香春の宇宙庭園
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南方熊楠がなぜ神社合祀反対運動にあれほどの熱量を傾けたのか。日本人で初めてエコロジーという言葉を使い、熊野の鎮守の森が次々と伐採されていくことに激怒し戦った。生態系の破壊がひいては自滅の道であることを訴え続けたが、もうひとつ大きな衝動があったのではないか。神社が力をなくしていくことに対する感情だ。鎮守の森は神の森であり、森は精霊の依り代。ヒトは自然と相似象であり、多層的につながり重なり合っている。地上から絶滅種が出るのと同時に、ヒトの体の細胞組織の一部も消える、と夢想したことがある。南方マンダラは森羅万象のまさに多層のつながりをイメージさせる。自然界そして宇宙とヒトは、合わせ鏡のように互いを無限に写しあっているのだろう。ヒトも自然の一部とはよくいうけれど、同時に自然はヒトの細胞なのだ。鎮守の森とは精霊の住まうところであると同時に、そこに踏み入るものの内側の神を鏡に写してみせる場ではなかったか。神社は今、ヒトの欲の願掛けの空間に変わってしまった。本来ここにあることの感謝だけを捧げてきたものを。古代、森は南方マンダラのように自在にお互いをネットワークさせていただろう。多様な生命とともにあふれるほどの精霊に満ちていただろう。森と森を結ぶ回廊は動物たちの道となり、そこを通して大地の血液が通っていた。森を生み出したのは海であり、そこに地球の意志があったのだ。すべてのものは互いを生み出し、互いに育てあってきた。生命も無機物も同じ原子の配列の違いがあるだけ。そこに働いた意識の違いがあるだけなのだ。樹齢5000年の大木とスカイツリーの違いはなんだろう。福島原発の爆発後の無残にむきだしになった鉄骨が、伐採された森の姿に重なって見えるのは僕だけだろうか。首都圏すべての人間がその恩恵を受けてきた原発。すべてを停止させるのは前提だとしても、作り出し運営してきた人間に責任があるのであって、電気、原発が憎しみの対象なのではない。ひとつの森とひとつの原発。一方は善で一方は悪なのだろうか。すくなくとも、ともに多くの生命を支えてきた。今福島原発に、ありがとう、ご苦労様でした、と思っている人はいるだろうか。朝、太陽がのぼることは当たり前のことじゃない。奇跡の恩寵がそこに存在している。自然も人工も、生み出すものも生み出されれるものも互いに合わせ鏡として存在している。永久に土には還らないといわれたプラスチックを食べるバクテリアがいた。この宇宙に存在するものは、それが自然であれ、ヒトが作り出したものであれ、たったひとつの原素から構成される事象なのだ。このことはなんと大きな救いだろうか。構造が変われば、まったく別のものにすべては移り変わっていく。そのデザインを決定しているものの秘密がある。神の森は黙ったままその秘密を密かに開示し続けている。それを垣間見たのが南方熊楠だ。彼にとって鎮守の森を破壊されることは、その秘密がヒトから永遠に閉ざされてしまうことになると感じたのではないだろうか。
2012.03.20
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