授業研究のあしあと

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2013.08.28
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カテゴリ: その他
夏休み中に、全国の多くの先生方と話をする機会があった。その中で、「どうして附属では『学び』を中心にした研究に取り組まないのか」さらには「附属で『学び』を中心にした授業研究ができるのか」という質問をいくつか受けた。ここでの「附属」とは国立大(特に地方の)の附属学校のことであろう。もちろん、それぞれの附属で状況は異なるのだが、私は「附属だから」「附属でも」としか答えることができなかった。

附属学校園の使命の中に「研究」は位置づけられているのだが、附属の授業研究(校内研究)は公立学校とは異質なものなのだろうか。

奈須正裕先生(上智大学)は、「子どもと創る授業 学を見とる目、深める技」(ぎょうせい 2013)の中で、「附属学校」について「リッパ過ぎる研究からの脱却」として次のように書かれている。

・・・・・

 ところが、その厨房の風土たるや惨憺たるものであることがままあって、これは実に深刻な問題だと、僕は以前から考えてきた。
 最大の理由は、リッパな研究をしなければならないという使命感。いや、それ自体は大事なことなんだけど、問題はその内実だ。
 僕ら教育学者にも理解不能なほどに複雑で斬新な理論をでっちあげ、さらにその理論に授業の事実の方を強引にあわせた結果、日常とはかけ離れたとってもスペシャルな授業がてんこ盛りの公開研。これはいけない。
 なぜって、授業ってそんな風につくるものじゃないから、それはそれは校内の先生方に無理を強いている。創造において無理がいい結果を生むはずもなく、授業はズタボロになっていく。実際、普段の授業はいいのに、公開研の授業はゲテモノ、キワモノという附属小は多い。

 ・・・ (中略) ・・・



 ・・・ (中略) ・・・

 理論編を大幅にダイエットしたことで、授業づくりと研究推進のよりどころは、実質的に目の前の子どもの事実と教師の願いの二つだけになった。

・・・・・

授業づくりと研究推進のよりどころは、分厚い理論や目新しさではなく「目の前の子どもの事実」と「教師の願い」。やはり、「附属の研究会では公立の先生方への『お土産』が必要」という考えを見直す必要があるのだろう。





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最終更新日  2013.08.28 14:23:02
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