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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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政策の哲学中野 剛志 著 経済政策の対立理解に絶好明治大学 教授 田中 秀明 評 本書は、民主国家における全ての国民にとって必要な「政策哲学」を論じるものである。有権者全員が広い意味での「責任ある政策担当者」だからと著者は説く。政策は政治家や官僚だけがつくるものではない。本書は序論からはじまり、10章と結論で構成される。第1章は、経済政策に大きな影響を与えている主流は哲学の問題点を指摘する。第2~8章は科学・国家・制作などの基本的な概念を整理している。特に、本書の核となる「公共政策の実在論的理論」が展開される。これらを踏まえ、第9章では財政政策について、第10章では政治のあるべき姿について、具体的に議論する。結論では、公共政策の実在論的理論こそが21世紀に必要な政治哲学であると主張する。本書を読んで最初に驚くのは著者の博学である。化学、哲学、経済学、政治学、社会学など関連する論文や研究を丹念に紹介している。哲学などと聞くと読むのを躊躇するかもしれないが、本書は実践的な政策散る案のあり方を論じている。それは、近年に日本の経済政策に関係する。日本経済は、90年代初頭のバブル経済の崩壊以降、全体としては低迷している。長らくデフレに陥り、人々の所得は低下した。これを打開するべく登場したのが、異次元の金融緩和などを軸とした「アベノミクス」である。その効果を巡っては、経済学者の間で賛否両論が繰り広げられている。著者は、これまで経済政策の在り方を支配してきた「主流派経済学は科学ではない」と断じる。同経済学は、非現実的な前提を置いて、小さな政府、規制緩和、民営化、健全な時勢、貿易の自由化などの政策を実行したため、金融危機、長期停滞、格差の拡大、貧困の増大などをもたらしたと説く。また、健全財政という財政に規律の根拠も非科学的だと主張する。著書が拠り所とするのが公共政策の実在論的理論であり、「国家政策が成立し得る存在的な条件を明らかにする理論」だ。ここでは、政策担当者の「裁量」がいっそう重要となると指摘する。そうであれば、日本における政治・行政や政策過程の実際について、もう少し議論を期待したい。著者は国家公務員であり、実態を熟知しているからだ。元より税制債権が目的ではなく、日本が直面する当面の課題は人口減少をのりこえることである。しかし、「年収の壁」などが典型的なように、現実の政策は問題解決には遠い。10年以上にわたり毎年2兆円を使い地方創成が進められたが、東京一極集中は是正されていない。市場は完全ではなく、政府の役割は重要である。しかし、市場が失敗すると同様に制作も失敗する。政治家や官僚は神さまではないからだ。著者は、政府の問題を分析する公共選択理論も批判する。傾聴に値するが、現実として日本の政策過程には問題が多い。議論は尽きないが、それほど本書の問題的期はおもしろく、経済政策のあり方について知的興奮をよぶ。経済政策を巡る対立を理解するには絶好の本である。(集英社 1980円)◇なかの たけし 評論家。東京大学卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。エディンバラ大学大学院より博士号を取得。主著に『日本思想史新論』(ちくま新書)。 【読書】公明新聞2025.3.31
November 13, 2025
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戦国を生き抜いた夫婦 愛の物語 最新作『織部の妻』を刊行小説家 諸田 玲子*1954年静岡県生まれ。96年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、12年『四十八人の忠臣』で歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。昨年8月に『岩に牡丹』(新潮社)、シリーズ第4作『きりきり舞いのさようなら』(光文社文庫)を刊行するなど著書多数。 共に笑い、泣き、世の理不尽に憤ってかけがえのない同志へ 敗者の歴史をたどるのはむずかしい。中世の女性の生きざまを知るのはなおのこと。近世こそ研究者の眼が向けられて重い扉が開かれつつあるとはいえ、著名な女性でもつうしょうや年齢があいまいだったり、家系図にただ「女」としか書き記されていなかったり。私がこれまで史料の乏しい女性たちの物語を紡いできたのは、知られざる声に耳をかたむけ、生きた証を少しでも刻んでおきたいという切実な願いはもとより、従来と異なる角度から眺めることで新たな歴史が見えてくるのではないか、との淡い期待があったからだ。悪妻の汚名を晴らしたいと意気込んで書いた徳川家康の正室の築山殿を皮切りに、秀忠の正室の於江、織田信長の正室の帰蝶、前田家の麻阿や豪、ちよぼ……等々、いわばライフワークのように書きつづけてきた。本紙で連載した『梅もどき』も、家康の側室の一人で、重臣の本多正純へ下賜されたお梅が主人公。歴史では見向きもされなかった側室のお梅だが、実は豊臣や徳川と血縁のある青木家の姫で、正純が宇都宮天井事件で失脚、幽閉の身となったのちも本多家のために尽力をつづけ、伊勢神宮のそばに庵を結んで清廉のうちに波乱に満ちた一生を閉じている。新刊『織部の妻』で自らの数奇な人生を語ってくれたのは、怒涛の戦国を夫織部と手をたずさえていき抜いた仙である。仙は中川清秀の異母妹。清秀は賤ケ岳戦で戦死したため歴史の狭間に埋もれてしまったものの、群雄割拠の時代、摂津国でキリンジのごとく頭角を現わし、信長にも秀吉にも一目おかれた勇将だ。清秀と仙の兄妹は、キリシタン大名として知られざる高山右近や、悪名高い荒木村重の従兄妹でもあった。幼いころから戦禍をくぐりぬけてきた仙は、信長の鶴の一声で古田織部の妻となる。織部といえば「織部焼」「織部好み」「へうげもの」……など、千利久の後継たる茶人として知られる。が、仙が嫁いだころの織部は信長の属将で、戦場を駆けまわっていた。夫婦は時に派手なけんかや紆余曲折をくりかえしながらも心をかよわせ、本能寺の変や関ヶ原戦はいうにおよばず、大坂の陣にいたるまで、数えきれないほどの戦禍をのりこえる。共に笑い共に泣き、ともに世の理不尽に憤って、かけがえのない同志となってゆく。封建時代に家父長制が確立前の女性たちは、私たちが創造する以上にたくましい。家康の母於大や秀吉の妻於根が好例で、夫の出世に一役買った妻も珍しくなかった。夫婦のかたちも様々で、仙姫を娶ってから織部は妻ひと筋、五男三女を生した二人はとびきり型破りな夫婦だった。好奇心旺盛で溌溂とした仙姫はむろん、そんな彼女を巧みに御してゆく織部も、型にはまらぬ、ひょうげた魅力の持ち主である。織田・豊臣・徳川の世を二人三脚で駆けぬけた夫婦が、最期の最後に想像を絶する悲劇にみまわれる。大坂の陣で、織部は択側から豊臣方との内通の罪を問われたのだ。いったいなぜ……織部の賜死はいまだに歴史上のなぞである。これについて、わたしは拙著でひとつの答えを示した。織部一家の悲劇が単なる謀反であったとは思えなし、思いたくもない。夫婦には、力を合わせて守らねばならないものがあった。命を懸けて守りたいものが……。二人は戦うべくして戦った。私はそう信じている。心の声で語り合い、生死の境を超えてなお労わり合う織部と仙に、共感していただければ嬉しい。(もろた・れいこ) 【文化】公明新聞2025.3.30
November 13, 2025
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多様な個性と力強く環境を「パワハラ」なき職場へ暖かい日が増えてきた。春は移動、転勤の時期。身の回りの環境も、人間関係も変化する。新たな職場に期待をする半面、不安を抱く人いるのではないだろうか。職場の人間関係におけるトラブルの一つに「パワーハラスメント(パワハラ)」が挙げられる。2023に実施した厚生労働省の調査によると、約2割の労働者が〝過去3年以内にパワハラを受けた〟と回答。同年の都道府県労働局への相談件数は6万件を超えた。一方、近年は企業や雇用主にパワハラ防止措置が法的に義務付けられるなど、パワハラ問題への認知も着実に進んできた。パワハラは職場での優越的関係を背景に、業務に不必要・不適当な言動で、働く人の就業環境を害するものを指す。職場のルールに反する言動への注意や、育成を目的として高いレベルの業務を任せることはパワハラに当たらない。とはいえ、自身の言動がパワハラに当たるかどうかを自ら判断することは難しい。どのようなコミュニケーションを取ればよいかと悩む人もいるのではないか。前述の厚生労働省の調査では、パワハラが起こりやすい職場の特徴として「上司と部下のコミュニケーションが少ない」ことが挙げられている。パワハラが起きるリスクを減らすために、部下や後輩などの接点を少なくすればいいと考えるのは間違いだ。「パワハラ」という言葉の生みの親である企業コンサルタントの岡田康子さんは、「部下が何を望み、どの方向で成長したいかを知り、その上で社会の期待や組織との調和を考えて対話を重ねることです」と指摘した。大切なことは、日頃からコミュニケーションや対話を重ねることで、同じ職場で働く人同士の「すれ違い」を防ぐことである。その上で、互いの価値観や個性を理解し、尊重しあって意見を交わす。会議での積極的な発言や提案、業務上の報告をしたこと自体を褒める。果敢な挑戦を歓迎する——職場にそのような雰囲気があるからこそ、皆がやりがい・働き甲斐を感じ、成果をあげられるのではないだろうか。どんな職場でも、人材こそ最大の財産であることに変わりはないだろう。さまざまな場面で一人一人が多様な個性を輝かせ、力を発揮できる環境を築いていきたい。 【社説】聖教新聞2025.3.29
November 12, 2025
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子どもが主人公の新時代を実現!教育評論家 尾木直樹氏の講演(趣旨)進む法制化きょうは創価学会教育本部のセミナーということで、小・中・高等学校をはじめ、さまざまな教育現場で奮闘する皆さんにお集まりいただきました。これだけ多くの教育関係者と対面でお話するのは、コロナ禍以降、初めてでではないかしら(拍手)。このような貴重な機会をいただき、とても楽しみにしていました。本日は「『子どもの新時代』の学校と教育」というテーマで、懇談的にお話したいと思います。現在、私はさまざまな場所で、「子ども新時代が到来した!」とお話しています。その背景には、近年、子どもの人権を守る法制化が急速に進んだことがあります。2023年4月、わが国では「こども基本法」が施行されました。これは、こども施策を社会全体で総合的かつ強力に推進するための法律です。実はそれまで日本には、「児童福祉法」や「教育基本法」などの個別の法律はあったものの、子どもの権利を包括的に保障する総合的な法律がありませんでした。「こども基本法」の第一条には、この法律が「日本国憲法」と「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)の精神に則ることが明記されました。つまり、子どもが大人と同様に一人の人間として権利を持ち、社会の形成に意面する機会を得られることなどが示されたのです。この法制化に伴い、政府は「こども家庭庁」を発足させ、基本理念として「こどもまんなか社会」を目指すことを掲げました。それまで言われてきた〝子どもファースト〟ではなく、社会の在り方を子供中心に捉え直す〝子どもセンタード〟へ、考え方を変えたのです。また、その前年の22年12月には、すでに公布されていた「こども基本法」に基づいて、文部科学省が、生徒指導の基本書である「生徒指導提要」を12年ぶりに改訂しました。これにより、教育現場においても、児童・生徒の個性や可能性を尊重し、校則の見直しや学校行事などについても生徒の意見を取り入れる方針になりました。さらに23年8月には、国連子どもの権利委員会が、気候変動に関わる子どもの権利を守るため、各国政府は環境に関する意思決定し際し、子どもの意見を考慮すべきであるとするなどの、新たな指針を公表しました。このように今、社会で、学校で、そして世界で、子どもを主人公とした新時代への動きが加速しています。さまざまな課題があることは承知していますが、私自身こうした動きに希望を感じています。だからこそ、これを単なる枠組みで終わらせるのではなく、子どもを中心に皆が幸福に生きられる社会の実現を目指して、具体的に行動をしていきたいと思っています。 生き延びる力「子ども新時代」を形成する大きな要素の一つに、AI(人工知能)の発達が挙げられます。AI時代の到来によって、人工知能に求められる能力は、大きく変化しています。スマートフォン一つで何でも調べることができ、AIが膨大な情報の中から最適な解答を導き出す時代において、人間に求められる能力は、暗鬼を中心とした知識量以上に、多様な個性を生み出せる人間の力へと移り変わっています。かつては、人間の優秀さを測る指標としてIQ(知能指数)が注目されていましたが、最近では、HQ(人間性知能)といわれるものが問われるようになりました。最先端の技術も、社会のために使おうとする人間性があってこそ、幅広い領域での活用が期待できます。反対に、人間性が欠落すれば、AI兵器などによって、戦争や殺りくが激化する危険性すらあるのです。そうした中で、今、注目されているのがデジタル・シティズンシップ教育です。これは、デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、勝れたデジタル市民になるための能力を身につける教育です。インターネットや情報端末が普及した今、そのリスクと利便性の両面を理解し、安全に、責任ある利活用を進めることが重要です。いずれにしても、教育には、すごいスピードで変化する時代に即応し、その中で生き抜く力を育む責任があるのです。経済協力開発機構(OECD)が推進してきた「EDUCATIONN2030」というプロジェクトをご存じでしょうか。世界各国の教育関係者らが協力して、2030年の近未来に求められる子どもたちの資質やその教育法などを検討し、提言したものです。そこでは、不確実な世界を生き延びる力の必要性が説かれ、具体的に、新しい価値を創出する力、対立するジレンマを調整する力、自らを客観視して責任を果たす力を三つが示されました。その後、世界中で猛威を振るったコロナ禍を経て、私は〝生き延びる力〟の重要性をますます実感しました。多くの課題が山積し、先の見えない時代だからこそ、豊かな人間力を育む教育の使命は大きいと感じます。 新しい価値を創出する豊かな人間性を育もう 授業も変わる社会が大きく変わりゆき中で、授業の形態も進化しています。多くの教育現場で、かつて行われていた教師から生徒への一方的な講義形式の授業ではなく、児童・生徒の主体性を引き出す、探求型のアクティブ・ラーニング(能動的学び)が導入されていることは、皆さんがご存じの通りです。私は長年、教育の実態を見つめてきましたが、こうした新たな取り組みの降下に目覚ましいものがあると感じています。山形県のある職業高校では、地域の「食育」にユニークな取り組みをしていました。生徒が地域の子どもたちと一緒に農作物を収穫して料理したり、オリジナルの紙芝居を作って「食」や「農業」の課題解決に啓発活動をしたりしていました。大人には思いつかない率直で柔軟な発想や、携わる子どもたちの生き生きとした姿がとても印象的でした。また先日、「スタートアップJr、アワード」という、小学生、中学生、高校生のプレゼンテーション大火で特別審査員を務めたのですが、子どもたちの豊かな想像力に驚くばかりでした。ある小学2年生の女子児童は、小児医療において入院時のプライバシーが確保されないなどの課題があることを、実際に入院中の友達とオンラインで動画をつなぎながらプレゼンテーション。子どものための人間ドックという新しい発想で課題解決を図り、さらに医療ツーリズムを通じたインバウンドの需要を得る提案を発表していました。私は、これらの事例を見ながら、改めて子供の可能性を信じる大切さを実感しました。子どもを一人の人格として尊重し、未来について共に考え、思い切って子供に頼ってみたらいいのではないかと思うのです。 大いなる理想へ最後に、「子ども新時代」の教育に携わる皆さんへのエールを込めて、私が大切だと考える三つの教師力について述べておきたいと思います。一つ目は、「聴く力」です。とにかく、「聴き上手」になること。仮に子どもが悪さをしても、すぐに叱るのではなく「どうしたの?」と耳を傾けてあげて欲しい。「そういう思いだったんだ。勇気を出していってくれてありがとう」と、〝叱る〟を〝褒める〟に転換してできれば、共感が生まれ、子どものエンパワーメント(内発的な力の開化)につながります。二つ目は、優しさと厳しさを合わせ持つこと。私はやさしさと厳しさは表裏一体だと思います。子どもの人権を傷つけることは絶対に許さないという峻厳な姿勢と、同時に、傷つきそうな子どもには徹底的に寄り添って、何としても守リ抜く優しさを持つことです。三つ目は、目標や理想といったアドバルーンは高く掲げよということ。教師は高い理想を掲げて前進することが大切です。アドバルーンを低くすると、学校や社会に脈打つ分かが低下する危険性があります。現実の厳しさを知っているからこそ、大人自身が大いなる理想に向かって進む最高の模範になります。30年後、私たちはどうなっているでしょうか。ある人は仕事を引退し、中にはお空の上から世界を見守っている人もいるかもしれません(笑)。しかし、今の子どもたちは、その多くが現実の社会を生きなければいけません。未来を生きるのも、未来をつくるもの今の子どもたちです。だからこそ、子どもを中心とした新たな時代を築くことは、希望の未来に直結すると思います。きょう集まった、教育に携わるわたしたち一人一人が力を合わせて、各現場で、新たな価値を創出する挑戦を続けていきましょう! 【教育本部セミナーから】聖教新聞2025.3.28
November 12, 2025
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鳥の生活に農業の影響日本野鳥の会 自然保護室長 田尻 浩伸本稿執筆時点では政府備蓄米の放出開始が新聞各紙をにぎわしているが、米不足についてお政府への批判を見ると日常生活に農政が与える影響の大きさをあらためて感じる。いま、今後5年間程度の創成の基本方針を占める食料・農業・農村基本計画の策定が大詰めを迎えている。今回の基本計画は、昨年4月の基本法形成後初めての計画となる。基本法では、農業が環境に負荷を与えることが明記され、環境負荷低減を図るとされた。世界の絶滅危惧種、準絶滅危惧種の鳥類のうち73%が農業の影響を受けており、この数字は森林伐採、侵略的外来生物、狩猟などの影響よりも高い。農業がこんなにも多くの種に影響を与えているのかと驚いたが、逆に言えば、農業で多くの絶滅危惧種の保全に効果をあげられるということだ。国内では年間約230種の鳥類が農耕地を利用するので、やはり農地は重要である。策定中の基本計画を見てみると、化学農薬や化学肥料、温室効果ガスの排出削減などにより環境負荷低減の記述が多く、生物多様性に関しては悪影響を避けることが中心で、積極的に生物多様性を向上させるための取り組みが少ない。農水省も独自の生物多様性戦略を策定しているのに、何とも心許ない。しかし、この状況は国だけの責任とは言い切れない。国連環境計画が昨年発行した報告書によると、政府による生物多様性保全への積極的な取り組みに賛同する人の割合が日本では世界平均より30%ほども低く、また、「よくわからない」と回答した人は世界平均1%に対して20%にもなった。生物多様性への無関心が生物多様性第5の危機という人もいる。多くの人に生物多様性の重要背を知ってもらう取り組みも欠かせない。 【すなどけい】公明新聞2025.3.28
November 11, 2025
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20世紀、欧州を中心に世界中に離散——亡命ロシア文学の世界北海道大学 准教授 小椋 彩祖国との離別、喪失感から独自性へ1917年の革命と続く内戦は、ロシアから膨大な数の亡命者を生み出した。十月革命以後から第2次世界大戦までに起こった人的大流出を、「亡命の第一の波」と呼ぶ。ソヴィエト・ロシアからの大量出獄は、第二の波(40-50代)、第三の波(60-80代)と続いたが、第一線で活躍する芸術家・知識人たちが一挙に祖国を離れた第一の波の文化的影響は、その多方面にわたり、きわめて大きなものだった。亡命者は欧州を中心に世界中に離散し、各地でコミュニティー作られた。その文化形成と維持に大きな役割を果たしたのは、新聞や雑誌などの定期刊行物だった。母語と引き離されることは、言葉を扱う作家たちにとって、音楽や絵画よりもいっそう深刻な意味をもつ。しかし、あるいはだからこそ、各都市には文学グループが多数出現した。こうして、20年代初頭のベルリン、次いでパリ、亡命ロシア文学が花開く。プラハやベオグラードなどにも、独自の文化コミュニティーが存在した。「亡命ロシア文学」という何らかの本質的特徴を備えた文学があるわけではない。作家たちがそれぞれ、自分の文学を創造しようとしただけだ。とはいえ、祖国との別離、その祖国がもはや昔のようには存在しないことから生じる喪失感が、彼らの文学の独自性を作っていたことも確かである。亡命前に文名を確立していても、異国で筆を折る者はいくらでもいた。そうした状況下でも旺盛な創作活動をつづけ、名声を博したのはイワン・ブーニン(①870-1953)だ。1933年、フランスに亡命していた彼がロシアの作家として初めてノーベル文学賞を受賞した報は、世界中の亡命ロシア人たちに大きな喜びをもたらした。代表作『アルセーニエフの人生』(※1)は、亡命ロシア人の回想の形式をとる。作家は自伝的要素の濃い本作に、帝政末期ロシアの姿を、美しく静謐な筆致で永遠にとどめようとした。ソ連国内にあっては、亡命者は裏切り者とみなされ、作品の鑑賞はおろか、一部の例外を除いては言及すらタブーであった。ペレストロイカで状況は一変し、解禁後、亡命文学は一気に大ブームの様相を呈する。ガイド・ガズダーノフ(1903-71)もそうして「発掘」」された一人だ。若くして祖国を離れた新世代の亡命かとしてウラミジール・ナボコフ(1899-1977)に並び称された才能であるが、世界的成功を収めたナボコフとは異なり、亡命ロシアの閉鎖的コミュニティーより外に出ることは叶わなかった。出世作『クレールとの夕べ』(※2)では、初恋のフランス人女性との邂逅を軸に、亡命ロシア人の主人公が、やはり人生を振り返る。フランス語に堪能だったにもかかわらず、ガズダーノフは生涯ロシア語でした創作しなかった。この世代の亡命作家は往々にして、ロシア文学伝統の継承者たる自己を長年作家よりも鋭く意識していた。しかし、「意識の流れ」の文体や、『クレールとの夕べ』に始まり、最期はその夕べへ回帰する円環的な小説構造など、ロシア文学の伝統というよりも、ヨーロッパ・モダニズムの明らかな影響がうかがいしれる。ガズダーノフの初めての邦訳は2022年に出版された。訳者はブーニン研究の第一人者でブーニンの端正な日本語訳で知られる。世代を異にする亡命作家が、愛して振り返った、ときに写実的でときに形而上的なロシアをぜひ読み比べてみてほしい。(おぐら・ひかる)※1イワン・ブーニング『ブーニング作品集4 アルセーニエフの人生 青春』望月恒子訳 群像社※2ガイト・ガズダーノ『クレーベルとの夕べ アレクサンドル・ヴォルフの亡命』望月恒子訳 白水社 【文化】公明新聞2025.3.28
November 10, 2025
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求められる科学リテラシー竹内薫(サイエンスライター)身を守るために必要噓を避ける判断材料に日本の科学力は下がっている「生成AIの進化がすごい」「コロナウイルスの変異株が見つかる」「メキシコで宇宙人のミイラを発見?」——。こんなニュースを目にしたら、皆さんはどう思うでしょうか。これらは、いずれも科学にまつわるニュース。現代では、さまざまなことが科学に関係し、まったく無関係というものの方が少ないほどです。例えばアメリカ大統領選挙。科学は関係ないと思われるかもしれません。しかし、毎回のように、AIによる多くのフェイクニュースが話題になります。偽動画、偽情報が出回り、投票の行方も左右するほどです。以前の日本は科学立国といわれていました。しかし、国民の科学リテラシーは、この数十年の間に低下し、そこにフェイクニュースのようなものが増えて、問題は拡大しているように感じます。混迷の時代だからこそ、化学リテラシーを取り戻して、フェイクニュースを選別できるようになってほしいと思っています。科学を選ぶのは、勉強のためではありません。大切なのは、自分自身や家族の身を守れるかどうか。命に関わるような問題ではなくても、詐欺などの被害を避けたりもできるはずです。科学的な話題について、皆が正しい判断をできるように、拙著『フェイクニュース時代の科学リテラシー超入門』(ディスカヴァー携書)も参考にしてもらえたらと思います。 SNSは便利だが注意したい私自身の感覚ですが、昔はもっと科学リテラシーがあったように感じます。今の方が最近の情報に接する機会が多いのに、どうしてでしょうか。その理由の一つとして、昔は皆が新聞を読んでいたことが挙げられます。科学ニュースの扱い方に関しては、バランスが取れていたように思います。その新聞を、多くの人が、1日1回か2回読んで、情報を仕入れていたのです。私自身はSNSを評価していますが、新聞との違いは、ファクトチェックを経ているかどうか。事実関係を判断できる人にとっては、すごく便利な道具です。しかし、専門分野がちがって、あまり詳しくない問題では判断が難しい。特に、いろいろな意見が出ている時には、判断に迷うのではないでしょうか。インターネットを使っていると、フィルターバブル、エコーチェンバーなどの影響で、似たような意見ばかりが集まってきてしまいます。自分が聞きたい意見、しっくりくるような意見ばかりが集まっているのに、それに気づかないケースも多いのです。例えば、浄水器の宣伝文句。水を飲むなら水道水でもいいはず。水道水のカルキが気になるのであれば、数千円の浄水器で十分。それなのに10万円近くする浄水器は、どうでしょうか。気分的に許せる範囲の宣伝文句もありますが、〝これを飲んだらがんになりません〟などのうたい文句は……。嘘から身を守るためにも、科学リテラシーは必要なのです。 誰を信じるか、見る目を養う科学はそれほど詳しくなくても、科学リテラシーを持つことはできます。重要なのは、誰の意見を信じて、自分の行動を決めるか。大切なのは、その人が、どのような研究をしてきて、どのような論文を発表しているのか、どのように評価されているのかです。ただ、専門家を見極める目を養うのは、単純だけれども難しいものです。そんな時は、詳しい人をフォローすることです。その上で、もっと知りたいのであれば、専門書や科学雑誌を読むといいでしょう。「日経サイエンス」「ニュートン」「子供の科学」などの科学雑誌がおすすめ。一見、難しそうに見えるかもしれませんが、最新の研究内容が分かりやすくまとまっていて、解説も充実しています。多くの人が化学嫌いなのは学校の勉強のせい。受験のため、知識を詰め込む勉強は面白くない。でも、未来の科学は非常にワクワク・ドキドキさせてくれるものです。実は、科学者が何をやっているのか、その現場をのぞくのが一番面白いのです。イメージ的には、動物園で動物たちを眺めるのは楽しいけれども、裏側で飼育員さんが何をしているのかはもっと楽しいもの。見えない場所でそんなことをやっているのかを見るのかと、興味は尽きないはず。科学者が本を出した時に行うイベント。サイン会などに参加すると、リアルな研究の裏話が聞けます。興味を持つことから始めて、少しでも科学リテラシーを高めてほしいと思います。たけうち・かおる 1960年、東京生まれ。サイエンス作家。分かりやすい科学解説や化学評論に定評がある。著書に『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』『自分がバカかもしれないと思った時に読む本』など多数。この4月、ZEN大学基幹教員・教授に就任予定。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.27
November 10, 2025
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奈良国立博物館 開館130年奈良国立博物館 主任研究員 三田 覚之国宝を守り、未来に伝える実物が語るリアリティー。それが文化財の持つ大きな力である。我々が存在する「今」は、遥か遠い祖先から、続く国の文化や歴史を再確認し、未来へ伝えていく大きな流れの中にある。そのときに参照すべき各時代の思想や美意識を具体的な形として伝える文化財はかけがえのない存在であり、ひとたび失われてしまえば、歴史をリアルに感じることも困難になるだろう。さて、明治28年(1895)に開館した奈良国立博物館(奈良博)だが、その歴史的なきっかけはさらに遡り、明治8年(1875)から18回にわたり東大寺大仏殿とその回廊で開かれた「奈良博覧会」に辿り着く。これは社寺の宝物に加え、特産品などを数多く紹介することで、地域の文化や経済の活性化を目指した企画であった。特に1~3回と5階では正倉院宝物の大規模さ展示が行われたことも特筆される。当時の奈良は、各社寺の経済的な疲弊や明治初期に行われた神仏分離の影響により、文化財の保存が危機的な状態にあった。そうした中にあって博覧会の反響は高く、明治22年(1889)には宮内省の管下に帝国なら博物館(現奈良博)が設置、今から130年前の明治28年(1895)に開館したのである。近代国家として日本画歩み出した初期に、奈良の地に伝えられた社寺の宝物を中心として、文化財を守る動きが始まったのは、現在から見ても幸いであったといえるだろう。博物館は文化財の調査・研究に基づいて、それらをお預かりし、保存と公開によって広くその価値を知らせる役割を担うために生まれたのであり、その基本的な方針は今も変わらない。奈良の地に深く根ざし、多くの社寺に支えられてきた奈良博では、このたび、開館130年を記念した特別展「超国宝—祈りのかがやき—」を開催する(4月19日~6月15日)。国宝とは、数多くの文化財の中にあって特に世界文化の見地から価値が高く、国民の宝として相応しいものとして国が指定した有形文化財である。文化財指定が文化財の価値を決めてしまうものではないが、指定という制度を通じて保護意識を高め、より適切なかたちで未来に伝える狙いもあるといえるだろう。そうした国宝という言葉が持つ意味を踏まえたうえで、今回あえて「超国宝」とタイトルにしたのは、それがとりわけ優れた文化財であるとともに、かけがえのない国宝を生み出したのは先人たちの祈りであり、時代を超えて輝きをつづけるものという思いを込めたからである。展示空間においては、文化財とともに未来に伝えていかなければならない本質として、祈りの輝きを表現したいと考えている。特に今回の特別展では、法隆寺の百済観音像を象徴的な作品としてお迎えする。本尊は明治の終わりから昭和初期まで奈良博にあり、初期の代表的な展示作品であった。百済観音像の燈明のように立ち上がった長身の姿。ぜひ今一度自らの祈りの輝きに出会うためにも、奈良博へ足をお運びいただきたい。(みた・かくゆき) 【文化】公明新聞2025.3.26
November 9, 2025
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個人の尊厳をいかにして守るのか 平等について、いま話したいことトマ・ピケティ、マイケル・サンデル 著/岡本麻左子 訳▲世界的に広がる〝右派ポピュリズム〟の躍進——本書の議論は、その背景に明瞭な説明を与える NHKで好評を博した「ハーバード白熱教室」でおなじみの政治学者マイケル・サンデルと、『21世紀の資本』が世界的ベストセラーとなった経済学者のトマ・ピケティ。欧米を代表する、この二人の巨頭による注目の対談集である。二人が取り上げるテーマは、「平等」について。権利や機械の不平等、富の偏在など、資本主義が構造的に生み出すさまざまな不平等について論じ合う。互いの専門領域や生まれ育った環境が全く異なる以上、両者の考えには当然、多くの差異がある。本書に解説を寄せた同志社大学の吉田徹教授は「サンデルの関心は多かれ少なかれ『(現象や言葉が)人にとって何を意味するのか』という点に向けられているのに対し、ピケティは『現実社会がどのような趨勢にあるのか』ということに関心を寄せる」と評している。そうした二人が合意を見た点の一つが〝不平等が個人の尊厳を毀損している〟ということだ。例えば、近年サンデルが警鐘を鳴らす能力主義(メリトクラシー)について、競争を勝ち抜いた者が、自身の成功を〝すべて自らの努力のおかげ〟と思い込むことが、取り残された人々に対して〝自業自得だ〟との冷たいまなざしを向けること、表裏一体になっていると批判する。実際には、高学歴や高収入といった社会的成功には、生まれ育った環境や境遇、幸運という要素も大きく影響していよう。不平等は今、本来は人類が皆、等しく持っているはずの尊厳を揺るがしているのだ。多種多様な不平等が社会に生み出すひずみは、日本でも随所に見られる。日本社会の未来を展望する上で、二人の議論が提示する視点は大きな示唆を与えるに違いない。(東) 【読書Book】聖教新聞2025.3.25
November 9, 2025
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糖尿病なら目の定期検査を網膜症の進行に注意今日のポイント放置すると失明の可能性 糖尿病には、よく知られる三大合併症「し・め・じ」があります。「神経」「目」「腎臓」の頭文字です。目については、糖尿病網膜症は失明の主要な原因の一つ。信仰するとし矢が架けたり、水らくなったりして生活の質を大きく損ないます。視力低下などの自覚症状が出た時には重症化している例が少なくありません。眼科を定期受診して眼底検査を受ける人を、いかに増やすかが課題です。 年1回以上の受診を推奨日本糖尿病学会の診察ガイドプランでは、糖尿病と診断された人に年1回以上の眼科受診、眼底検査を推奨しています。筑波大学医学医療系の杉山雄大教授(ヘルスリサーチサービス)、大学院生の山本行子さん(糖尿病内科)らは東京大学、国立国際医療研究センターとの共同研究で、医療者から眼科受診を進められたと認識した糖尿病患者は、効率で眼底検査を受けているとする研究結果を発表しました。2022年度に茨城県つくば市が国民健康保険加入者に聞いた糖尿病に関するアンケートの結果を、21年度の受診・健康診断の実績と突き合わせ、糖尿病の自覚があると回答した京290人分のデータを分析しました。すると、医療者から眼科受診を進められたと認識していた人の73%が眼科を受診して検査を受け、93%の人が「年1回以上」の受診の必要性を理解していました。一方で、勧められた認識がない人の、検査を受けた割合は30%。正しい眼科受診の感覚を知っている人も50%で、いずれの項目も大差がつきました。山本さんは「医療者からの受診勧奨が、理解や行動につながる。検査をどの眼科も受けられるので、通いやすいところを受診してほしい」と話します。 血管が傷み出血が起こる糖尿病になると、なぜ網膜症になるのでしょうか。糖尿病で血糖値が高い状態が続くと、血管の内側が傷んだり、血管が詰まったりします。これが神経障害や糖尿性腎荘、心筋梗塞、脳卒中、足の壊疽にもつながります。日本糖尿病眼学会の資料などによると、目ではまず、網膜に広がる毛細血管がダメージを受けます。毛細血管が詰まると体は新たな血管(新生血管)と作ります。このもろい血管から出血が起こると、角膜と網膜の間の硝子体が濁り、視野を遮ります。また、網膜のむくみや剥離が起き、急に視力が低下することもあります。眼科での眼底検査では点眼薬で瞳孔を開き、網膜の血管や神経系の状態を通常の健康診断より詳しく調べます。網膜症の兆候を症状がないうちからとらえて、経過を観察できます。治療では、薬剤の注射かレーザー光による凝固術、濁った硝子体などの切除手術をなどで、進行を防ぎます。 医療機関から手帳をもらい活用ただし、糖尿病を放置したままでは網膜症の進行予防は難しいと言います。特に血糖管理が不十分だと、5~10年で網膜症を発祥することがあります。杉山さんの別の研究によると、〝診断された時点で速やかに投薬治療が必要なほど糖尿病が進んでいた症例では、網膜症の治療もすぐに必要なケースが多かった〟という結果が示されています。糖尿病の主治医と顔回の間の連携が大事になるが、山本さんはそのために作られた手帳の活用を勧めます。日本糖尿病眼学会の「糖尿病眼手帳」は、糖尿病を診る医師と眼科医に提供されています。例えば、眼科受診の際に眼科医に記入してもらい、次の糖尿病の診察の際に見せれば、どんな治療を進めているかといった情報が記録、共有されます。使ってみたい場合は、「手帳をもらえないか」と医療機関で尋ねてみましょう。 メディカルmedicalトピックtopic💊手術すれば交通事故が減る〝睡眠時無呼吸症候群(SAS)の患者は、適切に手術を受ければ工数事故を起こすリスクが下がる〟との研究結果を、米トーマス・ジェファソン大学の研究チームが発表しました。患者280万人余りのデータを分析しました。診断後に交通事故に遭った人の割合は、重症者の多い持続陽圧呼吸療法(シーパップ)装置を使っている患者では6.1%、継承者の多い多数の無治療の患者では4.7%でしたが、手術を受けた患者では3.4%。事故後には高血圧や糖尿病、心不全などの合併症を発症する可能性も高まりました。研究チームは、交通事故による死傷を減らすという公共衛生、安全の観点からも、適応のある患者には外科的治療を考慮すべきだとしました。 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.24
November 8, 2025
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生誕250年を迎える————ジェイン・オースティンを読むフェリス女学院大学教授 向井 秀忠漱石は「写実の泰斗」と賞賛誰にもある人間の滑稽さを描くジェイン・オースティン(1775~1817)は、夏目漱石が「写実の泰斗」と称賛するなど、専門家から文学的に高く評価されてきた。同時に、一般の読者の多くにも、時代や国を越えて長く親しまれてきた。そんな彼女の作品の魅力はどこにあるのだろうか。最も親しまれている『高慢と偏見』(『自負と偏見』の翻訳タイトルもあり)は、出合い、五回、それぞれの反省、双方の和解と歩み寄りを描き、ヒロインの自由闊達さや相手役の格好良さが魅力となって多くの読者を惹きつけてきた。1995年のBBCドラマ『高慢と偏見』は大ヒットし、その後のオースティン・ブームのきっかけとなった。しかしながら、作品の魅力はこの二人だけでない。主人公の母親や主人公に求婚する教区司祭など、周囲の脇役を通して余すことなく描かれる人間性の滑稽さは誰にでも身に覚えのあるもので、そこにオースティンの小説の真骨頂がある。自己中心的で、卑屈さと尊大さが入り混じった複雑で奇妙な人間の本質が、深刻にではなく、笑いを交えて批判される。また、将来の経済的な安定を確保するためだけに、他のあらゆることにすべて目をつぶって結婚相手を選ぶひとりの登場人物の姿は、当時の中産階級の女性が置かれた苦境を描いた社会批判として作品の幅を広げている。作者自らがイングランド国教会の「聖職位授与」をテーマとすると書いた『マンスフィールド・パーク』は、種咽喉が真面目で堅物すぎて面白くないと批判されることが多く、オースティンの小説の中では最も批判が芳しくない。確かに、道徳的に気高いヒロインよりも、世間の目など気にせず、自分の欲望のままに行動する人物たちの自由奔放さの方が読者を惹きつける。ただ、同時に、生真面目で真剣に生きることを心がけ続け、それをひたすら貫き通す気高さとが、ヒロインの大きな魅力であると読後にしみじみと沁みてくる。他にも、この作品は、これまでオースティンについて考える際に避けてきた二つの点、セクシュアリティ(性的思考性)とポストコロニアル(植民地支配の賦の要素)から新たな読み方が示され、オースティンの作品の読みの幅を大きく広げている。最後の作品となった『説得』は、それまでの作品にはなかった静の魅力に溢れている。ヒロインが新たな男性と出会うことで物語が始まるのがオースティンの定番だが、この作品は終わってしまった恋愛のやり直しの物語となっている。新たな出会いも素敵であるが、失ってしまった大切な想いをどうしても断ち切れず、もう一度取り戻すことの方がずっと難しい。他の作品と比べ、主人公の年齢も高めで、その設定もさりげない言葉や行動が持つ意味をより深く切ないものとして読者に伝えるのだ。どうしてあの時にあの決断をしたのか、そうして片ときもあの人のことを忘れることができないのか。そして偶然の再開がもたらす大きな喜びと苦痛。成熟したヒロインの姿は、作者もまた精神的に成長したことを伝えるものとなっている。長い時を経てもなお、変わらぬ人間の魅力が伝わるオースティンの良作を楽しみたい。(むかい・ひでただ) 【ブック・サロン】公明新聞2025.3.24
November 8, 2025
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下山御消息①現代語訳 教学部編第一段 因幡房が訪問の弔問に至った経過(御書新版272㌻初め~11行目・御書全集343㌻初め~8行目) 下山光基の詰問(あなた=下山光基〈注1〉の仰せに)「定例の時刻の勤行〈注2〉としては、当然ながら阿弥陀経を読誦しなければならないのではないか」等とありました。このことについては、お話がある以前から、父の代理〈注3〉としても、自分自身の考えからも、この4、5年の間は、怠ることなく定例の時刻の勤行で阿弥陀経を読誦し申し上げておりましたが、去年(建治2年=1276年)の春の末、夏の初めから、阿弥陀経をやめて、ひたすら法華経の中の自我偈を読誦しています。さらに、おなじ行うなら、法華経全巻を読誦申し上げようと努めています。これもまた、ひたすら現世安穏と後生善処を祈るためです。ただし、阿弥陀経の読誦や念仏をやめていることについては、次のような理由からです。このごろ、日本国中で耳にする日蓮聖人が、文永11年(1274年)の夏の頃、同じ甲斐国(現在の山梨県)の飯野御牧〈注4〉の波木井郷〈注5〉の中の身延山という奥深い山に隠遁されましたので、しかるべき人々が聖人の教えをお聞きになるはずでしたが、聖人が制止なさっていたので、かないませんでした。並々ではない強い人間関係がないと(法門の聴聞は)実現できないようでしたが、ある人が聖人のもとにうかがうと言うので(その型と一緒に行きましたが)、聖人の教えを信仰するつもりでうかがったのではなく、どのような様子か見ようとして、人気のない所からこっそりと入り、お住まいの庵室の後ろに隠れていたところ、聖人は人々の疑問に答えて、教えの概略をお説きになりました。…………………………………………………………〈注1〉〖下山光基〗本抄の宛先の人物。本抄は、日蓮大聖人の因幡房日永のために代筆されたものとされている。日永は、念仏者であった光基の氏寺・平泉寺の僧で、日興上人を通じて大聖人に帰依した。その結果、光基より叱責を受け、平泉寺を追放された。本抄は、この日永が光基に送る弁明書となっている。〈注2〉〖定例の時刻の勤行〗決まった時間に行う勤行のことで、当時の天台寺院では夕刻に阿弥陀経を読誦するのが通例であった。〈注3〉〖父の代理〗因幡房日永は父親の代行として仏事を行っていたと思われる。下山光基を日永の父とする説もあるが、不詳。〈注4〉〖飯野御牧〗甲斐国巨摩郡にあった飯野牧のこととされる。「御牧」は朝廷御用の牧場のこと。〈注5〉〖波木井郷〗現在の山梨県南巨摩郡身延町波木井。 第2段 仏道修行の大綱(御書新版272㌻12行目~274㌻3行目・御書全集344㌻1行目~16行目) 法華経は最も優れた教えまず、法華経と大日経・華厳経・般若経・解深蜜経・楞伽経・阿弥陀経などのさまざまな経典について、それらの優劣・浅深などをお説きになったのをうかがうと、次のようなお話でした。(以下、日蓮大聖人の説法)法華経と阿弥陀経などとの優劣は、一段階とか二段階の差にとどまるものではなく、天地雲泥の差なのです。譬えを挙げれば、帝釈天と猿、鳳凰〈注6〉とカササギ〈注7〉、巨大な山と細かな塵、太陽や月と蛍の光などというくらいの高低・優劣の差である。それら、おのおのの経文と法華経とを引き合わせて、比べられれば、愚かな人でも分かるはずである。明々白々である。それ故、この教えはおおむね他の人も知っている。いまさら驚くようなものではない。また、仏の教えにもとづいて修行する仕方は、必ずそれぞれの経典が大乗なのか小乗なのか、権教なのか実教なのか、顕教なのか密教なのかを判明しなければならないし、その上、十分に、時を知り、機根を定めて、行わなければならないものである。ところが、今の時代の日本では、誰もが、阿弥陀経や阿弥陀仏という名前〈注8〉などを根本としていて、法華経を全く無視している。世間で智慧ある人として尊敬されている人々は、誰もかれもが〝自分は時と人々の機根を知っている〟とお思いになっているようですが、小さな善によって大きな善を攻撃し、権教の経典によって実教の経典をなきものにする過ちは、小さな善が大きな悪となり、薬が毒に代わり、親族がかえって憎らしい敵となるようなものである。彼らを正道に戻すのは容易ではない。 仏法実践の方軌また、仏の教えをよく分かっているような賢そうな人であっても、時により、人々の機根により、国により、前後にどのような教えが弘められているかによるということを理解しなければ、体と心を苦しめて修行しても、結果が出ないものである。たとえ小乗の教えだけが流布している国に大乗の教えを弘めることはあっても、大乗だけが流布している国では、小乗の経典を強く割けるのである。無理にこれ(小乗の経典)を弘めれば、国も禍が起こり、人も(地獄・餓鬼・畜生の)悪道に堕ちることが避けがたくなる。また、修行を始めたばかりの人には、二つの教えを一緒に修行させることを許さない。インド〔月氏〕の慣例では、小乗の教えだけの寺の者は、王が使う中央の道を通ることはなく、大乗の教えだけを学ぶ僧侶は、一般人が使う左右の道に足を踏み入れることはない。(小乗の者と大乗の者は)井戸の水でも川の水でも同じものを飲むことはない。まして、同じ一つの住房に住むことなどあるだろうか。それ故、法華経には、修行を始めたばかりの者がいる大乗だけの寺について、仏(釈尊)は次のように説かれている。「ただ大乗だけの経典を受持することを願い、他の経典の一つの偈ですら受持してはいけない」〈注9〉と。また、「声聞の教えを求める男女の出家者・在家者に親しみ近づいてはならない」、また、「(彼らに)あいさつしてはならない」〈注10〉と。たとえ父親であっても、小乗だけの寺にいる男女の出家者を、大乗だけの寺に入る息子は礼拝することはないし、親しみ近づくこともない。まして、その教えにもとづいて修行するだろうか。大乗・小乗の両方を学び修行する寺は、修行が進んだ〔後心〕菩薩が住むところである。…………………………………………………………〈注6〉〖鳳凰〗中国で聖王の出現の兆しとされえる想像上の鳥。〈注7〉〖カササギ〗鳥の名。御書本文の「鳥鵲」は「うじゃく」とも読む。カラスに似ているが、やや小さく尾が長い。また背は黒いが肩と腹は白い。〈注8〉〖阿弥陀仏という名前〗法然が創立した浄土宗では、阿弥陀仏の名を唱える称名念仏(具体的には、『帰依する』という意味の「南無」の語を付けて、「南無阿弥陀仏」と唱えること)を、極楽世界に生まれるための根本の実践とする。〈注9〉〖「ただの大乗の……受持してはいけない」〗法華経譬喩品第3に「若し比丘有って 一切智の為に 四方に法を求めて 合唱し頂受し 但楽って 大乗経典を受持するのみにして 乃至 余経の一偈をも受けずば 是くの如き人に 乃ち為に説く可し」(法華経206㌻)とある。〈注10〉〖「声聞の声を求める……してはならない」〗法華経安楽行品第14に「又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せず、亦問訊せず」(法華経424㌻)とある。 第3段 鑑真より伝教大師に至る日本仏教史(御書新版274㌻4行目~275㌻14行目・御書全集344㌻17行目~346㌻2行目) 鑑真の日本渡来ここで日本について見ると、初めて仏教が伝来した頃は、大乗と小乗がき別されていませんでしたが、神武天皇から数えて〈注11〉第45代の聖武天皇〈注12〉の御在位中に、唐の揚州〈注13〉にある竜興寺の鑑真和尚〈注14〉という人が、中国からわが国に法華経と天台宗を伝えたということがあったが、完全な教えを受け入れる機根がまだ十分ではない(円機未熟)とお考えになったのか、この教え(法華経と天台宗)を自分の心の中にしまっておいて、口に出すこともなさらず、唐の終南山〈注15〉にある豊徳寺の道宣律師〈注16〉から伝えられた小乗の戒律を、日本の三つの場所〈注17〉に打ち立てた。これは他でもなく法華宗が流布するための仮の手立てなのである。大乗が現れた後に、(大乗と小乗を)並行して実践しなさいということではないのである。例を挙げれば、儒教の根本の師匠である孔子や老師などといった3人の聖人〈注18〉は、仏(釈尊)の使いとして中国に派遣されて、仏教経典〔内典〕への入門として、礼儀と音楽を説く書物を人々に教えたのである。(天台大師智顗の)「摩訶止観」〈注19〉には、経典を引用して、「私(釈尊)は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〈注20〉などと述べられている。妙楽大師(湛然)は「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〈注21〉と述べている。仏(釈尊)は、大乗への入門として当座は小乗の戒律をお説きになったが、時が過ぎた後にはそれを禁止して、涅槃経でも「もし〝仏は常住ではない〟と言う人がいれば、どうして、この人の舌が抜け落ちないことがあるだろうか」〈注22〉などと説かれている。 伝教大師の法華経の宣揚その後、第50代の桓武天皇〈注23〉の御在位中に、伝教大師(最澄)という聖人が出現した。初めに華厳宗・三論宗・法相宗・俱舎宗・成実宗・律宗という六宗の教えを完全に習得されただけでなく、達磨宗(禅宗)の教えの最も深いところまで探求し、それだけでなく、日本に広まっていない天台(法華)宗と真言宗という二つの教えについても解明して、それらの浅深・優劣を心の中で極め尽くされた。延暦21年(802年)正月19日に、桓武天皇は高雄山寺〈注24〉にお出ましになり、奈良の七大寺〈注25〉の長老である善議〈注26〉や勤操〈注27〉たち14人〈注28〉の僧侶を招集して伝教と対論させ、六宗と法華宗との優劣を追求された。(当時は)六つの宗派の大学者たちが、それぞれの宗派ごとに「自分の宗派は、釈尊が説いた教えの中で最高である」ということを主張したけれども、伝教大師の一言で全て論破されてしまった。その後、天皇は再びお言葉をお伝えになった。和気広世〈注29〉を勅使として𠮟責なさったので、七大寺に属する六宗の大学者は一斉に天皇への感謝を記す上申書(注30)を提出した。14人の僧侶たちが書いた上申書には、「この世界の衆生は、以後は、すべての妙法・円教(円満な教え)の船に乗り、速やかに成仏の彼岸に渡ることができるでしょう」〈注31〉とある。伝教大師は、「250条の戒律は、たちまち捨ててしまった」〈注32〉と述べている。また、「商法・像法の時代はほとんど過ぎ去り、末法の時代がすぐそこまで近づいている」(注33)と。また、「一乗の立場に立つ者たちは、(一乗以外の)方便の教えを一切用いない」〈注34〉と。また、「汚れた食物を貴重な器においてはならない」(注35)と。また、「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢も、この叱責を受けたのである。釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶が、この例に従わないということがあるだろうか」(注36)と。(第3段は次号に続く)…………………………………………………………〈注11〉〖神武天皇から数えて〗御書本文は「人王」。神武天皇は初代の天皇とされ、『日本書紀』などでは、神武天皇より前の天皇家の祖先を神として扱っている。〈注12〉〖聖武天皇〗701年~756年。第45代天皇。鎮護国家の思想に基づき、国立寺院として国分寺・国分尼寺を諸国に建立し、亦東大寺の大仏を造営させた。〈注13〉〖揚州〗現代の中国江蘇省中部の都市。〈注14〉〖鑑真和尚〗688年~763年。中国・唐の僧で、日本律宗の開祖。天平勝宝5年(年)に基づく正式な受戒出家の方式を伝えた。また、天台大師の著作を含むさまざまな文献をもたらした。〈注15〉〖終南山〗長安(現在の陝西省西安市)にある山。〈注16〉〖道宣律師〗596年~677年。中国・唐の僧。律して詳しく、南山律宗の祖とされる。日本に受戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子に当たる。〈注17〉〖日本の三つの場所〗階段(出家希望者に対して正式の僧侶とする場所)が設置された処で、奈良の東大寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺、筑紫国(現在の福岡県)の観世音寺の3カ所のこと。〈注18〉〖3人の聖人〗孔子・顔回・(孔子の弟子)・老子のこと。「開目抄」(新53・全187)では、清浄法行経を引いて、釈尊は月光菩薩・光浄菩薩・迦葉菩薩の3人に中国を教化するように命じ、それぞれ顔回・孔子(仲尼)・老子となって中国に生まれ、中国に教えを伝えたと記されている。〈注19〉〖「摩訶止観」〗『止観』と略される。10巻、天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。〈注20〉〖「私は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〗「摩訶止観」巻6の文。清浄法行経の取意。前中8を参照。〈注21〉〖「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〗妙楽大師の『止観輔行伝弘決』巻6の文。音楽は、儀礼・儀式に欠かせないものであり、中国で古代より文明の象徴とされてきた。〈注22〉〖「もし、仏は常住……落ちないことがあるのだろうか」〗涅槃経(北本)第5の如来性品第4の文。涅槃業では仏が常住であることを説いており、それを認めないものを小乗として批判している。〈注23〉〖桓武天皇〗737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第一皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄に帰依し、日本天台宗の成立に大きく貢献した。(注24)〖高雄山寺〗現在の神護寺のこと。京都市右京区梅ケ畑高雄町にある。〈注25〉〖奈良の七大寺〗奈良(ナント)の中心的な七つの寺。諸説あるが、一般には、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺の七カ寺を指す。これらの寺は、奈良時代までに伝わり国家に公認されていた仏教学は(南都六宗)を研究する中心的な場所だった。〈注26〉〖善議〗729年~812年、平安初期の三論宗の僧。大安寺の道慈に学ぶ。弟子に勤操がいる。〈注27〉〖勤操〗754年または758年~827年。平安初期の何と七大寺の高僧の一人で、三論宗の僧。善機から三論を学ぶ。〈注28〉〖14人〗「叡山大師伝」によると、善機・勤操のほか、勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏が招かれたという。〈注29〉〖和気広世〗生没年不詳。平安初期の貴族で、和気清麻呂の長子。弟の真綱とともに深く仏法を信じ、日本の天台宗の成立に貢献した。〈注30〉〖天皇家の感謝を記す上申書〗御書本文は「謝表」。主君の恩に対して感謝の意を表明する上奏の文書。(注31)〖「この世界の衆生は……渡ることができるでしょうか」〗『叡山大師伝』から引用。〈注32〉〖「250条……捨ててしまった」〗『叡山大師伝』の取意。「250条の戒律」は、男性出家者(比丘)の律で、当時の日本ではこれを受持することで正式の僧と認定された。伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は、大乗の戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。〈注33〉〖『正法・像法の時代……近づいている』〗伝教大師の著作『守護国界章』巻上の下の文。『守護国界章』は弘仁9年(818年)の作。一般に日本では永承7年(1052年)を末法到来の年とする。〈注34〉〖「一乗の立場に……用いない」〗『守護国界章』巻上の下の文。一乗は、「唯一の教え」の意で、全てのものが成仏できるという法華経の教えのこと。〈注35〉〖「汚れた……置いてはならない」〗『守護国界章』巻上の文。もともとは維摩経の中で、小乗の教えを説いていた富楼那に対して、維摩居士が発した言葉。「汚れた食物」は小乗の教え、「貴重な器」は大乗を求める心をそれぞれ譬えている。〈注36〉〖「釈尊がいらっしゃった……ということがあるだろうか」〗『守護国界章』巻上の下の文。阿羅漢は、声聞の最高位。「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢」とは「具体的には富楼那のことで、前注の通り維摩居士から叱責を受けたことを述べている。「釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶」とは具体的には伝教大師と論争した法相宗の学僧・得一のことで、得一の天台教学批判は、人々の機根を理解していない点で、維摩居士から叱責された富楼那と同じであると述べている。 大白蓮華2025年4月号
November 7, 2025
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「問い」を考えるインタビュー 「編集工学研究所」社長 安藤 昭子さんあんどう・あきこ 編集工学研究所・代表取締役社長。出版社で書籍編集や事業開発に従事した後、「イシス編集学校」で松岡正剛氏に師事、「編集」の意味を大幅にとらえなおし、2010年に編集工学研究所に入社。21年から現職。著書に『問いの編集力』(ディスカヴァー・トェンティワン)など。 「問う」ことで見えてくる——自分の可能性と〝新たな世界〟 ——昨年9月、新著『問いの編集力』を出版されました。 日本の教育では、「答えを出す」ことが重視されてきましたが、その半面、自分で「問い」を立てる練習はしてこなかったのではないでしょうか。それでは、好奇心の起点である〝疑問を持つ〟力が弱ってしまいます。「変動性」「不確実性」などと表現される現代社会では、既存の価値観が崩れていく中で、自分が説くべき問題を設定するのは、ほかならぬ自分自身になっています。それにもかかわらず、問いが何かということは、見過ごされがちです。 ——問いの編集力は、どのように高めていけるのでしょうか。 日常生活の中には、考える労力を使わなくて済むような「固定観念」があります。そんな、「当たり前」を「ほんとにそれでいいのかな?」と塔習慣を身につけることがポイントです。それは例えば〝学校の生徒としてはこうあるべき〟〝友達としてはこう〟……のように、自分が無自覚に規定している「私」という枠組みを取り外すことからはじまります。固定観念の膜を破るため「土壌をほぐす」ことから、「問い」は生まれていきます。 ——安藤さん自身にも、そうした経験がありますか。 私は20年ほど前まで、出版社の書籍編集の部署にいましたが、興味・関心が、会社の部署の枠組みに収まらなかったんです。インターネットにも関心を持ち始め、システムの部署に入り浸ってはプログラミングを教えてもらいました。書籍の構想を考えることと、プログラミングは、私の中では〝つながっている〟感覚があるのですが、周囲にはなかなか理解されない。そんな時、編集工学研究所を設立した松岡正剛の書籍に出会い、同じく松岡が設立したイシス編集学校に入り、師事しました。私の人生も、「当たり前」に対する問いによって進んできたと言えます。 ——松岡正剛氏は、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発信してこられました。松岡氏に師事し、安藤さんは何を得ましたか。 編集工学という思考の体系を残してくれたので、まずそれを学べたということ。また、幸いなことに松岡のすぐ近くで仕事をする縁をいただいたので、松岡が何かを行動する際、〝何を捨て何を取っておくのか〟を考えながら〝二重写し〟で師の姿を見ていました。その方が、行動や結果といった〝一重〟の師匠だけを見ている時よりも、はるかに習得が早いと思います。編集工学では「方法を盗む」という言い方をしますけれども、松岡の思想とか智識のみならず、「松岡の方法」を見ているということをやっていたように思います。 ——私たちは、創価学会の池田大作第3代会長の著作である章節『人間革命』『新・人間革命』などから、当会の歴史や師弟の精神を学んでいます。 創価学会には、多くの言葉が残されていると思いますが、そうした言葉からも、師の息遣いを感じることができますね。編集工学研究所では今、「探求型朗読」というものを発信しているのですが、これは、松岡の読書の仕方を「方法」として学び、多くの人が活用できる型にしたものです。ぜひ書籍や言葉から、〝師匠が何を考えていたのか〟を学びの役に立てれば幸いです。 「探求型読書」のススメ「問い」の力を養うため、ここでは読書を通して、テーマを深堀する「探求型読書(クエスト・リーディング)」を紹介します。 ステップ1 テーマ設定「探求型読書」では、本の内容をすべて理解する必要はありません。むしろざっくり読みながら、必要な情報をすくい上げることに重きが置かれます。ポイントは「テーマ設定」。「どのような問いを設定するか」などを先に定めてか読書に臨みます。 ステップ2 目次読みまずは拍子や帯を見て、どのような内容が書いてあるかを想像してみましょう。次に「目次読み」です。本の目次だけを見て、大切だと思う「キーワード」をピックアップします。それを組み合わせて内容を想像することで、本の「輪郭」が浮かび上がってきます。 ステップ3 QAサイクル読む前に立てた仮説やトピックを、頭に浮かべながらザクザクと読み進めましょう。ポイントの一つ目は、著者の問題意識(問=Q)と発見(答え=A)も意識すること。読書時間の目安は、20~30分程度です。 ステップ4 アナロジー本文を読み、「連想ゲーム」の要領で、一冊の本から出た情報が「何に似ているか、何と関係がありそうか」というアナロジー(類推力)を働かせます。次に、読む前に立てた仮説と本文を読んで得られた情報との共通点やズレをメモします。最後に、それらを総合しながら、テーマに照らして思ったことを話し合います。 【「ユース特集」】聖教新聞2025.3.22
November 7, 2025
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「ハイリスク」という快感——ギャンブルへの依存ギャンブル依存症も日常生活の破綻を引き起こす深刻な症状です。例えば、パチンコをしている4人に1人が自分は依存症ではないかと思ったことがあると答えています。また友人同士で麻雀を楽しみ、なかなかやめられなくなった経験がある方も多いでしょう。ギャンブルはお金の出費を伴いますから、依存症の結果は深刻で悲惨なものが多く、時には犯罪を招くこともあります。ギャンブルがやめられなくなる原因として、昔からよくいわれているのは「ビギナーズラック」の存在です。ふらっと入ったパチンコ店で偶然大当たりが出ると、その結果が忘れなくなってパチンコ依存症になるというような説明です。もしこれでお客が増えるならパチンコ店は初めてのお客にサービスをするでしょうが、実際に初めての客を見分ける方法などありませんし、そのようなことをしなくてもお客はパチンコを楽しんでくれます。最近ではどうもビギナーズブラック説は間違いではないかといわれています。つまりそんなものがなくても、人は、いや動物はもともとギャンブルが好きなのではないかと考えられるようになってきたのです。そのきっかけになったのが「スキナーの箱」と呼ばれる、有名な鳩の実権です。 ・Aの箱:スイッチを押すとかならず餌が出る。・Bの箱:スイッチを押すとときどき餌が出る。 この2つのタイプの箱を複数用意し、鳩を入れて一定期間放置して学習させた後、A、Bともに一切餌が出ないようにしました。すると、Aの箱で学習した鳩は2,3回スイッチを押しても餌が出てこなくなると諦めたのに対し、Bの箱で学習した鳩は、一日中スイッチを押し続けたのです。Bの箱では、餌が出たりでなかったりするスリルがハトに何度もスイッチを押させる動機になっていたのです。それがギャンブル依存症の原因ではないかといわれています。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 6, 2025
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アルコール依存症が起こる仕組み日本のアルコール依存症は約230万人とも300万人ともいわれていますが、その中で入院して治療を受けているのは年間1万数千人にすぎません。つまりはほとんどの依存症患者がなんの治療も受けていないのです。アルコール依存症は、その依存対象が麻薬や覚醒剤のように法律で規制されていないだけであって、薬物依存の一種であり、患者数から見て最大の依存症なのです。この病気は『慢性(一度かかると治りにくい)で』で「進行性(症状が次第に重篤になる)」の患者であって、一度かかると完治することがほとんどなく、時には死を招くこともあります。また、人格の変化をともないますから、家族や周囲の人々に強いストレスを与えます。治療には長期間の断酒が必要で、一見正常に回復したとしても一度の再飲酒ですぐに再発しています病気なのです。アルコールすなわちエタノールの直接の作用は中枢神経に対する抑制作用です。神経の働きを弱くするわけです。なぜアルコールで酔っ払って暴れる人が多いかというと、抑制性の神経に対して抑制作用が起こるからです。つまり、アルコールは、脳のブレーキの働きをゆるめてしまうのです。お酒を飲み始めて、血中アルコール濃度が少しずつ上がると、衝動的な行為や、感情の抑制が利かなくなっていきます。このときうっかり、気になっている異性に過剰にバタバタしてしまったり、普段か変えているうっぷんを、上司に面と向かって言い放ってしまったりすることがあります。やがてもう少し濃度が上がると、意識や運動をコントロールしている神経も抑制され、刺激に対して反応しにくくなります。これを酩酊期と言います。さらに濃度が上がると呼吸を含めた生命維持活動までが抑制され、ひどい場合には死に至ります(昏睡期)。さて、この説明では、アルコールが脳の機能をマヒさせる、麻酔に似たような作用を持っていることはわかりますが、なぜ極端な依存症を引き起こしやすいのかについてはわかりませんね。ジュース、紅茶、コーヒーなど、他にも美味しい飲み物にはたくさんあります。産地名の付いた名産物や、高価な贈答品などとして売られているものもあり、中にはお酒より高価なものもあるようです。しかし紅茶やジュースの依存症というのはあまり聞きません。お酒にも「おいしさ」があり、ワインや日本酒などの銘柄にうるさい人はたくさんいます。またビールなどでは「喉越し」の快感を訴える人も多いですね。しかし、おいしいお酒ほど依存症になりやすいかというと、そうではありません。アルコールが依存症を招く原因は、味のせいではなく、アルコールという物質そのものの働きにあります。実は、アルコールは味やのど越しを通して快感を与えるだけでなく、報酬系をじかに活動させるのです。報酬系が活性化されると、人が快感を覚えることはすでに述べた通りですが、前述したようにこの報酬系には、普段、GABA神経を抑制する働きがあるのです。つまりアルコールが他の飲み物に比べて特に好まれるのは、味がいいからではなく「ご褒美」のブレーキを弱らせて、ドーパミンをたっぷり分泌させるからなのです。ところで、アルコールには強い人と弱い人がいます。それはアルコールを処理する酵素を持っているか持っていないのかの違いです。日本人の45パーセントほどが遺伝的にアルコールに弱く、ほとんど受け付けない人もいます。それでは、アルコール依存症のもなりやすい人となりにくい人がいるのでしょうか。最近、BASGRF2という遺伝子が、アルコールが切れても再度求めることはありませんでした。はたヒトの実権では、RAGRF2に変異がある少年はそうでない少年より、習慣的に飲酒をしているという事実が明らかになりました。今後、この遺伝子はアルコール依存症になりやすい遺伝子として研究が続けられていくでしょう。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 5, 2025
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次の行動企画に心を湧き立たせる「長崎へ行ってみたところ、おしくもロシア艦は去ったあとであった」と、鳥山らにすべてを報告したが、べつに落胆する様子はなく、顔色も声の張りもいきいきしている。このあたりが松陰の特徴であった。失敗すればまた、あらたな企画を考えるというたちで、このため失望や退屈をするいと(、、)ま(、)がなく、いまはもう、つぎの行動企画に心を湧き立たせていた。 【世に棲む日日】司馬遼太郎/文春文庫
November 5, 2025
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やっぱり宇宙は面白い佐々木 亮隕石、電磁波、ニュートリノ…地球に到達するものを調査 高い? 低い? 小惑星の衝突確立2月、びっくりするニュースが飛び込んできました。それは、去年発見された小惑星「2024 YR4」について、地球に衝突する確率が高まったというもの。太陽系には多くの小惑星があり、NASAなど各研究機関は、地球に近づく可能性がある小惑星をリストにして追跡、動きをシュミレーションして、地球との衝突可能性や、影響について調べています。この小惑星は、昨年12月27日に発見され、直径は40~90㍍と見られています。1月時点では1.2%の衝突確立だったものが、一時、2.8%に上昇しました。地球に近づく可能性がある小惑星は1700以上あり、その中でこの小惑星の衝突可能性が、最も高くなったのです。通常、小惑星はいびつな形をしていることがあり、軌道計算が難しいのです。きれいな球体であれば、重心の重さを考えればいいのですが、長細くなるとそうはいきません。回転することで、先端部分に重力が働き、軌道自体にも影響が出てしまうのです。通常、隕石が落下しても地上で気付くことはめったにありません。その理由の一つとして、地球の7割は海で、陸上に落ちたとしても、人間は狭い地球にしか住んでいないため、気付かないのです。大きな隕石が衝突したとすると、大きな被害が予想されています。1908年にロシア・ツングースカ上流に落下した隕石は、直径50~60㍍。爆心地から半径50キロの森林が炎上、約2150平方㌔(東京都と同じ面積)の樹木がなぎ倒されました。多数の被害を出した例としては、2013年にロシア・チェリビンスク州に落ちた隕石があります。直径10㍍以下ですが、落下の衝撃などで学校や住居、病院、工場などで窓ガラスが割れるなどの被害があり、1000人以上が負傷しました。NASAでは、映画「アルマゲドン」のように、人工衛星を使って、小惑星の軌道を変えたり、破壊する実験に成功しています。 日本でも見えた赤いオーロラ地球に衝突するものは、小惑星などの物質ばかりではありません。昨年5月、日本各地でオーロラが観測され、大きな話題になりました。オーロラは、極地方で見られる鮮やかな青や緑の光のカーテン。オーロラは、太陽フレアの影響で放出されたプラズマ(高温で電気を帯びたガラスの塊)が地球に衝突することで起きます。太陽からの粒子が地球にぶつかると、大気中の酸素や窒素が励起(活動的な状態になること)されます。これが元の状態に戻る時に、余分なエネルギーが光として放出され、オーロラになるのです。光の色は、エネルギーの大きさによって異なり、酸素が励起されたときには緑や赤、窒素の場合は青や紫になります。地球は磁場に囲まれています。この磁場のおかげで、太陽から飛んでくる粒子や強い放射線から守られているのです。しかし、太陽フレアが発生すると、磁場が強く乱され、太陽から飛んできたプラズマなどが大気にぶつかるようになります。プラズマは、地球に到達すると、地球の磁場に沿って移動し、北極や南極で待機にぶつかることに。そのため、通常は北極や南極に近い場所でしか、オーロラを見ることはできません。昨年は、特に太陽の活動が活発で、強い太陽フレアが発生しました。その結果、大気にぶつかるプラズマの量も増え、大規模かつ広範囲でオーロラが観測されたわけです。いくら広範囲で発生したオーロラといっても、日本の上空で発生したわけではありません。極地方で発生したオーロラが大規模だったので、遠くからでも観測できたのです。また、遠い場所からだと上空のオーロラしか見えないため、赤色に見えたわけです。地球に衝突するのを調べることで、宇宙についてさまざまなことが分かってきました。隕石からは太陽系の誕生などが。宇宙を観測する時にも、目に見える光(可視光線)、エックス線、赤外線、ニュートリノ……。観測のための機器も進化してきました。今後、宇宙についてもっと面白いことが分かってくるでしょう。=談(宇宙ポッドキャスター) ささき・りょう 1994年、神奈川県生まれ。専門は宇宙物理学。理化学研究所、NASAの研究員を経て、現在、科学系の発信やデータ分析を用いた事業を推進。毎日配信しているボッドキャスト「佐々木亮の宇宙ばなし」が注目されている。近著に『やっぱり宇宙はすごい』(BS新書)がある。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.20
November 4, 2025
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河川に挟まれた激戦の舞台城郭ライター 萩原 さちこ長篠城長篠・設楽原の戦いの舞台となった長篠城(愛知県新城市)。1575年、徳川家康方の奥平貞昌が籠る長篠城を武田勝頼が攻撃。やがて織田信長・家康連合軍と武田軍が設楽原で激突し、大敗を喫した武田氏は衰退して滅亡の一途を辿ることになります。長篠城は東三河地域の平地と山地の境目、遠江放免、美濃方面、伊那方面の各地に通じる街道の分岐点にあります。この地域では、今川氏の没落後、武田信玄・勝頼親子と家康が熾烈な領土争いを展開。長篠城の支配権も、徳川から武田、そして再び徳川へと目まぐるしく交代しました。城は寒狭川(豊川)と三輪川(宇連川)の合流点にあり、河川によって削られた河岸段丘を利用して築かれています。秘境のような静かな景観からは激戦など連想できませんが、牛渕本に立てば、二つの河川と断崖に守られた城の強みがよくわかるはずです。500余で1万5000の猛攻に持ち堪えられたのは、この地形のおかげでしょう。台地の突端部分には野牛門があり、野牛曲輪が置かれていました。JR飯田線の線路を境に北西側が本丸となり、その境には7㍍の土塁を築いて独立性を高めていたようです。発掘調査によれば、本丸は南西側以外に土塁と堀がめぐり、北側に土橋でつながれた虎口があったよう。北側には虎口を経て帯郭、その北側に外堀がありました。この虎口とセットで、長篠城史跡保存館の辺りには馬出があったとみられます。断崖地形をうまく利用しながら、平地が続く方向は土塁と堀をめぐらせる、なかなか防御性に優れた設計だったといえそうです。長篠城は徳川方の城となった後に城主の奥平氏によって最終的な回収をされたとみられますが、1571年に徳川方から武田方に帰属した際には、武田氏も手を入れていたようです。城内をJR飯田線が貫通しているものの、本丸を取り巻く掘りと土塁はかなりダイナミックで圧倒されます。本丸からは、武田軍が人を置いた中山砦、鳶が巣山砦、姥が懐砦などの砦軍が遠望できます。 【日本全国お城巡り‐33‐】公明新聞2025.3.20
November 4, 2025
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森鷗外と芝居早稲田大学名誉教授 中島 国彦海外の戯曲を翻訳し、演劇に影響近代日本の文学者として、森鷗外と夏目漱石は双璧だが、対称的な点が多い。ほとんど翻訳をしていない漱石に対し、鴎外の翻訳は質量ともに群を抜いている。漱石は劇作品を残していないが、鴎外には明治30年代の旧劇改革の試みから日露戦争後の現代劇まで、戯曲集『我一幕物』に収録されていた幅広い作品が残されている。「芝居」という語感から浮かび上がる世界が、鴎外の周辺には立ち込めている。鷗外の演劇体験は、1872年に東京に出てきたからのものだが、歌舞伎の世界は身近なものだった。鷗外より5歳年下の弟篤次郎は、三木竹二の名で活躍した劇評家で、雑誌『歌舞伎』の主宰者だ。岩波文庫に『観劇偶評』がある。時代が新しくなっても、まだ文学では馬琴など近世小説の影響が強いのと同じように、歌舞伎の世界はまだ身近なもので、季節感もあり華やかな様式美のある別世界として感じられていた。歌舞伎座など桟敷のある劇場の存在が、観客の一体感を生み出し、それを助長したのだろう。1903年、市村座で若い永井荷風が敬愛する鴎外に初めて会い、温かい励ましを受けたエピソードも思い出される。それを転換させたのが、鴎外の外遊、ドイツでの度重なる外国文学の摂取、そして演劇体験だった。近代文学の成熟とともに、その影響が次第に現れてくる。外国滞在時に演劇体験をした文学者は多い。荷風のアメリカ、フランスでのオペラ体験、漱石や島村抱月のロンドンでの劇場体験も見落とせない。それに対し医学研究が中心の鴎外の演劇体験は、文学作品を読むことが中心だったのだろう。それがおびただしい数の翻訳戯曲の存在に現れている。ゲーテの『ファウスト』から、イプセン、ハウプトマンなど比較的新しい現代劇まで、時代に与えた影響は大きい。対立を造形化、心を情感豊かに描く現代劇の基本構図は、二つの世界の対立にある。新旧のこともあるし、男女の対立ドラマもある。「芝居」「台本」という語感ではなく、新しい「演劇」「脚本」、それが言語化された「戯曲」という表に出てくる。舞台上の対話、ダイアローグの熱量が、鷗外によって、一気に増大する。観客は一人一人、そうした舞台上の世界に対面する。1909年に、イプセン作・鴎外訳『ジョン・カブリエル・ボルクマン』上演で自由劇を始めた小山内薫の活動も、鴎外に刺激を受けたからだ。芸術座で松井須磨子と全国各地を回っていた抱月も、鷗外訳の一幕ものを取り上げている。鷗外の大きさは、対立を観念化して造形し、一気にぶつけるという方向だけではなく、人間の心を情感豊かに描き出す方向にも、見事な達成を見せていることにある。『団子坂』「影と形」といった対話は明快で面白いが、それよりも、一編の短編小説が生み出す、しみじみとした印象の方が強いこともある。ひと組の夫婦の愛情が浮かび上がる『ぢいさんばあさん』は、鷗外原作は小説だが、宇野信夫の巧みな脚本により、上演回数の多い、文字通りの「芝居」の世界となった。演劇の世界で鴎外のまいた種子は、今後も大きく広がるはずである。(なかじま・くにひこ) 【文化】公明新聞2025.3.19
November 3, 2025
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海底に眠る負の遺産パラオで進む戦争の後始末 太平洋の青い海に囲まれた常夏の島国パラオ。世界屈指のダイビングエリアとして知られるが、海の底には旧日本軍の艦艇などが静かに眠っている。公的な潜水チームがないこの国で、80年経った今も戦争の「負の遺産」である水中爆発物の後始末に当たる日本人たちがいる。(コロール=パラオ=時事) 元自衛官らが爆発処理を支配者だった日本人の責務から 水深30㍍に残る爆雷4万4000発——。福島県出身の元海上自衛官篠山浩司さんがこれまでに発見・処理した爆発物の数だ。篠山さんは、水中不発爆弾処理に30年以上従事した熟練ダイバー。退官後、自衛官OBらが設立したNPO「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、2016年五パラオに赴任した。以来、パラオ人との混成潜水チームのリーダーとして毎日のように海に出て、爆発物に向き合ってきた。日本の問い地下にあった第2次大戦末期の1944年3月、南方作戦の拠点だったパラオの湊に米軍の大空襲があり、停泊していた輸送船など多くの日本観船が沈没。積載されていた爆雷船が沈没。積載されていた爆雷や、米国の不発弾などが海中に残されることになった。戦後、沈没船の探索が進み、主要港であるマラカル港の沖合約1㌔で発見された日本の輸送船「ヘルメットレック」(通称)から約5000個の爆雷が見つかった。爆雷容器は腐食が進み、有害成分が漏出。海洋汚染を懸念したパラオ政府は2012年、JMASに爆雷の処理を要請した。水深約30㍍の暗くて狭い船内から、もろい爆発物を取り出すには高度な専門技術が必要だ。篠山さんたちは1個150㌔ある爆雷を一つずつ水上の筏に引き上げ、陸に移送する地道な作業を進めてきた。「震度の関係で潜水作業は1日に1時間程度。あまりにも量が多く、活動当初は途方に暮れた」と振り返る篠山さん。しかし「自分たちの先輩が残したものだから、自分らで処理するしかない」と諦めず、取り組み続けてきた。かつての支配者である日本人の責務だと考えている。 現地ダイバーも育成パラオでは今なお海中で爆発の危険がある不発弾が見つかる。活動期限が25年末に迫るなか、JMASはパラオ政府と協力し、自分たちに代わる現地ダイバーの育成に取り組んでいる。訓練を受けるコロール州レンジャー隊員のマック・正晴さんは水中での創作方法などを約3年間かけて習得。篠山さんたちを「厳しい先生」と評するが、「爆発物処理の技術を身につけて、国の宝である海の安全を守りたい」と笑顔で話す。「パラオの未来のために」。その思いが両国の人々を深く結びつけている。 世界一の〝親日国〟西太平洋に浮かぶ約340の島で構成されるパラオは、屋久島とほぼ同じ面積に約1万8000人が暮らしている。1914年から約30年にわたり日本の統治を受け、太平洋戦争では激戦地となった。93年には日系2世の故クニオ・ナカムラ氏が第6代大統領に就任。約94年に米国からの独立を果たし、観光業を中心に発展を遂げてきた。絆を忘れず次世代につなげる統治時代に多数の日本人が維持住したため日経人口比率が高く、「ダイジョウブ」「ナマイキ」など日本語に由来する言葉が数多く伝わる。当時、日本が玄地産業育成に力を入れたほか、冬眠向け教育を行ったことなどから親日家が多く、「世界一の親日国」とも呼ばれる。日本風の名前を持つ人が多く、日本にルーツがない人も「サトウ」などの姓を名乗っている。アイタロー外相は「日本とパラオの歴史は長く、兄弟のような特別な関係にある」と強調。「ともに不発弾御処理を進めるのは平和を示す象徴的な動きだ」と述べ、「日本人にはパラオとの絆を忘れず、次世代につなげて欲しい」と訴えている。 【文化・社会】聖教新聞2025.3.18
November 3, 2025
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深刻な社会の分断招く恐れも科学文明論研究家 橳島 次郎ゲノム編集の未来㊦前回、ゲノム編集の発展形として、受精卵の段階で数十、数百の遺伝子改変を施す「多遺伝子編集」の研究が進められていることを紹介し、その医学上の問題点を見た。今回は、この先端技術の倫理的問題について考えてみたい。人間の遺伝子にどこまで手を下してよいか。1990年に遺伝子治療を始める際に米国が作成し、その後、日本を含め世界中で採用された倫理指針では、人間の遺伝子組み換えに二つの制限を設けた。第一に、病気の治療目的以外の利用は禁じる。例えば成長ホルモンをつくる遺伝子の改変・投与は低身長症患者の治療に限り、健常者の身長を伸ばすことに用いるのは禁じる。第二に、子孫に遺伝する生殖細胞(精子、卵子、受精卵)の遺伝子組み換えは禁じる。この二つの制限が設けられたのは、当時、生命の設計図だとされた遺伝子に人が手を加えることへの懸念が非常に強く、人間の遺伝子改変は最小限に抑えようとの配慮が働いていたからである。だがその後、遺伝子治療は、がんなどの一般の病気の治療に広く使われるようになった。さらに2010年代に、従来の技術よりも高い制度と高率で遺伝子を改変できるゲノム編集が実用化され、人間の遺伝子治療にも応用され始めた。こうして遺伝子改変の技術が広まるにつれて、従来の倫理的制限の見直しを求める動きが出てきた。その結果、激しい議論の末、欧米や日本など多くの子にで、受精卵のゲノム研究を、子宮に入れて子を産ませることは当面禁じるという条件で認める方針が採用された。受精卵を対象にするのは、発生の起点で遺伝子改案をすれば全身の細胞に生き渡り、効果を発揮するのに最も確実な方法だからだ。多遺伝子編集は、こうした倫理的制限の緩和の流れの中で企図されたが、最も懸念されるのは、病気や障害のない人間だけを産もうとする優性思想の実現につながる恐れである。今のゲノム編集の週十倍の規模で遺伝子改変を行う多遺伝子編集は、そうした懸念を増大させる。病気や障害があっても生きようとする人々への差別と排除が強まるのは避けなければならない。まして、病気の予防に加え筋肉の増強や記憶力の強化など、心身の向上を目的に多遺伝子編集が行われれば、そうした改造を受けた人と受けない人との間の格差が大きくなり、深刻な社会の分断を招くだろう。人間の遺伝子改変は病気の予防と治療のためだけにするという倫理的制限は、今後も守るべきではないか。 【先端技術は何をもたらすか‐39‐】聖教新聞2025.3.18
November 2, 2025
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痔__3人に1人がかかる病今日のポイント座りっ放しは禁物樽見医師多くの人が知っている、身近な病である痔。デリケートな部位でもあり、人知れず悩んでいる人も少なくない疾患です。エキスパートである樽見研医師(札幌駅前樽見おしりとおなかのクリニック医院長)に聞きました。 ——痔とは?肛門周辺に起こる病の少々です。老若男女の誰にも発症する可能性があり、乳幼児もかかります。肛門の皮膚が切れやすいなど、なりやすい体質もあります。日本人は、あぐらや正座など発症しやすい生活習慣が多く、3人に1人は何らかの症状を抱えていると考えられています。「いぼ痔(痔核)」「切れ痔(裂肛)」「あな痔(痔瘻)」が痔の三大疾患です。いぼ痔は、血管のこぶが生じる部位が外側か内側で「内痔核」「外痔核」に分かれます。 いぼ痔が半数 原因はうっ血 いぼ痔が全体の半数以上を占めます。内痔核は出血しますが、量に個人差があります。脱出や残便感の症状も出ます。痛みはありません。外痔核はほぼ出血しませんが激しく痛みます。いぼ痔の原因はうっ血(血がたまること)です。——なぜ、うっ血するのですか。肛門は内臓の一番下にあります。「無理な力をかける(いきみ)」「座り続ける」「立ち続ける」などで上半身の静脈血が肛門周辺にたまり(うっ血)、腫れていぼ痔になります。あぐら、正座、横座り、椅子に座る姿勢のいずれも、うっ血します。デスクワークや運転手などは、うっ血しやすい職種です。運転席で、膝より下におしりが沈み込む角度の場合、下半身の血まで集まってしまいます。便秘や出産は、強いいきみにつながります。便座に座る姿勢も、うっ血を生みます。トイレでスマホや新聞を見る人もいますが、トイレがながいと、いきみがなくても、長く座る分、うっ血が促されます。冷えも血流を滞らせるため、うっ血を促進します。——トイレに入ったものの便が出にくい場合は、どうすればよいですか。諦めてトイレから出た方が、負荷は減ります。男性は〝一度に出し切りたい〟という気持ちが強く、頑張っていきみがちですが、うっ血を進めます。なお、下痢でも、うっ血します。——どうしてですか。肛門が閉じようとして、無理な力をかけるからです。肛門周辺は蛇口のような役割を果たしています。蛇口を強く開け閉めすると、次第に気密パッキンの収縮性が悪くなることと同じです。下痢での肛門収縮は無意識に長く続きます。意識すれば力を抜ける便秘よりも厄介です。過度の飲酒も、うっ血します。血流が増えて校門付近にたまる一方、上半身の心臓側に送り出せる血流量は増やせないためです。 切れ痔 主に女性あな痔 9割男性 ——切れ痔とあな痔の特徴は?切れ痔は、便が肛門を通るときにできる裂傷です。便秘しやすい女性に多く起こります。下痢でも、校門の伸縮性が落ちて切れやすくなります。入辺bb時や排便後に痛みが強く出ますが、出血は生良です。切れ痔は放置すると、皮膚が出っ張り、ポリープにもなります。あな痔は肛門の内外をつなぐ膿のトンネルです。下痢などで、直腸に近い肛門腺に常在菌などが入り込んで膿むと発症します。通常、それらの菌は免疫で抑え込まれています。体が弱っていると、時に急速に感染が拡大し、数日でトンネルが貫通し、あな痔となります。強く痛みますが、切開して膿を取ると楽になります。患者は9割が男性です。下痢になりやすく、肛門腺が多いからと考えられています。 植物繊維の摂取 入浴が効果的 ——治療法は?いぼ痔と切れ痔の患者は、うっ血や便秘、下痢を起こしやすい生活習慣の改善を図ります。——改善策の例を教えてください。長く座る職業の方は、1時間に1回でも立って歩くと、たまった血は分散します。入浴はうっ血を解消します。体にかかる重力が浮力で軽減し、たまった血を全身に流します。シャワーでは浮力効果は得られません。食物繊維を取ると、便秘と下痢両方に改善効果をもたらします。省庁で吸収されにくいオリーブ油を取ると、排便をスムーズにします。温水便座での洗い過ぎや紙での拭き過ぎは禁物です。皮膚を刺激し、肛門周辺のバリアー機能を弱めます。これらの生活習慣の励行は予防法にもなります。あなたの痔は免疫低下が引き金ですので、寝不足やストレスの軽減を図ります。入浴は体温を上げて菌が活性化しかねず、逆効果です。 手術せず治る患者が大多数 いぼ痔の8~9割は、生活改善と薬物療法(塗り薬と飲み薬)をつづければ2~3カ月で治ります。効果が出なければ内痔核には主に注射療法、外痔核には切除手術を行います。——手術に至るのは少ないのですね。意外です。以前は手術が主流でしたが、現在は患部を温存する治療が中心です。切れ痔は慢性化する前に、薬で改善させることが大事です。放置して「肛門に炎症が広がる→狭くなる→切れやすくなる→切れて、より狭くなる」「痛む→排便を我慢→便秘が悪化→痔が悪化」といった悪循環に陥ると、肛門を広げる手術を行います。あなたの痔は、膿のトンネルを取り除く手術が不可欠です。 血便なら大腸がんの疑いも 痔と大腸がんは併発することもあります。血便は、大腸がんの可能性を示しています。翌便の色は、「痔は真っ赤で、がんは黒っぽい」といわれますが、逆のケースもあります。痔だと思い込んで適切な行わない間に、がんが進行した方がかならず来院されます。血便が出たら、極力早く大腸内視鏡検査を受けてください。肛門は直腸に続く「腸の一部」です。欧米では「痔」に当たる単語がなく、肛門疾患は消化器外科などで診療することが主流です。しかし、日本には痔という特有の言葉があり、腸と肛門を切り離して考えがちです。それが、肛門疾患への羞恥心を強めているかもしれません。痔は、疾患です。過度に恥ずかしがらず。来院してください。 Medicalメディカルtopicトピック認知症死亡少ない職業とは?認知症のアルツハイマー病が原因で死亡した人と職業に関する分析で、タクシー運転手らの死亡割合も低かったとの結果を、米ハーバード大学などのチームが発表しました。2020~22年に米国で死亡した成人約900万人のうち、約35万人がアルツハイマー病で死亡。約440の職業ごとのアルツハイマー病による死亡率を比較した。その結果、タクシー運転手は1.03%、救急車の運転手は0.91%で、他の職業と比べて最も低いグループだった。チームは「頻繁にナビゲーションや空間処理をしている仕事に従事していたことが、アルツハイマー病予防に関連している可能性がある」と指摘している。 取材こぼれ話進化のしるし(・・・)「ヒトは、二足歩行をしたことで痔が生まれました。私の知る限り、他の動物には痔はできません」と樽見先生。——同じ二足歩行するサルには痔はないのですか。「痔は、排便を無理に行ったり、我慢したりすると、ヒト特有の排せつ習慣が大きくかかわっています。排便を、したい時に、どこでも無理なく行うサルに痔はできにくく、起きても軽いものでしょうね。そもそも、餌を取ったり、狙われたりするため、長時間座り続けることもありません」——「あな痔」は感染症ですが、それも動物にできないのですか。「あな痔で菌が入り込む肛門腺は、退化した臭腺だとする説があります。イヌが異性アピールで匂いを出したり、スカンクが攻撃で強烈な臭いを放ったりする線です。退化したヒトの肛門腺は役割もなく、入り込んだ菌に対抗する力もないのでしょう」◇長時間動かずとも生きられる文明や、排泄をコントロールする知恵と引き換えに生まれた痔。ヒトのお尻には、進化(しんか)のしるし(・・・)が刻印されている。(聡) 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.17
November 2, 2025
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第1編「人類の生活処としての地」を終えて東京学芸大学名誉教授 斎藤 毅▶精読に当たって『人生地理学』は、四つの編からなります。その第1編の「人生の生活処としての地」の精読が終わりました。ここでは、自然地理学の最も基礎的な部分を13章に分けて論述。これまで地理学を体系的に学ばれた方には、少々、物足りないところがあったかもしれません。しかし、小・中学校の社会科の中で選ばれた地理とは、だいぶ違うことに気付かれ、新鮮に感じられた方も少なくないのでは?必要に応じて随所に原文を引用しましたが、格調高い文語体の記述に驚かれた方も。中には、牧口師の造語や独特の翻訳語も含まれていて、戸惑いもあったはずです。それにしても、名著とはいえ、100年前に書かれたもの。この間の研究の進展ばかりでなく、背景となる社会情勢や国際関係はもちろん、社会や地域の諸問題も大きく変化しています。そのため、かつての師の提起した諸問題のうち、いくつかは現代への問いかけとして読み替え、独自の展開を試みました。 ▶敗戦と教育改革の荒波牧口師は、地理学の研究とともに、地理教育の実践と研究に情熱を注がれました。しかし、このことについて、戦後は、ほとんど注目されることがないのは、大変残念なことです。これについては、いくつかの原因が考えられますが、何よりも戦後の「地理」を取り巻く教育環境の変化がありました。事の起こりは、終戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)による日本の教育への干渉、特に、いわゆる軍国主義教育の徹底に排除です。その一つは、年配の方々はご記憶でしょうが、「国語」を中心とした教科書の黒塗りです。皇国史観に関わる記述は全て、対称となりました。こうした中で、地理・歴史教育の禁止の指令が出されたのです。確かに、当時の塵は「大東亜共栄圏」が強調され、歴史は皇国史観そのもの。ある意味で、当然の成り行きだったといえそうです。実は、ここで妙なことが起こりました。その後、装いを新たにしたちりと歴史が、新教科「社会科」の中へ潜り込まされたのです。真新しい新教科「社会科」への世間の関心は高く、あたかも民主主義教育の旗手のように期待されたものです。そのため、全国の国立大学にある学芸学部の付属学校をはじめ、多くの学校で実践研究が行われてきました。確かに「公民」分野では一定の成果も見られましたが、少なくとも「地理」に関しては現場での苦労の割には目立った成果は得られず、いつしか「這いまわる社会化」の陰口が聞こえるようになります。しかし、占領政策から解放されても、不思議なことに小学校・中学校の「地理歴史科」の独立は見られませんでした。ただ、「歴史」の分野では、特に金・現代史について、止観の相違から主にジャーナリズムからの批判を受けつつも、あまり社会科の枠にとらわれず、いわば「我が道を行く」の感があります。 ▶「空間」の哲学私たちは日常的に、物事を時系列に沿って考える習慣が身に付いています。しかし、「地理的思考」となると、なんとなく、日常的な行動とは無関係のように思われがちです。ただ実際には、「所変われば品変わる」や「地理の東西、歴史の古今」など、その独自性には気付いていたはずです。歴史が「時間」の哲学だとしたら、地理は「空間」の哲学といえるでしょう。ある大先輩が地理学教室の同窓会のスピーチで、「地理を学と人生2倍、楽しくなる」と話し、大変話題になりました。なぜ2倍なのでしょう。話し上手な先輩なので、とっさに出た言葉でしょうが、考えてみると、2倍には、それなりの意味があるようにも思われます。前述のように、私たちは物事を「時間」の経緯で考えながら、その中に何らかの因果関係を見出そうとします。院とかは、いわば時間の関係です。一方、地理は「空間」に重点を置いて物事を考えます。日常的には、あまりとらない方法です。この手法を若し日常的に使えれば、確かに人生は2倍、楽しめそうです。実は、先ほどの大先輩はすでに故人ですが、今でこそ大きな政治問題になっている、いわゆる「1票の格差」の問題を地理学的視点で研究し、具体的なデータを示しながら初めて提起した人です。昭和30(19955)年代のことですが、当時、都市部への人口移住が始まっていました。農山村地域では人口流出が見られる一方で、大都市地域では人口が急増し、従来の衆参議員の戦局では定員のアンバランスが拡大し始めていたのです。この問題が塵学会で発表されるや、マスコミが捕Ⓑ月、一時、社会的にも注目されました。選挙区ごとの人口と議員定数のアンバランスを示す「百問は一見にしかず」の分布図は、黄門様の「葵の御門」のように大きな効果があったのでしょう。実は分布図から、ある印象を把握する手法は、テレビン気象情報でおなじみのものです。各地の観測所で得られた数値をそのまま並べても、日本列島の奇勝の状態は、はっきりしませんが、おなじ気圧の地点を算出し、これを線で結んだ等圧線でしますと、高気圧や低気圧が、くっきり浮かんでくるのです。 ▶人類と地球環境との対話へ諸現象の空間的広がりへの関心は、人類を取り巻く地球環境への関心を、そして認識を深めます。公害問題を契機に、地理学も「人類と地球環境との対話」を一掃、強力に促すことになります。このような「対話」は多岐にわたりますが、牧口師の著書では、これを「人生」(=人間の生活)という言葉によって包み込んでいます。1960年代に入って米国で提起された「トポフィリア(場所愛)」の概念は、環境への感情移入を試みますが、師は、これを100年近くも前に、この『人生地理学』によって果たしてこられたことに、読者の皆さんも気付かれたことでしょう。 ▶「人生地理学」のなかに牧口師は、第4編の「地理学総論」で、当時の地理教育を批判。自らの入り教育の多様な実践から、人間形成に及ぼす、あるべき地理教育の大切さを痛感されます。その結果、『教授の統合中心としての郷土科研究』や『地理教授への方法及内容の研究』を出された後、『創価教育学体系』へと進まれるのです。このように、師は長年にわたる教育実践を踏まえた地理教育の研究に励まれ、やがて日蓮の思想に支えられ創価教育思想の高みに達せられたのでした。この問題については、いずれ稿を改めて論じたいと思います。 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『「人生地理学」からの出発』『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論——ピアジェ理論の地理教育論的展開』『世界・切手国めぐり』など。 【人生地理学牧口常三郎の『人生地理学』—その精読の試み】聖教新聞2025.3.16
November 1, 2025
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トルコ遺跡の最新調査から迫る製鉄はいつ始まったのか(公財)中近東部雨下センターアナトリア考古学研究所長 大村 幸弘鉄の帝国ヒッタイトよりもさらに千年前の層から鉄器鉄に興味を抱いたのは、1970年代の初頭、トルコの発掘調査に参加したときである。遺跡は「鉄と軽戦車」を保有し、3400年前にはエジプト王国と勢力争いをしたヒッタイト帝国時代のものだった。日本の教科書には、ヒッタイト帝国が製鉄を独占していたと記載されている。発掘では鉄製品が見つかったものの、その数はわずかなものだった。それまで言われてきた、ヒッタイトが製鉄を占有していたとする定説に対して疑問がわいてきた。それを解明しようと、およそ10年前、トルコに留まり発掘報告書、出土資料、文献資料、遺跡踏査を行った。ヒッタイト帝国で実際に製鉄が行われていたのか、そしてもし行われていたとすればどこで行われていたのか。国家機密である製鉄はおそらく徹底的に管理され、ある特定の場所で行われていたのではないかと推測を立て研究をつづけた。そして最終的に帝国の都市の一つであるアラジャホユック(古代名サリンナ)が製鉄にはふさわしい場所であるとする仮説を立て、私は一応形をつけた。その仮説を立てた1985年から首都アンカラの南東約百㌖に位置するカマン・カレホユック遺跡で調査を開始した。この発掘の目的は、1万年近い文化が縦走しているカマン・カレホユックを上から掘り下げることにより「文化編年の構築」、換言すれば「年表」を作ることであった。この発掘調査でヒッタイト帝国の文化相から教科書通り鉄器が見つかってきたときはホッとしたものである。それらの出土鉄器を見たとき、教科書通りであることを確認し、その鉄器は秘密裏の場所で作られたカマン・カレホユックに送られてきたのではないかと考えた。しかし、発掘調査が進みヒッタイト帝国の文化相も終わり、その下の紀元前400年から三千八百年前のアッシリア商業植民地時代の文化相の調査に突入したところ、鉄器が出土し始めた。私は驚きを隠すことはできなかった。これはヒッタイトの専有物でないとすれば、製鉄はアッシリア商業植民地時代化、あるいはそれ以前に製鉄は始まっていたのかということになる。カマン・カレホユックの調査は、この10年間、紀元前4300年前から4000年までの前期青銅器時代の発掘を集中的に行っており、「年表」は遺跡の半分ほどまで出来上がったところである。アッシリア商業植民地時代で鉄器が見つかり、驚いたのも束の間、さらに私を驚かせたのは4000年以前からの前期青銅器時代の文化相からも鉄器に関する資料が見つかり始めたことだった。その資料というのは、「鉄滓」「鉄鉱石」である。特に「鉄滓」となるとカマン・カレホユックで製鉄が行われていたことにも結びつく。この「鉄滓」に関しては現在千葉工業大学の地球学研究センターのヌルジャン・クチュックアスラン研究員が分析を行っており、その「鉄滓」から400年以上前にカマン・カレホユックでは製鉄委が行われていた可能性が十分にあるとの見解を、第31回トルコ研究会(今月10日、平成館大講堂)で発表した。今後、さらに詳細な分析が行われる必要があると思うが、今、この研究結果から言えることは、ヒッタイト帝国以前、それもおよそ1000年以上も前に製鉄が既に開始されていたということにもなり、私が全精力をかけて打つ立てたヒッタイト帝国時代にアラジャホユックで秘密裏に製鉄が行われていたとする仮説は脆くも崩れ去ろうとしていることである。そして発掘の調査、出土遺物の分析が進むことにより新たなる「年表」を提示する時も近々あるのではないかと期待している。(おおくら・さちひろ) 【文化】公明新聞2025.3.16
November 1, 2025
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●伊藤哲夫——安倍政権の生みの親前章までは、日本会議及び日本青年協議会の歴史や思想、活動の実態について解説してきた。本章では重要人物に焦点を当てながら、「一群の群れ」を浮き彫りにしていきたい。 まず取り上げるのは、日本政策研究センター代表・伊藤哲夫。一般の人になじみのある人物ではないかもしれないが、第一次安部政権発足以前から、安倍晋三の周りに常に付き添い、一部では「安倍政権の生みの親」とさえいわれる、重要人物だ。伊藤にまつわるこれまでの報道を振り返ってみよう。例えば『文藝春秋』。2013年1月、『文藝春秋2月号』は、「安倍政権の命運を握る『新・四人組』」と題する論説記事を、「赤坂太郎」名義の論説として発表した。この記事は、衛藤晟一首相補佐官の来歴を「右派の学生運動の出身」と紹介したのち、 今や、安倍の有力なブレーンとなってシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表を、若き日の安部に紹介したのも衛藤だった。(赤坂2013) と、伊藤哲夫を「安倍の有力なブレーン」として紹介している。伊藤哲夫が安倍晋三のブレーンとして報道されるのは、この文芸春秋の記事が初めてではない。2006年9月9日の東京新聞朝刊に掲載された「『安部氏ブレーン』どんな人? 靖国、拉致、教育問題…」という記事でも、 六月三十日。都内のホテルの一室に、安倍氏側近の一人、下村博文衆院議員を囲み、四人の学者・有識者が集まった。メンバーは、伊藤哲夫・日本政策研究センター所長、東京基督教大学西岡力教授を加え、福井県立大学の島田洋一教授、高崎経済大の八木秀二次教授。ここに京都大の中西輝政教授を加え、安倍氏のブレーン「五人組」と称される。(『東京新聞』2006・9・9) と、伊藤哲夫を、安倍のブレーンの「五人組」の筆頭として紹介している。2006年9月といえば、第一次安部内閣発足直前、この頃から、一部のメディアでは伊藤哲夫が安倍晋三周辺で果たしている役割を重要視あいていたようだ。しかしながら、『文藝春秋』の赤坂太郎名義による記事も、東京新聞の記事も、伊藤哲夫が生長の家関係者であることまでなぜかしら踏み込んでいない。特に、『文藝春秋』の記事には口惜しさを感じられる。せっかく、衛藤晟一の来歴にあそこまで触れながらなぜ、「生長の家」の存在や「生長の家学生運動」に言及しないのか。とまれ、まずは、これらの記事に頼るだけでなく、伊藤哲夫および、伊藤が代表を務める「日本政策研究センター」が安倍政権とどのような関係にあるか、検証していこう。 ●日本政策研究センターの機関紙「明日への選択」日本政策研究センターは、『明日への選択』という月間機関誌を発行している。この機関誌は、まるで安倍政権が諸政策の代弁をしているかのような紙面構成をしている。例えば、2015年8月号の関東インタビューは、「『ヒゲの隊長』が語る平和安全保障法制の意義」という、佐藤正久参議院議員へのインタビュー記事だ。おそらくこれは、政権側がヒゲの隊長を安全法制のスポークスマンとして起用している動きに連携したものだろう。さらに巻末の方には「これが新聞という名に値するのか・沖縄の新聞事情」というコラムが掲載されている。タイトルから予想されるように、このコラムは文化芸術懇話会での方言騒ぎを擁護することを目的としている。またこれに先立つ7月号では「安倍法制・9条改正に対する論破のポイント」と題された特集記事が掲載された。おそらく現場で議論や対話を担当する議員や議員スタッフあるいは運動員が利用することを目的に作成されたものだろう、安保法制や絹布改正に関する想定問答が懇切丁寧にびっしりと書き込まれている。このように、安倍政権の政策を代弁するかのような紙面構成が『明日への選択』の特徴だ。同誌がどのような記事を掲載してきたかを振り返るため、2015年1~8月までの『明日への選択』の「巻頭インタビュー」の変遷をP170図表にまとめた。総選挙の争点であった「アベノミクス」、戦後70年談話、教科書、歴史教育、会見、日米ガイドライン、安保法制…と、この表を見れば『明日への選択』が2025年8月までに起こった政治アジェンダと軌を一にして紙面を構成したことが一目瞭然だろう。 ●安倍晋三のプロモーター・伊藤哲夫このように安倍政権の機関紙のような雑誌を発行し続ける「日本政策研究センター」を率いる伊藤哲夫とはいかなる人物なのか。先に引用した『文藝春秋』の記事では「衛藤晟一が安倍晋三に引き合わせた」「シンクタンクの代表」と表現されてはいる。しかし伊藤哲夫は、単なる「政策提言するだけの人物」ではない。彼は、第一次安部政権誕生から、安倍晋三とべったりとくっつき、ことがあるごとに彼をプロモートしてきた。どの端的な例が、2004年8月15日に閉局した「チャンネル桜」の開局記念番組だろう。いまでこそ、「チャンネル桜」は、代表・永島総の特異なキャラクターと永島が率いる「がんばれ日本!」の奇異なデモなどで名の知れた存在となっている。しかし、開局当初は、その存在さえあまり認知されない単なるCS放送の一チャンネルでしかなかった。そんな無名の、しかもできたばかりのCSチャンネルの開局記念番組に、いまだ当選3回とはいえ自民党の幹事長を務める当時の安倍晋三が出演したのだ。異例の事態といっていい。この「チャンネル桜」会食記念番組に安倍晋三を登場させた人物こそ、伊藤哲夫。そして、伊藤哲夫の手引きによってこの番組に登場した安倍晋三は、伊藤からの質問に答える形で、将来の「政権構想」まで披歴しているのだ。 【日本会議の研究】菅野完/扶桑社新書212
October 31, 2025
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膝の痛みを防ぐ四つの方法一宮西病院整形外科部長人工関節センター長 巽一郎さんたつみ・いちろう 医師。膝のスーパードクター。大阪市立大学医学部を卒業後、同大学附属病院整形外科に勤務する中で米国メイヨー・ウリニック、英国オックスフォード大学で世界最先端の技術を体得。手術の腕はもちろん、すぐ切らないドクターとして注目を集める。2020年から現職。 「立つ」「座る」などの日常の動作を支える膝。負荷が高いからこそ、痛みや不安がある人は少なくありません。膝の名医である愛知・一宮病院の整形外科部長の巽一郎さんは手術の高い技術に加え、保存両方で痛みを取ることに努めており、国内外から患者が訪れます。膝の健康のポイントを聞きました。 膝の関節が消耗する理由膝は、体の中で最も大きな関節で、大腿骨(太ももの骨)と脛骨(すねの骨)の間にある関節を指します。膝には、平地を歩いている時は体重の5倍、階段を降りている時は体重の8倍の力がかかりますが、膝の軟骨がその力を受けとめ、日常の生活を支えています。だからこそ膝の軟骨は消耗しやすく、すり減ってくると、大腿骨と脛骨が直接接触して痛みが生じます。これを「変形性膝関節症」と呼び、ひざ痛の多くを占めます。70年代の女性の約7割が「変形性膝関節症」というデータもあります。原因は主に三つ。「姿勢の崩れ」「適正体重オーバー」「筋力の低下」です。中でも「姿勢の崩れ」と「適正体重オーバー」がひざ痛の原因の約8割に当たります。まずは「姿勢の崩れ」。頭が体の前に出る〝ニワトリ歩き〟の人が多く、骨盤が後ろに傾いた状態になります。これに運動して大腿骨が外側にねじれ、膝も外側に向き、O脚になります。膝の内側に多くの負荷がかかり、内側の軟骨がすり減ってひざ痛を起こします。日本人に最も多いタイプです。また、体重が増えれば増えるほどに、膝関節の軟骨がかかる日かは増え、すり減りを加速させます。次に筋肉量も膝痛に関係しています。太ももの筋肉は膝関節のサポーターと覚えてください。膝が痛い時、サポーターで保護すると痛みが楽になるように、太ももの前と裏側に筋力が膝を守ってくれています。その筋力が落ちてくると、歩行時に大腿骨がぐらぐらと揺れ、軟骨がどんどんすり減ってきます。 対症療法は悪化の原因膝を痛めると、多くの人は湿布や鎮痛剤で痛みを止めようとします。それは根本的な治療ではなく、痛みをまひさせながら、日常動作を続けて軟骨をさらにすり減らしていることにほかなりません。人間には自然治癒力があります。膝の軟骨は、すり減っても少しでも残っていれば、再生させることができます。しかし、痛みを止める対症療法を続けてしまうと、軟骨を全くなくしてしまうことに繋がります。これを防ぐためには次の四つの対策が有用です。私の下に来院される方に行っていることでもあり、多くの方が手術をすることなく、膝の痛みから卒業されています。膝がいたくない方にとっては予防法として効果があります。 1、 足放り体操膝関節は関節包という袋で覆われていて、これが伸びたり縮んだりすることで、軟骨の栄養素の分泌が促され、軟骨の再生につながります。そのための運動が「足放り体操」です。膝関節の軟骨は約7割が水分です。膝を長時間動かしていないと水分が偏り、軟骨は乾燥した状態になっています。この状態で立ち上がったり、歩いたりすると、軟骨を大きくすり減らしてしまいます。だからこそ、「足放り体操」を寝起きの朝一番の習慣にすることが大切です。ベッドで寝ている人はベッドサイドに座って、布団で寝ている人は近くにいすを置いておき、起きたら、その椅子に座って行といいでしょう。デスクワークなど長時間、同じ姿勢を続けて立ち上がる際も危険です。立つ前に、この「足放り体操」を実践するといいでしょう。(①~④を両脚で行ってください)① 両手を組んで、太もも裏から脚を持ち上げます。② 膝を伸ばします(この後、太ももと膝裏の力を完全に抜きます)。③ 脚がストンと落ちて、膝を振り子の支点として揺れます。④ 揺れを止めないよう、両手でももを上げ下げします。30回程度、太ももの筋肉を使わずに両手で振り続けてください。 2、 体重の維持・減量 適正体重(kg)=身長(m)×身長(m)×22 適正体重を計算し、減量することは膝を守ることにつながります。私のおすすめは〝週1回の断食〟。水やお茶などカロリーゼロの飲み物は飲んでも大丈夫です。人間は17時間程度、食べないと、皮下や内臓に蓄えた脂肪を等に変えてエネルギーとして利用するので減量できます。 私は手術の日である、忙しい火曜日に行っています。手術室で私のおなかが鳴り、看護師に大笑いされたこともありますが、手術自体は集中力が上がります。空腹だと仕事の効率が落ちると心配する人もいますが、その逆です。私の患者も実践し、糖尿病の多くの方が薬を飲むことなく、症状を改善しています。 3、 歩き方正しい姿勢は膝への負担を減らします。歩く際は、頭が前に出る〝ニワトリ歩き〟に注意します。立っている時は、骨盤の真上の位置に頭が来る理想の姿勢です。歩き方のポイントの一つは、頭が前に出ないよう、かかとからの着地を意識することです。そして靴底の減り具合いを見て、かかとの外側が減っている人はO脚、内側が減っている人はX脚と考えられます。O脚の人は「内もも歩き」、X脚の人は「一直線歩き」を習慣にするといいでしょう。 一直線歩き(O脚に歩く)後ろ脚は前足のほぼ前に出して、小指重心で一直線に歩きます。内もも歩き(X客に歩く)かかとから着した際、膝を少し内側に入るイメージで歩きます。 4、 筋肉トレーニング太ももの筋肉は膝関節を守る自然の装具です。また、筋肉量を維持するのは膝だけでなく、体全体の健康を守ることにもなります。ハムストリングス(太ももの裏)、大腿四頭筋(太ももの前)、臀筋、背筋、腹筋の五つの筋肉を鍛えられる「一石五鳥体操」を紹介します。① あおむけに寝て、片膝を立てます(90度に膝をまげる)。② 両手を床につけて腰を浮かせます。腰が上がらない場合、手で支えます。③ 片膝を立てた脚と並ぶよう、もう一方の足を頭からつま先まで一直線にのばします。④ 伸ばしている脚を上げて元の高さに戻すことを30回程度、繰り返します。 ※①~④を両脚で行ってください。 【健康PLUS+】聖教新聞2025.3.15
October 30, 2025
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より良い民主主義のために他者を思いやる「公共性」をインタビュー前熊本県知事・東京大学名誉教授 蒲島 郁夫さん逆境の中にこそ——蒲島名誉教授は、2008年に東京大学教授から転じ、熊本県知事に当選。昨年4月に退任するまで4期にわたり、県知事を務められました。 私のキャリアは、とても変わっています。熊本の高校を卒業後、就職したのは地元の農業協同組合でした。それから農業研修生として渡米し、アメリカの大学で農学を学んだ後、専攻を政治経済学に変え、ハーバード大学大学院で博士号を取得しました。その後、日本に戻り、大学教授を経て政治家も経験しました。これまで「逆境の中にこそ夢がある」をモットーとしてきました。夢を持って挑戦することで、そのたびに、ピンチをチャンスへと行かせたと思います。県知事になった08年、熊本県は課題に直面していました。①財政問題、②水俣病患者の救済、③川辺川ダム建設計画という三つの難題が重なっていたのです。知事に就任に際し、アメリカで歴代大統領の顧問を務めた、政治学者のリチャード・ニュースタット氏から、かつて教わったことを思い起こしました。それは「最初の6カ月のうちに難問に着手しないならば、その政権は絶対に成功しない」ということです。この言葉を念頭に置き、三つの難問に挑みました。まず財政問題です。県の借金である通常県債残高は約1兆700億円に達していました。そこで、真っ先に自分の給料を月額100万円カットしました。残った給与は14万円で、以前より生活は厳しくなりましたが、先頭に立って財政再建に取り組むことで、政治的信頼性が生まれたと思います。さまざまな取り組みの結果、2期8年で1500億円を返済できたことが、今につながっています。次に、水俣病救済問題は、私にとって政治の原点です。県知事が永田町でロビー活動するのは異例でしたが、私は超党派の国会議員に直接交渉しました。その後、09年7月に水俣病特措法が成立し、熊本県で7000人超の方々が、補償を受けられることになりました。最後に川辺川ダム建設を巡る地域の対立は深刻でした。有識者会議を設置するなどして議論を重ね、08年9月に建設計画の白紙撤回を表明しました。有力な関係者は建設に賛成でしたが、県民が望む者は何かを突き詰め、建設中止を決めました。1期目の県政を通して、政治においては、難題を目の前にした時の決断の大切さを実感しました。これ以来、政治とは「決断すること」「目標を定めること」「危機に対応すること」という基本姿勢で県政に臨みました。 「喜び」の変化——知事在任中、県PRマスコットキャラクター「くまモン」が人気を集めました。一方で地震や水害など、災害も頻発しました。どのような政治理念で県政に当たったのでしょうか。 県知事としての私の目的は、「県民の幸福量の最大化」です。その行動指針は、自分のためでではなく、公僕として県民に尽くすことでした。県政2期目は、1期目の施策の成果が表れ、さまざまな目標に向けて具体的に政治を進めた時期でした。当時、折々に県庁職員に伝えたことのひとつが「皿を割れ」という精神です。皿を多く洗うほど、割ってしまう確率も上がりますが、県民の幸福のため、失敗を恐れずにたくさん挑戦してほしいと伝えたのです。そうした挑戦の最大の成果が「くまモン」でした。くまモンは、11年3月の九州新幹線全線開業をきっかけに生まれ、その際、PR等の目的で利用申請をすれば無料で使えるようにしました。関連商品の売り上げは、累計1兆5000億円以上になり、熊本経済に大きく貢献しています。3期が始まった直後である16年4月に、熊本地震が発生しました。10年間の知事在任中、熊本にとっての最大の困難でした。災害対応では、即座に的確な判断をすることを求められます。すぐに、①被災された方々の痛みの最小化、②単に元の状況に戻すだけではない創造的復興の実現、③復旧・復興を熊本のさらなる発展につなげるという三原則を定め、必要な対応を講じるために奔走しました。最後の4期目には、政治家として大きな「方向転換」を経験しました。1期目で中止を決めたダム建設の方針を転換し、建設を容認する政治判断をしたのです。建設中止を決めた当時は、ダムによらない治水政策が望まれていました。しかし、その後の異常気象の増加、20年7月の豪雨被害を受けて、改めてダム建設について検討することになりました。大きな政策であるほど、一度決めた方針を転換することには。困難が伴います。この時も、何が県民の幸福にとって必要なのかを前提に、全てを検証し直しました。そして豪雨災害の後、30回にわたって、流域すべての自治体の皆さんと話し合いました。住民の方々の聴く中で、皆さんが「命も清流も 両方を守ってほしい」と願っていることがわかりました。洪水や豪雨から県民の命を守ることは、最優先課題です。同時に、清流を守り、豊かな生態系を保護する必要もあります。そこで、自然な流砂環境と生物の生態環境を確保できる「流水型ダム」を中心とした「緑の流域治水」を提案し、賛同を得ました。政治の方向転換は、容易ではありません。それができたのは、行政の取り組みや住民との対話を通して、県民との強い信頼関係が築かれていたからです。知事だった16年間、移動の際は、一度もビジネスクラスを使ったことがありません。どこまでも県民の皆様の幸福のために尽くす——そのことを最優先に行動する姿勢が、信頼につながったのだと思います。政治家になったことで、自分の中での「喜び」が変わったことを感じます。それまでは自分が仕事で何かを成し遂げたり、実績を積んだりすることが喜びでした。知事になってから、私の一番の喜びは、公僕として県民の幸福に貢献することへと変わりました。県民を敬愛し、県民に仕える幸せな仕事ができたこと、そして県民の皆尼が相互信頼を通して県政を支えてくださったことが、最大の喜びであり、感謝は尽きません。 政治の目的は幸福の最大化いま求められる「中道」の理念 支持参加モデル——政治学者としては、投票行動や政治参加を専門に、研究を重ねてこられました。著書『政治参加論』では、高度成長期において、創価学会が征爾に参加した意義についても論じられています。 もともと政治学では、ある国において経済発展が進むと、そこに政治的不安定が生じるとされてきました。政治学者のサミュエル・ハンチントンは、経済発展によって、人々の間の不平等が拡大し、社会的不満が高まることで政治的不安定は発生すると説明しています。しかし、戦後の日本は、ハンチントンの理論通りにはなりませんでした。高度成長期にかけて、驚異的な経済成長が実現されただけでなく、経済格差の是正と政治的安定性の維持が、同時に達成されたのです。こうした戦後日本の発展の在り方は「奇跡的」と言っていいほどです。私は、こうした戦後日本の政治・社会の特徴を「政治参加モデル」として分析しました。日本の特徴は、「持たざる者」が比較的多くの政治に参加したことです。アメリカなどでは、所得の高い人ほど政治に多く参加して、低所得層は政治参加しづらいため、経済的不平等が是正されませんでした。ところが日本では、所得の多少にかかわらず、政治に参加する傾向があり、結果的に政治が安定し、経済発展と経済的平等が両立されたと考えます。日本の特徴の一つとして、1967年に労働者層の投票率が大きく上昇しました。その一因として、同年から公明党の衆議院議員選挙に進出したことが挙げられます。当時は、集団就職によって地方から都市部に人口が流入しました。こうした人々の多くは、社会的に孤立し、労働組合員としても組織化されず、政治的資源を書いた状態にあったと考えられます。つまり、政治への参加志向は弱いはずでした。そうした中で、創価学会は独自の共同体として機能し、そうした多くの人々をつなぎ、政治への参加を促しました。多くの人の政治参加によって、政府の経済政策が格差を是正し、平等志向を強めることになった側面があります。創価学会の活発な政治参加は、日本の経済・社会の安定した発展に、大きく貢献したと思います。 公共心を養う——創価学会は一貫して「中道主義」を掲げてきました。中道とは、単なる〝中間〟や〝折衷〟ではなく、「道の中(あた)る」と読むように、本質や根源に迫る姿勢です。また、対立を高次に引き上げ、解決を模索することです。こうした変革のダイナリズムである中道主義は、複雑化する現代社会の中で、どのような価値を発揮するでしょうか。 中道は、今の日本政治において、もっとも重要な理念ではないでしょうか。国民の幸福を実現するためには、政治が極端に傾く場合には、ブレーキ役になって抑制働きが必要です。逆に、福祉政策に前向きでない場合には、アクセル役として背中を押すことが求められます。そうしたことができるのは、中道の理念を持った皆さんです。90年代以降、日本社会の格差は拡大し続けています。今も、国内では政治資金問題、少子高齢化、災害の頻発などの問題が山積し、国際的には平和をいかにつくるかが喫緊の課題になっています。「皆が幸せになる」ために、中道政治が求められていると思います。政治を安定させ、現場主義で多くの課題に対応し、平和を創造していくためには、中道の哲学が不可欠です。現実の政治に目を向ければ、現愛は少数与党です。公明党には、党員・支持者とともに等を再構築するような気外で、政治に取り組んでいただきたい。同時に、皆さんには、政治と国民の強い相互信頼に基づく民主主義を深めていっていただきたいと思います。私はこれまでも、低投票率の中でも説教句的に選挙の重要性を訴える皆さんに関心をもっていました。政治学には「エリート民主主義」と「参加民主主義」という、二つの理論があります。前者の立場では、大衆は民主的市民としての能力を欠いているとされ、政治の運営はエリートに任せるべきであるとされます。一方、参加民主主義では、市民は政治参加によって、より優れた民主主義的市民に育ち、ひいては政治システムも安定するとして、政治参加の教育効果に注目します。私は、こうした参加型の民主主義について研究してきました。人々は政治に参加する過程で、自分だけの「私的な利益」と、より多くの人々の「公的な利益」がつながっていることを実感ます。参加の重要性は「利己的な個人」が「交響心に富む個人」に変化していくという、教育効果にあるのです。創価学会はもともと「創価教育学会」としてスタートしていますから、学会の皆さんは、教育によって人がより良く成長できることを実感しているのではないでしょうか。一方、20世紀を振り返ると、政治に無関心で、他人の意見に非寛容な人々によって、個人より国家を優先する「全体主義」が支持されてしまった歴史があります。より良い市民が育つことが必須です。政治において、他者を思いやる「公共性」は、参加しなければ身に付きません。宗教活動への参加も、そうした公共性を養う側面があるでしょう。参加によって公共性が養われ、参加することに喜びを感じ、より良き市民に成長する——それが政治参加論の原点です。だから私は、創価学会の皆さんが、喜びをもって活動されている姿に感銘を受けるのです。皆の幸福のため、より良い民主主義のために、公共性をもった人々に関わりを続けていくことが、何よりも重要です。かばしま・いくお 1947年、熊本県生まれ。東京大学名誉教授、同大学先端科学技術研究センターフェロー、前熊本県知事。79年、米ハーバード大学大学院を修了し、博士号(政治経済学)を取得。専門は投票行動と政治参加。筑波大学教授、東京大学教授を経て、2008年から24年まで熊本県知事を務めた。著書に『戦後政治の奇跡』(岩波書店)、境家史郎との共著に『政治参加論』(東京大学出版会)など。 【危機の時代を生きる「希望の哲学」】聖教新聞2025.3.14
October 30, 2025
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地域の福祉を考える権頭喜美江(社会福祉法人理事長)縦割りをなくし元気な地域を元々、30年前に診療所の開設からスタートしましたが、医療では手の届かない問題も多く、限界を感じました。例えば、ひとり親家庭。当時は、母子家庭はまだしも父子家庭への扶助は少ない。男性の場合は仕事も休みにくいし、子どもが病気になってもすぐに病院に来られないんです。それで夜中になってぜんそく発作を起こしてから連れてくることもあります。また、ある老々介護の過程では、認知症のおじいちゃんを、おばあちゃんが介護していました。でも、二人が診療所に来なくなって1か月後。おばあちゃんが診療所にきたので聞いてみたら、おじいちゃんは行方不明になって亡くなっていたそうです。私は医師や看護師ではないので、診療所では窓口で来院した方の相談を受けたり、話を聞いたりしていました。いろいろな方の話から、地域の抱える問題を知り、何かの役に立ちたいと考え、福祉事業に取り組み始めたんです。 多世代をごちゃまぜに 最初に立ち上げたのが介護の事業所でしたが、利用者が今までと変わらない生活を継続できるようにと考えていました。でも、一般に介護事業種や施設は、地域から隔絶されているケースが多い。入居している高齢者は、高齢者や認知症の方にしか会うことができなくなります。高齢者の介護事業所だけでなく、障がい者施設には障がい者ばかり、乳児院には赤ちゃんばかりです。皆さんは、そこに違和感を抱きませんか。管理する側からしたら、同じような人を集めた方が楽です。でも、入居している側にしたらどうでしょうか。昔から地域には、いろいろな人が暮らしてきました。そんな地域での生活を継続するのであれば、いろいろな世代の人がいるのが当然です。別に、一緒に何かに取り組む必要はありません。子どもたちの声が聞こえる、音が聞こえる距離というのが大事なんです。その意味でも〝ごちゃまぜ〟が重要になるんだと思います。30年前から訪問診療や在宅医療をしていますが、特に終末期の方々についてはいろいろな場面があります。ある家庭では、同じ部屋に終末期を迎えているおばあちゃんと生まれたばかりのひ孫の赤ちゃんがベッドを並べていました。二人とも世代は違いますが、寝たきりのおむつ仲間です。その二人の関係は興味深いものがありました。赤ちゃんが泣くと、おばあちゃんがあやすような優しい声を出すんです。結果的に、おばあちゃんは、赤ちゃんが2歳になる頃まで生きたそうです。小さい子からはエネルギーをもらえる。何もできないように思える世代の違う二人ですが、それぞれの役割があったのです。 うちの特養には、近所の子どもたちが日常的に出入りしています。子どもたちは自由に遊んだり、宿題をしたりして過ごしています。2階には卓球台もあり、時には大澤氏過ぎて、入居しているおじいちゃんから叱られる場面も。それでも、この特養から子どもたちを排除しようとは思いません。子どもたちにとって〝うるさい〟と言われるとこも大事なんです。そうやって社会の仕組みを学んでいけるから。また、ここには、赤ちゃん職員採用の制度があります。地域の赤ちゃんが保護者と一緒に、施設内を散歩し、出会いと笑顔を振りまくのが〝仕事〟です。給与はオムツ。子育てで孤立化しがちなお母さんにとっても、新たなつながりができたと喜ばれています。高齢者施設ですから、ここにはたくさんの高齢者がいます。だから、地域の人、子どもたちなど、施設に多くの方が出入りしてくれることが第一歩です。そのため、1階ロビーには、自由に遊べる場所や宿題スペース、カフェ、コミュニティーFMのラジオブースが。また5階は貸出スペースになっていて、フラダンスやヨガ教室、料理教室、イベントなどに使ってもらっています。建物自体が、さまざまな人が集まるような用途に使え、まるで一つの町のようになっているんです。また、地域コミュニティーづくりのために、介護相談室、子ども相談カフェ、マルシェ、モバイル屋台なども実施。亡くなる最後の瞬間まで、人として生活できる場所をつくりたい。そう思って、人とのつながりや地域とのつながりを大切にした〝世代ごちゃまぜ〟地域共生社会の取り組みを進めていきたいと思っています。 ごんどう・きみえ 社会福祉法人「もやい聖友会」理事長。関連3法人、22事業所を経営しながら、多世代ごちゃまぜ地域共生社会の構築に向けた活動をしている。劇団青春座、コミュニティーFMラジオのパーソナリティーも務める。近著に『福祉施設からはじまる 多世代ごちゃまぜ地域共生社会』(幻冬舎新書)がある。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.13
October 29, 2025
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時間には濃さもある名字の言〝苦しい時間は長く続くが、楽しい時間は早く過ぎ去る〟——物理学者のアインシュタイン博士は、自ら提唱した「相対性理論」の意味を問われて、ユーモアを込めて返事したとされる▼「1日24時間」という時の流れは不変である。しかし、心次第で時間の価値は変化していく。時間には「長さ」だけでなく「濃さ」もある。だからこそ、その使い方に人生観が表れよう(略)▼仏法では、自分の一念が変われば、周囲の環境や状況をも変えていけると説く。時間の使い方もまた、心の持ち方で変化する。 聖教新聞2025.3.13
October 28, 2025
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奇妙な鉄板張り天守が復活城郭ライター 萩原 さちこ福 山 城広島県福山市にある、福山城。築城した水野勝成が江戸幕府に竣工を報告した400年後、2022年8月に、世にも珍しい〝鉄板張り天守〟がよみがえりました。福山空襲で焼失した天守は、明治時代や昭和初期に撮影した写真が残ります。それらを見ると、天守の北側の最上階を除く壁面が真っ黒。なんと、北側だけ鉄板が張られていたのです。この鉄板張り天守が復元されました。勝成が築城を開始したのは1620年。1615年の武家諸法度の公布後は、全国の城にも幕府の許可が必要になりました。その状況下で新築された、特例の城であるのは間違いありません。この地は海陸両面の要衝にあり、福山城は安芸の浅野氏や長門の毛利氏など有力な外様大名がひしめく、四国鎮護という戦略的・政治的に重要な役目を担っていたと考えられます。福島正紀に代わり備後に入った水野勝成は、徳川家康の従兄弟。その後も松平氏や阿部氏など譜代大名が城主を務めていることからも、江戸幕府がこの地を重視していたことがうかがえます。勝成は幕府の援助を受けながら新たに福島城を築き神辺城から移転。北側の小丸山や外堀まで含めると、福島城の面積はかなり広大です。7党の三重櫓を含めて計22棟の櫓が立ち並ぶ、10万石とは思えない巨大な城でした。現存する伏見櫓が、徳川将軍家との深いつながりを示します。伏見櫓と呼ばれるのは、1602年に家康が再建した伏見城から移築された櫓だから。昭和の解体修理の際に梁から「松ノ丸ノ東やぐら」の陰刻(掘り込み)が見つかっており、文献上の記述も含めた裏付けから、2代将軍・徳川秀忠によって伏見城の松ノ丸三重櫓が福島城へ移築されたことが判明しています。伏見櫓のほか、筋鉄御門、月見櫓、本丸御殿、御湯殿、火灯櫓、追手御門などが、伏見城から移築されたようです。多くが福島空襲で破却または消失していましたが、伏見櫓のほか筋鉄御門、本丸の鐘櫓が残っています。 【日本全国お城巡り】公明新聞2025.3.12
October 28, 2025
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蝦夷はどこにいたのか千葉大学名誉教授 中川 裕蝦夷という語は「えみし」とも「えぞ」とも読まれるが、「えぞ」は、鎌倉期以降に北海道に住んでいた人々を指す言葉であり、彼らが現在のアイヌの先祖であったということに異論はない。一方、「えみし」は平安以前に東北地方に住んでいた朝廷にまつらわぬ人々の総称である。「えみし」という言葉自体はおそらく「「えびす」と関係がある。日本語では「さむい/さぶい」、「さみしい/さびしい」のようにm音とb音が相通するという現象がある。「えびす」には夷という字を当てるが、これは「都から遠く離れた開けぬ土地の人民」(『広辞苑』)という意味である。8世紀の時点で、太平洋側での蝦夷の勢力範囲は現在の仙台市の少し北あたりまでであった。それは724年に多賀城が築造された国府と鎮守府が置かれたことによってわかる。国府はいわば県庁のようなものであり、鎮守府は軍事基地である。なぜここに鎮守府が置かれたのかと言えば、北にいる蝦夷に対する備えだと考えてよい。一方、日本海側では現在の山形県と秋田県の県境の雄勝峠あたりが境となる。733年に鎮守将軍大野東人が千数百人の兵を率いて色麻柵(現在の宮城県加美郡加美町あたり)を出発したが、雄勝峠まで行ったところで諦めて引き返してきた。そこから先は蝦夷の勢力が大きくて、突破は困難と見なしたといわれる。その後、802年に征夷大将軍坂上田村麻呂が胆沢(現在の岩手県南部)の蝦夷阿弖流為を破るまで、北東北の地は蝦夷の世界であった。この蝦夷が何ものであったのかは、日本史の研究者によって喧しく議論されてきたが、少なくとも相当数の人がアイヌ語を話していたのは間違いない。それは地名から明らかである。 【言葉の遠近法】公明新聞2025.3.12
October 27, 2025
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デジタル技術とどう向き合い、表現するのか森美術館アソシエイト・キュレーター 矢作 学マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アートAIの発展は日々の暮らしや働き方に多大な影響を与えている。汎用人工知能の開発を行っている米国のOpenAI社が、2022年にテキスト生成AIのChatGPTを無料で公開したことであろう。ChatGPTは、2年の間に飛躍的に成長し、いまでは、業務の生産性と効率化を高めるツールとして、多くの企業が自社のシステムに導入している。また、機械学取技術の一つであるディーブラーニングは、コンピューターが自動的に大量のデータから徳量やパターンを見つけ出す。そして、人間の手を介さずに物事を「洞察」し、人間よりも正確性をもって「推測」と「予測」を立てることから、医療の現場でも活用されている。一方で、専門職の在り方に問いを投げかけ、壮大な議論を巻き起こしている。ビデオゲームも注目すべきテクノロジーだ。近年の調査によると、世界のゲーム業界はコロナ禍で市場を拡大し、世界の約30億人以上がプレイしている。一昔前のゲームと異なり、現在ではオンラインを通じて何然というプレイヤーが同時接続をして遊ぶことができる。ゲームは単なる娯楽ではなく、新たな交友関係を構築する巨大インフラに変貌した。また、ゲームエンジンが手ごろな価格で手に入るようになったことで、多くのユーザーが創造性にあふれるデジタル世界を自由自在にデザインする力を得た。デジタル技術の発展が新たなる局面に進むなか、アートはどのように変化していくのか。この問いが「マシン・ラブ:AIと現代アート」展を企画した理由のひとつだ。工業機械のダイナミズムが生み出した、「機械美」から、写真・映画の複製技術の誕生など、アートと技術は常に並走してきた。アーティストと技術は常に並走してきた。アーティストは、技術が開く新たな美と体験の可能性を追求するだけではない。技術がもたらす人間と世界への影響を理論化することで、技術そのものを批判する。例えば、本展の種ピン作品であるゲイト・クロフォードとヴラダン・コレルの(帝国の計算)では、過去5世紀にわたる技術と権力構造の複雑な絡み合いを巨大な地図で可視化する。台湾作家シュウ・ジャウェイの映像作品は、半同地の構造に不可欠な原材料が砂浜から採取されることに着眼点を置いており、非物質的なデジタル空間を出現させるハードウェアが自然環境と密接にかかわっていることを教えてくれる。そもそも、人工知能の「知能」とは何を意味するのだろうか。営口人アーティスト兼ライターのジェームズ・ブライドルは自著『WAYS OF BEING 人間以外の知性」において、知性を人間だけが特権的に独占する力とみなさず、動物、植物、菌類などにも宿る能力だと認める必要があると主張する。人間の知性を模倣するだけのAIは。環境破壊をはじめ、現代社会を蝕む諸問題を悪化させるだけなのかもしれない。植物にも知性があるというのは突拍子もない発想かもしれないが、木や花は人類が誕生するはるか昔から地表を覆い、多様な種と調和した生態系を育みながら反映した。AIの誕生は、奇しくも地球を満たす様々な知性から学ぶことの大切さを訴える。本展に出品するアニカ・イは、「機械の生物課」をテーマに作成しているが、こうしたアーティストのクリエーティブな思考は、私たちが本当に必要とするテクノロジーを創造するうえで大きなヒントを与えてくれるだろう。(やはぎ・まなぶ) 【文化】公明新聞2025.3.12
October 27, 2025
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金利を考える翁邦佳 著 入門だけで終わらない根源的考察普段はあまり「金利を考える」ことがない一般人も、昨年来、金利を意識せざるを得なくなっただろう。日本銀行による金利引き上げ後に起きた昨年8月の株価暴落(史上最大の下げ幅を記録)から、金利動向が従来以上に大きくクローズアップされているからだ。そうした状況の中で、時宜を得た刊行となったのが本書である。著者は日銀金融研究所所長などを務めた経済学者で、金融政策の第一人者として知られる。執筆中に起きた戦術の株価暴落については、その背景などを分析した「エピローグ」として、急遽追加されたという。本書は、金利の仕組みを基礎から解説する入門書。「金利とは何か」という問いには「一言でいえば、『お金のレンタル料』です」と答えるように、著者は分かりやすい比喩などを駆使するほか、身近な例に寄せて解説する姿勢も一貫している。例えば、金利理解の必須の「情報の非対称性(貸し手と借り手では得られる情報に差があること)」の概念を、缶ビールの購入と消費者金融取引を比較して説明する(後者にのみ「非対称性」がある)、という具合だ。通読すれば、基礎知識がない人にも、日米の金利差が為替レートを動かす仕組みや、日本の低金利政策が円安の要因になる理由などが理解できるだろう。また、住宅ローン金利の今後を展望する性があるなど、実用的な側面を持つ書でもある。本書は秀逸な金利入門書だが、それだけには終わっていない。各省の「補論」では専門的な話題にまで踏み込み、金利について、さらに根源的な考察が展開されているのだ。平明さと奥深さを兼備し、金融に詳しい読者にも多くの学びが得られる書である。(原) 【読書】聖教新聞2025.3.11
October 26, 2025
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絶対に負けない 中学2年で終戦を迎えた俳優の高倉健さんが「終戦の時に似た絶望と寂寥」を感じたのは、東日本大震災だった。この頃、映画の話が進んでいたが、〝俳優に何ができるのか〟と苦悶した▼ある日、ふと見かけた写真にくぎ付けに。宮城県気仙沼市で、両手に重そうなペットボトルを持つ少年が固く口を結び、がれきの中を歩く写真である。そこから〝絶対に負けない〟との意思を感じた高倉さんは、写真を台本に張り付け、映画の撮影に臨んだという(日経電子版2012年3月16日付)。▼不屈の歩みを続ける東北の友の姿は、これまでたくさんの希望となってきた。震災当時、東北楽天のプロ野球選手だった岩隈久志さんは、支援に訪れた避難所で被災者から「応援しているからね」と声をかけられた。「励まされたのは、私たちの方だった」と振り返る。▼渡米後、「希望」と刺しゅうしたグラブを手に、被災地への思いを力に変え、メジャーリーグでノーヒットノーランを成し遂げた▼池田先生は「尊き東北の同志は、いかなる烈風にも怯まず、友の心に『希望』の火を灯してきた」と。励まし励まされる絆が、前を向く力となる。東北の友と心ひとつに進んでいきたい。これまでも、これからも。 【名字の言】聖教新聞2025.3.11
October 26, 2025
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我らの価値の創造に限界はない 本州の最北端に位置し、マグロでも有名な青森県大間町から海を見た時、脳裏に浮かんだのはユゴーの言葉だった。「海よりも壮大な眺めがある、それは大空だ。大空よりも壮大な眺めがある、それは人間の魂の内部だ」(辻昶訳)▼はるかにみえる北海道まで海は続いているが。だが、空はさらに向こうまで拡がっている。〝それよりも壮大な人の心とは何だろう〟と考えた。それは自分自身で築く「悠然たる境涯」に違いない▼御聖訓に「あなた方は権力を持つ人を味方にしている。日蓮は日天・月天・帝釈天・大梵天王を味方としよう」(新2130・全1129,通解)とある。権力者とつながりを持つ自分たちの主張を正当化する相手に対し、日蓮大聖人が悠然たる境涯で確信を述べられた御金言である▼この気高い精神は、信心に励む私たちも堅持すべきものであろう。卑小にして有限な権勢や、一時の名声に頼るのではなく、宇宙大の働きをなす諸天をどこまでも味方とし、悠然たる境涯を開いていくのが、日々の仏道修行の目的でもある▼池田先生は「我らの価値の創造に限界はない」とつづった。その確信で進む私たちの可能性にも限界はない。心をどこまで広げられるのが妙法である。 【名字の言】聖教新聞2025.3.8
October 25, 2025
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代表的な不整脈「心房細動」__重い脳梗塞になりやすい 今日のポイント早期手術で8割が治る 夛田教授明日3月9日は「脈(みゃく)の日」で、「心房細動週間」も始まります(15日まで)。不整脈の代表的疾患「心房細動」について、不整脈のエキスパートである福井大学医学部の夛田浩教授(循環器内科学)に聞きました。 特徴 心臓けいれん 血栓できやすく——心房細動とは?心拍が不規則になる不整脈の一種で、心臓がけいれんのように震え、血を送り出す機能が低下する病です。心臓内の部屋である心房の〝収縮〟が〝小刻みな震え〟となり、1階に送り出す血液量が大きく減ります。すると心房内で血液がよどみ、血の塊(血栓)ができやすくなります。血栓が脳に運ばれ、血管をつまらせる脳梗塞が起きます。心房細動の患者は、そうでない人より、脳梗塞になるリスクが5倍といわれます。心臓でできた血栓は大きいため、他の原因で起きた脳梗塞より重症度と再発つが高くなります。2割が亡くなり、4割が寝たきりなどの重症者になるというデータもあります。 症状 半数が自覚なし 脈を測る習慣を——心房細動の症状は?主な症状は動悸や息切れ、ふらつき、眼前暗黒感などです。脈拍が乱れるため、脈が「踊る」「飛ぶ」といった感覚に襲われ、その際に胸痛を感じる人もいます。一方、約4割は無症状といわれます。——多くが無症状……どうしたら気づけますか。健康診断等で心電図を取ることです。自覚できない脈の乱れに気づくことが可能です。心電図を行わない健康診断であれば、ぜひ個別に申し出て、受けてください。毎年受けていれば、発病時期で慢性度がわかるため、治療法を選ぶ重要な要素になります。また、顕脈の習慣化は有効です。無症状の心房細動に気づくきっかけになります。 原因 加齢による異常 自律神経の乱れ心房細動の原因は、心筋を動かす電気信号の異常です。異常が起きる大きな原因は加齢ですが、食の欧米化や自律神経の乱れも関わっているとされています。「肥満」「高血圧」「脂質異常症」「糖尿病」「過度の飲酒」「カフェインの摂取」「喫煙」「睡眠不足」「ストレス」などが環境要因として挙げられるため、不整脈の生活習慣病ともいわれています。——患者数は?高齢化とともに増えており、人口の約1%、約100万人超と推測されています。岩手県予防医学学協会が発表した健康診断のデータでは、80代で男性の8・1%、女性の3・5%がかかっていました。 治療 負担の少ないカテーテル手術——治療法は?心拍を調える薬を使いますが、薬物療法では発作の可能性をゼロにできず、飲み続ける必要があり、発症不安は存在し続けます。脳梗塞の予防には抗凝固薬を併用しますが、全身の地をさらさらにするため、自己にあったら出血が止まらないというリスクが発生会います。慢性でなければ、第1選択の治療法はカテーテルアブレーション(心筋焼灼術)です。太ももの付け根などから心臓までカテーテル(細い管)を挿入し、異常の発生部位を焼いたり、細胞を凍結して壊死させたりします。傷口も小さいため体の負担を軽く、入院も1週間以内です。治れば薬も必要なくなります。手術数は年々増え、不整脈亜鉛隊では年間11万件以上(2023年)が行われています。うち4分の3となる約8万は心房細動の患者です。 新技術 より安全な手術 昨年秋に認可昨年9月、心房細動に対して、新たな手術パルスフィールドアブレーションが国から認可されました。カテーテルの尖端から瞬間的に高電圧をかけて、特定の心筋細胞だけ壊す方法で、安全性がさらに高まりました。現時点で行っている施設は限られていますが、技術的にも難しくなく、数年で心房細動治療のメインになると思われます。私どもの病院でも、積極的に行っています。——カテーテル手術全体の降下は?心房細動は症状の有無にかかわらず、発作のたびに心臓が痛みます。発作時間も長くなり、震えが7日以上続く持続性心房細動になります。持続性となって5年以上継続した者では、手術後に正常の脈拍を維持できるのは半数以下です。逆に、持続性が短いもの(特に1年以内)であれば、8割程度が、手術後に正常の脈拍を維持できます。——早期治療が大切なのですね。はい。スマートウォッチのアプリで、脈を測ることもできます。医療機器ほどの信頼性はありませんが、一定の目安になります。今、私も手首につけていますが、タッチして手軽に測れます。先日もスマートウォッチで測った脈拍が気になって来院し、無症状の心房細動を発見できた方がいました。健康長寿を延ばすため、ぜひ脈の測定を習慣化してください。 取材こぼれ話けんみゃくん「なかやま、検脈くんです!」——ACジャパンの、このCMを見た人もすくなくないだろう(日本心房財団支援キャンパーン)。明日から始まる心臓細動週間では、検脈を広く啓発している。京都タワーや熊本城などライトアップされるランドマークもあるという。心房細動に気づかず脳梗塞を患うと、思いまひが残ったり、寝たきりになったり、亡くなったりする。多くの脳梗塞患者を診てきた夛田先生。「〝これ名で動かせていた躰なのに、突然……〟との悔しさから、発症後に死にたくなる『希死念慮』は、がんよりも強いともいわれます。60歳を超えたら脈を測って、早期発見を意識しましょう。◇心房細動を見つけるきっかけとなる検脈は、家族におお願いできれば恒常的なスキンシップともなり、ストレスの軽減や、絆を強めることにもつながる。もともと一人で1分程度で行える、簡単な健康習慣でもある。明日の「脈の碑」を機に、楽しみながらチュックしてみてはどうだろうか。冒頭のフレーズをつぶやいて里、言い合ったりしながら(聡) メディカルトピックmedicaltopic💊白髪を防ぐ植物成分発見?ポリフェノールの一種植物に含まれるポリフェノールの一種、ルテオリンに白髪を防ぐ効果があることを動物実験で確かめたと、名古屋大学のチームが発表しました。塗っても飲んでも効果があったとし、人間での応用が期待されるといいます。チームが開発した、華麗で白髪が生じるマウスの背中にルテオリンを約4カ月間塗布すると、塗らなかったマウスに比べて、白髪の割合が大幅に減りました。飲ませても、白髪の現象が確認されています。毛髪の成長を支える細胞や、毛髪の黒色を維持する細胞の機能が保たれていたことも、このマウスを使って実験で確認できました。ルテオリンは抗酸化作用があり、皮膚の健康維持に有用である可能性は、これまでも報告されていました。 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.8
October 25, 2025
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腹を決め努力し続ければ堅固な壁も破れる 「彼の精神と影響は私たちの心とスポーツの歴史の中に永遠に残るでしょう」——フランス野球界のソフトボール連盟が声明を発表し、先月亡くなった元プロ野球監督の吉田義男氏を悼んだ▼阪神を日本一に導いた師は、1989年から7年間、フランスで野球を指導した。言語や文化の理解を含め、異国の地ゆえの苦労は多かった。だが「少しでも上手になりたい」という選手たちの姿に触れ、これから発展しようとするフランス野球界の熱意にこたえたいとの使命感が強くなっていったという(『海を渡った牛若丸 天才ショートの人生行路』)ベースボール・マガジン社)▼その後、フランスの野球人口は増え、日本の社会人野球でプレーする選手も誕生。氏の名を冠した国際大会も同国で行われている▼新たな挑戦には困難がつきものだが、苦労の多さに〝何のため〟との目的を見失いそうになることもあろう。しかし、腹を決め、〝壁〟を破ろうと努力し続けるならば、堅固に思えた障壁も、いつか崩れる時が来るものだ▼池田先生は「使命の自覚は、人に力を与え、勇気を与え、元気を与える」と。いくつになっても、何があっても、自らが定めた道を歩み抜く。自分にしか残せない誉の歴史を綴りゆこう。(虎) 【名字の言】聖教新聞2025.3.7
October 24, 2025
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ぼくの愛した北海道、そしてアメリカ映画刊行に込めた思い映画評論家・映画監督 田中 千世子品田雄吉の映画評や故郷の思いで書いたエッセー収録 北海道生まれの品田雄吉はいつもエッセーに故郷の思い出を書いた。初めてのアメリカで懐かしい気がしたのは、そこに北海道を見たから。アメリカの道は真っすぐで木々もさわやかな空気も北海道に似ている。地元のカラフト犬は誇らしい。子供の頃犬に橇を引かせたら、よその犬と喧嘩して自分は橇から放り出されたけれど、犬が勝って嬉しい等々。映画雑誌や新聞に書いた品田雄吉を本にしようと思い立ったのは、彼が逝って八年経った頃だ。二人で暮らした六本木の家がやがて再開発で立ち退きになるので、私は早めに引っ越すことにした。その時、いろいろ整理したきっかけで、彼の残したスクラップブックがわたしをその気にさせたのである。まずは気の向くままに、1970年代以降の映画評やエッセーを書き写してはパソコンに入れてみた。それ以前の記事はコピー技術が発達していなかったせいか、スクラップしていないようなので、敢えて探さない。公開当時の『ジョニーは戦争へ行った』やパンフレットに書いた『E,T.』の評価もあれば、『エデンの東』など過去の名作について書いた者も多い。ある映画の各種の媒体に書いても、同じ文章はない。つねに新しい書き出しで、視点も変えるが、評価は変えない。さすがだなあと感心しながら書き写す。キネマ旬報社のベテラン編集者が、必要な評価はバイトに指示してパソコンに入れてもらえば早いとアドバイスするが、断る。書き写すのが楽しいのだ。品田の文を写していると、不思議と品田がそこにいるように感じられる。品田がジョン・フォード監督の『荒野の決闘』をこよなく愛していたので、長い評論を探したところ見つからない。代わりにジョン・ヒューストンやスタンリー・キューブリックを論じたものが出てきた。これはスクラップではなく複数の評論家がかかわった映画の本にあった。活用しよう。そこでアメリカ映画の特色を「青春」とか「ダンディズム」というキーワードを配して章立てとし、構成らしきものをつくる。その中に北海道のエッセーを入れていくと、これがウソのように決まる。たとえば第1章の初めにくるのは生まれ故郷の北海道甘塩郡遠別の風景である。このエッセーには北海道大学を卒業して東京の映画雑誌社に入り、やがてアメリカのオレゴン州で映画の撮影を取材したときの印象と北海道の類似に気づいたことが出てくる。次に『アメリカン・グラフティ』の評論。この映画は地方から都会に出ていく若者の話だ。それが品田の青春とダブって読まれるとうれしい。旅を取り上げた第3章には、ひとりでする海外旅行と、映画館にひとりで映画を見ることの共通性を指摘したエッセーを入れた。映画は『夜の大捜査線』や『ジュリア』など。旅はバディ(相棒)をつくるきっかけにもなるからバディ映画の『真夜中のカーボーイ』を入れたのは強引だったかもしれない。(たなか・ちせこ) 【文化】公明新聞2025.3.7
October 24, 2025
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法華題目抄⑥完 現代語訳 教学部編 第3段 法華経の二つの説き方(御書新版20㌻2行目~21㌻17行目・御書全集14㌻7行目~15㌻11行目) 問13 法華経内の相反する説 質問する。同じ一つの経典の中に相反する内容があることは、実に理解しにくいことですので、詳しくお伺いしたいと思います。 答13 時代と機根に応じて説く答える。方便品などには、機根を勘案してこの法華経を説きなさいと記されている。不軽品には、(相手が)誹謗したとしても、ひたすら強くこの法華経を説かなければならないと記されています。同じ経典の前後で、水と火のように正反対である。ところが、天台大師はこの違いを解消して次のように解釈している。「過去世に善行をなしたものに対しては、釈尊は小乗の教えによって扶助し保護する。(一方で)過去世に善行をなしていないものに対しては、不軽菩薩は大乗の教えによって、敢えて反発されても功徳を得させるのである」〈注1〉と。この文の趣旨は、以下のようなことである。もともと禅を生み出す実践[善根]〈注2〉があって、この一生のうちに(法華経を)理解できるもののためには、ただちに法華経を説くのがよい。ところが、その中に(法華経を)聞いても誹謗するような機根の者がいた場合は、ひとまず権教の経典によって(機根を)調えて、その後に法華経を説くべきである。(一方で)もともと大きな禅を生み出す実践もなく、この一生で法華経を信じることもできない者は、特別に何かしなくても悪道に堕ちてしまうので、とにかく強いて法華経を説いて、(あえて)誹謗させて逆縁〈注3〉ともしなさい、と矛盾を解消している文である。この注釈の通りであるなら、釈尊から遠く離れた時代には、善を生み出す心がない者は多く、善を生み出す心があるものは少ない。それ故、悪道に堕ちることは疑いない。結果が同じであるなら、法華経を強く説いて聞かせて、毒鼓の縁〈注4〉とした方がよいのではないか。そうであるなら、(今が)法華経を説いて、誹謗するという縁を結ばせる時であることは、言い争うまでもないことではないか。また、法華経の方便品には五千人の慢心の者〈注5〉がいた。(聴衆が)略開三顕一〈注6〉を聞いて、広開三顕一〈注7〉(の説法)に移る時、仏(釈尊)のお力によって(慢心の者たちが)座を立つようにされたのである。(彼らに対しては)後に、涅槃経の時や、四依の菩薩〈注8〉のそばで、今世のうちに覚りを得させるようになさった。一方、諸法無行経〈注9〉では、喜根菩薩が勝意菩薩に対して大乗の教えをあえて説いて聞かせて、誹謗させた。この者たちの相違を天台大師は矛盾がないように解釈して、「仏(如来)は(慈悲のうちの)〝悲〟の心、すなわち哀れむ心に基づいて(慢心の者たちを)別の場所に立ち去らせた。喜根菩薩は〝慈〟の心、すなわち慈愛の心にも続いてあえて説いた」〈注10〉と言っている。この文の趣旨は、次のようなことである。仏(釈尊)は〝悲〟の心によって、(慢心の者たちの)来世での安楽を後回しにして、いま現在、法華経を非難して地獄に堕ちて苦しみを受けることを哀れまれて、(慢心の者たちを)座から立ち去らせた。譬えを挙げると、母親が子どもに病気があるのを知っていても、(灸による)いま現在の苦しみを哀れんで、ともかく灸を据えるということをしないようなものである。(一方)喜根菩薩は、〝慈〟の心によって、いま現在受ける苦しみを考慮せず、来世での安楽を思って、あえて説いて聞かせたのである。譬えを挙げると、父親は、〝慈〟の心によって、子どもに病気があるのを見て、いま現在受ける苦しみを考慮せず、後の事を思って灸を据えるようなものである。また、仏(釈尊)の存命中には、仏は法華経を秘密になさっていたので、40年余りの間は、等覚の菩薩や不退の位の菩薩は、経の名前すら知らなかった。その上、寿量品は、法華経を説いた8年の間も、その(章の)名前を秘密になさって、最期にお聞かせになった。(それなのに)釈尊から遠く離れた時代の凡夫には、どうしてともかく聞かせてよいだろうかと思われるのだが、妙楽大師は注釈して「仏(釈尊)の時代は、(法華経で修行を完成させる)機根が優れた人を対象としたので、選別を行った。釈尊から遠く離れた時代は、縁を結ばせるために(誰に対しても)聞かせるのである」〈注11〉と解釈されている。この文の趣旨は、次のようなことである。仏(釈尊)の存命中は、仏の一生の間に、多くの人が不退の位に到達することができるので、法華経の生を出して(聴衆たちに)誹謗させることはせず。聴衆の機根を調えてから説いたのである。釈尊が亡くなったあとでは、大将と成(法華経で修行を完成させる)機根が優れた人々は少なく、縁を結ぶ人が多いので、多数を占める方に焦点を合わせてともかく法華経を説いた方がよい、ということである。このようなことを説いた多くの例がある。また、釈尊から遠く離れた時代の僧侶は、多くの場合、(聴衆の)機根が分からない。機根が分からない場合は、強いて、ひたすら実教を説くのがよいのではないか。そのため、天台大師は注釈して「どちらにせよ(聴衆の機根が)分からないなら、ただ大乗だけを読めば、過ちはない」〈注12〉と述べている。この文の趣旨は、(聴衆の)機根を知らなければ、大衆を説いても過ちはないという文である。また、その時代の機根を理解して教えを説くというやり方もある。国中の全ての人々が、権教の経典を信じて、実教の経典を誹謗し一考に用いないという場合は、然り咎める心で説くのがよいのではないか。時代によって、(これらの法を)取捨選択しなければならない。…………………………………………〈注1〉〖「過去世に……反発されても功徳を得させるのである」〗〔法華文句〕巻10上の文。「敢えて反発されても功徳を得させるのである」と訳し合箇所の御書本文は「強毒」。この「独」とは「毒薬」のことで、苦い効き目があるという意味がある。その毒薬をあえて飲ませるように、反発されても功徳が得られる教えを説き聞かせること。〈注2〉〖善を生み出す実践〗御書本文は「善根」。よい報いをもたらす実践を「根」に譬えたもの。「善行をもたらす心」の意味もあるが、御書の中の用例では実践を指す場合が多い。〈注3〉〖逆縁〗仏法に対する悪い行いがかえって仏道に入るきっかけになること。〈注4〉〖毒鼓の縁〗と五人にその意思がなくても、仏婦と縁を結ばせ利益を与えること。「毒鼓」とは毒を塗った太鼓のことで、この音を耳にしたものは、皆死ぬとされた。死ぬとは「煩悩が消滅する」との譬え。涅槃経(北本)巻9に説かれる。〈注5〉〖五千人の慢心の者〗法華経方便品第2で、釈尊がまさに真実を説こうと述べたにもかかわらず、すでに分かっていると慢心を起こして退席した五千人の四衆(出家の男女と在家の男女)のこと(法華経118~119㌻)〈注6〉〖略開三顕一〗開三顕一は、声聞、縁覚・菩薩の覚りを得るための三乗の教えが、万人を成仏に導く一仏乗の教え(法華経)を分けて示したものであることを明らかにすること。法華経方便品第2の前半で、「仏は方便力を以て、示すに三乗の教えを以てす」(法華経112㌻)などと述べて、簡略に開三顕一を示すので、「略開三顕一」という。〈注7〉〖広開三顕一〗法華経方便品第2で、五千人の慢心の者が去った後、綬学無学人記品第9までの間で、開三顕一について詳細に説かれる。これを「広開三顕一」という。〈注8〉〖四依の菩薩〗仏道修行の依りどころとなる4種の菩薩のこと。涅槃経(北本)巻6では、「人の四依」として、凡夫、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢の四つを挙げる。阿羅漢は声聞の最高位で、須陀洹から阿那含まではその前の段階。〈注9〉〖諸法無行経〗鳩摩羅什訳。2巻。煩悩即菩提などの教えを述べ、喜根菩薩の説話を説いている。〈注10〉〖「仏は〝慈〟の心……あえて説いた」〗「法華文句」第4巻の文(ただし、「法華文句」と御書本文では「喜根」と「如来(仏)」の順番が逆になっている)。〈注11〉〖「仏の時代は……聞かせるのである」〗「法華文句記」巻9下の文。〈注11〉〖「どちらにせよ……過ちはない」〗「法華文句」巻9上の文。 第14段 権大乗の学者を破折(御書新版22㌻1行目~23㌻3行目・御書全集15㌻12行目~16㌻6行目) 問14 権大乗にとどまる学者質問する。中国の学者の中の一部に、ひたすら権大乗の教えにとどまって実教の経典に進まない者がいるのは、どういうわけでしょうか。 答14 実教を弘める龍樹・天親・天台答える。仏(釈尊)がこの世界にご出現になって、先に40年余りの間、権大乗や小乗教の経典を説き、その後に法華経を説いて、「もし小乗によって、たとえ一人でも教化したなら、私は物惜しみの罪を犯すことになる。これは許されないことである」〈注13〉とおっしゃっている。鼓の経文の趣旨は、仏(釈尊)が法華経以前の経典だけを説いて、法華経を説かなければ、仏には物惜しみの過ちがあると述べられているのである。(子の経文の)あとで、嘱累品に至って、仏(釈尊)は右手を伸ばし、三度忠告をして、三千大千世界と、八方のそれぞれ四百万憶那他の国土から遣わされた菩薩たち〈注14〉の頭をなでて、〝未来に必ず法華経を説かなくてはならない。若し(聴衆の)機根がその水準に達していないなら、それ以外の深い教えである40年余りの経典を説いて、機根を調えてから法華経を説かなくてはならない〟〈注15〉とおっしゃったと記されている。のちに涅槃経で再びこのことを説いて、〝仏(釈尊)が亡くなった後に、四依の菩薩がいて教えを説く。また、教えの四依〈注16〉もある。実教の経典を最後まで弘めない者は、天魔であると知らなければならない〟ということを説かれている。それ故、仏(釈尊)が亡くなったあと、500年後や900年後に出現された竜樹菩薩〈注17〉や天親菩薩〈注18〉たちは、仏の尊い教えをあらゆる場所に弘められたが、天親菩薩はもともとは症状の説一切有部〈注19〉の人で、『倶舎論』〈注20〉を著して阿含時〈注21〉の12年間の間の経典の趣旨を述べたが、大乗の教えについては全く明らかにしなかった。その次に、『十地経論』〈注22〉や『摂大乗論釈論』〈注23〉などを著して、40年余りの権大乗の趣旨を述べ、その後に『仏性論』〈注24〉や『法華論』〈注25〉などを著して、実大乗の教えを概説した。竜樹菩薩もこれと同様である。天台大師は、中国の学者として、釈尊が一生のうちに説いた経典を分類し、大乗・小乗・権教・実教の区別を明白にした。他の(中国の)学者たちは、わずかに理論だけは説いたが、明快なものではなかった。また、根拠となる経文もあやふやであった。ただし、根本の師匠から遠い(インドの)論者や翻訳者や中国の学者の中で、大乗・小乗については区別するものの、大乗の中で権教と実教を区別しなかったり、あるいは、言葉の上では区別していても、心では権大乗の思想の範囲にとどまったりする者もいる。そうした者たちは、「不退の位の菩薩たちが、ガンジス川の砂の数ほどいても、(仏の智慧を)知ることはできない」〈注26〉という経文の通りだと思われます。……………………………………………………〈注13〉〖「もし小乗によって……許されないことである」〗法華経方便品第2の文(法華経130㌻)〈注14〉〖三千大千世界と、八方のそれぞれ四百万憶那由他の国土から遣わされた菩薩たち〗法華経見宝塔品第11では、釈尊が娑婆世界を清浄にした後、十方の諸仏が集合し、三千大千世界を埋め尽くし、さらに八方(十方から上方・下方を除く)それぞれにある四百万那由他の国土の中に座し、それぞれ持者を釈尊のもとに派遣したと説かれる。〈注15〉〖〝未来には必ず……法華経を説かなくてはならない〟〗法華経嘱累品第22の文「未来世に於いて、若し善男子・善女人有って、如来の智慧を信ぜば、当に為に此の法華経を演説して、聞知することを得しむべし。(中略)若し衆生有って信受せずは、当に如来の余の深法の中に於いて、示教利喜すべし」(法華経578~579㌻)の取意。〈注16〉〖教えの四依〗涅槃経(北本)巻6に説かれる。「法(真理)をよりどころとして、人をよりどころとしない。智慧をよりどころとして、智識をよりどころとしない。意味が明瞭な経典をよりどころとして、意味が不明瞭な経典をよりどころとしない」という経文で示される。よりどころとする四つのこと。〈注17〉〖竜樹菩薩〗竜樹はサンスクリット名のナーガルジュナの訳。新訳経典では竜猛と訳される。150年~250年頃のインドの仏教思想家。『中論』などで、大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。〈注18〉〖天親菩薩〗4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。旧訳で天親、新訳で世親という。以下の本文でもあるように、もともと説一切有部に属していたが、大乗仏教に転向し、瑜伽行派(唯識派)の思想を体系化した。〈注19〉〖説一切有部〗特に北インドで最も有力な部派(釈尊が亡くなったあとに分派したさまざまな教団)で、「法」(認識を構成する要素)を実在とする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。〈注20〉〖「倶舎論」〗世親(天親)の著作「阿毘達磨倶舎論」のこと。説一切有部の仏教教理学の綱要書。〈注21〉〖阿含時〗天台教学の共犯である五時八教の第2、釈尊が阿含経を説いたとされる時期のこと。天台教学では、釈尊が覚りを開いた直後に華厳経が説かれ、その後、釈尊の覚りが理解できなかった人々のために、より平易な阿含経が説かれたとされる。阿含経が説かれた時期を12年とするのは劉虬(438年~495年)の説による。〈注22〉〖「十地経論」〗世親による」十地経の注釈書。12巻。十地経は、大衆の菩薩の階位である十地について説く経典で、華厳経の十地品に相当する。〈注23〉〖「摂大乗論釈論」〗世親による「摂大乗論」の注釈書。15巻。「摂大乗論」は、世親の兄である無著の著作で、瑜伽行派の教学を体系化したもの。〈注24〉〖「仏性論」〗世親の著作。瑜伽行派の教学を踏まえて仏性について論じたもの。4巻。〈注25〉〖「法華論」〗世親の著作「妙法蓮華経憂波提舎」のこと。インドにおける法華経の注釈書として唯一現存する。1巻。〈注26〉〖「不退の位の菩薩たちが……知ることができない」〗法華経方便品第2の文(法華経111㌻) 第15段 権教と実教を区別せよ(御書新版23㌻4行目~15行目・御書全集16㌻7行目~15行目) 注15 中国の諸宗の学者疑問がある。中国の学者の中で、慈恩大師〈注27〉は十一面観音〈注28〉が人間の姿をとったものであり、歯から光を放った〈注29〉。善導和尚は、阿弥陀仏が人間の姿をとったものであり〈注30〉、口から仏を出現させた〈注31〉。このほかの学者だけでも、超常的な力を示したり、優れた特性を発揮したり、特別な精神状態を得たりした人は、世の中にたくさんいる。(そうしたひとたちが)どうして権教と実教という二つの教えを区別して、法華経を究極なものとしないのか。 答15 教えの正邪によって判定答える。阿竭多仙人というインド思想の修行者は、12年の間、ガンジス川の水を全て耳の中に収めた。婆数仙人〈注32〉は、自在天〈注33〉となって、三つ目の姿を現した。中国の道教修行者の中でも、張楷〈注34〉は霧を出し、欒巴〈注35〉は雲を吐き出した。第六天の魔王は、仏(釈尊)が亡くなった後、出家・在家の男女や阿羅漢・辟支仏の姿を現して、40年余りの今日を説くだろうと(仏典に)記されている。超常的な力(の有無)によって、智慧ある人か愚かな者かを判断してはならないのではないか。ただただ仏(釈尊)の遺言の通り、ひたすら権教の経典を弘めない学者は、権教の経典に前世からの縁があって実教の経典に入らない者であり、(そうした者たちは)あるいは魔にだまされて超常的な力を現しているのではないか。ただ教えの内容によって、間違っているか正しいかを判定しなければならない。すぐれた能力があることが超常的な力があるとかいうことを根拠にしてはならない。文応元年(太歳庚申)五月二十八日日蓮 花押(書名)鎌倉の名越で書き終えた。…………………………………………………〈注27〉〖慈恩大師〗632年~682年、中国・唐の相で、大乗基ともいう。玄奘の弟子で、法相宗の開創者。長安(現在の陝西省西安)の大慈恩寺に住んだので、慈恩大師と称される。〈注28〉〖十一面観音〗11の顔面を持つ観世音菩薩。慈恩(基)が十一面観音の化身であるという話は、典拠不明。〈注29〉〖歯から光を放った〗御書本文の「牙」は、歯のこと。中国・唐の僧祥の「法華伝記」巻3に、慈恩(基)のこととして、暗夜に歯から光を放つ奇瑞が見られるとある。〈注30〉〖阿弥陀仏が人間の姿をとったものであり〗もともとは中国・北宋の遵式(964年~1032年)の「往生西方略伝」にある説と言われ、広く流布した。〈注31〉〖口から仏を出現させた〗中国・北宋の戒珠の「浄土往生伝」巻中などに見える説。〈注32〉〖婆藪仙人〗古代インドの修行者。御書本文では「婆藪」だが、一般的には「婆籔」と表記する。婆藪は、サンスクリットのヴァスの音写で、神の意。涅槃経(北本)巻39によると、自在天(シヴァ神)の姿を現したという。〈注33〉〖自在天〗インドのシヴァ神のことで、一般に三つの目、八つの腕があるとされる。〈注34〉〖張楷〗中国・互換の学者。御書本文では「張階」だが、一般には「張楷」と表記する。「後漢書」鄭氾陳買張列伝によると、五里にわたる霧を作ることができたという。〈注35〉〖欒巴〗中国・後漢の官僚。葛洪「神仙伝」巻5によると、口に含んだ酒を吹いて雲とし、雨を降らせて火災を沈下させたという。 大白蓮華2025年3月号
October 23, 2025
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恐竜と鳥のありえない運動能力佐藤 拓己時速40キロで走り続ける世界最高峰エベレストに無酸素で登頂すれば、世界的なニュースになります。それは、8500㍍より以上は人の生存を許さない非常に過酷な世界だから。8000㍍より上の地域は「デスゾーン(死の地帯)」といわれ、酸素濃度は7%程度、気温はマイナス30度、風速30㍍の強風が常に吹いています。そんなエベレストの山頂をアネハヅルの群れが悠々と越えていくのです。渡り鳥のアネハヅルは、チベットからインドへ向かうため、エベレストの上空を飛んでいきます。どうしてこんな運動が可能なのでしょうか。実は、鳥たちは、低酸素に適応するため、遺伝子レベルから、細胞、臓器、骨格に至るまで、全て作り変えてきたのです。その結果、低酸素でも持続的に運動が可能になったと思います。低酸素への適応こそが、鳥と獣脚類を理解するカギです。三畳紀の初期獣脚類の爆発的な進化もこのことから理解できます。これこそが、古生物学者が今まで述べてこなかった重要な課題なのです。私はこの課題に引かれます。鳥の祖先である獣脚類は、酸素濃度が10%でも持続的に運動できる〝スーパーアスリート〟でした。2億2000万年前に登場した初期獣脚類のコエロフィシスは、持続30~40キロで走り続けていたと考えています。100㍍の世界チャンピオン、ウサイン・ボルトの記録に匹敵する速さで、何時間も走り続けることができたのです。しかも酸素が現在の半分しかないのに!現在の鳥は、この初期獣脚類が獲得して運動能力を受け継いで、空を飛んでいるのです。そんな鳥や獣脚類のすごさを知ってもらいたく『恐竜はすごい、鳥よりももっとすごい!』(光文社新書)を出しました。 ミトコンドリアを活性化低酸素に適応する体に 効率よくエネルギーに低酸素状態に適応するために、どのような変化があったのでしょうか。話は2億5000万年前までさかのぼります。恐竜が反映するジュラ紀や白亜紀のさらに前、三畳紀のことです。この時、PT境界と呼ばれる大絶滅が起きます。酸素濃度が30%から10%程度まで低下し、動物の大部分が死滅。生物種の95%以上、個体数では99%以上が死に絶えたと考えられています。酸素濃度10%というのは、標高6000㍍地点と同じ酸素量です。富士山頂よりも酸素濃度が低く、数十メートル歩くことさえ厳しい。ちょっと動いても息苦しさを覚えます。しかも二酸化炭素濃度が、低くても2000ppm(現在は350ppm)以上もあるため、温暖化が著しく、昼には40度以上になり、夜でも30度はあったと考えられます。熱中症になりやすい哺乳類は、この時期、必要以上に迫られて、夜行性を身につけたのでしょう。一方、獣脚類は、多くのゲノムを切り捨て、〝スーパーミトコンドリア〟を誕生させます。鳥が持つスーパーミトコンドリアは、哺乳類の持つミトコンドリアよりも酸素消費量が高く、活性酸素合成が低く、脂肪合成が低いのが特徴。スーパーミトコンドリアによって、鳥は、活性酸素をつくらずに、常にフルパワーで運動が可能になったのです。つまり、取り込んだ酸素を効率よく運動に仕えるため、低い酸素濃度でも飛ぶことができるのです。 余力を使って飛行能力鳥のゲノムは非常に小さく、人間と比較すると3分の1程度しかありません。さらに、初期獣脚類のヘレサウルスが56%であることから、おそらく三畳紀前半2000万年の間にゲノムの多くを失ったのだろうと考えられます。鳥はインスリン感受性がほとんどないことから、三畳紀に失ったゲノムの中に、インスリンを働かせる遺伝子があったのでしょう。実際、鳥は数十に及ぶこれらの遺伝子を失っています。インスリンは血糖値を下げるホルモンとして有名ですが、他にミトコンドリアを抑制することが知られています。鳥はインスリンが働かないため、ミトコンドリアが常に活性化され、酸素を使って大量にエネルギーを出すことができます。これがスーパーミトコンドリアの正体です。酸素濃度が高いペルム紀に進化した獣弓類(哺乳類の祖先)は、低酸素ではエネルギー生産が抑制されてしまいます。それに対し、獣脚類の場合は、低酸素でも大量にエネルギーをつくり出し、強度の高い運動を何時間でも持続できるように進化したのです。さらに時代が下り、ジュラ紀後期になると酸素濃度が上昇していきます。低酸素下で高い運動能力をすでに獲得していた獣脚類には、酸素濃度の上昇によって、大きなエネルギーの余力が生まれることに。その余力の行き先は三つです。一つは巨大化。ティアノサウル巣のように、体を大型化して瞬発力を高めました。二つ目は、ドロマエオサウルスやベロキラプトルのように、体は小型のままで持続して走り続けられるようになりました。三つめが飛行。アーケオプテリクスやミクロラプトルなど現在の鳥につながる系統なのです。=談(東京工科大学教授)さとう・たくみ 1961年、岩手県生まれ。東京工科大学応用生物学部教授。専門は神経科学、抗老科学。著書に『脳の寿命を延ばす「脳エネルギー」革命』『ケトン体革命』などがある。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.6
October 23, 2025
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太田南畝の還暦歴史作家 河合 敦今年還暦なので、子供たちから真っ赤なトレーナーと毛糸の帽子をプレゼントされた。還暦祝いは、暦が一巡したという長寿のお祝いだ。赤を身につけるのは魔除けだとか赤ちゃんに戻るなど諸説あるが、会社員なら退職する人も多いだろう。ともあれ還暦祝いは嬉しくもあり悲しくもある。太田南畝も文化五年(一八〇八)三月三日に自宅で還暦祝いを開いてもらった。太田家は下級御家人の家柄だったが、狂歌の才能を発揮し、世間では名を知らぬ者はいないほどだった。しかも政治風刺をきかせた狂歌で詠んだので、幕府ににらまれた。そこでいったん狂歌をひかえ、南畝は官立の昌平坂学問所での学問吟味にチャレンジした。好成績をとると、出世の道が開けるのだ。結果、見事に主席合格し、支配勘定に登用された。それから十二年後、南畝は還暦を迎えた。一人息子の定吉が三十近くになっても職に就けず、隠居できないでいた。還暦になった年の十二月、南畝は上司から玉川(多摩川)巡視を命じられる。洪水で決壊した堤防の状態を確認する仕事だ。三カ月半にわたって寒風吹きすさぶ河原を歩かなくてはならない。南畝の旅日記には「今朝右の上顎の歯落ちたり、のこる所わづかに上に三ツ下に二ツなり」と、残りの歯がわずかに五本になったとある。しかも一月二十日には吹雪に遭っており、老体にこたえたはずだ。けれど創作意欲は失わず『玉川砂利』など多くの紀行や随筆を書き上げた。六十四歳のとき、定吉の出仕が決まるが、まもなく病になり職を解かれてしまう。仕方なく家計を支えるため、南畝は孫の健太郎が成人するまで頑張る決意をする。南畝が役人を退くのは七十二歳のこと。三年後死去するが、その辞世は「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」だという。もっと生きて頑張るつもりだったのである。 【言葉の遠近法】公明新聞2025.3.5
October 22, 2025
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不条理な現実 世界へ伝える米アカデミー賞 長編ドキュメンタリー「ノー・アザー・ランド」の監督に聞くユヴァル・アブラハームパーセル・アドラー命がけの友情が生んだ奇跡のドラマ立場を越え、生きる道を問う 活動家4人が出会う〈ドキュメンタリーの舞台は、ヨルダン川西岸の村、マサーフェル・ヤッタ。そこには住民の抗議に耳を傾けることなく、住宅を破壊し占領を推し進めるイスラエル軍、そして、その暴挙を記録するハーセルさんの姿があった〉——この作品は、パーセルさん、ユヴァルさんを含めたパレスチナ人、イスラエル人の4人が協働で監督を務めています。4人はどのように出合い、ドキュメンタリーをつくることになったのですか。 ハーセル 私は10代の頃から自分の身の回りで起きている事実を記録し、それを写真家のハムダーン・パラールとSNSで世界に発信してきました。一方、マサーフェル・ヤッタは、外からのジャーナリスト、メディア集まる場所でもありました。そのなかにユヴァルや編集者のラヘル・ショールがいたのです。私を含め4人は、皆ジャーナリストであり、活動家でもありました。私たちは現場で何が起きているのかを世界に伝え、占領を止めるためには、断片的にSNSで伝えるだけでは足りないと感じていました。占領が続く日々とはどのようなものなのか、それを伝える手段として、ドキュメンタリーをつくる必要があると感じたのです。 共通の価値観が絆強める——ユヴァルさんはパーセルさんを結び付けたものは何ですか。またパーセルさんから学んだことはありますか。 ユヴァル 占領やアパルトヘイト(人種隔離)に反対する気持ちや価値観が私たちを結び付け、それが脅かされている現場にいることで、私たちの絆はつよくなったと思います。そして、1週間、1ヶ月と、同じ時間を過ごし、活動するなか、その絆はさらに強くなっていったのです。彼から学んだ一番大きなことは「忍耐」だと思います。占領に対する抵抗は長く続き、気の遠くなるようなものです。その中で、戦う気持ちを持ち続けるパーセルから、様々なインスピレーションを得ました。その一つが忍耐だったのです。例えば完璧な解決はできなくても、変わらないよりは望ましいのだから、わずかな変化でも、その可能性を探り続けていく。それも彼と過ごす中で起きた私の心の変化でした。 ——作品の冒頭、父の逮捕など、子ども時代の恐怖を改装する場面がありますが、抵抗し続けることができたのはなぜでしょうか。 パーセル 子どもの頃はとても怖かったことを覚えています。でも恐怖だけを感じていたのではなく、活動家の父と同じ道を進むほかに自分の道はないことも理解していました。それがいくらか恐怖を和らげていました。占領に対し抵抗し続けるのが私たちの日々の生活です。現実は厳しいけれど、そこから逃げることはできないのです。軍との力の不均衡は明らかです。洗車も平気も彼らは何でも持っています。けれども、そうした力で占領政策を押し切ることはできません。その祖も私たちは暴力的な解決方法など、臨んでいないのです。 人々の言葉で語り理解が〈強まる軍による占領は、住居の破壊だけでなく、井戸をセメントで埋め、水道管を切断するなど生活インフラをも奪っていく。さらには抵抗する人々に対し、入植者が発砲するシーンも映し出される〉 ——占領政策が進む一方、地中海に面するパレスチナ人居住区のガザでは、イスラエル軍の攻撃が始まりました。今、マサーフェル・ヤッタはどのような状況でしょうか。 パースル 私は今もマサーフェル・ヤッタの自宅にいますが、入植者やイスラエル軍の施設の数は増え続けています。家屋の破壊や暴力よりもひどくなり、状況は依然として厳しく、悪化し続けています。しかし、国際社会は人道的な立場から、この現実を変える力を事ができる力を持っていると私は信じています。 ユヴァル この状況を変える方法の一つは、国際社会からの圧力だと私も思っています。自分たちができることはイスラエルを支持することがパレスチナで何を引き起こしているのかを発信し続けることです。この作品もその思いから作ったものです。私は現地で彼らが使う言葉で対話し、パレスチナの人々の気持ちを初めて理解し、自らも変わりました。その経験は共存の道を見つけることは不可能ではないことを語っているのです。 Basel Adra/Yuval abraham 共同監督。ともに1996年生まれ。それぞれパレスチナのヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタ出身、イスラエルのペエルシェバ出身。「ノーの長編ドキュメンタリー映画賞に輝いた。 【社会・文化】聖教新聞2025.3.4
October 22, 2025
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国際科学誌が議論の必要性訴える科学文明論研究者 橳島 次郎ゲノム編集の未来㊤国際科学史「ネイチャー」が今年1月の初めの号に、「ヒトのゲノム編集について語る必要がある」と題した巻頭言を掲載した。ゲノム編集の発展形として「多遺伝子編集」が研究されていることを受けての発信だ。多遺伝子編集は疾患の発症に関わる数十、数百の遺伝子を、体外受精卵の段階で一度編集し、生まれてくる子がさまざまな病気にかからないようにする技術であり、これまでの一つの遺伝子をターゲットとしたゲノム編集による遺伝子治療とは大きく異なるものだ。まだ実現していないが、30年後には実用化されると予想されている。実際、「ネイチャー」は次の業に、この多遺伝子編集によって、多くの遺伝子がかかわって起こるアルツハイマー病、心筋梗塞、糖尿病などにかかる率を減らせるという豪・英・シンガポールの研究チームの理論モデル論文も掲載している。しかし、この論文は、受理され掲載されるまでに2年半かかった。生まれる前に遺伝子を広範に改変する多遺伝子編集には倫理的問題もさることながら、医学上もさまざまな問題点があって、審査され修正され掲載できるまでに時間がかったのだと思われる。そのあたりの事情を説明する必要があると編集部は判断し、冒頭で掲げた号で「ヒトのゲノム編集について語る必要がある」と題する巻頭言を掲載することになったのだろう。数十年先まで実現しない先端技術の問題を、今先取りして議論しようと巻頭言は呼びかけている。その背景には、原子爆弾から人工知能まで、常に議論が技術の発展の後手に回ったという反省がある。本連載も同じ認識に立って、さまざまな尖端技術の問題を先取りして論じるよう心がけてきた。そこでまず多遺伝子編集の医学上の問題を見ておこう。最も懸念されるのは、ある病気の発症につながる遺伝子が、他方で別の病気にかかりにくくする働きを持つ可能性があることだ。遺伝子の働きは複雑に絡み合っている。編集箇所を増やせば、たとえばアルツハイマー病を防ぐために施した遺伝子改変が、想定外の別の病気を引き起こす恐れが高まる。また、病気の原因は環境要因にもあるので、遺伝子編集にばかり頼ると、公衆衛生や生活習慣の改善に注意が向かなくなる恐れもある。さらに多遺伝子編集は、人間の遺伝子をどこませ改変してよいにかについてのこれまでの議論の見直しの迫るかのような、倫理的・社会的問題を提起している。これについては次回で詳しく見てみたい。 【先端技術は何をもたらすか‐38‐】聖教新聞2025.3.4
October 21, 2025
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池田先生「第7回本部幹部会」でのスピーチ(1988年7月)㊦スペイン語など10言語で御書を発刊他宗教と仏法との対話を進める礎そもそも日蓮大聖人の御書の翻訳を進めることは、大聖人の立宗700年の記念事業として創価学会が御書全集の発刊を成し遂げた時(1953年4月)に、戸田先生が呼びかけていたものだった。発刊の辞で、「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布していく事をひたすら祈念してやまぬものである」と訴えていたのである。池田先生は、日興上人の遺命と戸田先生の熱願を果たすために、まず英訳の推進に力を入れた。世界では英語人口が極めて多いだけでなく、御書の英訳がひとたび完成すれば、それを土台にしてほかの言語に翻訳する重訳も軌道に乗せることができると、考えたからである。まさにその構想の通り、『英訳御書』に続いて、世界の三大言語であるスペイン語版の発刊が目ざされることになった。2005年2月、第1段階として24編の御書のスペイン語訳が出来上がり、池田先生のもとに届けられた時、先生はその労苦の結晶になによりも喜んだ。その時期に行われた全国最高協議会で、翻訳・監修に携わったメンバーも参加する中、池田先生は御書のスペイン語訳が進んでいることを紹介しながら、こう述べたのだ。「このほど、24編の御書の翻訳が完成し、その原稿が届けられた。私は、さっそく学会本部の御本尊の御宝前にお供えし、題目を唱えた。私は、本当に、うれしかった。また、日蓮大聖人、日興上人のお喜びはいかばかりかと思うと、胸に迫るものがあった」と。 このスペイン語版の御書は2008年に完成し、現在まで御書の翻訳は、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、デンマーク語など、10言語以上に広がっている。大聖人の御金言の一つひとつを世界中に届けたい——こうした翻訳担当者の影の努力と、その作業を支える人々の存在があってこそ、御書は、192カ国・地域で活動する同市の〝希望の光源〟となってきたのだ。1月から本紙でスタートした新連載「御書の力——THE POWER GOSHO」では、各国・各地のリーダーが心肝に染めてきた御書の一節や体験などが紹介されている。インドのビネイ・ジェイン教学部長は、「開目抄」の「詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん」(新114・全232)との一節を拝し、こう述べている。「大聖人の烈烈たる言々句々には、私たちの生命を覚醒させる響きがあります」「この誓願に思いを馳せれば、不屈の闘志が空きあがります。いかなる試練にも微動だにしない大聖人の御境涯は、毀誉褒貶がつきものの芸能界で生き抜く私にとって、人生の規範に他なりません」またデンマークのリーネ・スラボウスカ教学部長は、「末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり」(新1732・全1304)との一節を挙げて、このように語っていた。「〝人間の生命自体が尊貴な宝塔である〟——私が入会した後、『阿仏房御書』の一節に触れて、心が震えたことを鮮明に覚えています。誰一人として無益な存在はおらず、『その人にしか果たせない使命がある』との哲学が、どれほど人々に生きる活力をもたらすか。私自身、地涌の菩薩としての自覚が、2度の流産や母の病を乗り越える原動力になりました」と。 1966年7月の「経王殿御返事」の英訳が端緒となり、半世紀以上にわたって営々と進められてきた御書の翻訳——。それは仏法氏に輝く偉業であるのみならず、人類の未来のためにも重要な意義があると、池田先生はスペイン語版の御書に寄せた「序文」の中で、次のように強調している。「本書によって開かれる対話の路には、スペイン語圏に広まる多くの宗教と仏法ンとの対話を前進させるという文明論的意義も含まれていると考える」「現代の宗教間の対話において、それぞれの違いは違いとして認めあいつつ、各宗教の洞察と真実を学びあっていけば、人間の幸福のための宗教として、互いに錬磨してくことができるに違いない。そして、この対話と相互錬磨の道をどこまでも歩み続けて、人類の全宗教がそれぞれ固有の価値を発揮しつつ、『人間のための宗教』と結びつき、世界平和実現への最大の力になっていく事を、私は念願している一人である」と。池田先生の思いを受けてスペイン創価学会では、平和の潮流を生み出すための宗教間対話に積極的に取り組んできた。また、こうした対話は、アメリカSGIやイタリア創価学会、アルゼンチンSGIなど、他の国々でも着実に進められている。宗教間の相互理解は、その思想が多様な言語に訳されるという土壌がなければ、花開かせることは難しい。池田先生は第3代会長として、またSGI会長として御書の翻訳を力強く後押しする中で、その道なき道を厳然と開いてきたのである。 連 載三代会長の精神に学ぶ歴史を創るはこの船たしか—第30回— 聖教新聞2025.3.4
October 21, 2025
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池田先生「第7回本部幹部会」でのスピーチ(1988年7月)㊤私の胸には、日興上人の次の仰せが、強く深く響き、また迫ってくる。(中略)——かつて—インドの仏法が次第に東へ向かった時、インドのサンスクリットの音を漢語に翻訳して、中国へ、日本へと伝えられた。それと同様に、日本の、大聖人が使われた尊き言葉も、広宣流布の時には、かな(で書かれた御書)を訳して、インドへの中国(震旦)へも、世界に流通していくべきである——との御遺命であり、必ずそうなるとの御予見である。(中略)この日興上人の御確信を仰いで、私も世界の広布に走った。御書の翻訳も厳たる軌道に乗りつつある。◇世界への広布が広がりも、皆様方が日本のそれぞれの地域にあって、地道に、また着実に根を張り、活躍してこられたゆえんである。〝わが地域の前進〟こそが、そのまま〝世界への流布〟の原動力になる——。ゆえに、皆様方こそ、最も大切な〝根っこ〟の存在なのである。(中略)さて、大聖人は広宣流布の方軌について、「教機時国抄」に、こう記されている。「仏教は必ず国に依つて之を弘むべし」(御書全集四三九㌻)と。(中略)また「随方毘尼」の毘尼とは「戒」のことで、仏法の本義に違背しない限り、各地域の風俗や習慣にしたがい(随方)、また時代の風習に随う(随時)べきであるとの戒である。仏教は本来こうした幅広い柔軟な考え方をしている。信心根本に、その国の良き国民とし、良き市民として、ありのままに伸び伸びと成長し、社会に貢献していくことが、大聖人の仰せにかなった正しき軌道なのである。ともあれ世界は広い。いよいよ、これからである。私は今、一年また一年、限りなき希望を抱きながら、また真心の応援を重ねつつ、本格的な〝世界の舞台〟を開くために、一つ一つ盤石な布石を打っている。私どもの努力は、時がたてばたつほど、壮大な未来図として結晶すると確信している。(『池田大作全集』第71巻) 英訳から始まった大聖人の御書の翻訳時代や国の垣根を越えて同志を励ます 「この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや」(新1633・全1124)日蓮大聖人が、佐渡流罪中に認めた「経王殿御返事」の一節である。幼い子どもが病になったとの報告を門下から受けて、一日中、その快癒を祈念したことを伝えるとともに、門下自身が信心を奮い起こして苦難を乗り越えていけるように、渾身の激励をした御書だ。当時の政治の中心地だった鎌倉から遠く離れた場所に流罪となり、手紙を書くための神を得ることも難しい状況下で、1273年に執筆された日筒の御書——。それは750年以上の歳月を超えて、今も日本のみならず、世界192カ国・地域の同志にとって〝かけがえのない信心の依処〟となっている。病気だけに限らず、さまざまな試練に直面して、目の前が真っ暗になった時に、この一節に脈打つ〝大聖人の深き慈愛の揺るぎない大確信〟に触れて、どれだけ多くの世界の同志が、〝前に進む勇気〟を得て、苦難を乗り越えてきたことだろうか。大聖人の御書が数多くある中で、この「経王殿御返事」は、学会として初めて前文を英訳した御書にほかならなかった。1966年7月、池田先生の提案によって、来日する海外の同志の研修用のために、急遽、英訳が用意されたのである。その後、教学研鑽でよく学ばれる御書を中心に、一編また一編と、英訳が進められるようになったが、翻訳担当者の労苦は並大抵なものではなかった。池田先生は、その前人未到の労作業の尊さを世界広布の歴史に厳然として留めるべく、小説「新・人間革命」第11巻で次のように綴っている。「仏法用語など、英語にはない概念の言葉や、文化の違いをどう説明するかも、難しい問題であった」「たとえば、有名な『諸法実相抄』に、「鳥と虫とはなけどもなみだおちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし」(全1361)という御文がある。日本では、虫の音についても、『なく』という感覚でとらえる伝統があるが、欧米では、そうとらえる人は少ない。これは、文化的な風土の違いによるものといえよう」「翻訳は、華やかなスポットライトを浴びることもない、地道で目立たぬ労作業である。しかし、それは、世界の広宣流布を推進するうえで、いかに大きな貢献があったか。偉業というものは、称賛も喝采もない中で、黙々と静かに、なしとげられていくものといえる」 御書全文が初めて英訳された1966年は、池田先生の呼びかけによって、学会が『日蓮大聖人御書講義』の編纂を開始した年でもあった。池田先生自身もこの取り組みに先駆ける形で、壮年の7月3日に、日蓮大聖人御書十大部講義の第1巻として『立正安国論講義』を発刊している。その時の思いを池田先生は、「大聖人の御指南が、いかにすばらしくとも、現代人が御書を理解できないのであれば、価値を創造することはできない」と記している。この問題意識は、第3代会長として御書の翻訳に力を入れた責任感にも通底していたと思えてならない。以来、学会では御書講義の編纂とともに、御書の翻訳に力がそそがれ、1979年には「観心本尊抄」や「佐渡御書」など、36編を収録した『英文御書解説』第1巻が発刊された。その後、1999年に172編の御書を収めた『英文御書』が発刊され、2006年にその続編が刊行。「経王殿御返事」の英訳から、実に40年間に及ぶ労作業を経て、御書のほぼ全編の英訳が完成したのだ。最初の英訳から20年以上の歳月が経過した1988年7月。池田先生は本部幹部会でのスピーチで、大聖人の弟子である日興上人が〝広宣流布を進める時には、御書を外国の言葉に翻訳して世界中に伝えなければならない〟と遺命していたことに触れて、次のように語った。「この日興上人の御確信を仰いで、私も世界の広宣流布に走った。御書の翻訳も厳たる軌道に乗りつつある。そして今、いかなる不思議な約束であろうか、まさに、この時に、はるか世界の各地から、使命の若人たちが一時に集いきたった」と。この時、世界23カ国から青年たちが来日し、大聖人の仏法の研鑽に真剣に望んでいた。その姿に対して池田先生は、「これは、表面は小さな動きのように見えるかもしれない。また社会から注目されることもないであろう。しかし因果具時の法理に照らし、その意義の深さは計り知れない。必ずや将来、人類のために大きく開花し、結実していくことを革新する」と、讃えてやまなかったのだ。 連 載三代会長の精神に学ぶ歴史を創るはこの船たしか—第29回— 聖教新聞2025.3.3
October 20, 2025
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「生きてある」だけで価値がある難病のALSを描いたドキュメンタリー映画『杳かなる』に込めたもの……映像作家 宍戸 大裕…… ドキュメンタリー映画『杳(はる)かなる』。2月8日から東京を皮切りに全国劇場公開が始まった。本作は、進行性の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発祥し、生死のはざまに揺れる一人の女性・佐藤裕美さんと、同じ病を生きる先行者や介助者、仲間との出会いと別れを描く3年半の物語だ。制作のきっかけは2020年。京都でALS当事者の女性外史に薬物投与を依頼して亡くなるという事件が発覚した。ネット上には「〝こんな状態〟になったら自分も死にたい」「安楽死制度が必要だ」という声が溢れた。しかし、そこで語られるALSのイメージはあまり一面的で障がいへの偏見に満ちていた。また、安楽死の「制度化」が重度障がい者や難病者の生存の驚異ともなり、ケアの放棄や社会保障の後退に繋がりかねないことにも無頓着であるように思えた。日本ではALS当事者や支援者の運動の積み重ねにより、「生きられる道」が切り開かれてきた。現在では、気管切開をして呼吸器を装置する当事者が3割ほどいるという。国民皆保険があることで難病当事者が生きる道を選べる国になっている、日本は世界の先進国なのだ。僕は、難病や障がいのために人工呼吸器を使いながら地域で暮らす人たちを描いた映画『風は生きよという』を2015年に手がけた。以来、障がいのある人を描く映画をいくつか制作してきた。経済合理性や能力主義が自明とされる現代では、何かが「できる」とか「できない」ということが人を測る物差しとして幅を利かせている。そんな慈愛に、人は「生きてる」それだけでよいのだと思いつづけてきたの本作に登場いただいた加藤眞弓さんは、眼球の動きもかすかになり今は意思疎通も難しくなっている。介助者は言葉を受け取るため、時間をかけて眞弓さんのまばたきを待ち1文字ずつ探す。「〝あ〟ですか? 〝い〟ですか? 〝う〟ですか?」というように。それは互いに根気のいることである。時間をかけて取れたと思った文字が重ねてみると意味をなしていない時もある。それでもあきらめずに介助者は言葉を探しつづける。静かな部屋に、人工呼吸器の音と眞弓さんに呼びかける介助者の声だけが聴こえている。顔を寄せあい、まなざしを交わしている姿を見ていると人間の意思は、人と人のあいだに萌すものかもしれないと思えてくる。 何気ない日々を安心して重ねられる〝他者〟が必要 ALSの先行者として佐藤裕美さんとともに歩んでいく岡部宏生さんが「支援はdoingばかりでなくbeingが最高な時がしばしばある」と語る場面がある。具体的に何をするか(doing)がなくても、ただそばに一緒にいること(being)が大切な時があるという。苦しむ人、傷む人の隣にいて和らげる手立てを探す。「死にたい」という声も受け止めて、一緒に悶えるしかない日常がある。そうした何げない日々を重ねられる他者がいることで、人は安心して自分の座標軸を得ていくのではないだろうか。京都の事件の際に語られていた、「こんな状態」とか「死の制度化」という言葉に象徴されるのは〝他者〟の不在だ。病を個人の事柄に帰してしまい、社会、すなわち他者がすっぽ抜け落ちている。「僕と一緒に〝生きるって何だろう〟ということを考えてくれないでしょうか」柵中、岡部さんから佐藤さんへ告げられる言葉がある。ひとりで困難な日々をつづけることは難しい、だからきっと人はいっしょに生きてく誰かが必要なのだ。岡部さんの呼びかけは、私たちに呼びかけられている言葉でもある。(ししど・だいすけ) 【文化】公明新聞2025.3.2
October 20, 2025
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股関節の不調を改善整形外科医 宇都宮 啓さんうつのみや・はじめ 医師。医学博士。日本整形外科化学会専門医。日本股関節学会での学術評議員、股関節鏡技術認定医。YouTubeちゃんねる「股関節博士Dr・Jimmy」では、股関節に関する情報を分かりやすく解説している。 ポイント① 3カ月以上続く痛みに注意② 無理のないエクササイズを③ 負担が強い運動は避ける こんな時は病院へ股関節は、胴体と両足をつなぐ、ボール状の関節です。両脚を左右に動かしたり、体重を支えたりするひじょうに重要な役割を担っています。痛みや違和感など、股関節に不調を感じることがあります(別掲1)。当てはまる場合は、すぐに整形外科を受診するようにしましょう。股関節の不調で整形外科を受診したのに、異常がないと診断佐太場合、たいてい二つのケースに当てはまります。一つ目は、エックス線やMRIの検査では分からない股関節唇損傷や、軟骨の軽い損傷などがあるものの、見つかっていないケースです。二つ目は、股関節の機能が低下してしまったり、うまく使えなかったりする機能障害の状態です。ただ、居樹がないと言われても、3カ月以上にわたって痛くて歩くのがつらいなど、長い間、日常生活に支障がある時は、何らかの病気が潜んでいる可能性があります。股関節専門の外来に行くことを推奨します。 深部の筋肉を鍛える股関節に不調を感じている人は、もし病院で異常が見つからなければ、多くは股関節の機能低下や機能障害によるケースになります。そうした原因として挙げられるのが、日頃の体の使い方が悪いことです。特に、「アウターマッスル」(外側の筋肉)と「インナーマッスル」(体の深部にある筋肉)のバランスが崩れると、体の使い方が悪化します。筋力トレーニングというと、胸部の大胸筋やハムストリングス(太ももの裏の筋肉)など、アウターマッスルを鍛えるイメージが強くあります。しかし、大切なのは、インナーマッスルを鍛えることです。股関節を取り囲む筋肉は、大小合わせて20以上に及びます。このうち、股関節を前に曲げる動作に関わる「腸腰筋」をはじめ、「小殿筋」「内閉鎖筋」「外閉鎖筋」がインナーマッスルに当たります。股関節を安定させるためには、これらのインナーマッスルをバランスよく鍛える必要があります。 オススメする運動インナーマッスルを鍛えられるエクササイズとして、オススメしているのが「Hip3」です(別掲2)。股関節を動かさずにできるため、負担のかからない運動です。他にも、股関節の機能強化に役立つトレーニングには、次のようなものがあります。〈ストレッチ〉関節の可動域には個人差があります。股関節に痛みを感じる姿勢を避ければ、やり方は自由です。ストレッチには、以下のようなポイントがあります——① 時間は最低20秒②伸ばす筋や部位を意識する③痛くなく気持ちいい程度に延ばす④呼吸を止めないように意識する〈水中の運動〉「水中ウォーキング」や「アクアビクス」は、股関節に体重の負担がかかりにくく、推奨されています。バタ足やカエル脚(平泳ぎ)は、股関節に痛みのある時は避けた方がいいでしょう。〈ヨガ、ピラティス〉体感のトレーニングにもなるヨガや、市井の改善に役立つピラティス。継続しやすいエクサイズでオススメです。大切なのは、自分の股関節の状態に合わせて無理なく取り組むこと。マシンを使用するピラティスは、専門家の指導を受けながら行ってください。◇ジムの機器を使ったトレーニングについては、股関節への負担を考慮し、オススメできるものと、できないものがあります。「エアロバイク」と「クロストレーナー」は、運動によって関節液の分泌が促され、間接の循環がよくなることがわかっています。一方、股関節に響きやすい「トレッドミル」や、股関節を深く曲げる「レッグプレス」は、負担が大きいため、不調のある人は控えた方がいいでしょう。 〈 異常を感じたら(別掲1) 〉〈夜に痛くなる〉「夜に痛くなる」「じっとしていても痛い」という人は、股関節の何らかの異常が疑われます。〈普通に歩けない〉足を引きずらないと歩けない、わずかな距離しか歩けないというのは、股関節が正常に機能していないためだと考えられます。〈急激な痛み〉痛みが急激に起こった時は要注意です。特に、転んでけがをしたり、スポーツ中に痛くなったりした場合は、骨折や肉離れがないか、痛みのふぇんいんを確認すべきです。〈がんを経験した〉股関節の周りの骨は、がんが転移しやすい部位だといわれています。がんを経験した人が痛みなどを感じた場合は、すぐに診察を受けましょう。また、病気の治療で大量のステロイドを使用している人も、不調があったら受診が必要です。 〈 Hip3(別掲2) 〉「Bip3」は、①「サイドツイスト」②「キャット&ドッグ」→「バード&ドッグ」③「ゲッドアップクロス」で構成されています。まずは、この中の最重要のメニュー「バード&ドッグ」を続けてみよう。❶背中を丸める 四つんばいの姿勢で、一度、背中を丸めます。❷背中をそらす(首を長く) 首を長く保ったまま、みぞおちを床に近づけます。❸目線は前を見る (片手を)手を伸ばす (もう一方の手で)床を押す 右手で床を押しながら、左手を伸ばします。手のひらを上に向けると、肩がねじれず、肩の力が抜けます。そしてインナーマッスルに力が入ります。❹背中を伸ばす 手を伸ばす 足を伸ばす 続いて右脚を伸ばします。姿勢をキープしたまま、3秒間息を擦ったまま、3秒間息を吸って5秒間息を吐く呼吸を、8回行います。 ※左右を逆にして❶~❹まで行います。 「ハード&ドッグ」は、股関節の周りのインナーマッスルである腸腰筋を鍛え、体幹も安定させてくれます。 【健康PLUS+】聖教新聞2025.3.1
October 19, 2025
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一念が定まれば、無限の知恵が湧く。◇御書に「仏を能忍(よく忍ぶ人)と名づけたてまつる」(新1212・全953)と。不屈の忍耐と挑戦の中に、真の幸福の実りがある。そう心に刻みたい。 【名字の言】聖教新聞2025.2.28
October 19, 2025
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