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終活としてカメラに少しならず真剣に取り組んでみたいと考えたとき、フェイスブックのカメラ愛好者のグループに参加させてもらった。初心者としてひたすらいい写真がどんなものか見たいということである。私のような初心者らしき人も多いのだが、30年も40年ものキャリアを誇るプロらしい人、あるいはプロ級の人も大勢いて、その人たちのコメントのやり取りには全く理解できない言葉が飛び交うこともあって、専門用語らしきものをネットで検索しながら追いかけている状態である。ただ、ベテランほど初心者にやさしくて、コメントで励ましてもらいながら今では毎日のように投稿できるようになった。 そのFBグループに花の写真を投稿するのだが、梅や桜や薔薇がそれぞれの季節にはたくさん掲載され、関西、関東の人が「もう季節は終わり」などとコメントするころに、私はその花の写真を仙台から投稿するのである。みんなが見飽きたころに投稿するので注目されにくいとも思うのだが、先行する写真をたくさん参考にしているので初心者には大いに助かるのである。 桜花の「いい写真」をたくさん見た。だから今年は張り切って桜の写真を採りで出かけた。薔薇の写真も嫌になるほど見たうえで、私もたくさんのバラの写真を撮ろうと薔薇園に出かけたのである。梅園を見に出かけたせんだい農業園芸センターの薔薇園がそろそろ盛りを迎えるというローカルニュースがきっかけになって妻と一緒に出かけた。 これらの写真は広角レンズを使って写したものばかりである。広角レンズは広い景色を撮るのに向いているのだが、さいきんその短焦点の広角レンズで花を撮ることに夢中になっている。10㎜程の短焦点であれば花にくっつくようにして大きくとることができ、絞りを20以上に絞ると背景はどんどん小さくなるがそこにもピントが合うようになる。花の写真はマクロレンズを用いて花そのものにピントを合わせ、絞りを開いて周囲をボケさせて花を際立たせるという方法が採られることが多いが、広角レンズでその逆のことをやろうというのである。それでも広角レンズでは距離感が出て周囲の風景は遠ざかっているように(小さくなって)見えるので花そのものは際立つように映るのではないかと考えたのである。 もちろん花を撮るのにこの方法が何時でもよいなどということはないだろう。時と場合によって使い分けられたらいいだろうと考えての実験期間なのである。実験物理学を職業としていたせいかもしれないが、こういう試みが好きなのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.13
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東京の街歩きを初めて3年になるが、歩く場所を決めるのに特別な理由はない。ただ何となく、皇居とか銀座とか日本橋とかを避けようとする気分はあった。そこから始めると、ただの観光であったり、何かとってつけたような感じがするからである。それでも、霞ヶ関や皇居前、銀座などはコースのついでに通ることもあるが、積極的に選んだことはない。 それなのに、今日は日本の旅の象徴的ポイント、「日本橋」から歩き始めるのである。草野心平が、村山槐多、関根正二、高間筆子を挙げて「私はこれらの三人を大正期の若き天才才リオンズと内心思っている」 [1] と褒めあげた、その高間筆子が日本橋の絵を描いている。それを思い出したので、日本橋である。 高間筆子「日本橋」(油画、大正10年) [2] 21才で夭折した高間筆子は、永代橋河畔の船問屋の娘として生まれ、隅田川界隈の絵やスケッチを残し、次のような詩「赤い橋」も書いている [3]。朝の犬をつれてのさんぽ永代橋の赤い橋電車はにぎやかに通つてゐる橋の中程で私はたちどまつた愛する犬の頭をなでて川を見やった丁度舟が半分出かけてゐる所だつたいきなあみ舟 二人の人がゐたモーターで走つて行く広い川をあのぞうせん所へ行くだらう 高間筆子のそんなこんなが理由の全てで、日本橋から隅田川へ出て、いくつかの橋を巡ってみようと思い立ったのである。 ゆっくり家を出て新幹線に乗り、日本橋、日本道路元標の碑(元標そのものではない)の前に立ったのが11:40である。そこから永代通りに出て隅田川、永代橋に向かう。 首都高をくぐると、そこは川の跡らしく「千代田橋」の石がある。永代通りに平行に走る兜町の路地に入って、山王日枝神社を覗き、ふたたび永代通りに出て、亀島川にかかる霊岸橋を越える。橋を渡れば「霊岸島」であるが、地図を探してもその名前は出てこない。行政地名としての霊岸島はないのだ。 霊岸橋(西詰めから)。 (2012/6/18 12:01) 霊岸橋を渡ってから右折し、同じく亀島川にかかる「新亀島橋」をのぞきに行く。途中、街路樹の一本が大きな枇杷の木で、まだ小さいが文字通り枇杷色の実がたくさん成っている。仙台では枇杷の木そのものが珍しい。 「霊岸島」交叉点からまっすぐ東進し、隅田川畔へ出る。 永代橋全景。(2012/6/18 12:25) もちろん、永代橋はもう高間筆子が書いたような赤い橋ではない。橋の向こうは門前仲町だが、以前に歩いていたので永代橋は渡らない。永代橋のすぐ上で、隅田川に合流する日本橋川にかかる豊海橋を渡る。 豊海橋から見る日本橋川と湊橋。(2012/6/18 12:31) 豊海橋からは少し隅田川から離れ、水天宮に向かう。水天宮は、何かの縁日らしく、幼い子供を連れた親子連れで賑わっていた。 親子連れで賑わう水天宮。(2012/6/18 12:50) 水天宮に寄って幾分気分が変わったのでふたたび隅田川である。清洲橋にむかう。橋を渡りながら橋全体を眺めるのは難しい。そこで、清洲橋を渡り、小名木川にかかる萬年橋を越えた対岸上流から眺めることにした。 萬年橋の北詰の碑に、「ここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン川の吊り橋をモデルにしております。この場所からの眺めが一番美しいといわれています。」とある。小名木川沿いに墨田河畔に出て、萬年橋、清洲橋両方の写真を撮った。 隅田川方向から見る万年橋。(2012/6/18 13:25) 清洲橋全景。(2012/6/18 13:25) 萬年橋からは、隅田川沿いに作られた遊歩道を歩くと、8分ほどで「新大橋」の西詰めである。 新大橋の構造はきわめてシンプルである。真ん中に四角い柱が立ち、そこから左右二本のパイプで吊るような形である。極端にシンプルなのに、夜間のライトアップの設備があって、何となく意外な感じがする。 新大橋(東詰から)。 (2012/6/18 13:34) 新大橋通を西進し、右折して明治座の前に出る。明治座の向かいに小さな蕎麦屋があって、そこで昼食とした。「大せいろ 660円」を注文する。その前に久しぶりのラガービールの苦みを楽しんだ。しかし、ビールどころではない、蕎麦が絶品である。平均として言えば東京の蕎麦はずいぶんとレベルが高いのだが、今日の蕎麦はとくにおいしい。更級というほど白くはないが、なにより蕎麦の香りが良かった。 蕎麦つゆに蕎麦湯を入れて飲むと、たいていの場合、塩辛くてなおかつ大甘で飲めないことが多い。最近は別の器を出して、そこに蕎麦つゆと蕎麦湯を適当に配分して飲めるようにする店もある。つまり、店のサイドでも蕎麦つゆの味が濃いということを承知しているのである。 ところが、この店「招福庵」の蕎麦つゆはそのまま蕎麦湯を足してもおいしいのである。蕎麦を食べるときにもおいしい蕎麦つゆで、蕎麦湯を入れて飲んでも濃すぎないのである。絶妙なバランスということか。 とてもおいしい「招福庵」。 (2012/6/18 14:16) 今日の街歩きはまだ続く。[1] 窪島誠一郎による引用。窪島誠一郎『高間筆子幻景』(白水社、2003年)p. 9。原典は、草野心平「高間筆子のこと」『繪』(日動画廊の定期刊行誌)(一九七九年四月号)。[2] 窪島誠一郎『高間筆子幻景』(白水社、2003年)口絵。[3] 同上、p. 79。
2012.06.18
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一か月以上もブログを更新していなかった。ブログを書いていないなあという思いはいつも心のどこかでくすぶっていたが、何か気ぜわしく時が過ぎてしまった。どんどんのんびりとなっていく老後の暮らしのはずが、終活拡大路線を採用したせいでたぶん能力を越えて忙しい(と感じている)のである。 半年ほど前から新しい終活として好きな詩や短歌をおさらいておくということを始めた。まず、明治以降の詩、短歌、俳句で読まずに漏れているものを探すのである。年金暮らしなので、本はすべて図書館だよりである。明治以降に出版された歌集を集めた「現代短歌全集」は全17巻のうち13巻まで読み終えた。全12巻の『鑑賞現代俳句全集』は何とか全巻を読み終えた。詩については仙台市の七つの図書館の蔵書をネットで調べて借り出している(予約すると2,3日後に一番近い図書館で借り出すことができる)。 そんなこともあって、家にいるときは本を読むことに時間をさいてしまってブログを書く時間が犠牲になっているのである。終活カメラの方は、ぽつぽつと実行できている。そのひとつが一週間に一度は出かける図書館通いとカメラ散歩の合体である。ただ往復するだけではもったいないのでカメラ持参で出かけるのである。6冊ほどの返す本(借りた本)とカメラを背負うとずっしり来るが、こちらは筋トレ散歩の一部と考えれば何でもないのである。 私が通う仙台市民図書館は、市の中央部、自宅から徒歩で15分ほどの定禅寺通り(春日町)にある。その近辺はだいぶ歩き回っていていい被写体がまだまだあるとはとても思えないのだが、時間が違う、季節が違う、カメラマンの年は増えている、条件が違うのだから同じ被写体を撮ることには意味が十分にあるだろうと(開き直って)考えることにしている。 図書館裏の細道に出て、図書館が入っているせんだいメディアテークの建物のガラス壁に映るビルの景色が1枚目となった。そこから細道をたどりながら東に向かった。想像通り、シャッターを押す被写体をなかなか見つけられず宮城県庁裏の道(上杉一丁目)をぐるりと回って定禅寺通りを西に戻った。 定禅寺通りには4列の欅の並木があって、「杜の都」というキャッチコピーが指しているのは市街地の中ではたぶんここではないかという気がする。もっとも市街地からちょっと西へ進めば山また山、緑一面となってそれを「杜」と言ってしまえばそれまでだが………。 欅並木の新緑が最も美しい季節なのだが、どのようにとってもその感じが出なくて諦めかけたが、夾雑物なしで欅の緑だけ取ろうと(いくぶんやけ気味で)数回シャッターを押した。 図書館前を過ぎて西公園に向かう(といっても帰り道なのだが)。公園前の歩道に射す弱い日の感じが気に入って前後の写真を撮った。歩きなれた舗道の写真を撮りたいと思うこともあるのだとひそかに(自分に)感心しながら公園に入った。大きな常緑樹(ヒマラヤシーダーのような針葉樹)の幹の配列を楽しんでからちょっとした植え込みの中のツツジを見つけた。とっくに季節がすぎて咲き残りの花があるだけだったが、なにかその小さな花にとても愛しい感覚が湧くのだった。 カメラの収穫は多くなかったが、図書館の本を借り出し、思いバッグを背負っての街歩きという終活3点セットになったことで良しとする。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.04
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