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七詩さんComments
粘土でできた巨人ゴーレムといえば、アニメやファンタジー、ゲームなどに欠かせないキャラクターとして、いまなおあちらこちらで引っ張りだこのようだ。ざっと調べただけでも、「遊戯王」 や 「ドラゴンクエスト」、それに 「ゲゲゲの鬼太郎」 にも登場したという(もっとも、いずれもよくは知らない)。
このゴーレムについて、渋澤龍彦はつぎのように言っている。
ゴーレムは中世紀からユダヤ伝説にあらわれるようになった、呪文によって生命を吹き込まれた一種の土偶であり、フランケンシュタイン風の人造人間である。これもまた、中世魔術の生命造出に関する野望の反映であろう。
十六世紀初頭のタルムード学者ケルムのエリヤが、カバラの原典 『創造の書』 の助けを借りて、初めてこのゴーレムを作ったのも、プラーグの町のゲットーであったらしく、名高い律法教師のレーウェ・ユダ・ベン・ベザレルが、1580年、神の命により二人の助力を得てゴーレムを製作したのも、やはりプラーグのゲットーにおいてであったようだ。
『夢の宇宙誌』 所収 「玩具について」 より
ゴーレムの話が世界的に有名になったのは、1915年に出た、グスタフ・マイリングというオーストリアの作家による、その名も 『ゴーレム』 という小説と、これとは別に、第一次大戦をはさんでドイツで三度にわたり、パウル・ヴェゲナーという同じ監督で製作された映画 『ゴーレム』
シリーズがきっかけなのだそうだ。
額に書かれた 「真理」 という意味の "emeth" の最初の一文字を消して "meth" にすると、「われは死せり」 の意味となり、もとの土くれに戻るといった話もよく知られている(本来はどちらもヘブライ文字なのだが、ここでは表記できない)。
この映画は youtube にもアップされており、一部を見ることができる。映画はむろん白黒で、もとはサイレントなのだが、ゴーレムは監督自身が演じており、白黒のコントラストが、表現主義っぽい当時のいささかどぎつい演出や背景のセットにマッチしている。ゴーレムは泥人形だということで、たぶん顔にも衣装にも金粉のようなものを塗りつけているのだろう。動きもことさらのようにぎこちないが、巨人といいながら、じつは背丈は他の登場人物とそれほどかわりがないというのはご愛嬌。
マイリングの小説については、舞台であるプラハの住人であったカフカの言葉が、彼の年少の友人であったグスタフ・ヤノーホという人が第二次大戦後に出した、『カフカとの対話』 という題の回想録の中に残されている(カフカの没年は、オーストリア帝国が解体した第一次大戦後の1924年)。
古いプラハのユダヤ人街の雰囲気が、見事に捉えられています。......私たちの内部には、相変わらず暗い場末が生きています。いわくありげな通路が、盲いた窓が、不潔な中庭が、騒々しい居酒屋が、陰にこもった旅亭が。私たちは新しく建設された広い市街を歩きます。しかし私たちの歩み、私たちのまなざしは定まらない。
内部で、私たちは、やはり古い悲惨な小路を歩くときのようにふるえています。私たちの心臓は、衛生施設の普及についてまだなにも知らないのです。私たちの内部の不健康な旧ユダヤ街は、私たちの周囲の衛生的な新市街にくらべてはるかに現実的です。目覚めつつ私たちは夢の中を歩む。その私たち自身、過ぎ去った時代の亡霊にすぎないのです。
『創世記』 によれば、神は人間をおのれの姿に似せてつくったという。プロメテウスもまた同様である。だから、このような生命創造とは、自己の分身を作ることでもある。つまり、ここにおいて、生命創造の物語は 「ドッペルゲンガー」 の物語でもあるということになる。
事実、マイリングの小説は、外出から帰ってきた主人公のあとをつけるようにして、彼の部屋に音もなくはいってき、いつのまにか煙のように消えてしまったという謎めいた男が、じつは自分自身であったということに、主人公アタナージウス・ペルナートが気づくというところから始まっている。
いまぼくは見知らぬ訪問者がどんな格好をしていたか知っていた。それを感じようと思いさえすれば ―― いつなんどきでも ―― ぼくのからだで感ずることができただろう。しかし彼の格好を思い描くこと、つまりぼくの目のまえに面と向かってそれを見ること ―― それはあいかわらずできなかった。それはいつまでたってもできないだろう。
かれはいわば陰画として、目に見えぬ凹版としてあるのだった。その輪郭をぼくはつかむことができないし ―― その格好や表情を心の中に描こうとすると、ぼく自身がその凹版の内側に滑り込んでしまうのだ。
自己の分身を見たものは、死が近いと言われる。それは、ドッペルゲンガーという幻視が、精神の変調による自我統合の崩壊の兆しだとすれば、そう不思議なことではあるまい。芥川が死ぬ数ヶ月前に書いた 「歯車」
にもそれらしき記述があるが、近づいている死が芥川のように自殺によるか、あるいは精神の変調に続く肉体の衰弱による緩慢な死であるかは、あまり関係ない。
ポーの 『ウィリアム・ウィルソン』 の場合、主人公の分身たる同姓同名で同じ誕生日、むろん顔も同じという男は、主人公が虚栄や虚飾、放蕩といった悪行三昧にふけっているところに必ずといっていいほどあらわれて、警告を与え、友人らの前でその仮面をはがし、卑劣な男としての正体を暴き出す。つまり、この分身は彼の封印されていた 「良心」 であり、そのうずきであり、手遅れとなった 「悔恨」 の表れということになる。
つまるところ、このようなドッペルゲンガーとは、自己を見ている自己、または自己によって見られている自己のことであり、フロイトふうに言えば 「超自我」、三浦つとむふうにいえば、観念的に二重化された自己の一方が 「実体」 として外部に投影されたものということになるだろう。芥川は 『歯車』 のなかで、 「僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。……」
と書いている。
ところで、日本で人造人間をつくった話としては、鎌倉時代にかの西行に仮託して作られた 「選集抄」 の巻五第一五話
に、友人と別れてさみしくなった西行自身が、野に散らばる骨を拾い集め、「反魂」 の秘術なる呪法によって、人を作ったという話がある。しかし、このときの西行の術は未熟であったため、蘇った 「人」 は姿こそ人であったものの、魂を持っておらず、言葉を話さずただ笛のような声をあげるだけだったという。ちなみに、ゴーレムもまた人語を解することはできても、自ら話すことはできない。
もっとよく似た話はないかと考えているうちに、そうだ、大魔神だ、あれは明らかにゴーレムのパクリであると、頭の中で電球が光ったのだが、 Wikipedia
で調べてみると、すでにそのことは触れられていた。その記述によれば、大魔神シリーズは、 『大魔神』
、 『大魔神怒る』
、 『大魔神逆襲』
の三作だけで、いずれも1966年の製作だという。脚本は吉田哲郎という人が書いているそうだが、詳しいことは知らない。
小さな子供とかをのぞけば、知らない者はいまや日本中探してもほとんどいまい、というぐらいに有名なこの特撮時代劇映画が、40年以上も前のわずか一年の間に、たった三作作られただけであったというのは、いささか意外であった。しかし、よく考えれば、たしかに映画そのものを見た覚えはあまりない。
ところで、一作目の大魔神は丹波山中の岩壁に掘られた立像、二作目ではどこだかよく分からないが、湖の真中にある島に祀られた像、そして三作目では、飛騨山中にある 「地獄谷」 とかいうところに近い山の頂にある坐像という設定になっている。
つまり、この三作に登場する大魔神はすべて別々であり、大魔神様は日本各地にたくさんいらっしゃるということになる(横浜にもいたっけ?)。ちなみに、モデルとなった 武人像の埴輪
は、群馬県太田市の出土である。なお、来年から、角川事務所によって 「大魔神カノン」
なるものが、テレビで放送される予定となっており、現在撮影も進んでいるらしい。
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