風と散策
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
げに脚本家(ここではふじきみつ彦氏)とは罪なお人よ。「ゴブサタ ニシコオリサン」 の最終回では松江の橋上、錦織とヘブンの絡みで「日本人になってはならない、そうすれば貴方は書けなくなる!」 と瘦せ細った体で必死にヘブンを諫める(?)。文字通り直前迄水分迄絶ってた吉沢亮さんだから、最初は声もか細く、、、最後には大発声となり、さぞや吉沢亮さん死ぬ思いだろうな、と痛々しくて観てられないとさえ思わせ・・・で、私は気付いちゃった。 錦織 ”逆張り” してるな?と。事実、憤然とその足で松江の投宿旅館に帰ったヘブンは、執筆の為、思わず寝ている義父司之介を跨いで机に向かう。「何じゃ?」 と半身起き上がった司之介の可笑しみ!暫く後に、共に旅館に着いたトキに錦織は 「たきつけたのだ」 と語る。「初登校(松江中学)の時もそうだった。 本当に世話の焼けるお人だ」 と。そこで再び喀血した手のひらを背中でそっと隠し・・・↑ 然し史実は違うのだ。モデルの西田千太郎はハーンの帰化に反対等していなくて、積極的に関わっている。「ゴブサタ ニシコオリサン」 では、我々視聴者は涙腺が崩壊してしまった。まんまと脚本家の手のひらで、意のままに転がされていると言わせてくれ。史実に沿わない事を非難しているのではない。全体を通して、史実通りも半分くらいはあるし。つまり、私は大袈裟に言えば全能の神(市井人1人1人を感動のるつぼのままで誰かに言いたい欲求を抱えてその日の行動に向かいせしめている)として脚本家のふじきみつ彦さんを称えているのだ。勿論脚本家だけではこの事業は成り立たない。作品の半分くらい迄は 「高石あかり良くやった!」 とその演技に私は魅了されてきたが、結ばれたら面白くなくなる、のセオリー通り段々トキの存在が左程にも重要でなくなり(私にとって)、そしてそれはあろう事かヘブンさんにも言えて、、、そう、私に取って錦織さんが影の主役で来ていた様な気がする。熊本編の1ヶ月の空白は、錦織さんロスであんまり面白くなかったし。その空白で吉沢亮さんは壮絶なダイエットをした訳だが、ここは私は 「良くやった」 とは言いたくない。 役者魂も程々に、と言いたい。空白を置いて現場に戻った時、スタッフが 「死ぬのではないか」 と驚いた、と云う事実は、看過出来ない。若いから死ななかったのだが、高齢者は確実に死ぬレベルだ。いよいよ終盤を迎えるに当たって言えるのは、小泉八雲は 「怪談」 だけでなく沢山の著書を著している事を知った事だ。 本当に文筆家だったんだなーーと知った次第。ここで改めて言っておきたい。戦後マッカーサーが占領統治して、日本の国体をどうして行くか迷った時に、天皇制を排して共和制にして行くと云う議論が米本土では起こったが、それを止めたのがマッカーサーの補佐官ボナーフェラーズの進言であったと云う事だ。彼は確か 「古事記」 の英訳を読んでいて、その繋がりで小泉八雲の著書に出会っていたと云う。戦前に日本で八雲の子孫を探したそうで、長男、次男、三男の何れかの子供達の中の一人か、更にその子供達の中の一人かと親交があり、現小泉家当主小泉凡さんが生まれた際には、ボナーを取って凡と名付けた名付け親となっている。天皇制を排したら却って日本国民を統治し辛くなる、と進言。マッカーサーも昭和天皇が連合国総司令部に赴いた時に 「どうせ命乞いだろう」 と鼻であしらう姿勢であったが(これ迄の敗戦国の首領は命乞いをするのが普通)、「我が身は如何になろうとも構わない(処刑の意)。どうか国民を救って下さい」 と訴えた昭和天皇を 「真に紳士であった。私はかつてこんな紳士を見た事がない」 と感嘆せしめ(後の記録)、マッカーサーをして天皇を玄関迄送らせたのだ。ボナーフェラーズの進言も根底にあってこその、日本国体保持の瞬間であっただろう。それさえも、小泉八雲が居なかったらボナーフェラーズも居なくて、、と考えると非常に感慨深いものがあるのだ。
2026.03.14
コメント(0)