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庭のミニバラ・・・もう枯れてしまったかと思っていたら、今朝、ピンクの花が3つ愛らしく咲いていた。天気は何となくしっくりしないが、ミニバラのお陰で明るい気持ちで仕事へ出かけた。夕方、帰宅してテレビをつけると、朝の晴れやかな気持ちが一転した。イラクで人質になっていた香田さんが殺害された、というニュースが流れていた。心が痛みます。なぜ?戦争が必要なのか?なぜ?戦争は繰り返されるのか?人の命を犠牲にするものが、正当化される理由はないと思います。過去の時代に繰り返された戦争で、人のため世界のために良かった事は、果たしてあったのでしょうか?今でも過去の戦争が原因で、国と国、人と人が仲たがいしています。何処かで、その憎しみの気持ちを排除しなければ、戦争はいつまでも、繰り返されるでしょう。過去の戦争で殺された者が、現在の戦争でその相手を殺す。今世で勝利を得たと喜んでいても、必ず未来の時代で、憎しみを持ち続けた相手に殺される。その繰り返し・・・今こそ勇気を持って、人や国を許すことが必要だと思います。人を許すことが敗者ではありません。今、自分に起こっていること・・・憎しみを感じる事は、実は過去に自分自身が相手にしてきたことです。人を許すことは、自分自身の過去を反省し自分をも許すことです。その憎しみの気持ちをなくすことは、借りを来世に持ち込むことがなくなりますので、自分自身が幸せになります。今、戦争だけでなく、虐待や簡単に人の命を粗末にする事件が多くなっています。憎しみを持ち続けた人間が、子供を育てていることに原因のひとつがあるように思います。一度与えられた苦しみを、「許す」ことは言葉で言うほど簡単では無いかも知れません。でも、勇気をもってそれをしていかないと、結局はいつまでも自分自身が苦しむのだと思います。この地球上から、戦争がなくなることを願って止みません。
2004年10月31日
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朝から冷たい雨が降っています。実に約1ヶ月ぶりに家にいます。子供たちはこんな雨にも関わらず、上の二人は出かけてしまいました。(きっと、帰りは駅まで車で迎えに来て・・・と呼び出されるのでしょう・・・)末っ子と二人で家でのんびりしてました。お昼のご飯を食べようとしたら、末っ子が「ちょっと待って・・・」と言います。何かな?と思ったら、お皿の下にランチョンマットを敷くと言うのです。普段は使ったことがないのに・・・で、食べながらそのマットが気になるのか、「ママ~、マットが曲がってるからお皿どけて・・・」「ママ~、そこは私の場所だから、入らないで・・・」挙句の果てに、「マットがきたなくなるから、しまっちゃう・・・」なんだか、落ち着いてご飯を味わっているヒマがありませんでした。でも、末っ子のあ~でもない、こ~でもない・・と言いながら、うろうろする姿がなんともかわいくて、微笑ましいひと時でした。昼食後、2階の部屋で片づけをしていたら、下でバタバタ、扉を開け閉めする音が、勢い良く聞こえます。・・・末っ子の声が「ママ~、何処にいるの?」トイレとお風呂場のドアを開いて、私を探しているようです。・・・私が見えない時は、トイレかお風呂場という発想がなんともかわいいじゃないですか?その後、細かいおもちゃを片付けるのに、ビニール袋にまとめたら?と、末っ子にビニール袋を渡しました。で、しばらくして、末っ子が静かなので覗いてみたら、なぜか?ビニール袋を頭にかぶって、テレビを見ていました。ん~、深い意味はないのでしょうけど、なんだか、かわいくてくすくす笑ってしまいました。あっ、そう言えば、この末っ子は時々朝、起きる時に目を開ける前に、いきなり歌いだします。今朝も、そうでした・・・「どんぐりころころ、どんぶりこ・・・」決して途中で歌をさえぎってはいけません。最後まで、歌い終わると満足そうに目を開けます。ちなみに、途中の「どじょうが出てきて、こんにちは。」のところが、「おじょうが出てきて・・・」となるので、これもまたかわいいのです。さ~て、この子は誰に似たのでしょうか?私は、「兄や姉に似た!影響された!」と言うのですが、兄、姉いわく・・・「僕たちを生んだのは、お母さんでしょ!」子供の日常って、常識にとらわれないのでステキですね。
2004年10月30日
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空が暗くなりかけた頃、真っ赤な丸い大きな月が現れました。もし、願いが叶うなら・・・そんな想いで月を眺めていました。新潟の大地震、イラクの人質事件・・・そして、自分自身の無力さ・・・心の痛む毎日を過しながら、ただひたすら祈るしかありません。人の命は尊いものです。この真っ赤なきれいな月は、こんな現状をどう想って夜空を照らしているのでしょうか?そして、また無情にも朝が来れば太陽は昇ります。人々の悲しみや苦しみが、少しでも癒されますように・・・
2004年10月28日
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子供たちが見ていた、「トリビアの泉」を何とはなしに聞いていて、ふと振り向いた・・・ピーターパンのネバーランドに子供しかいないのは、成長した子供たちをピーターパンが殺しているから・・・実際、原作ではそうなっていました。なんかショックです。夢のある話だと思っていましたが、原作は大長編らしいですが、実際どんな話なのでしょうか?絵本のピーターパンは、とても愛らしい顔をしていますが、なぜ、人を殺す話になっているのでしょうか?それを聞いていた娘が、「なんで、殺さなくっちゃいけないんだろう?大人になってネバーランドにいられなくなったら、ネバーランドの外へ出してあげれば、それで済む事なのにね・・・」と、言ってました。ま、原作のほんの一部を聞いただけなので、なんとも言えませんが、ちょっとショックな真実でした。
2004年10月27日
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昨日のこと・・・日々の疲れがたまり、仕事から帰ってきたら、ちょっと貧血気味でした。でも、子供たちの夕飯を作らなければならず、帰宅しても座って休む暇もありませんでした。夕飯の仕度を済ませ、ますます体調が悪くなったので、急いで、末っ子をお風呂にいれました。さて、夕飯を食べる時になって、頭がくらくらしてきたので、少し横になりました。気が付くと少し、眠っていたようです。と、すぐそばに末っ子が座っていました。「ママ、元気でた?ご飯を食べなさい。明日は元気になってね。」と心配してくれました。そして、懸命に笑顔を作っているのが痛いほど分かります。きっと、私が先に寝てしまったので、なんとなく不安だったのでしょう。で、私が「少し良くなったよ。」と気のない顔で返事をすると・・・まだ、作り笑顔を続けるのです。私が、ニコッと笑顔を返すと、安心したように、本当の笑顔が戻りました。いつものように、まとわりつくこともしないで、私を静かに休ませてくれる優しい気持ちに触れました。そんな子供の優しさに癒されたお陰で、今日は貧血も治り、また仕事へ行くことができました。超ミネラル水を飲み始めるようになって、体全体がバランス良く機能するようになった気がします。以前は、貧血気味になると、1~2日は寝込むことが多かったことを考えると、体の回復も早くなったようです。気持ちと体の両方が、上手く作用していないと、健康は保てないのですね。
2004年10月26日
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家族が、てんでバラバラの過し方をしている・・・静まり返った家の中で、一人でパソコンに向かっていたら、ふと、この不思議な空間に思いが及んだ・・・私は朝から3時頃まで仕事。一番上の子供は、部活。真ん中の子供は、友達と遊びに行った。末っ子は、私が仕事中、おばあちゃんと留守番。で、私が帰宅後、主人が仕事へ行った。○十年前、結婚して家庭というものをもった時は、たぶん、こんな生活を思い描いてはいなかったと思う。と言うより、ホントのところ、今もこんな生活を望んではいない・・・かといって、今の生活が不幸だとか、楽しくないだとか、そんな風にも感じない。考えてみれば、要所要所では、自分の夢を叶えてきたではないか・・・自分の店を出すこともできました。子供も3人、生まれました。新しい仕事も見つかりました。それとは反対に、思いもよらぬ難題が降りかかってきたことも、しばしばありました。悩み、考えてもなかなか答えが見つからず、八方ふさがりの状態の時もありました。今までの人生を思い返してみると、確かに順調にことが進んでいる時は、楽しいし幸せを感じます。思いもかけず難題が降りかかった時は、苦しいし、なんで自分だけこんなに不幸なんだろうって、感じます。けど、振り返った時、自分がひとつ成長したな・・・って思える時は、その難題にぶつかった時のほうが多いような気がします。そして、そこから学んだ大きなことは、自分に降りかかってくることは、良い事も悪い事もすべて自分が望んでいること・・・なんだってことです。自分にとって意味のあること、必要なことだから、実際に起こっているのだということです。・・・そう考えると、今のこの生活もまんざらではない気がしてきます。要は、気の持ちようで、現状は変わらなくても、人生楽しく過すことができるのかも知れませんね。
2004年10月24日
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先々週から新しい仕事を初め、拘束時間が長くなりました。そのうえ、土・日は毎週のように学校や保育園の行事が重なり、ここ何日も体を休める日がありません。と言うわけで、今日はお疲れ気味の朝でした。でも、寝ているわけにはいきません。今日も娘の学校の文化祭があります。お昼のお弁当を朝から作り、文化祭ではPTAのバザーを担当します。今日もまたゆっくり休めないなぁ・・・そんな気持ちの朝でした。でも、文化祭で心も晴れました。子供の成長を肌で感じる事ができました。一年前は、人前で話すことなんて考えられなかった娘。今日は、大勢の前でマイクを使って、演技の紹介をしていました。そして娘の通っている養護学校のいいなぁと感じるところは、文化祭や運動会に、大勢の卒業生や離任された先生方が見に来てくれるということです。それだけ、ひとりひとりが密に関わりあっているのだと思います。卒業生も在校生も小学生も中学生も、ひとりの人間として関わりあえるからこそ、その関係は長く続くのだと思います。養護学校を卒業した後の事を心配する保護者が多い中、同窓会などで、その後の交流や情報交換ができることも心の支えになっていると思います。そんな人の心のあたたかさに触れ合えたことで、お疲れ気味の気分も癒されました。
2004年10月23日
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丁度、仕事の帰宅時間、台風の雨風が激しくなってきました。急いで子供を保育園に迎えに行きました。台風と秋の長雨で、今年は園児達が楽しみにしている“さつまいも掘り”も予定通りに行く事ができず、何度も延期になっていました。先日、お迎えに行くと、「今日、晴れていたので、急遽さつまいも掘りに行ってしまいました。」と保育士さんの連絡でした。「あら、うちの子長靴準備していなかったけど・・・大丈夫でした。」「そうなんですよ。やっぱり運動靴だったので、なかなか土の中に入れず、お芋堀ができませんでした。でも、最後に何とかお芋を手にする事ができましたよ。」たぶん、そうだろうなぁ・・・とは思っていました。案の定、帰宅途中子供は「なんで、私の長靴はなかったの・・・」と、ちょっと悲しそうに聞いてきました。「ごねんね。ママ用意してなくて・・・でも、予定の日より早くお芋堀をすることになったから、長靴もってなくても、大丈夫だったんだよ。間違えたんじゃないから、大丈夫だよ。」と言うと、少しほっとしたようでした。運動靴だから土に入れなかったんじゃなくて、たぶん、子供はみんなと自分だけ違ったのがきっとイヤだったんだろうと思います。そんな事があったので、何となく子供の様子を気にしていました。また台風が来ると言うので、何となくイヤな気持ちがしてました。でも、今日はお迎えに行くと「丁度今、いす取りゲームが終わったところです。お子さんは、一番最後まで残ったので、上機嫌ですよ。」と言う保育士さんの連絡でした。ニコニコ顔で飛んできた子供の顔を見て、私も気持ちが楽になりました。それにしても、今年は台風の直撃が多いですねぇ。
2004年10月20日
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日中を工場内で過すようになって、太陽に当たる機会が少なくなった。まして秋雨で太陽の出る日が少ない今日この頃・・・太陽の出ている日は、そのありがたさが余計身にしみる様になりました。夕方、帰宅途中、真っ赤な夕焼けがキレイでした。ほんのわずかな時間でも、そんな自然の神秘に出会えた事、とても嬉しく思いました。で、子供を保育園に迎えに行く車中、一日のうち、子供と触れ合える時間は少ないけど、その時間を大切にしようと改めて感じる事ができました。世の中には、ほしいもの・・・たくさんあります。でも、多ければ多いほどいい・・・と言うわけではないような気がします。必要なだけあれば、それでいいのかも知れません。量的にも、時間的にもわずかであっても、それをどうやって使うかによって、その価値は、きっと違ってくるのだと思います。ほんの少しでもあることに、感謝しよう・・・
2004年10月18日
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今朝は天気が良いと聞いていたので、「よ~し、布団を干して洗濯たくさんするぞ~」と、勢い込んで起きました。ところが、ちっとも太陽が顔を出しません・・・おまけに、寒い・・・もう、冬なんだなぁ・・・と感じながら、なんとなく風に当てようと、洗濯物を外へ出しました。午後からは、近くの文化会館で幼児向けのコンサートがあり、子供と一緒に楽しんできました。子ども向けの曲ばかりとは言え、生ギターでの演奏と歌は、とても心が安らぎました。末っ子には、毎日保育園で過してもらっている分、今日一日は、二人っきりで楽しめたので、私も嬉しくなりました。それに、楽しい手作り(?)のマラカスのお土産付きでした。う~ん、なんだか何倍も得した気分・・・展示場には、娘の描いた「わたしの顔」という絵が展示してありました。確かに雰囲気が、娘そっくりです。我が子が、こんな絵を描くなんて、初めて知ったような気がします。私には持っていない才能(?)です・・・さ~て、夜も大分冷え込むようになってきました。今晩は、あったか~いおでんでも食べましょう・・・
2004年10月16日
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今週から、仕事が変わって朝が少し早くなりました。今朝は久しぶりに、真っ赤で大きな太陽を見ることができました。気持ちも何となく、晴れ晴れとしています。いつまでも干したままの洗濯物が、乾いてくれたのもうれしいです!私の環境変化で、子供たちも少しずつ頑張って朝を迎えてくれています。養護学校の娘は、朝がとてもとても苦手です。なかなか時間までに起きられず、今までは私が車で学校まで送っていました。でも、私の仕事が変わった事で送る時間がなくなりました。娘も頑張って、朝を自分の力で起きて、自分の足で学校まで通ってくれるようになりました。帰宅しても疲れた様子もなく元気でいてくれるので、それが何よりも私の励みになります。保育園の娘も、これまた朝寝坊者です。今までよりも1時間近く早く、保育園に連れて行くようになりました。朝は、起こしても起こしても目が開かず、すぐゴロッと横になってしまうのですが、ギリギリの時間で起きてくれて、短い時間で準備完了!保育園で別れる時は、少し「ママ~、行かないで~。」と玄関口まで追いかけてきますが、玄関で悲しそうな顔で、「バイバイ」をしてくれます。後ろ髪をひかれる思いで仕事へ行きますが、帰りにお迎えに来た時、そ~っと娘の様子を覗いてみると、笑顔いっぱいで、楽しそうに遊んでいます。普段、当たり前のようであまり気にしなかったけど、子供たちが健康で、笑顔で毎日を過してくれること・・・かけがえのない幸せだなって、改めて感じました。家計を支えるためとは言え、私の勝手で朝の環境を変えてしまったこと、とても申し訳なく感じています。子供たちに私はいつも助けられているんだなぁ・・・ってしみじみと感じる今日この頃です。
2004年10月14日
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でした。ま、職場は近いし、キレイだし、空調設備も整っているし、静かに仕事ができるので、満足でした。仕事内容は、初めてでもそんなに苦労しないで出来るので、良かったです。けど、細かいものを扱うので、気を使ってないと、あれあれ・・・と違う場所へ落っこちてしまう。「誰でも初めはそうですよ。」と慰めてもらいましたが、気力、集中力が最後の方は散漫になってしまうのは歳のせい?これからは土・日をしっかり休めるので、子供との触れ合える日を楽しみに平日を無理せず、焦らず、怠らず過したいと思います。
2004年10月12日
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7年半パートで勤めた職場を、今日で退職することになりました。生活の変化に伴い、職場を変えることに決めました。7年半前からず~っと一緒に働いてきた方には大変お世話になりました。その方は私の母親と同じぐらい歳が上の方なのですが、なぜか気が合って、私もず~っとため口で話させてもらっていました。7年半の間にはいろいろ、ありました。強制解雇もありました。(その後、復帰できましたが・・・)その方には、お孫さんが生まれました。私には、第3子が生まれました。お孫さんと私の子供が同じ年で、良く子育てについて話しました。出産、育休の際は、その方に仕事を負担してもらって大変、お世話になりました。時々、子供を仕事場へ連れて行くと、アイスクリームやお菓子を買ってもらいました。娘が不登校になった時も、いつも励ましてもらいました。子供のことで仕事を休まなくていけない時も、快く引き受けていただきました。ご自分の畑で育てた、たくさんの無農薬野菜を分けてくださいました。新鮮な野菜を美味しくいただきました。どういう訳か、夫に共通の悩みがあり、良く二人で愚痴をこぼし合って、ストレスを発散してました。心残りは、その方とお別れすることです。どうか、健康にはくれぐれも気を付けて、楽しく元気な日々を過されますことを、心よりお祈りしております。毎日、ご飯を食べに来てくれた猫のミィ~ちゃんと子供たち・・・今日でご飯を上げられるのも最後です。どうか、元気に暮らして下さいね♪
2004年10月11日
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朝から台風22号の影響で、強い雨降りの日でした。夕方の2時間ぐらいの間、風も強まり、家がガタガタと揺れているようで、とても恐怖でした。あちこちで被害も出ているようで心配です。一日も早く復興されますことを心よりお祈りしています。さて、我が家も一日家の中に缶詰状態でした。土曜日で子供たちも学校はなく、私も仕事は休みでした。息子が部活動の練習があったのですが、中止になりました。私は、いつものように朝6時前に目が覚めたので、一通り家の中のことをやりました。が、子供たちが誰一人起きてこない。こんな天気じゃ、掃除をする気にもなりません。えぇ~い、また寝ちゃえ・・・って感じで、末っ子の布団の中にもぐり込みました。しばらくして目が覚めた時、私より早く目が覚めた末っ子の笑顔が私の顔の前にありました。「ママ、起きたの?」どうやら、寝ている私を起こさず、起きるのをじ~っと隣で待っていたようです。「おはよう!」と言う私に、末っ子は飛びついてきました。よっぽど、うれしかったのでしょう。考えてみれば、普段隣で寝ていても必ず私のほうが早く起きてしまうので、末っ子が目覚める時は、私は隣にいません。それが習慣化していたので、なんとも感じていませんでしたが、今日のようにのんびり、隣同士で目が覚めて、布団の中でしゃべったり遊んだりできることは、とても安らげますね。その後は、特に何をするではありませんが、末っ子の先導で歌を歌ったり、しりとりをしたり、そのたびに、末っ子の言動に兄、姉も吹き出して笑ったりして、それなりに楽しい日を過しました。時には、こんな日も必要でした~。思わず、台風が我が家に幸せをもたらしてくれました。何よりも、私自身の心が安らぎ、体の疲れが軽減した一日でした。
2004年10月09日
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朝から、ぬける様な青い空・・・そろそろ半袖では、寒い朝になりました。澄んだ空気・・・富士山もその体を堂々と見せてくれています。まだ、頂上にも雪はなさそうです。朝からプチドライブをして、気分爽快で帰宅しました。来週から新しい職場に勤務が決っており、平日の休みは今日が最後になります。と、思うと・・・何だか部屋の汚れが気になり出しました~。「よ~し、やるか~」と気合を入れて始動開始!まずは部屋中のものを洗濯しました。タオルケット、座布団カバー、枕カバー、シーツ、キルケットカバーなどなど。たくさん洗っても、強い日差しですぐに乾きました。丁度、衣替えの時期で思いもかけず、整理整頓できました。部屋を見渡すと、気になるのは子どものおもちゃ・・・おもちゃ箱には入りきらず、はみ出している物がたくさんあります。部屋に掃除機を掛ける時、いつもバタバタ下に落ちて面倒な思いをしてました。思い切って捨てられるものは、捨ててしまおうと思いました。うん、すっきりしました。結局なんだかんだ、朝から夕方までかかってしまったけど、普段、妥協しながら片づけをしていたので、たまには思いっきりやって、すっきりしました!心地よい疲れです\(^o^)/
2004年10月07日
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人がこの世に生まれて来る時、自分で父親、母親を選び、自分自身の体も選び、妊娠4ヶ月頃、天から魂が降りてくると言われています。天から降りてくる魂は、人間としてこの世に生まれて来るのにふさわしい合格した清らかな魂ばかりです。その魂は、過去世でやり残したこと、借りたままになっている課題を今世で成し遂げるため、様々な人生設計を立ててきます。清らかな魂が立てる計画ですから、人間のため、地球のため、宇宙のためになる計画を立てます。もし、人が生まれて今世での人生計画をきちんとこなす事ができれば、幸せな人生だったと笑って死んでいくことができるのだと思います。しかし、たいていの人は、おぎゃ~と生まれたその瞬間に自分が立てた人生計画や、過去世をすでに忘れてしまっています。そして、周りの環境や周りの人の様々な言動に左右され影響されて、自分の人生を模索し、悩んで生きていきます。また、それも人生だと思えば、それでいいのかも知れません。過去世なんか忘れてしまっているからいいのだと、言われる方もいるでしょう。でも、そのために自分自身や他人を苦しみに落とし入れ、不幸な人生を歩み、悲しみながら死んでいくことをあえて選ぶことはないと思うのです。人が過去世や魂の記録を忘れる原因は3つあると言われています。ひとつは、『胎教』です。妊娠中の母親の心はすべて、お腹の子どもに通じています。良い思いも、悪い思いもです。母親が将来この子は医者になってほしい・・・と思ったその思いは、果たして母親の勝手な思い込みなのか、子どもからのサインなのか、心を澄ませて感じとることが大切です。ふたつめは、『産みの苦しみ』です。子どもを生む母親の苦しみや恐怖心は、子ども自身にも通じます。逆に母親が穏やかな気持ちで出産に望むことができれば、子どももすんなりと生まれてきます。お産のメカニズムをちゃんと勉強し、お産は、医者や母親が主役ではなく、赤ちゃん自身の生まれる力が主役なのだと信じることです。三つめは、『5歳までの育て方』です。ちまたにあふれている育児のノウハウ、育児玩具、育児衣料などなどの情報をきちんと把握し、どれを選択すれば良いのか吟味することです。基本は、その情報は「誰のために良いのか」です。母親が楽だから・・・?医者やメーカーが良いとすすめるから・・・?一番肝心なのは、「赤ちゃんのために良いのか!」と言うことです。育児に悩んだ時、自分自身の生き方に悩んだとき、経験者に相談したり、本を読んだりするのも、もちろん、ヒントになると思います。でも、人の悩みは、人それぞれです。解決の糸口は、結局自分自身にあるのだと思います。心を澄ませてみると、案外答えが見つかるかも知れません。自分自身の心の中から湧き出てくるもの・・・子どもがサインを出していること・・・それを素直に受け入れることから初めてみませんか?これは、もちろん私自身への応援歌でもあります♪
2004年10月06日
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女性であるが故の、最高の幸せは自分の子どもが、「子ども自身の魂の記録通りに育ってくれる」ことではないかと思います。女性であっても、今世では子どもを育てないと選択してくる人もいると思います。自分だけの子どもを育てるのではなく、広く多くの人々を救う使命を持って、聖職につかれる方もいると思います。また、子どもを授からない人の苦しみを分かち合い、その苦しみを乗り越えるために、子どものできない体を持って来られる方もいると思います。女性自身が自ら切望して、生まれてきた子どもはもちろん、そうではなくて、たまたま授かってしまった子どもでも、たとえモラルでは認められない子どもであっても、女性は育児を負担と思わず、楽しいものだと感じて育てることが必要だと思います。女性が新しい命をお腹の中に感じた時、「生みたい」と思ったその直感こそが、何ものにも変えられない、女性自身の魂の記録なのだと思います。そしてまた、たとえ悪い環境のもとに生まれてきた子どもでも、それは子ども自身が魂の記録として、選択してきたことなのだと思います。なぜか、この世では、子どもが社会的に不祥事を起こした時や問題を抱えた時などは、父親より母親にその責任の目がそそがれ、母親はより負担を感じ、悩みを抱えるという状況に追い込まれる・・・と思うのは、私の偏見でしょうか?(すべての男性がそうだとは言いませんが・・・)男性はともすると、育児を放棄してしまうこともできます。しかし、女性はなかなかそんな心境にはなれません。たとえ、どんなに世間から冷たい目で見られようが、心の何処かで、自分の子どもを救おうと懸命に悩み苦しみます。やはりそこには、子どもを自らの体内で育て、この世に送り出したと言う責任と愛情がより強く、女性の生き方の一部として自然に備わっているのだと感じます。ですから、子どもに愛情を持ってりっぱに育て上げると言う事はその逆に比べて、女性自身の負担や悩み、苦しみを減らししいては女性自身の幸せにつながるのだと思います。女性自身にも自らの生があり、仕事と育児の狭間で悩み、苦しむ日々の連続です。この世では、仕事も育児も同時進行していますが、私には同じ次元で考えてはどうにもならないもののように思えます。この直感的に感じることを、言葉でどう表せばいいのか分かりませんが・・・子どもを育てるということは、常に「人間って?」を自問自答し、模索していくことなんじゃないかな・・・と思うのです。私自身、もし今子どもを育てていなかったら、たぶん、「魂の記録」にも気付いていなかったと思います。育児を通して、自分自身のことでいろんな気付きがありますね。まさに、育児=育自だと思います。
2004年10月04日
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世の中には、なぜ男と女がいるのでしょうか?時折、そんなことが不思議に思えたりします。後世に子孫を残すため・・・?ならば、なぜ神様は男と女でなければ、子孫を残すことができないようにされたのでしょうか?同一性では、子孫はなぜ残せなかったのか・・・?(歴史には詳しくありませんが・・・)日本では昔から、男と女の社会的地位の違いがありました。今ようやく男女同権の法的整備が整い、家庭での育児においても、男女共同(協力)が言われるようになりました。それで、果たして男と女・・・人は幸せになってきたでしょうか?世の中に、男と女がいることは、単に子孫を残すためだけでなく、もっと深いところ、もっと人間の本質のところで違う役割があるのではないかと思います。女性が妊娠し、自分のおなかの中にもうひとつの生を育む時、もうひとつの人格が同時に存在することになります。けれども、たいがいの女性は妊娠によって、二重人格になるようなことはありません。これは、女性の体と心が妊娠に耐えれるようになっている男性とは決定的に違うところだと思うのです。その女性の特性は、その後の育児や家事においても継続して存在するのだと思います。昔から、家事や育児の中心は女性でした。女性には、妊娠でふたつの生と人格を共存できたように、日常の生活においても、ふたつ以上のことを同時に考え、行う力が備わっているのではないかと思うのです。(男性に比べて・・・)これは、あくまでも私の経験と私の周りで良く聞く話し・・・という狭い見解ではありますが。夜中に子どもが突然泣き出したとき、母親はすぐにその声に気付き飛び起きますが、父親は、気付かずに眠っていた・・・なんてことありませんか?母親は、仕事と家事と育児と3両立をなんとかこなそうと毎日、試行錯誤をしますが、父親は、どれかひとつだけしかこなせない・・・思考錯誤する以前に、ひとつのことしか思考できない・・・って感じたことはありませんか?いくら家庭の中で、男女平等、男女共同を叫んでも、人間的な本質が違うのであったら、難しいことなのではないでしょうか?それは、男性が育児や家事に参加、協力することを否定することではありません。まして、女性が社会に進出して男性の中で同様に働き、活躍する事を否定することでもありません。(私は女性の立場で話しますが・・・)もし、家事や育児の場面で、夫の理不尽さを感じた時は、男性とはそう言うものだと知っていたほうが、女性自身が幸せになれるのではと思うのです。男だからと「諦める」気持ちを持つのではありません。「許す」のです。もともと、女性よりは家事や育児に適した特性を持っていないのに、それでも協力し、手伝ってくれている・・・その部分を認めることで、できない部分を「許す」ことができると思うのです。よ~く、考えてみると、女性である自分自身には不得意な部分を男性である夫は、補ってくれていることに気付くはずです。この世に、男と女が存在すること、それを全く無視しては、人としての幸せはないように思います。
2004年10月03日
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人が日々の生活を重ねていくと、様々な感情が湧いてきます。「不満」「怒り」「ねたみ」などはものすごくエネルギーを必要とします。体にとっては、それが労力となり、負担になり、不健康になります。「感謝」「思いやり」「喜び」などは、自然に湧き出てくるパワーです。自分自身も健康でいられるばかりでなく、周りの人にも、あたたかいパワーをもたらします。前者が増えれば、後者が減り、後者が増えれば、前者が減ります。ならば、いつも「感謝、思いやり、喜び」の気持ちをもてるようになれば、人は健康で幸せな生活が営めます。しかし、それが言葉で言うほど簡単なことではありません。いいんです。できなくても・・・完璧ではないから、こうやって人間として生きているのですから・・・でも、「不満、怒り、ねたみ」の感情が湧いてしまったとき、自問自答をしてみて下さい。「なぜ、自分はこんな目に遭うのか・・・?」と。例えば、大金を貸したのに相手が返してくれない時・・・例えば、夫婦であるのに、浮気をされて離婚問題になった時・・・例えば、姑さんに、ものすごく意地悪な扱いを受けている時・・・今は、あなたには罪もなく、とがめられる理由もないかも知れません。しかし、過去の世で、あなたはその相手に貸しをつくったままにしています。今、あなたが受けているひどい仕打ちを過去の世で、あなたが相手に同じようにしてきています。その借りを、今逆に返されているだけなんです。今の苦しみが耐えられないものなら、貴方が過去に与えてしまった苦しみも、相手の人には、耐えられないものであったはずです。この広い地球の中で、生きている間に巡り会う人はほんのわずかです。やはり過去に因縁のあった人に、再び遭っていると思うのが道理ではないでしょうか?人が幸せになるためには、その「不満、怒り、ねたみ」のエネルギーを「感謝、思いやり、喜び」のパワーに変えることです。それには、今自分に起きている、耐え難い状態を受け入れ、相手を『許す』ことです。「諦め」ではありません。諦めでは、いずれ思い出します。『許す』ことは、自分にとって不利、損に思えますか・・・?自分のしてきたことを涙を流して反省し、そのことを教えてくれた相手に感謝することができれば、自分の魂の浄化になります。自分が過去でしてきたことを許し、相手をも許すことは、過去からの因縁を「忘れ」「断ち切る」ことです。ここで「断ち切る」ことをしないと、この世で運良く、ことを免れたとしても、次の世でまた、同じことの繰り返しです。どんなに法が整備され、医療や文明が進歩しても、人の心が変わらなければ、人は幸せになれず、世の中の平和も訪れないと思います。苦しい時、辛い時・・・自問自答してみる。そんなことから、少しずつはじめてみませんか?
2004年10月02日
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もう少しお金があったら・・・もう少し健康であったら・・・もう少し美人であったら・・・今よりも幸せになれる・・・?と思いますか。経済的余裕があったら、心のゆとりもできるかも知れません。病気がちであるよりは、健康な方がより働けるかも知れません。美しい体や風貌を持ち合わせていれば、明るく過せるかも知れません。でも、それだけが人としての幸せでしょうか?どんなに、お金があっても、健康であっても、美人であっても、人それぞれの悩みは耐えません。『人は今のままで、幸せになれる』のです。お金やりっぱな家は、ひょっとしたら、なくなる時が来るかも知れません。健康や美貌も、年とともに衰えていきます。でも、人が生きてきた『魂の記録』は消えません。過去で何を想い、今何を想い、未来で何を想うか、その記録は一人の人間の 大きな財産だと思います。今置かれている状況を変えることが、幸せに必ずしもつながるとは思えません。変えなくてはいけないのは、『心のあり方・持ち方』なのではないでしょうか?さて、どのように心の持ち方を変えたら、幸せになれるのでしょうか?
2004年10月01日
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