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2005.06.02
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理科の学習を文化的実践にするためには、理科を学ぶことの文化的側面を考察する必要がある。

村山功氏は、「学校で『科学する』」こととして「科学する文化」のなかで、次のように述べている。

 ・・・・・

 新しい言葉を獲得するとき、まず言語の型を習得し、次に意味を生み出すためにそれを適用するというようなことはいない。言語は特定の目的を達成するという状況下で、特定のやり方で学ばれるものである。このような彼女らが目指したのは、科学者が実践するのと同じように「科学する」ことであった。つまり、実際に共同探究(collaborative inquiry)を行うのである。こう考えた背景には、知識は、意味のある問題や課題や道具について、語り、活動し、相互作用することによって社会的に構成される、というヴィゴツキーの考え方がある。

 ・・・・・ (中略) ・・・・・

 このような実践は、どのような科学観から産み出されたのであろうか。ローズベリーらは、科学を談話だと考えた。科学という談話は理論構築の物語であり、推測、根拠、観察、実験、説明を含んだ批判的で反復的なプロセスから育っていくものである。「科学を学ぶということは、特定の事実や手続きの獲得でもメンタル・モデルの洗練でもなく、それ独自の語り方、推論の仕方、行為の仕方を持ち、規範と信念と価値を持ち、制度を持ち、共有された神話すらもっている、科学という社会的・文化的に作り上げられた考え方、知り方を学ぶことである。」そして、センス・メーキング(意味づける)ことを重視している。科学を学ぶためには、科学的な共同体の特徴であるセンス・メーキングに文化化されることが必要である。そして、科学的なセンスメーキングを学ぶためには、生徒が学ぶ文脈(共同体)がこのようなセンス・メーキングを反映し、サポートしなければならない。さらに、科学的なやり方、推論の仕方、話し方、価値の置き方を学ぶだけでなく、自分自身のセンス・メーキングの目的に役立つものとして科学的な談話を利用する方法を発見しなければならないというものである。これは、大切な指摘ではないだろうか。

 ・・・・・

結局、よく分からない。「談話」「センス・メーキング」がキーワードとして残ったということであろう。

ただ、理科の授業を「科学者が実践するのと同じように『科学する』こと」に変えていくことが大切である。





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最終更新日  2005.06.02 21:05:43
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