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2008.06.08
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カテゴリ: ヨーロッパ映画
DOGVILLE
Lars von Trier
178min
(DISCASにてレンタル)

dog0.jpg

んんん~、良い映画ですね。178分が短かったですね。好きな作品の1本になりました。そのうちDVD買っちゃいそうです。こんなこと書くとヘンタイと思われてしまうかも知れませんね。でもここで描かれた人間の本性については、ボクにとってはそういうものだと納得済みのこと。こうしてまた新たに描いて見せられることが気持ち良いわけではないけれど、ニコール・キッドマンの演技(主に表情)が良いし、社会や政治のあり方への含みもあるし、実験的な映画作方も面白いし、最後が理不尽でなく終わるのも良いし・・・。

dog1.jpg

この映画には色々なアナロジーがあります。まずは題名ですね。ville ヴィルはフランス語で町・都市の意味だから、映画の舞台である架空の町の名前で、映画のタイトルでもある Dogville はまずは「犬の町」という意味。町の人々は(猫ではなく)犬のような人々。自分を超える権威(権力)には従順ぶるけれど、そうでなければ自分が上位にあろうとする。卑屈な人間たちですね。主人公グレースが置かれる立場が家畜のようなものなっていく点での犬。最後に残るのがモーセという名の犬。

dog2.jpg

そしてもちろんドッグヴィルはアレクシス・ド・トックヴィルへの暗示が含まれているのでしょう。トックヴィル(あるいはトクヴィル)っていうのは19世紀のフランスの政治思想家で、著書『アメリカの民主政治』は古典中の古典。現在でも民主主義やアメリカ社会を考える場合には無視できない名著です。彼が19世紀のアメリカの社会に見た平等というのは「機会均等」としての平等性です。でこのフォン・トリアーの映画も「機会の土地アメリカ」三部作の1本目です。トックヴィルは民主政治の中に「多数派世論による専制政治」を見ていて、知的自由の欠如などにも言及しています。自由が実現するための道徳の必要性を解き、その道徳には信仰による裏付けが必要だとも言っています。そして間違った大衆の世論を導くのは宗教家等の知識人だとも言う。なんかこの映画の基本テーマそのものですね。そういえば町には教会はあるけれど、牧師なりの指導者は不在でした。最後に残る犬の名が、神から律法を預かったモーセの名であるのも示唆的かも知れません。

dog3.jpg

映画の舞台ドッグヴィルにはかつての金山か何かの廃坑があって、その入り口にはラテン語の格言でDICTUM AC FACTUMと記されていた。「その言葉は直ちに実行された」という意味なんですが、身を隠すためにこの廃坑に入るのは主人公のグレースだけでした。これは映画ラストの伏線ですね。そして実行されるのは旧約聖書のソドムやゴモラの運命と同じもの。チャックとヴェラの息子の名はジェーソン。赤ん坊を除いてこの町の最年少にして、もっとも邪悪かも知れないこのジェーソンは『13日の金曜日』のジェーソンかも知れない。

dog4.jpg

映画は壁のないセット(?)。地面に白線が引かれて、ここが道路、ここが誰かの家、という感じで示されているだけ。オルガンとか机や椅子やベッドとか、最低限の小物しか使われていません。演劇的と理解する人もいますが、そしてそれは事実でもあるけれど、やっぱりとても映画的です。そう言えばこの映画はプロローグと9景からなっていて、ナレーションの解説も入るのですが、昨日ちょっとした感想を書いたゴダールの 『女と男のいる舗道』

dog5.jpg

例えば廃坑にゲレースが隠れているとき、普通のセットでは、外の描写では廃坑の中の彼女は見えないし、廃坑の中の彼女を写せば(映像的には)外の様子はわからない。これは外にいる人の視点と、中の彼女の視点が別々であり、多くはカットバックで交互に写される。しかしちょっとした木枠があって、そこが廃坑ということになっている、というだけだから、観客はどちらをも同時に見る(最近は画面を2分割して両方を同時に見せるという映画もありますが)。グレースがチャックにレイプされるシーンでは、その蛮行の行われている部屋の外、町の様子や他の家の中の様子を同時に背後に観客は見せられる。これは何も気付かない人々の無関心を観客に見せている、と解釈する人もいるけれど、ちょっと違いますね。町の人々の無関心は観客にとっては重要なことではない。そんなことはわざわざ壁を取り払って見せなくても済む。そうではなく無関心な人々も見えてしまうのは、作中のグレースと、演じるニコール・キッドマンと、そしてその気付かない無関心な登場人物やそれを演じる役者にとって重要なのだ。そこがものすごく映画的だとボクは感じた。

dog6.jpg

しばしば書いているように、映画というのは、映画が語って聞かせてくれることを楽しむものであると同時に(それだけならアニメーションでも同じ)、ある物語やその人物を「人間である」役者が演じるのを見る、そしてその演技の中に「役者自身の人間」が表出されているのを見るのが面白いのだ。普通の撮影はレイプの行われる部屋だけで行われる。つまり町の他の人々の無関心はグレースを演じるキッドマンには、頭の中の想定としてしか存在しない。しかしこの映画ではその無関心を演じる人々の様子を実際に見ながらキッドマンはレイプされるシーンを演じるのだ。演じているキッドマンの心理は当然変わってくる。町の他の人々を演じる役者たちにとっては、実際に見えるけれど見えないふりを要求されるわけで、その後の演技にやはり心理的影響をおよぼすだろう。最後で自動車のカーテンを開けて外が見えるようにするというのも、一部ではこの意味合いとの関連もあるだろう。

dog7.jpg

ここまで物語について何も書かなかったけれど、銃声がして、ギャングに追われている若い美女グレースが、ロッキー山脈の寂れた行き止まりの町ドッグヴィルに逃げてくる。町で新しい精神的(道徳的)指導者たらんとするトムの提案で、町民全員一致で彼女を受け入れれば、彼女をこの町に置こうということになる。彼女に与えられた猶予は2週間。トムの提案で、グレースは各町民に労働奉伺をすることにする。グレースはその奉伺を通じて町民の心を開いていくことを喜びとするようになっていた。2週間後の町会で、反対する町民は1人もいなかった。

dog8.jpg

しかしそんなある日警察がやってきて、彼女の行方不明者としての手配書を貼っていった。そしてしばらくして、今度は銀行強盗犯としての手配書を貼っていく。記載された銀行強盗事件の日付は、グレースがすでにこの町にいた時であり、彼女が無関係であることは明らかだったが、警察への非協力に難色を示す者もいた。それならばとトムはさらなる労働奉伺の増量をグレースに提案する。その理屈を彼女は納得できなかったが、トムには恩義もあり、また親密にもなっていたので、彼女はその提案を受け入れる。しかし労働時間も増え、彼女は色々とミスも犯すようになるのだけれど、この辺から町民のグレースへの態度が変わっていく。

dog9.jpg

社会というのは、日本社会といった大きなものから、職場、学校、仲間、家族といった小さな社会まで、構成員すべての「押し」と「引き」のバランスでなんとか成り立っている。キレイな論理や体裁で誤魔化しているだけで、基本にあるのは各自の我がままである。それはドッグヴィルでも同じだ。しかしそこに外部者であるグレースがやってくる。身を匿ってもらうという弱い立場の彼女だ。彼女には「引き」はあっても「押し」はありえない。当然町民は「押し」を強めていくことになる。それを象徴するのが、実はトムの提案である労働奉伺の増量であった。この映画はサド侯爵の『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』のフォン・トリアー版とも言えるかも知れない。サド侯爵のジュスティーヌという名前が「正義」という意味なら、フォン・トリアーのグレースは「恩寵・好意・親切」の意味だ。映画のラストには触れないが、最後の自動車の中での彼女の主張と認識は実に辛辣な人間洞察だ。

dog99.jpg




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Last updated  2008.06.20 09:11:25
コメント(7) | コメントを書く


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Re:『ドッグヴィル』ラース・フォン・トリアー監督(2003デンマーク)(06/08)  
aire_rino  さん
この監督さんは人間の嫌な部分を見せてくれますね。
三部作のうちの一作目とするこれと二作目の
『マンダレイ』も面白かったですよ。
私は映像的な面白さを理解できませんでしたが、
テーマを探って観ていました。
最終作まで見ないとなんとも言えませんが、
「人間が神を出来るか」というテーマなのかな
と思っています。
『ドッグ・ヴィル』は全てを受け入れる自然神としての受動的な神。
でも最後は愛で全てを受け入れても改心しない人間への審判を下す。
『マンダレイ』は能動的な神。
そういえば最終作はまだ出てないのかな? (2008.06.20 06:18:45)

追記  
aire_rino  さん
TB頂ました。
『ドッグ・ヴィル』を書いた頃は神とか書くのに抵抗があったので、
一般的日本人の受けるであろう感想を予想して書いていたのでTBはやめました(笑) (2008.06.20 06:28:00)

生々しかったですね。  
あの舞台をみているような描き方、でも舞台とは
違い死角がないというところが、とても面白かったです。
トリアー監督作、もともとキングダムなどが好きなので好奇心大で見ましたが、この作品の
前の作品の「ダンサーインザダーク」で少々
げんなりしたため、個人的にも実験的なチャレンジ
で見たのを覚えています。(笑)
「ダンサー~」でもそうですが、アメリカ社会に
何かを訴えている部分は強く感じます。
「奇跡の海」なども結構好きです。
脚本だけですが、銃がらみの映画「DEAR WENDY ディア・ウェンディ」も個人的には面白かったです。

強く人間臭さと不条理を感じる映画を創れる監督
さんですね。ニコール、陰でも輝くみたいな、
雰囲気がとっても良かったです。
それと、ポールベタニーの好演が忘れられないです。「マンダレイ」は、racquoさんの
レビューの後に見ようかな~ 楽しみにして
います。 (2008.06.20 07:10:36)

aire_rinoさん  
racquo  さん
>この監督さんは人間の嫌な部分を見せてくれますね。

人間の嫌な部分をあえて見ないというのは欺瞞であり、
人間を愛そうとしても人間の嫌な部分は見る必要があるのだと思います。
あまり多くを見ていませんが、この人には人間への絶望はない感じです。
まだ見ていない『奇跡の海』などもそうなのだろうけれど、
彼の信仰がどうのという意味ではなく、
人間観や社会観の背景にはやはりキリスト教が強くあって、
このグレースの父のギャングのボスは、最後のグレースも含め、
旧約聖書的な「罰する神」ですね。
そしてグレースの物語は彼女の受難の物語でもある。
ドッグヴィルの人々が悔い改めるようにグレースを遣わして試練を与えたが、
人々は罪深く、ソドムとゴモラのよう硫黄と火炎で
焼き滅ぼされてしまったんですね。

>私は映像的な面白さを理解できませんでしたが、

背景のこの一種の抽象化で、
人々のドラマだけがより明確に見えます。
これって聖書を読んでいる感覚に近いかも。

ドグマ95の主張にあるのは、
やはり一つには役者が演じるということの重大性だと思うのですが、
ドグマとは違った形でその面を強調した「撮影法」なのかも知れません。

(2008.06.20 23:41:16)

Nobubuさん  
racquo  さん
>アメリカ社会に何かを訴えている部分

たぶん、なのだけれど、
アメリカ的発想と現実では、人々や社会は正常でいられない、
という確認だと思います。
それは、信じられる共通価値観を失った20世紀後半以降、
そこでの人のあり方の模索という大きなテーマの一部として。

『マンダレイ』はポチしてありますがまだ来ません。

(2008.06.20 23:41:21)

面白そうですね~  
はる*37  さん
「マンダレイ」が同じくリストに載っかっていますが
長いので(笑)こちらも一緒に後回しです。
評判よく、役者も良さそうですね。
今まで観てきたトリアー作品は、いい映画だけど好きにはなれかったのですが。 (2008.06.22 09:26:40)

はる*37さん  
racquo  さん
この人の映画は基本3時間と考えておかないといけませんね。
でも『ドッグヴィル』は、あっけなく3時間が過ぎてしまいました。

彼の映画への批判読んでいると面白いです。
そういう批判自体を観客がすることが、監督の思惑通りだなと、笑み、笑み・・。
そういう批判が出ることは監督には想定済みなわけだから、
そういう批判の出る映画を作ることに対する批判をしなければ、
彼の映画の批判にはならないのだと思います。

この『ドッグヴィル』は、奢って父ギャング(旧約の神)の
視点に自分を置いてしまえば、実に気持ちの良い痛快な物語かも知れません。
冒頭に書いたようにもしDVDを買ってしまったら、
今度は最初からその視点で見てみようかな、とか思っています。

(2008.06.22 22:18:24)

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