担保するための演習・訓練に参加しているのです。2006年の資料では、1月から5月のうち3か月は海外での訓練に、また9月から11月はオーストラリアとフィリピンに出ていました。この他にも、人道支援・地震・災害の訓練や対処も行っています。とにかく、1年の半分はいないのです。 さて、普天間基地のヘリ部隊がグアムに移転する論拠を示します。 2006年5月のロードマップ合意は、8,000名の海兵隊員と9,000名の家族がグアムに行くとしています。しかし、具体的にどの部隊が移転するのかは不明といわれてきました。そこで私は、米軍作成の資料を検討しました。それによって普天間基地の部隊が、グアム移転の対象に入っていることが判明していると思います。 2006年の7月に、『グアム統合軍事開発計画』が発表されました。これは米太平洋軍司令部が作ったものです。この中にはアンダーセン空軍基地に、最大67機の回転翼機(ヘリコプター)が入ってくると書かれています。 2007年7月に、沖縄県中部の市町村長がグアム調査に行きました。その時にアンダーセン空軍基地の副司令官は、「65機から70機の海兵隊の航空機を受け入れることになっています」と話をしていました。さらに、「1,500名の海兵隊航空団の兵員を、アンダーセン空軍基地で受け入れる。家族を持っている人は、別の家族住宅地区で受け入れる」という話でした。 2008年9月に発表された『国防総省グアム軍事計画報告書』には、グアムに移転する部隊のリストが掲載されています。これらは全て普天間基地の部隊です。この中に、「中型ヘリコプター中隊」(Marin Medium Helicopter Squadron)という記載があります。この中ヘリ中隊を、外務省や防衛省は、「岩国基地の部隊だ」といっていますが、おかしな話です。 またこの調査では、グアム政府から資料をいただきました。その資料は米軍からグアム政府に提示されたものです。そこには、グアムに移転する部隊の名前として、31MEUが記載されているのです。揚陸艦のエセックスも書かれています。
2010年04月18日
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http://www.peace-forum.com/mnforce/2009/03kaisetu/100228.htm伊波洋一さん(宜野湾市長)の講演テーマ:普天間基地のグアム移転について●会議名称 沖縄等米軍基地問題議員懇談会●開催日 2010年2月18日(木)17:30~●開催場所 衆議院第1議員会館・第3会議室(はじめに) 沖縄等米軍基地問題議員懇談会では、宜野湾市長の伊波洋一さんを招いて講演会を開催しました。伊波さんの講演は、11月26日、12月11日に続いて3度目です。今回の公演では、米国が普天間基地所属部隊の移転先をグアムとしていること、また普天間基地の代替施設を辺野古沖合に建設してしまえば、一旦はグアムに移転した海兵隊が再び沖縄に戻ってきてしまう危険性があることを、米国政府の資料から解説してもらいました。以下は伊波さんの講演を要約したものです。 宜野湾市長の伊波洋一です。 お手元に資料をお配りしています。この資料の後半部分は、12月11日の議員懇談会で配布したものと同じです。ここでは「沖縄からグアム及び北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」を説明しています。本日はこのドラフトを基に話をさせていただきます。 米国では2002年から、地球規模の基地見直しが行われています。米国政府内では、ラムズフェルド国務長官の下で、「沖縄の海兵隊はどこへ行くべきか」という議論が行われて、グアムが選ばれました。 その理由の一つは、海兵隊の基地を予測不可能な状況がどこで起きても柔軟で迅速な対応が可能な場所に置く――という戦略があります。その点で沖縄には、日米安保条約の制約や憲法の制約があります。そもそも沖縄の海兵隊は、日米安保条約のためだけにいるわけではありません。西太平洋における5か国との安全保障条約、日本・韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアとの安全保障条約を実践するためにいるわけです。沖縄の海兵隊の31MEU(第31海兵遠征隊)の一番大きな役割は、1年間に予定されているこれら各国との合同訓練です。31MEUは、長崎県の佐世保基地に配備されている揚陸艦エセックスに乗船して、フィリピンに行ったり、韓国に行ったり、タイに行ったり、オーストラリアに行ったりしているのです。1年のうち半年は、沖縄・日本にはいないのです。 この時に、普天間基地所属のヘリコプターが24機、エセックスに乗り込みます。これらのヘリコプターは、出動直前の2~3週間に、ものすごい訓練を普天間基地で行うのです。その訓練が、一番大きな住民への被害を作っているわけです。 こういう部隊の機能がグアムに移転するということが、今回のアセスで明らかになっております。 アセスメントの騒音評価では、グアムへの37機のヘリコプターの移転を前提にしています。このうち2個中隊・24機(1個中隊は12機)は、新型のオスプレーです。2個中隊のうち1個中隊は、現在は岩国基地に駐留しているCH-53大型ヘリコプターが機種変更して配備されると思われます。この部隊は輸送用です。 さらにオスプレー1個中隊(12機)、UH-1汎用ヘリコプター・3機、AH-1攻撃ヘリコプター・6機、CH53E大型ヘリコプター・4機が移転対象として上げられています。これらのヘリコプターはMEU(海兵遠征隊)構成と呼ばれています。MEU構成では、中型ヘリ1個中隊と、UH-1・AH-1・CH53Eなどヘリコプターがセットになっているのです。 MEUは沖縄や米本土のキャンプ・ペンドルトンをはじめとして、いくつかの基地に配備されています。そのMEUには必ずMEU構成のヘリコプター部隊が所属しています。そうしてグアムの環境影響評価書によれば、グアムに移転してくる部隊には、このMEU構成のヘリコプター部隊が入っていることが明らかなのです。 環境影響評価書の中では、アンダーセン空軍基地周辺の環境影響評価として、MEU構成の24機を対象として、年間で19,000回の飛行を想定した評価が行われているのです。一方で、岩国から来ると思われるCH53Eの代替のオスプレーは、環境影響評価の対象にはなっていません。このオスプレーは輸送用ですから、アンダーセン空軍基地で集中的に訓練をする必要はないと考えられているのです。 また環境影響評価書には、海軍基地のアプラ港に揚陸艦のエセックス(現在は佐世保基地配備)が来ること、そこで物資を搬入することなども書かれています。こうしたことも、海兵隊が沖縄からグアムへ移転することの裏づけになっています。今後はグアムをハブとして、韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアなどに行くことが、ほぼ確定しているのです。私の見解に対して、普天間基地のヘリコプターはグアムには行かないという意見があります。そうではなくて、普天間基地の部隊がグアムに行くのだということを、資料を使ってお話します。
2010年04月18日
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http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-27c6.html『マスコミに載らない海外記事』さん、から引用 アメリカの傀儡、あやつり糸を自ら切断アメリカ政府にタリバンとの妥協を邪魔されたカルザイは、あからさまに、パトロンに逆らいはじめた Eric Margolis 2010年4月11日"Toronto Sun" かつて、ヘンリー・キッシンジャーは、アメリカの敵であるよりも、アメリカの同盟者でいるほうが、より危険だ、と発言している。 最新の例が、かんかんに怒ったワシントンのパトロンと極めて面倒なことになっているアメリカがしつらえたアフガニスタン大統領ハミド・カルザイだ。 元アメリカのCIA "協力者"で、かなり無力なカルザイを、タリバンを打ち負かしそこなっていると、オバマ政権は非難している。ワシントンは、昨年の選挙で、票を不正工作したとして、カルザイを非難した。その通りなのだが、そもそも、アメリカは西欧の占領に反対する全ての政党を排除し、事前にアフガニスタン選挙の不正工作をしていたのだ。 イスラム教世界中で、独裁者や、いんちきな選挙を支持しているワシントンには、カルザイを、汚職と投票の不正操作で、こきおろすという図太さがある。しかも同時に、ペンタゴンは、パキスタンの完全併合をたくらんでいる。 オバマ政権は、カルザイをやめさせたいと考えていることを隠そうとはしていない。"とんでもない傀儡め! とんでもない傀儡め!"という、ワシントンの叫び声が聞こえるかのようではないか。 アメリカが票の不正操作をしたと非難して、カルザイは反撃に出た。彼は米軍に、余りに多くのアフガニスタン人一般市民の殺害を止めるよう繰り返し要求している。 次に、アメリカは、居もしないアルカイダやらタリバン対策の為ではなく、エネルギーが豊富なカスピ海盆地地域を支配するために、アフガニスタンを占領しているのだと断言して、カルザイは爆弾宣言をしたのだ。カルザイは、タリバンは"西欧による占領に抵抗している"と発言したのだ。アメリカは間もなく、アフガニスタンに、100,000人の兵士と、更に40,000人のNATO軍兵士を駐留させることになっている。 カルザイは、自分はタリバンに加わるかもしれないと半ば冗談さえ言った。 ワシントンは卒倒した。カルザイに対して、意地の悪いプロパガンダ・キャンペーンが解き放たれた。オバマ政権の代弁人で、アフガニスタン戦争の熱心な支持者であるニューヨーク・タイムズは、ひたすら、カルザイ打倒と、彼を言いなりになる将官にすげかえることを呼びかけている。 カーブルで、国連の仕事を首になった、アメリカ人の自己宣伝男、ピーター・ガルブレイスがしゃしゃり出て、カルザイは麻薬中毒で、しかも気が触れていると、マスコミに触れ回った。 この醜悪で喜劇的な口喧嘩の背後には、アフガニスタンとワシントンとの間で拡大しつつある相違がある。31年におよぶ戦争で、およそ300万人が死亡し、更に何百万人もが難民となり、ゾッとするような貧困にあるアフガニスタン人は平和を渇望しているのだ。 過去二年間、カルザイと彼の盟友の軍閥は、サウジアラビアで、タリバンと和平交渉を行ってきた。 カルザイは、アフガニスタン戦争を終わらせる唯一の方法は、アフガニスタンの多数派であるパシュトゥーン族と、その戦闘部隊タリバンに、参政権を与えることだと知っている。タリバンとの政治的妥協が、唯一、かつ不可避な解決なのだ。 しかし、ワシントンのネオコンや他の強硬派の、誤った助言を受けているオバマ政権は、大国としての面子を保ち、アメリカが戦略的なアフガニスタンの主導権を握ったままで、いられるような合意を押しつけるため、アフガニスタンにおける軍事的勝利を"勝ち取る"(その意味が何であれ)のだと決心している。 そこで、アメリカは、現在70億ドルというアメリカからの支援金を、受け取っているパキスタンに、進行中のカーブルとの和平交渉に関与している、パキスタンに身を隠していたタリバン幹部を逮捕させ、カルザイの和平交渉を邪魔したのだ。 それで、カルザイが激怒する番となった。そこで彼は、アメリカのパトロンに、あからさまに逆らい、自立した姿勢をとり始めたのだ。あやつり人形が自分のつり糸を断ち切りつつあるのだ。 カルザイが最近身につけた大胆さは、インドと中国が、アメリカ/イギリス/NATOによるアフガニスタン支配にとって変わろうと、熱心である事実によるものだ。インドは、資金と、武器と工作員をアフガニスタンに注ぎ込み、政府軍を訓練している。中国は、より慎重に、アメリカ政府の地質調査によれば1兆ドルの価値があるとカルザイが語っている、最近発見されたアフガニスタンの鉱物資源開発に進出しようとしている。 アフガニスタンにおける、1980年代の敗北の痛みを感じているロシアは、アフガニスタンでのアメリカの辛苦をほくそえんで眺めており、少なからず復讐を切望してもいる。モスクワも、アフガニスタンには野心を抱いているのだ。 本コラムは、カルザイにとって、最善の選択肢は、アメリカの監督から距離をおき、全ての外国占領軍の撤退を要求することだと、以前から主張してきた。 もちろんリスクを伴う事業だ。キッシンジャーの警告を忘れぬよう。カルザイは死んで終わる羽目になりかねない。しかし、国民的英雄となって、全ての民族集団が受け入れられる、独立アフガニスタンを率いる最高の候補者となりうる可能性もあるのだ。 真に人気があり、まっとうで民主的な同盟者ではなく、言いなりになる子分を探し求めるという同じ失敗を、悲しいかな、アメリカは犯しつづけているのだ。 2010 The Toronto Sun 記事原文のurl:www.torontosun.com/comment/columnists/eric_margolis/2010/04/09/13530691.html ご近所のでんきやさん、子どもさんが跡を継いで、60周年!一緒に、お祝いします。大型店、安売り店より、きめの細かい、痒いところに手の届く、あたたかいサービスの、おかあさんがやさしい、子どもさん(私が家庭教師で小学校の頃、教えた、双子ちゃん!)の成長を喜んで、お父さんが電気敷設の技術を子どもに身をもっておしえながら、一家そろっていっしょに仕事なさってる、とっても大事な、電気屋さんです。 強力な労働組合を破壊するために、国鉄を解体し、日本全体を、暮らしにくい不沈空母にしたたてくれた「大宰相」は長期傀儡政権を維持できた。日本をぶち壊したライオン首相も長期傀儡政権を維持できた。植民地では、属国のためでなく、宗主国の為になることをすれば政権が与えられる。 一方、自立したエネルギー外交を目指した田中角栄、ロッキード事件で追われた。以来、日本の与党幹部には、「言いなりになる子分」しか、いないもののようだ。 今の民主党、自民党、公明党、あんたの党、けつまずけニッポンの幹部を、そしてそれを支持するマスコミ、国民の皆様を見ていると、カルザイ大統領が、アフガニスタンの人々が、立派に見えてくる。 本コラムは、民主党にとって、最善の選択肢は、アメリカの監督から距離をおき、全てのアメリカ基地の撤去を要求することだと、以前から主張してきた。もちろんリスクを伴う事業だ。キッシンジャーの警告を忘れぬよう。鳩山首相・小沢幹事長は引退させられて終わる羽目になりかねない。しかし、彼らが国民的英雄となって、全ての県の人々から受け入れられる、独立日本を率いる最高の指導者となりうる可能性もあるのだ ろうか? 2010年4月13日 (火) アフガニスタン・パキスタン | 固定リンク |
2010年04月14日
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『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷藤永 茂 著三公社 非常におもしろかった。コンラッド「闇の奥」(『地獄の黙示録』の下敷き、種本)は、取るに足らない(言い回し大仰な)欺瞞の書、としか感じなかった。こちらを読むためにある、といっていい。 「歴史の臨界点」などというのは、生易しすぎる。ここに、悪行の限りを尽くしてきた「ヨーロッパの心」が、貪婪が、むき出しになっている。「文明」だの、「進歩」だの、「民主主義」だのと言った修辞、プロパガンダを駆使し、「白人の重荷」=アメリカの正義を吹き鳴らして、事実を歪曲してきた。それら残虐行為の隠蔽、蓋いを剥がれて。 眼前に展開されている、アメリカ帝国主義ーイラク、アフガン侵略ーが、1885年ごろから20年間のベルギー王によるコンゴ収奪、古くはアメリカによる黒人独立国家ハイチへの侵略、キューバとフィリピンを侵略した米比戦争、と同一の虚実をもってる。ベトナムのミライ虐殺は、すでにフィリピン、スピーディ・エクスプレス作戦で実施されている。非戦闘員の虐殺は、イラクの誤爆に始まったことではない、アメリカの伝統である。 1500年から350年間続けられた、イギリス、ポルトガルなどヨーロッパ諸国による奴隷貿易が、アフリカを、徹底的に破壊した。リバプールは、その中心地、罪業の都市である。その後、レオポルド二世とその民間委託会社による、コンゴ中流域からの、ゴム収奪。そのために練り上げられたシステム、公安軍による村々の襲撃と、女子どもの人質化、奴隷労働。アウシュビッツのホロコーストのたった40年まえのことである。数百万単位の黒人が亡くなった。知っていましたか?アフリカの未開を、ヨーロッパ人が啓蒙する、と称して、資金を集め、軍隊を組織して、交易ーというより、奴隷労働を強いて収奪するー今と同じでしょ?「白人が黒人に加えてきた極悪非道の悪業の数々」を、「白人が黒人、黄色人種、非白人に加えてきた極悪非道の数々」と言い換えてもいい。『その背後にある動機も全く同一であり、それは抜け目なく巧みに工作され、詭弁を操って力説され、新しい装いをつけて世に披露されている。』 その直後から始まる、欧米列強のアフリカ分割。奴隷貿易は、「人道的見地」から止められたのではなく、需要がなくなったから。次に、アフリカ、特にコンゴ上流域に資源を目的にした領土戦争が、白人の治安保護や、蛮行からの防衛を口実に仕掛けられる。マタベーレとマショナを侵攻したセシル・ローズ、トランスバールの金鉱山を掌握するための第二次ボーア戦争、カタンガ地方のウラン鉱山採取権につながる独立後の戦争。ボーア戦争では、ゲリラに対し徹底的な焦土作戦がイギリス側から実施され、三万の農場が焼かれ、強制収容所で三万のボーア人非戦闘員と、白人間の抗争に巻き込まれた二万人の黒人が死んだ。60年の独立以降も、採鉱利権を手放さなかった多国籍企業による奴隷労働は続き、持ち込まれる武器によって激化する内戦、ネオ・コロニアリズムのもと、資源を収奪され搾取され続けるコンゴ、アフリカ。 アンポによる支配、と私は言ったが、これも、アングロサクソンによる植民地支配、大英帝国以来継承された施策の一部と見て、彼らの本意を推し量るべきだろう。 だからといって、「白人クラブ」につらなる、いまの日本政府、アジアに対して行なってきた日本の植民地政策の罪が軽減されるわけではない。ただ、その類似性に驚く。三光作戦、朝鮮植民地化、言いがかりをつけての戦争、強制労働と収奪、誰がやっても、植民地政策と、帝国主義、拡張政策を続ける限り、同じような悪業にたどり着く。 『この数百年、見事に機能し続けている「ヨーロッパ」というシステムそのものが問題なのである。わが日本もその中にあり、中国もインドも、今や、そのシステムの有力メンバーである。』今の日本も、インドネシアや、フィリピン・トヨタでやってる。 オバマの「非核演説」も、アングロサクソン伝統の国家的欺瞞の典型である。裏で、行なわれる非道こそが、実体である。イラクでは、教育・技術を担う層を根こそぎにして未来への力を断ち、恒久的な巨大基地が造営された。中南米に行なっている不安定化=スマートパワーによる政権の転覆がいくつも持ち上がり、アフガンでは更なる戦争が進行中である。知ってて見なかったコンゴの闇の実体。収奪のシステムの破綻は始まっている。それに、ヨーロッパの第一次世界大戦のような、破局が、用意されているのか。わからんが、私たちの生活様式を維持するため、いけにえにされてきたアフリカを見ることから、始めようと思う。
2010年04月11日
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次の、『戦争と平和を考える集い』 の準備に、集まってきました。 5月に、沖縄普天間返還問題は、決着するだろうか。政府は、公約とした「沖縄県外」をカタチだけでも整えようと、鹿児島県徳之島への訓練施設の移転を含む機能分散をいったり、佐賀空港への全面移転をほのめかしたり、グアムが取りざたされたり、話は紛糾するばかりだ。キャンプシュワブ(辺野古内陸)案や、基地機能分散、では、沖縄の怒りは収まらない。今日のナンバアクションで、オキナワンと思われる高校生が、「オ!」と見留めて15人くらい、一気に集まって署名した。今、沖縄は、一つにまとまっている。文字通り、島ぐるみだ。決着しないのではないか。徳之島も、沖縄と同じような差別構造に置かれた地域だ。これをよしとするなら、問われるのは、ヤマトンチュウの差別意識だろう。そもそも、「高尚な平和理念の実現のために、犠牲になってきた」沖縄に、これ以上の苦しみを続けさせてよいのか。 人口1%の沖縄に、基地の苦しみの75%を押し付けてきた、我々が、問われているのである。沖縄が苦しみをなめてきたその根本には、アンポがある。沖縄が今の苦境から脱出するには、これを粉砕する以外、本来の道はない。本土側で、沖縄を支援する集会が多数持たれているが、方向性を今だ、打ち出せないでいる。なぜか。アンポの問題を避けて通れないのに、それをはっきり提示していないからではないか。今は、チャンスではないのか。ヤマトンチュウに、その覚悟ー本気で政府と対抗するー気概があるのか。鳩山政権が迷走することで、本土側につけた火種ーじぶんとこに基地を持ってこられていいのかーは、基地被害を自分の身に引き寄せて考えるチャンスを与えた。自分に押し付けられて嫌なものは、他人にも押し付けてはならない、という単純な教え、そのためには、基地がなくなることだよねえ、という方向、そのためには、考えようよ、アンポの存在。この方向で、まとまれないだろうか。戦後65年にわたる、沖縄の差別の歴史を我々は引き受けねばならない。我々の、問題なのだから。押し付けてきたのは、我々だ。同様に、いまだ清算されていない朝鮮、在日朝鮮人に対する差別。国の、高校無償化からの朝鮮民族学校の排除を、撤回させられなかったーこの事実も、いまだ多くの日本人が、差別意識を捨て切っていないためだ。沖縄差別と同根だ。沖縄が体現するアンポと、日本の平和。カードの裏表のように、切り離せない。見ないで済ませてきたアンポ、戦争。戦後を通じて、我々の培ってきた歴史認識は、一歩でも、真実に近づけたのか、-8.15とはなんだったのか。新しい差別の歴史に過ぎんかったのか。決着を求められているのは、我々のほうだ。具体的には、1、沖縄戦を体験した方の体験談を座談会形式で聞く。2、60年安保を闘った人の話を聞く。3、朝鮮高校の先生を招いて、聞く。(4、生駒トンネル工事に強制連行され、亡くなった多くの朝鮮人の方々の遺骨を収集しておられる人があるので、その方の話を聞く。)これらの一つと、『どうする、アンポ』DVD上映会を併設して、矢継ぎ早に、勉強会を開く。 知り合いを訪ねて、取材するもよし、ということでまとまりました。 で、次回は、4月18日、3:00~。お花見も終了、という頃合。1、に関連して、大正区の「おきなわ文庫」という、お店を紹介していただきました。ここの店長さん(沖縄の物産を販売)が、はなし好きな方で、沖縄のことを、いっぱーい!語ってくださるそうです。Jr大正、下車、大正大通りを行き、「ザ飲み屋」を左、の右手。『かじま屋』さん、と看板が出ているそうです。バス停、小林、ちしま公園近く。10時AM~8時PM、火曜日定休日。 5.15に沖縄に行け~と勧められましたが(返還記念日)、ムリ!誰か、オジイやオバア、知ってる人いない?沖縄を眼前に!とゼッキョウしていたところ、ここがいいよよ、と教えてもらいました。
2010年04月04日
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敗戦を終戦と言い換えた65年前から、この国では、どこか狂っておかないと、生きてゆけない。まともでは、まとものままでは、生きてゆけない。足元からおかしいのだ。おそらく、その根っこに、「日米安保」がある。 『どうするアンポ』ばらばらだった、いろいろなこと、辺野古、沖縄の人々の苦しみ、米兵犯罪、イラク戦争、自衛隊派兵、原子力空母配備、横須賀、岩国、米軍再編、構造改革、いろんな密約、対米隷従、なんで、政府は二枚舌か、なんで、我々の生活は、段々苦しくなるのか。5兆円に上る巨大な軍事費、削られる福祉費、米軍軍事費の肩代わり、思いやり予算、警察さえ被害民を加害者あつかいする、市場開放、雇用破壊。これらが、つながってゆく。 日本の再生を高らかに謳った憲法に正面から敵対する条約が、九条誕生の直後からあった。同時にはこの世に成り立ち得ない、二律背反の中身を持った宣言が、憲法までをも縛り、戦後の日本を常に分裂させ、統合できない不条理に人々を追いやってきた。 知っているのに知らないふりをしなければ、成り立たないことば。なにか違うと、つねに受信し続けねばならない毎日。刹那的で、悲鳴の軋みを上げるか、白痴の仮面をつけて日々を渡ってゆくか。社会意識全体が分裂している。または、上部権力機構が、主権者たる下部構造に理不尽を押し付ける。権力の二枚舌、正しくあらねばならないはずのひと、ものが、「ウソなんかついたモン勝ち、」と白々しく居直る国。その根っこに、日米安保の取り決め、政府の沈黙、隷従の根拠となる、膨大な密約がある。わずかに、「アンポ」の苦しみを我がことと受けざるを得なくなった人たちー沖縄、基地や米兵被害者,だけがーほんとは日本人全員のことなのにー、ありのままを知ってしまった人たちが、正気の道を、政府に、米軍に、アメリカに、抵抗のこぶしを振り上げてきた。人のかなしみに、知らん振りして、嘘の平穏を楽しめる気の狂った社会。彼らが、裁判や、座り込みで訴えるとき、わたしたちにも真実へのルートが見える。もう、彼らの犠牲なしに、自分達自身で、扉を開けるときだ。
2010年04月04日
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自衛隊、ハイチ派兵防衛省・自衛隊は、PKO法のPKO五原則を無視して派兵が強行した。インド洋撤収後の派兵先を探していた防衛省・外務省が望む切れ目ない海外派兵が継続自衛隊派兵だけは米国の軍事占領に協調するために優先して決定された。 二月下旬から北部方面隊第五旅団(帯広市)を中心とした派兵部隊の二次隊三五〇人が派兵される。ハイチPKO=国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)に参加し、十一月末まで派兵される計画だ。PKO部隊だけではなく、派兵部隊の輸送・補給のために海上自衛隊五四〇人、航空自衛隊二百人が動員され、航空自衛隊C一三〇輸送機はマイアミとハイチの輸送を行う。 派兵部隊はブルドーザーなどを持ち込むだけでなく、軽装甲機動車、小銃、拳銃、機関銃で武装している。さらに小牧基地所属のKC七六七空中給油機が海外での初の実戦任務につく。東チモール派兵(〇二年~〇四年)以来の規模で、PKOとしては初の中南米派兵となる。 一月十六日、海上自衛隊は八年間も続いた旧・新テロ特措法でのインド洋給油から撤収。二月六日インド洋派兵部隊が帰還し、入れ違いでハイチ派兵部隊が出発した。 今回、防衛省・自衛隊は、PKO法のPKO五原則を無視して派兵が強行した。インド洋撤収後の派兵先を探していた防衛省・外務省が望む切れ目ない海外派兵が継続された。五原則さえ無視 「PKO五原則」では、紛争当事者間の停戦合意、受け入れ国などの同意などが必要であり、停戦監視などが主要な任務である。反政府勢力と政府の対立で政情不安が続いてきたハイチPKOへの参加がPKO参加五原則を充足するかどうかは、政府自身が「議論のあり得るケース」と説明していた。ところが、防衛省は武力紛争を「国または国に準じる組織による計画的な武力行使」と限定的に解釈。「現地で紛争は発生していない」と強引に解釈し、停戦合意は不要とした。 だが、これまでも衝突などで任務遂行中のハイチPKO要員五七人が死亡している。現地情勢、これまでの政府見解との矛盾は完全に無視された。地震発生直後の救援チーム派遣が遅かった日本だが、自衛隊派兵だけは米国の軍事占領に協調するために優先して決定された。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/index.htm 「グローカルのホームページ」 さん から引用
2010年04月01日
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引用 その7 アメリカの核戦力は「抑止力」ではない こう述べた不破氏は、「核抑止力」などとさかんにいうけれど、51年の旧安保条約の時代をふくめ、米国は日本の基地を使って計画してきた核戦争計画の相手は、50年代の中国やベトナムなど、核をもっていなかった相手ばかりだったではないか、と指摘しました。 「日本を基地にしたアメリカの核戦力は、『抑止力』ではなく、『戦争力、侵略力』です。『抑止』という聞こえのいい看板のもとに、日本を、攻撃的、侵略的な核戦争の足場にする、これが『核密約』だということをはっきり見る必要があります」 不破氏は、この大もとはいまも変わらないことを強調しました。 「アメリカの軍事戦略のもっとも危険な特徴は、その基本が、核先制攻撃戦略だという点にあります。先制攻撃とは相手にやられないうちに先に攻撃する、という戦略。そしてその先制攻撃に、必要な場合には、核兵器も使うというのです。 いま世界では、核保有国がまもるべき最小限の基準として、 --非核保有国には核攻撃はしない、 --相手が誰であれ、先制的な核兵器の使用はしない、 という態度を求める声が世界的に起こっていますが、アメリカはどうしてもそれに応じようとはしません。それは、核先制攻撃戦略をとっているからです。 そのことを考えても、被爆国日本の国土を、こんな危険な戦略の足場にする核密約の存続を許すわけにはゆきません。 私は、みなさんとともに、日本政府が、ごまかしの議論はもうやめにして、日米間に核密約があったことをはっきりと認めてこれを廃棄する立場を明らかにし、『非核日本』への道を進むことを強く要求したいと思います」http://blog.goo.ne.jp/urmt/e/f91f745698390b6c8c1d210bff4f2ee5 「未来を信じ、未来に生きる」さん から引用
2010年04月01日
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引用 その6 ケネディは63年11月に暗殺されますが、あとを継いだジョンソン政権は、64年、北ベトナム攻撃の戦争を開始します。この戦争は、結局、アメリカの大敗に終わるのですが、アメリカは、その間、軍事的な失敗や危機が起こるたびに、核兵器による戦局の打開を何回も計画します。ベトナム駐留米軍の総司令官だったウェストモーランドは、戦後、"核兵器を使っていれば戦争の成り行きは違っていただろう"と残念がった、とのことです。当時、核兵器の使用という場合、最大の戦力は航空母艦ですから、このときも、日本は核戦争の最前線の拠点という位置にあったのでした。 このように、核密約というのは、核兵器を積んだ軍艦が時々日本に入ってくるというだけの話ではないのです。核密約50年のあいだに、日本は核戦争の前進基地として、何度、戦争の瀬戸際まで引き込まれたか分からないのです。とめどなく広がる拡大解釈 不破氏はその上で、「最初のうちは日本の対応を心配しながら、という気配のあったアメリカだが、何をやっても大丈夫だとなると、厚かましくなった」と述べ、「密約」の拡大解釈が始まった経過に話を進めました。(1)沖縄「核密約」(69年)とは 69年の沖縄返還交渉では、佐藤栄作首相とニクソン大統領のあいだで、新たな核密約が結ばれました。その時、沖縄返還と核兵器の撤去が合意され、日米共同声明が発表されましたが、同時に、「重大な緊急事態」が起き、核兵器を再び沖縄に持ち込むことが必要になったときには、日本は、事前協議で核持ち込み(地上配備)を認めることを約束したのです。「再持ち込み密約」です。 不破氏は、この密約で重要なことは、再持ち込みのために、沖縄の「現存する核兵器貯蔵地を......いつでも使用できる状態に維持」しておくことが明記されていることだと指摘しました。 「核兵器というものは、核弾頭を持ち込んだだけでは使い物になりません。核兵器を維持・管理し、使用できる状態にするシステムが必要です。アメリカは、この密約で、そういうシステムを沖縄基地に持ちつづける権利を手に入れたのです」「政府が発表した密約調査報告では、"時間がたったから密約の意味はなくなった"などと書いていますが、核兵器を管理・使用するシステムを維持する権利は、いまでもアメリカの手中にあるのです」(2)核空母の「母港」化受け入れ(72年) もう一つの重大な拡大解釈は、72年に横須賀を空母ミッドウェーの母港にしたい、というアメリカの申し入れを受け入れたことです。日本政府(田中内閣)は、「母港化というのは、乗組員の家族が日本に来るというだけのこと。核兵器を積むことはありえない」といって、これを受け入れました。しかし、これは、日本に申し入れる前に、アメリカの政府内で大問題になったことでした。国務長官が、"密約があっても、母港化までは無理だ"と懸念をとなえたのです。母港なら最低3年は居座るものを、「立ち入り」「寄港」とは言えないからです。それを、国防長官が"密約でやれる、大平との合意もある、心配は要らない"といって押し切ったのですが、国防長官の見通したとおり、日本政府(この時も外相は大平氏でした)は、なんの異論もとなえないで、受け入れたのでした。ミッドウェーは横須賀「母港」に結局11年も居座り、その後も、たえず、より新鋭空母に交代して今日にいたっています。
2010年04月01日
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引用、その53、核密約下の日米関係史 この核密約は、アメリカの権利を規定した大事な合意文書ですから、アメリカ政府は、これをたいへん重視して、秘密文書ではあっても、軍事や外交で日米関係にかかわる人びとは、必ず読んで仕事をするように、きちんとした管理態勢をとっているようです。 ところが、日本では、違いました。国会内での政党間の闇取引について、以前は、国対の関係者のあいだでは、"墓場まで持ってゆく"ということがよく言われました。60年にアメリカと密約を結んだ岸信介首相や藤山外相は、政府間の密約も同じようなものだと考えたのか、内閣がかわったときに、次の内閣にひきついだ形跡がないのです。
2010年04月01日
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未来を信じ、未来に生きる さんより引用、 その4 次の重要なポイントはその中身です。不破氏は、「討論記録」の条項(表(1))にそって詳しく解説しました。「討論記録」の冒頭にある「1節」は、公表する予定の、「事前協議」についての交換公文の内容です。これだけ読むと、日本での米軍基地の使い方は、すべて事前協議にかかるかのような印象を受けますが、これはあくまで発表用の文章で、それがどう運用されるかの「実施要領」は、秘密条項である「2節」で決められる、という仕組みになっています。 「2節」の頭には、「交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された」とあります。実施要領も、たがいに「了解」しあった合意文書であることは、明白です。ここには、四つの項があって、前半の二つは、交換公文の規定の説明で、A項では核兵器の持ち込み(地上配備)、B項では日本からの戦闘作戦行動が、それぞれ事前協議の対象になることが規定されています。この部分は、ごまかしの名目をつけて日本政府は後で公開しました。 くせ者は、次の二つの項で、そこでは、何が事前協議の対象にならないかが、規定されているのです。C項では、アメリカの飛行機や艦船の日本への出入りは、「現行の手続き」どおりにする、現行とは、これまでどおりということで、事前協議の対象にせず、アメリカの自由勝手にまかせる、ということです。D項は、戦闘作戦行動にかかわることで、米軍が日本から移動することは、アメリカの勝手ですよ、ということです。 つまり、表向きは事前協議の条項があっても、実際は、核兵器を積んだアメリカの軍艦の日本寄港もこれまでどおり自由勝手、核を積んだ爆撃機の日本基地利用も天下御免、「移動」という名目がつけば、日本を拠点に戦争地域に出撃することも自由にできる、こういう表と裏の二重底の仕組みを、日米の合意でつくりあげてしまったのです。 不破氏は強調します。「これは、アメリカにたいして、軍艦や飛行機に積んだものなら、事前協議なしで日本に核兵器を持ち込む権利があることを、日本が認めたことです。だから、この密約があるかぎり、アメリカの軍艦や飛行機が核兵器を積んで日本に入ってきても、日本政府は文句をつける権利がないのです」--------------------------------------------------------------------------------
2010年04月01日
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『未来を信じ、未来に生きる』さんより引用、 その3 核密約(討論記録)を読む二つのポイント ここで、不破氏は、「核密約」の二つのポイントを丁寧に解説しました。 ポイントの一つは、核密約「討論記録」が、政府が結んだ条約だということです。1月6日、この文書を取り交わした日に、マッカーサー大使が本国政府に打った電報は、「藤山氏と私は、本日、以下のそれぞれについて、二つの英文の原本に頭文字署名をし、取り交わした」として、署名した文書の最初に「討論記録」をあげています。しかも、電報は続く部分で、これをそのコピーも含めて「秘」文書として指定することも約束しあった、としています。こうして文書で合意を確認しあったものは、名前がどうであっても、まぎれもない条約なのです。だからこそ、マッカーサー大使は、核密約をふくむ一連の文書の全体を「条約を構成する文書群」として本国に報告しました。
2010年04月01日
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核密約問題は、アンポ問題である。アメリカの戦略=侵略=先制攻撃の核配備拠点としての日本利用、そのための安保、だから。そして、それに、唯々諾々と従い続ける日本政府。 以下、『未来を信じ、未来に生きる』さん から引用。 その22、日米安保条約と核密約朝鮮でベトナムで台湾海峡で。日本を拠点に核攻撃を準備 不破氏は、核密約の本当の意味をつかむには、日米安保条約の歴史を見る必要がある、として、まず最初の安保条約(51年)下の日本の状態をふりかえりました。 53年に成立したアメリカのアイゼンハワー政権のもとで、同年には朝鮮で、54年にはフランスとベトナムの戦争で、58年には台湾海峡で、アメリカの政府と軍部は何回も核兵器の使用をくわだて、そのたびに、日本を拠点にした第7艦隊の空母が、問題の海域に出動してゆきました。これらは、すべてアメリカの公式資料に記録されている事実です。 たとえば、54年のベトナム戦争の最終段階、ディエンビエンフーに集結したフランス軍が包囲されて全滅の危機にさらされた時、米政府が2度にわたってベトナム軍への核攻撃を提案しました。フランス政府もそれを受け入れたのですが、結局は世界の世論を恐れて不発に終わりました。ディエンビエンフーの敗北後、野党の党首マンデス・フランス(次のフランス首相です)は、「核攻撃の日取りまで決まり、原爆を積んだアメリカの艦船はすでに航行中だったではないか」と米仏両国政府の危険な計画を糾弾しましたが、原爆を積んだ艦船とは、第7艦隊に属する2隻の空母でした。当時、第7艦隊は横須賀を拠点の一つとしていました。 不破氏は、「当時は、日本への核兵器の持ち込みも、日本の基地からの出撃も勝手放題というのが、安保条約下の実態だった」と語ります。 しかし、こんな状態では、日本が独立国だといっても、世界では通りません。同じ安保でも、もっと独立国の体裁をととのえよう、ということで、日米両政府が一致して、58年に始まったのが、安保条約改定の日米交渉でした。「事前協議」と核密約の抱き合わせに安保交渉の焦点があった このとき、日本が「独立の証し」だといって主張したのが、日本の基地の使用について「事前協議」の制度を設けることでした。"基地は貸していても、戦争に使ったり、核兵器をもちこむような時には、事前に日本政府と相談する。これなら名実ともに独立国だといえる"。こういう仕組みです。 この時のアメリカ政府は、まだアイゼンハワー大統領の時代です。「事前協議」の制度をつくるのはいいが、日本政府といちいち相談しないと基地を使えないようでは、日本に基地をおいておく意味がなくなる、「事前協議」の仕組みはあっても、実際の基地の使い方はこれまでどおり自由にやれるような道を見つけだそう、こういう考えで交渉をはじめました。実は、安保改定交渉のいちばんの核心の一つは、この問題の解決にあった、といってもよいでしょう。 交渉は58年10月から始まりましたが、記録によると、アメリカの交渉担当者のマッカーサー大使は、「事前協議」といっても、軍艦や飛行機の日本への出入りは従前通り協議なしでゆきますよ、という話を、交渉の最初の段階から持ち出しています。 不破氏は、「この交渉で合意したことを文書にしたのが『討論記録』という合意文書です。『討論記録』という名前にしたのは、日本側の注文で、それが万一明るみに出たときにも言い逃れをできるように、ということだった。合意ができたのは、59年6月で、マッカーサー大使は、そのとき、『今日、完全な合意ができた』という報告の電報を本国政府に打ち、新しい安保条約や事前協議の取り決めとともに、『討論記録』も、合意した文書のリストにあげている」と語りました。 その後、いろいろな追加的な交渉があり、新条約調印の月である60年1月6日に、日本政府を代表する藤山愛一郎外相とアメリカ政府を代表するマッカーサー大使とのあいだで、「討論記録」など三つの秘密文書を互いに頭文字署名をして、それを公式に取り交わしていたのでした。
2010年04月01日
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核密約 「未来を信じ、未来に生きる」サンより、引用。 その1 日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長が、20日に神戸市での「非核『神戸方式』決議35周年記念のつどい」でおこなった記念講演を詳報します。--------------------------------------------------------------------------------1、核密約問題が「非核の日本」への焦点となっている政府の密約調査の結果は... 不破氏は、冒頭、「米軍部が日本を拠点にアジアでの核戦争を最初に企てたのは、朝鮮戦争のさなかだった。それから約60年、国民が待望してきた『非核の日本』を現実のものにする展望が、私たちのたたかいいかんで手にできる時代がやってきた。そのためには、日本をアメリカの核戦争の計画にしばりつけ、アジア最前線の基地にしてきた『核密約』の鎖を断ち切ることがどうしても必要だ。そこに『非核の日本』に道を開く最大の関門がある」と語りました。 では、鳩山内閣の「密約」調査の結果はどうだったのか。不破氏は、「私たちも政府に資料を提供してきたが、発表された調査結果を読んで、たいへん失望した」と述べ、「政府の調査結果の核心」として、次の3点を指摘しました。 第一は、私たちが10年前に国会で政府に示した「核密約」の諸文書が、まぎれもない日米両国政府が取り交わした文書であることが、確認されたこと。 第二は、岡田克也外相自身が、安保条約改定から今日までのあいだに、この文書にもとづいて核兵器を積んだアメリカの軍艦が日本に寄港していた可能性は否定できないと、政府として、「核持ち込み」の事実を認めたこと。 第三。これがいちばん肝心だが、そこまで認めながら、報告書は、あの文書は「密約」ではないと言い張り、政府も、だから、廃棄する必要もないし、アメリカ政府とあらためて交渉するつもりもない、つまり現状のまま黙ってほうっておく、という態度を明らかにしたことです。 不破氏は、「鳩山由紀夫首相も岡田外相も『非核三原則』を口にはするが、核問題での日米関係を変えるつもりはない、日本が核戦争計画にしばりつけられている現実には指一本ふれない、これではこれまでの自民党政治となにも変わりはないではないか」と指摘しました。
2010年04月01日
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あつこばのブログ http://atsukoba.seesaa.net/さんより引用 しかも、「軍民併用」を謳って、軍事施設であることを覆い隠す。自衛隊+米軍、の、恒久的一大拠点をつくるつもりらしい。これは、明らかに、軍拡だ。今後200年に禍根を残す。
2010年04月01日
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