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この時期,中学合格の時期であるが,その合格ではなく,ぽん太の通っているスイミングの選手コースへのテストの合格である。規定のタイムに0・1秒残してのぎりぎりの合格だったといっていた。12月から4秒タイムを挙げたことになる。ほん太にとって長い道だった。たしか1年間くらい試験を受け続けたと思う。いつもあと5秒だとかいっていた。メドレー100メートルで5秒を短縮するわけだから簡単ではない。私は練習表を作ってやった。腕建て,腹筋,市営の温水プールへの泳ぎ込みの項目を作ってやった。私も妻も交代して温水プールに同行したり,一人でいったり,チンタラであるが,やっていた。日曜日は私もスイミングに練習に連れていき助言をしてやった。半ば冗談で,ほん太は今月落ちたら,坊主頭になることになっていた。その代わり合格したら,ぽん太の希望で夕食はピザ,私はケーキを買うことになっていた。夕食は,ニコニコしているぽん太を中心に親馬鹿であるが,親たちはワインで乾杯をした。選手コースは,ほん太のクラスで3人目だそうだ。選手コースは年齢によって合格タイムが違う。ほん太は3月までに合格しないとさらに合格のタイムがあがる。さらに困難な途になっていたかもしれない。水泳の能力のある人には,簡単なハードルであるが,ほん太にとって,困難なパードルを1年かかりで超えたわけだ。ほん太の学校にも今中学受験で学校を休んでいる子がいるようだ。それぞれの目標に向かって,挑戦するわけだ。中学受験と習い事の両立は困難な時代になった。日曜日には,姉がソロバンを休んでいる間にほん太はソロバンの9級に合格今度はソロバンの8級,割り算に挑戦する。なかなか姉を超えることができなかったが,水泳,そろばんでは超えた。身長も姉を超えた。選手コースは,毎日練習があるそうだ。さあ,ぽん太さらに高いハードルに向かってゴー,オン!
2007.01.31
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社会の弱者としてホームレスの人々を挙げることができる。格差社会の象徴の一つとしてホームレスの存在がある。最近知ったことであるが,社会の至るところでホームレスの人々に援助をしている人とか,団体がある。公園にテントを張って暮れしている人川に土手にバラックを建てて暮らしている人その中のかなりの人が多重債務者であり,夜逃げをしてホームレスをしているのである。 そんな人々が,公園から,川の土手から追い出されている。美観にそぐわないというのであろうか。しかしながら,私たちは,人間の命を一番価値のあるものとした。ホームレスの人々の命も価値あるものである。彼らの命を守るのも法の使命である。最近,私たちは,ホームレスの人々に生活保護の申請を助けている。生活保護により,アパートを確保し次に食料を確保するのである。人間的な営みを復活しながら,仕事を見つけて貰っている。私たちが生きるのに,多少の蓄えのない人は生活保護の世話がなければ,ホームレスになるのは,必然である。24時間のファミレス漫画喫茶にも潜在的なホームレスがいる。蓄えがないので,アパートの入居費用がないのである。日々の稼ぎはその日の食費に消えるのである。ホームレスは,福祉の網が荒く漏れてしまうということである。ホームレスを保護することは,私たちの人権の安全ネットでもある。 私の仕事場の正面に昔の住宅公団がアパートを建築している。40平方メートルで8~9万円75平方メートルで14~15万円らしい。家賃か高い都会,ホームレスは,身近にある。国は住宅供給をやめた。しかし,低廉な住宅がない限り,ホームレスに雨露をしのぐ住居は雲の上でないか。ところで,最近、元ホームレスの人の自己破産をした。
2007.01.29
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契約はまもらなければならない。これは,市民社会の大原則である。しかし,多重債務者が自己破産手続をし免責が認められると,債務はゼロになる。契約は守らなくてもよいことになる。モラルハザードとか倫理崩壊とか言われる。私たちの社会は人間の命が一番価値があることにした。人間の命を法は侵害してはならないことになる。人が命を長らえるには,最低限度,雨露をしのぎ,衣食を足りなければならない。現在,厚生労働省が認める人間の最低限度の営みには仕事ができない単身者で月額税抜きの手取りで13万強,年間160万円強必要である。標準的な4人家族の場合は,月額税抜き手取り32万円弱,年額384万円弱必要である。勤労者の全込み単身者月額21万円強,年間260万円強4人家族では月額41万円強,年間491万円強したがって,上記が政府が認める最低限度の生活である。多重債務者の殆どは,上記の限度に達していない。したがって,多重債務者から返済に廻るお金は自らの生活を切り下げることをして初めて可能である。したがって,法はこうした事情から,免責を認めるのである。免責させられる債権者は,殆どがいわゆるグレーゾーンの高利貸しである。最初から破綻する可能性を予知しながら貸付をしているのである。これまで,100万円借りれば,1年後には130万円を返済しなければならないのである。最初から破綻することは目に見えているのである。
2007.01.29
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少し人権の話をしようと思う。 川の水は川上から川下に流れる。あるいは1+1=2これらは,証明ができる。価値の問題ではなく,事実の問題である。「なぜ,人を殺してはいけないのか。」という問題が少し前に世情を賑わした。ある人は,この質問をすること自体が愚問だといったり,どんな育ち方をしたのか,質問者に対し,問題にされた。いろいろな識者がこの問題について,答えていた。この問題は実は,自然科学と,社会科学には全く方法論が別であることを考えていない。なぜ, 道路交通法は人を道路の右側に歩かせるのか。そのように決めた方が便利だからである。道路は,人は右とした。事実ではなく,人が決めたのである。そして,「なぜ人を殺してはいけないのか。」人を殺さない方がよいとしたのである。人間が社会生活を送るために,最も人間の命が価値があると決めたのである。したがって,人間の命がもっとも価値があることは,事実の問題ではなく,価値の問題である。価値の問題であるから,ヒットラーはユダヤ人は,殺してもいい人間として人間の価値を否定したのである。もう一度考えてみたい。世の中で人間の命は無条件で一番価値があると考えるべきである。どんな人もこの世に生を受けた以上,無条件にその命に価値があるのである。命の価値が平等であると考えるから子ども,老人,障害者等々みな同じくその命は平等であることは論理帰結である。しかしながら,この問題は簡単ではない。イラクでは,異教徒の人間の価値に軽んじている。そして,わが国でも死刑の執行がある。このように人間の命は平等に扱われてはいないのである。「なぜ,人を殺してはいけないのか。」識者はこのように答えるのであろう。人間は当然に殺してはいけない。しかし,凶悪犯は国家は死刑執行してもよい,他人の命を奪ったから。識者とて,無条件に人間の命の価値を認めていないのである。ところで,フランスでは,死刑は禁止されているがさらにこれを憲法を改正して,憲法上定める動きがある。
2007.01.28
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酒乱の人の相談を受けている。それほど沢山の酒乱の人を見てきたわけだはないが,一般に次のようなことが言える。酒乱の人は,普段は穏やかで,何らの問題も感じさせない。しかし,この普段の穏やかな何にストレスを感じているようだ。内面では自尊心が高く,他者を思いやる心に欠ける傾向がある。酒乱の人が酒を絶てば,問題は解決する。断酒会もある。そこでは一滴もの酒を飲むなという指導のようだ。社会のいたることろで,酒を飲む機会がある。儀礼で酒を勧められることがある。それを断る勇気をこれから持ち続けることができるだろか。そんなとき,そもそも普段大人しい姿が問題である気がする。不合理な点,納得できない点それを甘んじて無条件に受け入れている姿勢に酒乱の根本がある。普段からの自己研磨,自己を超えた他者への思いやり,そんなことを通じて豊かな自己が確立すると思う。そして究極的には,少年期の生育歴まで原因の源がある気がする。今,教育の比重が「生きる力」から「学力重視」にシフトしつつある。この成果の当否は,長い年月を経なければならない。私は相対的に酒乱が増える気がするのは,思い過ごしだろうか。
2007.01.27
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あん子がスキー林間から帰宅した。内心安堵した。小一の,1月の下旬妻を自宅お置いて妻の実家にあん子とぽん太をスキーに連れていき,私の監督不行届で,あん子の足を骨折させたことがあった。スキー場で転倒し,倒れてスノーモービルで救出してもらった。午後1時ごろだった。救護場で応急措置をしてもらう間も、あん子にとって生れて初めての大変な事件で唇が震えていた。私はスキー初心者であり,私とは別行動の親戚の上級者が少しうまくなったあん子を上級コースに連れて行って事故にあったのである。事故後,その親戚のものに対し,言いたいこともあったが,問題の解決にならないので,何もいわず,最善を尽くすことにした。麓から救急車が来て,山里の病院まで私も同乗した。サイレンを鳴らして,やっと病院についた。午後4時ごろだった。総合病院であるが,日曜日で整形外科の先生は不在で今日はここで入院し明日治療とするというのだ。病院に駆けつけた実家の両親は仕方がないといって,入院させようとする。私は,病院の担当者に,足が骨折し,救急車で来たのに,担当医師がいないのなら,整形外科のいる病院を紹介して欲しいと声高に頼んだ。やっと地方都市の日曜診察している整形外科を探し出し,再度救急車に乗って,病院に行った。個人病院だった。午後6時ころだった。 年配の医師は手慣れた様子で骨折しています。しかし完全に治ります,後遺障はのこりませんといってくれた。入院しますか,と尋ねられたので,自宅に連れて帰りたいと述べた。足をギブスで巻き,東京行きの最終の特急にのった。午後8時過ぎだった。11時ごろ東京につき,迎えにきた妻と満員電車の中をあん子を抱えて自宅に戻った。長い一日だった。次の日からあん子を学校に行かせるかどうか,夫婦でもめた。妻は歩けるまで休ませるという。私は,医師が学校に行ってもいいというので行かせたいといった。半ば強引に車椅子を入手し学校の行って校長先生と掛け合った。登校,下校は総て責任をもってやります。午前中1回,昼食時にはトイレとか昼食の世話のために学校に来ます。こんな約束をして学校にゆくことになった。2月は車椅子を車に乗せて登下校する。3月は松葉杖で私が同行する。4月はビッコを引きながら登校で,私が同行する。5月の連休明け,完治した。当初は朝の朝礼の移動に車椅子を押していたがそのうちクラスメイトかやってくれることになり,楽になった。この事故からいろいろ学ぶことはある。早くスキーが上手になってほしいと親戚の上級者の誘いに簡単に応じたことである。以後我が家ではスキーは禁句になった。そしてあん子が小5のときやりたいと言い出しのでスキーが解禁になった。あん子が無事帰宅しあの日の出来事を思い出したのである。
2007.01.26
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我が市は,福島県に山の家を所有しており,以前は夏の林間学校に使われていたが数年前から,市内の中学2年生のスキー林間を行うようになった。あん子は,昨日からこのスキー林間に出かけた。雪の降らないこの地方の中学生にスキー林間をして頂けるのは大変ありがたいと思っている。私はスキーほど楽しいスポーツはないと思っている。しかし,私がスキーを覚えたのは大人になってからで上達には限界がある。おそらく,あん子達の中学の思い出でこのスキー林間が最大のものではないか,今日は,おそらくみんな疲れて悪ふざけをする前に眠りについたことだろう。ぽん太は今晩はちょっかいをする相手がいないので大人しかった。ぽん太の小学校も後2ケ月か。入学した当時は,早く大きいなって欲しいと願っていた。今は少し寂しい気持ちだ。
2007.01.24
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ぽん太の朝6時からの朝練習続いている。そのために朝5時に目覚ましを掛けて,5時半ころなんとかベットから這い出して,ピアノの練習をやっているようだ。あん子のいうには,ビアノの前で寝ているという。自らの意志の限界であるが,やろうとする意欲はいいことだ。3月のピアノの発表会がある。母親から練習不足気味であると言われて,ぽん太なりの精進だろう。ビアノの発表会で小学校の音楽の有終の美を飾ってほしい。
2007.01.23
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昨日も,今日もほん太は,温水プールに行った。今月のスィンミングの試験のための練習だ。また,腕立てと腹筋もやっている。ひ弱な故,腕立て20回といっても適当な20回である。母親は「インチキだ,腕立ててない」とクレームを付けている。しかし,徐々に正式な腕立てになればよいと思う。プールに友達を誘ったらといったところ「友達がいると集中できない」とぽん太なりに真剣だ。
2007.01.21
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あん子の中学で学年の百人一首大会があった。あん子は去年は10位,今年は6位になったそうだ。私は,全く古典,百人一首など,全く不得意である。しかし,あん子のために,やむなく,少し暗記してあん子と,ミニカルタ取り大会をやった。あん子は正攻法で意味を覚えて暗記する。私は,上の句の最初の単語と下の句の最初の単語を無理矢理くっつけて暗記した。最初だけ,一度勝ったが,結局,あん子は,意味を理解しているので,お手つきがなく,勝ち続けた。でも,面白い。カルタクイーン大会のようだ。最初の「あ」とかの発音ともに私とあん子のてが,カルタの上に重なりあうのだ。そうして取れたとき,気持ちがいい。しかし,私の手の下にあん子の手があるときは,大人げないが,くやしい。こんなことを通じて,あん子の百人一首の力が昨年よりついたのは,よいことだ。
2007.01.18
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両親ともに歯科医師の家庭の悲惨な事件が話題になっている。犯罪を侵した子どもはどんな生活をしてきたのか気になる。もし,小さいときから,音楽などの習い事に一杯,金を使っていたら,違った人生を送ったのではないか,と思うのは,私だけだろうか。お金に糸目をつけずに一流の指導者を見つけて,習い事をさせていたら,困難に打ち勝つ努力の意味とか,豊かな心をもったのかも知れない。ときどき,お金持ちで子育てに苦労している会社の経営者にこんなことを言ったりする。「ベンツ」から「ワゴンR」に乗り換えられたらどうですか。お金があるが,質素な生活をする。これがお金持ちに必要なことと思う。しかし,お金持ちでこんな生活をするのは,困難なようだ。ところで,夕方相談者から生活保護の決定の連絡が役所から来たとの電話があった。大変喜んでいた。私もうれしい。この家庭(年老いた母親と心の病のある無職の男性)では,ようやく正月だろうか。明日へ希望をもってもらいたい。息子さん,今度はあなたでも,できる仕事を見つける番だ。そして,生活保護から抜け出て欲しい。そして,社会人として税金を払って,困っている人を税金を通じて,受けた生活保護をお返しするようにしてほしい。私もうれしい。
2007.01.17
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年末,掃除をしていたら,「子どもが育つ魔法の言葉」という本が出てきた。5年以上前に買った本だ。あん子が小学4年生,ぽん太2年生のときだろうか。そこに詩がある。「けなされて育つと,子どもは,人をけなすようになるとげとちげした家庭で育つと,子どもは,乱暴になる・・・・・・叱りつけてばかりいると,子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう・・・・・・」これをコピーして台所に張った。しばらくは,妻がぽん太に対し優しくなった。しかし,また最近叱ってばかりいる。妻を観察すると冷静に叱ったいるのではなく,(誇張かも知れないが)興奮して叱っているのである。私には,弱いものいじめみたいに見える。バオリンニストの千住真理子さんのお母さんは3人の子どもの能力を引き出した。長男は日本画家次男は作曲家そして演奏者わが妻は,チンタラしているぽん太を叱るだけで,引き出す努力をしていないように見える。子どもは親を選ぶことができない。まあ,ぽん太,これが人生の現実だと思ってくれ。
2007.01.16
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人間は,誰でも好きなことは,何時間でも苦にならない。ぽん太は,友達とのサッカーの朝練は苦にならない。6時に起きて,陸上競技場前の広場に出かけている。それにひきかえ,ヒアノはなかなか着手しない。やれば30分以上は,やらない。学校の宿題は,寝る直前に切羽詰まってやっている。言葉を借りるならば,プロとアマの差という感じだ。ところで,ほん太は,なかなかスイミング選手コースが合格しない。(ほん太との会話)「お父さん,スイミング週2回にしてくれ。」「合格するなら,2回といわず4回でもいい。でも回数ではない。スタミナの問題だ。腕立て,腹筋,スイミングがないときに市営プールにいって泳ぎ込む。自己の目標との闘いだ。今月不合格なら頭を丸めるとかいう決意が必要だ。」「今月落ちたら,坊主にする。」ぽん太に大げさに言えば,あたかもアマからプロへの気持ちの転換を強調した。大人の役割は,明日に生きる子どもに激励することだと思う。ぽん太,前進だ。(そして,子どもの見本になるように私も自らの仕事に,なお一層のプロ意識をもちさらに高いモチベーションをもってやって行きたい。)
2007.01.15
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あん子に,冬休みに書き初めの課題があった。自然美という題の書き初めである。冬休みから,夕食後毎日,やっていた。用紙,墨汁を買い足したりしてきた。提出したところ,金賞として選ばれた。金賞は,市の施設に展示していただけるので,先生からさらに習作するようにいわれた。そこで,学校が始まってからも夕食後の習字が続いている。毎日,毎日見ていると段々字がうまくなっていくのがわかる。練習の量と成果とは比例している。独学の習字だが,そのきっかけは妻の実家の町では,新聞社主催の書き初め大会があった。あん子は,小学1年生のときから応募している。応募者全員が掲示され賞状と記念品が貰えるのである。こんなきっかけから,習字に目覚めたのである。思えば,私の文字は正真証明の悪筆である。但し毛筆だけは,ときどき選ばれたことがあった。そういえば,亡父は,字がうまかった。勝手にこんな遺伝子が引き継がれていると半分冗談でいったりする。あん子は,習字に関しては,当然に私,そして妻を超えたようだ。いいことだ。もっと大きくなれ,あん子
2007.01.14
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この前,多重債務の法律相談を担当したら,6名中3人がうつ病だった。その3名うち2名は無職で生活保護を受け,他の1名は両親と同居している。みんなまじめそうな人たちだ。薬を飲まないと落ち込む,夜ほとんど寝れない。薬を飲むと体がだるくなる,気力が沸かない。うつ病の原因はなんであろうか。大きな要因は,競争社会の拡大の結果,格差社会が生れ,社会に余裕がなくなり,うつ病が蔓延しているように思える。ときどき,ライオンを思うことがある。百獣の王のランオンは,腹が減ったときだけ狩りに出る。普段は,草原でのんびり寝ている。まあ,子どもライオンの戯れを見て楽しんでいたり,楽しい夢をみたりしているかもしれない。ライオンは,自分のライフスタイルで合わせて生きているのである。しかしながら,競争社会の拡大はこのライオンから寝(うたたね)する暇も子どもライオンと戯れる暇も奪い,休まずに狩りをすることを強制するようなものだ。時代は,あたかもライオンがうつ病になるということだろうか。万物の霊長の人間は,時代の進歩とともにより幸せになっていいはずだ。しかしながら,時代の進歩が新しい不幸を作るということか。ところで,イラクでの米兵の死者は3000人を超えた。一人兵士に4~5人の家族がいるはずだ。そして、その十倍の親族がいる筈だ。約15万人の悲しみがある。この悲しみは,なぜ全米の悲しみにならないのだろうか。徴兵制から志願制になり,志願する人々は,社会の底辺にいる人に限られるからであろうか。人権の国といわれるアメリカで人権感覚が麻痺しているのではないか。
2007.01.13
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昨日の朝日の夕刊にタイガー・ウッズに関する記者の評論があった。・・・・・・・・(前略)ビックスターとか大物とか,そんな代名詞で呼ばれる人間には人も羨(うらや)む稼ぎや地位がある。だが,そこにたどり着くまでの道程で注いできた努力,払ってきた犠牲は人の何位,何十倍。羨ましがられる華やかさとは裏腹に,その実は我慢の連続だ。(中略)われわれ庶民は,やれ休みがない。やれ自由がないといった不平不満をついつい口にしがちだ。そして休むのも思うままに行動するのも人間の権利。だが,,乗り越えずして得たモノの先に喜びはない。いつだってゴールは心臓破りの坂の向こう側。昨年のウッズの涙と歩みはぴそんなことを教えてくれた。・・・・・・・・上記の記事の内「そこにたどり着くまでの道程で注いできた努力,払ってきた犠牲は人の何位,何十倍。」はあらためて,身に染みる。明日に生きる子どもたちに伝えたいしまた私たち自身へのメッセージと思う。
2007.01.11
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家族のみな都合がつかないので,原口隆一独唱会に一人で都心まで行ってきた。ドイツ語の歌曲は,少し苦手だか,石川啄木の短歌を作曲した日本歌曲は良かった。石川啄木について,いろいろな評価があるが,私は心情的に共鳴することが多い。「一握の砂」「哀しき玩具」人生を順風満帆に過ごしてきた人には稚拙な歌と思われるかも知れない。しかし,そうではない人々には,感じるものがある。・・・・・・ふるさとの山に向かいていうことはなし思いでの山,思いでの川頬につとうなみだのごわず一握の砂を示しし人を忘れずいのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあいだより落つ・・・・・・こんな歌を聞くと自然に涙が落ちてくる。おそらくコンサートホールで涙をぬぐっていたのは,私だけだろうか。人に悟られずにそっとぬぐった。涙がでないように目を閉じた。でもじわじわと出てきた。私のまわりのいろいろな人々が思い出される。逆境の中であたかも砂を握ってこぼれ落ちるような不確実な生活の中で日々を過ごしている。そんな人々にもふるさとの山々は待っているのである。・・・・・・不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五のこころ・・・・・・中学生3年の時,校庭に寝ころんで,空の雲をみたことがあった。人生の夢を大空に描いていた。それから幾年たっても,そのときの思い出をときどき思い出すのである。一つの情操である。そうだ,春になったら,我が家の明日に生きる子どもたちを連れて,どこかで寝ころんで大空を見させることにしよう。
2007.01.09
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子どもたちの冬休みが終わった。そろばんは、そろって,10級に合格した。合格点は60点のところ,最初あん子が70点,ぽん太が60点だった。私は,100点が合格だといったところ,再挑戦した。あん子100点,ぽん太90点だった。今度は掛け算だ。学校が忙しくなるので,どこまで続くのやら・・・・ぽん太は,また,新学期になったので朝5時に起きるといっていた。また,朝我が家では,けたたましいアラームが鳴ることになる。鳴っても,ぽん太は起きないことが多いのだが・・・・・
2007.01.08
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あん子とぽん太は,この冬休み,毎日すこしづつそろばんをやっている。二人とも面白いという。生れたときから,電卓の世界の子どもたちにパチパチ叩くそろばんは面白いのだろう。筆算でやる計算がそろばんで一発で答えが出てくる。どうして,町からそろばん教室がなくなってしまっただろう。もうじき,二人とも10級の試験を受けることができる。どこまで続くか分からないが,そろばんの威力の暗算まで続くといいと思う。
2007.01.06
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ぽん太は,一時は音楽は大嫌いと言っていた。ぽん太が卒業文集の原稿を書いていた。音楽が嫌いな筈の,ぽん太将来の夢は,これまでの建築家から音響エンジニアになった。何かの本で知ったそうだ。音の環境を作る人だそうだ。ぽん太は,音楽発表会でピアノの伴奏をさせてもらってから音楽に目覚めた気配がする。CDを聞いて曲を楽譜に採譜し防音室にスタンドマイクを持ち込んでどこかの歌手のようにビアノと歌の弾き語りの真似をして歌っている。それなりに,はまっている。その延長線で夢が音響エンジニアになったのかも知れない。
2007.01.05
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山深き温泉宿の年越しよ年に一度のぜいたくかな昼間はスキーに夜は,妻と長女は紅白,長男は格闘技のそれぞれの大晦日だった。年が開けた。午前零時過ぎ,家族は,もう眠いといっているので一人で行くことにした。この宿屋では,宿泊客の誰も初詣に行く気配がない。玄関で口頭で行き先を聞いた。それでも真っ暗な夜道を想像して、不安げに宿をでた。外は,満月に近い月と星の輝きで明るい。一人で雪道を歩いて行くと遠くに灯籠が見える。(迷子にならず,良かったと安堵した。)零下10度くらいの外気の中を長靴で雪途を踏みしめ「ぐさ,ぐさ」と寺の方に歩いていった。参道の灯籠の明かりに,初詣の人々が寺に向かっているのがわかった。年配の夫婦、若い恋人同士、小さい子ども連れの家族それぞれ体を震わせながら,小声で会話して寺に向かっている。境内に入ると鐘があった。鐘をつくために人が並んでいた。私も叩いた。「ゴーン」そして,手短に手を合わせて「ひと言」念じた。「しあわせ」境内で甘酒を頂いた。宿に帰り,冷えた体を露天風呂に浸かった。いろいろな思いが巡ってきた。願いこと明日に向かって生きる子よよりすこやかに よりたくましく
2007.01.03
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