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海に沈む夕日を見たい、写真に撮ってみたいと思い続けていた。宮城県の奥羽山脈のふもとに近い農村で生まれ育った身には、海に沈む夕日どころか海も縁遠かった。それでも今年の初めには三陸の海を見に出かけ、太平洋から上る朝日を撮ることができた。その勢いで秋田市近辺のどこかで日本海の夕日も見たいと計画していたが、実現できなかった。 そうだ、兄の墓参りに行こう。三兄は山形県の小国町で住んでいてコロナ禍の時期に亡くなった。葬式に行くこともかなわなかったので、何とか墓参りに行きたいと思い立ったのである。小国町は新潟県との県境に近く、そこから県境を越えれば日本海に面する村上市は直ぐである。小国町で休めば車の運転も大丈夫そうだ、というわけで日本海へ2泊3日の夕日小旅行を決行した。 仙台から東北道、山形道を経て南陽市から西に向かい飯豊連山と朝日連山に挟まれた小国町に向かう。途中、飯豊町の道の駅でひと休みして昼食を採ろうと思ったのだが食堂の開店が遅かったので、待つ間の時間つぶしにはいくつかあるツバメの巣を観察した。親ツバメが餌を運んできて雛に与えるのだが、それがあっという間でなかなかカメラに収まらない。上を見上げながら構えたカメラをぶれさせずにじっと待つのはけっこう体力を消耗するのだが、何とかシャッターが間に合った一枚が撮れた。 小国町での用事を終えた後はまっすぐ村上市までと出発したが、国道に出るとすぐに小国町の道の駅があった。帰りのコースは決めていなかったが、この道を戻る時のためにお土産の下調べのつもりで入ることにした。裏の駐車場の斜面にニッコウキスゲがたくさん咲いていて、飯豊でのツバメとあわせて旅の途中の記念としてはちょっといい写真が撮れた。 村上市で最初に向かったのは「岩船夕日の森 森林公園」だった。当然ながら「夕日」という言葉に惹かれたのである。小さな公園でちょっとした展望台があるだけだったが、一応夕日撮影の候補に入れて、つぎは岩船漁港に向かった。漁港と漁船というのも山育ちには魅力的な写真のテーマなのである。時間も時間なので漁船の出入りはなく、係留された船の間で何人かが釣りをしているのが見える。昼食は、漁港のすぐそばの店でラーメンを食べた。「玉寿し」という店で寿司もいいかなと思って入ったのだが寿司店らしい趣はなく普通の食堂だった(多分以前は寿司屋さんということだったのだろう)。 宿は村上市の瀬波温泉の「清波温泉」というホテルに予約していた。ホテルの前は日本海で、通された4階の部屋の窓からも日本海が一望できる。海岸にはぽつぽつと釣り人の姿が見える。夕日の写真に絶好である。 宿でひと休みしてから「早川流れ」という観光スポットに向かった。海岸の奇勝を観光船から眺めることができるというのでネットで16時発の最終船を予約していたのである。出発時間ぎりぎりで心配した観光船の人から2度ほど携帯に連絡が入ったが何とか間に合って、船の観光を楽しんだ。 海岸の岩の景色も、餌を求めて観光船の廻りを飛び交うウミネコの姿も、空の色も海の色もカメラを構える身にはたまらない時間となったが、午後の陽が日本海の波の上で輝くのが何にもまして素晴らしかった(とはいえ、いい写真にするのは難しいのだが)。 宿に帰って急いで夕飯を食べ(宿に頼んで定時より30分早く用意してもらっていた)、部屋に戻って傾き始めた太陽の写真を撮り始めた。海の上をまっすぐに伸びて来る光の道を海岸から見たらどうなるのかと思って急いで海岸まで出てみたがさほどのことはなくて息を切らして部屋まで戻ってきて撮影を続けた。温泉ホテルなのに温泉のことはどっかにいってしまって、温泉好きの妻もあたふたしている私に気おされたのか、私のカメラ疲れが治まる10時くらいまで辛抱強く(実際はたっぷりと眠り込んで)待っていてくれた。 今年の2月に大船渡湾に面した温泉ホテルで泊まった部屋から太平洋から上る朝日を撮り、今回もまったく同じように泊まったホテルの部屋から日本海に沈む太陽を撮った。これはこれでカメラ初心者の撮影旅行らしくていい。これ以上のことは、またいずれのことである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.17
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終活としてカメラに少しならず真剣に取り組んでみたいと考えたとき、フェイスブックのカメラ愛好者のグループに参加させてもらった。初心者としてひたすらいい写真がどんなものか見たいということである。私のような初心者らしき人も多いのだが、30年も40年ものキャリアを誇るプロらしい人、あるいはプロ級の人も大勢いて、その人たちのコメントのやり取りには全く理解できない言葉が飛び交うこともあって、専門用語らしきものをネットで検索しながら追いかけている状態である。ただ、ベテランほど初心者にやさしくて、コメントで励ましてもらいながら今では毎日のように投稿できるようになった。 そのFBグループに花の写真を投稿するのだが、梅や桜や薔薇がそれぞれの季節にはたくさん掲載され、関西、関東の人が「もう季節は終わり」などとコメントするころに、私はその花の写真を仙台から投稿するのである。みんなが見飽きたころに投稿するので注目されにくいとも思うのだが、先行する写真をたくさん参考にしているので初心者には大いに助かるのである。 桜花の「いい写真」をたくさん見た。だから今年は張り切って桜の写真を採りで出かけた。薔薇の写真も嫌になるほど見たうえで、私もたくさんのバラの写真を撮ろうと薔薇園に出かけたのである。梅園を見に出かけたせんだい農業園芸センターの薔薇園がそろそろ盛りを迎えるというローカルニュースがきっかけになって妻と一緒に出かけた。 これらの写真は広角レンズを使って写したものばかりである。広角レンズは広い景色を撮るのに向いているのだが、さいきんその短焦点の広角レンズで花を撮ることに夢中になっている。10㎜程の短焦点であれば花にくっつくようにして大きくとることができ、絞りを20以上に絞ると背景はどんどん小さくなるがそこにもピントが合うようになる。花の写真はマクロレンズを用いて花そのものにピントを合わせ、絞りを開いて周囲をボケさせて花を際立たせるという方法が採られることが多いが、広角レンズでその逆のことをやろうというのである。それでも広角レンズでは距離感が出て周囲の風景は遠ざかっているように(小さくなって)見えるので花そのものは際立つように映るのではないかと考えたのである。 もちろん花を撮るのにこの方法が何時でもよいなどということはないだろう。時と場合によって使い分けられたらいいだろうと考えての実験期間なのである。実験物理学を職業としていたせいかもしれないが、こういう試みが好きなのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.13
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今日もカメラ持参で本を返却、借り出しした仙台市図書館を起点に歩き回るのである。起点が同じで徒歩で歩き回るのでたいてい同じ場所が重なってしまう。つまり同じ被写体ばかりを辿るようになるのだが、新しく興味を誘うような何かがきっと見つかると(ほとんど根拠のない)思い込みだけがこのカメラ散歩の拠りどころである。四日前の同じような散歩でもそんなに多くはないがなにがしかの結果はあったのだ。 今日は初めからどこを歩くのか決めていた。図書館から定禅寺通りを一番町の北端まで歩き、そこから一番町の東側の路地をたどりながら一番町の南端まで行くのである。何度も歩いているが、そんなことは気にしないことにして歩くのである(多少はやけ気味でないこともないが………)。 まず、仙台三越横の狭い路地に入る。この路地の片側はこの路地より広い道に並ぶ店の裏側になっていてガスや水道の配管、換気扇の出口、クーラーの室外機などが一面に張り付いていて、その景色(風情)が意外と私を惹きつける所である。もう一方の片側に小さな店が並んでいるほんとうに小さな路地である。 その小さな店の一つが表に張り出したメニューを見て思わずシャッターを押した。「もつ煮」、「やきとり」と並んで、「酒と泪」、「一人酒」、「手酌酒」が並んでいるのである。「一人酒」、「手酌酒」はまあまあ良しとして、「酒と泪」はどうやって賞味するのかなどとしょうもないことを考えたりした。お店の人のセンスを酒の肴に少しばかり酒を味わいたいところだが、こんな真昼間には開店していないのである。 その路地を出ると、道なりに薔薇、車輪梅、山法師などが咲いていた。建築基準法に定められているのか、最近の大きなビルには必ず緑地が造られている。その一つに入ってみると、磨かれた石のベンチに上に雨粒が並んでいる。鏡のような石の面に映るビルの影や空に雨粒が趣を加えていて、何回もシャッターを押したものの「いい写真」になるかどうかは心許ない。そのベンチの隣にまだ花弁の開いていない西洋石楠花があった。文字通り「萌え」の状態で、開ききった西洋石楠花の華やかさに比べれば、むしろこちらが私の好みに近い。目立たぬようにひっそりと生きる方が好ましいのである。 一番町の南端近くの文化横丁や壱弐参(いろは)横丁に向かうと、ここにもビル併設の緑地が小さな公園になっていて数本の山法師がたくさん花をつけていた。最近はどこでも山法師が見られるようになった。先日通りかかった新興住宅地の道には山法師が並木として植えられて満開に咲いていた。 文化横丁の出入り口のそれぞれに赤い提灯が立てられていた。文化横丁や壱弐参(いろは)横丁の写真は前にもだいぶ撮っているので、今回はモノクロで写してみたりした。 同じ場所、同じ被写体でも撮ってみれば何かが変わっているかもしれない。少し年を取った私が変わっていて少しばかり「いい写真」になっているのが理想だが、高望みはしないようにしよう。とはいえ、やはりどっかいい場所でシャッターを押してみたい気持ちは強くなるばかりだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.12
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三度の食事を作ることも終活の一つとして張り切っていたのだが、毎回毎回はりきって頑張っているというわけではない。張り切るという精神のポテンシャルは明らかに指数関数的に減衰して、いまやごく普通の日常茶飯事のことになり、ときとして食事の準備を考えただけでも嫌になることがある。この日は、そんな日だった。妻を青葉山公園への散歩に、そのついでに公園の仙臺緑彩館のカフェで昼食でもと誘った。花壇の花の写真を撮りたいという希望も伝えた。足が弱くなってリハビリに通っている妻にとってちょうど手ごろな距離ということもあってさっそく出発した。 仙臺緑彩館のカフェでランチとして食べられるのは何種類かのハンバーガーだけであるが、妻はラーメンなどと言い出す。確かにラーメンを食べている人がいるのだが、昼を回った時間帯で従業員の人が賄い食を食べているだけのことだった。 数えてみたら、私はこの日で人生4つ目のハンバーガーを食べたことになる。仙台にハンバーガーショップができたころに食べに行ったのが一度目で、それからだいぶ経って仕事で出かけたリオデジャネイロで若い人と一緒に食べた。着いたばかりで市内の様子がわからず万国共通らしいショップに入ったのである。三度目は、仙臺緑彩館ができてからこのカフェで食べたので、数年前のことである。私はパンが苦手なのでこんなものだと思っていたが、パン好きの妻もそんな程度だという。私としては早くカメラを持って庭に出たいのだが、ゆっくり食べてのんびり食後のコーヒーを楽しむ妻ににこにこと(作り笑いをしつつ)付き合うことになった。ようやくカフェを後にして庭に出た。遠くにポピーの群落が見えたが、まずは近くの花壇から撮影を始めた。小さな花だがきれいな青色のアンチューサ、大きく育ったハマナスの花、ウツギとしては花の大きいバイカウツギ、小さな花が丸いボールなっているテマリシモツケなどがあった。 私が写真を撮っている間、妻は自由に花壇を見ながら歩いている。一度遠くのポピーの花壇近くから手招きされ、暑くなったので上着を持ってくれということだった。上着をカメラバッグに挟んでそのままポピーの撮影に入った。ポピーというのは様々な花色があって楽しいのだが、一年草なので毎年種から育てなければならない。わが家で咲いたのは一年だけだったのは、時期を間違えずタネを植えるということが面倒だっただけのことである。 ポピ―花壇に連なる花壇にはエリンジウムやサルビアヌタンスなども咲いていた。そのあたりからは広瀬川大橋が見え、市内循環定期観光バス「ループル仙台」のバスが大橋を渡って仙台城跡に向かっていた。その写真が今日のカメラ散歩の最後の一枚である。 昨年の今頃は山菜取りを兼ねた山草・野草の写真撮影で山を歩いている時期なのだが、今年は熊の出没が相次いでいて、山に行くことには逡巡している。じつは青葉山公園近辺にも時々姿を見せていて、早朝散歩などには格段に気を遣うのである。つい最近、わが家の下の広瀬川の河原で目撃情報があって、現在は仙台市が熊の捕獲檻を設置している状況である。山の花を撮りになどと口にできるはずもないのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.06
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一か月以上もブログを更新していなかった。ブログを書いていないなあという思いはいつも心のどこかでくすぶっていたが、何か気ぜわしく時が過ぎてしまった。どんどんのんびりとなっていく老後の暮らしのはずが、終活拡大路線を採用したせいでたぶん能力を越えて忙しい(と感じている)のである。 半年ほど前から新しい終活として好きな詩や短歌をおさらいておくということを始めた。まず、明治以降の詩、短歌、俳句で読まずに漏れているものを探すのである。年金暮らしなので、本はすべて図書館だよりである。明治以降に出版された歌集を集めた「現代短歌全集」は全17巻のうち13巻まで読み終えた。全12巻の『鑑賞現代俳句全集』は何とか全巻を読み終えた。詩については仙台市の七つの図書館の蔵書をネットで調べて借り出している(予約すると2,3日後に一番近い図書館で借り出すことができる)。 そんなこともあって、家にいるときは本を読むことに時間をさいてしまってブログを書く時間が犠牲になっているのである。終活カメラの方は、ぽつぽつと実行できている。そのひとつが一週間に一度は出かける図書館通いとカメラ散歩の合体である。ただ往復するだけではもったいないのでカメラ持参で出かけるのである。6冊ほどの返す本(借りた本)とカメラを背負うとずっしり来るが、こちらは筋トレ散歩の一部と考えれば何でもないのである。 私が通う仙台市民図書館は、市の中央部、自宅から徒歩で15分ほどの定禅寺通り(春日町)にある。その近辺はだいぶ歩き回っていていい被写体がまだまだあるとはとても思えないのだが、時間が違う、季節が違う、カメラマンの年は増えている、条件が違うのだから同じ被写体を撮ることには意味が十分にあるだろうと(開き直って)考えることにしている。 図書館裏の細道に出て、図書館が入っているせんだいメディアテークの建物のガラス壁に映るビルの景色が1枚目となった。そこから細道をたどりながら東に向かった。想像通り、シャッターを押す被写体をなかなか見つけられず宮城県庁裏の道(上杉一丁目)をぐるりと回って定禅寺通りを西に戻った。 定禅寺通りには4列の欅の並木があって、「杜の都」というキャッチコピーが指しているのは市街地の中ではたぶんここではないかという気がする。もっとも市街地からちょっと西へ進めば山また山、緑一面となってそれを「杜」と言ってしまえばそれまでだが………。 欅並木の新緑が最も美しい季節なのだが、どのようにとってもその感じが出なくて諦めかけたが、夾雑物なしで欅の緑だけ取ろうと(いくぶんやけ気味で)数回シャッターを押した。 図書館前を過ぎて西公園に向かう(といっても帰り道なのだが)。公園前の歩道に射す弱い日の感じが気に入って前後の写真を撮った。歩きなれた舗道の写真を撮りたいと思うこともあるのだとひそかに(自分に)感心しながら公園に入った。大きな常緑樹(ヒマラヤシーダーのような針葉樹)の幹の配列を楽しんでからちょっとした植え込みの中のツツジを見つけた。とっくに季節がすぎて咲き残りの花があるだけだったが、なにかその小さな花にとても愛しい感覚が湧くのだった。 カメラの収穫は多くなかったが、図書館の本を借り出し、思いバッグを背負っての街歩きという終活3点セットになったことで良しとする。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.04
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西行戻しの松公園白衣観音展望台からの松島湾の写真は10枚ほど撮るともう私には手の出しようがない。ちょっとした遠出には見合わないほどあっさりしたものである。この後齋藤氏庭園を訪ねる予定がなかったら気落ちしそうなほどである。 齋藤氏庭園は石巻市にあるのだが、海岸からだいぶ内陸に入った前谷地というところにある。松島から石巻に東進する幹線道路から北の方に入って何度も曲りながらどんどん狭い道に入っていく。ここを曲ればもう齋藤氏庭園というナビに従って左折すると一台しか通れないような道の先でバンが私の車を待っている。その車の停まっているところですれ違えたのだが、その車が庭園へ入る道を防いでいたので、すこしバックしてからさらに狭い道に入ってようやく車が3台ほど停められる駐車場である(実際には庭園の中には広い駐車場があった)。 観光客は私たちばかりで、数人の人が庭の手入れをしている。そのうちの一人と挨拶して庭園の説明をしてもらい、パンンフレットも頂いた。現在、建物は耐震性に問題があることがわかって内部に入ることは遠慮してもらっているが、もし希望されるなら案内するということだった。忙しそうに手入れに励んでいる姿を見ていたし、庭園を見ることがもともとの希望だったので、建物には入らず庭だけを拝見することにして丁寧な申し出を断った。 齋藤氏というのは、秋田の池田氏、坂田の本間氏と並ぶ近代における東北の三大地主で、第9代当主が明治後期にこの庭を造って、現在は石巻市に移管されているということだ。民間の個人の邸宅ということで、城や寺や神社、あるいは貴族、藩主の庭園となどとはいくぶん趣が違い、豪勢で贅を尽くしていながらどこかなじみ深いものがあるのだった。不思議なことに、一般の民間人のささやかな庭の延長にあるような懐かしさがあるのだ。 園内には藁ぶきの住居(庶民は母屋と呼ぶ)のほかに別棟の広間、蔵が三つ、倉庫が二つに木小屋、中門、さらに三つの池がある。敷地は丘陵の斜面を背にしていて、国指定の名勝に指定されている。 一通り写真を撮り終えてから、広い庭園をできるだけ広く一望できるように広角ズームレンズに替えて、もう一回り歩いてみた。 見終えて、庭仕事をしていた人に言葉をかけて車に戻った。休日の静かなリフレッシュという感じの時間だった(もう毎日が休日なのだが)。帰るばかりだが、三陸海岸への旅行の行き帰りに寄って妻のお気に入りになった道の駅で遅い昼食と買い物をして、すぐそばを走る高速に乗った。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.06.11
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松島、塩釜へ行ってから三日後、また松島へ行った。先の松島で撮った写真には全く満足できず再度の挑戦気分なのではあるが、10枚も撮れば終わってしまう場所だということは前回の経験で分かっていて、とんぼ返りのつもりだった。ところが妻も同行すると言い出したので、石巻市の「齋藤氏庭園」まで足を伸ばすことにした。この庭園は昨秋に行こうと計画していたものの実現できなかった場所である。 まっすぐ松島の「西行戻しの松公園」に向かい、「白衣観音展望台」に一番近い駐車場に入った。先日は上らずに車で待っていた妻も今日は上ってみるという。坂の長さはたいしたことはないし段差もないので、何とかなると判断して一緒に上った。 桜の木の間から松島湾(の一部)が見え、あっという間に撮影は終了した。さすがに今日はカメラ設定を間違わなかったし、時々やるような実験的な試み(たいていは失敗する)もやらず、ひたすらおとなしい写真狙いである。腕もないのに冒険的になって失敗することは身に沁みて知っているのだが、まあ、きっと何度でも失敗するのだろうとは思っている(それも趣味の一部)。 西行戻しの松公園には桜の木がたくさんあって、白衣観音展望台からの松島遠望も桜の木々の間からという感じで、桜の季節にもう一度来たいと強く思わせるものがある。桜の花の季節にはこんなアングルで撮りたいという写真も試しに撮ってみた。最後に、白衣観音をカメラに収めて再挑戦は終了した。 松島から齋藤氏庭園に向かうのだが、ブログ掲載は次回ということにする。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.06.07
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松島の写真を撮りたいと思った。松島には何度も行っている。仕事をしていたころは外国からのゲストを案内して塩釜港から松島湾内を巡る観光船に何度も乗ったし、最近では町内会の日帰り旅行なるもので観光船に乗った。それなのに、水面と海岸べりからの観光で、松島湾を展望する場所には行ったことがない。松島湾を一望できるという理想的な場所とまでは言えないがいくつか候補があって、その一つが「西行戻しの松公園」にある「白衣観音展望台」で、そこに行くことに決めた。そこからの帰り足で鹽竈神社にも行ってみようということになった。鹽竈神社は行くのは初めてなのだが、展望台までの坂道を妻が歩けない可能性を考えていわば楽しみの保険代わりである。 しかし、カメラ設定の間違いで松島湾展望の写真は全く不満足なものとなった。もちろん展望はあるのだが、それほど広い範囲をカバーしていない。広く一望できるように広角レンズを装着していたのだが、むしろ望遠レンズで撮るほうがいいアングルになることに気づいて望遠ズームにレンズを交換したのだが、カメラの設定が広角レンズの時のままだったのである。モニターにはそこそこ写っているように見えたのだが、帰宅してPCで拡大してみると微妙にピントがずれている。当たり前のことだが、被写界深度が適切に設定されていなかったのだから何ともしょうがない。ピント合わせはしているのでそこにピントはあっているもののピントの奥行きが浅いので風景写真になっていないのである。唯一の成果は、駐車場の近くに咲いていたレンゲツツジの写真だけだった。 前置きが長すぎたが、そんなわけでカメラ旅行としての前半はないこととして、鹽竈神社がメインの日帰り旅行となったのである。松島から塩釜に移動して、まずは昼食である。塩釜は寿司がおいしい街だということで人気のすし店を友人に教えてもらったという妻が指定する店で立派な皿に盛った寿司を食べた。十分に満足できる昼食で、とくにいつもは鮪は赤身と決めていた私たちだが、刺身に細かく包丁が入っていた大トロや中トロのおいしさが際立っていた。つぎはぜひ単品を頼みながらの食事がいいね、と妻と確認したものの、また機会があるとは考えにくい………。 鹽竈神社では3つの駐車場のうち一番足に負担のかからない駐車場を選んだ。いつもは塩釜神社などと表記しているが、「志波彦神社・鹽竈神社」というのが正式な名称らしい。志波彦神社と鹽竈神社が併設されているのである。大鳥居をくぐって最初に入った茅の輪のある神社を鹽竈神社と思ったのだが、そこは志波彦神社だった。鹽竈神社はそこからぐるっと回って石段を上がって随身門と門をくぐった先にあった。右宮と左宮が一体となった拝殿があり、さらに東隣の別宮がある。 大鳥居の近くに庭園があってそこから塩釜湾(塩釜港のある松島湾の一部)が見える。塩釜港には松島湾をめぐって松島海岸まで行く観光船が見える。ここからの景色を撮って、松島での失敗の一部を取り返したのである(これは帰宅して写真整理をしているときの実感)。 カメラの失敗は痛かったが、初心者はこうやってカメラを覚えるのだとおのれに深く深く言い聞かせるしかないのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.06.04
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知人の葬式に出る妻を教会まで車で送って家に帰ると夕食の準備をするまでまったくの自由である。5月5日だというのに息子は仕事で、帰省中の娘は街に出かけて夕方まで帰らないという。自分一人のために昼食を作るために家にいるというのもつまらないのでカメラを持ってでかけることにした。 最近は筋トレ散歩を普通に歩く時の大股速足で代替しているので少しは足の筋肉のためということ、誰かがつくった昼食を食べられるということ、カメラで遊べるということ、この三点盛りの散歩ということでとにかく家を出た。行く先は手ごろな距離で被写体に困らない場所ということで大崎八幡宮ということにした。その近所にどんな店があるのかもおおよそは知っている。 大崎八幡宮にはたいてい朝の散歩で来ることが多く、人のいない境内というイメージがあったが、さすがにゴールデンウィークらしく神社前の市内循環観光バスの停留所にはたくさんの人が待っている。同じくらいの人間が次のバスから降りて来るのだろうと思いながら鳥居をくぐり参道の石段の下でカメラを構えたら次々と人が下りて来るのでシャッターチャンスまでけっこう時間がかかった。とはいえ、石段を上り、二の鳥居付近まで来ると参道が長いせいか人をあまり多く感じないのだった。 長床(重要文化財)の門をくぐって社殿(国宝)の前に行くと、カメラの枠内に必ず人は入る程度には人がいる。とくに社殿横を歩き回っている三羽の鶏(神鶏と呼ぶべきなのかもしれない)の廻りを人が囲んで珍しがっているようだ。よく人馴れをしていて、人間にはお構いなしに地面をつついたり声を上げて鳴いたりしている。早朝の散歩で見たときにはこの三羽は大きな石燈籠の上に乗っていた。たぶん夜間の危険に備えていたのだろう。 参道脇では甘酒を売っていたが、甘酒の旗の下には売り切れの紙が貼られていて店には客がいなかった。休日の午前中に売り切れというほど参拝客が多いとも思えなかったが、観光客が予想より多かったということかもしれない。最近は、仙台市内のちょっとしたところでも外国からの観光客が増えているので、そういうこともあるのかもしれない。 二の鳥居近くの参道脇にツツジの木が二本あって、どちらも素敵な色のきれいな花を咲かせている。カメラには広角レンズが装着されていたが、かまわず撮ってみた。焦点距離が短いのでかなり花に近づくことができて、花の写真に常用しているマクロレンズとはちょっと違った感じの写真になって、これからも少しは広角レンズで花を撮ってみたいなどと思いながら撮影を終えた。 帰り足で遅い昼食にラーメンを食べた。このラーメン店は大通りから少し入ったところにあってまったく知らなかった店だったが、夕暮のカメラ散歩でこの辺を歩いていた時見つけていた。毎週の食料品の買い出しで妻と一緒にこの近所の生協に来るのだが、そのとき何回かこの店で食べたことがあって気に入っていたのである。他人に作って食べさせてもらう食事は何よりもおいしいのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.06.03
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「夜の花」などというと酔っ払いが夜の盛り場をほっつき歩いた話のように思われるが、ただ単にわが家の庭に咲いた花を夜に撮ったというだけのことである。梅や桜の花を撮りに出かけ大量の写真の整理に追われていたが、わが家の小さな庭にも春は忘れずやって来ていくつか花が咲きだした。夕食を食べ終えた後、その庭の花のことを思い出して、写真を撮ろうと思い立った。 昨年からの熊の出没騒ぎは治まらず、4月に入ってからも市内の住宅街で麻酔銃を使って捕獲するというニュースもあった。春になれば山に入って、山草、野草の花の写真を撮っていたのだが、近郊の山こそ危険なように思えて山に入るのは避けようと思っていた。その山の写真を撮るためにLEDリングフラッシュを用意していた。小さな花のマクロ写真に必要な光量が不足するときや花だけを際立たせたいときにレンズに装着して使おうと思っていたのだが、じつはまだ一度見つかったことがない。花を撮りたいという気持ちもあったがリングフラッシュを使ってみたいという気持ちも強かった。 先ずは使用説明書を10分ほど読んでからマクロレンズに装着してから庭に出た。シャッターを押すと光る普通のフラッシュのようにも使えるが、LEDを付けっぱなしでも使える。その方が見たままでオートフォーカスが使えるので、明るい時に取るときと全く同じでなんの工夫も技術もいらない(それがいい写真のなるという保証はないが)。 はじめにシラネアオイとニホンサクラソウを撮った。どちらも山草で、思い出せないくらい昔に入手したものだ。一時期山野草に夢中になったことがあったが気難しいもの多く、枯れたものには二度と手を出さないと決めていたのであっという間に熱が冷めてしまった。このシラネアオイとサクラソウは延々と生き延びてきたのだ。 次に下草用にと購入した背丈5㎝ほどのベロニカ オックスフードブルー、日蔭に咲くプルモナリヤを撮った。 地べた付近の花の後は、生け垣の椿の花である。生け垣のほとんどはヤブツバキなのだが、なかに何本か40年近く前に購入した品種が混じっている。昔のことなので品種名はすっかり忘れてしまっている。花の名を忘れても、何の不都合なく楽しめるので特に調べる気にもならない。 写真をPCで整理していて気付いたのだが、何となく写真の色温度が低いように思えた。LEDが完全に昼色光を再現しているかどうか確かめようがない。色温度を上げるようにほんのわずか修正してみた。私が実際に見た色に近づくが、あまり修正するのもためらわれる。人工的な写真にしたくないのである。ネットで真っ赤な(ほんとに真紅の)太陽を見せられてうんざりするすることがある。朝陽や夕陽の写真を過剰修正(修正の域を出て)すれば可能なのだが、写真なんかやめて絵を描けばいいと思う(人それぞれと言えばそれまでだが………)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.05.17
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西公園、榴岡公園、松音寺と続けて桜の写真を撮りに行った。もう一ヵ所、桜の季節ではなかったが松音寺と同じ日に訪ねた陸奥国分寺跡・薬師堂の庭にもたくさんの桜の古木があって気になっていた。仙台に10年ほど住んでいたという人に「仙台では薬師堂の桜が一番良かった」と聞かされていたこともあって、榴岡公園に行った翌日に出かけることにした。直通の地下鉄の6駅目に薬師堂駅があってアクセスはすごく容易なので、妻も行くということになった。 西公園や榴岡公園と違って人出は多くないし、もちろん朝からブルーシートをひいて花見の場所取りをするなんて人はまったくいない(もっとも、寺内の庭で花見宴会をするのはさすがに憚れるのかもしれないが)。桜の木はたくさんあるのだが、花見用宴会場向けの公園のようにやたらたくさん植えられているわけではない。庭園らしい配置で植えられているのでとても落ち着きがあっていい。それでもカメラの構図の中には必ず桜の木が入るので、ある意味、カメラマンの構図決めの才能が試されている感じがしないでもない。 私がカメラ位置を探してどんどん歩いて回っている間、妻はゆったりとしたぺースで桜を見て回っている。薬師堂は広い陸奥国分寺跡のほんの一部で、それ以外は公園になっていて、桜木は多くないがそれなりに桜の古木が配置されていて、かなり歩き回ることになった。 妻を探して薬師堂前まで来ると、ベンチに座っている妻を見つけたが隣で熱心に話しかけている人がいる。薬師堂の近くの人で、薬師堂についていろいろ説明してくれているのだった。山形城跡の霞城公園に行った時も懇切丁寧に解説してくれた人がいたが、若いころ山形を離れ、退職してから故郷に戻ってきたという人だった。こちらの人は転勤で仙台に来て退職後も住んでいるという人だった。どうも、生れついたところでずっと暮らしている人よりもそこの場所に強い愛着を持つためにはそこから離れて暮らした経験があるほうがよいのでないかと思えるのだった。 薬師堂の桜も撮り終えた。これで私の桜のシーズンは終った(と思う)。もっとも、遅咲きの山桜や八重咲の種類はまだ咲いていないのが気にはなるが………。 「来年は桜を追って北上する旅行をしようか」と妻に言ってみると笑いながら「いいわね」と返事をするが、たぶん実現しないと高をくくっていい加減に相槌を打っているのがありありと見えるのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.05.06
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榴岡公園と隣の天満宮の桜の写真をたっぷりとって、十分にカメラ遊びを満喫したので終了ということにしようとカメラをバッグにしまいかけたとき、松音寺に行こうと思い立った。足にはまだ余裕がある。松音寺は、朝歩きだした宮城野通駅の一駅先、連坊小路駅近くにある。ふたつの駅と榴岡公園はほぼ正三角形に頂点に位置する。その三角形の一辺を歩けばいいので、とくに歩行距離が増えるわけでもない。 20年ほど前、休日にはよく長散歩と称して犬と一緒に遠くの街まで徒歩で出かけたものだった。そんな散歩で桜の時期に松音寺の前を通ったことがある。道から奥まったところに山門があり、そこまでの参道と桜が醸し出す雰囲気がとてもよかったのでずっと記憶に残っていた。犬連れなので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだった。先日、桜の季節ではなかったが松音寺を訪ねて寺内を一通り見る(撮る)ことができた。 今日こそ松音寺の桜が撮れると意気込んでいったのだが、山門前の参道は遠足の幼稚園児たちがあふれていた。桜の季節からなのか参道には長椅子が並べられていて、子供たちのリュックや水筒が置かれていた。子供たちの顔が写りこむのは避けたいのでレンズは上を向くしかないのだが、桜だけが写っても参道の雰囲気はどうに名ならないのだった。 子供たちがいっせいに参道わきの庭園の方に移動したのでチャンスと思ったもののかならず数人の子供と先生が残っているのだった。非常に窮屈な感じの撮影になったが、これもカメラ遊びの妙味の一つだろうとけっこう納得してシャッターを押し続けた。 構図は思ったように自由には撮れなかったもののそれなりに満足して、道向かいの松音寺の墓地に移動した。ここにも大きな桜の木があって、「墓石と桜」など言うテーマが思い浮かんだが、どうにもいまいち良い立ち位置が見つからなかった。 帰りは連坊小路駅から地下鉄に乗るのだが、もう一つ先の駅は薬師堂駅である。陸奥国分寺跡の薬師堂の庭にもたくさんの桜の木があったが、それは後日ということにしては逆方向の電車に乗って帰ってきた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.28
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西公園の桜の木と花はたっぷり写した。西公園は仙台旧市街の西端近く、仙台城跡の広瀬川向かいにある。旧市街の東部には榴岡公園があって、こちらも桜の(花見の)名所である。とはいうものの、榴岡公園の桜が咲いているのを一度も見たことがなかった。20年ほど前、季節外れに犬と一緒に1時間ちょっと歩いて公園で遊んだことがある。つい先日は、榴岡天満宮の梅の写真を撮りに行ったとき、梅の花を探しに公園に入って少しだけ歩いた。梅の木は少しだけ、冬木姿の桜木をたくさん見ただけだった。 西公園で桜をどう撮ったらいいのか、その入り口がほんのちょっとだけ見えたような気がして、もう少し桜を撮っておこうと榴岡公園に出かけることにした。この年ではさすがに徒歩は無理なので、ちょっと距離があるが地下鉄の宮城野通駅から歩くことにした。 西公園の経験から、広角レンズで撮る桜木の景色がとてもいい感じに写ることが分かったので、今日は一眼レフに広角レンズ、ミラーレス一眼にズームレンズを装着して左右の肩に振り分けての撮影である。野外でのレンズ交換というのはけっこう気を遣うので、大げさな恰好ながら気楽に歩き回れるのである。午前9時頃、もうけっこう人出がある。外国人らしきグループもあちこちにいた。そのような団体が、気に入った場所では入れ代わり立ち代わりして記念写真を撮っているので、ひと廻りしてからそこの写真を撮ろうと戻ったら、まだ終わらずに一塊になって撮影が続いているということもあった。 榴岡公園の桜風景は、西公園に比べるとかなり赤みが強い。ベニシダレの木が多いのである。ベニシダレが並木のように並んでいる場所もあった。どういうわけか、「シダレザクラ」とや「ヤエベニシダレ」の表記だけがあった。いろんな桜があるのだが、品種名がわからないのが残念で、先日の梅園のようにほぼ全ての木に品種表示があるのと比べると淋しい限りである。もっとも、花見酒に浮かれる人たちには桜が咲いていれば(咲いていなくても)品種などはまったく気にしないのだろうけれども。むかし、西公園の桜には品種名がついているときがあったが、今は一つもない。公園というところはそんなものなんだろうか、と改めて不思議に思う。梅園のように桜園というものがあっていろんな品種が集められ、きちんと品種名が表記されている施設がどこにあるのだろうか(あればぜひ教えてほしい)。 さて、榴岡公園の撮影が終わって、先日梅の花を撮った榴岡天満宮へ回った。まだ花の咲いていなかった桜の古木が気になっていたのである。広くない天満宮に大きな桜木が4、5本あった。どれも高木なので花の近接写真は無理だったが、ここでも広角レンズが大いに役立ったのである。 もう帰る時間だが、まだまだ足に余裕があったので、これから西音寺まで足をのばして山門前の桜を狙うのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.25
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モミジの芽吹きの写真を整理しているとき、西公園の桜が見ごろになっていた。今年の春は梅の花の写真をたくさん撮ったあとに、桜も撮らなきゃという気分が盛り上がっていた。なるべく早い時間にと思ったが、家を出たのは9時ごろだった。 西公園では、まだ勤めていたころ職場の行事として2度ほど花見をしたことがある。その他にはとくに桜を見に西公園へ行くということはなかったが、そこの桜はしこたま見ていた。西公園は30年ほど私の通勤路の一部だったのである。桜の時期の朝、出勤で公園を抜けるときはアルコール臭も混じった異様な匂いに悩まされ、暗くなって帰宅するときにはふらふら歩く酔っ払いにぶつからないように歩くというのが嫌だった。いい記憶がないのだが、もちろん桜のせいではなくひたすら人間のせいなのである。 公園に着いたが、開花して日が浅いせいか、管理が行き届くようになったのか、人間がおとなしくなったのかよく分からないが、昔のような悪臭は全くないのだった。通勤路に使わなくなっておよそ25年、変われば変わるものだと少し気をよくしてカメラを取り出した。今日は初めに広角レンズで遠景、桜の木の全景などを撮りながら一回りし、次にズームレンズで様々な距離、アングルで撮って、さいごにマクロレンズで花の拡大写真を撮りながら一回りするという計画である。この計画には歩数を稼いで健康に資するという欲も絡んでいる。 レンズを替えてたくさん写真を撮ったのだが、結局気に入ったのは広角レンズで撮った写真ばかりになった。花のアップの写真もきれいなものが多いが、梅の写真で見慣れているせいか、広角レンズのため周囲が歪んだ写真の方がとても新鮮に見えるのである。 西公園から広瀬川向かいの青葉山公園の「桜の小径」に回ってそこの写真も撮った。 梅は品種名が表記されている梅園で撮ったが、公園の桜にはそれがない。いずれ、種名を調べることになりそうだが、そのときにはマクロレンズで撮った写真が役に立つだろうと思う。 さて、西公園の桜だけで終わりそうもない。市内のいくつかは回ろうと思っている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.23
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「斜面に蕗の薹がいっぱい生えてたよ」と妻が言う。車の窓から見たというのだが、どこの斜面なのか、さっぱり要領を得ない。地理の説明がへたくそなのである(たとえば、Aに行きたいと言われ、どこかと訪ねるとBの隣という。Bはどこにあるのかと尋ねるとCの向かいといわれる。AもBもCも知らない私は行きようがないのである)。どこを通ったかきくと、順序はばらばらだがおおよその見当がついた。そのコースで斜面に蕗の薹がたくさん生えて場所は1か所しかない。私が去年の春、蕗の薹を採ったところである。 さっそく翌日の早朝に蕗の薹を採りに出かけた。梅花の写真をたくさん撮り、その整理に夢中になっていて、蕗の薹のことはすっかり忘れていて、少し大きくなりすぎていた。とはいえ、漬物にする予定なので柔らかそうな部分だけを摘んできた。大きくなっていた分だけ、袋は15分ほどで満杯になって帰ってきた。 今日の本題は、その帰り道から始まる。東北大学の川内キャンパスの間を千貫沢が流れていてその斜面に生えている木々が芽吹き始めていて、冬木の廻りをうっすらと淡く赤みがかった空気が包み込んでいるように見えて、しばらく眺めて楽しんだのだが、これを写真に撮ろうと決めた。 その翌日、陽が昇り始めるころ千貫沢の遊歩道に入った。ところが沢が深くて、沢底からは高い木の芽吹きの写真は無理だった。さいわい両岸に沿った道もあるので、そこからカメラを向けることにした。 同じような芽吹きなのに色合いが違うもの、葉だけの芽吹き、葉と花芽が同時に芽吹いているものなどいろいろあるのだが、そのどれもが、モミジ、カエデの類なのだった。ほかの木々も芽吹いているのだが、モミジ類と比べるとぱらぱらとしか目がついていないので私の腕では絵にならないのである。 梅の花の写真を撮りながら「仙台の春」を感じていたのだが、それより後の木々の芽吹きの方がはるかに「春が来」たという実感がする。「芽吹き」と「落葉」こそが季節をよく象徴するのではないか、などと大げさなことを考えた。いずれにせよ、来年以降もカメラ生活が続けられるのなら、「芽吹き」と「落葉」も大切なテーマにしたいとは思っている。 そんなことを考えながら写真の整理をしていたら、テレビで開花宣言の出た仙台の桜は数日後に見ごろになるのではないかというニュースがあった。梅花をたくさん撮ったので、桜花も撮らなければ落ち着きが悪い。そう思っただけで忙しない感じになるのだ。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.21
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生まれ故郷の墓参に出かけた翌日、せんだい農業園芸センターの梅園に急遽行くことにした。テレビのローカルニュースがセンターで観梅会を開いたと報じていた。観梅会を開くぐらいなら、今頃が梅の盛りなのではないかと思ったのである。 「行くか?」「行く!」いうことで今回も妻も一緒に車に乗り込む。二度目だが仙台の中心部を通り抜けるのでやはりナビを使った。街中ということもあって1分ほどの違うコース候補が何本もあって、考えると混乱するのでナビが教える最短コースなるものにひたすら従うだけである。 さすがに今日の人出は多いが混んでるというほどではない。人数的には先日の倍くらいであろうか。一目眺め渡すと、梅花満開という体である。しかし、写真を撮り始めて気づいたのだが、その多くは先日にも咲いていて撮り終えているものも多く、中には満開の時期を過ぎてしまってややくたびれた花になっているものもある。 数枚のシャッターを押して横を見ると大きなインコを歩かせながら散歩している女性がいた。会釈しようとしたらインコがわらわらと急ぎ足で私に近づいてくる。びっくりしていると女性が抱き上げて道に戻したのだが、やはり急ぎ足で私に近寄ってくる。写真を撮ろうと思っても動くのが早すぎてピントを合わせるのが難しい。それでも何とかしようと構えていたらもうレンズにくっつくほど近くに寄っている。しょうがなくて手を出してみたら私の手の乗るのである。犬と猫はお手のもだがこんな大きなナインコは初めてでどうしたものか戸惑ったが、そのまま女性のところに行って手渡した。その次に寄ってきたときには「写真の邪魔になるでしょ」といってすぐに抱き上げてくれた。せっかくのお言葉なのであらためて写真を撮り始めたものの、振り向いてみれば面白がって集まってきた人の手や肩に乗ってぞろぞろと梅を見ない集団散歩が始まっていた。 グリーンカラーのインコで、私がたまたま着ていたグリーンのジャケットを見て仲間や親兄弟、とくに自分のおじいさんとかを思い出したのかなどと思ったが、飼い主さんとずっとおしゃべりしていた妻が「男の人が好きなんだって!」と興味半減の結論を言うのだった。 この日新しく撮った品種は15種類だった。満開状態の梅園にやや興奮して次々シャッターを切っていたのでかなりの種類を撮ったと思っていたが、先日の品種とかなり重なっていた。撮った記憶がある種類はスルーしていたつもりだったが、老人の記憶があてにならないことを再確認する始末だった。 2回目の梅園撮影で手際よくなったのかけっこう早く撮影は終わった。昼にはだいぶ時間があったのでさっさと帰ることにした。もうちょっとぐずぐず行動してここで昼食できたら食事の用意が1回減るのにと気が付いたときには車に乗っていたので後の祭りである。シャッターを押すのに夢中になるという年甲斐もない戦略ミスをしたのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.11
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榴岡天満宮と西公園で続けて梅の花を見た。すこしばかり勢いがでたので、次は梅園でたくさんの梅を見ようと思い立った。ネットで調べると仙台で梅園と呼べる(宮城県に範囲を拡大しても同じだった)のは「せんだい農業園芸センター」の中の梅園だけだった。かつて梅園があった「養種園」が、郊外の広い敷地に移転してせんだい農業園芸センターになったとき、その梅園も移設された。養種園時代には2度ほど行ったことがあったが、移転した後は行ったことがない。 絶対に行くと言い張る妻と9時半ごろ家を出た。ひたすら東に向かい、まもなく太平洋に突っ込むのではないかと思えるころ、ようやくセンターに着いた。駐車場にはかなりの数の車が停まっていたが、広い施設に人はまばらにしか見えない。梅園を見渡しても7、8人の姿が見えるだけで、ゆっくりカメラを持って回れそうで少しばかりほっとした。 それぞれの梅の木には品種名が表示されていて、混乱しないように初めに品種名を写し、それからその木の花を写すということを繰り返した。 だいぶシャッターを押したのだが、まだ梅園の半分ほどしか歩いていない。私から離れてあちこち見て歩いていた妻が「蔵王がきれいに見えているよ」とトイレの裏から呼んでいる。しかし、蔵王は見えるもののごちゃごちゃと夾雑物も映るので、いったんセンターを出て広い田んぼのほうにしばらく歩いて仙台市街の向こう、雪をかぶった冬の蔵王連山の写真を撮った。仙台市街から蔵王を見ることは難しいので、とてもいい機会になった。 ふたたび梅園に戻って撮影を再開したが、どこまで撮ったか忘れてしまって少しうろうろした。その時に目に入ったのは、先日西公園で写したのと同じ臥竜梅である。説明によると、政宗が持ち帰った二本のうち一本は、政宗の隠居所である若林城に植えられたがその後継樹が養種園を経てここに植えられているのだという。この木もまたその樹形が人目を引き付けるらしく、その周りに人が絶えないのでどこから映しても人影が入ってしまうのだった。 帰宅してからの写真整理で27品種の写真を撮っていたことを確認した。たくさん撮ったと言えばそう言えるのだが、梅園にはまだ開花していない木がたくさんあったし、写すことができた木でも一本に4、5輪しか咲いていない木もあった。仙台の3月6日は梅の開花の最盛期には早いのかもしれない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.09
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春の彼岸なので3月21日にわが家の墓参をすませた。早朝6時ころに出かけ7時ころには帰るという墓参はいつものことである。今年の彼岸は、元のわが家(生まれ故郷の)の墓参りにも行くことにしていた。6月に腎臓病を発病し7月は入院だったのでその年の盆には行けなかった。次の年の盆は百日咳で行けなかった。なんだかんだの理由があってしばらくは行くことがかなわなかった。 田舎には、長兄と次兄の家をそれぞれ息子が継いでおり、共に働き盛りということもあって宅を訪ねることはせず、二つの墓地の墓参りだけで戻ってくるのである。 生れ故郷というもののとても近い。今や高速を使えば40分で行ける。故郷が遠いのは心の問題である。親も5人の兄弟もなくなり、生まれ育った家もとうの昔になくなって、いわば私には他郷のように感じられるのである。甥や姪には残されたった一人の叔父だが、気を遣わせるばかりで心苦しいのでいっそう足が遠のくということになる。 ゆっくり朝食をとって10時ころに家を出発した。まず本家の墓に行った。本家は次兄が継いで、祖母、両親、次兄夫婦の骨が収められている。いま、墓に供えらえている花は造花が多くなって、この墓にも造花が供えらえていた。何とか持って行った生花を供え、やや強めの風が吹く中でようやく線香に火を移し、なんとか墓参を終えた。いつものことだが、あとで甥たちの家に電話して、適当な時期に枯れた花を片付けてくれるよう頼むのである。 なにかいい被写体が見つかるだろうとカメラも車に積んでいったのだが、墓石の前の妻の写真を撮ったらあとは何を写せばいいのかわからないのである。供えた花の写真を撮っていると、墓石が鏡のように花を写していて、面白そうに思えてそれも撮ってみた。墓地の上に広がる青空もきれいだと思ってシャッターを押したが、墓参りの気分で見なければ良さがわからない写真にしかならないだろう。 そこから車で南に7分ほどのところの別の墓地に向かった。そこは長兄が養子に入った一族の墓があって、長兄夫婦が眠っている。私の父親代わりだった長兄は中学の教師で私の学業に期待していることは痛いほどわかっていた。長兄がなくなったとき、義姉が「十分に期待に応えたよ」と言ってくれた時、すごく大きな何かを兄に返すことができたような気がして泣きそうになった。そんなことを思い出しながらの墓参りになった。 帰り道の高速で昼食にした。SAのレストランに入ったら「野菜湯麺」があったので、二人ともそれにした。最近の私の小さなマイブームの一つが野菜湯麺(ラーメン)なのである。ラーメン店でも町中華の店でもまずは野菜湯麺を探すのである。どちらかといえば町中華の店のほうがおいしいような気がする。 私と妻が店で麺類を食べるときは妻が麺を少し分けてくれるのだが、この日に限って私の胸が詰まるようになって途中でギブアップしてしまった。胃切除の影響で詰まることはよくあるのだが、昼食の麺類ではほとんどないことなので妻は心配していたが、半分は喜びながら自分の分だけでなく私の残した分まで平らげてしまった。母親譲りの健啖家らしさがすぐに発揮されるのである。 次の墓参ができるのはいつのことやら………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.07
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正午ちょうどに外出から帰ってきた妻が、「西公園の臥竜梅が満開だったよ」と言うので、さっそく出かけた。わが家の川向い、広瀬川の左岸にある西公園に「臥竜梅」という梅の木がある。伊達政宗が秀吉の朝鮮出兵のおりにかの地から持ち帰った二本の朝鮮梅の一本である。 西公園に臥龍梅の近くに20人ほどの人がいてテレビの撮影か何かをしていたが臥龍梅とは全く関係がないようなので、周囲をまわりながらシャッターを押した。臥竜梅そのものは何度も(通勤の時、この木のそばを通っていた)見ていたが、花をじっくり見たのは初めてのような気がする。やや大輪の端正な白梅で、気品高い花である。混みすぎずまばら過ぎず花付きも適当なのだが、樹そのものはうねうねと横に伸びるので大庭園でもなければ庭木には向いていないだろう。 カメラを構えていると、ヒヨドリが飛んできて眼の前(カメラの前)で花の蜜を吸いだした。いいお客さんである。ヒヨドリもモデルにしながら撮影していると、10人ほどの観光客がやってきて木のそばを動き回ったので、ヒヨドリはどこかにとんでいってしまった。 一通り撮り終えたので、急いで帰って昼食を用意しなければと思ったのだが、遠目に桜の花らしいのが見えたので寄り道をした。西公園は桜の名所(というよりも花見の名所)の一つなのだが、まだ桜の季節には早い。寄ってみると、花の小ぶりな寒梅の一種らしい木だった。公園内の道の並木のように植えられた若木だった。 朝鮮から持ち帰った二本の臥龍梅のもう一本は、旧養種園(現せんだい農業園芸センター)にあるということは知っていたが、見たことはない。せんだい農業園芸センターには立派な梅園があるということなので、行ってみようと思っている。 さて、急いで帰って昼食を作らなければ………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.05
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ブログの更新が著しく遅れている。忙しいのである(気分だけかもしれないが)。昨年の暮から新しい終活の一つとしてたくさん読んできた詩の読み直しを始めたのだが、本が見つからないことが多くそれを探すことが一仕事で、家のなかで見つからなければ図書館で探したり(ネット検索で)、それでもなければ古本を探して注文したりしなければならない(これもネットで)。 詩の読み直しだけでもけっこう時間がとられるが、そのほかに短歌や俳句も読んで気に入ったものを抜き書き(PCに)しているのが大量にある。これの見直しも始めた。そこで気が付いたことは、かなりたくさんの本を読んでいると思っていたが、詩人でも歌人でも俳人でもまったく読まないですっぽりと抜けている人がいるということだった。読んでいない人の中にいい詩、いい短歌、いい俳句を書いている人がいたら、せっかくの読書人生が台無しになると思い始めたのである。そこで現代短歌全集とか俳句全集で網羅的に読んでないものを探すことにしたのである。これは、まったくいくら時間あっても足りないような作業になった。とにかく忙しいのである。という言い訳をしたうえで、かなり前(3月2日)のカメラ散歩について書き始めるのである。 ネットには季節に応じて梅の花の写真があふれている。そんな写真を見ても仙台ではまだまだと思っていたのだが、仙台でも十分に開花する時期になった。梅の花といえば天満宮である。菅原道真である。というわけで、仙台の天満宮、榴岡天満宮に行ってみることにした。とはいうものの、一度も行ったことがなくて梅の木があるかどうかも定かではない。 仙台では桜の名所として知られている榴岡公園の横を通って天満宮に入ると、古木は少ないが若木の梅がたくさん植えられていた。長いこと仙台に住んでいるが榴岡天満宮に来たのは初めてである。社務所の横の小さな門から入ったので、改めて参道の階段を下って大鳥居のところから入りなおしてみた。 若い梅の木は目の高さ付近に花があるので、カメラには都合がよい。品種名は分からないが、たくさんの白梅の中に種類の違う紅梅も混じっていて行きつ戻りつしながらシャッターを切った。梅の花の写真をきちんと撮るのはこれが始めてである。マクロレンズも持って行ったのだが、ズームレンズでサイズを変えながらとるほうが楽なのでそればっかりになった(手間を惜しんではいい写真は散れないとは思うのだが)。 小さな紅梅の前でカメラを構えていると3人連れの年配の女性に話しかけられた。といっても、「きれいですね」、「そうですね」というようなたわいのない話だが、写真を撮っているときに話しかけられるのは珍しい。 梅の写真もだが、社務所の横に桜の古木があって目を引いた。桜の時期に再訪して、隣の榴岡公園の桜とあわせてとって見たい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.03.28
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筋トレ散歩は順調に進んでいる。真っ暗なうちに家を出て神社の石段の上り下りの後に登る仙台城跡の天守台には日の出ごろに着くように出かける。朝日の写真を撮るのがしっかりと目的の中に入っているのである。 1月16日の再開筋トレ散歩で筋トレに失敗して途中棄権という時のためにカメラ持参ということにしたら、文字通り途中で疲れ果てて棄権せざるをえなかったのだが写真はそれなりに撮れた。それで筋トレ散歩はカメラ散歩と変わらないことになって、それぞれ別の(独立した)就活であるという決意と自負は崩れかけている。いまは筋トレ散歩にカメラは必須という感じなのだ。天守台での日の出撮影に間に合わせようと急坂を急ぎ足で歩いて、私にとっては過負荷状態ということもあった。いずれにせよ、その後の筋トレ散歩はコースを予定通り歩くことができて、とにかく順調なのである。 その時々の朝日の写真も私的にはそれなりに面白いものが取れるのである。あたりまえだが、日の出はそのたびにどこか違うのである。2月13日の散歩では太陽の位置と撮影場所のマッチングが悪かったものの以前とは少し違う感じの写真が数枚撮れた。 2月17日は川内城跡から降りてきて仙台市博物館(三の丸跡)の敷地で日の出に出合った。ビルの上に登る日の出を木々の間から眺め、博物館の大きなガラス窓に映る木の間越しの写真や、朝陽が庭の大きな木の影を壁いっぱいに映し出している写真などを撮った。 2月22日は天守台から仙台湾(太平洋)に水平線が見えるほど晴れ渡っていて、海から直接昇る太陽を写せると期待して待ったが、筋トレ散歩で汗をかいた体にはあまりにも寒くてうろうろ動き回っているうちに太陽が半分ほど顔を出しているのに慌てた。 2月24日も日の出の時間にうまく合わせることができたのだが、太平洋のうえには雲が出ていた。これはこれで変化のある写真になるだろうと期待した。寒いのだが前回のこともあるのでじっと我慢して撮影場所を動かないようにしていた。 雲の隙間から半分ほど太陽が見えたり、薄い雲を通して全体が見えたりとこれはこれで楽しい撮影タイムになった。 カメラ散歩のようだが、筋トレ散歩としてはほぼ予定通りこなせている。24日の日には、出がけに家猫の一匹が絨毯の上に吐き戻したので、その掃除の分だけ時間が遅れ、仙台城跡の坂道を大股の急ぎ足で登るというオマケもあったが、これはいくぶん体力に自信が持てる感じになれてよかったのである。 調子良く進んでいるので、疲れがたまっていつか熱が出たりはしないかと心配している。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.03.12
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1泊ミニ旅行の宿泊は、温泉ホテル「大船渡温泉」である。日帰り温泉としても人気があるらしい。1週間ほど前に予約したものの近所に夕食をとれる店がなく、夕食を追加で頼みたいと3日前に電話をしたら、その日から予約日まで施設の点検で休館だという音声案内である。ちょっと慌てたが宿泊は私たちが予約した日から再開、それ以外はその日の朝から電話を受け付けるということだった。当日、家を出る前に電話して追加の夕食をお願いして出発したのである。 これまで小旅行での夕食は、全て地元料理の店やレストランを探していて、一度も宿で食べたことがない。小食の私は日本旅館(温泉旅館も含めて)で出される夕食の種類、量の多さに圧倒されてきわめて苦手なのである。このホテルも海のもの満載の料理をうたっていて、いくぶん不安なのである。 ホテルにチェックインした後、妻と一緒に車で近所の下見に出た。このミニ旅行の最大の目的、大船戸湾に昇る朝日を撮る最適の場所を探そうというのだったが、ことはそんなに簡単ではなかった。大船渡湾は沿岸に人家の多い地形ということもあって太平洋から波が直激するような地域はたいてい高い防潮堤が築かれていて海べりに出るのを妨げていた。海で仕事するための出入り口(防潮門)はあるのだが、開いている所もあったものの、問題は設備の性格上いつでも開いているわけではないらしいということだった。日の出の方角に開いた場所という条件も加えると地元不案内な身では最適な場所を特定するというのはかなり難しいのだった。 諦めてホテルに戻って、4階の部屋に入って窓のカーテンを開けたら目の前に大船渡湾が広がっている。太平洋に開けた湾口もすべて視界の範囲内である。さっそく岩手県の日の出の時間、方角を調べ、方位磁石(というスマホアプリ)で調べたら、湾口に出ている岬にかかるもののほぼ部屋の正面から太陽は昇るらしい。暗い夜明け前に寒い外に出ることなく、ぬくぬくとしたこの部屋から写真を撮ることに決めて、夕食に向かったのである。 夕食は「漁師飯プラン」というのだが、他に選択肢があるわけでもなさそうだった。皿数、碗数は数えきれなかった(献立表では15の皿や碗が出たはず)。すべて海のものの料理だった。私としてはけっこう箸が進んだと思う。手つかずで残したものは一皿だけ、手を付けて残したのが2皿だった。妻は私が残したものも食べて、そのうえで食べ残した皿が二つほどあった。 部屋に戻ったが満腹すぎて2時間ほどテレビや居眠りでお腹がこなれるのを待って、それから大浴場の温泉をのんびり楽しんだ。10時半を回っていたので恐ろしく広い浴室にたった一人(妻も一人だったという)。 目が覚めたのは午前5時50分、寒くないようにしっかり着替えてカーテンを開ける。少し空が白み始めてきた。テーブルを窓近くに寄せて交換レンズを並べておく。太陽が昇るあたりの雲が色づき始めたころ窓を開けて撮影を始めた。妻は昨夜からの2枚重ね布団に潜り込んで寝ている。 小さな漁船が2隻、養殖棚のまわりで仕事をはじめている、一艘は明るく灯をともし、一艘は無灯火で。もう一艘の小舟はまっすぐ湾の外へ出て行った。昨夕、港で見た大きな漁船の出航は、季節のせいかこの時間にはなかった。 岬の先端あたりに太陽は登ってくるらしく、雲が輝き始めた。朝日といえども輝く太陽を撮るのは簡単ではない。レンズを変え、撮影条件を様々に変えながら撮影しているとあっという間に太陽が飛び出してくるように感じる。一通り撮り終えたころ、妻が朝風呂から戻ってきた。 窓を閉め、私も風呂に向かった。夕べは入らなかった露天風呂に体を入れて海を眺めると、海面から少し離れた太陽の光が海面に反射してまっすぐこちらに光の道を作っているのだった。これを撮らなきゃ、慌てて風呂を出て部屋に戻り、数枚そんな写真を撮った。烏の行水より短い温泉浴という経験は初めてである。 私としてはもうこの旅行の目的はほぼ完ぺきに達成したのだが、これからは妻に約束した道の駅巡りである。ゆっくりホテルを後にして向かったのは陸前高田市の「奇跡の一本松」のそばにある「道の駅 高田松原」である。 奇蹟の一本松は、大津波をかぶった松原でたった1本残った松の木である。今でも最上部にだけ枝葉を残し少し傾いて立っている。一帯は「高田松原津波復興祈念公園」になっている。 次に向かったのは宮城県に入って南三陸町の「南三陸さんさん商店街」である。ここも東日本大震災後、被害に遭った商店が寄り集まって店を並べる商店街としてつくられた施設である。道の駅と銘打っていないが、地元の魚ならここだろうと考えたのである。道の駅 高田松原とここで刺身や蒲鉾やワカメなどを買った。 そろそろ昼飯という時間になって妻が「昨日のうどんおいしかったね、またあそこに寄ろう」というのだが、三陸道で1時間も前に通り過ぎていたのである。妻の食欲には勝てず、三陸道を大谷海岸まで引き返したのである。 道の駅 大谷海岸で季節限定と銘打った「石鍋かきうどん」を再び食べて大満足の後、息子にお土産を買うのだと妻は道の駅の中を元気に歩き回るのだった。道の駅の予定は三か所だったが、ここから仙台までの運転は時間が伸びてしまったので、途中休憩をかねて昨日下調べした石巻市の道の駅 上品の里にも立ち寄ることにした。 道の駅 上品の里に入ると地元産の野菜売り場に白菜も並んでいて、そのなかの二つがとても大きく立派でゴロンという趣きで自己主張していた。わが家の白菜漬けがそろそろなくなりかけているので思わずその一つをバスケットに入れた。妻は安い「ひとめぼれ」を買うと主張した。食事担当は私なのだが、買い物の時には妻は突然主婦に完全復帰するのだった。ここでは野菜をあれもこれもという感じになった。大きな段ボール箱をもらい、駐車場までカートを借りて運んだ。 仙台に入ればいつものように夕食用の弁当を買って家に帰るだけである。真冬の海岸ドライブという以前には考えもしなかったミニ旅行が突然始まり、当然のように突然終わった(そんな感じである)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.20
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最初に訪れた神割崎は石巻市北上町、立ち寄った道の駅大矢海岸は気仙沼市本吉町、偶然入った唐桑半島休憩地は気仙沼市唐桑町である。町村大合併が行われたが、宮城県で生まれて県外で暮らしたことのない身には、北上町、本吉町、唐桑町という旧町名が馴染みで、いちいち石巻市や気仙沼市を先に付けるのは煩わしい。かといって、気仙沼市、石巻市だけではどの辺やら皆目見当がつかない。 私は栗原郡瀬峰町で生まれたが、今は群が市に変わった。「栗原市で民家の火事で一人死亡」などとテレビのニュースが流れても、行ったこともない旧栗駒町だったり一迫町だったりすると遠い話に聞こえてしまう。まあ、故郷はずいぶんと遠くなってしまった、ということである。 唐桑半島にある巨釜半造は当然ながら唐桑町にある。駐車場に着くと大きな野良猫の出迎えである。駐車場の前には食堂のような建物があるが周りをトタン板でしっかりと囲んで人の出入りができないようになっている。かなり以前から閉鎖しているようで、周りにはそのほかの人家は見えない。このノラ君はどこで餌を調達すのか心配になったがそれほど痩せてもいない。空腹らしく熱心にねだるのだが、あいにく飲料水しか持っていない。家のカリカリを持ってくればよかったと思ったもののどうにもならない。人家の少ない寂しい場所の旅には必需品のようだ。 ここでも妻を駐車場に残して緩やかなけっこう長い階段道を下った。複雑な岩組の海岸に寄せる冬の波は、ときには大きな飛沫を噴き上げるので、しばらくは飛沫のタイミング狙いでカメラを構え続けた。また、高さ16mの大理石の石柱「折石」も撮ったが、このネーミングは1896年の大津波で先端が折れたことによると案内看板にあった。 巨釜からすぐ近くの半造の駐車場に行ったが、こちらはけっこう長い散策路を歩かねばならないようだったので写真は諦めた。ここには小さいが立派なレストハウスがあったのでコーヒーを頼んだ。海の景色が眺められるように窓際に高い椅子の席が用意されていたが、残念ながら二人の前には松の木の太い幹があるのだった。二人連れが同じようにコーヒーを飲んでいて、外にも二組ほどの観光客がいた。このレストハウスのコーヒーはとてもおいしいのだった。この二日の旅で何倍もコーヒーを飲んだが、ここのが一番だったと後で妻が強調していた。 コーヒータイムの休憩が入ったので、今日の最後のスポット「碁石岬」に向かうことにする。碁石岬は、県境を越えて岩手県に入り大船渡市末崎町にある。広い駐車場にレストハウスやインフォメーションの建物があり、道向かいには「世界の椿館」という施設がある。三陸復興国立公園の主要な場所らしく観光に力が入っているようだ。私(たち)は観光旅行だが興味は自然の方、自然の写真の方なので建物にはトイレ以外は入ることはなかったが………。 岬には遊歩道が巡らされていて、妻は林の中の遊歩道を歩きながら楽なところで海を覗き、私は岬の突端「碁石岬灯台」をまわり、碁石浜の見えるところまで下って写真を撮って引き返すというコースだった。 碁石岬に着いたのは午後3時半過ぎ、冬の日の傾くのは早く、岬の突端あたりからカメラの興味は傾いた太陽ということになった。とくに碁石浜の海に映える午後の日差しをどう撮るか、ああでもない、こうでもない、とけっこう遊べるのだった。 妻もそこそこ遊歩道や景色を楽しんだらしい。少し安心して、今日の宿泊先「大船渡温泉」に向かうことにする。大船渡温泉は大船渡湾に面しており、妻は温泉を、私は大船渡湾の夜明けをカメラ抱えて待ち構えるのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.18
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一月一日が誕生日の私は、2026年元旦をもって満80歳になった。妻は3カ月後に80歳になる。二人分を合わせて、子供たちが傘寿の祝いをしてくれた。その時、二人とも小遣いまでもらった。それを使ってどこかへ行こう、ということになった。 昨夏の百日咳で消耗した体力の回復に手間取ったこともあって、秋には日帰りのミニ旅行をなんとか2回こなしただけだった。体力もほとんど戻ったのだが、真冬ということでまったく考えていなかったが、カメラ心が疼いたのである。 昨秋に実現できなかったミニ旅行の一つの案に、三陸沿岸を北上しながら宮城、岩手、青森のリアス式海岸の写真を撮る、というのがあった。写真のことしか考えていないということや、三陸の観光地はたいてい崖を降りるとか階段で海辺まで行くという案内があって、足の弱った妻向きでないのが問題だった。 そこで、海べりのスポットには立ち寄るが妻の好きな温泉のあるホテル泊まりの1泊旅行にして、2日目は妻の好きな道の駅ショッピングをたっぷりと、ということで折り合いがついた。 初日の朝食も道の駅で摂ろうと出発したが、東北道から三陸道に入ると「むすび丸春日PA」に食事の看板があって、松屋が営業していてそれぞれラーメンと蕎麦で朝食とした。それでも朝食を予定していた道の駅「上品の里」に寄って帰り道での買い物の下調べをした。 この道の駅を出れば、あとは最初のスポット「神割崎」へ向かうだけである。途中、北上川の川岸を走るとあちこちに川面に白鳥が群れている。川幅が広くて白鳥までの距離が遠くて、点々と白いものが見える風景を撮るならまだしも、白鳥を撮るには持参の400㎜望遠でも無理である。「あんなに白鳥がいるよ!」などと妻と語り合いながらひたすらに道を急ぐのである。 シーズンオフそのものなので当然のように神割崎の広い駐車場には1台も止まっていなかったが、神割崎へ下る道の入り口近くにトイレがあってその前に1台駐車していた。もう2台ほどスペースがあったのでそこに駐車した(その車はすぐに若い人が戻ってきて出て行ってしまったが)。 妻を車に残して坂道を神割崎の前まで下った。大岩が真っ二つに割れていて、その隙間から太平洋の水平線が見え、岩の割れ目から波が押し寄せてくる。岩の隙間の幅に応じて波頭が高くなり、隙間を過ぎるとどーっと広がる様子などを写した。個人的な好みで言えば割れた岩よりも回りの岩礁の景色の方が気に入ったのだが………。 神割崎の写真を撮っているとき男性(たぶん40歳くらい)が下りてきて、景色を一眺めして帰っていった。私が車に戻ると駐車場から出てきた車の中から笑顔で会釈してどこかに走っていった。回りをぶらぶらしていると言った妻は車でスマホをいじっていた。次は唐桑半島の巨釜半造の行くことを告げて車を出した。 再び三陸道に乗ってしばらく走ったら「道の駅 大谷海岸」の看板があった。昼を回っていたのでそこで昼食を摂ろうということに予定を変更した。ここでの昼食は二人一致して「石鍋牡蠣うどん」ということになった。中太うどんの鍋焼き風に二人とも大満足だった(このおいしさがずっと後を引くことになるのだが……)。 大矢海岸から三陸道を気仙沼市の唐桑半島にある巨釜半造に向かう。巨釜と半造はちょっとだけ離れているらしくナビでは最初に巨釜に向かうことにした。海沿いの道を走っていると海側にPの看板があったので入ってみた。その駐車場から階段を下ると小さな漁港があった。なんという漁港かわからなかったが、あとで地図を見ると「唐桑半島休憩地」という名前で出ているところらしい。 小さな漁港で漁船や漁具の写真を撮ってみたいと思っていたが、そういう場所はほとんどないのだった。東日本大震災の後、人の住む海岸縁には高い防潮堤が築かれていて、地図に不案内な旅人が走っている車の中からそんな漁港を見つけるのは難しいのだった。偶然ながら唐桑半島休憩地に立ち寄って数枚の写真を撮れたのはとてもラッキーに思えたのだった さて、今度こそ巨釜半造に向かうのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.16
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荒町の昌伝庵と泰心院へ行き、次には仙台東照宮と、寺と神社へのカメラ散歩が続いて、その流れで陸奥国分寺薬師堂へ行くことにした。その足で新寺小路の松音寺も廻ろうと考えた。どちらもかなり以前に犬連れの街歩きで行ったことがあって、きちんと写真を撮っておきたいと思ったのである。それに、どちらも乗り換えなしで行ける地下鉄沿線の隣り合った駅の近くにあって数時間で回るのは便利だということもあった。 陸奥国分寺薬師堂は文字通りの地下鉄「薬師堂」駅から直ぐに参道に出られる。陸奥国分寺は奈良時代、聖武天皇の詔で全国に創建された国分寺の一つで、地上の建物は失われて遺跡として残っている。伊達政宗がその講堂跡に薬師堂を建て、その西隣に伊達藩7代宗村が准胝観音堂を建立して今に至っている。 長い参道の仁王門をくぐれば正面は薬師堂、右手に鐘楼がある。広い寺庭には大きな桜の木が何本もあり、春にもう一度来られたらと思った。冬のカメラ散歩は他の季節のためのロケ地探索でもある。 薬師堂の西隣にある准胝観音堂は、周囲の石碑、石仏が印象的だった記憶がある。石仏が多いが、中には松尾芭蕉などの立派な句碑などもある。同じような姿の観音像を刻んだ小さな石仏に目を魅かれたが、何という仏様か判然としない。右手に蓮華を持っている勢至菩薩を見たような記憶があるのでそれかもしれないなどと考えたのだが、ここは准胝観音堂なので石仏は准胝観音と考えるのが妥当だと気づいた(家に帰って調べてみたら、准胝観音の十八臂とも言われている腕を省いた形のようである)。 薬師堂駅から一駅の「連坊小路」駅に移動し、松音寺までスマホナビを片手に歩いた。以前の街歩きのとき、道路から見る山門までの道の雰囲気がとても感じが良かった寺である。犬連れの散歩なので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだったが、ずっと心に残っていたのである。 寺内には誰もいなかったが、山門の写真を撮っていると、女性が一人入ってきて本堂でお参りをしていた。その本堂の横には鐘楼があり、その下をくぐって道を渡ると墓地があった。また、山門の横に大きな岩があり、そのてっぺんに小さな木が芽生えていた。大きく育つのは難しいかもしれないができるだけ長くそこにへばりついて生き抜いてほしい、などと思いながらシャッターを押した。 スマホの地図を見ると、松音寺の近くに栽松院という寺があったので行ってみることにした。山門には「千躰観音」と書かれた大きな提灯が下げられていた。山門をくぐると樫の木が斜めに参道の上に伸びていて、その枝葉に注意せよという案内があった。伊達政宗が目印にした白樫の木だという。本堂の脇に千躰観音を納めたお堂があり、その近くに桜が咲いていた。四季咲きの変異種だという。仙台の1月では早いと思われる梅も咲いていた。松音寺ではロウバイの花も見ていて、仙台の春も近いと思わされた寺廻りになった。 栽松院から地下鉄「五橋」駅まで歩いていく途中で妻に「急いで帰って昼食を用意する」と電話したら、「無理しないで外で食べておいで」ということになった。すぐそばの店でラーメンを食べたが、このごろは、外で食べるラーメンはどこでもおいしいと思うようになったのがいい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.14
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筋トレ散歩を1月16日に再開して19日にも出かけることができた。何とか普通にこなせることを確認したので、家族それぞれの都合を勘案してこれから差し当たって春4月までは月曜に筋トレ散歩、金曜に長いカメラ散歩をやろうと計画した。 計画の初日は1月26日の月曜日だったが、夜のうちに少し雪が降っていた。それでも陽が射していたので9時ごろ家を出た。亀岡神社に着いて見上げれば、石段は真っ白に雪をかぶっている。これでは仙台城跡の日陰の道も雪は解けていないだろう。そう考えて筋トレ散歩は中断した。6年前、こんな日の筋トレ散歩で仙台城跡の下り坂で転んで左手首を骨折したことがある。かなり慎重に歩いていたのに転んでしまったので、歩かないことが最大の予防だと考えるようになっている。 慎重に判断したことは何も問題はないのだが、使わなくなった時間は退屈だろうし、体力維持も必要だろうと考えて、とにかくカメラを持って平地だけでも歩こうと考えた。カメラに400㎜望遠レンズを装着して、近所の平地(坂道はタブー)を歩き回って鳥を写そうと思ったのである。「筋トレ散歩」変じて「鳥撮り散歩」である。 広瀬川の堤防に出て岸を下りながら水辺でハクセキレイ、セグロセキレイ、オナガガモ、マガモを撮った。これまでは一眼レフ3000㎜相当の望遠を誇るニコンのP1000というカメラで撮っていた鳥たちだが、ニコンのミラーレスZ8に装着した28-400㎜の望遠ズームでとても良く撮れるのだった。鳥との距離にもよるが、あの重いP1000はもう少し離れた鳥用にと使い分けることができそうだ。 500mほど下ったところから引き返し、上流の河川敷公園まで歩いた。堤防や公園ではジョウビタキ(雄)、ヒヨドリ、キジバト、アオジ、カケス、ツグミなどを撮ることができた。アオジは初めて撮る鳥だったが、後ろ姿だけを見せて飛び去ってしまった。また、昨年はジョウビタキの雌しか写せなかったが、今年はなぜか雄ばかりを見かけている。 鳥撮りとしてはとてもいい散歩になったので、次の日(27日)にも同じコースを歩いた。その時写した鳥たちもほとんど同じメンバーだったので、写真は日付で区別していない。 鳥撮りは日によってはまったく鳥に出合えないこともあって、計画や予定を立てにくい。何も考えず、暇なときにふらりと出かけるのがいいのかもしれない。張り切って出かけた日に限って鳥がいない、そんな経験の記憶が多いのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.09
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私のカメラ散歩は、朝昼晩の3食の食事の用意に間に合うように2、3時間で戻ってこられる場所に限られる。早朝や夕暮れにも出かけることがあるが、やはりその条件は変わらない。先日は何とか昔歩いた荒町の商店街を思い出して行ってみたのだが、3つの寺を見ただけだった。ただ漫然と歩いてもカメラ心をくすぐる何かが見つかるような気がしないし、近場にめぼしい場所も見つからず困っている。 前回は寺廻だったので、今度は神社にしようとごくごく安易に仙台東照宮に行くことにした。徒歩では1時間ほど要する場所なので、地下鉄、JR仙山線と乗り継いで仙台駅から一駅の「東照宮駅」から散歩開始とすることにした。帰りは、東照宮から地下鉄北仙台駅まで歩くと散歩らしい距離になる。 仙台には60年以上住んでいるが東照宮には足を踏み入れたことはない。近くを何度も通ったことがあるし、愛犬がいたころには東照宮の周囲を回ったのだが、犬連れなので境内に入ることはなかった。 東照宮駅を出るとすぐに宮町通りに出る。仙台東照宮は仙台伊達藩2代藩主忠宗によって創建され、宮町はその時に由来する町である。宮町通りをまっすぐ北に進み大鳥居から長い緩やかな石段を上って随身門をくぐると拝殿前に出る。金曜日の午前10時過ぎ、ポツポツとだが参詣客が絶えない。 拝殿の後ろに本殿が控えているが、唐門と透塀に囲まれている。東照宮には金ぴかのイメージがあるが、中学3年の修学旅行で見た日光東照宮の記憶によるものだろう。とはいえ、実際に日光東照宮が金ぴかだったかどうかの記憶はないのである。 仙台東照宮は落ち着いた雰囲気の神社だが、本殿の建物には金張りの装飾があった。考えてみれば、寺や神社が金色に施されていることは普通にあることで東照宮に限ったことではない。 本殿を写し終えれば帰るだけなのだが、本殿の裏から外に出ることができた。妻は幼いころ近くに住んでいて「東照宮の裏山で遊んだ」と言っているが、もう裏山はすべて住宅街になっている。裏の道は、愛犬と歩いた道でもある。イオという名の犬のことを思い出して切ない気持ちで道を急いだ。 東照宮の周りを半周するように坂道を降りるとJR仙山線の踏切に出る。ちょうど電車が通りかかったので「撮り鉄」でもないのにシャッターを押した。「撮り鉄」さんのようにひたすら追いかける被写体というものが私にはない。というよりいろんな対象を撮ってみたいのである。高齢ながら初心者なのでまだまだ執着するようなものが見つからないということだ。 踏切を過ぎて線路の上の空を見上げたら、あっと思ってカメラを向けた。たぶんこの空の色が今日の散歩で「カメラ心」をいちばんくすぐった被写体だったかもしれない。 北仙台駅の近くの歩道橋からまっすぐ西に向かう道も撮った。この道の先、低い丘陵の山裾にわが家がある。イオと歩き回った日々のことが重なって少しばかり感傷的な気分で地下鉄北仙台駅の階段を下りたのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.08
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平地を歩くカメラ散歩はシャッターを押すたびに休憩が入るので何の問題もなくこなしているが、衰えた脚力を回復するにはそれほど効果がないのではないか、そんな不安がある。少し気が急いて春まで待たず筋トレ散歩に出ようと思った。 亀岡神社の石段の上り下りと仙台城跡天守台までの坂道の上り下りというコースは十年以上も続けたコースで、カメラを持って出かけたことも何度となくあった。今さらカメラでもないかと思ったが、途中棄権がありそうなしばらくぶりの再開なので、その時にはカメラ散歩でぶらぶら歩けるようにカメラを持って家を出た。 いつもの筋トレ散歩よりはゆっくり家を出たが、外は真っ暗である。神社の石段を半分ほど上って振り返ると、各部屋に灯りのともる高層住宅の向こう、東の空が明るみ始めた。小雨がぱらついているが、東から南の方の空は晴れあがっているようだ。石段は2度ほど息継ぎ休憩を入れて何とかのぼりおりを完了した。 青葉城跡に向かう途中、南の空に細い月が浮かんでいる。もしかしたら大手門跡の脇櫓と月を一緒に写せるかもしれないと考えたが、脇櫓の背後は仙台城跡になっていて月は城跡よりも低くてまったく見えないのだった。 天守台までの坂道をゆっくり大股で上がっていったが、8割ほど登ったあたりで諦めて引きかえし、三の丸跡(仙台市博物館)への道を下った。博物館庭の東の土手から眺めると、まだ太陽は顔を出していなくて、朝焼けの優しいグラデーションが美しかった。真っ赤な派手な朝焼けは苦手だが、こういうのはとてもいい。 博物館の庭を抜けると、五色沼の水面に二の丸跡の白塀が反射して逆さに移っている。数えきれないほど歩いた道だが、こんな写真を撮ったのは初めてである。これでもうひたすら帰うるだけと歩き始めると、樹々の間、仙台市街の向こうに太陽が姿を現した。輝く太陽そのままでも良かったが、太陽の丸さを写したくていろいろと撮影条件を変えて撮ってみた。 筋トレ散歩再開は8、9割でとん挫したが、まずは石段登りができたことで満足することにした。期待していなかったカメラの方は、数が少ないが結構気に入った写真が撮れた。日の出・朝焼けの写真は何度も撮ったが、今日の日の出は昨日の日の出とは違うのだ、そんな当たり前のことをあらためて気づいたのもラッキーだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.03
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体調不良とそれが引き起こしたらしい気持ちの不調とで「筋トレ散歩」は休んでいた。それでも筋肉の衰えが怖くてできるだけ歩こうとカメラ散歩には出かけたいとずっと考えている。平地でシャッターチャンスに促されて歩くと比較的楽に歩けるのである。とはいえ、歩いていける散歩コースはほとんどなくなった。一昨日のように雪が降ったことで近所でも楽しいカメラ散歩ができたのだが、そんな偶然は期待できない。 地下鉄やバスで出かけられて、朝夕晩の食事の用意に支障がないように数時間で戻って来られる場所を考えてみるが、カメラ心をくすぐる場所が思い当たらない。なんとか思いついたのは「荒町」である。ずいぶん前に仙台七夕の時期に荒町商店街の七夕を見に行って、素朴な七夕を飾る雰囲気のいい街だったことを思い出したのである。 地下鉄を乗り換え南北線「五橋」駅から荒町の通りに入る。街の雰囲気はむかし歩いた時とは様変わりしていて、ポツポツと店はあるものの商店街というイメージはかなり薄くなっていた。シャッターを押したいと思う場所が見つからない。地図を見るといくつか寺や神社がある。前に歩いたときは愛犬連れの街歩きだったので、山門や鳥居をくぐって入ることはしないようにしていた。今日はカメラだけの連れなので一番近い「奕葉山昌傳庵」という曹洞宗の寺に入ってみることにした。 山門の前には禅宗の寺らしく「不用葷酒入山門」という石碑がある。ところが山門の柱に掛かっている文言は「いろは歌」の後半部分だったことが分かって少し驚いた。「有為のおく山けふこえて」と右の柱にあり、左の柱には「浅き夢みし酔ひもせず」とある。寺の山門にこのような文言を掲げるということが普通にあることなのかどうか私にはまったく知識がないのだが、こうやって寺の入り口で読むと、意味不明と言われているいろは歌に深淵な人生の意味が隠されているように思えるのだ。 この山は、越えていく(乗り切る)ことが人生にとって大切な意味がある「有為のおく山」なのだ。その山を今日は越えることができ、日ごろの夢がかなったが、決してその成功に酔うことはない。そんな風に人生を生きなさい。そういうことではないのか、などと考えた。 山門をくぐって本堂の前に行くと、階段に鬼瓦や蓮華鉢、「山上に山あり山また山」という東北大学医学部教授だった黒川利雄さんの座右の銘を彫った石板などが置かれていた(飾っていたのかもしれない)。本堂の上には死んだ者に花を供えることに意味を説く言葉が掲げられていた。小さなお寺さんだが何かとても新鮮なのだった。 次に向かったのは満福寺にある毘沙門堂である。寛永年間に立てられたという唐門の奥に毘沙門堂があり、さらにその奥に満福寺の本堂がある。毘沙門堂には3組ほどの参詣者がいた。奥の本堂前の庭には蕾の膨らんだ植木があり、冬真っ最中の仙台ではとても魅かれる被写体だった。毘沙門堂の前には松の大木があり、毘沙門堂のカラフルな幕との取り合わせをカメラに収めた。 荒町の通りから細い路地に入ってぐるぐる回ってみたがめぼしい被写体を見つけられずまた荒町の通りに向かうと道向こうに寺の山門が見えた。泰心院である。山門に近づくと年数を経た柱の表情に驚いた。この山門は、200年以上も前に建てられた仙台藩の藩校「養賢堂」の正門を移設したものだという。確かに柱の飾り彫りを見てもとくに仏教に由来するような彫りは見られなかった。 三つの寺を見終えると荒町を通りすぎてしまった。今日は南北線五橋駅から東西線連坊駅まで歩く予定だった。連坊駅近くまで歩いてもシャッターチャンスはなかった。お寺周りだけではカメラ散歩としてはいくぶん不満で、もう一度五橋駅まで引き返しながら荒町を丁寧に歩くことにした。シャッターチャンスに恵まれなくても、せめて鍛錬不足の脚には役に立つだろうと考えたのだ。 予想通り、シャッターを押すことなく五橋駅に着いてしまった。まあ、おとなしく帰るしかない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.02
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暮れから正月にかけて疲れ切ってしまうのはここ数年の習いのようになっている。その疲れがようやく収まりかけた12日の朝、夜の間に降った雪で外が真っ白になっている。慌てて雪掻きに飛び出したが、5㎝も積もっていなくて雪掻きというよりただ雪面に箒の跡を残すだけの作業をした。 朝から晴れあがっているのに気温が低いので、浅い雪も解ける気配がない。ゆっくり朝食をとってからカメラを持って家を出た。じつのところ、雪が降るのを待っていたのである。ちょっと雪は少ないが、雪景色は雪景色だろうとちょっとばかり気負いこんでいた。 いつも歩いていてもうカメラを向けるものもなくなってしまったような道が、ちょっとの雪でそれなりに新鮮に見える。青葉山公園に向かう途中の案内看板にも始めてカメラを向けた。雪をかぶったベンチは、サイモン&ガーファンクルの「ブックエンドのテーマ」のイメージが強く、老人にはたまらなく切なく迫ってくる。もっとも、この国には街中の広場のベンチというのはほとんどないが………。 地面は雪で白く、青空を背景にする木々だってほれぼれするほど美しく思える。その木々の向こう、地下鉄の車両が広瀬川を渡っていくのが見えて、どんどんカメラ散歩が楽しくなってくる。 広瀬川大橋の石灯籠には小さな氷柱(つらら)ができていて、その向こうに仙台城跡の大石垣の急斜面も雪で白くなっているのが見える。仙台城のお堀だった長沼沿いの桜の老木の向こうに朝陽が上がって、桜の幹に張り付いた雪を輝かせている。ときどき強く吹く西風で雪煙が舞い上がる。 五色沼は水面の4分の1ほどが凍り、氷面には木々の影、水面には朝陽が写り込んでいる。ときおりの風で水面にさざ波が立つと、映り込んだ太陽の表情が変わる。 大手門後までの坂道を上がり、二の丸跡の大きな木々に間の狭い「三太郎の小径」に入ると木々の写真を撮っていた女性とすれ違った。その女性は私の前に小径に入って引き返してきたらしく、途中から誰も通った跡がない雪道になった。誰も通っていない雪道を歩くのは子供のころから嬉しくて、こんな年になっても同じ気分になるのが妙な感じがする。 そろそろカメラを終わりにしようかと思ったころに歩道の植え込みに山茶花が咲いているのを見つけた。赤い花に白い雪である。花の位置が高くていいアングルで撮るのに苦労したが、何枚か撮ることができた。 山茶花の脇を通り過ぎる人を花の背景に入れようと少し無理な姿勢でシャッターを切って、今日のカメ ラ散歩は終わった。 雪の少ない仙台でももう何回かチャンスはあるだろうと期待するが、春に近づけば近づくほどあっという間に雪が消えるのが心配になっている。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.01
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夕暮れから夜に入る時間帯のカメラ散歩が面白かったし自分なりに気に入った写真が撮れたので、次は朝の暗い時間に、と考えた。ただ、私の散歩はほとんど早朝なので朝日の昇る時間帯がカメラ散歩だったのは何度もあった。ということで、夜明けではなく夜明け前、どんな店も閉まっていて街には一番人が少ない真っ暗な時間帯に歩いてみようと考えた。陽が昇り始めたらおしまいのカメラ散歩ということにした。その時間帯なら、家族が起き出す前に帰ってきて、暮れの仕事にも影響はないだろうと考えた。 5時30分ころ家を出て、5時44分に最初のシャッターを押した。見慣れた交差点でも新鮮に感じるのが不思議だ。大通り(青葉通り)を仙台駅に向かって歩く。葉を振るい落としたケヤキが大きなマンションの壁面を背にして、影絵のような立ち姿を見せている。車が通らないのでビルのガラスがありったけの街の光を映し出している。その前を歩いて行く人がいて、コンビニに入って行った。そうなんだ、コンビニは24時間営業なんだ、とそんなつまらない再確認をする。 文化横丁、いろは横丁という飲食店の多い路地を覗いてみたが、当然のように人っ子一人いない。一番町近くのショーウィンドウには等身大のマネキンが飾られていて、暗い街に映画のスクリーンのように目立っていた。さすがにこの辺には朝帰りらしいグループがいる(まだ朝になっていないが)。 駅近くに「仙台銀座」という飲み屋の連なる路地があったはずなので覗いてみたが、飲み屋の数はだいぶ減ったように思う(もっとも30年近く前と比べるのは無理があるが)。どことなく暗く寂しいその路地をり抜けて「仙台朝市」の路地に出ると、魚屋さんが荷下ろししていたり、開店の準備にかかっていた。 暮れの今日(29日)はこの路地が正月の買い物客ですれ違うのもむずかしいほどごった返すのである。少なくとも4年前まではそうだった。私たち夫婦も以前はここで正月用の買い物をしていた。私が登山用のザックを背負い、妻が買った品を後ろからザックに詰め込みながら雑踏を通り抜けていたのである。この戦いのような買い物から撤退して3年目である。老兵には無理だと判断した。 朝市を抜けて駅前通りに出ると東の空が白みだした。半地下通路でJR線をくぐって仙台駅の東口に出る。陽が昇る前にカメラ散歩を終わりにする。仙台駅の2階の自由通路に植えられている木の冬姿を写して最後にした。 帰りは動き始めた地下鉄に乗ってあっという間である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.31
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ブログの題を決めて本文を書きだそうとして、このタイトルのイメージに愕然とした。まるで人生の黄昏どきとなった老人が(認知症を患って)徘徊を繰り返している事態のブログのようだ。それを全面的に否定する自信がなくて、まんざら当たっていなくもないと思ってしまう自分にまた愕然とするのである。 タイトルの意味は、先日の夕暮れのカメラ散歩が楽しかったのでその思いをもう一度と一週間後にふたたび夕方のカメラ散歩に出かけたというだけのことである。たしかにあっちにフラフラ、こっちにフラフラしながらの散歩なので徘徊と言えば徘徊なのである。なんかこんなふうに言い訳しているとどんどん深みにはまって戻れなくなりそうなのがいくぶんつらい。 とにかく、12月26日夕暮れ、青葉区の本町近辺のカメラ散歩に出かけたのである。この辺は繁華街に近く、坂道があり、変形6差路などもあって、カメラ向きではないかと期待したのである。 広瀬通りからビルの間の抜け道を通って本町の中心部に入っていく。この辺はかつてたくさんの家具屋が並んでいて、結婚したばかりのときと家を建て直したときに何度も足を運んで家具を選んだところである。「家具の街」と呼ばれていたが、今は私の知る限り1軒しか残っていない。今は大きな予備校などがあって、若い学生さんが大勢歩いているところでもある。 レストランやカフェなどもあるが、飲食店街とは違う落ち着いた雰囲気の店が多い。夕暮れが進んで暗さが増していくと、そんな店から漏れる灯が意味ありげに見える。暗さとともに家路を急ぐ人たちが目立つようになる。乳母車を押して坂道を急ぐ若いお母さん、仕事帰りらしい二人連れ、三人連れ。そういう人物にピントを合わせてシャッターチャンスを狙うのだが、人物を撮るのはいろんな意味で難しい。 法で定められているのかどうか定かではないが、新しいビルの前には植込みのスペースが作られていて、丈の低い茂みの中に灯がともっていたり、木立を透かして見える窓の中の灯りも魅力的だったが、ピント合わせが難しい。 黄昏どきが「ゴールデンアワー」でも、その時間はあっという間に終わる。本町を出て自宅への帰り道、一番町、稲荷小路、国分町と繁華街(飲食店街)を抜ける。飲み屋が並んでいるはずの小さな路地で1軒だけが活気にあふれた店先を見せているだけで他の店の灯は消えていた。古くからある路地のひとつである。 時代はどんどん変わり、私は老いる。徘徊老人にはならないように頑張ろう。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.26
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もう傘寿の年だが、私にもまだ仕事がある。県の委員会の委員を25年ほど続けていて、ここ13年ほどは会長職にある。閑職には違いないが、当然ながら仕事に行くことがある。午後からの会議がほとんどなので、冬のこの時期は帰りが夕暮れ時になる。 12月19日のカメラ散歩で夕暮れ時の写真はとても楽しくシャッターを押しつ続けることができ、それに味を占めてバッグにカメラを突っ込んで会議に出た(この仕事にカメラを持って行ったのは初めてである)。 会議が終わったのはいつもより早い3時半ころで夕暮れにはまだ早い。蕎麦屋で鍋焼きうどんを食べて時間を過ごしたので、少し夕暮れめいてきた。それでも写真に写る空は昼とほとんど同じにしか見えない。いろいろ撮影条件の設定を変えれば夕暮れ風にすることもできるだろうが、あまり人工的な写真にはいくぶん逡巡するところがある。少しずつ細かなカメラ操作も覚えつつあるが、使いたくない設定もあるのだ。 帰り道には国分町とか稲荷小路とかの飲食店街(つまり飲み屋街)を選んで歩いてみた。ビルの間の空は西の下の方がわずかに色づき始めた程度で、南はふつうの青空である。 店先にはクリスマスらしい飾りつけがあったりするが、夕暮れと言えどもはやはりまだ時間が早くて飲み屋街らしい雰囲気はそれほどない。狭い路地で小さな店の明るい光がよく目立っている。今は(というよりかなり以前から)外飲みをほとんどしないので惹きつけられそうな店構えでも、シャッターを押してそのまま通り過ぎるだけである。そんな店にふらっと入っていく若いときのおのれの姿を想像するだけで気分を味わうのである。ゆふぐれの微光ただよふ美しき町すぢは往くに誰にも肖(に)たくなし 佐々木幸綱『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)(p. 528) 仙台市街中心部から西に向かう帰路は、あっという間に広瀬川に架かる仲の瀬橋を渡ることになる。ちょうど仙台市営地下鉄東西線の電車が地上に出て広瀬川を渡っていて、電車の窓明かりに惹かれて写真を撮った。私はカメラ好きだが決して「撮り鉄」ではない。それでも目の前を電車が走っていればシャッターを押してしまう。ちょっと子供の心理っぽい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.24
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12月19日の投稿以来、ブログ投稿をずっとさぼっていた。カメラ散歩に行ったことなどの終活の記録をできるだけに書き記しておこうと決めていたのだが、まったくブログを書く気になれなかった。だいぶ気分が落ち込んでいたように思う。やる気が起きなかった。12月19日の投稿では「筋トレ散歩は春までのんびりやる」などと言い訳めいたことを書いていた。そこでは12月8日、10日のカメラ散歩で街に出たことも書いてはいたが………。 じつは、それ以降も12月19日、22日、26日、29日、翌1月12日、14日とカメラ散歩に出かけている。1月26日にはしばらくぶりで筋トレ散歩を再開した。もっとも、足に自信がなかったのでカメラ持参でただのカメラ散歩になってもいいようにしていた。完ぺきではなかったがそれなりの筋トレにはなって気をよくして、1月19日にも筋トレ散歩に行った。 つまり、少しずつやる気が出てきたのである。筋トレ散歩を再開できたことでだいぶ気分が上がったようだ。それで書くべきだったブログを一つずつ片付けていくことにした。今日は、12月19日に大崎八幡宮近くの坂道の多い住宅街を夕暮れから夜が始まるまでの時間に歩いてみた、そのことを書いておく。 「おさんどん」を引き受けている身なので、陽が落ちるのが早いこの時期なら台所仕事に間に合うように帰って来られるのである。小旅行に出かけたときは、台所仕事がないので夕暮れ時はほんとうに楽しいカメラ時間だった。そのことを思い出してずっと思っていたのが実現したということである。 家を出てすぐ、雲一つない夕空を短い飛行機雲をひきながら飛行機が飛んでいて、それが最初の一枚となった。八幡町の大通りを行くと個人宅の庭先に石灯籠があって、街灯の光を受けてとても雰囲気がいい。何度も通っている道なのに知らないでいた。その気になって歩かなければ目を開いていても何も見えないということこんなところでも教えられる。 大通りから逸れて坂道のある細道を住宅街に入ってみる。石垣の上から垂れ下がる枯れ薄の穂が街灯の光で輝いていたりする。立派な門構えのお宅の門灯が照らす庭木の枝ぶりに見いることもあった。原付バイクで細道の坂を大通りに向かって急いでいる様子も意味ありげである。 途中、自転車を押して坂道を上る人、坂の上で待っている人、大きな犬を散歩させている人。そのそばを終業式の日の荷物をいっぱい抱えて通り過ぎる小学生、手をつないで夜道を帰る親子連れ、それぞれとてもいい被写体に見えた。狭い住宅街をサイレンを鳴らして走り抜ける救急車の光が住宅を明るく照らしているのも撮れた。 夕暮れには、へたくそなカメラマンもいい写真が撮れたような気分にひたれるのである。いい時間だ。カメラマンは、これを「ゴールデンアワー」と呼ぶらしい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.22
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筋トレ散歩は無理というより、ちょっと筋トレをやろうという気にならない。これはただの言い訳だが、脚力の恢復はゆっくりでいいと考えている。もう冬に入ったので、春の山歩きに間に合うようにやればいいだろうとのんびり構えている。 12月5日に続いて8日、10日とカメラ散歩で街に出た。街角のちょっとしたもののスナップ写真を撮ろうというのは5日のときと同じである。それでもまだ街の中にも秋の気配は残っていて、かろうじて残っている紅葉(黄葉)の木もあった。 とはいえ、木々の多くは葉を振り落とし、残っているものはすっかり枯葉色のなっているのだった。実だけが残った柿の木が小さな紅葉もみじを従えている姿や市の駐車場の壁面一杯に広がっている蔦の葉の複雑な枯葉色が印象的だった。 街を歩けばポツポツと被写体になりそうなものが見つかる。私の興味を引く街角スナップの対象は、たいてい小さな店の前にあるのだった。たいていは店の装飾の一部だったりするが、配達用のバイクや自転車、玄関わきの鉢植えなどにも面白いものが多い。 街角のカメラ散歩も歩いて行ける範囲は限られている。仙台の輪王寺庭園と山形市のもみじ公園はカメラ散歩としては絶好の場所だったので、近く(宮城県内)の庭園を探したところ車で1時間ほどのところに「齋藤氏庭園」があることを知った。妻も行きたいということで12月16日のミニ旅行(道の駅と日帰り温泉も組み込んだ)を計画した。 ところがミニ旅行の二日前、仙台市の朝は慌てて雪掻きをするほどの雪降りだった。それほど寒くないせいかとても重い雪でまだ5cmmほどの積雪でもそこそこ疲れる雪掻きになった。 降る雪を眺めながら、「齋藤氏庭園」へのミニ旅行は春まで延期ということに妻と意見が一致した。脚力つくりのカメラ散歩計画はあらためて考えることにして、年末仕事をこなそうとミニ旅行が「障子張り」に変更になった。たしか5年ほど前にも障子張りをしたのだが、慣れない姿勢の仕事でこてこてに疲れたことを思い出して去年やるべき仕事をさぼっていたのだ。そのときのいくつかの小さな破れを家の猫(3匹の内、若い2匹)が面白がって見るも無残な大きな破れに広げてしまった。さぼる口実が完全に潰えたのだった。 障子張りが終われば、年賀状の準備である。私は来年の1月1日(この日が誕生日)で満80歳になる。これを区切りで年賀状での新年の挨拶は終わりにしようと考え、そのような文面を作った。妻は来年以降も出すというので、昨年同様の家猫の写真入りの文面を用意した。親戚には従来通り私と妻の連名で出すということで、3種類の年賀状を準備した。 私の友人、知人たちへの年賀状は今回で終わるが、季節の挨拶など折々の便りは出そうと思っていて、その旨も今回の年賀状に書いた。今も何人かの友人には私が撮った写真の絵葉書をときどき送っている。便りばかりではなく自分の写真を見てもらいたいという気分も強い。つまり、年賀状はやめるが折々の便りと写真自慢を友人、知人全体に拡大できることにしたのである。パソコンで一挙に仕上げるこれまでの年賀状よりははるかに労働量は増える。しかし、幼馴染、大学時代の友人、大学勤務中の先輩・同僚・教え子、遊び(釣り)仲間などそれぞれにふさわしい絵葉書と作ろうと思っている。これが80歳を区切りとした新しい終活である。 もうひとつの終活は、10歳ぐらいから読み始めた「詩」の読み返しである。私は文学の中では詩がとくに好きなのである。好きな詩人も多いし、感動した作品もたくさんある(あった)。古い詩集を読み返して、80歳の今でも感動が続いていたら改めてその詩を抜き出しておこうという作業である。こちらは思い立ってすぐに始めたので、15冊ほどの詩集は読み終えた。家にある詩集が終われば、いずれ借りて読んだ図書館にも通わなければならない。そこそこの期間を費やするだろうと思う。 新しい二つの終活は、カメラなどと比べたらはるかに「終活」らしい。一つは、人生で出会った人々それぞれに「便り」を出そうというのだから、出会いそのものをきちんと振り返らざるを得ない。もう一つは、幼いころから感じてきたこと、考えてきたことのおさらいのような作業である。どちらも作業量が多くなりそうで、私の人生に間に合うかどうかわからない。人生の終わりまで終わらなかった「終活」はどう評価されるのか。これは私がどう考えても答えは出せそうにない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.19
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体力回復の第一は脚力づくりだと思うのだが、神社の階段や天守台までの坂登りはまだやる気がしない。自信がないというより、不安が先に立つのである。鍛えるどころか身体を毀損するのではないかと不安なのである。カメラを持てばけっこう歩けるのでので、当面は平地の散歩で何とかしのぎたい。それにミニ旅行の行く先を見つけて動き回れば何とかなるのではないかと思っている。 さっそくカメラ散歩に出かけた。最近は紅葉と鳥ばかりだったので、街の写真を撮ろうと西公園経由で一番町、国分町あたりを歩くことにして家を出た。 西公園に入ると大きな木の紅葉はほぼ終わっていたが、陽が強く当たり始めた大木の下の小木の紅葉はまだ残っていた。この秋はだいぶ紅葉の写真を撮ったのだが、それでもやはり晴れやかな色に眼が向く。淡い色に色づく木が多いいのが私の好みにぴったりでシャッターの押し甲斐がある。この秋、たくさんの紅葉写真を見せてもらったが、全面に真っ赤が広がる写真には少し辟易するようになった。そういう派手な写真の方が人気のようだが、私としてはあまりそんなふうに撮る気にはならないのである。 西公園の彫刻(「牧神の午後」、バレーダンサー東勇作がモデル)と定禅寺通りの彫刻(「水浴の女」、クロチェッティ作)も撮ってみた。結果はさておき、彫刻を立体的に写すにはどうしたらいいか少しばかり試してみた。カメラ趣味とは畢竟そんな遊びなのである。 定禅寺通をまっすぐ一番町に向かい、仙台三越の地下にある大きな本屋に入ると、『茨木のり子全詩集(新編)』があったので購入した。私の本棚には茨木のり子の詩集としては『見えない配達夫』しかないので、ちょっと長年の宿題ができたような気がした。 三越を出て稲荷小路、国分町あたりを歩いた。今日は街の風景ではなく「町の細部」を撮ってみようと思っていた。「神は細部に宿る」というほどのことではないが、ごくごく個人的な香りのする小物が店の前に置かれたりしていて、そのものの陰にある人生が匂うことがる。そんな街角のスナップ写真が撮れればいいと高望みしているのである。 街角スナップと呼べそうな写真がそれなりに撮れた。おまけに「ビル街の秋」と呼んでもいいような写真も撮れた。カメラ散歩としてはまずまずである。総歩数は7500歩ほどで、こちらはもう少し頑張った方がよさそうである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.09
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東北高速道を村田ジャンクションから山形道に入る。道の周囲の景色はほぼ枯葉色である。積雪が始まってもおかしくはないどころか、昨日わが家も含めて仙台市街は真っ白になった。すぐに溶けてしまったこともあって、車で山形市に行くことに変更はなかったが………。 先日の岩出山・旧有備館庭園訪問は完全な失敗で、紅葉が完全に終わった鳴子峡へ行く先を変更してお茶を濁したが、悔しまぎれにそれでも「小旅行」を実行したことにしたものの不満は残った。 とはいえ、日帰り小旅行(ミニ旅行)なら下調べも準備もほとんど不要(そして費用の心配もない)なのでさっそく実行することにした。日帰りの距離から考えて候補はそれほどあるわけでもない。あっさりと山形市ということにしてネットを開いたら「もみじ公園」という観光スポットがいの一番に出てきた。もみじは期待できないだろうが、庭園なのでカメラ散歩に持ってこいである。 山形市内には循環バスがあっていくつかの観光スポットを便利に行き来できる。もみじ公園も循環バスの系統に入っているがここだけは中心部か少し離れて時間がかかる。駐車場もあるが狭いので「公共交通機関を利用するように」という案内である。モミジの紅葉真っ盛りの休日には近くの小学校校庭を臨時駐車場にするという情報もあるが、最盛期は過ぎたろうから駐車場の空きを期待できないわけでもない。そう都合よく思い込んで直接もみじ公園に向かった。 「池泉回遊式古庭園」のもみじ公園はもともとこの地にあった宝幢寺の庭園で、宝幢寺が廃寺になった後残った書院「清風荘」と庭園は山形市の所有になったということである。 駐車場は十分に空いていた。観光客で混みあっているどころか、園内にいるのは私たち二人と庭の手入れをしている一人の職員だけだった。紅葉は無理だろうと思ったが、それでも大木の下に生えている小さなモミジにはまだきれいな色が残っていた。 この庭園は、先日の輪王寺庭園を一回り小さくした規模でとても歩きやすい。池の風情もいいし、名残りの紅葉の色合いも淡いグラデーションのものが多く雰囲気がいい。池には2羽のカルガモ、錦鯉も群れていた。 望遠ズームで一回りしてから50㎜短焦点レンズに替えてもう一回りした。そのころには日も差していて、それもカメラには何よりだった。 庭園の写真は十分に撮ったので、市街中心部の3か所の観光スポットに移動することにした。中心部の時間外駐車場に車を入れて循環バスで回るのである。初めに「御殿堰」という観光施設に行った。藩政時代、農業用水、生活用水を供給するために城下に堀(堰)が張り巡らされていて、山形城のお堀にも給水していたので御殿堰と言うのだそうである。 ここはその堀を再現し、周囲に昔風の建物にお土産店や食事処が設けられている施設になっている。堀に沿ってしだれ柳が植えられていて、それなりにカメラ向きではあった。 次に向かったのは霞城公園(山形城跡)である。広い城跡の内、東大手門付近だけが観光向きになっている。この公園には山形の脱原発デモに参加する前に立ち寄ったことがある。東大手門の前にはお堀があり、それに沿って奥羽本線(山形新幹線)が走っていて、私たちが着いたときには普通電車が山形駅に向かって走っていた。 私たちが公園内でウロウロしていると、年配の男性が霞城のパンフレットを持て来ていろいろ説明してくれた。東大手門付近以外の史跡はほとんど埋まっていて、発掘作業の真っ最中ということだった。おまけに、次々と替わった山形城主と石高の表まで持ってきてくれた。それによれば徳川家康に戦功を認められた最上義光の時代は57万石で、その後はじり貧状態の2万石という時代もあったようだ。最上家は三代で移封されたが、公園の中央には最上義光を称揚する騎馬像があった(観光旅行なのに写真を撮り忘れた)。 最後に「山形まるごと舘 虹の蔵」という観光施設で遅い昼食をとり、お土産(地元の野菜)も仕入れた。「虹の蔵」は小旅行のときの道の駅と同じ役割を果たすことになって、ミニ旅行の形式はそれなりに整ったのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.07
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暑さが治まる秋には再開しようと計画していた2泊3日の小旅行は来春まで延期となった。2ヵ所ほど旅行先も決めて下調べもしていたのだが、8月に罹患した百日咳による体力消耗が不安だったことによる(資金も心細かったが)。 私自身は近場のカメラ散歩を楽しんでいたし、妻も映画やコンサートに出かけてはいたが、二人で出かけたのは片道25分の日帰り温泉だけだった。 天守閣自然公園や輪王寺庭園などでカメラ散歩を十分に楽しめたので、どこかいい庭園はないかと探していたとき、岩出山(大崎市)の旧有備館の庭園を思い出した。思い出したと言っても名前を知っているだけで行ったことはない。岩出山には「あ・ら・伊達な道の駅」という名前の道の駅があって、こちらは山登りの帰りに数回立ち寄ったことがある。 高速を使えば1時間で行ける距離だが、庭園と道の駅に行くことに妻は大賛成で、道の駅で昼食をとってから旧有備館庭園に行くことを考えて11時ころに家を出た。 「あ・ら・伊達な道の駅」はけっこう混みあっていたが、まずは地元野菜などをたっぷり買い込んで車に詰め込んだ。それからゆっくりと昼食を思ったのだが、けっこう待たされた。 午後1時半くらいに旧有備館に向かう。車の中で「観光スポットと道の駅の買い物、これに温泉が入ったら立派な小旅行だね」という話になった。「日帰りだけど小旅行ということにしよう」などと話しているうちに旧有備館の駐車場に着いた。案内看板がしっかりしていてスムーズに辿りつけたのである。 車を止めようと思ったら、目の前に「本日休館」の看板が出ていた。月曜休みの公的施設なのに火曜日休館ということが納得できなかったが、昨日の月曜日が勤労感謝の日の振り替え休日だということに気がついた。月曜定休の公的施設は火曜日が振り替え休日(月曜日)の振り替え休日なのだった。 日帰り旅行の主目的が消えてしまって「さあ、どうしよう?」ということになり、時間がある限りどっか探そうという妻の主張にしたがって、駐車場の車の中で二人ともスマホ操作である。探すというほどのこともなく、二人とも「鳴子峡にしよう!」ということになった。ここから車で40分くらいで行ける観光スポットである。 奥羽山地にむかって車を走らせていると山の赤みはどんどん減って行く。秋が終わりかけているのである。14時30分ころ鳴子峡レストハウスに着いた。広い駐車場には4台ほどの乗用車が止まっていた(観光客は15人くらい)。 深い鳴子峡の谷底から峰まですっかり冬枯れでもう雪を待つ準備ができたという風情である。せっかくなので谷底まで遊歩道を降りてみることにした(妻はレストハウスで待機である)。 谷底に降りる遊歩道にはゲートがあって16時には閉鎖するとあった。遊歩道をどれだけ歩けば底につき、急斜面をどれだけの速さで戻れるかわからないので、ちょっと不安になる。うねりながら絶壁に近い崖を降りるのでけっこう時間がかかるが、谷底に着いたらそこが終点だった。古い遊歩道跡が見えるが道は塞がれていた。 谷はすっかり冬枯れだが、もう少し立てば落葉樹が完全に葉を落とし、すっかりと谷の素顔が見られるようになるだろう。昔、山登りのとき土地の老人に山は冬に歩いて見ておけば道に迷わなくなると教えられたことを思い出した。 閉門の時間が気になって急いで周囲の写真を撮り、急ぎ足(本人はそのつもり)にかなり急激にブレーキがかかる斜面を登った。なんとか斜面を登り終える(16時までにはだいぶ間があった)と、退屈していたらしい妻が両手でストックをついて遊歩道を少し降りかけていた。戻ろうとしたがちょっとばかり降りた斜面を上がれず、腕を組んでぐいと引き上げてやった。 レストハウスに戻って妻はコーヒー、私はソフトクリームを頼んだ。観光客は若い女性7人ほどの団体客だけになっていた。彼女たちはタクシーを呼んで分乗して帰って行った。「さっきも中国人らしい人たちがタクシーで帰って行った」と妻が言う。そういえば私はタクシーを使って観光をしたことがない、などとつまらないことを思い出した。 主要な目的地には行けず、一日中曇り空というカメラ日和だったが、日帰り旅行と呼べば呼べないこともない、ということにして、妻にそう宣言した。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.01
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土曜日の午後、妻はパイプオルガンの演奏会に行くという。何度か行っている会場に地下鉄で行くので、送り迎えの必要はないという。それで、私もカメラを持って出かけることにした。昼食後、夕方のコンサートに行く妻を置いて先に家を出た。 2017年に死んだイオという犬と何度か歩き回ったことがある新寺小路に行くことにして地下鉄に乗った。先日の輪王寺でとても良い被写体にたくさん出会ったので、カメラ向きの寺があるのではないかという狙いである。 新寺小路には地名の通り、たくさんの寺がある。いわゆる寺町である。仙台には元寺小路という地名が残っているが、今では寺はほとんどなくなっている(私が知っているのは万願寺という寺だけである)。 新寺小路が東の寺町だとすれば、西の寺町は北七番丁から北山にかけての一帯であろう。先日の輪王寺は北山にあってその南や東には多くの寺がある。今日の寺参り(宗教心がないので妥当な言い方ではないが)がうまくいけば、西の寺町もこれからの候補地に入ることになろう。 地下鉄東西線「宮城野通」駅で降りて銀杏並木の東八番丁の大通りから左折して新寺小路緑道の西の入り口に向かう。 緑道を1ブロック分歩くと交差する道の右手に塀からあふれるようなモミジが紅葉しているのが見える。正楽寺である。北の裏門辺りには数人がカメラを持って出たり入ったりしている。私も急いでその門から中に入る。道路沿いの塀に沿って墓石、石塔が並んでいて、そのうえを広葉樹が覆っている。西に傾き始めた太陽の日が当たって輝く部分と翳っている部分がいい塩梅である。 墓石と紅葉と午後の斜光、私のカメラにどう写るかはさておいて、シチュエーションとしては申し分ない。ここは誰にとってもいい撮影場所らしく、何人かと競合することがあっても「どうぞ」「あっ、すいません」などとみんな機嫌よくシャッターを押している。きっと、私と同じようにいい場所を見つけたとワクワクしているに違いない。 北から寺に入ったので、南の本殿前から山門の方へ出る。山門でも数人がカメラを持って行ったり来たりしている。阿吽の金剛力士像などは置かれておらず、文字通り山門だけが建っていて、その「しのびやかな」たたずまいがとてもいい。そういう雰囲気をカメラで写し取れたらいいだろうとずいぶん考えたが、まずはシャッターを押すしかないと思い直すしかなかった。 シャッターを押しながら北口の方に移動し、最後に緑道向かいにある墓地から正楽寺を写して、次に移動することにした。 道1本を挟んで正楽寺の東に隣接する善導寺に入った。善導寺の前の歩道もいい雰囲気で、山門に向かって歩いていると「しぃーん」という音が聞こえてくるのではないかと思えるほどじつに静かである。山門をくぐると、夫婦らしい二人がいて男性がカメラを鐘楼に向けていた。二人はすぐに本堂横の石畳の細道を通って出て行かれた。 この寺には山門のほかにいくつか門があって、お互いが石畳の小径でつながりながら本堂前に出ることができる。樹々に覆われた石畳の道はどこか気品を感じさせる趣きがある。これもまた、私のカメラで写し取ることは難しい。 善導寺の写真を撮り終えて周囲の寺院を探してみたが、近くはどこか近代化の雰囲気が漂っている寺ばかりだったので、今日のカメラ散歩を終えることにした。時間はまだ早く、妻が行ったコンサートは始まったばかりの頃だろう。私の方は、4時頃には帰り着くので、ひと休みしてゆっくりと夕食の準備に取りかかれる。 帰り道、正楽寺の東門の前を通ったので、私を寺に誘い入れた塀越しの紅葉を写真に収めた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.24
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鳥撮り散歩は、昨日で連続の三度目となった。三脚をきちんと使えば私でもそれなりに遠くの鳥の写真が撮れることにすっかり有頂天になって、鳥撮りにのめり込みそうな自分がいる。しかし、冬が進めば今よりずっと水鳥は増えるし、木々の葉が落ちて林の中の鳥も撮りやすくなる。今よりずっと鳥撮りの機会が増えることになる。 それは問題だ、ということに気がついた。カメラを終活の趣味にすると決めたとき、(ごくごく大袈裟に言えば)私を囲繞する世界のすべてを撮ってみたいということだったはずなのである。鳥だけを撮るプロのカメラマンや趣味人もたくさんいるが、私の望みはそうではないのだ。いずれ、鳥撮りは必ずやるのだから、しばらくは別の被写体を探そうと考えたのである。 どこかの庭園などは、まるで写真用に誂えているかのようなことがあって苦労なく被写体を探せるだろうと考えて、候補に上がったのは輪王寺である。仙台市の共同墓地のすぐそばにある伊達政宗ゆかりの寺で良く見知っているのだが、庭園も含めてじっくりと見たことがなかった。車で数分くらいの近くには、市を上げて「青葉まつり」をやっている当の青葉神社がある。こちらも参道の大鳥居を見かけている程度なので併せていってみることにした。仙台生まれの妻も、私と似たような経験しかないので一緒に行く言い出して、9時半ころに家を出た。 輪王寺の本堂横の駐車場に着いた頃には小雨が降り出していた。珍しいことに駐車場には5台分ほどの駐車スペースの上に一台の観光バスが停まっていた。私たちが本堂の方に歩いていると中国人らしい人たちが三々五々バスの方へ戻ってくるのだった。外国からの観光客が仙台の輪王寺にも来るようになったらしい(もっともこれからは「高市リスク」の一環で中国からの観光客は激減するのかもしれないが………)。 本堂前付近の樹々の紅葉は小雨の中でもやはり美しい。被写体にはまったく困ることなくシャッターを押していると雨が少し強くなった。 しばらく四阿で雨宿りをしてから、庭園を見に行くことした。中央に大きな池があり周遊できるようになっていて、西の高台には三重塔が見える。きちんと整備された日本庭園で、雨の中で一生懸命写真を撮っているカメラマンがいた。彼のカメラの視界に入らないように気をつけて移動していたが、どうも彼も私のカメラを気にしながら移動しているようだった。 輪王寺庭園を一通り撮影し終わって庭園を出るころには雨が上がっているばかりではなく陽もさし始めている。先ほどたくさん写真を撮った本堂前もまるで雰囲気が変わったように輝いて見える。行きつ戻りつしながらシャッターを押して駐車場まで帰った。 青葉神社も長い階段の参道を避けて、細い急坂を本殿近くの駐車場まで上がった。そこで改めて気がついたのだが、神社の多くは本殿を囲む森と参道脇の樹々ばかりという構成になっていて、広い庭はあっても寺院のような庭園になっている例は少ないのではないか。青葉神社も本殿前には広いにはあるが、参道脇の広場という感じである。 妻を本殿近くに残して、参道の階段を下りてあらためて大鳥居を潜り、カメラを構えながら参道を登り返した。階段の上に次第に見えてくる広葉樹の姿にワクワクしながらだいぶシャッターを押した。 結局は、今日のカメラ散歩も昨日のカメラ散歩と同じくらい楽しかった。私のレベルから見れば十分に満足できる写真が何枚も撮れた。 一週間後には別の庭園施設に行ってみようということになった。一緒に行く妻の方が私よりはるかに張り切っているし、日程は妻の都合で決まったののである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.22
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重い超望遠デジカメをきちんと三脚に据えて遠く離れた鳥を撮影すれば、私にとってはかなり満足できる写真を撮ることができる、三日前そういうことをしみじみと味わった。すっかりその気になって、三日前と同じ心構えになって、今日は自宅から下流に向かって広瀬川の右岸を下ることにする。 家から堤防に出ると広瀬川の広い浅瀬に小さな鳥影がいくつか見える。堤防を遠回りして降りて、できるだけ川岸に近づいて三脚を広げてカメラを据えた。三日前には撮った写真をJPEGファイルで保存したが、今日はソフトでいろいろ修正できるようにすべてRAWファイルで記録する設定にした。 小さな鳥の一羽は夢中になって餌を探しているコチドリだった。もう一はセグロセキレイで、こちらはせわしなく動き回っているものの餌を探しているのかどうか見当がつかなかった。 三脚を使うと余裕が出るので、シャッターを押す回数が増えるのだが、見切り時が難しい。まだまだ、シャッターを押した瞬間にいい写真を撮ったという確信が持てるレベルではないのだ。家に帰って、パソコンで拡大して見るまでは何とも言えないのである。 コチドリとセグロセキレイを撮った中ノ瀬緑地の周囲をぐるりと回ってできれば木陰で鳴いている鳥も撮りたいと思ったが、それはまったく叶わなかった。 河川敷から高い崖の上の道に出て広い道路(大橋が架かる道)を一つ越えて青葉山公園前の広瀬川右岸に出た。先日、それぞれ番になったマガモとカルガモがいたところには何もいなくて、少し下流に下ると向こう岸にアオサギ、ダイサギ、コサギの混群が見えた。 草を静かに踏みながら少しずつ川岸に近づいて三脚を広げカメラを据え終わるころには、私の姿に気づいたらしくコサギが飛び立っていた。かろうじてダイサギの最後の一羽が飛び出す姿を捉えた。 一羽だけだったアオサギは居残って何枚か撮ることができたが、残念なことにカメラから目を離した隙に飛び立ってしまった。 向こう岸(左岸)から飛び立ったサギたちは、こちら側(右岸)の下流部に向かったのが見えた。少し川岸から離れて繁茂するススキのこちら側を鳥たちから見えないように川を下った。もうこれ以上下れないという所で河原に出てゆっくりと上流方向に歩いた。やはり右岸にダイサギとコサギ一羽ずついて、周りにカルガモ、マガモなどもいた。沖には十数羽のオナガガモが泳いでいた。 カルガモ、コサギとカルガモ、ダイサギとマガモなどいい構図がたくさんあったのだが、半分身を隠そうとした近くの草木にピント合わせを邪魔されて使えない写真の方が多くなった。こういうあたりが当面の修行のしどころかもしれない。 これ以上下れないので引き上げようと歩き始めたとき、川の上を数羽のダイサギとコサギが上流へ飛んでいき、大橋を越えて右岸側の方に降りたように見えた。そこは青葉山公園に来た道の崖下で、右岸側からそこを撮影することができない。ぐるっと回って大橋を渡り上流左岸側に行ってみることにした。 橋の上から見ると崖下の岸にダイサギとコサギが群れている。つい急ぎ足になる心を抑えながら川岸に降りて撮影を始めた。数人で橋の上を通る人らが何か言っているようだったが、無視してカメラを覗いていた。どっちみち私は聴力が落ちているので聞き取れないのである(実のところちゃんと補聴器を両耳に装着はしていたのだが)。 とても良い時間になった。ときどきコサギが飛んでみせるし、肉眼ではよくわからなかったがサギのまわりにカルガモとカワウがいて、カワウはときどき潜って見せたりした。昨年あたりは白いサギが単独でいるとコサギかダイサギかよく判断できなかったが、目の当たりにした大きさの違いでこれから迷うことはないだろうと思う。 三脚を持って出るだけで、結果は一変すると言いたいところだが、その功は姿を見せてくれた鳥たちにある。せいぜい三脚を使うとじっくりと鳥たちにつき合えるということだろう。 今思い出しても悔しいのは、アオサギが飛び立つ瞬間を捉えられなかったことである。アオサギは留鳥だから一年中チャンスがあるのは救いでもあるのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.20
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コンパクトデジカメとは言いながら超望遠を誇る重いカメラを抱えて水鳥を撮りに行ったのは4日前、水鳥は少なかったが紅葉を写して何とか帳尻を合わせて帰ってきた。カメラが趣味と広言しながら三脚を使うのをさぼったというのはどうにも心苦しい感じが残ったのだった。 家の前の水辺でちょっととカメラだけ持って出かけてしまうので、午前中いっぱい時間をかけてじっくり鳥を撮ることに決めて三脚を用意した。先日は、家の前から少し下って鳥を探したので、今日は時間の許すかぎり上流へ遡ってみようと家を出た。 川内緑地という河川敷公園の最下流部から石の上にいるカワウを見つけた。三脚に固定したカメラでカワウを覗いて観察していたが、いっこうに動く気配がない。いくらシャッターを押しても同じポーズしか取れないのである。三脚に乗せたカメラを覗いているだけなので体にはいっこう負担がかからないのでけっこう長いあいだ見ていることができるのだが。 その公園の最上流部は澱橋の真下で、そこから対岸にいるダイサギを写した。ずっと観察を続けて餌をとる姿、最後には飛び立つ姿まで写すことができた。三脚の効果は抜群である。短気なこの私がカメラを抱えて(じっさいは抱えていないが)じっと待つことができるのである。気を良くして澱橋を渡って上流側の澱緑地(河川敷公園)に入る。 澱緑地でもすぐに対岸のダイサギを見つけた。カメラを覗いてじっと待っていればよいことが起きると念仏のようにくり返し自分に言い聞かせながらじっと待っていると、ダイサギが飛び立ち、その羽ばたく様子をカメラに収めることができた。 マガモやセグロセキレイなどを写しながら上流に遡って行った。澱緑地は細長くけっこうな距離があるのだが、ブッシュで川岸に近づけない所、近づけても水鳥の寄らないところがあって、あっという間に緑地の最上流端(牛越橋下)についた。端の直ぐ上には三居沢発電所があり、2kmほど上流の広瀬川から取水して牛越橋のすぐ下で放流している。そのため、牛越橋上流の水量はほぼ半減している。それでも橋の下を通って700mほど上流まで歩いたが、飛んでいるセキレイ3羽、カワウ1羽を見ただけだった。そこから先は川の岸を通して歩くことができなくなった。 帰り道、見渡せば周囲は紅葉の木々が溢れるように輝いている。見上げる山の上、左岸も右岸も紅葉である。右岸の木々は逆光を受けて輝いている。水が見えれば水鳥をいちおう探すのだが、けっこう満足しているせいか気が入らない。紅葉の写真を撮りながら帰ることになった。 今日の鳥撮りはおしまいのはずだったが、自宅近くの堤防から覗くと家を出たときはいなかった水鳥がけっこう多くいる。さっそく三脚を広げて覗いてみると見慣れないカモがいる。ちょっと遠いが何とかなるだろうと、ほかのカモにもピントを合わせた。第1陣で飛来したオナガガモとマガモもいたがそれよりも小型の鴨だった。留鳥のカルガモも3羽混じっていた。カルガモを望遠で撮ったのは初めてである。帰宅後調べると、見慣れない鴨は、カワアイサの雌雄だった。 疲れたが、カメラ散歩には収穫の多い良い日だった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.19
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1週間ほど前、自宅前の広瀬川で数羽のカモ類を見た。最初の渡りらしい。その鳥の写真を撮ろうと朝食後に川に出てみた。持ち出したカメラはNikon COOLPIX P1000である。コンパクトデジカメに分類されるが、たぶん世界最大のデジカメだと思う。鳥や天体撮影用に特化したカメラでフルサイズ一眼レフやミラーレスの3000㎜相当の望遠がうたい文句で、とにかく大きく重いカメラである。三脚を使って撮影することが期待されているが、昨年の冬鳥撮影では条件次第では手持ちで撮れないこともないという経験をしたので、カメラだけ持って家を出た(装備が大袈裟になるのが嫌だっただけである)。 ところが家の近くの川には一羽の鳥も見えない。岸から離れて少し下流へ向かった。その道々、樹々が紅葉にも黄葉にも彩られていて、何枚も写真を撮った。P1000だってコンデジだからそれなりに撮れるはずと、カメラの種類にお構いなしである。やはり「秋色探し」は楽しいし、そこそこ写したのでだいぶ満足した。 午後直ぐの予定もあるし帰ろうかとも思ったのだが、念のために川を覗いてみるとカモたちが泳いでいるではないか。この辺りは中州があってカモたちは分流のこちら側に居るので、手持ちでも撮影できそうである。 マガモとオナガガモの2組のつがいが一緒に泳いでいた。その少し下流にはダイサギが岸辺に佇んでいた。これで何とか「鳥撮り」が「葉っぱ撮り」にならずにすんだし、P1000も本来らしい仕事ができたとことになった。 故障している風呂の給湯器を新品に取り替える工事は2日後なので、今日も日帰り温泉に行くことにしていた。それで、115歳まで長生きした義母を亡くなるまで長いこと親身になってお世話してくれたヘルパーさんをお誘いしてランチと温泉を、という計画である。 先日のようにはカメラは持参せず、ゆっくりとした長風呂の日帰り温泉になった。どういうことか理由はわからないが、体がすっきりとする感じがしていい気分での帰宅になった。リハビリ、リハビリと言い募っているが、これは単なる病後の養生である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.12
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夏の終わりの百日咳罹患でかなり体重も体力も減らして少しずつ回復して、いるものの体調は万全ではない。昨年の秋から始めた2泊3日の小旅行もこの秋には2回計画していたのだが、取り止めることにした。計画した一つの小旅行の目的地は秋田で行き帰りに奥羽山地を越えるので、紅葉見物に最適なコースを探していたのだがこれもダメになった。クマの出没騒ぎで近郊の山に出かけるのも憚られて、紅葉の写真は諦めていた。 5日ほど前に風呂の湯沸かし器が故障して、シャワーしか使えなくなった。だいぶ使い古した機種なので修理は無理ということで買い替えるけることにした。年寄り夫婦はシャワーだけでは満足できず、日帰り温泉に行こうということになった。じつは以前から秋保温泉の中の日帰り入浴施設に回数券を買ってときどき通っていたのだが、これも百日咳トラブルで沙汰止みになっていたのだ。 この「市太郎の湯」という日帰り温泉は「天守閣自然公園」の一部で、入浴券でどちらも入れるのだった。初めてカメラ持参での温泉行きとなった。公園で紅葉を撮ろうということである。 天守閣自然公園は、山塊北側の一部が崩落した麓に造られているため天然の巨岩がゴロゴロしていて、南はところどころ岩肌が見える急斜面になっている。崖の上の台地にはかつて秋保一族の館(城)があったので天守閣自然公園と名付けられたらしい。広い園内にはモミジ、カエデの類が多く植えられていて期待通り紅葉、黄葉が盛りだった。11時前に園内に入ったので陽射しも日陰もあったが、南に急な断崖があるので午後には陽が射さなくなる場所が増えていくようだ。 園内には小さな滝や池があって、錦鯉が泳いでいた。水の中の魚の写真を撮ったのはこれが初めてのような気がする。交換レンズなども持たずカメラとレンズ1本だけしかもっていかなかったのでそのまま写したが、変更レンズがあればもう少しいろいろと写せたのかもしれない。 ほんとうにモミジやカエデが多くて黄色か赤ばかりという感じだが、うまく撮れないもののグラデーションもあって楽しむことができる。杉木立の向こうに覗いている紅葉という良い構図にも出会えた。黄葉樹にレンズを向けていると視野にヤマガラが飛び込んできて枝にとまった。ちょっと遠かったがヤマガラ登坂bつできる程度の写真は撮れた。 園内を回り終えるころ、白のシュウメイギクとホトトギスが咲いていた(植えられていた)。その写真とこれから入浴する温泉施設側の庭に生えている紅葉木を撮って私たちのささやかな「紅葉狩り」は終わった。 「市太郎の湯」には男女用ともそれぞれ大きな浴槽が3つずつあって、いつでもゆっくりと入浴できるのがいい。県内の日帰り温泉を探していくつか行ってみたが、距離も近いということもあって今ではここばかりに通っている。 良い湯だったが、帰ってきたら体の数か所が痛み出した。弱った体で動き回っていたことで痛んでいた個所が顕われてきたらしい。これで少し回復が早まっただろうと期待して、わが家の風呂が使えるようになる前にもう一度行こうと画策している。日帰り温泉もリハビリの一貫ということになりそうである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.10
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カメラ(写真)を終活(趣味)の中心に据えて夢中になっていたのだが、百日咳に罹患後、2ヶ月ほどカメラを手にすることはなかった。カメラどころか、何をするにも気力が沸き立たないのだった。罹患中の体力消耗は激しかったが、体力の無さは気力の無さに直結しているのだった。私の精神力などこんなものだとしみじみと味わう日々が続いた。 読書は1日に1~2ページほどは読んで、地を這うようにじわじわ進めた。激しい咳き込みで七転八倒していた5日ほどは妻に食事の用意をしてもらったが、それ以外の日は三食すべて私が用意した。2カ月の間、何かをやったと言えばそれぐらいである。 その間、県の委員会が一度開催され議長を務めた。またその委員会の関係で一泊の東京出張が1回あった。過失なくこなした(と自分では思っている)とはいえ、以前の5~6割の気力で辛うじてこなしたという感じであった。東京駅や新宿駅の広い構内を歩かなければならないと思うといくぶん恐怖ですらあった。もちろん歩くことはできたのだが、そんな気分でいっそう気が滅入るのだった。 とにかく少しずつリハビリしなければならない。無理をせず、体力、気力に応じたリハビリが必要だと考えた。手始めにカメラを持って、家の前の広瀬川の河川敷に出て野草の花の写真を撮った(10月22日)。リハビリと言うのも憚られるほどの時間だったが、マメアサガオ、ヤナギハナガサなどという始めて見る花もあって写真を撮ることにいくぶん夢中になれた。紅葉を始めているなじみ深いイヌタデを見るのも楽しかった。 それから2日後、暗いうちから起き出して近くの橋の上から夜明けの空を撮りに出かけた。空に散らばった雲に朝焼けが広がる様子を写し終えての帰り道、十分に明るくなっていたので河川敷に降りて花を写した。そこの河川敷にはノコンギクが驚くほどたくさん生えていた。そのほかの花は少なかったが、コセンダングサの線香花火のような実を見つけた。もっともこの種はとても厄介なひっつき虫で、野歩きの好きな私はいつも悩まされている。 早朝のカメラ散歩は私なりに満足だったこともあって、その日の午後から仙台城址と広瀬川の間にある青葉山公園に出かけた。まず最初に、毎年の楽しみだった色づいているノブドウの実を探した。朝の河川敷にはたくさんのノコンギクがあったが、こちらの河川敷にはコヨメナがあった。花のサイズは同じくらいなのに草姿が小型のコヨメナの方が好もしい。逆光に透けているハナミズキの美しい色も撮ることができた。この写真で次回のカメラ散歩のテーマは「秋色を探す」としようと思いついた。 カメラ散歩でリハビリと言うのは調子よくやれそうである。諸々の雑用がなくなった土曜日(10月31日)、きめていた「秋色を探す」というテーマで青葉山公園付近をゆっくりと回った。いろんな木の紅葉した葉を写そうというのである。サクラ、カツラ、ヤマボウシ、ニシキギなど、それぞれはそれぞれの色で十分に楽しませてくれた。 さらに翌日の11月1日、散歩コースの一つの仙台城跡天守台に暗いうちに出かけた。日の出の写真をよく撮っている場所だが、今日は「天守台」そのものがテーマ(つまり、天守台で撮れる写真であれば何でもということ)である。夜明けの空、枯れかけた古木、朝日に映える樹々、修復が終わったものの昭忠碑の台座に戻されない鳶の彫刻、朝日を反射するビル群、仙台湾を航行する大型船(400㎜望遠で)など、気に入った被写体なら手当たり次第なのである。 こんなけっこう気楽なリハビリだが本人はけっこう真剣なのである。2ヶ月後くらいには以前の筋トレ散歩ができるように計画している。「ゆっくり」が成功の鍵だろうと本人は(たいした根拠もないのだが)信じているのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.02
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暮らしぶりは前のように戻ったが、まだ咳きこむことがある。百日咳に罹患した。日曜日の8月24日は朝から何やら体調不良で、夏の疲れが出たのだろうと考えていたのだが、翌日から咳が出始めた。熱はまったくの平熱で咳だけが出る症状なのだが、百日咳という病名をいただいた。 ネットで調べると、比較的軽い咳だけの症状が1~2週間続いて、これが病状経過の第1期(カタル期)、第2期は激しい発作的(痙攣的)な咳と嘔吐食欲が2~3週間(痙咳期)、第3期は2~3週間の回復期でしだいに咳は治まる。 私の場合は、カタル期が1週間と短く、痙咳期も1週間と短かったが激しい咳と嘔吐に苦しめられた。何よりも辛かったのは食欲不振で、4日ほどほとんど物が食べられず、痙咳期の1週間で5kgほど体重を落とすことになった。 抗生物質と咳止めと胃腸薬を処方されていた痙咳期が終わると数日分の咳止め薬だけが処方されて「あとはほっとけば治ります」と病院から解放された。ほっとけば治ると言われたもののあれから4週間経ったが、まだ咳は続いていて「百日咳」というネーミングの実質をしみじみと味わっている。じっとしている時や睡眠時にはほとんど出ないので助かっているが、話したり、ちょっと体を動かしたりすると軽い咳が出始めて止まらなくなることがある。1日3度の台所仕事の時にはよく咳が出るのである。厳密に百日だったら11月中旬まで続くことになるが、どうなることやら………。 体力を大幅に落としてしまったせいで、回復期に入ってもまったく「やる気」まで失せてしまっていて、ずっとぼんやりと過ごしていた。1週間ほど前からやっと少しずつ本が読めるようになって、2,3日前から以前と同じくらいの気力になったような気がする(それでブログを書きだした)。 長くなるだろうと予想される腎臓病は、終活として積極的に向き合って闘病生活を楽しみながら頑張ろうと心に決めていたが、百日咳まで終活というのはご免蒙りたい。5日ほど前に腎臓病の定期検診があったが、百日咳で激しく体力消耗したのに、検査(尿と血液)数値は、健常者と変わりないほどよくなっていて、処方薬は少し減ることになって、こちらは極めて順調である(終活はこうでなくちゃ)。 カメラに夢中になっていたが、この期間はカメラそのものを手にしていない。症状の軽い第1期(カタル期)の8月29日には川向うの公園まで軽いカメラ散歩をしただけである。公園で見た優しい朝焼けを撮った。体も気力も衰えているときには激しい色の朝焼け、夕焼けでない方がいいらしい。 公園からの帰り足、広瀬川に架かる橋の上から秋らしい雲を写した。その時は、まだまだ暑いのに空はもう秋なのだなぁとちょっと感動もしていたのだが、今はもうすっかり秋も深まって、うろこ雲に心がとくに動かされる時期ではなくなってしまった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.10.05
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昨年四月から終活を始めて、1年以上経った。予定外の腎ネフローゼ症候群の発病というアクシデント(?)もあったが、闘病もちゃんとした終活の一つにするということで気持ちだけは持ち直した 「病気にもかかわらず」と言うべきか、「病気になってなおさら」と言うべきかわからないが、終活は順調で忙しいと思えるくらいの勢いで暮らしてきた(と私自身は思い込んでいる)。ところがここ十日ばかり、少し時間が空くと「退屈だ」と思うようになってきた。酷暑ということもあって、昼日中は外に出ないということもあるが、終活が偏っているということもある。【カメラ】 いま、一番はまっていて時間を割いているのは、間違いなくカメラである。4月から6月までは月一度の小旅行に出かけ、その都度大量の写真を撮ってきた。写真の整理はかなりの時間を食うし、取捨選択のうえ、ネット上の二つのカメラ愛好グループに投稿する。山野の風景、市街の様子、夕焼けや夜景などと分けると一回の旅行の写真では20回ほどの投稿になるのでそれなりに忙しい。 日々の散歩は同じ場所なので一時はカメラを持たないで出かけていたが、最近は同じ散歩道でも天候やレンズ次第で様々なヴァリエーションを持つ写真が撮れることが分かって、撮れる写真は増えるばかりである。 そのうえ、これまで撮ったことのないポートレート写真を撮ってみたいと思い立ち、国立西洋美術館の展覧会を見に行った折に、上野恩賜公園を撮影場所に設定して妻のポートレート写真を撮った。これを「79歳がとった79歳のポートレート」と題してネットの写真グループに投稿したら、驚いたのかあきれたのか判然としないがけっこう反応があった。何人かからは励ましのようなコメントも届いて、「妻のポートレート」という分野も続けざるを得ないのである。 こうして今は、終活はカメラに関わっていることが多い(多すぎる)。【庭仕事】 終活を始めたときに一番最初に体を動かしたのは、庭仕事である。まず、西側の隣家との間のフェンスに3本のつる性の花木を植え、狭い通路には日陰に強い草花を植えて、これは順調に育っている。 西側の広瀬川堤防の間には垣根がわりに椿を植えているが、その堤防側の椿の根元に季節の花が咲くように球根やなんやら背の低い草花を植えて、堤防を散歩する人楽しんでもらおうと思っている。これは7割がた完成に近くなっている。 東の庭も南の庭も狭いので、去年と今年でほぼ満杯状態になって、これからは改良をどうするかが課題になっている。庭仕事は順調なのだが、この夏は日中に作業ができない。一昨日と昨日は朝4時半に起きて1時間半ほど雑草抜きをした。これは珍しく妻も一緒に起き出して手伝ってくれた。 庭仕事という終活もまぁまぁ順調である。草取りには終わりがないというのが辛いが………。【台所仕事】 三食の食事を作るというのも終活の一つで、毎日やっていると終活感がなくなって義務のような感じになって嫌になることもあるが、まずまずこれも順調である。水曜日に一週間分のレシピを作り、印刷したレシピを妻に渡して意見をうかがい、木曜日に一週間分の食料の買い出しに出かける(木曜日は生協の高齢者サービス日になっている)。 レシピ作りも最近は30分もあれば一週間分を作れるようになった。スマホには材料別のレシピが山のように入っているので、スマホ片手にパソコンでレシピを作るのである。この終活も順調と言えるだろうが、順調でないと飢えてしまうので困るし、さぼれない終活というのもなんか変な感じがする(私にとって終活は趣味と同義なのである)。【山歩き】 今年は春先から初夏まで6回ほど山に入った。1000mを越える標高までいって花の写真を撮るという山歩きは、実に楽しい。今では頂上直前でもあっさりと引き返すという年寄りの知恵もある。無理をしつつ無理はしないという極意が見えてきた、などと妻に自慢しているほどである。 次に行く山もいくつかあって下調べも済んでいる(もっとも若い時に何度か登った山ばかりだが)。【釣り】 今年は、釣りを一度もしていない。春から初夏まで山、旅行、庭で釣りにかける時間はなかった。若いころ失業するのではないかと周囲が心配するほどやったので、あまり釣りに飢えるということはなくなっていて、終活の順位は低いらしい。 夏は鮎釣りの季節で、昨年は8月中旬に3回ほどわが家の前に広瀬川に入って、わが家と隣近所で食べる分は釣ることができた。7月1日解禁のアユ漁だが、8月半ばには鮎はそうとう大きく成長するのである。 今年も大きな鮎を釣ろうと8月まで待っていたのだが、酷暑で川が渇水し、鮎の餌となる石苔が腐ってしまい、鮎が成長できずにいる。県の内水面漁業の会議で、県内の河川の状況報告があったが、どの川もよくないのだった。その会議の席で、私は自分のアユ釣りを諦めてしまったのである。小鮎といえども秋には成熟して産卵に参加できるだろうから来年の遡上に期待するという気分もあったが、一方で、釣り人の大半は強欲だから小鮎でも何でも釣るだろうなとも思ったのだった。【闘病という終活】 これは、8月5日の診察日に医者が「ほんとうに順調ですね」と言ったほど順調である。ネフローゼ症候群の最大の病状は、尿中の蛋白質が異常に増加することである。健常者はその値が0~150mg/g・creなのだが、昨年7月の退院時には5000ほどだった。それが今年の4月には737、6月には169、8月には61と何とか正常範囲に達した。 こうした結果は薬の効果で、4月から徐々に薬を減らしていっているのだが、どうも先はけっこう長いようだ。4月には主要薬量が1日12㎎だったのが、10、9と減って現在は8mgである。0になるのはだいぶ先のようだ。 完治はしていないのだが、体調は発病以前と変わらない。入院でげっそりと落ちた筋肉量もほぼ回復することができた。 釣り以外の終活は順調というしかないのに、退屈しているのである。さて、どうしたものか。仙台城跡の朝と仙台展望(2025年8月8日)読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.08.11
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『スウェーデン国立美術館 素描コレクション展』に妻と出かけた。退職してから10年ほど、かなりの頻度でいろんな美術館に行き、私なりに熱心に絵を見ていた時期があった。登山の相棒犬が亡くなったあたりから私の行動は次第に不活発になり、地域のいろんな役を引き受けた忙しさを理由にさらに不活発になり、登山、、魚釣り、街歩きなどの趣味の激減、読書量の半減の日々が続いた。昨年の4月に決意して始まった終活の中には美術展に行くことも含まれていたが、新しく始まったカメラ修行という趣味や長引きそうな病気にじっくりつき合うという終活も突然加わってけっこう忙しくしていた。終活開始後の初めての美術展である。 妻を国立西洋美術館に誘ったのはちょっとした別の思惑もあった。夜明け、夕景、山や街の風景、花、鳥などを私のカメラは対象にしているのだが、人は含まれていない。もちろん、家族や旅先での記念写真のような人を写した写真はあるけれども、いわゆるポートレートと呼べるような写真を撮ったことがない。それで、ポートレート写真の手始めは妻をモデルにしようと企んだのである。美術館と上野恩賜公園での「79歳のモデル」も悪くない。そんなこと企んだ。美術展とカメラ、良い終活になるだろう(という予感)。 7時に家を出て、10時30分ころに国立西洋美術館に入った。妻の障害者手帳を見せると付き添いの私も美術館はすべてフリーパスである。今回は車椅子を借りた。妻はそれを歩行器がわりに押しながら絵を見て歩くのである。車椅子を私が押してもいいのだが、それでは視線が低くなって絵がよく見えないので嫌だという。たしかに美術展の絵は成人の目の高さに展示されていることが多い。 画家の個展の場合、その画家の素描も展示されることがあって、抽象画家の若い頃の素描の描写力に驚くことがある(優れた抽象画が優れた描写力をベースにしているというのは当然なのだが)。ただし、今回の素描が「ルネサンスからバロックまで」と副題にあるように抽象画家の素描は望むべくもない。 私には、素描の中でも手や腕のような人間の体の部分の絵が好きである。今、思い出せるのはアンドリュー・ワイエスが草原に座る女性像のために描いた手や背中の素描ぐらいしかないが、展示室ではそんな絵を眼で追ったが、一点しか展示されていなかった。多くは、大作のための全体構成のスケッチだったり、その一部の人間像の素描だった。中には、素描らしからぬ彩色された絵もそれなりにあった。 すごく良い絵だと感動したのは、「下から見た若い男性の頭部」という素描画である。ハンス・ハルドゥング・グリーンという始めて知った画家が1545年に描いた作品である。下絵とか習作としての素描ではなく、もうこれで完成された作品でいいのではないかと思うほどである。素描の良さは、観る者の想像力をかき立てる力が大きいことだと思う。これに彩色し、人間の顔として写実性を高めていくにつれて観る者の想像力は少しずつ削がれていくのではないかと思う。完成された顔の写実性に打たれるということはまた別の鑑賞の話である。 「眠る犬」(コルネルス・フィッセル、1658年)という小さな絵があって、評価が高いらしく、ミュージアムショップではこの絵をあしらった商品が何種類も並べられていた。私が図録と一緒に買った小さなノートの表紙もこの絵だった。ショップでは妻は必ずと言っていいほど一筆箋を探すのだが、この犬の絵の一筆箋しかなかった。いらないと頑張っていたが、ショップを出る直前に買う決心をしたらしい。この絵を見ると「ホシ」が死んだ時の事を思い出して嫌だったのだと言う。「ホシ」というのは27年前に亡くなった飼犬で、私が仕事でブラジルに行った翌日に危篤になって、動物病院に連れて行き、遺骸を引き取り、火葬にするという一切を妻が一人でやったのだ。「眠る犬」は病院で死んで戻ってきたホシの姿を思い出させるのだと言うのである。 二人ともシュンとして美術館をあとにしたが、上野公園の数か所でポートレート写真を撮った。初めてのことなので出来、不出来を語れるレベルではないが、少なくとも次のときはこうすればよいと分かったことがいくつかあった。いつか「79歳が撮った79歳のモデルのポートレート」が人に見せられるレベルになることがあるかもしれない、という気分にだけはなった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.27
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昨日は豪雨に悩まされたが、それでも順調に観光をこなすことができた。もっとも、初日の「山口集落」に行くことを除けば、何も決めていなかったと言っていい程度の計画である。まずは、市の中心部から遠いところから行きたい場所を決め、あとはそのつど観光スポットを見つけて動き回るというパターンである。とはいえ、今日はまず倒木に遮られて行くことのできなかった「五百羅漢」へ行くことは昨日の段階で決まっていた。 宝暦5(1755)年から翌年にかけて東北地方から北関東まで冷害による大飢饉が発生し、遠野領内だけでも二千数百人の餓死者が出たという。そうした凶作、不作による餓死者を悼んで500もの自然石に羅漢像が彫られたのだという。写真で見ると浅い谷あいにたくさんの石が苔むしているようにしか見えないのだが、無数の死者を500もの羅漢像で鎮魂しようとする人間の意志や情の篤さを考えれば見に行くしか選択肢はないのだった。 昨日立ち寄った「卯子酉神社」前を過ぎてすぐ案内板に従って山道に入る。狭い山道(と言ってもきちんと舗装されている)がうねうねと曲がりくねった坂を登って行く。2ヵ所ほどの分岐も間違えることなく「五百羅漢」の看板にたどり着いた。十分な駐車スペースには四阿もある。道の山側の杉林の浅い谷間に自然石がゴロゴロしていて、小さな沢に掛けられた木橋を通って行くのである。 初めはどれも苔むした石にしか見えなかったが、慣れてくると次々と羅漢を見つけることができた。どれも線彫りの素朴なもので、苔の中からお顔を見せているのだった。どれだけの羅漢様を見つけることができるのかと気分が上がったが、妻が下の道で待っているので早めに切り上げた。 これで遠野観光は十分という気持ちだったが、時間が有り余っている。せめて昼までは観光に充てることにした。遠野市街に近い一本の道沿いに観光スポットが並んでいるモデルコースがあったので、そこを回ることにした。 最初の「清心尼公の碑」は坂道を徒歩で登らなければならないためパスした(清心尼公は遠野南部家21代の女性の殿様だったという)。そこからすぐに河童伝説の太郎淵がある。駐車場もトイレもある観光スポットである。太郎淵は川の流れが変わって今では池になっているが、淵らしい面影は十分である。淵を囲む樹々を抜けると田んぼの向こうに半分雲に隠れた六角牛山が見える。池の水が流れだす付近の木の間からは田んぼが広がる農村の風景が広がっている。 小旅行先を遠野にと考えた最初の動機は、典型的な東北の農村の風景が残っていて、その写真を撮ることができるのでないかということだった。つまり、河童淵の木々の間から覗いたような風景を期待したのだが、車で走り回る観光ではなかなか難しいのだった。 案内看板を見落としたり、案内看板に従ったつもりなのに辿りつけなかったりして3ヵ所のスポットをパスする形で次に行ったのは「元八幡宮境内地および夫婦杉桜」である。八幡宮が新しい地に遷された後に、鳥居と杉と桜が根本で融合した夫婦杉桜が残されている。二本の杉が根元で融合した夫婦杉はよく見ることがあるが、杉と桜というのは初めてである。落葉広葉樹と針葉樹という異種どうしでも融合するのかと思ったが、これは融合ではなくて物理的に押し合ってくっついているだけなのである。 コースの道の脇にある「飢饉の碑」も宝暦の大飢饉の餓死者の供養碑で宝暦7年に建てられたという。南部曲り家では家のなかに馬小屋をつくっていたように、大事に育てていた馬も人間の餓死者と同じくらいあったという。 他の観音には行っていないが「松崎観音」は遠野七観音の一つだという。石段を上がらなければならなかったが、手すりを伝って妻も行くことができた。木造の観音菩薩立像が本尊だというので妻と二人で暗いお堂の中を一生懸命覗いてみたのだが見ることは叶わなかった。もう一度案内看板を読むと、年に一度の例祭で開帳されるのだと書いてある。最後の観光スポットは「母也明神と巫女像」である。『遠野物語拾遺』第28話のその由来が語られている。娘婿を疎ましく思った巫女が生贄として殺してしまおうとしたが娘も一緒に堰に沈んで死んでしまい、それを哀しんで後を追って入水した巫女を祀ったものだという。この母也明神も山の中腹にあり、そこへ行く細い道を見つけるのに苦労した。とても妻が歩ける道ではないので、一人で登り、写真を撮って帰ってきた。下で案内看板に寄りかかって妻が待っていたが、その看板に「母也」はボナリと読むこと、小さな金属製の碑には「ボナリ・オナリは巫女を意味する古代語と推定されている」と書いてあった。 これで遠野観光は終わった。ほんとうに典型的な観光旅行だった。遠野郷の景色を撮りたいという希望はあったが、どんな景色が撮れるのか確信がなかった。とにかく全体を大雑把にでも掴みたい、そのために車で広く回りたいと考えて車を最大限利用した遠野の観光旅行ということになった。つまり、ひそかに2回目の遠野はありうると考えているのである。 最後の母也明神から遠野IC近くの道の駅に行き、昼食をとり、お土産や地産の野菜など購入して高速に乗ろうとしたが遠野ICと宮森IC間は復旧工事のため不通となっていた。昨日の豪雨の影響かもしれない。初日にめがね橋(宮森橋梁)を見に行った道を通って宮森ICから釜石道に乗り、あとは東北道を仙台宮城ICまでひたすら運転である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.11
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目が覚めた5時ころには天気予報通り小雨が降っていたが、朝食を食べるころにはもう止んでいて、予定通り行動することにした。午前中は車でしか行けない所をスポット毎に訪ね歩き、昼頃にホテルに引き上げて、午後からは徒歩で街に出て、適当なところで昼食をとり、あとはと徒歩向けのモデルコースを参考にしてのんびりと街歩きである。幸いなことに、今日の気温は23℃くらいという涼しい日になるという予報である。 今日の一番目は、妻も私も「五百羅漢」と決めていたのだが、常用のナビではうまくルートが見つからず、もう一つのナビでなんとか10分ほどで行けるという近い道を見つけた。ホテルは「鍋倉城跡」のある山の麓にあって、そこから城山の斜面を抜ける細道である。この道を利用して五百羅漢と「鍋倉城跡」の2か所を目指すのである。9時少し前にホテルを出て裏山の道に入って登って行くと倒木が道を塞いでいる。動かしてみても私に力ではピクリともしない。どこに連絡してよいのか見当がつかないので、ホテルのフロントに電話して状況を伝え、しかるべきところに連絡を頼んだ。 五百羅漢へ行くことは諦めて、次のスポット「卯子酉(うねとり)神社」へ向かった。駐車場は広く公衆トイレもある小さな神社である、参道は民家に隣接していて、団体の観光客などではだいぶ迷惑をかけるだろうなと思えるほどである(観光客は私たち二人だけだったが)。縁結びの神様で、赤い布に願い事を書いて祀るのだそうである。 次は、田んぼの中に小さな社、「荒神神社」である。田んぼの中のほんとうに小さい茅葺屋根の神社で、「日本の原風景、また遠野を代表する風景」と形容されている。遠く西の方では権力者たちが壮大な神殿を建て一族の栄華(と権力の維持)を祈願したことを思えば、貧しい農民の祈りがこの小さな社を通じてなされる切なさ、愛おしさに打たれる。 荒神神社に「六角牛(ろっこうし)神社」の案内があったのでそこに向かった。ホテルを出てからここまでときどきパラパラと降り出すのだが、なぜか目指すスポットに着くと雨がやんで観光は順調に進む。道は六角牛山の方に向かい、道々雨が降っていたが、細い山道で六角牛神社についたときにはもう降っていない。信仰心を持たない私にも、もしかしたらそれぞれの神社の加護ではないかと思えるほどの塩梅である。 卯子酉神社や荒神神社と違い、六角牛神社の境内は広く、立派な社務所もあったが人はいないようであった。ここに着いて気づいたのだが、遠野の神社仏閣の周囲の木々は長寿の大きな木が多いのだった。車で走りながら見ていても、民家のまわりの木々も道端に固まった数本の樹木もみんな大きく立派なのだった。家々は建替えられていてもそのような部分はずっと残されているような雰囲気がある。だいたい、とても小さな神社が「遠野遺産」としてたくさん残されていることが貴重だ(私の生まれ育った農村にもいくつか小さな祠があったが今はもうない)。 伝説の六角牛山を祀る神社を見た後は、もう一つの山、石上山を祀る「石上神社」である。少し距離があるが、これで正午ごろにはホテルに戻れるという算段だ。道を荒神神社まで戻り、それを過ぎて小さな山を越えたあたりからまた雨が降り出した。その雨は次第に強くなり、土砂降りになった。車の運転を始めて以来こんな土砂降りは初めてと思えるほどの降りで、前方も後方も見通しが効かなくなった。すべてのライトはもちろん、ハザードランプも点灯してそろそろと走っていたが、5、6m先も見えなくなったので道路わきに空き地に止めて様子見をした。 少し待てば弱まるだろうとは思ったが、この豪雨ではどこか道路まで水が上がって通行不能になる恐れがある、遠野は盆地のうえに地理不案内でどこが危険(安全)なのか全く見当がつかない。じっと待っているのも安全とは言えない、ということに気づいた。少しばかり雨脚が弱まったような気がしたので、計画を変更して、ホテルに戻って様子を見ることにした。 雨は少しずつ弱まってきてもうすぐホテルというあたりですっかり上がってしまった。正午までには40分ほどあるものの私はすっかりやる気が失せていてホテルに戻りたかったが、妻は「折角なのにもったいないね」と主張するのである。そこで再び計画を変更して石上神社に向かった(運転させている者とさせられている者の身分差が厳しい)。 道は朝一番に行った卯子酉神社横を通るのだが、少し神社を過ぎたところに「五百羅漢」への立派な案内看板が立っていた。この道を利用して明日朝一番に行こうと妻と話して、石上神社に急ぐ。西に向かう道は次第に人家がまばらな道に入って行き、ナビが「目的地に到着しました」というのだが、案内看板もなければそれらしきものも見えない。杉林の斜面を見上げていた妻が「何か見えるよ」というので、けもの道のような斜面の細道を濡れた草をかき分けながら登ってみると石上神社の境内に出た。参道は私たちが着いた道の反対側に伸びていて、裏参道は少し遠回りで車の道まで続いていた。裏参道を戻り、カメラを持ってもう一度斜面を登った(妻は車の中)。こうして、五百羅漢には行けなかったが、何とか午前中の計画は終わった。気がつけば、神社ばかりを見て歩いたのである。 ホテルでベッドにひっくり返って大休憩、まったくの高齢老人の旅である。雨はすっかり上がり、青空をのぞかせ始めている空がホテルの窓から見える。午後1時半ごろホテルを出た。ホテルからまっすぐ遠野駅まで伸びる道の二つ目の信号の左手に大きな蕎麦屋があってそこで昼食をとった。 蕎麦屋の道向かいに白壁の蔵造りの建物が並んでいる。「蔵の道」と名付けられた通り(車は通れない)を抜けて行くと、すぐに遠野駅に出る。途中に神社があるはずだったが見つけられなかった。駅前には大きな観光案内所があり、それも白壁づくりなのだった。おまけに火の見やぐらまで再現してある。 そこから北の方をぐるっと大回りして、来内川という小さな橋に架かる「柳玄寺橋」(『遠野物語拾遺』第137話)と「新橋」(同、第229話)を見に行く。柳玄寺橋は木造の小さな橋で、西詰のお寺が柳玄寺である。新橋は、今ではどこにでもあるような橋で、その近くの木造の橋の方に目が引かれた。 その辺りで、もう見たいものが見つからなくなったので、どこかでコーヒーでも飲もうとさっきの蔵の道まで戻って探したが、店があっても閉まっていたりして見つけられないままホテルに戻ってロビーでコーヒーを飲んだ(少し飲んで残りは部屋でゆっくり飲んだ)。その後は、疲れてもいないのに大休憩という昼寝タイムになった。 今日の7時予約の夕食を30分遅らせてもらうことになっているので、少し多くの夕景を撮れそうである。私は6時10分ごろにホテルを出て街を歩き回り、妻は7時10分ごろに出てレストランへの道の途上で落ち合うことにした。夕景の写真はそれなりに取ることができた。とくに橋を自転車で渡る中学生を影絵のように撮ることができたこと、寺の山門越しの夕空を撮れたことは私にとっては上出来だった。 それなりに写真が撮れて満足したのだが、それ以上に満足したのは夕食だった。高齢なので量は少なめにとお願いしていたイタリアン(と私は思ったがフレンチかもしれない)のフルコースがどれもおいしくて夢中になって食べた。妻が娘に送る料理の写真を撮るように命じられているのだが、カメラより先に出てきた料理に手が出てしまう。オーナーシェフが選んでくれたシャルドネの白もおいしくて、こちらは飲みすぎないようにセーブするのが大変だった。 昨日の夕食は、家庭料理と銘打った和食でこれも素晴らしくおいしかった。とくに珍しい食材ではないもののどれも新鮮で優しく料理されている感じがするものばかりだった。主夫としてはぜひとも真似をしたい料理ばかりだったが、その到達地点は絶望的に遠く思えるのだった。 昨日の店も今日の店も小さな店だったが、客は私たちだけだった。予約した私たち(だけ)のために準備してくれていたのかという思いが、ホテルまでの帰り道でじわっときた。 それにしても遠野は観光地だと思っていたのだが、観光客が少ない。これまで観光スポットで出会ったのは、遠野ふるさと村の高校生の団体(私たちと入れ替わりだったので、実質的には広大な施設に私たち二人だけ)と山口集落の水車小屋に車で来た夫婦らしい二人連れだけだった。夏の暑い時期、しかも梅雨時に観光旅行する愚か者は少ないということかもしれないが、遠野物語などに観光気分を誘発される世代は私たちぐらいで終わっているのかもしれない。ましてや、いまやどこの観光地にもあふれかえっている外国人にはさすがに遠野物語がどうのということはないだろう。静かな旅になって私たちにはとてもいいのだが、遠野のことが少しばかり心配になるのだった。いつかまた来てみたい、またおいしい夕食を食べたいと心秘かに考え、妻に打診する時期のことまで考える日となった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.10
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