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人生を舞台に例えるなら、私の人生は私が主役。その他の人は私という女優の脇役だったりします。夫も子供も親も兄弟も、友人・知人・通りすがりの人、犬、猫にいたるまで、私という人生を演じる舞台の脇役の方々。私はどうすれば自分が心地よく、素敵に演じられるのかを考え、脇役の方々にサポートされて生きています。でも、ふと考えると、私の人生は私が主人公だけど、私の脇役を演じてくださっている方々もその方の人生ではもちろんその方が主人公なんですね。夫も子供も親も兄弟も、友人・知人・通りすがりの人、犬、猫に、時々私を鬼に変えてしまうゴキブリまで・・・。自分の人生が尊いと思うとき、人様の人生も同じように又、尊い事に気づきます。。でも、それは頭では分かっていても、やっぱり自分が一番尊いと思うのも又正直な気持ち。そんな時、ココロの中で唱えます。「私はこの人の人生のワキヤク、ワキヤク・・・。」主人公とばかり思うから、物事おかしくなります。脇役に徹する事が出来たとき、物事にこだわりがなくなり、人生と言う舞台を楽しんで演じる事が出来ます。時に主役、場合によって脇役。上手に演じ分ける事が出来る自分になりたいです。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~先日、保育園からの帰り道、お腹のすいている次男3歳が、訴えるように言いました。「かあさ~ん、まーちゃん、もうお腹が、ぴっこぴこ!」・・・ずいぶん楽しそうなお腹だこと・・・。
2005年10月27日
時々、八方ふさがりになってしまい動くのがしんどくなるときがあります。何をやってもうまく行かない。何を発信しても受け取ってもらえない。やった事が裏目に出ている感じがする・・・。そんな時本当に動くのがしんどくなります。外に出るのが億劫で、人に会うのも億劫で、家で寝て居たい気持ちになります。そんな時、本当に家から一歩も出ずに好きな事をやって過ごすのも一案。でも、それでもあえて動いてみるのもいい。動いてみると、意外な答えが返って来たりもします。落ち込んでいたのは、自分が否定されたように感じていたから。自分の力に限界を感じていたから。でも、実際には私が否定されたのではなく、私の提案を否定されただけのことだと気づいたりします。動いて、会って、会話を重ねていくうちに、物事はほぐれていきます。家で寝ているだけでは決して味わえなかった事を現場で味わえたりします。矛盾しているようですが、時として、『動けない』の打開策は『動く』ことにあるように感じている今日この頃です。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~またまた叔母のぼけ話。『ちょっと~、お宅の会社ってクリーニング・オフしてくれないの?』『はー・・・。クーリング・オフならやってますけど・・・。』『どっちでもいいわよ!』・・・・よくありません。(汗)
2005年10月21日
今日、19日は次男の3歳の誕生日です。あのいきなりの破水の日から3年かよ~。(シミジミ)明け方の4時に破水して、準備して病院につく頃には陣痛もピークになり、あれよあれよと言う間に生まれてきた次男。後から考えると、何かのタイミングが悪ければ、病院に着く前に生まれていたかも知れないって言うほどのスピード出産だったのです。上の2人もそうでしたが、何かとタイミングよくその日を迎えられたので、そんな意味では親孝行な子供達です。^^子供の生まれ方って性格と関係しているのかな?って思うのは私だけでしょうか?それぞれの性格が分娩の時の様子と微妙に重なります。因みにスピード出産の次男、とにかく何もかも早い。上の二人は比較的のんびり屋なのに対して、何でもさっさと自分でやってしまうし、待たされるのもいやと言うタイプ。うんうん、君は生まれる時も、ちーっとも待ってくれなかったねー。がんがん痛くなって、どんどん下がってきて、ぐりぐりと出てきた、そんな感じ。今朝は朝食をとりながら、そんな次男が生まれた日の思い出話を家族でしました。長女と長男は立会いこそしませんでしたが、ドア一枚隔てた陣痛室で生まれてくる様子を感じていたそうです。最初は苦しそうな私の様子を見て『怖い』と思ったようですが、赤ちゃんの産声を聴き、何事もなかったかのように笑う私を見て、弟の誕生の嬉しさと出産の不思議さを感じたようです。みんなこうして生まれて来たんだね。お母さんってすごいね。その一言が私を勇気付けてくれました。もう3歳。いやいや、まだ3歳。まだまだ先は長いです。3年間、病気をすることもなく、怪我をすることもなく、すくすくと健康に育ってくれた息子に感謝です。成長を見守り、助けてくれるたくさんの方々にも感謝です。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~先日うちの叔母が言いました。『私、入れ歯のところにプラーク入れようかと思っているの~』・・・・・インプラントでしょ。わざわざバイキン入れてどうするよ??
2005年10月19日
前回の日記の続きです。私が4~5歳の頃、私と母は訳あって、母の実家に住んでいました。母がお店を持っていたので、日中は祖母と二人で過ごし、夜になって帰ってくる母を私は心待ちにしていました。ある日の夜、祖父母が寝る時間になっても母が戻らないので、私は玄関に座って母の帰りを待っていました。母は帰ってくるといつも本を読んでくれたのですが、その日の夜は違っていました。多分外でいやな事があったのでしょう。玄関で待っている私が、まるで見えないかの様に洗面所に行き顔を洗って、後をついていく私に声をかける事もなく部屋がある2階に上がり、上で階段の電気を消したのです。祖父母は別の部屋にいたので、私のいた場所は真っ暗になり、私は『わぁーーー!!』と声を上げて泣きました。暗いのが怖いと言う事もあったのですが、母の冷たい態度が一番のショックでした。その後、母は急いで降りてきて、私が泣き止み、眠るまで抱っこして歌を歌ってくれたのですが、私は不安な状態でした。子供を実家に預けて働く母。多分、口には出来ない苦労や心配事もあったことでしょう。でも、小さい私には理解できないし、母は完璧なる存在です。母の『無視』は私にとってはあり得ないことでした。でも、実際に子育てをしていて、十分にあり得ることです。実際、この日記を書き込んでいる私の傍でも、長男と次男が「おかあさ~ん」とまとわりついてきますが、私はまるで聞こえないかの様にひたすらキーボードをたたいています。^^;でも、多分二人ともそんなに傷ついてはいないでしょう。なぜなら、もう一つ大事な要因がその時のシチュエーションだからです。例えば、祖父母が起きていて、にぎやかなTVでもついていて、おいしいものでも食べていて、子供にとって居心地のいい時間に同じ事が起きていたら、そこまでショックではなかったでしょう。一人ぼっち、静か、寂しい、不安、待ちわびる気持ち、遠くで鳴く犬の声、昼間祖母に叱られた記憶・・・・子供にとってはかなりのストレス状態です。そこに帰ってきた母の冷たい仕打ち。《因》と《縁》が『ガッチャーン』と繋がった瞬間ですね。どうも、この37年前の出来事が、今の私の心に影響しているようなんです。これが『無視されたとき』に私が反応してしまう心の仕組みのようですね。『無視された』と言う『あざ』が心に出来てしまったのでしょう。前々回の歯医者での出来事もそうですが、原因を知ると幾分かすっきりします。過去を変えることは出来なくても、不快の原因を特定できたら、『あー、またあのあざを刺激されているなー』と、冷静に観察できる自分がいます。目の前の相手が原因なのではなく、自分の中にある過去の映像が原因。正解かどうかは分かりませんが、そう思えたらちょっと楽に流せますね。いずれにせよ、過去と相手は変えられのものですから。でも、こどもに私のような思いをさせたしまったなと感じたら、即座にフォローです。ぎゅーっと抱きしめて、『ごめんね、お母さんが悪かったね。』この一言でかなり軽減するでしょう。年齢に応じて、何故そんな態度をとったのか説明してあげるともっといいでしょう。子供は『許す』ことの天才ですからね。^^それでは、自分自身は誰に癒やしてもらったらいいのでしょう?私の答えは、他でもない『自分自身』にです。人は悲しい過去やつらい過去は自然に封印しています。つらいことは思い出したくないものですからね。でもそれは、忘れているのではなく、しまいこんでいるのですね。まるで、バケツの中で沈殿して固まってしまった泥のように。上澄みは透きとおっているのにそこに沈むゴミ。うわべはきれいに見えるので、いじるには勇気が要ります。でも、まずは勇気を出して、だーっとバケツの水をこぼしてみましょう。そこに沈む泥、それが思い出したくない過去の出来事です。きっと、過去の映像は心を苦しくめるでしょう。動悸がしてくるかも知れません。涙も出てくるでしょう。誰かを責めたくなったりするかも知れません。自分でも認めたくない超ネガティブな感情がオバケのようにもこもこと湧いてくると思います。それこそ、知らず知らずにしまい込んだその感情が『あざ』の原因なんです。何回も何回も思い出して、その時の気持ちを味わって味わって味わい尽くすと、不思議な事に段々と気分が軽くなっていく自分がいます。大事な事は途中で投げ出さない事、その出来事を無理やり正当化しないこと、自分を責めない事。ジャッジをする為にやっているのではないのです。私の中では、バケツをきれいにして新しい水が入ると言うイメージです。話をただただ聴いてくれる相手がいるのなら、その方法もいいのですが、『ただ聴くだけ、ジャッジはいらない』と言うのが大前提です。多分、聴いている方はアドバイスをしたくなったり、事の善悪を論じたりしたくなってくるので、当初の目的が達成できない可能性もありますね。どちらでもいいのですが、とにかく出して出して出し尽くすことです。すると段々とその映像がただの懐かしい出来事に変わって行きます。私もこの5歳の時の体験はこの日記に書こうと思った日から、何回も何回も泣きました。この気持ちが軽くなってから更新しようと思い、気持ちが軽くなるまで待ってみました。だいぶ平気になって来ましたよ~。話せる人にも話しましたし。ひょいひょいと日記に記す事もできました。私を無視する人がいても、それは相手の問題だと思えるようになりました。・・・と、言う事で長くなりましたが、私の『あざ』論と対処法は終了です。お付き合い下さった方、ありがとうございました。実は、書いた私が、一番心が整理された感じですわ。^^
2005年10月15日
先日、歯医者での過去の映像の事を書きました。あれから、何か不快な気分になる度に、『これはいつの映像に影響されているんだろう?』って、不快な気分そのものより、その原因に意識を向けるようにしてみました。青アザの原因探しです。私の場合、大なり小なり、目の前にいる人に無視するようなポーズをとられると、すごく悲しくなります。相手は無視をしているつもりではないかも知れません。でも、話の途中でふと目線を外して外を見たり、返事や相槌がなかったりすると、胸いっぱい寂しさ、悲しさ、怒りにも似たような感情が湧きあがります。その後、その気持ちに支配されちゃって、話が弾まなくなります。その様な人は私だけではないと思うので、人は <無視される=不愉快になる> というのは当たり前だと思っていました。でもね、全然平気な人がいるのも確かなんです。『あら、この話には興味がないみたいね。』と、さらりと他の話題に変える人や、そんな態度をとられても、全く気にせずに話を続ける人もいます。で、思いました。不愉快な気分になるのが当たり前なのではなく、これもアザを刺激されているんだと。そこで、またまた過去の映像を巻き戻し、再生を繰り返して見ました。人に無視されるって過去にたくさんあると思うのですが、一番胸がキューンと締め付けられたのは、私が5歳ぐらいの頃の思い出です。母と母の実家が出てきます。・・・長くなりましたので、続きは次回に。
2005年10月06日
今、歯医者に通っています。病院嫌いではないのですが、歯医者は話が別。何よりもあの『きゅい~~~ん』という、脳天に突き刺さるような音が苦手。そして歯石除去の『キキキキキキキキキ・・・』という超音波音はもっとダメ。それが歯の神経にあたった日にゃ~、アンタもう・・・。と、言うわけで、歯のチェックを長年サボっていたら、たくさんたくさんの治療が待っていました。トホホ。今日はその苦手な歯石除去。スケーリングと言う言葉を聞いただけで全身を悪寒が走る。一応、衛生士さんに「私の歯はかなり過敏ですから・・・」と自己申告。「はーい、大丈夫ですよ~^^」と笑顔で応える衛生士さん。でも私の頭の中では、スケーリングの針の先が、神経過敏なところに『キキキ・・・』とあたり、全身にあのえも知れぬ最上級の悪寒が走る感覚がよみがえり、体中の毛が逆立ってしまう。はっと我に返ると、衛生士さんはまだ道具の準備中で、私の髪にさえ触れてもいないのに、私の体は既に硬直状態で暑くもないのに汗まで吹き出てきた。そんな極限状態の頭で考えてみた。この感覚は何なんだろう?私はいつから『スケーリング』と言う言葉にこんなに反応するようになったんだろう?過去の記録を引っ張りだしてみたりなんかしてみる。最後に歯医者に行ったのは5年前。えーっと、場所はあそこで、こんな感じの待合室で・・・そう思い出した途端、きたーーーーーー!全身鳥肌!!そうそう、あの病院のあの寝台の上であの衛生士さんに拷問のようなスケーリングを受けたんだっけ。私のあまりの反応に麻酔を使う事になり、「スケーリングで麻酔をかける人なんて滅多にいませんよ。」と、冷たくあしらわれ(た様に感じ)、なんかすごく自分が『いけない人』の様に思われて、一日ずっと気が重かった事まで思い出されてきた。(注:いたって普通の診療内容ですが、私が過敏なだけです。 決して悪徳歯医者と言うわけではありません。念の為。)全ては過去の映像。なのに体は今感じているかのように反応している。なんて不合理なんだろう。普段は思い出しもしないのに、似たようなシチュエーションになると自動的に出てきてしまう。今の歯医者さんの目の前にいる衛生士さんと、あの私の気分を最悪にさせた衛生士さんは全くの別人なのに、あたかも同じ人のように体が反応してしまう。世の中の歯医者が全部イコール(=)で繋がってしまいそうです。それはちょうど押したら痛い『あざ』のよう。過去の打撲が黒い『あざ』になっていて、そこを誰かが知らずに押すと『いて~~~!!』と悲鳴をあげるように、原因は相手ではなく、自分が過去に作った『あざ』が刺激に反応しているのだ。実際、今日の私、衛生士さんが準備をしている間のほんの短い時間で、何度も何度も過去の映像を思い出しては、あの全身鳥肌を味わっていたら、5回目辺りから気分が軽くなってきた。『あざ』が痛みに慣れて来るって感じかな。もちろん、これは歯医者だけに限らず、生活の中でたくさん散らばっている『なんか不愉快な感情』も似たようなものだと思う。悲しくなった。寂しく感じた。カチンときた。ド~ンと落ち込んだ。・・・・もっとあるかな?そんな、いわゆるネガティブな感情が湧いたとき、ついつい目の前の人に『こんな気分にさせられた』と思いがちだけど、実は過去に経験したことが、ビデオテープのようにされているのかも知れません。今日の私のように。・・・とは言え、やっぱり長音波は怖いので、先の尖った道具でやってもらいました。そのお陰で、たいして痛いこともなく、今日と言う日でかなり、<歯医者=スケーリング=全身鳥肌>と言う構図が薄れました。これはもう自分でコントロールできそうです。きっと、明日もあさっても、この先もずっと、そんな事を繰り返しながら生きていくんだろうなぁ。どうも私、『あざ』だらけのようで・・・。
2005年10月03日
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