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今日からまた連続で勤務。 数日前、派遣会社から突然電話がかかってきた。 「日曜日の現場(京都府内。片道40分くらいで行ける)がキャンセルになりまして、、、。代りに、兵庫県東部のここならまだ現場が空いていますので、いかがですか? もちろん遠方手当は付きます」。 おいおい。 私は駒かいな。 確かに私は遠方での仕事を嫌がらない人間だが、荷物持参での遠方連続二日は、さすがにもうこたえるんだよ。 しかも、1日休んだだけで、また連続仕事。 疲れをいつとるのかね? 仕事が欲しいのは山々だが、自分を守れるのは自分だけだから、将来を考え、時には勇気をもって仕事を断らねばならない、、、87歳の現役デモンストレーターに習うためにも。 写真は、娘と3人目の孫。
2019.11.30
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仕事をする上でも、習い事を極める上でも、また日々の生活を送る上でも、ロールモデルがいることにこしたことはない。 とは言え、ライフスタイルが多様化している現在、それを見つけることは難しくなっている。 まして、高齢化社会を生き抜く上でのロールモデルは、なかなか。 少なくとも、この国、日本ではね。 「歳をとる」=「老いる」ことに、一般にまだまだネガティブなイメージがあるからだ。 それでも、自分の気持ち次第では、と言うより、視点を変えたら、高齢者ロールモデルを得ることは必ずしも不可能ではないはず。 例えば、著名人や歴史上の人物、ひいては書物や漫画のキャラクターなどから探してみてはいかがだろう? 50歳で家業を息子に譲った後、天文学と暦学を学び、17年かけて全国を測量してまわった、日本地図完成者の伊能忠敬。 「人間死ぬまで夢を持て。その夢が叶わなくても、しょせん夢やから」 と、超貧乏な中、笑顔を絶やさず、たくましく働き続けた、佐賀のがばいばあちゃん。 幼い頃から病弱で、転地療養により北米に滞在したことがきっかけで旅の面白さに目覚め、日本をはじめ、朝鮮、中国などを紀行し、その土地土地の風景と人々の暮らしぶりをスケッチも交えてつぶさに記録した作家、イザベラ・バード。 彼女は50歳で結婚し、還暦を過ぎてなおモロッコに旅行し、中国へ再訪することを望んでいた。 ひょんなきっかけから少女時代の夢であったスパイになることが出来たアラフィフの未亡人、ミセス・ポリファックス。 アメリカの女流作家、ドロシー・ギルマンが創造したキャラクターだが、その好奇心満々の行動力と楽天主義は読者の共感を呼び、映画化もされた。 、、、と、ざっと思い浮かべただけでも、これだけの人が登場する。 このことだけでも、何か勇気が湧いてこない? 写真は、ミセス・ポリファックス・シリーズ第一作目の表紙(イラストは西村玲子)。 架空の人物ながら、かくもチャーミングな高齢者を、よくぞギルマン女史は考案したものだ。
2019.11.29
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87歳の現役デモンストレーターの話を続ける。 彼女とお喋りしていると、会話の中に、彼女どうよう「元気な高年」の実例がよく出てくる。 例えば、福知山でもっとも高い山、三岳山(標高830メートル以上ある)に楽々と登る、90代の元医療関係者の女性とか。 これは、「類は類を呼ぶ」典型であると同時に、無意識のうちにもその女性を自分の人生のロールモデルととらえている現れだろう。 人間、仕事の上でも私生活の上でも習い事の上でも、 「あの人みたいになりたい」 と願わせる人間が身近にいるかどうかで、ものの考え方からして違ってくるからである。 もっとも、このロールモデルというやつ。人の数だけ生き方があるとされる現在では、なかなか見つからない。 反面、これだけSNSが普及し、例えエアーであろうと出会う人がひと頃とは比べものにならないくらいに多く多彩になっている現在では、本人の気持ち次第では決して不可能ではないと思うんだよ。 それには、自分が誰とどんなふうな暮らしがしたいか、ある程度は未来図をえがいておかなければならないね。 写真は、京都は東福寺霊源院の入り口にある6体のお地蔵さん。
2019.11.28
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一昨日の「1日温泉気分」が効いたのかどうか、今朝目覚めてみれば、ここ数日悩まされていた口まわりの痛い吹き出物が消えていた。 やはり、風呂に入ること、ひいてはそれでリラックスすることは、健康に効果があるのだね! そう言えば、昨年の今ころ当時86歳の現役デモンストレーターと仕事の帰りに一緒になっていろいろとおしゃべりしたけれど、彼女はオフの日は銭湯にゆっくりと浸かるそうな。 「温かいお湯の中で手足を伸ばすだけでも気持ちエエよ」。 彼女。つい先日もとある大型スーパーでステーキのデモをしていたな。 現在では87歳のはずだが、年齢を感じさせない声の張り。 ただ、、、やはり年毎に背中が丸くなっていっているかな、、、少しずつ。 でも! 87歳で、客商売が出来ているのである。 しかも、月に10日は現場に入っていると言うから、3日に一度の割で働いていることになり、これは単純にスゴい! そのパワーの源の一つが、休日の銭湯。 温泉療法なる治療法もあるように、風呂のチカラ、ウォーキング同様、お金のかからない健康法として、あらためて見直してもよい。 写真は、近所の銭湯。
2019.11.27
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連続勤務の後のオフ日1日目は、最低限の家事とやるべきこと(例えば派遣会社やエージェントへ報告書をファクスするとか)を果たした後は、温泉に来た気分で、いつもより少しだけ上等の入浴剤を入れたお風呂に何度も入り、日がな1日のんびりすることにしている。 風呂から出た後は、「麦焼酎3、お湯6、レモンジュース1」で割った、まいどお馴染みの「我が定番」を飲む(若い頃はバーボンのロックを飲んでいたが、還暦を過ぎた現在では、これとビールとアルコール度の低いカクテルしか飲めない)。 夫は、これを、 「酒ではなく、酒の味がついたジュースや」 と断定するが、正式には、アルコール度は高くなくても酒は酒。 アルコール度云々はともかく昼間から酒を飲むなんて、、、と眉をひそめられそうだけれど、アルコールの力で分別がなくなるわけじゃなし、ほろ酔い気分になって昼寝を助けてくれる、、、なんて、やはり、これは言い訳だろう。 ざっと1年前の記事にも書いた。 「海外旅行にまでいいちこを持っていくアタシは、アルコール依存症?」と。 そうなんでしょうなあ。 例え夫いわくの 「お前が飲んでいるのは、酒ではない。酒の味がついたジュース」 であろうと。 繰り返す。 酒は酒。 私は、これを飲まない日は、少なくともその日に仕事があったなら、考えられない。 ヨイコトもワルイコトも、ふわーとさせてくれ、いっときにせよ彼方に追いやってくれる。 それがあるから、仕事を頑張ることが出来る。 これが酒なんだよ、私にとっては。 だとしたら、人に迷惑をかけなかったら、酒もよいのではないのかね。
2019.11.25
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今日は京都府内のアミューズメント型スーパーでフランス産チーズのデモ。 よく売れた。 そのぶん試食量も半端なかったけれど。 業務終了15分前。 試食に使った材料を精算するためレジに並んだら、どこからか野太い怒鳴り声。 「はよ、せえ!」 声がする方向に首を向ければ、70代後半とおぼしきジイさんが、レジ操作をしている若い女性を怒っていた。 「とろい。それで仕事をしとるつもりなんか!」 いやーね、そんなことで大声を出すなんて。 もっとも、こういう従業員の大して問題ではない落度を大袈裟に騒ぎ立て、自分がその従業員の上司でもなければ雇い主でもないのに、エラそうに指図する輩とくれば、ほぼ例外なくジイさんと決まっている。 部下を持っていた会社員時代の名残りなのか? そもそも、ジイさん、あんた、今ではヒマでしょうが。 レジが遅いからって、何十分も待たされるわけじゃなし、この夕方、急いで店を出てどこかへ行くとか何かをするとか、そうしなきゃどうにもならない何か重要な用事でもあるの? せいぜい老人会の飲み会の約束くらいでしょうが。 こんなジイさんは、はっきり言って、リタイア後の再就職は難しいでしょうなあ、、、。 その前に、長年連れ添った奥さんにも煙たがられているでしょうなあ、、、。 ある意味、かわいそうな人。 現役時代は〇〇会社△△部長だったり⬜︎⬜︎銀行の◇◇支店長だったりしたのかも知れないが、現在の自分は過去にしがみついている、ただのジイさん。 誰もあんたのことなんか、エライとは思っていないよ。 まあ、出世コースに乗って華やかなサラリーマンライフを送ってきた人ほど、「現在の自分はただのジイさん」であると受け入れるのは難しいだろうが、、、。 写真は、京都の哲学の道。 社会的には地位がある人でも1人の人間として失格な人は珍しくない。 いかに生き、いかに老い、いかに逝くか。 哲学のお勉強をしてもらいたいものだ。
2019.11.24
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デモンストレーターのワークライフに、1日として同じ日はない。 イレギュラーは、むしろ当たり前。 担当商品自体はもちろん、試食に使う材料の変更もしょっちゅうだし、試食の提供の仕方、時には景品の付け方まで、指示書通りにはいかないことが多い。 だから、ほとんどのメーカーは指示書に書いている。 「少しでもイレギュラーなことがあれば、必ず連絡下さい。ほんの小さなことでも後に大きなクレームに発展したことがあります」。 なのに、この連絡をうっとうしがる派遣会社や代理店の営業員がいる。 気持ちはわかる。 こちらは仕事でも、彼らにすれば休日だからだ。 休日。ココロもカラダもくつろぐ日。 そんな日に仕事関連の電話やメールなどとんでもない。彼らがこう考えていても一向におかしくはない。 もっとも、それならば、派遣会社や代理店とて、こちらの休日に仕事関連のメールや電話をよこすなと言うことになる。 まして、楽しい旅行先にまで仕事メールを送ってきたり、電話をしてくるな! 私の体験では、海外旅行先にまで、仕事メールはジャンジャン来たし、電話もかかってきたよ(電話は出なかった。受けた方が高額の国際電話料金を払わないといけないからねえ)。 私ばかりではない。 知り合いの営業マンは、家族で海外旅行に出かけている時、突然に会社から電話が鳴り、例のごとく電話を取った方が料金がかかるので出ず、代わりにメールを送ったら、 「お客さんからクレームが来ている。すぐに対応するように」 とのお達し。 ちょっと! 何よ、これ? そりゃ「顧客第一主義」はわかるよ。 そして、お客さんからいただいたお金で自分のギャラがいただけていることも承知。 でもね、、、引っかかるんだな。 ネット検索をかけたら、とある不動産会社の営業マンは、休日に温泉に出かけ、ゆっくりと浸かっていた2時間の間にお客さんから何度も携帯に電話がかかっていたのを見過ごした。 しびれを切らしたお客さんが会社に電話し、会社はくだんの営業マンに 「お客さんからの連絡はいつでもつくようにしろ!」 と、厳しく叱責されたそうな。 ーん? お客さんあっての営業や販売職には、プライバシーはないんかいな。 いつでも、どこでも、携帯に出なあかんのかいな? ね? 営業員や販売員かて人間だよ。 派遣会社や代理店の営業も、このことは痛感しているでしょうに。 なら、私たち末端の人間の問い合わせに迷惑がるな。 「これは指示書と違いますねえ」 とか何とか、デモ終了後にメーカーに突っ込まれ、怒られるのは、けっきょく私たちデモンストレーターだよ。 あーあ。 現場を知らん人間が仕切っているこの業界。 あーあ。 現場に立つデモンストレーターは皆、 「机の上だけでモノを考えて」 と言っているのに、あーあ、あーあ、あーあ、だよ。
2019.11.23
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労働人口不足からも「シニア活性化」がささやかれて久しいが、現実には60代はともかく70代の就活は厳しいものがあるのではないか。 仕事仲間のご主人もそうだった。 ご主人は某衣料品メーカーに営業畑一筋で働き、60歳で一旦は定年退職。その後、5年間、定年延長で同社に勤務。 そこを65歳で本格退職した後、程よい距離にあるドラッグストアで主に品出しのパート。 ドラッグストアの本社の方針で70歳で雇い止めとなり、いよいよホンマのリタイア。 しばらくは、趣味の登山に打ち込むも、生来「働くことが大好き」(仕事仲間の弁)なご主人は、どうも「毎日が日曜日」の日々に気持ちがマッチ出来ない。 「やはり仕事をしたい。収入目的ではないが、働いた代価としての報酬が支払われるのなら、仕事に取り組む意識も姿勢も違うだろう」 との考えのもと、ネット上のシニア向け就職サイトやら地元のタウン誌の求人欄やらハローワークの紹介カードやらを見、これはと感じるものすべてに応募。 が、押し並べて落とされてしまう、、、70代と明かしたその時点で、 「ああ、70代ですか。けっこうです」 と。 そんな時、自宅から20分ほど自転車を走らせたところにあるスーパーに出かけた時、スーパーの壁際に「品出し募集」の貼り紙を見た。 例によって、建前は年齢不問。 ご主人はそのスーパーの担当者に電話をかけた。 案の定、70代、それも半ば近いという年齢を聞いて担当者が断ろうとしたその矢先、ご主人は言ってみた。 「私は登山が趣味で、この間も金剛山に登って来たし、体力には自信があります。ずっと営業と販売をしてきましたから、接客も大丈夫です」。 するとどうだろう。 電話の向こうの採用担当は 「ああ、そうなんですか、、、。ま、そういうことなら、一度お会いしましょうかね」 と、面接を許可してくれたのだ。 面接の結果、めでたく採用。 ヘナヘナした若者より足腰鍛えた老人の方が元気なこともあるという事実を知りつつも、成人病その他のリスクも考慮に入れているに違いない採用担当者は、「人手が足りない折ではあり、とりあえず、70代半ば近くになっていても、この人なら半年だけでも助けてくれるかも知れない」 との気持ちで、採用に踏み切ったのだと思うけれど、、、それでも、エエやね。 まずは、採用されることだ。 ご主人、2か月もしないうちに、部門長はもちろん店長からも 「品出しは手際よいし、接客も丁寧だし、もう少しシフトに入って欲しい」 と期待されるようになったとか。 仕事を求めている70代の方々。 もっと自己PRしましょうよ。 トシを重ねたぶん、武器になるものも、絶対にあるのだから。 ただし、若い方々の価値観も聞き、同調ではなく、それはそれとして 尊重しましょうね。 それが出来るのも、トシの効のはずよ。
2019.11.23
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湖北方面の話題を取り上げたところで。 以前から、この地に限らず、滋賀県各地へ仕事で訪れるたび、思っていた。 「滋賀県には、外国人のお嫁さん、けっこういるのかな?」 と。 肌の色や顔立ち、身体付きは私たち日本人と変わらない。 それが、会話をすると、アクセントや主に助詞の不自然な使い方から、 「日本以外の国の人だな」 とわかる。 見れば、旦那さんや子ども、お姑さんとおぼしき人たちと一緒で、その一緒にいる人たちは、ごくごく普通に日本語を話している。 そもそも、私がこのデモンストレーターの仕事に就いて初めて立った現場が、外国人がとても多い店舗だった。 こちらは、彫りの深いくっきりとした目鼻立ちに、ほんのりと浅黒い肌。 一目で日本人ではないとわかる。 昼休憩時に社員食堂で隣になった店のパートさんにそれとなく尋ねたら、ブラジル、ペルーその他、南米からの出稼ぎ労働者とその家族だと言う。 「この地域一帯にある工場で働いてんねん。最初は日系人が自分たちのお祖父さんやお祖母さんなどの実家の伝手を頼って日本に来て働いていたみたいやけど、段々に日系じゃない人も来るようになって、、、。一家で来ている人もいるよ」。 彼らの日本語は、大半が片言。 ただ、日本で暮らしているうち、必要に迫られてヒアリングの方はそこそこ鍛えられているのか、こちらが話す内容はおぼろげながらと言う感じでわかる様子。 私は彼らにどんどん試食品をすすめた。以前、外国人のメールフレンドが来日した時に会った体験から、言葉で十分にコミュニケーション出来ない面は、例えばイラストや歌やボディアクションなど、他でカバーすればよいことを知っていたからだ。 幸い、今のこの時点では、試食品があるではないか。 美味をもっともアピールする、舌という感覚器官で味わうがゆえに、恐らくは言葉以上にアピールする試食品。 試食すると、彼らはよく買ってくれた。 それもあり、こちらの予想をはるかに上回る売上を達成することが出来た。 南米からの出稼ぎ労働者の人たち。 いっときからめっきり見かけなくなった。 リーマンショックで工場が閉鎖し、帰国したのだろうか? ただ、先にあげた外国人のお嫁さんのように、日本人と結婚して日本に定住した人は少なからずいるようで、中にはスーパーの、主にバックヤード部門でのパート勤めをしている人もいるね。 写真は、デモンストレーターデビューした滋賀県甲賀市にある水口城。
2019.11.21
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11月8日は、湖北(滋賀県北部地方の呼称。同県を同県たらしめている琵琶湖の北部との意味合いも兼ねている)にある、地域密着型スーパーで、冷凍食品のデモ。 この店を初めて訪れたのは、私がデモンストレーターの仕事を始めて半年ほど経った2004年の夏。 当時は新快速はまだ途中駅の長浜止まりで、そこから北へは北陸線に乗り換え、それこそ田舎の各駅停車よろしく、ガッタンゴットンガッタンゴットンと向かったものだ。 新快速が滋賀県を超えて福井県敦賀まで開通した現在でも、長浜からは各駅停車だが、そこは新快速。以前のようにガッタンゴットンではなく、スィーッスィーッ。 その乗り心地とも関係あるのか、かつての風景全体が垂れ込めたような湖北独特の風情は、少しずつ変わってきている。 明らかに軽く、そして、いささか誤解を招く表現かも知れないけれど、「澄んで」きた。 これは、新快速が停車するようになった=遠方の地からも行きやすくなったことの影響だろう。 実際、ハイキング目的も含めた観光客は増えているみたいで、駅自体も、この日に降り立った木之本駅はもちろん、押し並べて粗末な木造舎だった湖北の各駅はきれいにリニューアルされていた。 湖北。 まだまだ地味な存在だけれど、特に戦国時代の歴史に関心がある人には興味深い史跡がたくさんあるし、伊吹山をひかえているからハイキングにもうってつけ。 もちろん、琵琶湖観覧もよかろう。 ついでに。 湖北名物と言えば、かのとり野菜鍋が知られているが、個人的には蕎麦がオススメ。 寒冷地ゆえの特権? 比叡山の蕎麦同様、伊吹山ふもとで栽培される蕎麦もコシがあって美味。 私は湖北で仕事をするたび、買って帰ることにしている(普通のスーパーで買えます)。 写真はJR木之本駅。
2019.11.20
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来年の正月の三日には、小学校の同窓会があるので、その日だけ帰郷するつもり。 せっかくだから、同窓会が終わった後にどこかをぶらり旅とでも思ったけれど、やめておこう。 来年3月には北海道プラス仙台に行きたいんだよ。 お金は使わないにこしたことはないやね。 もっとも、自分の故郷を「旅する」のもいいもんだ。 閑谷学校にしろ、備前焼の本場伊部にしろ、漁港の日生にしろ、離れて40年以上も経てば、異郷とまでは言わないにしても、眺める視点は、半分「よその人」のものになってしまっている。 その眼で故郷を歩くのもまた楽しいし、新しい発見がある。 写真は、父親がまだ在名中、入っていた老人ホームに向かう時に写した写真。 備前市と瀬戸市の中間くらいの位置か? それにしても、私、小学校低学年の頃から、別に自分の故郷が嫌いでもないのに(好きでもなかったが)、大きくなったら絶対にここを出て行こうと思っていた。 なぜなのだろう?
2019.11.19
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連続勤務が明けた昨日は、一日中、だらりだらり。 やたら眠く、とうとうブログも書けなかった。 「まっ、ええか! 一生懸命に仕事をしたあとだもの!」 さて。 繰り返しになるが、日曜日は京都市内の大型スーパーで、豚肉の生姜焼きのデモ。 いつもながら半端ない試食数で、次から次へと肉を焼きつつ、ふと、子どものころ家の残飯を近くの養豚場へ運んでいたことを思い出した。 家族の食べ残しはもちろん、野菜クズや魚のアラなどをバケツに入れておき、いっぱいになったら、 「ブタさんに食べさせて」 と、そこへ持っていくのだ。 振り返れば、あれは最高のエコ。 もっとも、利益を追求しないといけない養豚業者にしたら、残飯は栄養が偏っていたりビニールなどの異物が混入している可能性があるからそれを取り除かないといけないなど、効率が悪いらしく、今ではほぼ100%がブタ専用の肥料。 とは言え、生ゴミを燃やす形で処理するのはお金もかかるし、そもそも食べ物を捨てるのはなあ、、、。 あまり表には出てこないんだけれど、例えばスーパーが消費期限切れだとか色が一部変わったから売り物にならないとか、様々な理由で廃棄する食べ物の量って、バカにならないんだよ。 あれが、せめてブタさんのおなかにおさまるのならまだ気持ちに負担なく捨てられるのに、、、などと考えてしまう。 まあ、生ゴミを家畜の肥料に加工する取り組みをしている団体もないことはない。 今後に注目すると同時に、この問題はもっとみんなで考えられてよい。 写真は、神戸電鉄有馬線谷上駅構内にあった、イノシシ のレプリカ。 ブタは祖先のイノシシ 時代から、基本的には何でも食べる食欲旺盛な雑食動物だ。
2019.11.19
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今日は京都市内の大型スーパーで、豚肉の生姜焼きのたれをデモ。 畜産部門とのコラボだから、デモ商品は加工食の部門に入っていても、実施は畜産部門で行う。 ある意味で気楽。 と言うのは、こういうコラボデモは店舗側の本音を反映して行われることが多く、それゆえ、皮肉にもデモ商品自体はさほど売上を求められないケースが多いからだ。 本日に例えたら、店舗側が販売して欲しいのは、まさに生姜焼きに使う豚肉。 デモ商品の生姜焼きのタレではない。 そりゃそうだわな。 生姜焼きのたれより、そこで使う国産バラ豚肉を売り上げてくれた方が、店の利ざやはずっといいもの。 しかも、ぶっちゃけ、たれはその日に売れなくても保存がきくやね。 写真は、7月に生まれた3人目の孫。 未熟児で生まれても、こんなに大きくなったよ。
2019.11.17
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こんな夢を、今週の月曜日にみた。 湖に浮かぶ島、および湖水に浮かぶ落ち葉。 湖も島も落ち葉も、どれもこの世のものとは思えぬ美しさ。 泊まっている宿から眺めている私は、 「ずっと、このまま、ここにいたいなあ、、、」 と、思っているわけだ。 異様なまでにリアルなこの情景の場は、中国の三譚印月。 どうしてぇー? もちろん一度も行ったことがないし、ぶっちゃけ、万里の長城をのぞけば、中国に特別な関心はない。 三譚印月は、かの白蛇物語の舞台(中国の有名な民話で、私は子ども向けに書き直しているのを小学生の時に読んだことがある)になっていることは知っているから、その関連で写真をみたことはあるけれど、それは、例えばパリのエッフェル塔やニューヨークの女神の像を無意識で見ているのと同じ感覚。 つい1週間前までは、全く興味も何もない地だった。 なぜ、突然、夢に登場したのだろう? もっとも、今回のケース、一昨年前、とつじょ思い立って韓国へ旅しようと思い立った経緯と似ている。 あの時は、家人が、自称お笑いセラピストを名乗る、私からみればエセ心理屋の某にのめり込み、仕事も放り出して夢中になった結果、経済的に深刻な状況になってしまい、節制するよう懇願しても、洗脳されていて、、、といった状況で息をするのも苦しかった。 そんな折、それまで一度も行ったことはなかったし、その国の人たちと何度か一緒に仕事をしたことはあっても彼らの国に特別な興味はなかった韓国を、1人旅する夢を見たのだ。 何かのお告げかと、実際に1人で行った。 少なからぬ人から、 「旅行に1人で行くなんて、考えられない。私は仲間と行くよ」 みたいな、すなわち 「(旅行に)誰もお供してくれる人がいないのね。あなたは可哀想な人ね」 みたいな言われ方をし、カチンときたが、まあ、こういう人とは合わないんだろうねえ、、、。 そんなことはともかく、直感のおもむくまま、韓国に1人旅をして大正解だった。 普段に親しんでいる言葉も風習もものの考え方も異なる地への、たった一人での旅。 孤独の中、自分とモロ向かい会うことが出来、気持ちのリセットにつながった。 今回も、、、夢に現れた三譚印月、行こうか。 検討するよ。 夢に出て来ることは、何かあるのだ。 ただ、この地、韓国ほど治安が良くないらしいから、旅行慣れしていない身は、このところ増えている、大手旅行会社の「お一人様ツァー」を検討してもよいと考えていたら、それもないんだそうな。 はぁ、、、? ま、いろいろ調べてみるよ。 絶対に行きたい。
2019.11.17
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今日は、大阪府北部のスーパーで、イタリア製パスタとソースのデモ。 イタリアと日本は遠いが、人間同士の気質は正反対のようでけっこう似ているのではないかなと、イタリアの映画や音楽に触れるたび、感じている。 食べ物も同じ。 ワインなどの飲料も含め、フードとしてのイタリアンが苦手な日本人、あまりいないでしょう? チーズもそうだよね。 外国産、特にオランダ製チーズの中には日本人にはクセが強いと感じられる種類があるが、イタリア製はそんなことはない。 どれも押し並べて美味。 イタリア人の味覚と日本人の味覚、割と共通性がある? プラス、今日もつくづく思ったのだけれど、「イタリア」そのものが、日本人にとってブランドなのね。 「イタリア」と耳にするだけで、食べ物に関しては文句なしに「オイシイ」と脳が反応してしまう。 肝心かなめの脳が「オイシイ」と反応してしまえば、あとはそれぞれの感覚機能もそれに付随するわな。 味、香り、見た目、舌触り、喉ごし。 つかさどる器官はすべて「オイシイ」と答える。 同じようなことは、外国では「フランス」「スペイン」「香港」、国内では「京都」「横浜」「神戸」にも言えるね。 写真は、京都は嵐山名物のコロッケ。
2019.11.16
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このところ、北海道産、または北海道発の商品のデモが続いている。 北海道産、または北海道発の商品を担当する時は、極端な話、余計な宣伝トークはいらない。 「北海道から来ました」 これを、大きな声で、明るく爽やかにお客様にアピールできたら、OK。 なぜなら、お客様、特に西日本のお客様にとって「北海道」は、それだけでブランドだからねえ、、、。 北海道。行ったことはないが、何度も北海道産や北海道発の商品をPRしているうち、実際にも行きたくなった。 調べてみたら、格安航空を使えば、関空からいくらもかからないんだね。 行きは飛行機。帰りは、よしだたくろうの「洛陽」の歌のように仙台までフェリー、仙台見物を済ませたあと、そこから新幹線。 悪くないね。 ホテルはビジネスホテルでいいし、食べ物は地元の大衆食堂でよい。 買い物には興味がないし、土産もお菓子と地酒以外買わない私。 いくらも金はかからない。 検討しよう。 と、ますます北海道産、北海道発の商品のデモンストレーションが楽しくなったぞ。 写真は我が孫たち。 上の孫は、北海道に行ったことがある。
2019.11.16
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漢字が苦手なため、どちらかと言うと時代小説は敬遠しがちな私だが、感ずるところあって、古本屋で見つけた「江戸の商人力」(細谷正充編。佐江衆一、杉本苑子、平岩弓枝、山本周五郎他作)を読んだ。 かの赤穂浪士討ち入りを武器面から支援したとされる天野屋利兵衛が 「商人にも義がございます」 と、苛烈な取り調べにも屈せず示した商人の"義"(「命をはった賭け」佐江衆一作)をはじめ、9人の作家がえがく江戸の商人とその周りの人々をえがいた短編集だ。 特に、ラストを飾る「こんち午の日」(山本周五郎作)は、結婚三日目に妻に情夫と逃げられ、そのことを嘲笑されながらも、商品の工夫や客層の分析などの研究を怠らない豆腐屋、塚次の生き様を通じ、時代や職業を問わず真面目に仕事と向かい合うことの美しさを鮮やかに立ち上らせた秀作。 例えば、塚地が、行商に出ていて最初はよく売れたのに次第に利益が知りすぼみになっていった地域の贔屓客の1人に、 「おまえさんとこの豆腐はいいけれど、いつもかまぼこ豆腐とかがんもどきなんぞを持ってくる。その日暮らしの世帯で、とんでもない。みえを張らずに済むほうを呼ぶよ」 と指摘され、それを素直に受け入れて行商のやり方を変えることを思いつき、実行に移した点など、江戸の商人力にならう点はたくさんあるのではないだろうか。 余談ながら、山本周五郎の重厚な文章力は大したものだね。 短編なのに、この人の文章を読んだあとでは、近年の作家の文章が、良くも悪くも軽く感じられて仕方がない。
2019.11.15
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さて。 少なくともプライベートでは、 「本を読まない人とは付き合わない」 と決めた営業ウーマンの話を続ける。 もともと、彼女は事務畑の人だった。 と言うより、彼女が大学を卒業した当時、民間企業では、研究職など一部の専門職をのぞけば、女性の職種はほぼ事務か販売に限られていた。 営業部付けの事務職として配属された彼女は、いわば、男性営業員のサポート役として、電話応対をこなしたり、来客を接待したり、書類を作成したり、ファイリングを担当したり。 そうこうするうち、成果としての数字で評価される営業職に関心を持ち、 「しんどさはあるだろうが、営業をアシストする営業事務ではなく営業そのものをやりたい」 と、願うようになったのだとか。 男女雇用均等法はまだ制定されていなかったが、折しも彼女の勤務先では、若い新社長のもと、 「女性の能力をもっと活用しよう」 との機運が生まれつつあった。 そんな中、彼女の移動願いは受理され、社内初の女性営業員に。 営業デビューしてほどなく、彼女は営業とはまさに心理学そのものであることを知る。 「契約を取る前に、私という人間を信頼してもらわないといけない。それには、人としての引き出しは多いに越したことはないし、洞察力や推理力、共感力も要求される。そのチカラをつけるには、読書が一番。知識や雑学を得るだけでなく、本を通じていろいろな人生を擬似体験できる」。 これはわかる。 例えば、保険営業なら、置かれた状況も生活への希望もおのおの異なるお客様の人生を想定した上で起こりうるハプニングを連想し、お客様にマッチする保険プランを提案せねばならない。 まさに、洞察力、推理力、共感力を総動員せねば出来ないこと。 ちなみに。 私が知りうる限り、経営者やトップセールスマンと呼ばれる人たちは、案外と読書家である。 話題作りや情報を収集する目的以外に、「本を読まない人とは付き合いたくない」と答えた彼女が示した、洞察力、推理力、共感力をつけるトレーニングの意味合いもあろう。 写真は、一番上の孫。 まだ6歳ながら、本が大好き(特に物語系)で、市民図書館では一度に10冊くらい借りてくる。 読んだ内容に触発されるのか、自分でもオハナシを作って妹に聴かせているくらいだ。
2019.11.14
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日曜日の朝、現場に向かう電車の中で突然に見舞われた、「頻繁にトイレに行きたい感」と、こらえていると額に汗の玉がびっしりと浮かぶほどの腹痛。 家を出る前にお手洗いはすませ、残便感もなくすっきりしているのに、たまにこんな日がある。 症状は、決まって電車の中であらわれ、強い下腹部の不快感と、痛みを伴う。 痛みは、シクシクした鈍痛の合間にキューッと差し込むような疝痛が襲い、立っているのも辛い時がある。 朝、すること(=通じ)は終わっているので、当然ながら、腹痛と共に「トイレに行きたい感」から、例えば駅などの公共トイレに駆け込んでも、新たな排便はない。 ただ、痛いだけ。 この痛みが、もう、体験した者でないとわからない不快感を伴うだけに、つらくてたまらない。 何と言うか、こう、腸が動きすぎている感じなのよね。 「どうしてこんなに活発に活動するの?」 と、我が腸にお尋ねしたいよ。 実は、こんな症状、過去にもあった。 娘が大学に入った、2004年頃。 月に、23日から26日、現場に入っていた。 当時はデモンストレーター以外の仕事もしていたから、土日はもちろん盆も正月もなく、4ヶ月ぶっ通しで仕事をしていたこともあった。 でも、疲れは感じなかったんだよね。 「稼がにゃ」 と思っていたから。 むしろ、びっしりと仕事があることが嬉しかった。 それが、数ヶ月後、、、。 「手洗い、すましているでしょ? 残余感もない。何で、こうなの?」 と疑問に感じながらも、現場に向かう途中、痛みと強い排便感で幾度トイレに駆け込んだことか。 かくも強い痛みが、あらら、現場に着くと治るのだ。 ピターッとではないにしろ、仕事が出来る程度にはおさまるのた。 だから、私もあまり深刻にはとらえていなかったけれど、、、現在にして想う。 あれは、身体が必死でメッセージを送っていたのだと。 「休んで。お願いです、休んで下さい」 と、現場に向かう途中で、本当は疲れ切っているはずのカラダが脳に指令を出す。 ところが、 「稼がにゃ」感に支配されている脳は、 「全然疲れてへんのに、何で休むん?」 と、それを笑い飛ばす。 結果、カラダとココロがアンバランスな状態となり、私は1ヶ月後、喉から出血してしまった。 仕事は、、、休まざるをえなくなった。 これって、、、人気作家、夏木静子氏が遭遇した「椅子に座れない」くらいに激しかった腰痛にも似たケースよね。 夏木氏も、 「新たな境地に挑んだ伝記小説も好評だったし、連載もいっぱい抱えている。仕事絶好調」 と自分でら思っていたので、腰痛がまさか心身症からきているとは予想だにしなかったとか。 この11月。 ありがたい(?)ことに、仕事はたくさんいただいている。 だからこそ、日曜日の朝に見舞われた症状は何かの前触れかも知れないと肝に命じ、過度にならない程度に手抜きもしつつ、ごまかしごまかし、こなしたい。 写真は、3人の孫。 この子たちのためにも、元気で明るいばあばでいなければ。
2019.11.12
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今日は奈良県にある某ベッドタウンで仕事。 家を出て1時間ほど経った頃、とつじょ下腹部の不快感と痛みを覚えた。 手洗いに行きたくなったが、あいにく電車の中。何とか耐え、現場最寄駅への乗り換え駅に着くや、トイレに駆け込んだ(幸いす いていた)。 ところが、来るはずのコトが来ない。かつ、シクシクする痛みはとれない。 「どうしたんだろう? 変なものは食べていないし、冷やしてもいないから、下すわけないしな。なのに、そんな前兆みたいな症状におそわれるとは、、、?」 身体も気持ちもすっきりしないまま、最寄駅に向かった。 電車に揺られているうち、再び不快感と痛みが。 シクシクの合間に、時おり差し込むような感覚を伴う痛みが襲ってきて、思わず顔をしかめ、歯を食いしばる。 「痛い、、、」 額に汗が滲んできた。 現場の最寄り駅に到着。 何はさておき、トイレに。 また同じ。 来るはずのコトが来ないのだ。痛いだけ。しかも、どんどん強くなる。 遅刻してはいけないから、仕方なくトイレを出て、痛みを我慢しつつ、現場の店へと向かう。 「困ったな」 と、心でつぶやきながら。 なぜなら、今日は食品ではなく日用品の推奨販売だけに口だけで勝負(=売上実績を示す)しないといけないのに、こんな状態では、デモどころか業務そのものが無事に出来るかどうか、、、。 現場に着く。 不快感と痛みは止まるところを知らず、お客さんを装って店内に入り、お客様用トイレに。 来るはずのコトは来ない。 痛いのは相変わらず。 あきらめ、従業員出入り口から入店。 手続きをすませ、店の担当者に挨拶して指示を仰ぎ、エプロンに着替えたりデモテーブルにテーブルクロスを敷いたりとと準備中、遅いかかった不快感と痛みに途中でギブアップし、従業員トイレに。 今までと同じ。 痛みに、顔を歪め、汗が流れ落ちる。 「痛〜い」 思わず泣き声が出る。 「これじゃ仕事できないよ。あ、いや、しなきゃな。仕事はちゃんとしなきゃ。ああ、エラいことになった」。 さまざまな思いが頭を巡るうち、、、あらあら、突然、弾けたように下腹部の違和感も痛みなくなった。 ああ、よかった、よかったよ。 胸を撫で下ろした。 これで仕事に全力投球出来る。 全くもって、 「仕事に支障をきたしてはいけない。でも、症状が回復しなかったら、痛みを引き受けて頑張らにゃ」 との我が必死の祈りを、始業10分前に、天がかなえて下さったのだ。 それにしても、ん? 何、これ? 陣痛にも似た(人によって陣痛がどんな痛みかは差があると思うので、陣痛を断定してはいけないことを百も承知で敢えて述べる。私の場合は、お腹を下した時の痛みの数倍強い痛みが陣痛だった)、下腹部が痙攣するような痛み。 心当たりがないわけではないが、今夜は敢えて追求せず、ゆっくり休もう。 写真は真ん中の孫。
2019.11.10
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仕事絡みや止むを得ない時の関係は仕方ないけれど、プライベートにおいては、 「私なりのある基準を設け、それに合わない人とは付き合わないようにした結果、ストレスが大幅に減少した」 と語った、知人。 はて、彼女が語る「ある基準」とは? それは、 「本を読むか読まないかということ」。 すなわち、彼女は、本を読まない人とは付き合わないことに決めたのである。 彼女の答を聞いた時、私は、一瞬、目をパチパチ。 きっと、彼女の口からは「嘘をつく人」だとか「時間にも金銭にもルーズな人」だとか「不潔な人」だとか、そういう答が出てくるものと思っていたからだ。 「いや、もちろんそんな人も付き合わない人のリストに入っていますよ。でも、あなたが例にあげたタイプは、人としての最低の基準すら満たしていないから、誰しも付き合わないのは当たり前ではないかと。私は、それにプラスアルファ、基準を設けたんですよ」。 彼女によると、自分はもともとは特別に本に親しむ方ではなかったと。 「この通り、極めて実務型の人間だから、子どもの頃から大好きだった音楽(楽器演奏)をのぞけば、読書やら句作やら絵画やら、全く興味がなくて。そんな役にも立たないもの、とむしろ軽蔑していた」。 それが、ある時、具体的には事務職から営業職に移った時に変わったのは、ちゃんと理由があった。 次回。 写真は、兵庫県は有馬温泉近くのまちで仕事をした日、その時の現場付近で撮ったもの。 自宅からは遠方の地だったけれど、そのぶん、車内で本をよく読める利点がある。
2019.11.08
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先の記事で、私は 「ストレスが溜まると浪費しやすい」 と書いた。 似た人は少なくないのではないか。 時おり、 「ネットショッピングがどうしてもやめられない。仕事で疲れていても、ネットサイトをのぞいているとワクワクしてきて、ついいろいろと買ってしまう」 と嘆く人の話がネット上に載っているが、これも同じクチだと思う。 この場合、購入しているのは、 「商品であって、その実、商品ではない」 モノなんだよね。 商品は、ストレスを解消させてくれる手段としてのモノ。 その証拠に、そういう思いで買った商品って、いざ届いてみれば、案外と活用していなくはない? 洋服ならクローゼットに吊るされたままだし、靴やバッグなら箱に入りっぱなしだったりしない? そりゃそうだ。 真実、それが欲しくて買ったのではないんだもの。 モヤモヤした気持ちを発散させたり、紛らわせたりするために買ったに過ぎないんだもの。 これじゃ、商品自体もかわいそうだよ。 そもそも、洋服にしろ靴にしろバッグにしろ、そんなに数はいらないでしょ。 知人の奥さんなんか、営業ウーマン時代、ノルマ達成のストレスからブランドものを買いあさり、とうとうそれらを置く場所もなくなってきたらしいけれど、、、こうなれば部屋も狭くなるし、通気も悪くなって、運もそこで滞ってしまう。 ストレスは、仕事のモチベーションアップのためにも、また日常のマンネリ化を防ぐためにも、多少は必要。 が、過度になると、金銭感覚をも含む道徳観や、最悪の場合は人間性をも歪ませてしまう。 ここで、皆さんにご紹介しよう。 「仕事関係ややむを得ない時は別にして、原則、私は付き合う人を選んでいる。もちろん、その基準はあるのよ。それにのっとって人間関係を整理したら、仕事上でもプライベート上でもストレスが激減したわ」 と、私に語った女性。 次回で。 写真は、近所の公園。 自然に触れ合うこともストレス発散に効果があるよ。 お金もかからないし。
2019.11.07
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ベトナム・カンボジア旅行での浪費を顧みて、自分の「消費のクセ」に気づいた私。 それは、どのようなものだったか? まず、自慢するわけではないけれど、私は家族や友人たちからたびたび言われるように、もともと物欲自体はそんなに強くない方だと思う。 洋服をはじめ、持つモノにブランドはもちろん数も求めない(基本的に自分が満足したらよい)し、そもそも 「本が読めて、書き物が出来て、ほろ酔い加減にさせてくれる程度の度数の大衆酒があれば、ぶっちゃけ、この世は楽しいね」 と感じる人間なのだ。 群れるのが嫌いで、奥様方とのランチやショッピングにも行かず、親戚付き合いも最低限にしているから、交際費はかからない。 運動は、弁当持参で出かけるハイキングかウォーキング、せいぜい標高600メートル程度の底山に登るプチ登山で、費用は最初に買ったトレッキングシューズ代のみ。 ホンマ、お金を使わないタイプだと、自分でも感じる。 こんな私でも、驚く速さで財布からお金が消えていくことがある。 「気分が高揚している時」と「ストレスが溜まっている時」である。 特に「ストレスが溜まっている時」。 10年ほど前になるだろうか。ヨーロッパ産の某ワインの宣伝販売で、メーカーからも店舗からも大変な販売プレッシャーをかけられ(目標以上の売上数は達成できたものの、業務が終わった後で胃腸障害をおこしたほど)、ストレスから私にしては分不相応な竹製のブラシを買ってしまったことがある(ただ、お値段なりの上等品。頭皮への刺激も負担も軽く、愛用している)。 これほどでなくても、何かむしゃくしゃした時、吸い寄せられるようにコンビニに立ち寄り、化粧品やお菓子を買ってしまったり。 使う金額は多くなくても、積もり積もれば、こういうチョコチョコ買いもあなどれない「浪費」となる。 もっとも、我が消費のクセに気づいたことは、お金をコントロールできるようになるきっかけとなった。 その後、明らかにストレスから買い物をしようとする時には、 「それ、本当に必要なの? 今のイライラ気分や寂しい気持ちで買いたいだけじゃないの?」 と、自問自答するようになったからねえ。 まあ、一足飛びにお金をコントロール出来るようになったわけでなく、何度も挫折したり失敗したりを繰り返しながら、少しずつ少しずつ自主トレーニングして、現在がある。 お金をコントロールすることは、自分の人生を自分で作っていくこと。 とても楽しい作業だ。 写真は、カンボジアのバンテアイ・スレイ遺跡でみた「東洋のモナリザ」。 確か、ノーベル賞作家マルローが、あまりの美しさのあまり盗み出そうとして捕まったんだよね。
2019.11.06
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キャッシュレスに関連する「お金の使い方」ネタ記事も、いよいよ大詰めだよ。 前回の続き。 南国の陽光の中ではまばゆい輝きを見せるのに日本の湿り気を含んだ風景の中では浮いてしまうクメールの民芸ファブリック。 いくら、粘りとオジサンの同情を巧みにひく売り子の販売テクニックに押されたからとて、なぜ夫はあんなにたくさん買ってしまったのだろう? そもそも、夫が買ったのは、ファブリックだけだろうか? 違う。 ファブリックというモノの他に、それを前にした時の高揚感やら感激やら、要はいつもとは異なる「非日常」というか「トキメキ」も買ったのである。 そう、買い物は、米や味噌やティッシュその他の生活必需品を買うのでなければ、基本的には非日常なトキメキ行為。 「非日常」かつ「トキメキ」であるがゆえに、人は、モノといっしょに夢や未来をも買い、「満足」を得るのだ。 例えば、コートを買う時を想像されたい。 あなたが買うのは、コートのみならず、同時に、どんな時に着るのか、どこへ出かけるのか、インナーやマフラーはどのようなものと合わせるのか、そういう夢や未来を伴うワクワク感(=満足)も買っているはずだ。 買い物の究極はモノを買うのではない。満足を買うのだ。 浪費したけれど、ベトナム・カンボジア旅行で得たものは大きかった。 なぜなら、繰り返しになるが、これに気づいたことで、自分の「消費のクセ」がわかったからねえ。 続く。 写真は、カンボジアのトンレサップ湖上の喫茶店にて。 トンレサップ湖では、店も病院も学校も湖上にあるんだよ。
2019.11.04
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さて、強いストレスから書く気力もそがれ、しばらく休んでいた「キャッシュレス」関連の話題を続けるよ。 5年前に訪れた、カンボジアはシェムリアップの、「粘り」に加えて「ワタシ、カワイソウ」テクをも備えた「販売員のプロ」の手中に落ち、心ならずも(?)民芸ファブリックとそれ風な図柄をあしらったポシェットなどの小物を多数買ってしまった夫。 ホテルに帰り、あらためてベッドの上にそれぞれ広げてみると、確かに美しい。 色合いといい、図形化したイラストの配置加減といい、メリハリがあって動的。表現に語弊があるかも知れないが、眺めていると、どこからか音楽が聴こえてくるような錯覚さえ受けるのだ。 図柄にリズムがあるんだね、、、ちょうどゴッホやスーラ、クレーの絵が「独自の動き」を備えているように。 「これは、、、案外ともうけもんかも知れんぞ」 と夫。 「チョイ強引に買わされたけれど、テキスタイルとしては決して悪くない」。 テキスタイルデザイナーを30年続けてきた夫が言うのだから、間違いはないだろう。 ところがである。 このテキスタイルとしては決して悪くない、それどころかクメール文化(クメールとはカンボジアを中心とした東南アジアの一民族)の魅力をふんだんにあらわしたファブリック。いざ帰国して飾ってみると、イマイチなのだ。 カンボジアの陽光と仏教徒の荘厳さが支配する中にあってはあれほどの輝きを放っていたのに、湿っぽいここ日本にあっては、明らかに周囲の風景から浮いている。 「はあ、アロハシャツ日本で着ると、よほど着こなしに工夫を凝らし、着る場所も選ばないと、どこか浮く。それと同じやなあ」。 これは新たな発見であると同時に、我が購買動機のあるクセについても考えさせてくれるきっかけとなった。 続く。 写真は、アンコールワットにて。
2019.11.01
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