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厚生労働大臣の発言が問題になっていますね。 産む装置とういか機械ががんばってくれねば、人口が増えない?! なぜ日本の女性が子供を産まないか、もっと産んでもらうにはどうするか対策を考え、施策を実施するのが仕事だろうに、産む機械ががんばればいい(だけの話)とは、怒りを通り越して、あきれてしまいます。 この問題は彼の言葉の使い方というより、高級官僚出身のこの人が、 一般国民というか庶民を、一人一人が人格を持った存在でその幸せが「美しく愛国心を感じられる国」(安倍首相の表現を借りれば)の基盤だという認識は微塵もなく、単に国力や産業界の繁栄かなんかの道具程度にしか考えてないという証拠だと思います。 装置や機械という表現は比喩で言ったというより、彼の考え方そのものの象徴のような気がします。 こんな人が厚生労働大臣では、労働者も機械扱いされているということでしょうね。 ちなみに、このお方、確か経済産業大臣かなんかしてたときに、ホワイトカラーエグゼンプションという舌を噛みそうな耳慣れない英語を使って、残業代を無しにする法案を提案していました。
2007年01月30日
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国内では入院したことがありません。この3年ほどは、歯科医院と健康診断以外は病院にすら行ったことがないくらいです。そんな健康優良児(というより「おじん」だが。もうこの言葉も古くて使われてないようですが)のような僕にも、一回だけ入院経験があります。できれば、死ぬまで入院などしたくないと思っています。そんな僕の初めての入院は海外でした。3ヶ月自宅療養というのは幼児のとき体験しました。このときは腎臓病で死にかけたのですが、この話しはいずれまた。二回目の海外放浪の旅の途上、東アフリカのケニアで一週間ほど入院しました。ザイール(現在は昔のコンゴ共和国という国名になっています)までケニアから3週間ほどかけて行ったときマラリアに罹ったようです。発病したのがナイロビに戻ってからだったので命拾いしました。ザイールのジャングルの中の村で発病してたら、死んでいたかも知れません。西アフリカの方にまで行きたかったのですが、これ以上先に進んだら危ないと、潜在意識が知らせたためか、途中で引き返したので命拾いしました。帰路の途中、ウガンダあたりから夜中震えが来て高熱が出始めているのに気づきましたが、ナイロビに戻っってすぐ、体が安心したかのように40度を超える熱が出ました。熱が下がったり上がったりを繰り返しているときは、様子を見ていましたが、2日目くらいの夜に毒でも入れられた食事を食べた後のように、食べたものを胃液が出るまで吐き、足が床を踏んでいる感覚が無くなったとき、危ないと感じて自分で病院に行きました。病院に着き、医師の問診を受け、診察している間にすぐ点滴のチューブを刺され、車椅子に乗せられ病室に運ばれた後の意識(記憶)はほとんどありません。3日後くらいに目が覚めたようです。その間に見た夢(幻覚?)は素敵でした。広いお花畑にいた。あたりは光に満ちていてとても明るかった。子供の頃の幸せだったときの感覚が蘇り、一番仲がよかった幼なじみが登場した記憶があります。ある種の天国、この世とあの世の境界線上にいたのかも知れません。苦しさは感じず、幸福感と懐かしさの感情に包まれていました。退院の時、医者と面接して聞いた話では、3種類のマラリアに感染していて、一時はちょっと危ない状態だったそうです。たった1週間ほどの入院生活でしたが、体力はがた落ちしました。きっと死線を彷徨ったので、体力をかなり使ったのだと思います。マラリアは確かハマダラ蚊という種類の蚊が媒介する病気です。伝染病ではないので、隣にマラリア患者がいても全く心配はいりません、でも日本にいるわけないですが(笑)あまりの高熱と体力消耗で、歩くと体に浮遊感が出てきたのですが、タクシーに飛び乗り連れて行ってもらった病院は、現地の主に外国人や富裕層のためのもので、医師は現地人の黒人でしたが、きちんとした英語を話しました。スワヒリ語も多少は覚えてましたが、病状を聞いて理解するレベルには程遠かったので英語が正確に通じる人で助かりました。媒介する蚊の種類によって病原菌(マラリアの原虫)が違うようですが、今はもう忘れてしまいました。実は入院する前に高熱が一度出た時点で日本大使館に行き、検査できる病院を紹介してもらい検査はしてたので、マラリアだとういうことはわかっていました。だから症状がひどくても多少は安心感はありました。日本でも昔は南の地域にマラリアがあったと聞いています。いま日本の夏は熱帯化しているので、東南アジアあたりから船などに乗ってマラリアを媒介する蚊が来日(笑)すると、熱帯化している日本でも今後また、マラリアが流行るかも知れませんね。ちなみに、「地球温暖化」と表現すると、何か寒い地球が暖かくなり過ごしやすくなるようなイメージがありますが、高温化とか熱帯化と表現する方が危機感が出ると思います。マラリアなどの熱帯病や風土病は、日本で発病する方が実は怖いのです。日本でこの病気を知っている医師は非常に少ないことと、薬自体を持っていない病院がほとんどだからです。現地で罹った病気は現地の病院で治療する方がいいケースは多いと思います。後日談があります。実はその2年後くらいにインドネシアに行ったときマラリアらしき高熱に3日間うなされました。帰国後、心配になり、白金台にある東京大学医科研究所(当時は確か熱帯医学研究所という名前だったと思うが)にまで行きました。当時は日本ではそこともう一箇所くらいしかマラリアの治療薬がなかったからです。そこで事情を話し薬をもらってからは高熱が出ることはなくなりました。僕のマラリアは完治したようです。
2007年01月27日
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花粉症の方には辛い季節が近づいて来ましたね。僕は幸い(まだ?)花粉症にはなっていませんが、ある日突然なるものらしいので、安心はできません。僕は現在40代ですが、子供の頃は、花粉症など聞いたこともありませんでした。戦後全国の山で大規模に植林した杉が、まだ育ってなかったのも関係しているのかも知れませんが、花粉症と子供のアレルギーが増えてきた時期がかなり重なっていることを考えると、杉だけが原因だとも思えません。都市化の進行で露出した土が少なくなり、飛散した花粉が地面に吸収されなくなったためとも言われますが、それでも全部は納得できません。先日聞いたラジオで言ってたのですが、昭和40年前後から急激に上水道が完備され、都市化の進行で、泥んこになって遊べる場所も少なくなり、衛生状態が良くなったことが主な原因だという話です。人間は(もちろん他の動物も)、無菌状態の場所で生活しているわけではありません。多かれ少なかれ無数の雑菌と共に生きているわけです。ある程度雑菌にまみれる環境でないと、異物に対する抵抗力が育たず、その結果、少し異物が入っただけでも過剰反応するようになるとのことです。異物として排除する必要のないものに過剰に反応する点では、アレルギー体質も花粉症も根は一緒です。潔癖症的に清潔さ無菌状態を保っていると、本当に害を及ぼす病原菌が入ってきたときに、繁殖する余地がありすぎるため、かえって危険だとか。雑菌と共生していれば、雑菌が病原菌の繁殖を阻止してくれるので、安全だということです。傷口や食品をバイキンだらけの手で触るのは、危険だと思いますが、それ以外のケースなら、あまり清潔さに神経質にならない方が、健康のためにはいいというのは納得できる話です。適度の不潔は、かえって抵抗力が増し、健康にもよいということのようです。 かといって、いまから不潔にしておけば、花粉症にならないとか治るという話ではありませんが。
2007年01月24日
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「地球交響曲」 耳にしたことがある人もいるかと思いますが、 ここ数年で、僕が一番影響を受けたドキュメンタリー映画です。 「地球はひとつの生命体である」というテーマに基づき、 それを体現しているような活動をしている各界の専門家に インタビューするという形式です。 この考え方は「ガイア理論」とも呼ばれ、環境保護活動に多大な影響を与えています。 各地で上映会が開催されていますが、一般の映画館やビデオショップでは観ることができないのですが、それがかえって商業主義の悪影響から逃れ、純粋にテーマに賛同する人の熱烈な支持を得ているようです。 僕自身も海外のいろんな場所を見てきて、登山やサファリなどを通じて自然と親しむ機会が多かったことと、野生動物や生命の進化に興味があり、自分で勉強をしていることもあってか、自分が考え、感じてきたことが、超一流の専門家や美しい映像と共に表現されているので、一度みてとりこになりました。 地球の環境は、そこで暮らす生物全てが作り出したものです。その意味において、全ての生物は地球という惑星レベルで観たとき、地球を構成する細胞のようなものです。 地球自体は人類が栄えようと滅びようと、存在し続けます。 だから「地球環境に優しい」などというのは、地球にとってはどうでもいいことなのです。 我々人類を含めた、現在の形の生物にとって、住みよい環境を維持するためには、今の産業形態では行き詰るというだけの話です。 我々自身のために、汚染されていない自然環境は必要なのです。 極端な話ではなく、一人一人の暮らし方が直接、地球環境のあり方を左右していることを自覚したら、もっともっと美しく住みよい社会や環境ができるはずです。 責任ある態度とは、ひとりひとりの力を自覚し、いまいる場所や状況、人と関わっていくことだと思います。 自分には関係ない、一人では何の影響力もないという態度ほど、無責任で人任せなものはありません。 ★興味のある方は、今度、東京で連続上映会があるので、ぜひ観て見てください!■会場 なかのZERO小ホール (JR中央線&地下鉄東西線 中野駅南口から徒歩7分ほど) ■時間 13:30 開場、14:00開映 ■料金 前売 1,000円/当日 1,300円 ■上映会日程 ◇第3番:2月22日(木) ◇第1番:3月20日(火) ◇第2番:4月23日(月) ◇第4番:5月23日(水) ◇第5番:6月19日(火) ◇第6番:7月に予定しているようです。 ◎チケット申込(FAXまたはE-mailのみの対応) FAX.03-5932-0762 E-mail:michel_love@jcom.home.ne.jp ◎主催:「環の里」設立準備会/上映責任担当者:山口光子
2007年01月20日
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死ぬかも知れない状況に陥ったことが何度かあります。単に心配のし過ぎや思い過ごしなどではなく、本当に命が危険に晒されたことが…そんなとき、どう対処して危機を脱出したか?逃げたいけど逃げ道はない。危機的状況とはそんなものです。自分の力ではどうしようもなく思えました。でも、生きたい。やり残したことが沢山ある。会いたい人がいる。逃げ道があれば、とっくにそうしてました。逃げることはできなかった。だから、自分にできたことは、まず現状を、どんなに危機的であれ正確に認識し受け入れることでした。それで腹が据わりました。混乱から静寂というか、落ち着きを取り戻すことができたように思います。でも、精神状態は普通ではなかったように思います。そんなときは、感覚が異常に鋭くなります。周囲の気配や物音など、五感に感じるものだけでなく、次に何が起こるかという予知のような感覚が働きはじめました。それが外れたらどうしようとか、そんなことを考える余裕すらありませんでした。というか、それは五感と同じように、そのときの自分にとっては確実なものでした。それから、こうできたら危機を回避できると思えることに、意識を集中させました。できるできないは考えませんでした。全身全霊で意識というか想いのようなもの、精神力でしょうか、をその状況を起こすことに集中させました。自分の感覚というか認識としては、それができなかったら、命は無いと感じていました。やるしかなかったのです。それで奇跡と呼べるようなことを起こせたのだと思います。心や精神的なことにはカタチがありません。だから、心に想うことより、手足や道具などを使ってできることの方が重要だし現実を変えることができると思っている人の方が多いと思います。でも、この世界の真実は別のところにあると思います。音は手で触れることはできませんが、確かに存在しています。風は目に見えませんが、物を動かすことができます。電気も目に見えず、臭いも音も発しませんが、利用方法を知っていれば、さまざまなことをするエネルギーになります。心の力もそれと同じだと思います。その力の使い方を知っている人は、その力を信じてない人よりいろんなことができる。そう考えても間違いはないと思います。
2007年01月19日
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「言霊」という言葉を耳にしたことがある人は多いと思います。言霊というものがあるのかどうかわかりませんが、 言葉には人の心と体を動かす力があることはわかります。 意味のない言葉というものはないと思います。 「ありがとう」という言葉を口にするとき、 その意味を感じているはずです。 言葉を先に出すことによって、心と体が、口にした言葉に 影響されるのだと思います。 それが「言霊」なのかも知れません。 だから、肯定的な「言葉」を繰り返し口にしている人は、その言葉によって肯定的になるはずです。逆に否定的な言葉を繰り返し口にしている人は、否定的になる…人は想いを口に出し、行動する動物だと思います。現状に不満足で、それをそのまま口に出すばかりでは、その現状を固定し定着する結果にしかならないと思います。現状に不満足なら、逆にそれを打開し理想とする状態を口に出すことで、自分の想いが変わり、行動が変わり、やがてそれが現実に反映し現実を理想に近づけることができるのだと思います。ちなみに、言葉の意味のわからない乳児に、 意味のない音の羅列を聞かせた場合と、 意味のある言葉を聞かせた場合では、 はっきりと「言葉」の方に反応を示すそうです。 お経の意味を知っている人は少ないですが、意味を知らないままでも、お経を唱えることで、心に平安が訪れたり癒されたりするのでしょう。これが言葉の底力なのだと思います。
2007年01月16日
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多忙を口実にさぼりがちのブログですが、今年もよろしくお願いします!このブログが、よりよく健康で創造的に生きるためのヒントになればと思って今年も書いていこうと思っています。野生動物が好きだ。 年末年始は、自然や野生動物をテーマにした優れた番組が多かったので、よく観ていた。 そのときに思ったことは… 人の優れたところのひとつは、過去を反省し未来を予測できる点だと思う。 おそらく、ほとんどの動物は、人のような時間の観念はない。 今だけに生きているのが動物だと思う。 (人に近い動物は、行動の前後関係としての時間観念はあるようだが) 悟りのひとつの在り方は、過去の煩わされず、将来に不安を覚えず、今に生きることだという。 その意味では、動物は悟っている存在ではないだろうか? 動物は大怪我をして体に障害を負っても、その状態なりに必死に生きようとはするが、悲観したりはしない。全てを受け入れて生きている。 人は自分の中に基準を持ち、それから外れると不安を感じたり、不幸になったりする。望ましい状況は受け入れるが、そうでない場合は、なかなか受け入れることができない。 その最大の原因は、動物の行動の多くの部分は、本能として最初から組み込まれているのに対して、人は最初はニュートラルに近い状態で行動が設定されていて、具体的で最適な行動様式は、環境から学ぶという風にプログラミングされているからだろう。それが人の成長にとって教育が大切な理由だ。 その意味では、不平不満不安などの否定的想いは、プログラミングの不調を意味する。 それを調整する方法は、他の動物のように、今の状況を受け入れることと、それを前提として行動様式を組みなおすことだと思う。不安や不都合を感じたら、行動を変えればいいということだ。
2007年01月05日
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