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2012.08.31
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当時、研究部長だった宮脇先生と副部長だった「わたし」は、秋田喜代美先生(東京大学)を訪ねた後、新しい校内研究のテーマの中心に「授業デザイン」を据えることを「決心」した。その後、毎週木曜にある校内研でそのことを提案するのだが、なかなか他の先生方に受け入れられない。おそらく、その度に説得しようと必死になっていただろう。

このことについて、「わたし」は2006/4/27のblogに次のように書いている。

 **********



 ・・・・・

本章では、さまざまなできごとが絡み合い、時間の流れの中で様相を変えていく、まるで生きて動いているようにみえる授業における教師の仕事を授業デザインととらえていきます。

 ・・・・・

これを読まれたある先生が、「授業が生き物のようであり、思ったとおりいかないのは当たり前である」と発言された。そして、「それは、発問が悪い、何とかするのが教師の仕事だ」と。これこそまさに「授業設計」である。しかしながら、この「思ったとおりいかない」部分を大切にしていくのが「授業デザイン」であろう。


 **********

今振り返ると、本質的な議論をしていないことが分かる。大切にするとは言うものの、「思った通りにいかないこと」を「部分」と言っている。授業の「一部分」ととらえていて、「本質」や「中心」とは考えていない。つまり、「わたし」も「いい授業」をすることが前提に考えていたのである。

ならば、「わたし」が説得できないのは当たり前である。なぜなら、「いい授業」を前提にするとき、「思った通りにいかないこと」にメリットはない。45分中、10分ぐらいの「思った通りにいかない」部分があった方が、もしかしたら臨場感はあるかもしれないが。「いい授業」は見栄えのいい発言とすっきりした終わり方を必要とする。授業デザインでは「思い通りにいかないこと」に本気になることによって、子ども一人一人、つまり「個の変容」を求める。本気で全ての「個の変容」を求めるならば、授業の終わりが「すっきり」するはずがない。

当時の「わたし」が、他の先生方を説得できないのは当たり前である。





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最終更新日  2012.08.31 12:55:02
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