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2020年06月02日
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テーマ: 俳句入門(124)
カテゴリ: 季語

​ 片山由美子『季語を知る』を 斬る2 ​​荒井類​ ​

夏雨と傘  https://news.livedoor.com/article/image_detail/14949739/?img_id=18065004)

片山由美子『季語を知る』を斬る  1 (「鴎座」 2020 年 1 月号)では、〈「息白し」は季語としては人間の息についてのみいい、馬や犬など動物については使わない〉という片山由美子(および合本俳句歳時記第五版)の見解(主張)について異議を表明し、「動物の白い息」も季語として認めるべきだと、愚見を述べた。

 『季語を知る』(以下「本書」)には 80 を超える季語が取り上げられているので、今後も個別の季語について検討を加えていく所存であるが、あわせて、季語そのものついてでなくとも、本書にかかわるもの(こと)への言及もしていく。

本書の帯には、「古今の歳時記をひもとき、季語の本意と疑問点を明らかにする、画期的論考!」とある。

 本書が意欲的な論考であることを認めるにやぶさかではないが、それでもなお本書には、首をかしげるような記述や主張もある。

《 「近年の歳時記 は孫引き」と言うなら論証を要す》

 〈 近年の歳時記を見ていると、定評を得ているある歳時記の孫引きになっていることが多く 、解説も踏襲されている。したがって最初に間違っていたことはそのまま引き継がれていくことになりかねない。〉(「はじめに」より。 11 ページ~ 12 ページ。)

 そこまでいうのなら、それは論証されねばならない。「定評を得ているある歳時記」Aを示し、その真似をしたBと、Bから「孫引き」したCを示すことなしには、傍線部のようなことは言い得ないはずだ。論証もなしにそんなことを言われては「近年の歳時記」全体が、とんだ「冤罪」を被ることになりかねない。

『欠陥英和辞典の研究 別冊宝島』(JICC出版局 1989 年)の副島隆彦ほどにやれというつもりはないが、最低限の論拠は示すべきであろう。

《本書における明白な誤りの数々》

片山由美子は

歳時記は読み返すたびに新たな発見があり、 一語一語が陶冶 (とうや) された言葉 であることに思い至る。

たとえば 「春風」「秋風」というが、「夏風」「冬風」とはいわない。「春雨」「秋雨」も春秋だけの言い方であり、「夏雨 ( さめ ) 」「冬雨 ( さめ ) 」とはいわない。 「夜長」を「長き夜 ( よ ) 」というが「短日」を「短日 ( みじかび ) 」とはいわない。

「夜長」の項に「長夜 ( ちょうや ) 」という傍題を載せている歳時記もあるが、 実作者は「長夜 ( ちょうや ) 」を使うことはない 。 「短夜 ( みじかよ ) 」を「 短夜 ( たんや ) 」といわないのと同様である。ただし「長夜 ( ちょうや ) 」も「短夜 ( たんや )) 」も言葉としては辞書に載っている。漢詩からきているのかもしれないが、俳句では使わない。 これらは、季語として自然であるか、美しいかどうかという篩 ( ふるい ) にかけられている。

とする。

第 5 章より。 232 ページ~ 234 ページ。 ( )内のふりがなは原文ではルビ。

 この引用の中に明白な誤りが少なくとも四つあると言ったらびっくりされるだろうか。

《明白な誤り(1)――陶冶と淘汰は違う》

 最初の誤りは季語に関するものではない。はじめのパラグラフの〈一語一語が陶冶(とうや)された言葉〉という部分の言葉遣い(用語法)の問題であり、一般的国語力の問題である。

 広辞苑第七版には次のようにある。

とう‐や【陶冶】タウ‥

( 陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから ) 人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。「人格の ― 」

 これはどの辞書を引いても同様である。陶冶という言葉は、「(季語が)陶冶された言葉」などというようには使い得ないのだ。片山由美子は「一語一語が淘汰された末に、残った言葉なのだ」と言いたかったのか。陶冶と淘汰の混同?
《明白な誤り(2)(3)――「夏風」「冬風」》

  『角川俳句大歳時記』の「夏の風」の項には三つの傍題のトップに 「夏風」が挙げられ、例句(これも三つ)の筆頭は次の蛇笏の句である。 

  夏風や竹をほぐるゝる黄領蛇(さとめぐり)  飯田 蛇笏

 同歳時記の「冬の風」の項には、四つある傍題の二番目に「冬風(ふゆかぜ)」が載っている。(例句はない)。

 これらの事実を知っただけで、本書の〈「春風」「秋風」というが、「夏風」「冬風」とはいわない。〉という記述が致命的なマチガイだと気づくだろう。

中世より夏風吹けり大聖堂      秋尾  敏

  夏風や火の言葉溜む秩父の句碑    渡辺 友七

  草原に夏風たまるところかな     石脇みはる

  プラタナス夏風立ちて朝なる     三宅 句生

  夏風や兄のこゑ乗る白皮松      竹中 一花

  夏風に青き実揺らすプラタナス    松村 光典

  夏風に乗りてカウベルチロル邑    坂根 宏子

夏風や昼寝さめたる刺青師      西島 麦南

  夏風や帆を追て雲遅し        沼  夜濤

  舳の旗に夏風起り頬打てり      豊田 豊作

  夏風にのりくるジャズや基地の街   井出 英子

  恵那峡に夏風わたる川の宿      荒武 一征

 では、続く記述はどうだろうか。

《明白な誤り(4)――「夏雨 ( さめ ) 」を否定》

 「春雨」「秋雨」も春秋だけの言い方であり、「夏 雨 ( さめ ) 」 「冬雨 ( さめ ) 」とはいわない。 (片山由美子) ――『角 川俳句大歳時記』の「夏の雨」の項では、「夏雨(なつさめ)は三つの傍題中の筆頭である。『ザ・俳句十万人歳時記』(松田ひろむ編集。有馬朗人、金子兜太、廣瀬直人、宇多喜代子監修)の夏の巻には「夏の雨」が立項されており、その傍題のトップは夏雨 ( さめ ) 」である。(これには例句も載っている)。ウィクショナリー日本語版には、「なつさめ【夏雨】夏に降る雨。夏の季語」とある。『季語・季題辞典』( weblio 辞書)には「夏雨」の立項があり、同様の解説がなされている。

そうであるのになぜ片山由美子は、「夏雨 ( さめ ) 」とはいわない,と確信を持って書けたのか。一般の国語辞典(例えば『広辞苑第』七版、『大辞林』第四版)の見出し語に夏雨 ( さめ ) 」がないからなのか。不思議な誤解である。

 夏雨に母が炉をたく法事かな    杉田 久女

夏雨に炉辺なつかしき夕餉かな   杉田 久女

夏雨の盥の雨と聞くことも     山口 青邨

夏雨や川虫淵をながれ出る     飯田 蛇笏

夏雨や淵にまた下る合歓の蜘蛛    飯田 蛇笏

夏雨や煙のごとく山襖       野村 起女

夏雨や触れて冷たき竹人形     湯浅 康右

夏雨の傘をよけ合ふ山の道     岡 光子

夏雨や矢立の橋の草加宿伊藤 豊美

夏雨を猫縁側に眺めをり  ことり

夏雨や細長き部屋ほそく使ふ高橋 道子

夏雨に濡れつ語りつ男坂小國佐世子

 飯田蛇笏の「川虫」の句は「 春蘭」より、 「川蟲」の句は「心像」より。

 小生のごとき「素人(初学者)」でも「夏雨 ( さめ ) 」を季語に用いた作句例をかくもたくさんみつけれられるのに、「古今の歳時記を」ひもといてきたという片山由美子がどうして〈夏雨 ( さめ ) 」とはいわない。〉というデマゴギーのような結論に達してしまったのか。不思議である。ミステリーである。

 片山由美子のいう通り、「冬雨 ( さめ ) 」とはあまりいわないようだ。(ただし、冬雨(ふゆさめ)」という題の楽曲がカラオケ配信されているというようなことはある。また、坂口安吾著『安吾新日本風土記』副題「第一回 高千穂に冬雨ふれり≪宮崎県の巻≫」という「冬雨(ふゆさめ)」の語を使っている著作もある。=青春文庫=)。

《なぜ「俳句では使わない」季語が歳時記に?》

その他「○○というが「△△」とはいわない、という言挙げが続くが、これは「左右 ( さゆう ) 」とはいうが「左右 ( ゆうさ ) 」とは言わない、という程度の話である。ここからただちに〈季語として自然であるか、美しいかどうかという篩 ( ふるい ) にかけられている。〉とまでいうのは論証不足、 jump to conclusion (結論を急ぐ、早合点する)の謗りは免れないだろう。

さらに誤りがあるので指摘しておこう。誤りは〈短夜 ( みじかよ ) 」を「短夜 ( たんや ) 」といわない〉という部分である。『角川俳句大歳時記』の「短夜 ( みじかよ ) 」の傍題のトップに「短夜 ( たんや ) 」が置かれているので、この片山の言が誤りであることは自明だ。

ところで、なぜ「俳句では使わない」(と片山が断言する)季語が歳時記に載っているのか。これについて片山由美子は何も説明していない。その説明なしには、定評ある歳時記を信頼する以外の道は、多くの一般俳句愛好家には開かれていない。

 雨だれのドラム缶打つ長夜かな

これは俳誌「麦」 2020 年 1 月号に掲載された拙句である(斉田仁選)。「麦」という俳句結社の発行する俳句雑誌に、同結社の選者の選を経て載った掲句が存在するということが、片山由美子の〈実作者は「「長夜 ( ちょうや ) 」を使うことはない〉という主張への有効な反論になっていると思う。

「 童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日(どうていせいマリアむげんざいのおんやどりのいわいび)」という、長すぎて(二十五音!)誰も使わないだろうと思われる季語にさえ、歳時記に載っている季語にはその使用例があるものだ。 

童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日と歳時記に   正木ゆう子

童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日日和とはなれり 夏井いつき

山本健吉の『基本季語五〇〇選』 に「夜長」の傍題の二番目に挙げられ、『角川俳句大歳時記』に傍題の三番目に挙げられている「長夜 ( ちょうや ) 」を〈実作者は使うことはない〉〈俳句では使わない〉。というならば、そのことを片山由美子は論証しなければならない。

《ご希望とあらば、是非論じあいましょう》

〈さまざまなかたちで歳時記や季語への関心が高まっているのは、歓迎すべきことであろう。/しかしながら気になるのは、 さまざまな意見が 一方的に発信されるだけで終わっているのではないか ということである。異なる意見をもつ人たちが議論する場はないに等しい。そのため、場合によっては季語に関する認識が歪められることもありうる。 季語とは何か、歳時記はどうあるべきか、その根本的なことが論じられる機会がほしい 。 〉第五章。 228 ページ。 

片山由美子が本当にそういう機会を欲しているのであれば、是非とも拙論に反応し、反論してほしいと願うものである。(つづく))(「鴎座」2020年2月号)

<松田ひろむの補足>

 ●「冬雨」について

 『図説俳句大歳時記』(冬)に「冬雨」の例句がある。

湯の町や冬雨あがる宵の靄     西島 麦南『人音』

  子なき友いま冬雨の紐ながし    飯田 龍太『童眸』

  冬雨鋭し雨穴千の鉱毒池      大槻紀奴夫(秋)

  冬小雨馬場けむらせてレース果つ  片岡 亮一(風土)

  冬雨や記憶に燻ぶる生木の香    山本三風子(雲母)

「俳誌のSalon」では次の句がヒットする。

冬雨の殊に明るき柞山       天野みゆき(風土) 200504

長堤の冬雨に濡れ蕪村句碑     山口 天木(雨月) 201003

冬雨の皇帝ダリアヘこたるる    山田 六甲(六花) 201612

  冬雨に始まるひと日旅と思ふ    佐藤 喜孝(あを) 201704

  あのときの冬雨ねむりのなかにまで 佐藤 喜孝(あを) 201707

●「長夜」について

「長夜」の例句は、<俳句検索>で下記がヒットする。それぞれ知られている俳人である。「長夜」は俳句では使わないということはない。

床すれや長夜のうつゝ砥に似たり        尾崎 紅葉

瞽女唄の無明長夜といふことば         西本 一都

 これからの長夜無明の身の置き処        村越 化石

 生みの母を揉む長あそび長夜かな        三橋 敏雄『眞神』

 飛騨の袈裟山長夜の深井に坐すみことかな    高柳 重信

一年で最も夜の長いのは冬至であるが秋分を過ぎると急に夜の時間が長くなったように感じる。 夏の短夜のあとなので一層夜が長くなったという感じを受ける。かつては「夜なべ」の候であり、現近代の「夜業」も秋の季語となっている。秋に夜長を感じるのは日本人の季節感である。

なお仏教用語に「無明長夜(むみょうじょうや)」がある。。煩悩のため悟りが開けず生死  ( しょうじ )  の境界にさまようこと。長夜は「ちょうや」でなく「じょうや」と読む。「無明長夜」は秋とは限らないが、これを西本一都も村越化石も季語として使っている。一都の句のように瞽女(ごぜ)唄にもそれがあるのだろうか。

真宗和讃 に「無明長夜の燈炬(とうこ)なり 智眼(ちげん)くらしとかなしむな」とあり、阿弥陀仏にすがる他力本願を説く。

このように「長夜」は意味の深い言葉で大いに使っていいものである。

●「夏雨」について

 角川書店『図説俳句大歳時記』(夏)の「夏の雨」を引く。

夏の雨 (なつのあめ) 🈪  夏雨 (なつさめ)  緑雨

解説 夏に降る雨である。しかし、五月雨・梅雨・夕立というような特色のある雨ではなく、夏に降る常の雨をいう。

夏の雨量は、その年の梅雨の影響に支配される。例年六月は梅雨の影響で西日本の雨量がふえる。七月は梅雨前線の北上につれて、秋田県から石川県までの裹日本の雨量が著しく多くなる。八月は梅雨前線が北に去ってしまうので、北海道を除いてわが国各地の雨量は少なくなる。(三谷一郎)

考証 『栞草』(嘉永四)に[五月雨も夕立も、おしこめていへば夏の雨ながら、各一種の景物となりたれば、ただ”夏の雨”といふ時は、そのけぢめを立てて、常の雨の趣に、夏季のあへしらひあるべきなり」。

夏の雨 着ながらにせんたくしたり夏の雨     一茶『八番日記』

    湖の汽船に大山消えぬ夏の雨    松根東洋城(渋柿)

    太幹にはりつきし蝶や夏の雨    西山 泊雲『ホ誌雑詠選集』

    田水にも浮く鳥の来つ夏の雨    吉田 冬葉『炬火』

    陶榻の紺てらてらと夏の雨     富安 風生『十三夜』

    夏の雨農夫いちにち足洗はず   長谷部虎杖子『葦牙句帳』

    夏の雨就航の灯を満載す      梶岡 一滝(雲母)

夏雨  戞々とアルプスの馬は夏雨に    山口 青邨『雪国』

    夏雨に火桶消えがち信濃寒     秋元不死男(氷海)

    夏雨やひとのうしろにそぼてる葉  松村 巨湫『十六夜』

    夏雨に夜明けてゐたり大伽藍    中川 宋淵(雲母)

緑雨  緑雨なか玲瓏として滝の齢     三宅 一鳴「火焔樹」

    火薬にて裂けたる岩の傷に緑雨   加藤かけい(天狼)

夏時雨 夏時雨おどろにランプ亡びけり   秋元不死男(氷海)

ここでも片山由美子の師系の秋元不死男に「夏雨」の句がある。さらに「夏時雨」の句もある。「夏時雨」とは、ちょっと理解できないが、秋元不死男は片山由美子にくらべるとはるかに自由である。






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Last updated  2020年06月13日 04時34分52秒
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