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拒食のピークは大阪の修行時代だった。18歳で鹿児島から大阪の有名な整骨院に弟子入りする。入ってすぐ寮に入れられる。家賃は1万6千円、4畳半に窓のない部屋をあてがわれた。寮といっても家賃、食費に、電気代はすべて自分もちだった。あさの7:30から夜中の10:00すぎまでみっちりしごかれて給料は4万円。この大阪時代でかなり自尊心を崩され、体も心もずたずたになった。特に資格をとるまでの3年間は丸坊主に夜間外出禁止に極めつけは交際禁止まで院長に言いつけられる。名前も呼んでもらえず、「でっち」とか「ぼうず」とか呼ばれていたっけ・・・。失敗すると愛情や!といってスリッパでたたかれたり柔道技で絞められたり。なにもしない先輩に、あいさつも返事も出来ない後輩にめぐまれ雑用ばっかりが回ってくる。ほとんど自炊するエネルギーもなく、玄関で白衣のまま寝て朝玄関から出勤するのが決まりだった。夜は兄弟子がご飯をおごってくれるのだが、なにせバブルの全盛期だ。朝までたらふく説教と飲めない酒を浴びせられる。ものすごいストレスを感じていたのだが、やめたくってもやめるエネルギーのでない自分にもっと腹が立っていた。体力のいる業界、院長・副院長も柔道あがりで80~100Kgの巨体。対する私は拒食で43Kg。ふらふらで集中力もないのでいつも失敗を繰り返す。なんどやめて帰りたいと思ったか・・・。ついに19歳で肝臓をいためた。拒食による栄養障害で前歯はすべて抜けてしまった。吃音(きつおん)になって人とのコミュニケーションが苦手になった。毎晩のようにみかん箱で作った机に顔をうずめ、泣いた。脱毛にじん麻疹に悩んだ。仕事場に入るとじん麻疹がではじめる。兄弟子や院長が近くに寄るだけで、その側にじんましんが出てきてぷーっと膨らむのだ。一日も早く一人前になりたくって、解剖や生理学の本を読んでいると院長に「理論かぶれ」といわれたり治療について質問すると怒鳴られる。結局彼らも「知ろうとしない無知」だったのだ。のちにマスターのもとで学ぶとき天井まで届くほどの学術書や文献に囲まれ好きなだけ学べたし、質問しても的確なヒント(答えではない)を教えてくれた。マスターに出会って知ったのは、大阪の整骨院時代に学び、おこなってきたのは「治療行為」ではなく「治療ごっこ」だったということ。「人をみる」ことの出来ない虚勢にみちた師匠や兄弟子との関係のなかで私の中の小さな子供はますます傷ついていた。鹿児島で開業して数年後、拒食から過食になる。そしてこの傷ついたこころ・子供を癒すためにはやっていた店を閉めてマスターのもとに旅立つのである。とてもつらかったけれど、おかげさま。人生にむだなことはない、と思える大阪・結婚前の出来事であった。
Mar 28, 2005
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「感じる感覚を高めなきゃね。。。」と言いながらO先生と夜の町へくりだす。彼の落ち込みようはかなりひどかった。桜島の見える港近くの小料理屋に駆け込む。ふぐのから揚をほおばりながら、治療のこと、マスターのこと、家族のことをかたりあった。相変わらず大食漢のO先生。店の大将も苦笑いするほどの食いっぷりだ。どうすればたくさん食べれるのか聞いてみると、「噛まないで飲み込むのさ」って。どこで味わうのか聞いてみると、「のどの奥だね」と。次の料理が出た。小鉢で味わったことのない料理だった。先に食べた私にO先生は「どう?おいしい?」と聞いた。「わからない味!」と私。O先生は今度は飲み込まず(笑)、じっくり味わっている。そして驚いたことに彼は出てきた料理の味つけをみて、何が入って、どのように料理したかはっきり当てたのである。すごい!というと彼いわく、もともと味覚は鋭いほうだったが、マスターに出会って鍛えられたらしい。それを聞いて安心した。技術も大事だが感性や感覚を積み上げることの大切さをマスターは私にも伝えてくれていたのだ。二件目の居酒屋へ移動。彼の感覚は鋭かった。「どう?おししい?」と聞かれて、私が「わからない。」と答えると飲み込むことをやめてじっくり味わうのである。「大将。この料理はこれとこのダシをつかっているね。でもこの魚は生簀(いけす)にいれて日にちが経ってるのかちょっといまいちかな、おいしいけど^^」店の大将が舌をまくほど的確だった。私はO先生にいった。「感じる感覚ものすごくあるじゃないですか!」こののちO先生は味覚の入力を高めて、触覚の感度も研ぎ澄まされてゆき大変身をとげるのである。そして私はというと、「飲み込む」ことを覚えてしまった。そう、長い長い過食の旅のはじまりだった。
Mar 19, 2005
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何かしようとしてはいけません。何かを感じるのです」辛辣なマスターの言葉はO先生を射抜く。厳しい指導の中、O先生はますます食べてからだが肥大していった。あの難波で会った最初のころの精悍さはなく、西郷どんの面影も、ない。マスターほど人を追い込むひとを見たことがない。想像を絶する試練や言葉を与えて黙ってみている人だ。はっきりいって人間性を疑うほどの厳しさである。「自己管理できない人は施術などできないですよね」「ベンツのるだけの仕事をしているのですか?」「たばこを吸うような病気の人に触れて欲しくないですね」「月に一回通っても出来るようにならないですよ」そういわれてO先生の落ち込みようは普通ではなかった。その当時、マスターから私には直接指導はなかったが、はっきり言って勘弁して欲しいと思うほどの過酷さを彼を通して感じていた(後に味わうのだが・・・・)。「感じる感覚の低下」を指摘されていたO先生(といっても触察感覚はそこらの整骨師や治療家のはるか超高いレベルである。O先生の求めるだけの才能がある証拠である)。私への個人セッションも、彼からの指導も断られた。「僕には教える資格ないから・・・」と。やりきれず彼と夜の街に出た。「おなかすく気持ちじゃないけど・・・なんか旨いもの食べない?」私の長いエネルギー不足の苦しい拒食を救ってくれた聖なる言葉であった。もちろん、桜島の噴火のような過食のマグマが押し寄せてくるのだが・・・。
Mar 18, 2005
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