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2012.12.07
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「考える子ども」(社会科の初志を貫く会)の原稿を書いた。巻頭2ページのちょっとの原稿であるが、ここで紹介する。

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小さな出来事に学び続けること

 ビデオの中の二つの出来事

 授業中にビデオを撮り、そのビデオを授業後に見返したり授業記録を起こしたりするようになって五年が経つ。この五年の間にビデオの見方や授業記録の読み方に少しずつ変化はあったものの、五年間も続けることができた理由に、ビデオを取り始めた頃に起きた二つの出来事があったことが挙げられる。その出来事とは、ビデオや授業記録から発見した子どもの事実といえるほどのものではないのだが、当時の私にとっては衝撃的であり、人から「どうして授業ビデオを撮るのか」と尋ねられるとき、この二つの出来事を話すことが多い。
 当時の私は、三年生を担任していた。それまでの四年間は、三、四、五、六年と持ち上がり、「子どもを育て、しっかりと力をつけて卒業させる」ことに自信をもっていたのだろう、四月には久しぶりの三年生担任にはりきっていたように思える。陰で二年生までの前担任の文句すら言っていたのだが、ビデオに映っていた子どもたちの姿は、そんな私を立ち止まらせてくれたことを覚えている。

 オクラを切り刻む

 まず一つ目の出来事は、理科でオクラの種まきをする前日のことである。子どもたちの栽培に対する関心を高めるために、スーパーで売られているオクラの実を一人に一個ずつ用意する。一班から順にオクラの実を配りはじめるが、子どもたちには「指示があるまでオクラの実を机の上に置いておくように」と声をかける。これから半年かけて植物の成長を学習することもあり、実の不思議さを実感させるために「まず、形をよく見て」「次に、指で触った感じは」「においも」「振ったときの音は」「最後に、ハサミで実を切り、中の様子も観察しよう」と指示しようと考えていた。オクラの実を切ると、中から白い種がたくさん出てくる。明日、種まきする黒い種と比較させるつもりだったのである。
 すべての班にオクラの実を配り終えた直後、いざ子どもたちに指示しようとしたとき、一班にいるとしおくんの手元が目に飛び込んでくる。なんと、筆箱に入っていた定規を包丁の代わりにし、つい先程配ったオクラの実を切り刻んでいるのである。もちろん、私は大きな声で注意をした。そして、無残な姿になったオクラの実を取り上げる。「指示されたとおりにするように」と念を押して予備のオクラの実を渡すものの、その後、としおくんは机の上に置いたオクラの実を見つめるだけで、私が指示する観察は全く行わない。私も「反省しろ」という意味を込めて、その後のとしおくんには一切声をかけなかった。
 しかし、授業後にビデオを見ると、そこに映っていたとしおくんの姿は、授業中に私が見たものとは全く異なるものであった。としおくんは、一番にオクラの実を受け取ると、いろいろな方向に実を持ちかえながら、真っ先に「形」を観察する。隣の友達に「五角形」「ロケット」と話しかけている声も録音されていた。次に、「毛、毛」とつぶやきながら実の表面を触り、においを嗅いで変な顔をする。そして、実を耳の横に持っていって振り、「中に何か入っている」と実を定規で切りはじめたのである。なんと、私がだらだらと余計な指示をしながらオクラの実を配っていたわずかな間に、私がしてほしかったことの全てを、私が予定していた順に終えていたのである。私は、その最後の場面だけを目撃し、「教師の思いもわからない、自分勝手な子ども」と決めつけてしまったのである。ビデオを見終わった後、としおくんの観察カートを見てみると、「オクラの種は黒くない」と書かれていた。




 二つ目の出来事は、「オクラ事件」の二週間後に起こる。同じ理科の授業であるが、モンシロチョウのたまごを観察していたときのことである。授業がはじまって約二十分が経ったとき、観察の途中にだいすけくんが嘔吐してしまったのである。連休明けの疲れと急に暑くなったこともあり、体調を崩す子どもも多く、私自身、もっと子どもたちの様子に気をつけておけばよかったと反省した。子どもたちにとって、昆虫の飼育や観察は興味のあることであり、授業中、どの子どもも楽しそうに観察していた。きつい中にも、だいすけくんもがんばって観察していたのだと思ったのである。
 その日の放課後、この授業のビデオを見る。すると、そこには授業のはじめから顔色が悪く、何度もおなかを押さえて苦しそうな表情をするだいすけくんが映っていた。そして、「やっぱり。どうして気づいてやれなかったのだろう」と思った瞬間のことである。なんと、私は「だいすけくん、大丈夫?」と声をかけているではないか。それも、二回も。二回目に「大丈夫か」と声をかけてしばらくして、だいすけくんは我慢しきれなくなって吐いたのである。「気づかなかった」のではなく、「気づいていたけれど忘れていた」のである。
 そのときの私にとって、子どもの体調より、それほど授業の進行の方が大切だったのだろうか。朝早くからキャベツ畑に出かけ、何とか集めることができた二十個のたまごの方が大切だったのだろうか。

 小さな出来事に学び続けること

 教職について十九年目になる今年、はじめて担任から外れた。理科と図工を中心にいくつかのクラスで授業をしているものの、何か寂しさのようなものを感じながら一学期が過ぎた。朝の会もない、給食もない、学級通信を書くこともない。だから、子どもとの距離が遠くなった、と勝手に考えていたのではないか。おそらく、その間にもたくさんの「小さな出来事」が起きていたのだろう。この原稿を書くことによって、また「二つの小さな出来事」を思い出すことができた。





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最終更新日  2012.12.09 03:39:10
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