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三重の仙人の里に着いた。住まいは安い築20年の一戸建ての借家だ。長男がどうしても地面のある家がいい、とねばったのだ。かつての鹿児島の自宅兼、治療所はテナントで2階建てだった。そのときは一階は治療所、二階を居宅にしていた。音を立てていつも長男をしかっていたっけ。。。。引越ししたら菜園や砂場をつくったりしてみようと思っている。いろいろさがしてとてもいい物件で気に入っているけれど、家の向かいに阪内川(さかないがわ)が流れていてちょっと不安だった。とてものんびりしたところで家内も気に入った様子で安心した。ただ・・・、。かなり心配なのは収入は激減するということだ。家内にいった。「勉強するにはいい環境になりそうだ。でもどうやってたべてゆく?」仙人の作った研修施設での収入でははっきり言って生活できない。。。家内は敷地や家を見回してこう言った。「 よし!」このときはよくわからなかった・・・大きな人がこのときまたまたとんでもないことを画策していることを・・・。
Oct 31, 2005
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すごい大時化(おおしけ)だった。ゆれるフェリーのなかで酔ってなんども吐いた。もう船には乗りたくない。夜が明けて大阪南港に車が着く。中古のプリメーラには家内と4歳の長男、2歳の長女がいる。「パパどこにいくの?」夕べのフェリーのシャワールームで何度も転んでたんこぶを作った長男が訝しげに聞く。ハンドルを握りながら出発前のことを思い出す。家内のお父さんは「本当の一人前になるまではお前とは焼酎はのまん!」と後ろ姿で耕運機にのっていなくなった。県外には出ないという約束を破って、それでもいきたいという思いを伝えたときの言葉だ。実の父母には本当の理由などいえなかった。心配させるといけない、第一本当の理由などいえるわけなかった。(おれはどこにいくのだろう)このときは自分がどこに行くのか実はわかっていなかった。ただこの苦しさをぬぐい去るにはこの選択しかなかったということと、このまま無味乾燥の人生を送ってしまうのは、子供に影響がでるのではないか、という不安からだった。なにより、(おれはどこから来たんだろう)という存在の喪失が何よりのきつさだった。そして生まれてはじめて「この人のようになりたい」とおもえた先輩のO先生やマスターとの出会い。(ごめんよ、親父、おふくろ。親不孝かもしれん。やるしかないんだ)出発前につくってくれた母親のおにぎりを涙しながら食べ、車を東に走らせた。
Oct 30, 2005
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「なぜ順調なのに店を閉めるんだい?」「なんか問題があるんだったらいってくれよ」張り紙をした。「4年間長い間お世話になりました。勉強のために三重県に引っ越すことになり、しばらく閉院する運びとなりました。ありがとうございました。」待合室からため息が聞こえる。いつもはにぎやかだけど声はしずかだ。このときはきっと話しても理解してもらえないだろうという気持ちで一杯だった。いまおもえば背筋の凍るような思い出だ。若かったからできたのだろう。泣く泣く親を説得し、ある年の2月の寒い朝、苦労して作り上げた治療院を閉めた。翌月にはマスターの里へ家族で入って過食とおう吐、うつ病と人生で最も苦しい一年を過ごすことになるのだが・・・。くしくもこの日記と今の出来事はシンクロしている。現在借りていた福岡のテナントも引き払って新しい場所へ引越ししたのだ。この日記をかくことで「過去の浄化」がかなりすすんでいるのかもしれない。しかしあの時とちがうのは「今に生きている」ことだろう。自暴自棄の背筋の凍るような行動でもない。ちゃんと納得して引越しできた。またあらたな環境に動くことで、今を感じる要素が深まる。どきどきするがとても新鮮だ。たいへんだけれど、引越しは大好きなんだろうな。。。そしてさらに困ったことに、過去の記憶が昇華して「書けなくなってきたのだ」この4ヶ月、あのときのつらい記憶を払拭できるような出会いや気づきもたくさんあった。そして決めたことがある。マスターからの学びをそろそろまとめてゆくことにした。今年中にはサイトも立ち上がるだろう。そこを通して一人でも多くのひとに伝えられたらいいなあと思っています。
Oct 29, 2005
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