曹操閣下の食卓

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曹操閣下の食卓

曹操閣下の食卓

2007.09.18
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テーマ: お勧めの本(8163)
カテゴリ: 芸術
    □謹告□
 知る人ぞ知る連載【曹操言行録】が近日に単行本として出版される運びとなりました。
 内容はほとんど新説ばかりという、三国志ファン、特に魏ファンの皆さん待望の孟徳・曹操の少年時代から董卓の乱まで、波乱の前半生に焦点を当てた前代未聞の歴史論考です。
 ここでは正史記述から、今回の出版では活字にできない細かい時代考証や解釈論などを連載しています。


曹操6.jpg

作画・Ms.KANZAKI


■第10回■

     ★曹操と許劭のつながり★

 許劭という人物は、みんなも知っているように、若い曹操のことを「治世の能臣、乱世の姦雄」と評したことで知られている。
 許劭は「月旦表」という人物鑑定のガイドブックを公表し、ミシュランのグルメガイドのように人材の評価を列挙して論じた。
 面白いことに袁紹・袁術などは許劭との交際は見当たらない。
 袁術は、その人間からして許劭は敬遠しただろうが。。。

 どうして曹操は許劭から「治世の能臣」という破格の評価を受けたのか。
 そして「乱世の姦雄」とは具体的にどういうことなのか。

またしても従来の三国志研究の愚連隊講演団やらダボハゼ大学文学部教授なんぞの馬鹿面は、こうした基本的な疑問に何も答えていないことがわかるだろう。



 これは北部尉として、綱紀粛正の改革で洛陽全市民に一世風靡した時期の世評と無関係ではないだろう。
 そもそも許劭との出会いのきっかけをつくったのは、後漢の最高官・太尉の橋玄の言葉である。
 「曹操君、君は確かに有名になったが、まだ官界や文化人たちに名声があるわけではないぞ」
 「橋玄さま、私はどうしたらいいのでしょうか」
 「許劭に面会して、君の人物を鑑定してもらいなさい。大丈夫だ。私が貴君を抜擢したのだから」
 ここで推理されるのは、北部尉の抜擢は太尉・橋玄の決断と推挙によるものだということである。
 もちろん橋玄は許劭と面識も交際もあったはず。

 しかし、許劭は頑固に、しかし手前は柔らかに面会を謝絶しつづけた。
 それは曹操がいかに清廉の志士であるとはいえ、やはり宦官の養孫ということに偏見をもっていたからで、許劭としても葛藤があったものであろう。
 ただ、それだけでは「能臣」という評価はない。

 文化人の代表格だった許劭を「これはすごい」と唸らせるものは何だったか。


 その草案を、曹操は許劭に見せた。
 その文才と志気に感動した許劭は「能臣」という評価を即座に与えたのである。

 では「姦雄」とは。
 「姦」というのは、相姦にせよ強姦にせよ、印象のよくない漢字である。
 しかも女性が関係している。

 人材として傑物を意味する。
 曹操たちがよく引用した歴史的人物名としては、前漢時代に皇帝廃立のクーデターを断行した霍光があげられる。
 西域遠征で武帝に仕えた将軍・霍去病の異母弟である。
 この人物は非常に偉大な政治家として評価されているわけだが、皇帝を擁立して一ヶ月もたたないうちに廃止したり、これはなかなか文化人たちの評価が分かれるところだった。

 私の解釈するところ、「姦雄」というのは、英雄ではあるが、そのやり方が尋常ではない、むしろ君臣の境目を踏み越えてしまう人間に対する警告であった。
 曹操の強引な手法は、なるほど鮮やかで効果は抜群だが、従来の前例にとらわれない、したがって保守的な人間たちからは批判の対象になりやすいものだった。

 そして、許劭は実際に曹操の人物を評価して、「月旦表」にも姓名を掲載した。
 そのことによって、曹操は単なる有名人ではなく、一流の文化人たちと交際が認められるような人間として成長していったのである。






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Last updated  2007.10.01 23:11:16


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