見知らん街ガイド_『パリ時代』と神戸生活日記

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神戸男

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リュウちゃん6796 @ Re:東京パンデミック。違った!、オリンピックだ!。(06/26) 初めまして、 奈良の法隆寺の傍に住んでい…
2021.09.13
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カテゴリ: 日々の出来事
むか〜し、昔。
まだ、お袋が生きていた頃。お袋はかなりの食い道楽で、身長は160cmもないのに体重は70kg近くあり(計った事はないけど)糖尿病を患いながらも「好きな物を食べるのを我慢するぐらいなら好きなように食べて早く死んだ方がまし」と平然と言い放つ人だった。結局、糖尿病で手が動かなくなったり、目が見えなくなっり病魔と戦い続けながらも東へ西へ、食い道楽を全うした挙げ句、出先の路上で倒れて亡くなった。
 お袋は美味しいものを求めて全国ではないにしろ行脚して、神戸に住んでいては知り得ない(今程情報が垂れ流しの時代じゃなかったから)いろんな情報を仕入れてきて、日本中から珍味とか名産とかを手に入れて食していた。それが趣味だったのか宿命だったのかどうか分からないが、今から60年以上前に自分の生まれ故郷である名古屋に亭主も子供もほったらかしで単身赴任し『お好み焼き屋』を始めた。結構流行っていたらしく、今度はその店を他人に任せ神戸に喫茶店を開き、これまた結構流行っていたから2階を改造してお茶漬け屋を始めたが、子供には分からない事情で全ての店をたたみ、但し、これは事業に失敗したとかではなくもっと複雑な大人の事情があっての事だった様だが、高校卒業したばかりの姉から小学校入学したての妹まで五人の子供を残して逐電してしまった。
 私が小学校低学年の頃からお袋は家に居ず、住み込みのお手伝いさんに育てられた我が兄弟は、世間のお袋とはそんなものなんだと理解していたので、人生感(そんな事分かってる訳はないが)も生活も全く変わる事なく過ごしていた。5年が経ちある日お袋はヒョイと戻ってくるのだが、その話は重要ではなく、そんなお袋が兄弟姉妹に残した食いしん坊の遺伝子が、その頃には着実に開花しつつあって、決して兄弟姉妹が食通に育ったのはなく、それなりに食には拘りを持っていたというお話し。
 自転車を駆って淡路島に渡り鳴門から船で四国に入り讃岐うどんをハシゴしたのは中学3年生の春休み。以後乗物は車に変わり美味いものの噂や何処そこに名物ありと聞くと出掛けて行っては見聞を拡げ、仕事が写真に定まった頃は仕事で地方に出掛ける事の楽しみのひとつが『未見』の料理に出くわす事だった。今思うに、命懸けで喰らおうとは思わないまでもお袋から受け継いだ食い物に特化したDNAは、楽しくも有り難くものだと言える。
 中学3年生の時、お袋が伊豆大島から取り寄せた『クサヤ』が忽然と消えてしまうという出来事が我が家で起きた。
ミサゴという鷲ぐらいの大きさの海鷹が、捕った魚の残りを岩陰に隠しこれに海水がかかり自然発酵したものを漁師が見つけ食べたのが『くさや』の発祥だとか。詳しいことは分からないがとにかく臭くて臭くて臭う。でも、飛んでもなく美味い。20代の頃、お世話になっている方の奥さんが珍しい食べ物が大好きだと言うことで、わざわざ取り寄せて進呈した。後日、その方が「折角頂いたものを何だが、嫁が、包みが臭うって。腐っているって捨てたんや」と言われた。
こんなこと言うのも何だがムロアジの干物とは到底思えないほど値段が高い。何てこった。
それからは、くさやの事をよくご存知でない方には進呈しないことにしている。

我が妹(当時小5)が、くさやを我が物にせんと企み押し入れの中の箪笥の自分の引き出しにくさやを隠してしまった。
その臭いで直ぐにバレた。
以後、妹の服は芳しい香りに包まれ、当分着る事は出来なかったそうな。
お粗末。





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Last updated  2021.09.16 04:00:38
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