風と散策

風と散策

2008.10.24
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器比べ勝と会う


 不自然に感じている皆さんは非常に多いと思う。
 幾ら養母、と云えどもってね。

 いや、形式的に例え万が一自分よりも年下でも、
 養母となると、母上と呼ばなくてはならない義理は生じるだろうが、
 この家茂クンの場合、 ほんとに母上と敬っている のだから、
 はてさて事実どれだけ年が離れているのだろう、、、と
 ちゃんと調べればいいものを、
 長く放っといて気持ちの悪さを感じてきたモンダ。

 時折ナレーションで年齢に関する情報を、あれやこれや過去の放映の
 記憶の糸と繋ぎ合わせる作業をしても、
 要するに5歳以上は離れているのは確かよね、
 くらいの拠り所しか無く、
 まあまあー演出さ、割り切ろうゼ、と一旦身を引いたモンダ。

 然るに、この度やっと重い腰を上げ申した。
 (例によって ウィキペディア だから重くも何ともないけどね)

 10歳、離れていたんだね!

 家茂が将軍になった時が13歳、和宮と結婚した時が17歳、
 亡くなったのが、前回放映で21歳。

 そこで異議ありーーー

 13歳の前に篤姫は、将軍候補の紀州藩主徳川慶福(家茂)と
 御三卿一橋家の世嗣徳川慶喜に会っている。
 その時を12歳としよう・・・

 あの時点で配役181センチの「松田翔太」は
 幾ら何でも無理だろう! (子役にすべきだった)
 例え松田翔太(名優松田優作の遺児)が重要な役柄で、
 なるべく同じ人物で通したかったからと云って・・・

 あの場面のミスキャストが以来 ”母上” を非常に違和感を持って
 聞く事になってしまった、と私は思っている。

 極め付けは最近の、家茂上洛の折篤姫との別れに
 ”私には勿体ない母上でございます” との台詞・・・

 でもこれも最初の出会い、そして将軍となって大奥に現われた時が、
 ほんの12、13歳の(満では11、12歳)子供であり、
 篤姫が22、23歳のれっきとした大人であったとすれば、
 すんなりと納得出来る。
 この時代の10歳の差は確かに大きいものだから。

上記の事は、空前のヒットを飛ばした「篤姫」の中、


 あ、それから「薩長同盟」は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によれば
 こんな比較的容易に結ばれた筈なく、七転八倒、
 殺気を孕んだ場面が幾重にも登場し、事実数名の被害者が生じた末の
 取得だったという事を、竜馬の名誉の為に付け加えて置きます。








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最終更新日  2008.10.28 07:05:18
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