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美ら海水族館。哺乳類の場合、母親による投資と父親による投資はまったく同等ではない。オスは・・・くらいだが、メスは排卵、妊娠、授乳をしなければならない。生物学的にコストの高い一連の過程に母親は、拘束され繁殖できない。この不平等に対して性淘汰がある。性淘汰は、メスの選り好みで為される。メスにとって、選択は単なる美的好みではなかった。最新の研究では、一部のメスは子に伝達できるオスの遺伝的メリットを考慮して配偶者を選んでいる。メスにかかる淘汰圧は一頭の♂に繁殖を独占されないようにしなければならないからだ。メスの審美眼に遺伝的なメリットが在るかも知れない。シンメトリーもあるかも知れない。人間の場合なら、左右の耳たぶ、頬骨、顎骨、肘が動物の基本的にシンメトリーになるはずの形質だという。この形質に偏りを及ぼすストレスがある。環境上の問題で、生物体の発達が妨げられてしまうのだ。かかるシンメトリーのゆらぎがある。環境の変化、汚染、病気、あたらしいパラサイトなどが野生動物に及ぼす被害を調べた生物学者によって構築されている。要するに、それが最もシンメトリーな♂なのだ。自分の子の父親となる♂を実験室のテストで選ぶことのできないメスにとっては、次善の策となる。シリアゲムシは、シンメトリーな♂は、一種独特のフェロモンを発しているかも知れない。これらは、メスが計算高い戦略家であることをしめすだろうか。配偶者選択を強制されたメスに負わされるコストは相当なものだという。メスの決断は、性淘汰において重要な意味をもつだろう。どの母親にとっても、人生はターニングポイントと決断の連続である。自然界において、自己犠牲的な母親が、如何に特殊な生き物であるかがわかる。余程逼迫した環境下でもない限り、普遍的な性質として進化することはない。それがあるのは一回繁殖の種でしかない。多回繁殖にはないという。段々面白くなってきたが、休憩します。私も人生のターニングポイントにおり、決断をしなければならない時が来るでしょうね。
2023.06.02
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琉球は、どんな国だったのだろうか。いまは遺跡しか残っていない。高い山のない小さな島国でもある。島の木は、南国の香りのするものばかりである。パラドックス (paradox) という言葉は難しいが、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す。「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。(Wikipedia)「漱石神話」には落とし穴がある。「神話」とはそういうものだ。自分と他人との間にあるパラドックスは、解消されることはない。漱石を理解することが難しいのは、自分と他人との関係を公平に理解するのと同じくらい困難なことなのだろう。 ・それこそ漱石を神話化することが可笑しいのだ。誰にも欠点はある。自分を理解して欲しいという願望も所詮は無駄に終わるに決まっている。それを試みることを嘲笑することはできないだけだ。カエルはオタマジャクシから変態する。カエルは飛び上がるが飛ぶことはできない。跳ねるだけだ。カエルは、遺伝子の設計通りの一生を過ごすだけだろう。過酷な環境は人間も同じだ。自分と他人と根幹ではパラドックスがある。競合している世界では、利害は一致しない。 ・へ2・・・自分のことが自分ではよく見えないのは、他人の指摘がよく当たることでもわかる。解かっていない自分が分母だろう。無意識の方が自分の大部分でもある。屹度、変な人間なのだろう。笑い飛ばせばよいのではないだろうか。
2023.06.02
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モロッコ。世界中に砂漠があるのに、日本は緑と水に囲まれた極東の島国である。まず地平線がない。周囲に人影のないことはあまりない。自宅の外は戦場だということも感じたことさえない。人権意識の低い国だといわれているが、なんと自然には恵まれている。コウノトリが赤ん坊を連れてくれなくても赤ん坊が生まれてくる。岸田政権は、カスミのようなことばかり言ってはいないだろうか。よほどの鈍感かアマちゃんでない限り、自分の目の視ている世界は次元の違う世界ではない。ふつうのことが普通に視えている。それをどう解釈するかで意味も違う。社会の矛盾や疎外に付いて考えないとしたら、現実を知らないのと同じだろう。親たちが何をしているか、それこそ仔猫がそうするようにじっと眺めている事から人間の子どももスタートする。 ・頭ではわかっていても行動が伴わないで泣きだしてしまう赤ん坊だ。意外と子どもは知っている。大人たちがまさかということも知っている。それを表現できないだけだ。矛盾や疎外も大き過ぎると視えなくなる。空気や雰囲気は、澱んでしまう。自分は愛されていると勘違いして人生を出発してしまう愚か者は多いのだ。 ・へ2・・・家族を愛しなさいと教えられるが、本当はそんなことはどこにも書いていない。親たちがそう思うだけだろう。聖書にも隣人を愛せと書いているだけだが、神との誓約だろう。親子の情愛に石を投じるために神はいる。なぜこうなるかといえば、この社会システムを否定しないからだ。矛盾があっても、疎外だらけでも否定をしない。こういう社会で活きていくのは難しい。新型コロナウイルス感染症が、中国で公表されて1年半になるが、やっとワクチン接種ができるらしい。パンデミックは終息したわけではないが、世界には差別のあらしが吹いている。先進国と自負している日本でさえ、いつ国民が全員摂取できるまでいるまでかかるかわからない。近くのクリニックで接種してもらうつもりだが、スムースに行くか初めてのことだ。不安がないわけではないが,コロナ疲れは言ってはおれない。
2023.06.02
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宮殿が焼けたとき、残ったものらしい。子供の頃は、飛行機に乗ってみたいと夢見ていたものだが、いつかそれが実現したが、何度か乗っているうちにそのことを忘れてしまっている。航空機は安全だと宣伝されていたし、ひやりとしたこともないわけではないが、いつもなにごともなくタッチダウンしている。タシケントのトランジットの時、地元の人らしい乗客の人たちがみんなで着陸の時わっと歓声を上げて拍手をされたのに驚いたが、それだけこの国では身近にリスクを感じて暮らしているからではないだろうかと想像した。 ・どこか偏屈であり、我儘でもある私である。好きなことをすれば他人の迷惑にもなる。平均寿命以上に長生きすることが名誉なこととは限らない。或いはさっさと消えた方が世のためかも知れない。どういうめぐりあわせか知らないが、こうして、誰もが知っている平凡なことをブログに書いて、ウオーキングしたと自惚れてもいる。何のこともない。ただ続けているだけだ。 ・へ2・・・価値を見出すことは至難だ。この社会を少しでも理解することも簡単ではない。自分の見たことがこの世のすべてではないからだ。ほんの一部のことでしかない。インドがどうのという筋合いではない。そんなことは、行けば分かることだし、インド人は昔から知っていることだ。好いところもあれば悪いところもある。何故改善できないかがあるだけだ。日本も同じだろう。社会悪がいつまでも解消できないでいる。どんなチャンスも何れは活かせなくなる。 それこそ日本では水を空気のように思っていると指摘されたことがある。私たちは、平和もこの70年余り空気のように思っていた。それがいかに微妙な紛争の多発している国際社会のバランス・オブ・パワーの上であって成立していたことを思わずにはいられない。他国ではむしろ無知や貧困や様々の厳しい戦いがあるのが普通でもあるのだろう。 然し、これからの日本が、その戦場に巻き込まれないという保証はない。目先の利益のためにしようとしていることは浅はかなリーダーがしがちなことだからだ。エゴイストたちを増殖し続けた報いだろうか。
2023.06.02
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「ヒドラの研究」の講義から。「神経伝達物質の起源はペプチドである。ペプチド作動性ニューロンからアミン作動性、コリン作動性ニューロンへ。」「ヒドラの神経環は、中枢神経系の起源である。」という仮説の説明だった。神経系の進化というテーマであった。もう一つは、コンピュータの歴史からホームページの訪問者が残す足跡を探る。というもので、興味深いものであった。「哲学と現代」岩崎允胤氏は、「日本国民は、深刻な国内の諸矛盾を克服して間違いをしかと反省し、真の中立、平和と主権在民、民主主義の日本をつくりあげ、そうすることを通じて、アジア、そして全世界の国民が平和のうちに生存し、すべての諸国が対等・平等の関係に立って永く共存することができるために努力しなければならない。これが日本国民がとるべき唯一の道である。」という。当然のことであろう。「日台」の文化の違いについて、台湾出身の方と有意義な話ができたと思う。あっという間に時間が過ぎてしまった。それこそフランクに話し合うことは大切なことではないだろうか。立場の違いや些細な面子に拘っていては、そのチャンスを逃してしまうだろう。知りたいことは、どこからでも手に入れられる時代になったと思う。いい勉強になった。外国の方と話しているとよく日本のことが判ると思う。 カンボジアの「日程表」が来たので見ているが、これもある意味さらに日本を知る旅でもあろう。いつどんな目に遭遇するのだろうか。日本列島で起きていることが想定外も在るに違いない。暗闇でバッサリもないとは言えない。それがどんな相であろうと。キリスト教の信者が、日本の寺社に油をまいて清めたことになるのか。摩訶不思議なことをする。それも医師?というからインテリだろう。気に食わないことは世の中にはあるが、そこは節度を守るしかない。信頼を裏切るようなことばかりしてはいないだろうか。国会で議論されているテレビ中継をあまり視聴する気にならないのは、空論に思えてならないからでもある。
2023.06.01
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自分を尊大にするか相手を卑下しようとしたりするのはひとのいつもの常套手段だが、これでは争いごとの種にもなる。優位に立とうとするあまり、結局躓きもする。急がば回れは、古人の教えで昔からある。安倍氏の3本の矢もだれかの入知恵だろう。小手先で構造改革ができるはずはない。日本の官僚たちが甘い汁を吸い続けているのは、日本の政治家たちが無能だからだ。 ・権力を持つべきでない人たちが、権力の座に座り続けている。威張るのは自分たちが弱いからに過ぎない。自信がないから威張るのだ。弱みを見せまいとする。公開するより非公開の方がト号が好いからだが、それが結局ダメージになっていく。腐敗が骨まで達していく。資本主義から社会主義になり、元に戻ることはないと教わったが違うだろうか。 ・へ2・・・物理の法則が、人間社会ではモザイクになる。自分の小さい体験で世の中をコントロールすることはできない。ひとが他人より優位に立つことはないのであり、あるとすれば幻想でしかない。
2023.06.01
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ひたひたと押し寄せてくる問題の所在を感じないではない。まだ大丈夫だと思っている自分も、いつかサイレントキラーにやられるかもしれない。脳科学は日進月歩でもあり、新しい発見が次々にされており、何度聴いても面白い。 ・これまで女子大には9年近く通っているので、同じ先生の話を聴く機会も多いが、毎回違うというのは、それだけ学問が広くて深いからでもある。PCを持ち込めたら、もっと具体的な内容を書けるのだが、これも色々あるから簡単ではない。読書だけでは、中々そこまでは素人には辿りつくことのできない分野の話が聴けるのも講演会の良さだろう。 ・へ2・・・脳の話は、興味のある内容だったので、また整理しながらメモしたいと思う。後者の講演会では、二人ペアーになって、今悩んでいる事を相手に話して、それを相手が否定していくというスキルだった。私は綺麗なご婦人とペアーになり、結構面白い話ができた。介護の手法としてバリデーション法というらしい。相手の言うことを否定しないで、認知症の患者の気持ちを引き出していくというテクニックの勉強だった。
2023.06.01
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その人に相応しいというのは、身分社会を肯定するのではない。社会は公平でなければならないし、民主主義は貫かねばならない。出自や世襲があるのもおかしい。固定観念が支配している偏頗な社会になってもいる。金持が裸にされて行き場を失って野たれ死にするかもしれない。それは覚悟して措くべきだろう。どんな社会になるかわからない。自分に相応しい暮らしと云うものも意外と難しいと思う。確たるものがないし、手本もない。 ・土台21世紀を初めて経験もする。或る人がこうあるべきだということに同意できるとは限らない。利己的な人間が、世間の指導者にもなっている。あの中国で汚職が多いというのもどこか歪んでいるからだろう。反面民主主義の権化のアメリカが格差社会だというのもどこかに病根があると思う。この世では、理想社会は不可能なのだろうか。これだけ時間とカネをかけながら、国際社会が遣って来たことは、大山鳴動して鼠一匹だ。 ・へ2・・・一人の人間としてのスペースは、80億人分の1でしかない。自分に相応しい人生を後悔せず暮らしていくために、どうあるべきだろうか? 自分で問題の所在を考えながら、やっていくしかない。どんな優れた先人さえ知らない、しかもどうあるべきか、この世で、誰も知らない21世紀なのだ。
2023.06.01
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イスタンブール。たとえどんなに詰まらないことでも、自分でするから意味がある。他人のすることを自分のことのようにして、どれだけ喜怒哀楽をともにしたところで、自分とは違う。天才でもない限り、できることは特別な力はないのが普通だろう。できることは限られており、平凡なものでしかない。然し、自分なりにそれを評価することはできる。顕著な目立った特徴があるから、世界遺産になる。 ・世界レベルになるためには、簡単な努力では足りない。人並み以上の研鑽がなければならないだろう。大抵ショートしてしまう。他人を唸らせるようになるにはそれだけのことをした人だけだろう。平凡に活きて、人並みの人生で好いではないか。 ・へ2・・・見せかけの映画や小説のように、活きているわけではない。現実の自分と向き合えば、必ず自分の為すべきことが視えるだろう。それを地道にやることではなかろうか。物語は終わらないが、自分の人生はいつか終わる。終りがあるから、平凡な日常も輝きを増すのだろう。これから何をするかで明日も違ってくる。
2023.06.01
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「失われた10年」の間、物価も下がっていた。そして、「百円ショップ」の価格破壊は、中国の存在なしには為し得なかった。中国は、日本人の収入減を緩和させた立役者でもあったのだ。そしてそれは、中国にとっても輸出製品の市場獲得という側面を持つと同時に、中国人労働者のコストカットに拍車をかけた。彼らの賃金はギリギリまで削減された。つまり、日本の消費者は無意識のうちに中国と深く関与していたのだ。 ・「からくり」が明らかになるのには時間がかかる。それは、事実を当事者が隠そうとすることが多いだろう。気が付いた時には、既成事実が作られてしまっている。ディスカウントセールに、慣れてしまっている庶民は、中国製品に囲まれてしまってもいるだろう。最早、好き嫌いで付き合う相手ではなくなっているのだ。現実問題として、取り組まねばならない<からくり>ができ上ってしまっている。そういう中で、何故、政治的友好関係が確立できないのだろうか。靖国問題があり、歴史問題があるのだろうか。経済的にはすでに、深い関係ができてしまっている。中国は、「失われた10年」の<鎮静剤>だ、という指摘もあるくらいだ。 ・へ2・・・ぼんやりとしていたら、これまでの私たちの常識とは違うことが進んでいるのではないだろうか。「明日から、中国を学んでください」がないとは言えない。まあ、ジョークだと思うだろうが、そうだろうか。
2023.06.01
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首里城散策。それこそ多様な出来事が日々起きており、どちらを向いて生きればいいのか、解らなくなうるようだ。判断しながら明日に向かうしかない。いつも都合のよいことがあるわけでもない。足元を浚うようなことも起きるし、騙されることだってある。或る意味で辛辣な社会と言えなくもない。美しいものだけで作られている世界でもないだろう。善意ばかりで形成されている訳でもない。利用され、不要になれば邪魔者扱いもされるかも知れない。非情な社会と言えなくもないだろう。 ・どう生きていくべきか、それぞれの置かれた環境が同じでもなく、どうすべきかのマニュアルも、コンプリートガイドがあるわけでもない。社会と個人、個人対個人の利害が対立しているのが普通だろう。寧ろ両者は分断されつつあるし、亀裂は大きくなっているかも知れない。相互理解は愈々難しくなる。長い友情が成立しなくなるかも知れない。それは時とともに冷めていくからだろうか。個人が孤立化し、孤独を深めてもいる。心を閉ざしていくのだろうか。 ・へ2・・・油断すると自分の心さえ隔絶されてしまうかも知れない。自分を見失ったような人間も見受けられるようになった。自分を極地に置き忘れている。心と身体が切断され、ヤドカリのような生き方をしている人もいるかも知れない。経済優先の社会の多様性がもたらすものは、経済的弱者を大量生産し、多くの人びとを「貧困と無知」のカテゴリーに追込むようになった。そして、世界中で経済難民をつくり、絶望という<心の荒廃>を伝染させているのではないだろうか。
2023.06.01
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首里城散策。記憶力や、様々なことが老い耄れてきたが、それこそ一寸先は闇だけれど、自分で出来ることはしなければならないが、それ以外のことも一杯あって、自分の視野は狭くなってしまった。高いガードのある道を走っている車窓の窓から、みえる世間は、壁の裏のことは見えなくなっている。時々上のほうに見えているランドマークしか見えないけれど、それでも、少しはイメージできるのは、そこで暮らしてきたからでもあるのだろう。 ・やっぱり、政府は無能でしかない。北方4島返還も、相手があっての話で、ロシアはそれほど甘くはない。もともと政治体制が違うのだ。カネだけでは動かない。甘い奴には何もできない。国民を騙しても、そんなに相手は甘くない。それでも、私たちの時代は、戦争をしなかった運のいい時代でもあったのだろう。これから、どうなるかわからないが、私は、泡のように消えて行くのだ。 ・へ2・・・この10数年は、それでも好きなことができるフリータイムの毎日ではあったのだろう。カネは、稼げなかったけれど、滑空してこれたのは、平和があったからだろう。優勝カップを足で踏みつける韓国のチームがあったが、金メダルと騒いでも仕方ないのだ。自分たちのしていることは泡でしかない。今日から6月で、誕生月でもある。そして外は白み始めている。終わるまでが自分の人生である。
2023.06.01
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スズメ。ひとのいのちをゴミくずのように扱う国家など、国家ではない。愛国心ではなく、人類愛に目覚めるべきだ。独裁者の言葉ではなく、多くの人々の声に耳を傾けるべきである。狭い世界に生きるのではなく、広い識見と深い洞察力を持つべきである。権力は腐敗するのであり、政府を甘やかせてはならない。一度バランスを崩すと簡単には正常には戻らないのかも知れない。それは時間のように不可逆的なのだろうか。ヒトの体も左右にシンメトリーではありえない。絵に描かれるように美しくバランスのとれたものではない。あるとしても一瞬の理想でしかないのではなかろうか。何が正常なのかもよく分からないが、非常的な日常の中にいるのかも知れないと思う。何かを得たと思った一瞬の後には、それは跡形もなく消えてもいる。現実と非現実が混在している。今日もまた、アブノーマルな一日の始まりになってしまった。 ・少し横になっただけだった。もう5時前になった。そして、起きてきた。朝食を摂ったところだ。外は雨である。日課では、暫くして、そとに運動しに行く時間である。今日は雨だし、あまり無理をして、体調を崩しても困る。来週は旅行も控えている。併し、歩くことは続けたいので、このブログを書いてから、部屋で足踏みでもするつもりだ。昨夜は、いつもより多く歩いてみた。覿面にそれが利いたようである。効果がある時と、それが利きすぎる時とない時と、その時々で違う。人間の体はデリケートでもある。モードだけでも違う。 ・へ2・・・遊んでいるわけではない。本人は真剣だが、それは専門家から見れば陳腐でしかないに違いない。稚拙である。それでも、自分で体験してみたい気持ちがある。人間環境は複雑であり、また個体によって、個人差もある。私の日常も、傍目には平凡でも、意外と正常な一日は少ない。寧ろ変化があり過ぎて困るくらいある。平凡でありたいが、平凡ではない。一本の木を見ても、その印象は毎日違っている。してみれば人間などという生き物が日々どれだけ違うだろうか。それだけ観察眼があるか、興味を持つことができるかでもある。人間にとって幸福とはどんな時だろうか。正常のときだろうか。判らない。
2023.06.01
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カワセミ。問題の所在、問題の提起。普遍的妥当性。広い識見と深い洞察力、偏見なき公正さ。社会的正義の尊重、そして、民主主義思想など、学ぶことはいろいろある。それは、現実社会で、さまざまな紛争を解決するために必要だからでもある。公正な正義が、正義として法の支配がされなければならない。光合成による酸素の供給がひとの心や体を安らぐのであろう。気持ちばかりではない。体に優しいからヒトの心も癒されるのだ。当然と言えば当然だろう。不自然さが心身を傷つけもする。じっとしていることが、不安な気持ちになるとしたら、自分の置かれている環境に問題があるかも知れない。それを、どう改善するのか分からないで、やみくもに生きようとしたのは何故だろうか。無知だからだろうか。どのように生きるべきか、誰も問うてはくれない。それだけ、皆がこの社会に適応しようとして余裕がないのだろうか。 ・「衣食足りて礼節を知る」というが、社会にトコロ天のように、押し出されていくなかで、自分の居場所のわからないひとも出てくる。不遇の人も多いのは、この社会の犯罪が多いことでもわかるだろう。貧富の差の大きいところほど、犯罪が増加する。貧困と無知が、世界を苦しめてもいる。為すすべもなく、国際社会は、手をこまねいてもいる。下手に手を出せば自分の立場も危うくなるかも知れないと怖れている。 ・へ2・・・春から夏にかけて地球は、太陽に向かって、緑地の多い北半球が傾き緑地から酸素が放出され温度が下がっていく、冬になると多くの落葉から炭酸ガスが排出され温度は上昇する。地球は安定した環境を保ってきたのだ。しかも微妙なバランスの上に成り立っている。それが環境破壊によって崩れようとしている。地球の平均気温が1度上昇すれば、数十万か数百万以上の種が死滅するという。かってなかった地球の気温上昇がこれから起きようとしている。極地の氷河が消えているという。恐るべき事態だろう。地球上から緑が消える日があるのだろうか。
2023.06.01
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首里城散策。NHK「映像の世紀バタフライエフェクト 独ソ戦 地獄の戦場」をテレビで見ていた。おそらく初めてではない。何度も見ているはずだ。それでも、3,000万人といわれる戦死者は、言語に絶する戦争であり、しかも現在のウクライナでのロシアとの戦争の行方を悲観させずにはおかない。さらに悲惨な戦争になるのではないだろうか。NATOとロシアの戦争になり、核戦争になりかねない。プーチン大統領は、核使用と宣言しているからだ。はったりだけではあるまい。ひとは殺されるとなればどんなことでもしかねない。負荷をかけないと、できないことが多くなった。あっさりできないもどかしさがある。それでも拘りがあるだけ、ましかも知れない。22時に寝て、4時に起きるのが理想なのだが、できないでいる。どうも6時間持続して眠ることができない。それでも、この時間帯で少し眠たい。問題は眠りの<質>だろう。早足で歩くのが苦痛だったが少し楽になった気がする。ストレスに対する対処法というのが、意外と難しい。うまくできれば病気にならないだろう。利口なひとは、酒も煙草もやりはしない。ほどほどに食べ、ほどほどに運動もしているのだろう。 ・取り残されるのは、その隙間を埋められない人たちだ。そして何れその報いを受けるのだ。好きなことをして、長生きなどできはしない。ちゃんとコストを支払わねば、つけはまわってくる。そんなことは分かっている。それでもできないとすれば、それは自業自得でしかない、というのが自己責任のルールでもある。「貴方は、自分の命は、自分で守るしかない」といわれている。どうも健康な人には、病人の気持など、金輪際わからない。だから、医者がやれるといえなくもない。他人ごとだから仕事にできるのだろう。 ・へ2・・・しかし、世の中には医者もいなければならない。苦労して報われるものと、そうではないものが分かれるのは何故だろうか。やはりどこまでも、溝がある。同じ人間でも右と左では相当違ってくる。間に雑草くらいしか生えない。
2023.06.01
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