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ほん太には、高校になったら携帯を買ってやるといっていた。今日、代理店に行って、購入した。代金ゼロ円のつもりで購入する予定でいた。本人が気に入ったのは最新製のもので、高額なものであった。我が家では、子どもが買いたい親は買わない場合は、半分を親は出してやることにしている。そんな約束で購入することになった。新製品なので、明後日入荷するそうだ。うれしそうな笑顔だった。我が家ではこれで4人全員が携帯をもったことになった。明日、ほん太は高校に身体検査に行く。
2010.03.23
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ほん太の受験があり、延び延びになっていた妻の誕生日を日曜日にリゾートホテルに出掛けてやってきた。晩御飯を終えてから、コテージに戻った。小さな別荘風でいい雰囲気だ。大声を出しても近所迷惑にならない。シャンペンで乾杯した。家から、小さなキーボートを持参してみんなで合唱したりした。子どもたちに妻に贈りものをしていた。私は感謝状を作成しプレゼントは時計に贈ることにしてカタログを渡した。スキーをしたり、温泉に入ったり、ショッピングをしたり、家族の絆を感じり、一時であった。
2010.03.22
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ほん太のチャレンジは終わった。自由な雰囲気の学校に行く。高校に行ったら水泳を復活したいというぽん太には、その学校に温水プールがあることは、うれしいことだろう。ほん太は、公立中学を卒業して学力よりも人とのコミュニュケーション能力が身についたようだ。家では、その面影がないが、テニス部の部長として後輩を丁寧に指導していたようだ。色紙にそのようなことが書いてあった。(また、親は知らないと思っているらしいが、女の子とも付き合っていたようだ。女の子用のプレゼントを見つけたことがあったが、このことは、妻にも内緒にしている。)たのしい中学だったら、いいことだ。・・・・・正月も妻の誕生日も先送りしきた。次の連休久しぶりに出掛ける。軽井沢だ。少し贅沢をしたい。子どもたちは、スキーをやりたいという。・・・・思えば12年前スキー場で長女が足の骨を折ったこと山の上から麓まで救急車できた。麓の病院では当日日曜日で整形外科が担当医がいなかった。入院を余儀なくされそうだったが、懇願し、さらに整形外科を求めて地方都市の整形外科の病院へ石膏で固められた娘を抱えて、最終の列車で自宅に戻った。その際、ほん太は不安そうに長女を見ていた。そんな長い日を思い出す。そんなガラスのようだった子どもたちも逞しくなった。・・・・・もう、子育てもおわりかなあ。少なくともこれからは、少し遠くから見守っていきたい。・・・・・4月はほん太16歳さくら満開のあの日から16年かあのとき子育てに不安な時代ほん太が高校に行く日は遠い遠い日と思っていた。その遠い日がやってきた。目熱いものが流れてくる。
2010.03.17
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卒業式の歌が「仰げば尊し」から「旅立ちの日に」なっている。荒れた中学を合唱の力で変えた。そんな経緯の歌だ。卒業式というより出発式「旅立ちの日」という時代だ。昨日は、我が子の中学の卒業式であった。来賓としても招待されていたが、父兄の一員として出席した。市長が他の学校で祝辞をのべるために、これまで教頭が市長の祝辞を代読していたところ今日から、執行部のどなたがが、代読することになった。市役所の元福祉部長で現理事が市長の代わりに来ていただいた。おそらちく、市に戻り、みなで卒業式の雰囲気を語り、市の幹部が共有されてのではないでしょうか。ところで、贅沢な願いをいうならば、代読からさらにご自分の言葉で挨拶をのべるところにいって頂きたい。同じ朗読でも他人の書いた文の朗読と自分の書いた文の朗読とは、質の差異がある。法曹の関係者の集まりで裁判官、検察官、及び弁護士の関係者の挨拶がある。裁判官、検察官は、もっぱら原稿を読んで挨拶している。弁護士は原稿がない。あるとき、挨拶した弁護士に尋ねたことがあった。「先生、完璧な無駄のない挨拶でしたね。原稿を見なくて、すごいですね。」「実は原稿を書いて、何回も事務所で練習をしたのです。原稿を読んでの挨拶はしたくない。」なるほど完璧さの陰に努力がある。その努力を感じさせない努力があるのである。横道にそれたが、いずれにしてもわが子も義務教育を終えた。他県の制度もしらないが県の入試制度には、いろいろ考えさせられる。業者テストの偏差値で私学が入学保証する。・・・・・同級生180人ある子はバレイを極めるためにロシアの学校に留学する。ある子は静岡の野球学校に進む。未知の世界に夢を追ってチャレンジする子どもたち5年後の成人式どんな体験をして再会するのだろうか。卒業生の旅立ちの日の合唱が印象的だった。旅立ちの日作詞:小嶋 登 作曲:坂本 浩美 編曲:松井 孝夫--------------------------------------------------------------------------------白い光の中に 山並みは萌えて遙かな空の 果てまでも 君は飛び立つ限りなく青い 空に心ふるわせ自由をかける鳥よ 振り返ることもせず勇気を翼にこめて 希望の風に乗りこの広い大空に 夢を託して懐かしい友の声 ふとよみがえる意味もない いさかいに 泣いたあの時心通ったうれしさに 抱き合った日よみんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて勇気を翼にこめて 希望の風に乗りこの広い大空に 夢を託して(※)今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い 力信じて この広い 大空に(※)繰り返し--------------------------------------------------------------------------------・・・・・・さあこの広い 広い 大空に飛び立とう未来を信じて卒業おめでとう
2010.03.14
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こどもと話をしているときときどき切れそうになるときもある。そんなとき、その後を想像してみる。そこで切れるをやめることが多くなった。話してもわからないと思いときもしはなすのをやめるのが懸命だ。理解しない相手に諭すことは困難なことである。これは、仕事の関係で法教育といることから学んだことだ。その過程で法的対話があり、法的対話の起点は傾聴ということだ。これまで、ともすると話をしているときつまらない相手の話の場合話を遮って、こちらの話を畳かけることもあった。しかし、傾聴を意識して話すと最後は相互に理性的に終わることを体験する。すなわち、傾聴することにより相手は自分のことを尊重していると形を理解するからだ。我が家のことも達ともこの対話を日々実践して生きたい。
2010.03.09
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反抗期気味で一切両親の助言に聞く耳をもっていなかった。しかし、最後の追い込みに12月中旬からつきあった。ぽん太が「救い?」を求めてきたのである。そこで、太不得意な英語を中心に手助けした。約70日で約7~8冊の参考書をこなした。繰り返し繰り返し、参考書をやらせた。いまでは、英語が得意科目と言っている。1週間前の期末試験では、先生が「実力があるのだから、もっとがんばれ」といわれたような成績だったといっていた。ほん太は、これまで大変な不本意な成績を付けられていたところ、先生に上記のようにいわれて、まんざらでもなく大変喜んで私に告げた。この間(12月中旬から3月始めまで)自宅で冬休みは、朝7時から8時30分ころ新学期は7時から8時土曜日、日曜日は事務所で午前9時過から昼まで試験直前は3週間にわたって事務所で夜8時ころまで以上勉強をしていた。驚く集中力であった。ところで、はじめのころは、大変だった。日本語と英語の違いを理解していない。日本語主語→・・・・・→動詞。 英語主語→動詞→・・・・・。繰り返し、繰り返し、やった。ほん太にいった。バイオリンでも基礎の練習の繰り返しこれが英語でも時同じであることを教えた。いまでは英作文もかなりできるようになったといっている。約70日間のコーチングだった。ほん太中心の年末、新年、2月だった。気がついたら3月になっていた感じである。試験を通じてほん太も親のアドバイスを理解するようになった。ほん太にいった。注文し毎月送られてきている(4月から3月)基礎英語2のテキストを指し後2週間くらいやったらどうか。「アーイ」とうそぶくながら、答えていた。試験前は素直に助言を聞いていたが終われば、また横柄な態度になりつつある。・・・・来週は卒業式だ。春休み温泉でもいって自分にご褒美をあげたい。
2010.03.06
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