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2013.11.19
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カテゴリ: その他
先日、ある先生と話をしていたときに「教え合いと学び合いの違い」のことが話題になった。以前、このblogでも「『教え合い』ではなく『学び合い』に」と書いたが、ちょっと視点を変えあらためて考えてみる。

「教え合い」と「学び合い」は、「教える子ども」と「分からない子ども」のどちらが主導しているかという違いで考えることができる。「教え合い」は、「教える子ども主導」であり、「学び合い」は「分からない子ども主導」である。(「主導」ということばが適切かどうか分からないが、「教師主導」とよく使うのでイメージがしやすいので。)

教師主導の授業もそうだが、「教え合い」では、教える方は「分かった?」という確認を繰り返すことになる。それに対し「学び合い」では、分からない方が「どうして?」と分かるまで(納得するまで)問い返す。このことにより、「学び合い」では、教える子どもは分からない子どもの思考を辿り、つまずきを見つけなければならなくなる。その途中で、説明していることの意味を問い直したりや自分自身の考えの飛躍や矛盾にも気づいたりするだろう。

また、相手に合わせて説明をつくり替えなければならなくなる。たとえば、分かりやすくするために「たとえ」を使った説明も必要になるだろう。しかし、そのたとえが説明したいこととピッタリと合うわけではない。ピッタリと合わないことを前提に、整合性をもたせながら説明することになる。このことは、教える方の考えを深めることにつながる。

さらには、複数の相手に説明しようとしたとき、同じたとえが使えるとは限らない。多くの場合、一人一人に合わせてたとえを選び、説明をつくり替えなければならないだろう。(余談だが、トゥールミンモデルで考えると「理由づけ」の質が高まることにもつながるのだろう。)

こう考えると、学び合いで得をするのは、より考えが深まる教える方である。

では、教師である私はどうか。毎日40人の子どもたちの「わからない」の中で授業しているのだから、どんどん考えが深まり、より「わかった」という状態に向かっているはずなのだが。そういう実感がないということは、まだまだ教師主導の授業をしているのだろう。





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最終更新日  2013.11.19 12:10:10
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