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海に沈む夕日を見たい、写真に撮ってみたいと思い続けていた。宮城県の奥羽山脈のふもとに近い農村で生まれ育った身には、海に沈む夕日どころか海も縁遠かった。それでも今年の初めには三陸の海を見に出かけ、太平洋から上る朝日を撮ることができた。その勢いで秋田市近辺のどこかで日本海の夕日も見たいと計画していたが、実現できなかった。 そうだ、兄の墓参りに行こう。三兄は山形県の小国町で住んでいてコロナ禍の時期に亡くなった。葬式に行くこともかなわなかったので、何とか墓参りに行きたいと思い立ったのである。小国町は新潟県との県境に近く、そこから県境を越えれば日本海に面する村上市は直ぐである。小国町で休めば車の運転も大丈夫そうだ、というわけで日本海へ2泊3日の夕日小旅行を決行した。 仙台から東北道、山形道を経て南陽市から西に向かい飯豊連山と朝日連山に挟まれた小国町に向かう。途中、飯豊町の道の駅でひと休みして昼食を採ろうと思ったのだが食堂の開店が遅かったので、待つ間の時間つぶしにはいくつかあるツバメの巣を観察した。親ツバメが餌を運んできて雛に与えるのだが、それがあっという間でなかなかカメラに収まらない。上を見上げながら構えたカメラをぶれさせずにじっと待つのはけっこう体力を消耗するのだが、何とかシャッターが間に合った一枚が撮れた。 小国町での用事を終えた後はまっすぐ村上市までと出発したが、国道に出るとすぐに小国町の道の駅があった。帰りのコースは決めていなかったが、この道を戻る時のためにお土産の下調べのつもりで入ることにした。裏の駐車場の斜面にニッコウキスゲがたくさん咲いていて、飯豊でのツバメとあわせて旅の途中の記念としてはちょっといい写真が撮れた。 村上市で最初に向かったのは「岩船夕日の森 森林公園」だった。当然ながら「夕日」という言葉に惹かれたのである。小さな公園でちょっとした展望台があるだけだったが、一応夕日撮影の候補に入れて、つぎは岩船漁港に向かった。漁港と漁船というのも山育ちには魅力的な写真のテーマなのである。時間も時間なので漁船の出入りはなく、係留された船の間で何人かが釣りをしているのが見える。昼食は、漁港のすぐそばの店でラーメンを食べた。「玉寿し」という店で寿司もいいかなと思って入ったのだが寿司店らしい趣はなく普通の食堂だった(多分以前は寿司屋さんということだったのだろう)。 宿は村上市の瀬波温泉の「清波温泉」というホテルに予約していた。ホテルの前は日本海で、通された4階の部屋の窓からも日本海が一望できる。海岸にはぽつぽつと釣り人の姿が見える。夕日の写真に絶好である。 宿でひと休みしてから「早川流れ」という観光スポットに向かった。海岸の奇勝を観光船から眺めることができるというのでネットで16時発の最終船を予約していたのである。出発時間ぎりぎりで心配した観光船の人から2度ほど携帯に連絡が入ったが何とか間に合って、船の観光を楽しんだ。 海岸の岩の景色も、餌を求めて観光船の廻りを飛び交うウミネコの姿も、空の色も海の色もカメラを構える身にはたまらない時間となったが、午後の陽が日本海の波の上で輝くのが何にもまして素晴らしかった(とはいえ、いい写真にするのは難しいのだが)。 宿に帰って急いで夕飯を食べ(宿に頼んで定時より30分早く用意してもらっていた)、部屋に戻って傾き始めた太陽の写真を撮り始めた。海の上をまっすぐに伸びて来る光の道を海岸から見たらどうなるのかと思って急いで海岸まで出てみたがさほどのことはなくて息を切らして部屋まで戻ってきて撮影を続けた。温泉ホテルなのに温泉のことはどっかにいってしまって、温泉好きの妻もあたふたしている私に気おされたのか、私のカメラ疲れが治まる10時くらいまで辛抱強く(実際はたっぷりと眠り込んで)待っていてくれた。 今年の2月に大船渡湾に面した温泉ホテルで泊まった部屋から太平洋から上る朝日を撮り、今回もまったく同じように泊まったホテルの部屋から日本海に沈む太陽を撮った。これはこれでカメラ初心者の撮影旅行らしくていい。これ以上のことは、またいずれのことである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.17
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終活としてカメラに少しならず真剣に取り組んでみたいと考えたとき、フェイスブックのカメラ愛好者のグループに参加させてもらった。初心者としてひたすらいい写真がどんなものか見たいということである。私のような初心者らしき人も多いのだが、30年も40年ものキャリアを誇るプロらしい人、あるいはプロ級の人も大勢いて、その人たちのコメントのやり取りには全く理解できない言葉が飛び交うこともあって、専門用語らしきものをネットで検索しながら追いかけている状態である。ただ、ベテランほど初心者にやさしくて、コメントで励ましてもらいながら今では毎日のように投稿できるようになった。 そのFBグループに花の写真を投稿するのだが、梅や桜や薔薇がそれぞれの季節にはたくさん掲載され、関西、関東の人が「もう季節は終わり」などとコメントするころに、私はその花の写真を仙台から投稿するのである。みんなが見飽きたころに投稿するので注目されにくいとも思うのだが、先行する写真をたくさん参考にしているので初心者には大いに助かるのである。 桜花の「いい写真」をたくさん見た。だから今年は張り切って桜の写真を採りで出かけた。薔薇の写真も嫌になるほど見たうえで、私もたくさんのバラの写真を撮ろうと薔薇園に出かけたのである。梅園を見に出かけたせんだい農業園芸センターの薔薇園がそろそろ盛りを迎えるというローカルニュースがきっかけになって妻と一緒に出かけた。 これらの写真は広角レンズを使って写したものばかりである。広角レンズは広い景色を撮るのに向いているのだが、さいきんその短焦点の広角レンズで花を撮ることに夢中になっている。10㎜程の短焦点であれば花にくっつくようにして大きくとることができ、絞りを20以上に絞ると背景はどんどん小さくなるがそこにもピントが合うようになる。花の写真はマクロレンズを用いて花そのものにピントを合わせ、絞りを開いて周囲をボケさせて花を際立たせるという方法が採られることが多いが、広角レンズでその逆のことをやろうというのである。それでも広角レンズでは距離感が出て周囲の風景は遠ざかっているように(小さくなって)見えるので花そのものは際立つように映るのではないかと考えたのである。 もちろん花を撮るのにこの方法が何時でもよいなどということはないだろう。時と場合によって使い分けられたらいいだろうと考えての実験期間なのである。実験物理学を職業としていたせいかもしれないが、こういう試みが好きなのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.13
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今日もカメラ持参で本を返却、借り出しした仙台市図書館を起点に歩き回るのである。起点が同じで徒歩で歩き回るのでたいてい同じ場所が重なってしまう。つまり同じ被写体ばかりを辿るようになるのだが、新しく興味を誘うような何かがきっと見つかると(ほとんど根拠のない)思い込みだけがこのカメラ散歩の拠りどころである。四日前の同じような散歩でもそんなに多くはないがなにがしかの結果はあったのだ。 今日は初めからどこを歩くのか決めていた。図書館から定禅寺通りを一番町の北端まで歩き、そこから一番町の東側の路地をたどりながら一番町の南端まで行くのである。何度も歩いているが、そんなことは気にしないことにして歩くのである(多少はやけ気味でないこともないが………)。 まず、仙台三越横の狭い路地に入る。この路地の片側はこの路地より広い道に並ぶ店の裏側になっていてガスや水道の配管、換気扇の出口、クーラーの室外機などが一面に張り付いていて、その景色(風情)が意外と私を惹きつける所である。もう一方の片側に小さな店が並んでいるほんとうに小さな路地である。 その小さな店の一つが表に張り出したメニューを見て思わずシャッターを押した。「もつ煮」、「やきとり」と並んで、「酒と泪」、「一人酒」、「手酌酒」が並んでいるのである。「一人酒」、「手酌酒」はまあまあ良しとして、「酒と泪」はどうやって賞味するのかなどとしょうもないことを考えたりした。お店の人のセンスを酒の肴に少しばかり酒を味わいたいところだが、こんな真昼間には開店していないのである。 その路地を出ると、道なりに薔薇、車輪梅、山法師などが咲いていた。建築基準法に定められているのか、最近の大きなビルには必ず緑地が造られている。その一つに入ってみると、磨かれた石のベンチに上に雨粒が並んでいる。鏡のような石の面に映るビルの影や空に雨粒が趣を加えていて、何回もシャッターを押したものの「いい写真」になるかどうかは心許ない。そのベンチの隣にまだ花弁の開いていない西洋石楠花があった。文字通り「萌え」の状態で、開ききった西洋石楠花の華やかさに比べれば、むしろこちらが私の好みに近い。目立たぬようにひっそりと生きる方が好ましいのである。 一番町の南端近くの文化横丁や壱弐参(いろは)横丁に向かうと、ここにもビル併設の緑地が小さな公園になっていて数本の山法師がたくさん花をつけていた。最近はどこでも山法師が見られるようになった。先日通りかかった新興住宅地の道には山法師が並木として植えられて満開に咲いていた。 文化横丁の出入り口のそれぞれに赤い提灯が立てられていた。文化横丁や壱弐参(いろは)横丁の写真は前にもだいぶ撮っているので、今回はモノクロで写してみたりした。 同じ場所、同じ被写体でも撮ってみれば何かが変わっているかもしれない。少し年を取った私が変わっていて少しばかり「いい写真」になっているのが理想だが、高望みはしないようにしよう。とはいえ、やはりどっかいい場所でシャッターを押してみたい気持ちは強くなるばかりだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.12
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三度の食事を作ることも終活の一つとして張り切っていたのだが、毎回毎回はりきって頑張っているというわけではない。張り切るという精神のポテンシャルは明らかに指数関数的に減衰して、いまやごく普通の日常茶飯事のことになり、ときとして食事の準備を考えただけでも嫌になることがある。この日は、そんな日だった。妻を青葉山公園への散歩に、そのついでに公園の仙臺緑彩館のカフェで昼食でもと誘った。花壇の花の写真を撮りたいという希望も伝えた。足が弱くなってリハビリに通っている妻にとってちょうど手ごろな距離ということもあってさっそく出発した。 仙臺緑彩館のカフェでランチとして食べられるのは何種類かのハンバーガーだけであるが、妻はラーメンなどと言い出す。確かにラーメンを食べている人がいるのだが、昼を回った時間帯で従業員の人が賄い食を食べているだけのことだった。 数えてみたら、私はこの日で人生4つ目のハンバーガーを食べたことになる。仙台にハンバーガーショップができたころに食べに行ったのが一度目で、それからだいぶ経って仕事で出かけたリオデジャネイロで若い人と一緒に食べた。着いたばかりで市内の様子がわからず万国共通らしいショップに入ったのである。三度目は、仙臺緑彩館ができてからこのカフェで食べたので、数年前のことである。私はパンが苦手なのでこんなものだと思っていたが、パン好きの妻もそんな程度だという。私としては早くカメラを持って庭に出たいのだが、ゆっくり食べてのんびり食後のコーヒーを楽しむ妻ににこにこと(作り笑いをしつつ)付き合うことになった。ようやくカフェを後にして庭に出た。遠くにポピーの群落が見えたが、まずは近くの花壇から撮影を始めた。小さな花だがきれいな青色のアンチューサ、大きく育ったハマナスの花、ウツギとしては花の大きいバイカウツギ、小さな花が丸いボールなっているテマリシモツケなどがあった。 私が写真を撮っている間、妻は自由に花壇を見ながら歩いている。一度遠くのポピーの花壇近くから手招きされ、暑くなったので上着を持ってくれということだった。上着をカメラバッグに挟んでそのままポピーの撮影に入った。ポピーというのは様々な花色があって楽しいのだが、一年草なので毎年種から育てなければならない。わが家で咲いたのは一年だけだったのは、時期を間違えずタネを植えるということが面倒だっただけのことである。 ポピ―花壇に連なる花壇にはエリンジウムやサルビアヌタンスなども咲いていた。そのあたりからは広瀬川大橋が見え、市内循環定期観光バス「ループル仙台」のバスが大橋を渡って仙台城跡に向かっていた。その写真が今日のカメラ散歩の最後の一枚である。 昨年の今頃は山菜取りを兼ねた山草・野草の写真撮影で山を歩いている時期なのだが、今年は熊の出没が相次いでいて、山に行くことには逡巡している。じつは青葉山公園近辺にも時々姿を見せていて、早朝散歩などには格段に気を遣うのである。つい最近、わが家の下の広瀬川の河原で目撃情報があって、現在は仙台市が熊の捕獲檻を設置している状況である。山の花を撮りになどと口にできるはずもないのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.06
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一か月以上もブログを更新していなかった。ブログを書いていないなあという思いはいつも心のどこかでくすぶっていたが、何か気ぜわしく時が過ぎてしまった。どんどんのんびりとなっていく老後の暮らしのはずが、終活拡大路線を採用したせいでたぶん能力を越えて忙しい(と感じている)のである。 半年ほど前から新しい終活として好きな詩や短歌をおさらいておくということを始めた。まず、明治以降の詩、短歌、俳句で読まずに漏れているものを探すのである。年金暮らしなので、本はすべて図書館だよりである。明治以降に出版された歌集を集めた「現代短歌全集」は全17巻のうち13巻まで読み終えた。全12巻の『鑑賞現代俳句全集』は何とか全巻を読み終えた。詩については仙台市の七つの図書館の蔵書をネットで調べて借り出している(予約すると2,3日後に一番近い図書館で借り出すことができる)。 そんなこともあって、家にいるときは本を読むことに時間をさいてしまってブログを書く時間が犠牲になっているのである。終活カメラの方は、ぽつぽつと実行できている。そのひとつが一週間に一度は出かける図書館通いとカメラ散歩の合体である。ただ往復するだけではもったいないのでカメラ持参で出かけるのである。6冊ほどの返す本(借りた本)とカメラを背負うとずっしり来るが、こちらは筋トレ散歩の一部と考えれば何でもないのである。 私が通う仙台市民図書館は、市の中央部、自宅から徒歩で15分ほどの定禅寺通り(春日町)にある。その近辺はだいぶ歩き回っていていい被写体がまだまだあるとはとても思えないのだが、時間が違う、季節が違う、カメラマンの年は増えている、条件が違うのだから同じ被写体を撮ることには意味が十分にあるだろうと(開き直って)考えることにしている。 図書館裏の細道に出て、図書館が入っているせんだいメディアテークの建物のガラス壁に映るビルの景色が1枚目となった。そこから細道をたどりながら東に向かった。想像通り、シャッターを押す被写体をなかなか見つけられず宮城県庁裏の道(上杉一丁目)をぐるりと回って定禅寺通りを西に戻った。 定禅寺通りには4列の欅の並木があって、「杜の都」というキャッチコピーが指しているのは市街地の中ではたぶんここではないかという気がする。もっとも市街地からちょっと西へ進めば山また山、緑一面となってそれを「杜」と言ってしまえばそれまでだが………。 欅並木の新緑が最も美しい季節なのだが、どのようにとってもその感じが出なくて諦めかけたが、夾雑物なしで欅の緑だけ取ろうと(いくぶんやけ気味で)数回シャッターを押した。 図書館前を過ぎて西公園に向かう(といっても帰り道なのだが)。公園前の歩道に射す弱い日の感じが気に入って前後の写真を撮った。歩きなれた舗道の写真を撮りたいと思うこともあるのだとひそかに(自分に)感心しながら公園に入った。大きな常緑樹(ヒマラヤシーダーのような針葉樹)の幹の配列を楽しんでからちょっとした植え込みの中のツツジを見つけた。とっくに季節がすぎて咲き残りの花があるだけだったが、なにかその小さな花にとても愛しい感覚が湧くのだった。 カメラの収穫は多くなかったが、図書館の本を借り出し、思いバッグを背負っての街歩きという終活3点セットになったことで良しとする。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.07.04
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