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(注)10月11日に書いた記事。 麦や雑穀の宣伝販売について書く前に、まず亡父が語っていた、このセリフから紹介したい。 「兵隊の生活はよかった。3度3度米の飯を食わせてくれたから。家では麦飯ばかりだった」。 そう! 大正13年生まれの父が若かった頃、小作農はまさしく米を作っていながらその米は大半を地主に小作料として納めねばならず、したがって自分たち用の米は常に不足気味。かさ増しのために普段は麦と混ぜたもの(麦飯)を食べ、すべてが米のご飯は特別な日でないとありつけなかった。 つまり、米飯を食べること=ステイタスですらあったのだ。 なるほど、戦後の混乱期がまだまだ続いていた1950年(昭和25年)、 「貧乏人は麦を食え」 みたいな発言をした大臣もいたね(ちなみに、発言の真意は、「所得の少ない人は麦を多く食べ、所得の多い人は米を食べるというような、経済の原則にそった方へもっていきたい」とのことだったそうで、今日では、発言の一部だけが切り取られ、1人歩きしてしまったケースとされている)。 はあ、、、麦は貧しい者が食べるものだったんだなあ、、、。 ひるがえって令和の現在、亡父がかつて常食していた麦飯の麦や、やはり麦同様に米と混ぜて炊いたとされるヒエやアワなどの雑穀は、決して「貧しい者向けの安食品」というイメージではとらえられていないし、販売数量的にも大売れはしなくてもそこそこは売れる。 購買層のメインは、健康に関心が高い熟年女性。 「食物繊維が豊富で腸活と美容にいい」 「素朴な味がレトロ」 「こってりした料理が続くと、こういうあっさり系が美味しく感じられるのよね」 などなど、身体面でも味覚面でも、なかなかの評判。 なかには、 「麦ご飯を食べ続けていたら血糖値が下がってきた」 とおっしゃった方もいた。 面白いものだ。 米を食べたくても十分に食べられなかった戦前の貧困層が今の麦や雑穀の扱われ方を見たら、どう思うだろう? なお、かさ増し目的で米に混ぜ込まれたのは、麦やヒエやアワだけではなかった。大根、芋、栗、南瓜、山菜、きのこなども対象となった。 ううむ、、、。私の体験による限り、少なくとも芋ご飯と栗ご飯は人気のある試食メニューなのだが、そうか、元は米の不足分を補うための料理だったのだ。 時代は変わった。 次は、この野菜その他を米に炊き込んだ、あるいは混ぜ込んだご飯の話をしたい。
2021.10.31
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(注)10月9日に書いた記事。 米の販売にまつわる話を続ける。 一世を風靡したテレビドラマ「おしん」の中に、こんなシーンがあった。 大好きな祖母が危篤だと聞いたおしんは、奉公先から現在でいう「特別休暇」と米一斗をもらい、実家に帰る。祖母への見舞いの言葉もそこそこに台所に向かい、 「ばっちゃんは、まずいものばかり食ってきたから、おらが米の粥を食べさせてやるだ」 と、お粥を作り始めるのである。 炊き上がったばかりの米粥を二口か三口、口にした祖母は 「うまいのぉ。もう思い残すこと、ねえ」 と涙ながらに言い、息を引き取る。 この時、おしんは数えで9歳。満にすれば8歳か7歳。小学校1、2年生といったところ。 そんな年齢で、まず、重労働にして技術も要するかまど炊きが出来たことに素朴な驚きを感じる。 次に、お粥であっても米を食べることが可能なのはかなりの近代まで一定以上の階層にいた人だけだった事実に、複雑な感情を抱く。 現在では、かつて「高級米」とされた白米にも特徴を持つブランド米が次々と発売され、「もっちりタイプ」「やわらかタイプ」「あっさりタイプ」など、差別化が進んでいる。 いい時代だ。コロナ禍によるダメージは大きくとも、私たちは簡単な方法で美味しいご飯を炊けるし、時間が経っても温かいままの状態でいただくことが出来る。 ありがたいと感謝し、1粒1粒を味わってお腹に入れたいものだ。 なお、昔、こう発言した大臣がいたそうな。 「貧乏人は麦を食え」。 この発言の真の意図がどこにあったのかはわからない(政治家はしばしば本音を巧みに隠す)ので、そのこと自体は取り敢えず横に置いておくとして、私たちデモンストレーター側からすれば、麦ばかりか、ヒエやアワなどの雑穀も、米と同程度に「調理も販売も楽」な商品。 次回はその話をしたい。
2021.10.31
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(注)10月7日に書いた記事。 振り返れば、例年の今時分は、米の宣伝販売をよく請け負っていたものだった。新米のシーズンだからである。 試食メニューは、塩さえつけないおにぎりが常。 新米は、1粒1粒がくっきりと立っていて、真珠のように艶やかな光沢があるべっぴんさん。 口に含むと米が本来持つ香りと甘さが広がり、試食提供前の味見の段階から、心の底よりのシアワセ感を味わえる。 プラス、私たちデモンストレーターにとっても、担当商品が米であることは、味とは別の面でもオイシイことなのだ。 理由は、楽だから。 まず、調理技術を要しない。 米を洗って(無洗米ならそれすら必要なし)、炊飯器にしかけ、スイッチオンするだけ。 待っていれば、勝手に炊き上げてくれる。 次に、よほどの高価格とか前日が特売日だったとか、特別な理由がない限り、そこそこは売れる。これは、販売スキルもさほど求められないことを意味する。 ただ1度だけ、特売価格で、かつセール日にデモを実施したにもかかわらず、大苦戦したことがある。 農村地帯に建つその店舗のメイン客は農業従事者で 「米なんか買わんかて、うちで作っとるわい」 とおっしゃる方が多かったのだ。 これは、もうどうしようもないわなあ、、、。 ついでに、精米技術の向上により、あまり研がなくてよくなったのも楽。 昔は水が透き通るまで研ぐものだったけれど、現在では、そこまですると米の旨味が逃げてしまうんだよねえ、、、。
2021.10.23
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(注)10月6日に書いた記事。 昨日は5歳になる真ん中の孫の運動会。片道ざっと3時間をかけて大阪府へ。気温は高かったが、秋の大空のもと、かけっこに、ダンスに、器械体操に、日頃の頑張りを披露する子どもたちの声が園庭で炸裂した。 さて。 一昨日の記事で、6歳にして養子先の炊事を引き受けた北大路魯山人が、3等米を研究と工夫により1等米と変わらぬ美味しさに炊き上げたことは述べた。 魯山人は明治16年生まれだから、当時の炊飯は、もちろんかまど炊き。最初は弱火でゆっくりと炊き、釜全体が温まったら一気に火力を強めるという、俗に「始めチョロチョロ。中パッパ」の炊き方であったことを考えると、火加減のコントロールに長けていたのだろう。 プラス、米の浸水時間やら、その時の水温やらにも気を配ったに違いない。 6歳の子どもが養親の機嫌をとるために、、、と考えると、その後の料理家としての魯山人の活躍の基礎がここで培われたとしても、いささか不憫の念を禁じえない。 それにしても、炊飯器なるものがある現在は、本当に恵まれた時代だね。研いで(無洗米ならそれも必要なし)、炊飯器内の目盛り通りに水加減をして、スイッチオンしたら、後は勝手に炊き上がり、保温もオッケイ。 炊飯器さまさまである。 次回からは、米関連のデモの話をしたい。
2021.10.23
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(注)10月4日に書いた記事。 書家、画家、篆刻家、陶芸家、料理家、、、と、さまざまな顔を持ち、おのおのの面で「美」に生きたマルチ芸術家、北大路魯山人の、これは「食」にまつわるエッセイ(1930年から53年にわたって書かれた)を集めた書。 どの項も、いかにも彼らしい「上から目線」な書き方で、そこにかえってある種の清々しさを感じる。 最初の寿司にまつわる話からして 「エェッ」 と、度肝を抜かれる。 なぜなら、江戸前寿司は元々はお茶を飲みながらカウンターで立ち食いするものであり、戦後に椅子を置くようになってお茶が酒に変わった、とあるから。 結果、手短にまとめれば、 「いまの江戸前寿司は本物ではない。寿司屋ではなく自由料理屋だ。そのうち、トマトやコンビーフ、トンカツを使った寿司が出てきそうだし、サンドイッチ寿司なんてものも現れるのではないか」 と述べられている。 トマト寿司。コンビーフ寿司。トンカツ寿司。サンドイッチ寿司。70年後の現在、すべてある! 6歳の頃から養子先の炊事を受け持ち、工夫と研究を重ねて3等米でも1等米のように美味しく炊きあげた魯山人は、優れた味覚のうえに、食の先見性も備えていたのだろう。 魯山人は、その出自や生育歴にまつわる特殊な事情も関係してか、キャラクター的には鬱屈した問題ありの人(彼の生涯をえがいたテレビドラマでは緒形拳が魯山人役をしており、そこいらをうまく演じていた)だったが、寿司のこの件だけを取り上げても、やはり非凡な人だったのだね。
2021.10.13
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(注)10月3日に書いた記事。 我が家でパスタを作る時は、水量に対して1%の塩量、わかりやすく述べるなら1ℓの水に10gの塩を入れて茹でるのが定番だった。 それが、ここ数年は、その分量では麺をしょっぱく感じるように。そこで0.7%に押さえていたのだが、昨晩のパスタ(しめじとベーコンの和風)では、さらに0.5%に減らした。 湯切りした麺を味見して 「ああ、いいよ、いいよ、これで」 と納得。ここに具材を加え、だしや醤油や料理酒(いずれも塩分を含む)で味付けすることを想定したら、このくらいの塩加減で十分だ。 コシも申し分ない。 結局、加齢による運動量低下で、体が以前ほど塩を求めなくなったというのが本当のところ?
2021.10.13
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(注)10月2日に書いた記事。 久方ぶりに、しそを使った和風パスタを作った。 パスタを茹でる時の塩の分量。家庭で作るには、水量に対して0.5%〜1%がベストとされていて、夫婦ともども酒飲みで明らかに甘味よりは塩味の方が好きな我家はずっと1%だったのだが、ここ1、2年、それでは麺をしょっぱく感じるようになってきた。 ん? これは、加齢も関係している? 最近では、0.7%にしている(水1リットルに対し塩7g)けれど、健康のことを考えたら、ギリギリである0.5%くらいにおさえてもいいのかも知れない、、、もしかしら。 まあ、塩分が強いほうが麺のコシがあるんだけれどね。 それにしても、味は塩気で決まるね。 一度、塩分を全く含まない無塩の素麺をデモしたことがあるけれど(つゆは減塩。カツオを多くトッピングする)、 「不味い」 の 「味がない」 のと、恐ろしく評判が悪く、舌がんを患ったご主人を持つ方が 「主人は普通の麺は染みると言って食べられないので、、、。無塩素麺は自然食品店に行かないと置いていないのに、こんな地元のスーパーで扱ってくれるとはありがたい」 とまとめ買いしてくれなかったら、売り上げゼロのところだった。 とは言え、この世には「無塩」が必要な人も必ず存在するし、まして「減塩」が求められる人は、その数倍多い。
2021.10.11
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(注)10月1日に書いた記事。 今日から10月。今年も残すところ3ヶ月だ。 先月、すなわち9月はストレスの多い月だった。コロナ・ワクチンをめぐって、夫と幾度となく激論を交わしたからだ。 気が休まる時がなく、血圧は降圧剤を投薬されているにもかかわらず上昇気味。アトピーも悪化し、鼻の周りには、還暦を過ぎた身でしっかりとニキビが出来てしまった。 現在、私の体内をまわりめぐっている血は、さぞドロドロに濁っていることだろう。 ワクチン接種2回目を終えたと、複数登録している派遣会社にメールしたら、いずれの社も今までの反応と違い、さっそく仕事を回してくれたところもあった。 これが、世間というものなんだろう。法律違反になるため公には口にしないが、本音では、食品を扱う仕事である以上ワクチンは受けて欲しいのではないかな、、、仕事をまわす側は。 眼科の先生には、眼底出血の後遺症がまだ残っているからモノが歪んで見えるのであって、悪化しないためには血圧を上げないことだと言われた。 「血」を浄化する戦い。 今後も続きそうだ。
2021.10.11
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(注)9月22日に書いた記事。 納豆と麺類のコラボも数えきれないほど担当した。 納豆うどん、納豆そうめん、納豆そば、納豆パスタ。 いずれも好評だったが、特に人気があったのが、納豆そば。 これは、味が理由ではなく、納豆とそばとそばつゆの色調(トーン)が、たまたま一致していることによるビジュアル効果だと思う。 納豆の橙色(だいだいいろ)、そばの灰色、つゆの茶色。どれも、鈍さを感じる橙色であり灰色であり茶色でしょ。 インテリアもそうだけれど、料理も食材間の色調(トーン)がそろっていると自然なものに感じられ、補色効果(例えば赤いマグロのつくりに緑のわさびを添えると互いに色が引き立ち、より美味しそうに見える)とはまた別の次元で見栄えがよくなるのだ。 つまり、色彩感覚を磨けば、組み合わせる食材や料理を盛る器やテーブル上の小物などを一工夫することで、出来上がった料理を美味しく見せることも可能になるということ。 このテク。実は、私たちデモンストレーターもしばしば使っている。 そりゃ、そうだ。美味しそうに見えたら試食数も伸びて、そのことが売上につながるからねえ。 食のデモンストレーションは、こんなことも気付かせてくれる。
2021.10.08
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(注)9月21日に書いた記事。 納豆のデモで印象に残っているのは他にもある。 納豆カレーである。 何のことはない。出来上がったカレーに納豆を混ぜ込む(出来あがる直前に)だけ。 ただ、デモンストレーション自体は、納豆を宣伝販売する目的で請け負った関係から、カレーライス(チキンカレー)の上に納豆を乗せて提供した。お客様の手でカレールウと納豆を混ぜ、食べていただく形をとったのだ。 味は大好評。納豆が得意でない人も、カレールウといっしょにすると臭いや粘りが気にならなくなり、すっと口に入る。 仕事の関係で家族そろってインドから日本に来ていると語った男性は、 「これ、インドの豆カレーの日本版ですネ」 と口元をほころばせた。 聞けば、豆カレーは、インド人にとっては日本でいう「おふくろの味」的な存在。宗教上の関係か、インドにはベジタリアンも多いので、そんな家庭ではタンパク源として豆がよく食べられるのだそうな。 「いろいろな複数の豆を入れます。私たちはベジタリアンではありませんから、チキンも入れますけれどネ」。 はあ、、、野菜と豆だけの、あのカレーね。 遠い昔、自然食品を扱うレストランで食べたことがある。 正直、水っぽいと言うか味がぼやけていると言うか、あまり美味しくなかった印象がある。 いやいや。ルウの段階からして動物性素材を用いることがなくても、スパイスの工夫次第で美味しいカレーを作ることは、不可能ではないのかも知れない、、、本場のカレーはね。 実際、本場のインドカレーの作り方、ちょっとググればレシピはたくさん出てくる。 ただ、ここで、 「作ってみよう」 との気持ちにセーブをかけるのが、やはりスパイス。 クミンシードくらいならともかく、他のあまり聞き慣れないスパイスの数々。 使い切れる自信、あります? 下手をすると、カレーを作ったが最後、戸棚の隅で場所だけ占領してしまう可能性もあるような、、、。
2021.10.08
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(注)9月20日に書いた記事。 一昨日の記事にも書いた。10年ほど前、舞鶴(京都府)でプレーンヨーグルトの宣伝販売を担当した時、お客さんの1人に、キムチの残り汁にプレーンヨーグルトを混ぜ込んで作る(好みで醤油や味噌を足してもOK)「キムチヨーグルトソース」を教わったこと。 「さっとゆがいたり焼いた肉にかけると、メチャ美味しいで」 との言葉と共に。 キムチと納豆を和えた「キムチ納豆」が食材を通じての韓国と日本の握手なら、「キムチヨーグルトソース」は、やはり食材を通じての韓国とブルガリアのコンビ。もし隠し味として醤油や味噌を使うなら、日本をも加わった食トリオだわ。 これは音楽でも同じ。ジャズやロックで、元は一部の国だけで演奏されていた、いわゆる民族楽器が加わって新しいサウンドが生まれたケースは枚挙にいとまがないし、保守的とされるクラッシック音楽だって、作曲家が異国の音楽に惹かれてその旋律や作風を自作に取り込んで応用した曲はたくさんある。 絵画もそうだね。有名どころでは、あのゴッホは日本の浮世絵に多大な影響を受けた。 こんなふうに、味覚とか聴覚とか視覚とか、右脳が働く分野では、人間はいとも素直に国境を超え、争いどころか互いに共鳴し合って新しいものを生み出すことが出来るのに、政治やら経済やら思想など、左脳が働く分野では、どうしてそうならないの? むしろ、国と国が接する際に諸々の利害やプライドが絡んできて、軋む場合が少なくないよね。 「理」(=左脳)を基本にした政府間だけの外交では解決されないこと、たくさんあると思う。だから、「情」(=右脳)に訴えるタイプの、主に民間による外交も必要なのだ。 このためにも、コロナがおさまって、また食べ歩きやコンサートや展覧会を楽しめる社会にならないといけない。
2021.10.07
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(注)9月18日に書いた記事。 納豆のデモで印象に残っている試食メニューは、「キムチ納豆」の他には、「納豆サンドイッチ」がある。 これは、子どもに大受けした。 作り方は簡単。タレと辛子を加えた納豆、ツナ、マヨネーズ、そしてみじん切りしたタマネギと小口切りしたネギを混ぜてコネコネし、バターを薄く塗ったサンドイッチ用パンに挟むだけ(個人的な見解だが、好みでタマネギはカットしてもよいのではないかな)。 まあ、切るのがキッチン鋏を使ってもちょっと大変だし、食べる時、特に子どもはポロポロこぼすから、拭き取るためのウエットティシュとペーパーを常備しておかないといけないけれどネ。 それにしても、偶然。 キムチ納豆も納豆サンドイッチも、異国間の食材がガッチリとぶつかり、互いの個性を主張しあった結果、争いどころか反対に思いもかけぬ味のハーモニーを呼び込み、生まれたメニューだ。 この事実と、実際に口にした時の感動を取り上げれば、政治や軍事や思想や経済が絡む国と国との軋轢や介入が、いかにも愚かなことだと感じられてしまう。 食材でも、それぞれの個性を声高にではなくあくまで自然に主張するには、個々の食材が対等の立場でなければならない。つまり、互いにリスペクトし合っていないといけないのだ。 こう考えていくと、食の世界は、なかなかに奥深いものを持っている。
2021.10.07
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(注)9月18日に書いた記事。 納豆の宣伝販売は数限りなく担当してきた。 試食メニューも、定番の「納豆ご飯」をはじめ、「納豆そば」「納豆とツナのサンドイッチ」「納豆トースト」「納豆の手巻き寿司」の他、めかぶと和えた「めかぶ納豆」、味噌汁の中に入れる「納豆汁」(付属のタレと辛子は除く)、そして外してはいけない「キムチ納豆」など、さまざま。 キムチと納豆を混ぜ混ぜし、ごま油をたらしてネギとゴマを散らしただけの「キムチ納豆」(辛子はカット。タレも好みでカット)を、なぜ「外してはいけない」と、わざわざ強調する形で書くのか。 それは、このメニューが、根強い人気を誇っているからである。 食材こそ違え、キムチも納豆も、共に発酵食品。よって、思いのほかマッチする。 しかも、キムチのピリ辛が納豆によって、納豆の独特の匂いがキムチによって、それぞれ緩和され、食べやすくなるのだ。 プラス、キムチの腸をきれいにする食物繊維と納豆の肌に張りを与える植物性タンパク質がガッチリと手を結ぶ、健康食品にして美容食品。 年齢や性別を超えて受けないはずがないわ。 このキムチ納豆を考案したのは、誰だろう? 私が結婚した1980年代前半は、どちらもまだマニアックな存在で、一般には現在ほど広く食べられていなかった。 もっともキムチの方は、88年のソウル五輪を契機に、けっこう普及した気がする。 同時に、納豆はもちろん、豆腐や厚揚げ、うどんその他、和の食材とのコラボも。 なお! 意外だと思われるかも知れないけれど、キムチは、同じく発酵食品のプレーン・ヨーグルトともよく合う。 このことを教えてくれたのは、舞鶴市駅前のスーパーに某社のプレーン・ヨーグルトの宣伝販売で行った時に会ったお客さん(男性)。 「うちの家は、キムチの残った汁にプレーン・ヨーグルトを混ぜ込み、ソース作るねん。これをさっと茹でたり軽く炒めた豚肉の上にかけて食べる。メッチャ美味しいで。おねえさん(私のこと)、試してみなはれ」。 ハイ。 試しました。 お客さんがおっしゃる通り。 ついでに。 通常なら捨てる汁をこうして活かすことが出来た。 ここいらも、節約志向の主婦にはありがたかったね。 美味しく感じるものに、生育歴の違いからくる国境はあれど、、、いや、究極的に考えたら、ないわ。 絶対にない。 だって、美味しいものを食べたら、みんな幸せになるでしょう? ここがポイント。 その土地、その階層、その年代。 それぞれに応じてアレンジしたらいいのよ。
2021.10.05
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(注)9月17日に書いた記事。 「息子の嫁さん、味噌汁にマヨネーズ入れんねん」 初対面で、同業者ではあっても登録派遣元は別の私にそんな内輪のことを彼女が話したのは、きっと私が雑談の中で、 「どんなにしんどい時でも味噌汁を飲むと私は元気が出る」 と、明かしたからだろう。 コロナ禍で試食販売の仕事がほぼ無くなる直前の話である。 彼女が語るところによると、息子さんのお嫁さんは、なかなかの料理上手ながら、外国人なので日本人とちょっと味覚が違うのかも知れないと。 「お嫁さんが作るその味噌汁、美味しいんですか?」 私は尋ねた。 「味噌とマヨネーズは合いますから、ソースにするには頷けるんですが、汁となると、、、」 彼女は答えた。 「それが、味自体はけっこうイケる。ただ、味噌汁の表面にマヨネーズの油分が浮かぶから、見た目で受け付けへん人もいるやろね」 彼女は 「こういう思いつきは外国人ならではかも」 と続けた。 「何でも、私たち日本人が味噌汁として飲んでいる味噌汁は、嫁さんが育った国の人にはあっさりし過ぎてコクが足りないと感じるみたいで。マヨネーズを加えたらちょうどよくなると話して」 ふうむ、、、。 味噌汁にマヨネーズねえ、、、。 私はまだ試したことはないが。 考えてみれば、今や国民食となっているカレーも、ナンではなく炊いた米の上にかけることにより、カレーの故郷インドのそれとは異なって異国の日本で発展してきた。 現在では、北海道から沖縄までのそこかしこに、その地ならではの食材をいかした「ご当地カレー」もあふれている。 これは、ひとえに、カレーが元々はアチラなものだったからではなかろうか。 「アチラなもの」だったからこそ、本場ならではのこだわりやプライドがない自由な発想で、味なり個性なりを追求出来たのだ、、、味噌汁にマヨネーズを入れた、仕事仲間のお嫁さんのように。 外国の人からみた日本の大衆食。 これは参考にしてよかろう。 「これはこうでなければならぬ」 という、思い込みに発展しかねない固定概念から抜け出すきっかけになるかも知れない。
2021.10.05
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(注)9月15日に書いた記事。 白だしをはじめとする液体だしの宣伝販売は、数え切れないほど担当してきた。 その中で、忘れられないデモが1つ。 キャベツとベーコンをメイン具材に作ったスープを試食として提供し 「液体だしは和食料理に使うイメージが強いけれど、実は洋食にも使えるんだよ」 とアピールしたデモである。 このメニューは好評で、用意したレシピカードがたちまち無くなった。 プラスの感想を寄せてくれたのは、主に30代から40代とおぼしき主婦。 「これなら、パンにもパスタにも合う」 「手間がかからないし、コンソメよりもあっさりした味」 「野菜がたっぷりとれてヘルシー」。 デモを実施したスーパーの中にある飲食店でパートをしていると語った女性は私に言った。 「だしで洋風スープが出来るなんて知らなかった。思い込みってすごいね」。 そう、人間、思い込み、すなわち固定観念にとらわれると、そこから抜け出すのは極めて難しい。 それは、なぜ? 次回で記事にする、息子さんの外国人妻が作ったマヨネーズ味噌汁に回答のヒントがあるかも知れない。
2021.10.01
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(注)9月14日に書いた記事。 振り返れば、デモンストレーター初仕事は、17年前の白だしを使ったお吸い物だった。 このデモを通じ、私は、粉末やパックタイプのだしは使ったことがあっても昆布なり鰹なりでイチからだしをとったことがない人がけっこういることを知ったのだ。 うーん? 私が結婚した1980年代前半にも市販だしを使う人はいたが、まだまだ最初からだしをとる人も多かったね。 もっとも、(だしをとる人が減った)そのおかげで、当日の白だしの売上が上々だったのだろうけれど。 だって、白だしなら、それをお湯で薄めて具を浮かばせたらお吸い物が 「ハイ出来上がり」 だもんね。 まあ、忙しい時は確かにメンドイわなあ、、、だしをとるのは。 でも、時間がある時はやってみて欲しい。 正直、絶品ものでございますよ、1番だしの香ばしさまろやかさは。 そのまま飲めるほどだから、味付けが塩オンリーのお吸い物レシピが存在することにも納得できる。 で、この1番だしをとった後に少し鰹を足してとる2番だしもまた感動的な美味しさ。 そう言えば、リーフスタイルのお茶が売れなくなったのは、茶葉でいれたお茶がどんなに風味豊かなものかを知っている人が減ったからだ、と書いてある記事を読んだことがある。 だしも、もしかして、そうなる?
2021.10.01
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