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車筆太

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2005年12月15日
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カテゴリ: 書籍
       つづき・・・

 「 共産党の共は共生の共である 」という冗談じみた話を聞いたことがある。折りしも、共生と聞くと「 共に生き 」て地球は一つみたいなノーテンキで、何だか知らないが「 いい事 」のようにみなされていた時期(「個性」の時もそうだったが、外枠の記号としてのみの言葉から本来の意味を恣意的に切り取り、切り貼りした上で価値判断を加えるパターンが定期的にメディアには登場する)であった。

 ポスト・モダニズム思想における数学、物理学の概念・用語の濫用にたいして、 アラン・カーソル ジャン・ブリクモン は『 知の欺瞞 』において痛烈に批判している。
生態学的視点 」を否定するものではないだろう。共生の本来の意味と現象を押さえつつ、その上で共生をそのものとして用いるのではなく、「 生態学的な視点 」から用いることは、可能かもしれない。。そのためにも、まずは共生が自然界では如何なる現象なのかそれを知っておく必要がある。

 「 異種間の動物が相互に利益を交換しながら共同生活を行うこと 」を「 相利共生 」といい、これをそのまま移入したものが初めに挙げた「 共生 」の原型と思われる。実際にはこのような「 理想的な 」共生は自然界においては稀有な例であるという。多くは、「 両者の間の利益が相反する 」、共生相手に何の見返りもなく、むしろ損害を与える「 片利共生 」になるという。
 また、「 片利共生 」において、共生相手にある程度の度を越えた損害を与えるとそれは「 寄生 相利共生 」といえどもその類を洩れず、条件によっては、「 寄生 」となってしまう場合が存在する。

 どうにも、自然界では「共生」というのは、弱肉強食を乗り切る知恵というより、一方的搾取に近いようである。
 ならば、「 相利共生 」だけを我々は 参考
 しかし、自然界における共生はその現象が起きる「 社会 」が限定されているので、利益の相互関係が分かりやすい。一方、我々において「 社会 」は、幾重にも重なる複雑な構造になっているため、利益の相互関係が非常に分かりにくくなっている。
 例えば、AがBにワイロを送ったとしよう。AとBとの間には「 相利共生 」が成立していると言える。しかし、当然これは犯罪である。ここにAとBの利益関係とは無関係の「 法律 」という概念が加わってくる。AとBの「 社会 」の利益関係の成立は、その外の「 社会 」からすると損害となる。
 誰にも迷惑のかからない、法律に触れない利益関係ならどうだろう。まず、資本主義における利益関係が考えられる。売る買うという単純な関係においても、否応なく「社会」は割り込んでくるので、純粋な利益関係とは言いがたいかもしれない。だが、一部においては共生関係が成立しそうである。
 では、「平和」というのはどうだろう。これだと共生関係が成立するのかどうなのかすら不明で、そもそも「共生」という概念を導入する意味があるのかどうかすら分からない。

 どうも、私の考える範囲では「共生」という概念を、わざわざ移入してくる意味が思い当たらない。関連の書籍には事欠かないだろうから、これはこれからの課題としておく。

                 つづく・・・?

      『 キリンの首はなぜ長いのか





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最終更新日  2005年12月16日 00時30分44秒
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