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2005.06.03
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理科の「理論」の主張の中心になるのは、「ある特定の状況の中で、科学的な見方や考え方を『道具』として獲得する(変容させる)こと」である。

湯澤正通氏は、この「状況」と「道具」について「認知心理学から理科学習への提言」の中で、次のように述べている。

 ・・・・・

 「学校知」の特徴は、「いつ」「どこで」「どのように」使われるのかがほとんどわからないことである。知識が、獲得され、使用される状況から切り離された形で存在可能な「知」と想定されている。これに対して、学校外の学びでは、ほとんどの場合に知識獲得の目的や利用可能な場面が、比較的はっきりしている。その理由は、その知識が必要な場面において学ばれるからである。
 必要な場面で学ばれた知識は、何かを説明し、予測し、行動するための道具として機能する。ブラウンら(1992)は、「知識が状況に埋め込まれたものである」ことと、「知識は道具である」ということを主張している。日常的な利用可能な知識は、ハサミやノコギリのような「道具」と似ているのである。獲得する時点で、その知識を使う目的と使用する場面がはっきりしているので、使い方を誤ることも少ない。ましてや、その知識をいつ使用してよいかわからないということはまれである。

 ・・・・・

ハサミの例がわかりやすい。たしかに、我が子がハサミの使い方を獲得するとき、何かを切る、何かを作るという状況のなかで学ばれていった。新聞紙やチラシをどんどん切っていく。我が子の意識の中にハサミの使い方を練習しているという意識は全くない。チラシを切ることがおもしろいのである。

注目すべきは、「知識は、その知識が必要な場面で学ばれる」ということである。





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最終更新日  2005.06.03 11:37:48
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