曹操閣下の食卓

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曹操閣下の食卓

曹操閣下の食卓

2007.09.29
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テーマ: お勧めの本(8163)
カテゴリ: 芸術
    □謹告□

 三国志ファン、特に魏ファンの皆さん待望の孟徳・曹操の少年時代から董卓の乱まで、波乱の前半生に焦点を当てた前代未聞の歴史論考です。
 内容はほとんど新説ばかりという、特に普通の三国志モノに読み飽きた人々には驚きの連続となると自負しています。
 ここでは正史記述から曹操の言行の読み取れる範囲で、今回の出版では活字にできない細かい時代考証や解釈論などを連載していきます。


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作画・Ms.KANZAKI



■第一回■

   ★曹操と袁紹のライバル関係について★

 このKanzakiさんは朝日文庫の表紙絵を描いていただいた女性イラストレーターで、今回も連載で毎回、作画をお願いしました。

 イラスト制作にあたっては、まず次回の内容に合わせたイメージを電子メールで連絡して、原画ができてから、いろいろ時代考証を何度も相談して、完成にこぎつけるという入念なプロセスで仕上げてあります。

 この図では前面がもちろん曹操、その向こうで嫉妬のニラミを利かせているのが袁紹です。
 これは私にとっても会心の傑作のひとつ。
 一枚のイラストで二人の感情的な人間心理関係をスバリと表現したもので。

 二人はまさに生涯のライバルともいえる関係でした。

 袁紹はエリートの血筋だけれど妾の庶子。

 結局、実の父親の家庭ではなく、伯父の家で育ちます。
 官僚貴族の子弟として、早くから教育を受け、二十歳前後で宮廷に勤務した後、人口数千人あまりの地方官(県長)になりますが、あまり目立った功績もなく、皮肉をこめて「清廉だ」という郡太守の評価が与えられます。
 これは当時の一般官吏の最低レベルの評価ということです。
 出世の早い義理の兄弟たちに比べ、出世競争に厭きた袁紹は官吏をサッサと辞職し、十数年以上も「父母の服喪」という表向きの理由で自由気ままなフリーター生活を送ります。

 その袁紹のライバル心に火をつけたのは、黄巾の乱の鎮圧平定で、首都警備隊の軍団を率いて、官軍の主力を救援した曹操が、済南国で「王佐の才」を発揮して、二度も続けて天下の名声に輝いたこと。
 さらには、その恩賞として任命の沙汰があった東郡太守の地位を任官謝絶してしまったこと。
 「エリートのドロップアウトはかっこいい」という袁紹のプライドを大きく傷つけたのです。
 それから袁紹の怒涛の猟官バックラッシュがはじまります。
 無能で文盲のため、官位は高いが何の役割もなかった外戚の何進に接近し、その秘書役を買って出るという方法で、何進の権威を利用して、どんどん宮廷の地位を累進していったのです。

 そして、クライマックスのその日。
 このイラストの瞬間ですが、西園八校尉と八個軍団が新編成されたとき、袁紹は上軍校尉、曹操は典軍校尉に任命されます。

 まさに執念のライバル関係がそこから生々しく感じられるでしょう。

 人間の歴史に関しては、天変地異のような偶然はほとんどありません。
 董卓の乱の直前、馬騰らの甘粛叛乱後のものものしい情勢で新編成された西園軍でしたが。。。
 もちろん「引きこもりフリーター」だった袁紹に実戦経験などはありません。

 軍隊と戦争の実際を知っていたのは曹操だけだったのです。


 二人のバトルはここから本格的に始まったのです。 





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Last updated  2007.10.01 22:57:17


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