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浜松市。 日本人はモノマネが巧いと言われていた時代があった。何でも良いものを真似しようというところがあったのだろうが、それはいい時もあるに違いないが、そうでないこともある。国際社会からは半分軽蔑されていたのだろう。廉かろう悪かろうがあったこともある。そういう話を若いころから聴いて育った所為か、他人の真似は悪いし、したくないという先入観にもなって行ったところがある。他人の真似をしたくないが、自分の意識がオリジナルでユニークであることはそれはそれで簡単なことではない。 ・元来、子供は周囲の人たちから、その真似をしてことばを覚えてもいる。遺伝子やミームによって、自分の環境に適応していかなければならない宿命を以って活きているのが普通の生物でもある。出る杭は打たれる。郷に入れば郷に従えとか、そのことを教えている。良く私たちが口にしている諺は、その意味では現実性に富んでもいる。他人の真似をしないでは活きて行くことのできないことばかりだ。 ・へ2・・・然し、今や世界人口が80億人もいるのは、単なる偶然の賜物でしかないのだろうか。全方位で生き残りをかけた使命があるのではないだろうか。それぞれが最善を尽くして、子孫に伝えることはないだろうか。自分はそれに応えているか。願共諸衆生 往生安楽国 南無至心帰命礼西方阿弥陀佛親たちも熱心に宗教を信じていた訳ではないが、祖先からの真似をしていたに違いない。それを今私も真似ているところがある。例えば寺社参り、朝から必ず位牌にお茶やお供え物をする。子どもたちも恐らくその真似くらいはするだろう。
2023.02.28
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浜松城。医学知識があったとしても、今の自分のからだの状態を客観的にどれだけ把握できているのだろうと思う。勿論は私にはできないし、それだけのツールも知識もない。毎朝起きて、自己管理表を記入するために、血圧や血糖のチェックをしている。今朝の血糖が高いのは、思い当たる処がある。必ずある。からだは正直だ。現在のからだの状態は昨日までの私の健康管理の結果である。 ・恐らく、これまでの数年間以上の様ざまの累積がある。なにか大きなダメージを選択してはいないだろうか。簡易検査だけでは気休めでしかない。一つの病気は大丈夫でも、他は何千、何万とあるリスクを無視している。変な話だ、健常者ほど命が危ないのだ。現代はリスキーな社会であり、安心などできるものではない。松田選手ではないが、体を鍛えていても、安心はできない。 ・へ2・・・自分の今のからだの状態を知りたいが、稚拙な道具でしか調べられない。勿論高価な医療器具はあるのだろうが、高価だろうし、普及もしていない。指に針を刺して検査している。毎月の病院でも注射針で血を採取して検査をする。何とも野蛮だ。自分のからだで何が起きているのか関心のない人間は、命の尊さもわからない。
2023.02.28
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モロッコ。いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物がつがいになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから5万ー10万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2023.02.28
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最近の教育界を見ていると、これまでの戦後に於ける国民の意識としてのデモクラシーが問われる事態が来つつあるだろう、ということだ。政府は、教育改革を進めているが、その核となる国民のコンセンサスを正しく把握しているといえるだろうか。それは、一部の勢力がマインドコントロールを企んでのことではないのだろうか?些か、不安なものがある。 それは、教育改革が、一連のグローバル化や、市場経済と並行した中で進められていることであり、どうやら「美しい日本」とか、「愛国心」とか、抽象的なコンセプトでなされようとしていることであり、競争社会を根底とした効率のいい社会造りをしようとしていることである。それは、強者の論理であり、競争に強い者が生き残るという、勝ち負けの二分法でしかないからでもある。 絶対に正しいというものはないのであって、いくつかの選択肢をもっていることが大切なのだ。世の中を善悪で色分けしてしまう社会では、コンセンサスは生まれないだろう。国民のコンセンサスに常に関心を持つ政府でなければならないのであって、それを無視するようではデモクラシーではない。それは、何を以って判断されるべきだろうか?実は、それが難しい。 国家によって拠って立つ基盤が違うからでもある。制度の違いもあるが、社会システムが多くの人に支持され、充分公正な議論ができているかでもある。少なくとも最も公正さが要請される国会で、強硬採決をするようなことでは、それは審議を尽したとはいえない。安倍政府が遣っている多数派工作とは、まさにその反対方向に行こうとしているように見える。自分たちに有利なことだけを考えているから、選挙で勝とうとやっきになっているだけだろう。
2023.02.28
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出かけようとしたら、バッテリー不調で、取り換えたりと朝からバタバタだったし、久しぶりにPCも不調でブログも書けなかった。何があるかわからない。今日は、春のように暖かだったが、すべてが激変もするのだろう。ロシアと中国とベラルーシと北朝鮮の時代が来るかもしれない。常識が、非常識にもなる。ある日突然、社会主義国になったら、死にたくなる人もいるのだろう。彼らは、どれだけ自由社会のことを知っているのだろうか。 ・資本主義の何たるかをどれだけ経験したといえるかだ。男と女も、いつもそばにいるが、どれだけ理解しているといえるのか。藪の中の女も、絵空事とも言えない。突然事件があると戸惑うものだ。顛倒するという言葉があるが、人は死ぬ前にそれをしがちだ。それこそロシアでは、独ソ戦争で、2000万人以上の戦死者が出たといわれるが、日本は、太平洋戦争では、350万人の戦死者だといわれているから、膨大な犠牲者だが、兵士は、国家の部品ではない。 ・へ2・・・愛国のためなら、というのは軍国主義の所産でもある。どれだけ犠牲者が出ても、勝利するまでは、ロシアは、ウクライナ侵攻を辞めないといっている。自分たちの行動を正当化している。そして、核兵器を使うと世界を脅している。誰のための政治をしようとしているだろうか。
2023.02.28
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作品を通じてみる太宰治と情死した山崎富栄の側から見た太宰の姿はかなり違うようだ。彼女は美容師としての側面をもち、新婚生活もほんの僅かで、夫を戦争で失った戦争未亡人であり、結核の悪化と仕事の行き詰まりと厭世感をもって死に場所を求めたいた作家の心中に付き合わされた女性の側では違うのは当然ではある。そして当時の文壇の女性蔑視があったのだろう。太宰は女に殺されたという風評が創り出されたようだ。それこそそういう創作はお手の物であっただろう。死人に口なしのとおりで、好き放題の脚色がされたというのも頷けない話ではない。 ・ぶらりと出かけるつもりでいたがまたチャンスを逃してしまった。すこし体が重い。これからショッピングモールにでも出かけて野菜でも仕入れてこようかと思っている。明日は、太宰の講座がある。寒いせいかよく眠っている。こんなに眠れるのかと思うくらい寝ている。決して体調が悪いわけではないのだが、どうも気分が乗らないのだ。碌な本を読まないからだろうか。 ・へ2・・・冬景色というのは寂寥としていてさびしいものでしかない。太宰の作品も絶望からくる投げやりの感がある。「一緒に死のう」などという男の気持ちが、それを示している。そうしてそういう男について行く女の気持ちがまた判らない。勝手にさせればいいのだ。寧ろ、病院に連れて行きここで死ねと言ってやればいいのだ。薄情なのは太宰なのか女性なのかよくわからなくなる。
2023.02.28
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カワセミ。公正でない主張があまりにも多すぎるのではないだろうか。それを可能にしているSNSがある。然し、戦争を戦争といえない国民もいるのだ。それこそ個人の人権とは何だろうか。基本的な人権でさえ無視されているとすれば、国民の幸福などありえない。パンのみに生きるにあらずだ。適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。 ・へ2・・・一生という自分の時間を活かすことが如何に難しいだろうか。寿命を全うすることさえできないことが多いのだ。光陰箭の如し。うるうの一日も過ぎていく。
2023.02.28
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メコン川。自然に順応して人間は生き延びたのであって、人間が自然を克服したのではない。人間の驕りには果てしがない。自分のことを過信して尊大に振舞う人がいるが、あさましいというべきだろう。雑草でさえ、光をあてさえすれば宝石のように輝いて見えるものだ。まだその価値を知らないだけだろう。何かを支え健気でさえある。一人の人生もそうではないだろうか。自分が凡庸だとしても卑下することは何もない。 ・人としてあるべき生き方を謙虚に学び、他人とともに生きようとさえすれば、やがて道が開けると信じたい。自分にとっての世界史の時間がある。 ・へ2・・・軽佻浮薄が一般的な社会になっている。安易な判断が、人々を苦しめている。容易に落胆しない強い精神を鍛えねばならない。それを自然に学ぶことができるだろう。自然に親しむということが、そのことを必ず教えてくれるだろう。草花を愛することができれば、人間をもっと好きにもなるのではないだろうか。歪んだ価値観が、世界を覆っているのではないだろうか。
2023.02.27
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カワセミのオスとメス。本地垂迹(ホンジスイジャク)は、平安時代ごろからの神仏習合の思想でもある。時の権力者によって利用された宗教がある。宗教国から視れば日本の宗教は訳のわからないものに見えるのだろう。クリスマスだったり初詣だったりする。何でも都合のいいように考えている。素性のわからない民族だと思うだろう。それは言えないでもない。外国の良いところを自分たちに同化して利用して来た。 ・解かっているからできることと解かっていないからできるものもある。良いが悪いになり悪いも好いにもなる。良いと思ったがその時で変化もするからだ。日本にとって、アメリカも中国も、その時の風の向きで違うだけだろう。敵に味方にもなる。まあ国家とは似たようなものだが。成功が没落の原因にもなる。日本の時代も今では嘘のようだ。中国もバブルになるだろう。 ・へ2・・・栄枯盛衰。どんな人も社会的ステータスで変化する。老人は老人のような考えになるし、どこから視ても若くはない。老醜というが、どんな綺麗な牡丹だって最後は萎れて行く。五百羅漢の石仏を見て感じることはある。先日宗勝寺の露天の石仏も風雨にさらされていたがあれもあのままで好いのだろう。祖母が五木の子守唄をよく唄って呉れた。・・・雨は天から貰い水。
2023.02.27
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その人の立場によって、「現代の世界」の評価も違う。人々はその共通項を探している。それがまだ建前と本音がある。その間が遠いから困る。日本語でどれだけ世界に近いかが問題だった。国民に知らされないことも多かった時代が長い。鎖国の意識があったのだろうか。余計なことを知らせたくないという支配者が多かった。諸々の原因があって結果もある。アメリカのしてきたことがすべて善ではない。中国の政府のやっていることも後で現在と未来では違うだろう。 ・信じているのものの中に嘘もある。何を信じているかでもある。何でも信じてしまう人は騙される。虚偽が多い社会だからだ。或いは何も信じられない人は、ストレスで潰されるかも知れない。或いは病気にもなる。適度に信じ、適度に疑って、適応できるかが問われるだろうか。すっきりと過ごせないのが普通だろう。自分の体調も揺れている。保湿性も環境でその対応も違う。格差社会が大き過ぎると悲劇が起きる。・へ2・・・素直だけでも皮肉屋でもやっていけない。どこに答えがあるわけでもない。自分の見ている世界は自分だけのもでしかない。それでも社会や世界はある。自分の姿を映している鏡で世の中だと思ってしまう。宇宙の渚の一粒の泡だとしても、自分の目が視ているものは小さい世界ではない。感動する心を以って生きるしかないのだ。
2023.02.27
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また新型コロナウイルス感染症は、「研究所由来」であると米エネルギー省の結論であると報じているが、ひと騒動かもしれない。3年も過ぎているのに、原因が究明できないからだ。中国は、WHOの調査に対して誠意を示そうとしなかった。怖れているのだろう。これだけのパンデミックを引きおこした原因が、中国の研究所由来であるとは認められないことだろう。 ・はったりも含めて高飛車な態度が、中国外交部の特徴でもある。それを毎日海外向けに報道しているのだから、聴いている方も辟易する。もっと穏やかに話せないものだろうか。恐らくそれしかないからだろう。ボキャブラリーが、貧困でもある。それは半分、国内向けでもあるからかもしれない。所謂ポーズが必要かもしれないが、国際社会もバカではない。言いたいことは判ってもいるからだ。 ・へ2・・・戦争という手段を使わずに対立国の体制を転覆させることが、粗暴な政治宣伝であるとすれば、それかもしれない。ロシアのウクライナ侵攻は、クリミアの成功ゆえのミステークなのだろうか。いずれにしても下心が透けて見えてくる。世界の大国が、エゴイストの国家でもあることだ。それではまとまるものもまとまらない。大国という名のモンスターが、世に蔓延っている。
2023.02.27
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ナマケモノの脳由来があるので、初心に戻ってもすぐ元に戻ってしまう。オオカミ少年になるのではないだろうか。チャンスは二度とない。ひとつのことが起きて終わるのであり、過去は過ぎ去るものだ。記憶に残っている記憶は、幻想でしかないのだろう。育ててくれた人たちが亡くなり、今見ているものはすべて夢でしかない。夢だが血が流れてもいる。 ・過去たちはどこに消えたのだろうか。図書館の本棚の裏の物陰だろうか。閉じられた本のページに埋もれているのかもしれない。開けなければみられることもないセピア色の写真のように。私たちの知っている次元だけがないかも知れない。それで商売するつもりはない。頭の中のゲームのようなものだ。疲れやすい脳でしかない。 ・へ2・・・ツアーも、人生の旅の一つだろう。それは帰る場所のある旅だ。ゲームで死んだらゲームにはならないが、それでもそういうこともある。犬死だってある。集合時間に遅れたらそこに置いていかれると妻が言っていたが、これまでも遅れたことが何度もあったそうだ。
2023.02.27
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逆境で、苦悩を続けているとしても、何かに夢中で打込んでいれば苦痛は薄らぐらしい。真剣さとはそういうこと。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるもの。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。そうしているのは自分である。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか?
2023.02.27
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なぜ変貌するか?経済社会はなぜ変化し、変貌しなければならないのか?アメリカと日本の経済について、リーマンショック以後と以前について、学んできた。金融資本主義のあとにどんな経済・社会が来るのだろうか。経済の変貌は必ずある。成長と危機は循環する。果たして資本主義は変質するだろうか。そこまでは見通せないようだ。講師は最後に二人印象的なフレーズを紹介された。 1.資本主義はその成功ゆえに没落する。(シュンペーター) 2.何も根本的に変化しないためには、すべてが常に変化しなければならない。 (ヴィスコンティ監督「山猫」) ・上記(1)の「成功」の中にはリスクを包含しているのではないか。完璧な成功もないからだろう。何を成功とみるかもある。(2)は、何も変化しないものはないのではないか。変化しないという前提が問題だ。資本主義が利潤の追求という意味では、モノやカネを商品化することによって成長をしてきたが、それが人に向かっているのは最近の傾向でもある。ひとや心まで商品化しようとするとすれば、あとがないような気がしてくる。 ・へ2・・・「順調な経済社会は必ず危機に陥る」。というのは人体に喩えれば必ず病気になるということでもある。それを克服できるかどうかであり、経済社会ではそれ(病気)は「危機」と呼ばれる。今後の経済の変貌を見極めるだけの能力をもちたいものだ。
2023.02.27
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クロツラヘラサギ。どこまで理解できるか解らないが、いまだから感じるものもあるに違いない。こともの頃聴いていたお経とか、どこかの葬式で聴いたとか、何となく頭の中に残っている文句が、仏典の中にある。どれだけの宗派があるかも知らないが、般若心経から、阿弥陀経、維摩経、そして法華経、華厳経、勝鬘経など。まだ先がある。古典世界文学の全集を読むつもりでいる。それかあら世界歴史もある。日本歴史、日本文学など。生物学もある。 ・「ガンジス河の砂の数ほどもあるほとけがおられて」とある。なぜだろうか。何故日本人は、仏教を知ろうと思わなくなったのだろうか。勿論理由はあるだろうし、時代背景もある。ものがすべてであるという思想が現代社会を支えている世界で活きてもいる。有と無と、目に見えるものと見えないものと、どちらが大事かといえば、価値観は、有形のものが優先している。からだとこころと、本音と建前もあるが、この社会の常識は、仏教とは違っている。 ・へ2・・・現代法の「法」と同じ「法」が、宗教では違う。理解するためには、間に合うかどうか分からないが、ゆっくり読むしかない。
2023.02.27
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南阿蘇。時々自分でも、こんなことで好いのだろうか、と悩んではいる。まだ謂わば<ヒント探し>の旅でしかない。あちこち見てまわっている。直接現場に行ったと言える訳でもない旅でもあるが。やがて、タイムリミットも来るかも知れない。それは唐突に来るだろう。恐らく自分自身で思っている以上にそれは早く来るのだ。少なくとも私がこれまで、その人の死をみてきた範囲では皆そういう生き方をしていた。人は自分の死を直視できていなかったのだ。 ・自分が愚かな生き物であることはだれよりも知っている。その自覚なしに語ることはできない。だから自分にできることの意味を知りたい。神が「普遍性の確信」と言えるには、科学が進化し過ぎている。時が不可逆であるとすればもう、元には戻れない。<神>なしには、生きられないとしたら、それは重いカセ付けて歩く人生でしかないだろう。それを必要としない人間だけが、明日を見ることになるかも知れない。違うかも知れないが。それはまだ分からないというべきだろうか?否、そうではない。 ・へ2・・・まだ、選択肢がある以前であることは、幸運なことだろうか?すべてが終わったときから始まったのではないからだ。まだ、重力と闘いながら、酸素のある時代にいる。真空の世界に還ることがあるかも知れない。そして冷たい闇が周囲にあり、無限の時間と怖ろしい戦いを繰り返している前の僅かな安らぎの中にいるのだ。それは奇跡に近い時間でもあるのだろう。そして私は、まだ<ヒント探し>というゲームをつづけられるという真にささやかな夢を見ているのだ。
2023.02.27
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<作品> 「闇への書」、「闇の書」・レジュメ3部梶井ノート第9帖・「冬の日」・心 中・前回の「冬の日」のフォロー説明。・レジュメは、大学院の資料。・「冬の日」梶井の構想の特徴。楽に書いてはいない。中々先に進めないでいる。苦悩している。<7>が削除されている。構想ノートと作品との間に混淆がある。・妹の死・・・梶井は引きずっている。<7>作品にはない構想があった。梶井は、いいわけやごまかしができなかった。・・・モラルがある。感覚派的側面がある。・梶井は、知識ではない感覚優位。こだわりがある。感覚に拘りをもつ。新感覚派・・・梶井は真の意味で。・平気・・・感覚がない。手続きに参加しているだけ。伊丹「お葬式」と同じ。・一般人は平気である。わかっていない。・「冬の日」重要な作品。転換点。この作品で梶井がわかるようになる。以下の作品は、梶井の台所事情を書いている。それまでの彼の作品は梶井の言いたいことではない。・「闇」が・・・本物の「闇」である。凄さがある。夜の見えない世界。視力と聴力。梶井には絶対音感があった。耳が良い。水音。見えるものとみえないものが混淆する。・知識と感覚の違い。・書いてあることを信じてはならない。妹の私に平気であったことに正直に拘り続けている。梶井の複雑な心理。一般には、理解することが難しい。・「心・中」・・・川端「心中」を主題とするヴァリエイション・分かり難くしている。・梶井が下記作品の中で説明している。草稿・・・構想段階にある作品である。・川端「心中」・・・拘りが「冬の日」になっている。時空を超えている。・「ある」のに見えない。共通するものがある。梶井の川端「心中」のパクリ。頭の中にあるもの。気づかれないように書いている。・中也「冬の日」・「何をしに自分は来たのだ・・・」。繰り返す。リフレイン。・凧・・・・中也の「帰郷」の存在。「闇への書」・梶井は無題。編集した。此処で説明し「蒼穹」では省いている。・日記の中の作品として書きためられた構想。メモ。・作品と日記ノート(公表していない)の中で繋がり反復がある。作家の内面の混淆がある。・「蒼穹」などの草稿として。・テキストでは編集している。削られている個所がある。・みえないものほうが素晴らしい。 芭蕉 霧時雨不二見ぬ日ぞ面白き「・兼好・・・花はさかりに月はくまなきのみ見るものかは・「月」は、当時は不吉なものとされていた。平安期。・西行・・・それまでの「月」に対する常識ではない。 願はくば花の下にて・・・望月のころ。・空を見ている。・日向へ寝転べばそこは常に海の突角だった。「蒼穹」説明の省略。・説明したくない・・・知識だから。客観性がある。・感覚は説明し難い。空が、海に見えてくる。雲が船になる。・「二」空欄。(付け加えられた。編集された)・視覚と聴覚。「闇の書」・日記メモの第11帖。(昭和2年)・遺稿。・母の変貌。昔の母の姿。想像している。・谷崎「母を恋ふる記」・・・イメージ。夢の世界。若い母。・母に対する想い。母子関係の複雑。・ルナール「にんじん」・潜在的要素がある。母に対して、屈折した感情をもっている。・「あの道を歩いていこう」・道・・・モチーフが梶井にはある。別の道ではない。・前の梶井ではない。他人の目を気にしない。母の言葉。・最後で心境が変わる。母と子。説明が省略されている。母より自分に傾斜している。母と自分との違い。自分は、闇の中から見ている。母は反対からみている。・一対一 母と自分。向き合うべき相手として見ている。・何故、若い母なのか?・蒼穹に関係している。闇の絵巻に関係がある。
2023.02.27
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立山・黒部アルペンルート。試験管などの培養容器の中で花を咲かせて花成現象を観察するのをインビトロ開発という。植物は置かれた環境で生長を制御する仕組みを持っている。花成現象にはアクセル役とブレーキ役とが存在して花成は両者のバランスでコントロールされている。花の咲く機序が解明されれば、花はいつでも咲かせられる。「光の強さ」と「光の明暗周期」そして「光質」が関与することが解ってきた。向日葵を始め多くの植物では、光合成には赤色光の効果も量も大きいこと。また形の制御には青色光の作用が強く影響すること。植物によってその影響は異なり、一定の法則は見つかっていない。もしこれらのメカニズムが解明されれば、新しい農業生産の可能性があるという。何れ、人口問題は食糧問題になるだろう。それまで研究は間に合うだろうか。花の研究は、人類の生死をも担うことになるかも知れない。
2023.02.27
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<作品>「彷徨」(習作)、「裸像を盗む男」(習作)、「鼠」(習作)、「カツフエ・ラーヴェン」(習作)・梶井の習作群。自分と他人の関係を書いている。自と他がテーマである。「他対自」・死んだ妹を想う。自分をどう思うか。他人との関係を書かない作家。・日記との関係が重要。・矢野潔は実名を避けている。・「檸檬」・・ポーに傾倒した。同じように、結末にポイントがある。・伏せられた名前がある。渡辺・矢野と自分。・「日記」143ページ以下。・何のために習作が書かれたかの意味がわからないと関心が希薄になる。他人と自分の関係ではない。・人間がどこにもいない。・梶井は何を描こうとしたか。・「彷徨」(習作)、・同じものが二つある。書き直している。繰り返している。・はじめはモノトーク。・比喩として書くのが上手い。「手に砂が付いている。」詩的。詩になっている。正岡子規が始めた。「目で見たものをそのまま写す」。写生。梶井の特徴でもある。写生文。変容していく。心理を目に見るようにモノ化したのが漱石。・梶井と太宰との相違。太宰は、梶井を真似た。梶井のパクリがある。・すっきりしたもの・・・。晴朗な空気。太宰との違いがある。三島は梶井は好きで太宰は嫌った。・小説は判り易いとダメになる。・辿り着くべき結末。方向・ベクトル。容の違った反復。「檸檬」の爆弾がない。「檸檬」で成功し、ここではうまくいっていない。・梶井にとって、善悪が重要ではない。モラルで書いていない。・直哉の場合は、好悪=善悪と一体化している。・美・・・惹きつけられる。・この段階であるとどまっている。「裸像を盗む男」(習作)、・他人と自分との関係。・標題を納得させるものがない。・肝心なことができていない。・暗示されている3人について書きたかった。書きたかったが、書かなかった。目指しているものが違う。本人と意図したものが違う。散文詩から散文(小説)他人の評価と自分の評価が相違している。・丸善が出てくる。「檸檬」にも出てくる。・金・借金・・・拘り。分からない。人間を支配しているもの。説明できていないもの。まだ「檸檬」・・までにはここではたどり着いていない。散文詩のレベルにとどまったが、多くの作家たちは散文と見做した。三島に影響を与えたなど。・梶井は自分の良さに気付いていない。堀辰雄・梶井の違い。「鼠」(習作)、・「愛撫」・・と相対している。「愛撫」の着想がある。ねこ。猫に対する鼠。この作品が下敷きになっている。・完成された作品。ただ「愛撫」の方が文学としては優れている。当時は、梶井は、より小さいものに関心があった。レトリックを磨いた作品。・みるべき作品になっている。結末の選び方が上手くいっていない。良質な作品を残しながら、結末だけがうまくいっていないのではないか。・注目していい作品である。「カツフエ・ラーヴェン」(習作)・親しいRと敵対するSとの間の私を書きたかった。自分を脅かす存在がいる。・Sという存在。脅かすものではない。書かれなかった後が問題。完成していない。・Raven(からす)・卑屈な自分を許せない。・腕力・・暴力。に対する人類。檸檬に書かれていないものを書こうとしていたが、・・・。・中野重治「歌のわかれ、鑿」佐野の無礼は許せるが、それを許す自分が許せない。・ジュリアン・ソレル・・赤と黒。軍人か僧侶か。「罪と罰」自尊について書いている。・梶井の拘り・・・自尊。漱石や志賀直哉の影響を受けている。三島を評価している。・他人への拘り。立っているところが漱石と同じ。対人関係が漱石のテーマ。「道草」と「明暗」に、梶井は辿り着いていない。・詩・・私の感情を書くもの。私でありながら普遍性をもつ。私小説ではない。プロの作家が梶井を評価する傾向がある。本格的な小説は、むしろプロの作家たちには関心がない傾向がある。 P.S. NHKは大地震の大津波警報のニュースを一日報道しているけれど、どうもこういうことばかりしているような。大事件を待っているような気がしてくる。いっそ特化して、大災害や大事件の時だけやったらどうだろうか。最近は啓蒙的な番組も無いし、そういうニューズも減少しているのではないだろうか?以前の講座を見直してみると、新しい発見がある。
2023.02.27
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人間というその有限性にもかかわらず窮極的にはこの真理に接近しうるという可能性を信じて疑わないのは何故だろうか。ニイチェ「力への意志」の中で、「真理とは、それがなければある種の生物が生きられないような誤謬のことである。生きることにとっての価値が最終的な決定を下す。」「もっとも固く信じられてきたいくつかのアプリオリな「真理」は、わたしにとってはーーとりあえずの仮定である。たとえば因果律。それは非常によく仕込まれた信仰の習慣で、それを信じなければ種族が没落するだろうとほど、身についてしまっている。」ニイチェがいう「真理」とは、主として認識論的真理である。「AはAである]「あるものがAであり、同時にAでないということはありえない」「あるものがAでなく、同時にAでないものでもないということはありえない」「わたしがただわたし自身としてしかいきられないことのー論理面への反映である。」ハイデッガーはニイチェを「力への意志」の思想を「存在に優先するものととして存在者全体を思惟する」ところの「形而上学の完成者」と見做している。ニイチェに於けるニヒリズムの真理の虚構性、力への意志と並んで難解は「同じことの永遠回帰」の思想である。「ツァラトゥストラはこう語った」となる。「あるがままの現存在は、意味も目標もなく、不可避的に回帰し、無に終わることもない。すなわち「永遠回帰」。これがニヒリズムの極限の形式である。すなわち無が.(「無意味なもの」が)永遠に!」真理・ニヒリズム・主体がテーマである。
2023.02.27
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シドニー コアラ。腐敗、利権、汚職、談合の最悪政治が、横行しているのではないだろうか。東京五輪も、スポーツの祭典と騒がれた割には、まさに汚れた五輪であった。あれだけ平和の祭典といわれたにしてはお粗末だったのではないか。然も巨額な公金が使われていた。著名人たちが名を連ねていたが、今は沈黙している。知らなかったというのだろう。甘い汁を吸った側ではなかったのか。 ・お人好しの民族だから、何度でも同じ過ちを繰り返している。このままだと、平和憲法も改正されて、戦争放棄も、放棄されかねない。平和はどこへ行ったといわれるのではなかろうか。現在のウクライナの惨状が、日本でも再現されるかもしれない。戦争は、政府が始めるといわれている。その政府が一番最悪でもある。あの安倍外交が、自民党では称賛されて、国葬までされたが、はたして歴史的な検証がされただろうか。 ・へ2・・・国際社会は、ソ連が崩壊して、国際化が叫ばれていたが、その間中国は、着々と軍拡を進めていた。それは市場開放による経済成長ゆえの結果であるが、軍民一体となった世界戦略の一環でもあったのだろう。甘く見た欧米の油断でもある。このままでいったら日本政治は、他国の属国になるしかないように思える。世界のリーダーとして期待されていたが、そのチャンスを逸してしまった。まさに自民党政治の最悪政治の所以だろう。
2023.02.27
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必ずしもこの社会は、それほど華麗なものではあるまい。漁夫の利を狙っているハイエナたちが、ならず者グループだけではなく、大国であったりする。表向きは立派なことを言っているが、裏では姑息なことをしている。中国政府のしていることを見ると、あまり上品であるとは言えない。自国を途上国だといいながら、超大国の覇権を握ろうとしているのではないか。ウクライナ戦争も、世界で140か国が、ロシアのウクライナからの撤退に賛成しているのに、棄権している。 ・ロシアと中国の関係も、あるいは武器の供与も疑われている。ロシアによるウクライナ侵攻を認めてもいない。これは、同じ穴の狢だろうか。あきらかに主権国家に対する侵略である。そして、台湾の独立を認めない姿勢が変わらないでいる。世界は、中国がロシアと同じことをするかもしれないと懸念しているのだ。それを知りながら、あからさまな軍事行動さえしている。周辺諸国への圧力も強めているのは、ロシアとしていることは同じだ。 ・へ2・・・北朝鮮に対する、中国のスタンスも、朝鮮戦争と同じ同盟国でしかない。世界の目を気にしているだけなのだろう。金で縛って、弱小国を債務の罠にはめようとしているのではないだろうか。チベットや新疆ウイグル自治区や、最近では香港市もある。次は台湾なのではないだろうか。ドミノ理論である。これもロシアと似ている。がん細胞のように。
2023.02.27
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福岡市東区。司法浪人して、熊本に帰っていたが、母も亡くなり、あきらめて就職し、妻子ができたので、いよいよ就職して、福岡に来たのが、それから40年近くになる。まさに第二の故郷だ。あるいは終の棲家かもしれない。親父の寿命よりも長くなった。老い耄れてみて、父の気持ちも少しわかってきたが、意外と息子のことを思っていてくれたのだろうと思う。2.26事件を、清張の「昭和史発掘」で知ったが、果たしてその後の日本のたどった軍国主義が、青年将校たちの思い通りに進んだのだろうか。暴走は、決していい運命を開かないのだろう。人のタイプを3分類。・自分の頭を働かせる人・そのふりをする人・どちらもしない人人間の一生なんて、自分の頭を働かせるといえる時間は殆どないのかも知れない。殆ど眠っているか、他人のために仕事をしているか、食べているか、雑用に追われている。あとは細々したものばかりだろう。どれだけ自分の頭を働かせているのだろうか。そのふりをしているだけではないのか。あるいはそのどちらもしない人なのかも知れない。だから、「自分の頭も働かせた人」が、人間らしい仕事ができるのだろう。 ・多くの人は、できない理由をやまほど上げることができるだろう。然し、それは弁解でしかない。自分の寿命を取り戻すことはできない。だから愚痴を言うことになるのだろう。脳は動くものを追いかける習性があるから、絶えず働いているが、意識的に自分の頭を働かせるとなると意味が違ってくる。所謂「意識的な思考」こそが、自分の脳を働かせることになるというのだ。そうかも知れない。こうして書いているのも、何かのふりをしているのかもしれない。自分の頭を働かせているだろうか、と問われると、どうなのだろうか?少しは物を考えているといえるだろうか。 ・へ2・・・「人間」という存在は、自分で解っているつもりでいるだけかも知れないのだ。他人が理解しているから、自分でも分かっているつもりでいるだけなのだろうか。本当に考えているだろうか。厳密な意味で、自分の頭を働かせているのか? あまり自信がない。困ったものだ。日頃考えているイメージと違う生き方をしているのかも知れないだろう。いうことと、することが違うのだろうか。それは多分にあり得るのではないだろうか。自分の脳のほんとうの使い方を考えるべき。
2023.02.27
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浜松城。誰も同じことを想い行動するのだろう。ルーツは同じだから。自分の措かれた環境で運命も変わる。一本の蝋燭の火も、強風や雨で消されてしまう。傘のない場所に措かれたロウソクの運命は過酷なものになる。どうにか寿命をまっとうしてきたとしても、本体はいつか燃え尽きてしまうだろう。人が蝋燭をみて人の命のはかなさを感じる所以でもある。 ・悟りを開くことは自分にはできないと漱石はいったとか。般若心経の「・・・菩提薩?」以下は、般若波羅蜜多にたっしたひとのことである。自画自賛というのだろう。極楽浄土をこの地上に仏像とともに造ろうとした人や、それができると思った権力者たちの願望でしかあるまい。中島敦の「セトナ皇子」もこの世の真実を知って、蝋の木偶のようになって死んでいく。 ・へ2・・・生物学では種としてのヒトに生きる目的はないと解説する。それは真実だろう。だとすれば個人の生命にも同じことが言えるのだろう。宇宙があって地球があり、人もある。その運命に逆らうことはできない。暗闇の中で一本の蝋燭は、周囲を見渡しながら明かりを点し続けるのだろう。
2023.02.27
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生まれたばかりで、凄い天才なのに誰もシナプス結合に失敗してしまい、裸のままで荒野に放り出されてしまう私たちは何だろうか。余り利巧な生き物ではないらしい。どうにか人間らしくなる頃には、自分のコンパスを忘れている。不注意な人間は、目印を見落としてしまう。知らない道を歩いて行かなければならないとしたら、他人の歩いた道は参考でしかない。他人を殺して自分が生き延びるしかない時代ではないとしたら、自分を生かす道を探さねばならない。自給できないとしたら、他人と手を繋がねば生きて行けない。誰も知らない人生を行くとしたら、自分のエリアを知るしかないだろう。そして、マップがいるが、アバウトでしかない。そしてコンパスだ。残念ながら役に立つものはない。先人の言葉や文化遺産など飾りでしかないだろう。そして現在は、コンパスの代用をさがすとしたら、自分の脳と生物学くらいだろうと思う。何も決められないが、できるだけ高いところを目指して歩いて行き虚心に眺めてみよう。よく周囲を観察して、自分の脳で考えてみよう。莫迦みたいな自分が見えますか。全方位で考えることだろう。東西南北だけではない。上下もあるし、四次元もあるかも知れない。目に見えることだけを信じる人間は、真実はさがせないかも知れない。さて、何を人生のコンパスにしますか。
2023.02.26
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脳は筋肉と同じように鍛えることができる。脳のネットワークは鍛えられる。単に使うだけ良いというだけでもないらしい。小児慢性疲労シンドロームのように遣い方を誤れば脳萎縮の原因にもなる。脳の休息も必要なのだろう。それでも、少なくとも私のような怠け者には、使うだけ使え・・・が正解だろう。免疫異常が、脳細胞にかなりダメージを与えているだろう。のんびりしていたら、さっさとどこかへ連れて行かれそうだ。世間と戦うだけでなく、自分とも闘わねばならない。健康は与えられるものでは少なくとも私の場合は通用しない。筋肉を保つ必要がある。脳だけではなく、肉体も筋肉を鍛えないと先がないだろう。ネックは、睡眠だろう。不眠が続いている。土台怠け者だから、環境を好きなように解釈して生きてきたらしい。その報復を数年前から受けている。運動をしないと夜眠れない。その代わり仕事をすれば良かったが、職場も良くなかった。これは言訳だが・・・。それにしても、喧しい先輩たちがいなくなり、いたら言うだろうな、言われるだろうな。と思いながら仕事をしてきたが、その仕事もなくなった。伝えるべきものもないが、脳を鍛える為にブログをしている。
2023.02.26
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「レイニー河で」の文中に、 「俺は戦争に行くだろうー俺は人を殺し、あるいは殺されるかも知れないーそれというのも面目を失いたくないからだ。」(同書村上春樹訳)「私は卑怯者だ。それは悲しいことだった。・・・」と続いている。「面目」という概念は、其の人にとって違いもする。アメリカ人と、日本人では全く違うものにもなるだろう。「面目」ということばでさえ、それが適正なフレーズだとも言えない。ある人にとっては、全く違うフレーズに為るかも知れないだろう。彼はその面目に付いて長々と書いている。 ・カナダに逃げるかどうか迷い続けて、あと一息の場所であるレイニー河の上で苦悩して、引き返した。思いがけず徴兵されれば、誰だって悩むに違いない。彼はベトナム戦争には反対だったが、国が決めた法律であれば従わねばならない。兵士の一人となり、それが何だろうと、相手を殺さねばならないのだ。それが正義だし、殺すか殺されるかのどちらに立つかでしかない。追い込まれれば、人は道具に為る。 ・へ2・・・「面目」というフレーズに、アメリカも日本も同じだと思う。昔の武士も同じことを言っていた。恥を掻きたくないと、死んでいった。死にたくもないのに、死ななければ、自分だけではなく、家族も生きていけなくなる。誰かのために死ななければならなかった面目がある。それこそ、太古の昔から、それはあるのだろう。人間の心には進歩はないのだろうか?
2023.02.26
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志賀島の展望台から玄界灘。ひとはさまざま。自分の人生をどのように考えるか?今朝起きて来ながら、自分のケースはどうだろうとふと思った。まだ終わってはいないのだから、そのバランスシートは出せないなあ。天網恢恢というから、いつか決着が付く。損得ではなく、収益を出さねばならない経済とは違う。絶対評価もない。他人と比較しようもない。考え出すと難しい。打算と妥協と。生きるためにしてきたことがそれほどきれい事では済まない。真面目でも不真面目でもない。 ・寧ろ、自分の人生のバランスシートを出さないまま終わる人も多いのではないだろうか。あるがままの自分を避けて活きる人さえいる。背伸びをし過ぎてしまう。それが向上心だと勘違いもする。熊本の玉名にいて頃、西方浄土をするために死を覚悟して、直ぐにも沈んでしまいそうな小舟で、中国へ向かっていく仏教徒がいたらしい。目的は、天竺にいくためでもある。死への旅でもあった。死を覚悟した修行僧は、絶食を始めると聴いた。 ・へ2・・・母の介護をしていたとき、床ずれができて夜痛がって、薬を付けたりさすったりして、当時は30歳くらいで少しの体力はあったが1年近くになると心身共に疲れてもいた。最期に修羅場が来るだろうとばかり、思っていたら、母が内心どれだけの苦しみだったか息子にいわないまま、忽然と旅立っていった。何ともことばにできないような唐突さでスーッと母の魂は消えていった。ひとの最期を教えてくれたと思っている。ひとはその人に相応しい死に方をする。
2023.02.26
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浜松城。生半可に知ったくらいのことで、社会が分かった気がしたりしたが、所詮針の穴からでしかない。自分の二つの目は、見ていても本当に真実を理解していない。漱石にしろ、これまで一般論で、また少し読んだくらいでもう文化の遺物ではないかと断じたりしたが、今、よく読んでみると含蓄があり学ぶべきことはまだ多くある。所詮、自分の知識など蒙昧でしかなく、「本の蟲」どころか「垢」だろう。 「汝らこころを上げよ!!」。これまで、まじめに真理を求める先人は迫害されたのだ。過酷な運命を生きてもいる。そうしなければならなかった。安易に得られる情報など大したことはない。ヒトの進化は、デッドロックを乗越えてきた。平坦な人生など取るに足りない。
2023.02.26
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車の騒音の激しい中を歩いていると聴こえて来ないラジオの音楽も、静かな所に入ると響きだすので、ほっとする。自分だけではなく、ひとびとは異常な世界に暮らしているのではなかろうか。自分たちが幸福だと無理に思い込もうとさえしているのではないか。いま家族と一緒に過ごしているが、これは当り前のことでしかないが、それさえ叶わなかった時もあったし、生きるために家族と離れて暮らしている人々は多い。見せしめのように転勤される人たちがいた。 ・どうしてそうなるか、解からないことばかりだった気がする。ウオークマンは、騒音の中でも自分だけは好きな音楽を聴いておれるようになったが、それは自分だけの世界でしかない。社会環境ではない。社会は小さい声を聴こうとしなくなっている。幽かに鳴く鳥の声も、夜空の星も見えなくなっている。汚れた空気や水でも、化学物質でも耐えられる体力が無いと生きていられなくなりつつある。 ・へ2・・・私たちには、明日を保障するだけの担保は何もない。相撲協会は形振り構わない生き残りのための足掻きをしている。そういう体質でもある。この社会にもある。それが日本の文化レベルでもある。そのことを忘れてはならない。自分たちが何ものであるかを知るべきだと思う。それは未来が無い訳ではない足掛かりにもなるだろう。本当は何が美しいのだろうか。いつも考えてしまう。造形美だろうか。自然だろうか。遣り過ぎて汚してしまう。ただ見ていればいいのだろうか。モンサンミッシェルとよく似た江の島があり、福岡には志賀島がある。
2023.02.26
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たとえば、ビールを飲むのは、喉が渇いているからで、勉強するのは出世したいからであり、食事を拒否するのはプロポーションを維持したいからで、登校拒否は、いじめられるのが怖いからである。このようにもっともらしい動機や感情を示すことが出来きるので自分の行為を明確に理解できていると思っている。ところが、私たちは自分の心のなかで起きていることをすべて意識しているのではない。 ・心は氷山のような構造をしている。 ・フロイトは自分でもきづいていない無意識の欲望があり、その欲望が行動をかりたてているという。だから先にあげた動機や感情はウソである。 ・ビールを飲むのは、ほろ酔い状態になることによって、幼児期に戻り母乳を飲みたのかも知れない。アルコールは母乳の代理であり、アルコール依存症は薬物依存症というよいりも母親依存症なのだ。面白くもない勉強をするのは母親の愛情を得たいからである。拒食は親が支配してきた食事という儀式を拒絶し、登校拒否は親の願望を生きて来た今までの自分を拒否し、自分の願望を押し付けてきた親たちへの復讐かもしれない、と深層心理学ではいう。 ・本当にこころを悩ませているものは別にある・・・感情の転移
2023.02.26
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サントリオ医師は自分の体重と、飲み食いした物の重さと、排泄物の重さを30年にわたって量りつづけて、健康な時と病気の時とで体がどう違うのかを調べた。400年前のイタリアでの話。その他にも ・ガスを吸って意識を失った者 ・体を麻痺させた者 ・自分に電気ショックを与えた者 ・首にロープを巻いて短時間首を吊ってみた者 ・ばい菌を食べたり注射した者 ・病気に感染したダニやシラミに皮膚を噛ませた者 ・ツェツェバエに血を吸わせた者 ・毒物や放射性物質を飲み込む実験をした者 勿論、こうした科学の冒険のために、けいれんや心臓を悪くしたり、或いは実験の最中に帰らぬひとになったりした。自分の体で実験した科学者たち。治療法の発見を切に願って志願する患者があり、勇気ある科学者がまずまっさきに立ち上がって、自分を実験台にした。それによって多くの生命を救い優れた治療法が開発されてもきたのだ。そういうひとたちが犠牲となり、科学を進化させてもきたことを忘れるべきではない。 そうした一見向こう見ずな実験によって発見された治療法もあったのであり、命知らずの勇者もいたのだ。科学の解明はそうした人たちを抜きには考えられない歴史がある。困難に挑戦する人たちがこじ開けてきた成果の上に今日があるのも事実だろう。
2023.02.26
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浜松城公園。母は愛する我が子を一瞬も目を離さないというが、それが愛情の極致なのだろう。そんなことができるはずはないが、それだけ真剣でもあるのだろう。命が蔑ろにされている国家は、人類の敵である。自分の命を大切にしないものに他人の命も大切にはできないだろう。凡そ他人の命を先にするという話は信用できない。からだのために何かしているかと尋ねたら、「何もしていません」と教授が言われたので、命を大事に思っていない人なのだと思った。肝心の命であり、命を軽く見るのは決して学識や教養ではない。少なくとも何もしないことはない。或いは考えようとしないだけなのだろう。 ・どれだけ日頃努力しているだろうか。自分の命のためにすることは必ずある。寧ろしなければならないのにしないのではなかろうか。睡眠は6時間以上。まとめて取るのが一番らしいが、それができなければどうするか、私は悩んでいる。アルコールを飲めば眠れるが、それでは癖にもなる。夜光を浴びないようにするとかも難しい。夜は暗い寝室で眠るだけに使うとか、条件反射で、眠たくなって寝室に行くとかある。毎日2万歩のウオーキングをしているが、雨が降る日もあるし、行けない日もある。 ・へ2・・・今年もどうやら風邪を引いていないが、それこそ何があるか分からない。自分の命さえ守ることは容易ではない。アクシデントもある。リスキーな社会に生きてもいる。裏と表のある世の中でもあるが、だからこそ、自分の命を大切にしなければならない。どれだけ努力するかでもあると思う。
2023.02.26
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ローテンブルク。プーチン大統領が、大規模な集会で、ウラーと叫んでいるニュースを見たが、それこそ数十万人の双方で死傷者が出ているのを知らないはずはあるまい。その張本人でもある人が、人々の前でよくできるものだと。或いは人はさまざまだから、ヒトラーや、東条英機をいまだに敬愛している人はいるのかもしれないが、ヒトの命が虫けらのように扱われるのは許せない。 ・学問を最初に学ぶのは、人を殺すなであり、現代の哲学である。イデオロギーや、宗教上の違いはあるが、敵を殺せというのは、いまだに罷り通っていることを悲劇だと思う。自分たちが生き残ろうとしていることはわかるが、それが唯一の道ではない。笛を吹く人が、ひとびとを崖の上に導いている絵画を見たことがある。文学や芸術も、戦争を賛美するために宣伝された。人間の心の奥の暗黒が、時々顔を出している。 ・へ2・・・一人で死ぬのが嫌だからと他人を巻き添えにする人たちがいる。自分たちは、必ず勝利する。さもなければ世界が滅んでも構わないというのだ。なんと悍ましい考えだろうか。他人のために自分の命さえ投げ出す人さえいるというのにだ。万歳という言葉を聞くと、特攻隊の少年たちを思い出すのは悲しい。戦争を美化してはならないのが政治家の一番の責務でもある。
2023.02.26
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浜松城。この情報化した社会で、フェィクニュースが飛び交いそれを信じる人たちで戦争まで起きている。なんと愚かな複雑系だろうか。これでは、これまでの進化も徒になるかもしれない。戦争は、やめればいいだけだ。それがやめられないのは報復が怖いからだろう。しでかしていることに震え上がっている。それを隠そうとしてさらに過ちを犯すのだ。驚くのは、甘い認識があり、データの杜撰さだろう。これは老人病に似ている。他人を甘く見るのは、尊大な人間の特徴でもある。何のためにブレーキを用意しなければならないかだ。それは暴走を止めなければならないからだ。ブレーキを用意しないマシーンは、破滅する。それは組織も同じだろう。人は神様にはなれないのだ。「非の打ちどころのない論理から誤った結論がだされることがある」。哲学から科学は生まれた。科学のみが先走りをしている。人間たちはそのために自滅もするのではないだろうか。大災害や紛争が無くなった世界ではない。テロがあり、戦争もある。自制さえできない現代の人間社会が、未だギリシャ哲学の課題を抱えている。 ・誤った結論を出してしまうのが人間でもある。論理は常に完全ではないからだ。自分たちの有利なように仕組まれている。利己的な遺伝子がつねに裏にある。アキレスと亀だ。反論の余地のない前提から出発した結論がある。世界を論理的に理解しようとする試みは混乱してしまう。その欠陥を指摘できる人はいない。 ・へ2・・・誤った結論を出してしまう。これを哲学的難問のパラダイムという。誰かがこの難問を解かねばならない。
2023.02.26
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姫路城は、改装中だった。日本文化論は政治的イデオロギーの所産であり、西田、和辻や、新京都学派をはじめ、肯定的文化論である。河合隼雄にしてもユング深層心理学の手法であるが、宿命論でしかない。・果たして、日本に文化と言えるものがあるだろうか。伝統的な仏教思想や、儒教的な思想を引き継いでいるものが文化とすれば、民族的な色彩はあっても疑問であろう。歴史学的な研究が偏頗なままであって、通説がないのではないか。 ・謂わばそれが、日本人としてのコモンセンスが動揺するのではないだろうか。仏教徒でもなく、キリスト教でもない。儒教も捨てて無宗教である日本人が多いのは、それは文化という土壌を持ち得ないということだろうか。 ・西欧やその他の国家での宗教戦争という呪縛を経験しないということは、日本にとって幸なことなのだろうか。宗教について、安易に考えるべきではない。つまり人間の本源的な意味で、その青年期に苦悩の経験を経由していないのではないだろうか。日本人のひ弱さはそこから来ている気がする。
2023.02.25
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浜松城。赤ちゃんは可愛く産まれる。誰もそのことを否定できない。老人は老醜して死ぬ。子供が殺されると世論は復讐を誓う。若者が死ぬと悲劇になる。愚かな行為も美化されたりする。まだ封建時代を生きているサムライが居るかも知れない。他国では教科書に、特攻隊やサムライの国にされたりする。憲法も天皇を認知している。遅れているところと暗部もある。警察も暴力団を利用している。必要悪の理由で黙認される諸悪は枚挙に暇が無い位だ。社会は矛盾に溢れており、正義が必ずしも王道ではない。悲劇が喜劇になり、何時までも、悲劇に付き合わない。老人の死も同じだ。苦しみや悲哀は忘却されるだろう。戦略memeは、人の心を操り続ける。仕組まれた恋愛に生命をかける若者がいて子孫を残している。血と涙と汗した資産も大抵孫までの三代で国有に戻るシステムになっている。meme は、第二の遺伝子。
2023.02.25
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浜松城。私たちは、マイルストーンとなる重大な変化を何度となく経験する。それを戸惑いながら通過儀礼のように熟すことができればいいが、意外と人生のハードルは高い。一見うまく遣ったようで実は消化不良も多い。殊に人間関係で、苦労することになるのは何故だろうか。有機体としての私たちはホメオスタシスを求めるあまり変化の態様に対応できないことが多いからだろうか。どうしたら、うまく世渡りができるかではない。この本を読めば頭が良くなるというのもまやかしでしかない。作者の準拠枠は、他人には当て嵌まらないからだ。それは偽善でもあるだろう。ブサンのマインドマップに関する本もよく読んでみると殆ど、脚注が確りしていないだろう。どうも成功するいうのは、なにが成功かよく分からないものが多い。
2023.02.25
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浜松城。つい怠けてしまう。脳がそうさせてもいる。なまけものの脳だ。娘から大学が入試忙しいので、春まで暇でしょうと言われてしまった。確かに。遊んでいる暇はない世界である。暇人は消えていくしかない。したいものだけがする。次元の低いものしか考えないものにはそれだけの運命でしかない。向上心のない人間はそれだけだ。あとがない才能など意味はない。 ・夢があるから、破れるのであり、夢もない人生は、価値もない。価値を見出してこそだ。三月までの越冬した渡り鳥たちがいなくなる。そしてまた秋にやってくるだろう。守らなければならない自然がある。 ・へ2・・・生きているだけで、何の役にも立たないが、心配していることはある。それらがどんな意味があるのか知らないが、片付くまでは終わらない。
2023.02.25
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浜松城。江戸から明治への日本文学とは・・・(近代との関係)。 <江戸>・主として説話もの。イメージが把握し難い。「西鶴」が描いた世界。 特徴として、論語、寺子屋、説話・・教訓的で、暮らしに役立つ面白い説話が好まれた。 大岡・遠山裁き・・文章化ができなかったため。活字を読むことが庶民には制限されていた。 (江戸の価値とは? 明治に何を残したか?・何をベースとした教科書となったか?) <明治>・漸く西欧から「小説」が入ってきた。間違いだらけの翻訳がされた。そこで江戸の「説話」を面白くして、大人の読み物、またこどもの教科書にしようと努力した。・明治10年以降には説話が増えている。 身分による読むべき書籍の区分がされていた。知識の広がりができない。 ・漢籍・・・武士 ・往来物・・庶民 <孝行猿。出家>・廃仏棄釈(明4)仏教・儒教。明治の初めは開明的であったが、やがて復古調に代わる。・自由教育に圧力が加わりだす。教育の弾圧としての検定。反動化する。・教育と政治の結合が進められた。(富国強兵)自分の史観も、その時々で違ってくる。雨が降り出したら、ウオーキングを止めることにしている。長く続けるためには、その方が好いと思うからだ。4月でやっと10数年間になる。ツアーもあり、その後そのフオローもできていないが仕方がない。こんなことはこれまでなかったが、気力も体力も減退している。続けるためには、無理をしないことだと思うからだ。目先のことに拘っては長く続けることはできない。色々あるが、することよりもしないことが大事なことはある。
2023.02.25
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浜松城公園。強国が、弱小国を呑み込もうとして侵略するのが常であった時代も確かにあるが、それを許さないために作られた国連でもある。どんな小さな国であろうと主権国家であれば、独立不羈の精神があるのは当選のことだ。それを蔑ろにするロシアは、世界から孤立するのは当然帰結だろう。いずれ中国からも見捨てられるだろう。然し、その中国も同じ道を歩こうとしてはいないだろうか。ロシアは悪いが、中国はそれ以上に悪いかもしれない。蒙古軍の脅威は、その戦略の狡猾さでもあったという。その伝統が中央アジアを征服したルーツに在るのかもしれない。敵を皆殺しにすることを厭わず、ただ役立つものは殺さなかった。歯向かうものは殺すが降伏するものは殺さない、捕虜にして次の戦いの先頭で戦わせるのだ。蒙古軍の強さは、当時世界最強の軍隊でもあったという。勇猛果敢な欧州軍さえ打ち破った。戦略は巧妙だったからだ。敵をだますことを恥なかったからだ。 ・敵を信じないというのが彼らの根本に在る。敵も自分をだまそうとしていることを知っている。人間の行動というものがよく観察されているのは、多くの戦いを経験して来たからでもあった。敵に背中も見せるなでもある。味方には甘く、敵には冷酷でもある。蛇や狐のように狡猾だった。それこそ彼らの褒め言葉になる。 ・へ2・・・中央アジアの伝統は、遊牧の民の大いなる野望の中からきている。トルコの現地ガイドは、大卒のひとだったが、トルコは、その中央アジアの子孫であり、遊牧の民を誇りにしていると言っていた。べドウィンの民の形質が彼らのルーツでもあるのだ。寛容と冷酷さが混在した戦いが繰り広げられている。単純な人間は生きていけない国家が中東でもあるのだろう。
2023.02.25
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博多湾と福岡市。ロシアのウクライナ侵攻から、1年間が経過したが、数十万の死傷者が出ているといわれるが、まだ終わりが見えない。国連総会では、141か国の賛成で、ロシアの即時撤退が採決されたが7か国の反対と、30数か国の棄権がある。国連の創設者の主要国であるロシアの戦争であるという想定外の事態であるからだ。世界の分断は、新たなリスクを高めている。ロシア人は、昔の栄光に我を忘れているように見える。ロシアと中国で、これからの世界をリードできると思っているのだろうか。ロシア化や中国化を、少なくとも現在の世界は、望んではいないことを知るべきだ。暴力では、理性のある人間は支配できないということだ。どんな小国であろうと、窮鼠猫を噛むだろう。恐らく違う社会で育った留学生の方が、日本で長く暮らしている日本人よりもこの社会の歪さも解かるのではないだろうか。どこも完ぺきな国はないが、他国の弱点は視え易いのではないだろうか。解かるところと判らないことの区別が付け易いからでもある。どうも居心地の悪さで、解かることもある。風俗習慣とは、熟れから来るが、それが慣れ過ぎて陳腐さが理解できなくなる傾向がある。何故そうしなければならないのか解からないでしていることは多い。 ・留学して学ぶことのメリットは少なからずあるだろう。自国であれば使い慣れた言語で大抵済ます事が出来る。外国語となるとそうはいかない。先ず言葉を一つ一つ考えながら覚えなければならない。自立はそこから始まってもいる。不自由を耐えて暮らす事が独立心にも役立つのだろう。親から甘やかされた人間ほど、弱い人間に為る。寒い風に当たって外で歩いたり、部屋を暖房せず乾燥しない方が風邪には罹り難い。免疫力を高め、感染経路を減らす事である。 ・へ2・・・楽をするから弱くなるのであり、足りないからそれを補う力も出る。何かを得るためには、努力しなければならない。他力本願では、いつか自滅もする。泳ぐ極意は水の中で息を吐き、吐くから顔を上げた時呼吸も楽にできるのだ。留学生は、慣れない社会で苦労も多いだろうが、得るものも多いに違いない。暮らしをシンプルにできるものがリッチで恵まれたものよりも豊かに生きることが出来る。
2023.02.25
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ペルー。本当は幻影でしかない。すべてのことは脳が作り出しているイメージに過ぎない。自分という存在は幻想世界なのだ。その時々で演じているのは一つのショーでしかない。騙されて踊らされて、誘惑されて棄てられる。木の葉が散るように。枯草のように萎れてしまう。末梢神経への電気信号が遅れ始めている。からだが萎みはじめた。脚がのろくなった。からだのあちこちから臭気がする。 ・サインはシグナルになる。世界の全部が敵になる日がくる。木偶人形に戻るのだ。ミッションのない日々しかない。遺伝子のそれは終わった。ぼんやり山や海や、森を見ている。高い木の天辺でカラスがかあと鳴いていた。あれは俺かも知れないと思う。 ・へ2・・・それこそ無数に生きてきた命が終わる日が私にも来る。父と二人で、熊本のぽっくり寺にお参りしたことがある。なぜかよく解らないでついて行った。その父の当時の年齢になっている。まだ私にはそのような心境にはならないままである。
2023.02.24
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マタイによる福音書15-17 「・・・口に入るものはみな腹に入って厠におちるのがわからぬか。だが口から出るものは、心から出たもので、これが人を汚す。つまり、悪意、殺人、姦淫、淫行、窃盗、偽証、讒言などは心からでる。これらが人を汚すもので、手を洗わないで物を食べても、人は汚れない」。 ・ユダヤ教の律法を厳格に守るという視点だけでなく、倫理の根本がどこにあるかを問題にしているのだろう。巧妙なごまかしのように見えるが、人間のこころを強調したのだろう。イエスが貧しいものに近かったのは、言行一致があったからではないだろうか。人々は圧政に苦しんでいたからだ。 ・人の生き方は、生まれた国や出自や経済などの措かれた環境で決められるべきではない。人間の真摯な志こそ尊重されるべきだ。かたちだけにこだわっていると真実を見失うと、教えている。
2023.02.24
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自分に相応しく生きて死にたいと思っている。それは自分で思うだけではない、それができる環境の必要であり、社会の存在もある。2013年は、国内旅行ばかりしたが、2014年から世界遺産の人気のあるところを選んで、ツアーをしてきた。グランドサークルから、タージマハール、マチュピチュ、ナスカ、アンコールワット、モンサンミッシェルとルーブル美術館など。 ・素晴らしいところばかりだったが、それは疑似イベントでしかない。海外ツアーも自宅があるから楽しいという気持ちも分かる。実際の生活がどうかだ。2か月に一度の割で定期検診が欠かせないが、思えば、20年近い。福岡に帰って同じ専門医のいる病院に通院しているが、私のメデイカル・ステージのデータもかなりの量になっている。私は病態とこの楽天ブログの記録をリンクできないかと考えている。 ・へ2・・・好い時も悪い時もあったが、体の化学反応と、こころの変動と、どのようにリンクしているのだろうか興味がある。世界遺産を、じっくり見ていたいが、あまり余生の時間もない。亡き父母とあまり旅行をしたこともなかったが、この10年余りは、妻と思い出しながら旅をしている。今日は、妻子と、高塚地蔵尊と宇佐神宮を予定しているが、雨が降っているので、写真はあまり期待できない。そういえば伊勢神宮も、出雲大社も雨が降っていた。じぶんの
2023.02.24
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カワセミ。ぎょふのりレベルの低い争いをしていると漁夫の利を狙う国際社会がある。東西も南北も較差は改善されてはいない。日本の二重構造もそのままだ。先進諸国が、開発途上国の必ずしも良き師ではない。欲の皮の突っ張った人間が社会のリーダーに大勢いる。国境の問題や歴史認識の違いや、思想信条など国家間の諍いはつきものでもあるが、狡猾な狼たちがいることを忘れてはならない。してやられた歴史がアジアには嫌というほどあるではないか。 ・植民地が、あるいは原住民たちが、なぜ支配者にいつまでも従属していたのだろうか。それは仕組まれた罠にはまるからでもある。それは理由がある。飴と鞭が支配するからだ。逆らうものは排除されてしまう。言論の弾圧が常套手段でもある。 ・へ2・・・いつもそうだが、俯瞰的に物事を把握することは難しいことだが、できないことではない。初心者も努力してベテランにもなる。相手が何を言いたいのか、その本音がどこにあるのか。靖国参拝や、従軍慰安婦問題や、そして国境問題も障害にしているから障害でしかないのではなかろうか。もっと優先して取り組まなければならないアジアの問題は山積している。
2023.02.24
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自然科学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスタートするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在するのであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いていた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだという。
2023.02.24
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シドニー。精神の目は、自ら開こうとしなければ盲目でもある。周囲に従属して意識のないものたちのように暮らしていこうとしてしまうだろう。日本の戦前のように。そして戦後70年になるが、また暗闇が増加しているのではないだろうか。照明のエネルギーとなる人たちが少なくなりつつある。 ・こころに燈火を持つ人たちが減っているのではないか。未来に絶望してはいないか。毒をまき散らしているのは誰なんだろうか。サイコロばかり転がしている。カジノがあちこちにできる社会になるのだろうか。仮想社会の住人たちが大人こどもを演じ始めた。 ・へ2・・・マチュピチュ遺跡は、もともとアクリャたちのためだけに作られた空中都市なのだろうか。時として滅びゆく民族はとんでもないことをしでかしてしまうだろう。どんな悪政も遣り始めると止めることができなるなってしまう。臆病な恐怖心が巣食ってしまうのだ。勇気はいつの世も試されるだろう。
2023.02.24
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インド。<作品> 「鼻」、「芋粥」、「仙人」、「酒虫」、「猿」、「煙管」、「手巾」 ・「鼻」大正5年の作品。漱石の死んだ年。漱石は、「新しい文学」と激賞したが、前年書いた「羅生門」は読んでいない。 ・自尊心の高い男が下人に鼻を足で踏まれる。・・・利口な男が自分では気づいていない滑稽さを、芥川はよく知って書いている。 ・『今昔物語集』に想を採った近代作家は多い。中でも大正時代の芥川龍之介による『羅生門』と『鼻』は有名。 ・今昔物語集は、平安時代末期に成立したと見られる説話集。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。又、欠話・欠文も多く見られる。 ・芥川からみた「漱石と鴎外」の相違が大きい。 ・白樺派の主な同人には、作家では武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎など。 ・「実篤」は、「文壇の天窓を開け放った」と評された。芥川は、「野性のひと」評価。 ・鴎外「心の花」・・・「鼻」が繋がっている。 ・「仙人」と「羅生門」結末は違うが状況は似ている。 ・「酒虫」酒の飲めない男は・・・自分のことを書いている。 ・「猿」古典からの引用。 ・「煙管」前田斉広は、自尊心が高く自分のこと。煙管と同じ。 (金→銀→真鍮へ格下げしていく。) ・「人生は短く芸術は永い」。然し、芥川は「芸術至上主義」ではなかった。 ・「手巾」新渡戸稲造「武士道」のはなし。 ・新渡戸 稲造は、農学者、教育者。国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、名著と言われる。 ・同じものを書きながら、同じように見せないのが作家<芥川>の腕でもある。 ・作品には仕上げの良さがある。
2023.02.24
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志賀島・海の中道・博多湾。悪いことをすれば罰が当たると、耳にタコができるくらい聞いたが、馬鹿に付ける薬はないともいうから、証明するのは難しいのだろう。自分はどうかでもある。そしてソーシャル・ステータスのある人間は猶更だ。歴史的人物として名を残すことになる。あのプーチン大統領と、20数回も会談した元安倍首相は、安倍外交といわれて、世界中をVIPの航空機で飛び回ったが、どれほどの成果があったのだろうか。麻生氏は、今日の日本を押し上げたというが、人を見る目はあっただろうか。プーチンは、あっさり日本との関係を切って見せた。贅沢な暮らしで快適だと思う人たちと質素で素朴な生活をしている人たちとその格差が著しくあるのが現代社会でもある。そして否応なく、殺伐とした気持ちにさせられている。他人の不幸を喜ぶ人はいまい。それでも理解不能なことはあるすぎるくらいある。きれいごとが通用しない人間たちがいるのも確かだろう。 ・その場で、強いものが弱い者の生命さえ奪うのだ。追い詰められた人間がすることは恐怖でしかない。追い詰めているのは誰だろうか。捕らわれてしまうのは恐怖感でもある。そして諦めでもあるのだろう。ひとを虫けらのように殺す人間は絶対に許せないが、ではどうすればいいのだろうか。 ・へ2・・・他人事のように事件は処理されてしまう。このISの犯罪行為は誰が裁くのだろうか。ヒトとしてあるべき自由が否定されている国家がいまだにある。抑圧されて人間らしく暮らしてもいけないのだ。暴走するミームの伝染病にかかって死ぬだけでいいのか。
2023.02.24
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