山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2014.05.09
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テーマ: 街歩き(650)
カテゴリ: 街歩き

  久しぶりの肴町公園。めずらしく集合時間18:00きっちりに会場に着いた。肴町公園は、青葉通りや晩翠通りなどの大きな道からは奥まったところにあって、どの路地から行くのか、今でも間違うときがある。

  「肴町」というのは、大町、立町、南町、柳町、荒町とともに藩祖伊達政宗とともに山形・米沢から岩出山、仙台と一緒に移ってきた商人の町で、6町を「御譜代町」と呼んでいたらしい(ということが立町の交差点の案内看板に書かれていた)。由緒正しい地名だが、この公園に地名が残るだけのようだ。

nnk73-1肴町公園全景。 (2014/5/9 18:00)

  先週は、幼児のような突然の高熱でデモを休んでしまった。2日間だけの発熱でケロッとおさまってしまった。医者にも診てもらったのだが、「なんだかわからん」といって解熱剤をもらっただけだった。こんなことは、この長い人生で初めてのような気がする。
  それでも、休んだ後では、ほんの少しばかり新鮮な気分がして、いそいそとやって来たのだ。おかげで、1秒も遅刻はしなかった。

nnk73-2初参加の青年がスピ-チを。(2014/5/9 18:18)

  主催者からの挨拶(今日は会計報告)のあと、フリートークは初参加の若者から始まった。原発事故以降、魚と肉を食べていない、放射能汚染、内部被爆の危険性を訴えたいと熱弁を振るった。

nnk73-3暮れていく中での集会風景。(2014/5/9 18:39)

  フリートークの最後は、浅野さんが今日はギターなしで登場して、詩を朗読した。ネットで流れて、いろんな集会で紹介されている詩である。福島県南相馬市からから関西へ避難された青田恵子さんという方の作詩で、『 拝啓関西電力様』 というタイトルである。「エアコン止めで、耳の穴かっぽじって/よーぐ聞け。」と始まる原発事故への抗議の詩だ。福島弁で書かれていて、それだけいっそう切実で激しい憤りが迸ってくる。
  浅野さんの朗読もすばらしくて、会場は静まりかえっていた。

nnk73-4一番町に入る。(2014/5/9 18:52)

  青田さんの詩に「原発は 田んぼも畑も海も/人の住む所も/ぜーんぶ(全部)かっぱらったんだ。」という一節がある。「ハイマートロス」とか「故郷喪失」というものは、ロマン主義に限らず、ずっと文学、芸術の欠かせない主題だったが、いまやまったく異質の「故郷喪失」の時代になってしまった。
  根本昌幸さんという詩人がいる。福島県浪江町に生まれて、原発事故によって相馬市に避難を余儀なくされた一人である。最近、根本さんの詩集『荒野 (あらの) に立ちて ――わが浪江町』を読んだ。優れた児童詩も書いている詩人らしく、やさしく平明な言葉で書かれた詩集である。その中の一篇。

ふるさとはどこですか
と 聞かれて
ふるさとはありません
と 答える。

ふるさとがない――
それはほんとうですか。

ほんとうです。
そう言って うつむく
ほんとうにないんですよ。

生まれた所はあるでしょう。

それはもちろんあります。
けれど今はありません。
捨てた訳ではありません。
途中からなくなったのです。

悲しいことです。

同情などいりません。
目を閉じると
美しい風景が浮かびます。
あれは私のユートピアでした。

夢など持ちたくても
私も もう年を追いました。
         根本昌幸「ふるさとがない」 [1]

nnk73-5
定禅寺通り、ケヤキ青葉のトンネルの下、デモ列と仙台市営バスが行く。
(2014/5/9 19:11)

nnk73-6シンプルで美しい。(2014/5/9 19:16)

  生まれ育った地は、そこにそっくりそのままの物理空間として存在しているが、いわば異次元空間のようにそこに立ち入ることが出来ない。そこは生命の場所ではない。「死んだ町」だと詩人は語る。

死んだ町だった
と 言った人がいた。
あと一言付け加えればよかったものを
その人はそれで
大臣を辞めた。
しかし それはほんとうのことだ
ある日 突然
町から人が消えた。
残された犬や猫や豚や鶏たち
牛や馬。
その他の動物たちは
何を思ったであろう。
言葉の話すことの出来ない
動物たちは
人っ子一人いない町を
餌を求めて
あるいは人間を求めて
さまよい続けたに違いない。
いったい何がおきたのだろう と。
不思議に思ったに違いない。
そしておびえるように
鳴き声を上げたであろう。
やがて動物たちは
目に涙を浮かべて死んでいったのだ。
ある日突然いなくなった
人間たちを恨みながら。
死んだ町は 今も
死んだままだ。
いつまでたっても死んだ町。
いつかは消えていく町。
幻の町。
         根本昌幸「死んだ町」 [2]

nnk73-7定禅寺通りから晩翠通りへ曲っていく。 (2014/5/9 19:22)

  私たちは、まだ放射能の降り注いだ街で暮らしている。私(たち)の反原発の運動は「福島の人に寄りそって」などというものではない。「私たちも被害者だ」とスピーチした浅野さんの言うとおりである。
  昨日、妻は知人から山菜を頂いて困り果てていた。「親切で持ってきてくれたのに……」。若い頃、職業被爆としてけっこうな線量を浴びた私だって食べないのだ。年老いたといえども、私はまだ人生を諦めたわけではない。


[1] 根本昌幸詩集『荒野に立ちて ――わが浪江町』(コールサック社、2014年) p. 74。
[2] 同上、p. 60。






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Last updated  2022.10.16 15:11:04
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