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小豆島でのお遍路初日(4/22)ピンクのカラスノエンドウに交じって黄色い花が咲いているのを見かけましたこんなのは初めて見るなあと思い帰宅後調べてみましたがよくわかりません黄色い花のカラスノエンドウ?葉はカラスノエンドウと同じく矢筈型をしている二つ並べても違いがわからないカラスノエンドウ(烏野豌豆)は別名でヤハズエンドウ(矢筈豌豆)が一般名ソラマメ属の越年草である調べている過程でシロバナヤハズエンドウ(白花矢筈豌豆)つまりシロバナカラスノエンドウ(白花烏野豌豆)というのが見つかったしかしボクが見かけた花はどう見ても白ではなく黄色だどなたかこの辺の事情をご存知の方がおられましたらぜひ教えてください。
2016/05/02
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美井戸神社(びーとじんじゃ)アンガー・フロム・ザ・ボトムという彫刻が井戸の中から姿を現しているアンガー・フロム・ザ・ボトム(正面)小豆島一番札所・洞雲寺から三番の奥の院・隼山を経由坂手へ降りてきたところにあった古井戸の中のアンガー・フロム・ザ・ボトムという彫刻が先に作られ、上屋の神社は後で建てられたそして彫刻は何かの仕掛けで井戸から伸びだしそれにつれて上屋も上に伸びる設計になっている現地の説明板写真がまずく読みにくいので文末の「詳しい説明」をご覧ください。瀬戸内国際芸術祭2016、作品NO.107アンガー・フロム・ザ・ボトム 美井戸神社という表示があった。その説明は下記のとおり高さ約8メートルもの巨大な彫刻が時折、井戸から姿を現す。島にある古井戸の底に潜む巨大な地霊的化け物が出現し人々を脅かすという寓話的な設定だ。ビートたけしが構想したプランをもとにヤノベケンジが実現。実際の古井戸に設置された。2014(平成26)年、彫刻を末永く保存するため地元有志によって祠が建てられた。祠は彫刻に合わせて伸縮できる仕組みとなっている。ビート神社についての詳しい説明こちら犬も歩けば棒に当たるといいますが毎度のことながら歩き遍路もまたいろいろな出会いを楽しめるのです。
2016/05/01
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小豆島霊場1番札所の洞雲山(どううんざん)の本堂ここに“夏至観音”という珍しい現象があるこの洞窟に光が差し込むと錫杖を持った高さ3メートルくらいの観音像が岩肌の上に浮かび上がるのだというこの現象がみられるのは夏至の前後一週間ずつぐらいの限られた期間だけ観音像が現れるところではこの動画で実物をご覧ください夏至観音の由来が境内に書いてありましたお遍路姿の自分の姿が写りこんでしまいましたがこれは奇跡でも何でもありませんね(笑)お遍路さんの団体写真に偶然この不思議な像が写っていて気味悪がったという話を聞いた三番札所・観音寺の和尚さん(一番札所も管轄)この現象を解明しようと何日もこの場所で待機ついに夏至の前後に現れることを発見したのです以上は、たまたま境内の清掃作業をしていたおじさんから聞いた話です。
2016/04/30
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神戸14時発のジャンボフェリーで小豆島へ向かっています。3時間15分の船旅明日から小豆島にある札所巡り『島遍路』をする予定です。10日ぐらいかかるらしいが今回は5日でいけるところまで15年前の四国遍路の際に出会ったお遍路さんから島遍路もなかなか良いですよと聞いて以来、いつか行ってみようとあたためていた気持ちを実行に移す機会が訪れた。
2016/04/21
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四国霊場一番札所・霊山寺へ戻ってきました一般に四国遍路といえば八十八ヶ所の札所をお参りすることですが八十八ヵ所を巡り終えた後無事結願の報告と感謝を込めて最初にお参りしたお寺に再度お参りする習わしがあります。ただこれについて厳密な定義があるわけではないようですが。最初のお遍路で八十八ヵ所を巡り終えたとき知人が88番大窪寺までお祝いに?かけつけてくれたのです。一番札所の霊山寺へのお礼参りは引き続き、歩いて行くつもりでしたがもう結願したんだからいいじゃない車で送るよという友の好意を断りきれず一番札所には車で行きました。二度目の今回は何がなんでも歩いて行く最初からそう決めていたので別格20番・大滝寺で108ヵ寺を結願の後途中、土柱温泉で一泊して一番札所霊山寺へと向かいました。これが3月14日(土)のことです。夜の雨が少し残る中を出発大滝寺から霊山寺までは遍路道とは関係なくスマホのナビを頼りに1番札所への最短距離を歩きました。それでも二日間で60キロです。これもナビが案内してくれた道ですナビの威力は大したものだとあらためて感心。分岐にくると、ポケットの中のスマホが「右方向です」と音声案内をしてくれます道を間違えると今度は方角で「南へ進みます」といった具合に教えてくれることもわかりました。そんなこんなで、無事に霊山寺へお礼参りを済ませることが出来ました。お礼参りといえばもう一つ高野山に参ることを言う場合もあります。四国遍路は弘法大師の足跡を辿る旅でもあるので結願後に高野山に詣でる人も少なくありません。無事八十八ヵ所を巡り終えたことの報告と感謝、お礼という意味でしょう。大窪寺で同宿だった男性も一番に戻って続きに高野山へ向かうと言っておられました。他府県から来られている方は一度帰ってから出直すよりその方が良いのかもしれません。
2015/05/20
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阿波の土柱は「世界三大土柱」のひとつ他の二つは、ティロル地方(イタリア)ロッキー山脈(アメリカ合衆国)俳句雑誌「ひまわり」を創刊した徳島の高井北杜という人の句3月13日、二度目のお遍路は大滝寺で結願一番霊山寺へお礼参りに戻る途中の宿を88番大窪寺のおかみさんに教わった通り阿波市の土柱ランド温泉にとった。940mの山を越えて30キロ歩いたので疲れた。しかし宿から5分で見られるとあって荷物をフロントにおいたまま出かけた。まだ子供たちが小さかった頃家族で来たことがあるので今回は二度目最初の時ほどの感激はない。あとは歩き遍路の特効薬お風呂・ビール・快眠で疲れをいやした。
2015/05/16
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四国別格二十霊場、第二十番 大瀧寺霊峰の岩間にひらく法の道厄をながして衆生ぞすくわる遍路三日目(3月12日)は大窪寺から塩江温泉まで歩いた宿は樺川荘本館で、温泉に浸かっての休息日となった札所までの距離と宿の位置の関係でこういう日が出来る。塩江温泉に向かう途中、正面に見える山が明日の目的地の大滝山のようだ。三日目の歩きの途中で見かけた『力石』同上遍路四日目(3月13日)はいよいよ別格20番・大滝寺へ向かう。大滝寺は香川県と徳島県の県境に位置する標高946 mの大滝山頂にある宿から高低差約700m、距離10.7キロを歩くさぬき温泉(ホテル)を過ぎたあたりから工事用のダンプの往来が多くなった。椛川(かばかわ)ダム建設のための準備工事で、道路の付け替えなどをしているダム本体の工事はまだ始まっていない。ダンプの誘導をしていた人が話しかけてきたので少し立ち話をした。先方もこちらも人恋しい気分双方のそういう気持ちが通じ合ったらしい。ダム工事について説明をしてくれた二日前にイギリス人の女性遍路が通ったとも。工事関係車以外の車が通ることはない車で大滝寺へ向かう人は徳島側から行くらしいもちろん歩いている人はいない。大滝寺につくまで、シイタケ栽培をしている二人の歳とった男性に出会っただけだった。はるか前方に鉄塔のようなものが見えるあれが目指す大滝寺あたりだろうかと想像しながらひたすら歩く長い長い九十九折れの坂道を登りきると六角堂(若者集いの家)に到着あと2キロ、もうひと頑張り山頂付近は先日の寒波の名残か道路に雪が残っていた、足元注意だ。西照神社に到着同上そして遂に別格20番、大滝寺に着いたこれで別格20か所を廻り終えたのだ、感無量である。納経を済ませて和尚さんからみかんのお接待をいただいた。眼下には吉野川が望める一休みして宿で作ってもらった弁当を食べた団体お遍路さんがマイクロバスでやって来た。これで今回の巡拝は終わったが、出発地の1番霊山寺まで歩いて、お礼参りをする。徳島の脇町へ下って今夜の宿・土柱温泉に向かう脇町への下り、開拓地のように見えるミツバチの巣箱、何百と見かけた同上16:20、今日の宿・土柱ランド新温泉に到着本日の歩行は約30キロになる、このくらいが限界。
2015/05/15
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遍路二日目(3月11日)俳句の寺・宗林寺から結願の寺・88番大窪寺へ向かう一心庵同上馬の墓同上高地蔵(馬の墓と同じ場所)同上マメツゲの木でツルとカメを造形しているらしい前山ダムの堰堤が見えてきたところで昼食雪が舞って寒かった思いがけずおサルさんのお出迎えである遍路道の分岐車道直進 10.6km、女体山越え 7.8km女体山越えは距離は短いが時間は1時間余分にかかる登坂峻嶮約500m、絶景・感動のコース也こういう場合は常にしんどい方を選ぶことにしているので迷わず女体山越えの道をゆく前山ダム前山ダムの説明女体山頂(776m)絶景、志度湾から讃岐平野が一望ああこの道を来て良かった、と思うここからは下り、大窪寺はもうすぐだ四国霊場結願所、醫王山・大窪寺さすがに山門も立派3月11日 16:00、とうとうここまでやってきました四国八十八ヶ所、二度目の結願ですご覧のとおり、三日前からの寒波で手洗い所は凍結門前の宿、八十窪部屋にはこのように杖立てがついていた遍路時の杖はお大師さんの身代わりとあって大切に扱う部屋の一番上座におき合掌して宝号を上げお礼の言葉を述べる八十窪のおかみさん、83歳、遍路29回元気で威勢のいいおかみさんだった他に三人のお遍路さんが同宿みなさん歩き通して結願、満足の笑顔を湛えておられたみんなで結願を祝しあって乾杯した結願の宿だけあって赤飯を用意してくれていた大滝寺への道とそこから1番霊山寺へ戻る道がよくわからない塩江温泉→大滝寺→脇町→土柱温泉というルートをおかみさんにを教えてもらった。あと三日で霊山寺まで戻れそう。
2015/04/28
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遍路二日目(3月11日)志度寺門前の宿を出発87番長尾寺の巡拝を済ませて88番大窪寺へ向かいます。長尾寺を出てしばらく行くと俳諧の里・宗林寺『俳諧の里・宗林寺』に思わず立ち止まる一畑御坊 宗林寺(俳句寺と呼ばれている)寺院にしては雑然とした境内だなと感心山頭火を始めとして多数の句碑が並んでいるこの寺の坊さんの道楽なのでしょうか?しぐるるや しぐるる山へ歩み入るうしろすがたのしぐれてゆくか草が咲くかまど能(の)てふてふこの他にも冬遍路 バサッと 数珠を落としけり行乞途上秋ふかみゆく 笈もぴったり身について歩々到着歩々到着なんぞは歩き遍路にピッタリの句こうして道草をしながら歩いていると多少は山頭火さんの心境に近づけるかもしれません。これから前山ダムを経由、女体山を越えて結願の寺、88番大窪寺へと向かいます。
2015/04/14
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今回の遍路二日目(3月11日)86番志度寺の門前の宿を出発87番長尾寺、88番大窪寺を巡拝しました。第87番札所 補陀洛山 観音院 長尾寺あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ鴉啼いてわたしも一人宿を出発して間もなく山頭火の句碑に出会った尾崎放哉の「咳をしても一人」に和して読んだ句らしい。咳をしても一人鴉啼いてわたしも一人二つ並べてみるとよくわかるちょっと侘びしくなりますね。玉泉寺(87番奥之院)、本尊は日切り地蔵日切りというのは日を限ってお願いすると功徳がいただけるというお地蔵様長尾寺より先に奥之院があった最初のお遍路でも通ったので覚えている。先達の背伸びして振るやさしき手曲がり角より寺は近しと(美水)左奥の碑にはこんな歌が彫られている。お参りに来ていた地元の人から「長尾寺まで車で送ろうか」と声がかかったが、丁寧にお断り。道中のお遍路さん休憩所この種の休憩所、ちょっと一休みにとてもありがたい。以前に会ったお遍路さんから教わった話ですが休憩を済ませて発つときに、ベンチに向かって「南無大師遍照金剛」を感謝の気持ちを込めて三度唱えなさい。そうすれば忘れ物防止にもなる、と。たしかに休憩場所にはよく忘れ物をするのでとても有難いアドバイスだと思いましたがそもそも唱えることを忘れることがあるのは情けない。やがて宿から7キロの長尾寺に到着以下は次回の『88番大窪寺』で
2015/04/13
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3月10日から5日間の歩き遍路を思い出しながら記録に残しています。3/10、84番屋島寺から85番八栗寺へそして86番の志度寺まで巡拝しました。第86番 補陀落山志度寺いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつもう少し近寄って写真左(札所の北側)は直ぐに瀬戸内海、志度湾に面しています志度寺についたのは16:00朝から寒い一日でしたが夕方になって急激に気温が下がり寒さに震えながらお参りを済ませました。平賀源内の墓(自性院常楽寺)山門を出て左側すぐに、平賀源内の墓があった平賀源内は江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家この日の宿は札所から数分の『栄荘』へんろ地図の宿リストには数件の宿があるが『栄荘』には自分でつけた鉛筆の○印があってなぜつけたのかは思い出せないが多分、お遍路で出会ったどなたかの推薦だと思うそんな理由で今夜の宿が決まりました。建物は古く建具の立てつけが悪くて隙間風が吹き込んで来るので余分の布団を立てかけて防風対策これも楽しい想い出となります。この宿、二食付で6,500円翌日のお弁当をお接待してもらいましたその弁当にこの『丁度よい』という詩がついていました。丁度よいこの自然体を肯定する詩が気に入りましたこうしてお遍路一日目は無事終了です。歩いた距離は約15Km
2015/04/08
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3月10日からの歩き遍路の道中記です。第85番 五剣山 観自在院 八栗寺煩悩を胸の智火にて八栗をば 修行者ならで誰か知るべき札所は、標高375mの五剣山の8合目にあり麓からケーブルカーがついているが歩き遍路には無用の長物岩山をバックにした寺院の光景は日本離れしていて好きな札所のひとつです。ケーブル乗り場から見た五剣山向かって右端は1707年の宝永地震で崩れたそうですというわけでいまは実際には四剣山ですどの峰を見てもそれほど鋭くないのに剣山という名前は不似合ではないかそれとも名づけられた頃はもっと急峻だったのかどうでもいいようなことを考えながら歩くのが遍路の楽しみ参道を登り始めたところにヨモギ餅を売る店がある筈ところが留守でヨモギ餅もない期待していただけにまことに残念。気を取り直してしばらく登ったところで「お遍路さ~ん」と声がかかり女の人が出てきて「ちょっと休んでいきませんか」まさか変な想像をした人はいないでしょうね屋島から歩いてきて休憩していないそれにちょうどのどが渇いていたところご厚意に甘えて休ませてもらうことにしたお遍路休憩所『仁庵』冷たいお茶とお茶菓子、果物のお接待ありがたや、ありがたや、お接待!オリンピック誘致で“お接待”という言葉が脚光を浴びましたが、四国には古くからのお遍路文化に裏打ちされた真のお接待が脈々と続いているのです。参道を登り切ったところにお迎え大師右の水平な山並みが1時間ほど前までいた屋島高松市街を見下ろしながらしばし休憩お迎え大師の由来は知らないけれど名前通りに迎えていただき有難いこと85番屋島寺、86番八栗寺の巡拝を済ませてこの日三番目の札所、86番志度寺へと向かいます。3月10日だというのに寒波襲来で寒い一日折からの強風に雪が舞っていました。
2015/04/05
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第84番札所・南面山 千光院 屋島寺(四国八十八ヶ所霊場会のサイトからリンク)二順目の歩き遍路は今回が9回目今回で88ヶ所と別格の20ヶ寺合わせて108ヵ寺を結願の予定です。朝自宅を出発、新幹線・マリンライナーを乗り継いでJR・屋島駅 11:14着、84番屋島寺へ向かってスタート。屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島息子が結婚して屋島に居を構えていることもあって山上の屋島寺にはすでに何度も訪れている。息子のマンションから山上までちょうど一時間孫たちと登ったこともあれば早朝に一人で登ったことも登山道はいくつもあるがほとんどのコースを歩いている孫のナツキが、学校で教わったと言って知らなかった古道を案内してくれたこともあった。北嶺から北へ下りると長崎の鼻ここはよく孫たちと泳いだところ水着の用意が無く素っ裸で泳いだこともあった。閑話休題今回の遍路は、JR・屋島駅から出発したので廃線になっている屋島ケーブルの旧登山口駅から遍路道案内標識に従って大宮八幡宮を経由して登り始め途中から表遍路道に合流するコースで合流するまでの部分は初めて歩いた。あまりにも見慣れた景色ということで札所では一枚も写真を撮らなかった冒頭の写真は四国八十八ヶ所霊場会のサイトからのリンクさせてもらった。下山路は東側へ急こう配の旧遍路道を歩いた。次の札所・八栗寺のある五剣山(下山路途中から)画面下方が源平合戦で有名な壇ノ浦坂道を降りると佐藤継信の碑や菊王丸の墓があった源平合戦の地とあれば不思議ではない急ぐ旅でもないので写真くらいは撮っておこう。歴史にはさっぱりなので写真と高松市の説明だけでご勘弁を。佐藤継信(つぎのぶ)の碑佐藤継信が義経の身代わりとして忠死したことは武士道の鑑であると広く世人に知らせるために初代高松藩主・松平頼重公が墓所を屋島寺遍路道沿いに碑を新しく建立墓地公園としました。(高松市)菊王丸の墓教経の強弓に倒れた佐藤継信の首をとりに行くも継信の弟・忠信に射倒された菊王丸主君・教経がその死を憐れんでこの地に葬ったといわれています。(高松市)次は85番・八栗寺へと向かいます。
2015/04/04
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7:30出発、黒瀬湖へそそぐ加茂川に沿って県道12号を番外・極楽寺経由河口へ、さらに河口から今宮道を登って成就社へと歩きました。黒瀬湖同上番外霊場・極楽寺本殿は200段ほど石段をあがったところ境内のあちらこちらにツワブキが満開でした。加茂川の清流同上苦手な車道ですが、清流と風景に助けられて河口へ河口で東西から二つの加茂川が一つになり黒瀬湖を経て瀬戸内海へと流れます。河口の合流点を三碧峡といいます。ここには二軒の宿があったのですがいまはどちらも廃業してさびれていました。ほとんどの登山客は車で土小屋またはロープウエイ下まで行くので、河口からの登山道を歩く人はまれなようです。歩き遍路としてはやはり「へんろ地図」の通りここから標高差1,200mを歩くことにしました。道中の今宮の大杉途中誰にも会いません、ただ黙々と登るのみ。番外霊場・奥前神寺(64番前神寺の奥の院)H1,300mここからさらに登り道を25分、成就社(H1,400m)到着石鎚神社成就社に参拝、3軒ある旅館の玉屋旅館に投宿。同宿は埼玉から100名山を目的にやってきた同年輩の男性一人。神社拝殿の真正面に石鎚山が見えます。ひらがな書きの般若心経成就社を訪れるのは二度目になります。石鎚山の標高と年号が合った1982年に家族四人と古希を迎えた父とで登ったのです。その父も今はなく今年が七回忌ボクも当時の父の歳を一つ越えました。
2011/10/26
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7:00出発、宿でもらった手書きの地図を頼りに伊予小松から石鎚山ハイウエイオアシスの東側を通り60番 石鉄山・横峰寺(H745m)へ登ります。おカミさんに言わせれば「この地図で道を間違った人はおりません」標高差約750mの登りはさすがにきつく汗びっしょり60番横峰寺・61番香園寺奥の院への分岐最初の遍路では、60番横峰寺からここを通過して香園寺奥の院経由で61番香園寺へと下ったのでした。記録を見ると10年前の2001年6月2日のことです。60番石鉄山(いしづちさん)・横峰寺の手水団体のお遍路さんが次々にやってきて賑わっていました。休憩所で昼食中、男性三人、女性一人の歩き遍路に出会いましたがいずれも一人歩きのお遍路さんでした。以下、写真は横峰寺境内のダイモンジソウです。巡拝と昼食を済ませて平野林道を通り横峰登山口へと下る。当初は、星の森峠経由で河口へと向かう予定でしたが事前に横峰寺の住職に確認したところ通行止めと聞いて変更石鎚山へは大変な回り道になりますがやむをえません。平野林道は、車で横峰寺へ参拝する唯一の道路のためマイカーやマイクロバスの中はみな白装束のお遍路さんです。観光バスのお遍路さんも、横峰登山口でマイクロバスに乗り換えます。宿の「温泉旅館・京屋」はバス停・横峰登山口の近く黒瀬湖のほとりで、宿の前がバスの乗り換え所です。今夜は、二十人ほどの泊り客があり野宿で遍路をしているというニュージーランドの青年に会いました。
2011/10/25
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別格20ヵ寺と合わせて108の札所を巡る二順目のお遍路も回を重ねて今度が8回目となりました。今回は以前に天候が悪くてパスをした60番の横峰寺と霊峰石鎚山を訪ねます。11月に入ると雪で登れなくなる可能性もあり今しかない、というわけで、今日出発します。喉風邪と右ひざの痛みを抱えてのお遍路です。一応下記の様な予定を組みましたが予定通りに行けるかどうかはわかりませんねえ。宿は伊予小松駅前の「ビジネス旅館・小松」泊客は11人、ほとんどがお遍路さんのようです。10/24(月)自宅出発→JR伊予小松駅(泊)10/25(火)旅館発8:00→横峰寺→平野林道経由→横峰登山口(泊)10/26(水) 横峰登山口発→極楽寺→河口→今宮登山道→成就社着(泊)10/27(木)成就社発→石鎚山頂→面河へ下る(泊)10/28(金)面河→(伊予鉄南予バス)→久万営業所着→(JR四国バス)→JR松山→帰阪
2011/10/24
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四国遍路というキーワードで集まる会に歩友の中○さんに誘われて参加しました。会場は西宮にあるバー「曼荼羅」1時からというので時間きっかりに行ったら狭い店内はもう満員状態、参加者は40名。ほとんどが常連のみなさんで初参加もボクたち3人以外に数人遠くは徳島・鳥取・広島からも・・・みなさん「お四国病」にかかっている病人一通り自己紹介の後はお酒を飲みながらワイワイガヤガヤと楽しい遍路談義先達さんも何人かおられて教わることも多くにぎやかで楽しい半日を過ごしました。
2011/07/23
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二日間の小豆島の旅を終えて福田港からフェリーに乗った時のこと。当日は午前中に小豆島オリーブマラソンがあってそれに参加した人たちも多く、フェリーは混雑状態でした。何とか空いていた6人掛けの席に落ち着いて港の土産物屋で買った100円の地図を広げました。「小豆島八十八か所巡拝案内図」です。あと少し残っている二度目の四国遍路を終えたら小豆島の八十八か所もいいな、と考えているからです。同じテーブルになった女性の二人連れに、何気なく「今日はマラソンでしたか?」と話しかけたところ小豆島霊場を10日かけて巡拝した帰りだというのです。なんと、こんなこともあるのですね、いや、驚きました。これぞお大師さんのお引き合わせ(オーバーかな)小豆島の霊場コースには何の予備知識もないのでこれ幸いと、お二人の巡拝コースや宿について参考になる体験談を詳しくお聞きすることが出来ました。母の介護や妹の入院などの事情があり実現はいつになるかわかりませんがいつの日かきっと・・・・南無大師遍照金剛
2011/05/24
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「遍路歩記(あるき)パネル展」大阪朝日新聞社・1Fアサコムホール9月13日~22日・土日休館宮本光夫さんという方のお遍路の記録(写真とメモ)ですお遍路を体験したものなら説明は要らない写真と日記風のメモを見ているだけで伝わるものがあります。一度お遍路を体験するとお四国病にかかるといいますボクはまちがいなく自称・お四国病の患者です。遍路という文字を見たり、聞いたりするとなぜかまちがいなく反応してしまいます。ボクは88ヶ所を歩き遍路で一巡しました(ただの一回だけなのでえらそうなことは言えませんが)二度目の、別格20ヶ所を加えた108ヶ所の巡礼があと7ヶ寺、まもなく終わりますボクにとっての遍路は自由な出会いの旅心が開放されてとっても楽しい旅なのです。この催しを教えてくれたNさん、ありがとう。
2010/09/17
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石鎚神社(西条市)8時頃まで雨が残っていたので、出発は0820今日の巡拝(17キロ) 61番・香園寺 62番・宝寿寺 場外霊場・芝之井 63番・吉祥寺 (石鎚神社) 64番・前神寺本来なら60番・横峰寺へと向うところこれを飛ばして61番へ、理由は簡単横峰寺を訪ねるなら足をのばして石鎚山に登りたい秋の紅葉の頃にでも3、4日かけてゆっくり訪ねようという魂胆今日もまた桜が見ごろ特に61番・香園寺や石鎚神社は素晴らしかったこんなに結構なお遍路はそうないかもしれない石鎚神社は、境内も広く立派な神社但しここはお遍路とはまったく関係なく完全な道草予定通り64番・前神寺を打ち終えてちょうど切りもよいので、JR西条駅から大阪へ義母の容態が良くないときに勝手を許してくれたカミサンの手前この辺が潮時と潔く切り上げた次第今日もまたいただいたお接待に感謝!!
2007/04/07
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久妙寺の桜民家の屋根、飾りの瓦が目に付きます今日の巡拝(25キロ) 59番・国分寺 (今治市から西条市に入る) 番外霊場・栴檀寺(せんだんじ)(世田薬師) 番外霊場・臼井御来迎 番外霊場・実報寺 番外霊場・10番札所 興隆寺 番外霊場・久妙寺 番外霊場・11番札所 正善寺(生木地蔵-いききじぞう)実報寺・興隆寺・久妙寺の境内やその道中も桜が満開今日も好天で、花見を楽しみながらのうれしいお遍路が続く別格10番札所・興隆寺はH=275の高所にある広い境内と長い石段が印象的紅葉のころもいいだろうなと思いながらお寺をあとにする生木地蔵は、《生きた木に刻まれたお地蔵様》というのが名の由来弘法大師が一夜にして楠の大木の中に地蔵菩薩を刻まれたという。その楠は1954年の洞爺丸台風で倒れ、木の中にあった地蔵菩薩は現在の本堂に安置されていると説明があった。前回は別格札所を回っていないので、今日の後半は初めてのルート別格20霊場は、88ヶ所のルートをはずれて少しはなれた山の上などが多いので、とても楽しみです。
2007/04/06
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道中あちこちで見かけたベニカナメの垣根ちょうど芽をふいている時期で印象的でした。満開の桜の下を55番・南光坊へ向います 番外霊場・青木地蔵 (今治市に入る) 54番・延命寺 番外霊場・大山祗神社 55番・南光坊 56番・泰山寺 57番・栄福寺 58番・仙遊寺大山祗(おおやまずみ)神社は、55番・南光坊と同じ場所にある。大三島に総社を構える「日本総鎮守」の大山祗神社の別宮仙遊寺は、H=281の高所にあり、見晴らしよく境内の桜・石楠花が美しい。前回の遍路ではここの宿坊にお世話になった。もう一度和尚さんの話を聞きたかったが、残念なことに朝、出会ったお遍路さんから「今日はですよ」と聞いた。道中、小学校低学年の男の子が《がんばってください》と声をかけてくれた。とてもうれしく元気が出ます。適当なところに宿がなく、がんばって30キロ。
2007/04/05
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読みにくい地名と珍しい苗字 浅海(あさなみ)と 帽子さん(選挙ポスター)浅海は一発で変換できた、パソコンは賢い!それから帽子さんは無事当選されたでしょうか松山市から海岸に出て、北条市を経由、菊間町に入る海岸沿いの道を約21キロ歩く30分ほど強風が吹いてが降ったけれど、すぐにが出た今日は札所なし、番外霊場3箇所を巡拝 番外霊場・養護院(杖大師) 番外霊場・鎌大師 番外霊場・遍照院宿は○○旅館と名の付く古い和風旅館夕食のとき、女主人の独断的・マイペースの一方的にまくし立てるおしゃべりに圧倒された。「何かお飲みになりますか?」「寒かったから熱燗お願い」「うちはビールしか置いてなんです」「??????」こんなことで腹を立てるようではいけないのだこれもまた修行?であり、一つの体験・旅の楽しみだと思えばなんでもない。本日もお接待に感謝!
2007/04/04
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