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創価学会初代会長の牧口常三郎先生の願望は、『いかなる社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間を創(つく)りたい』ということであったそうです。いかなる波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間・・・。それは、決定的な勝利を意味する。それは、人生の途上(とじょう)で、さまざまな困難があったとしても、必ず乗り越え幸福境涯(こうふくきょうがい)を、勝ち取っていける人間。単純(たんじゅん)に言うと、牧口先生は、どんな人でも、絶対的な幸せを、つかんでほしい!と願ったのかも、しれません・・。そして、絶対的幸福を、現実に、すべての人に可能にしたのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんだと思う。確かに、創価学会は、昔、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと、バカにされた。けれど、その人たちが、どうなったか?と言えば、貧乏人は、裕福(ゆうふく)になり、病人は、健康になっていった。そして、現実の結果として、幸せの姿(すがた)を、あらわしている!!これは、創価学会の実践する南無妙法蓮華経の仏法が、実際に、あらゆる人の悩みや問題を、解決し、どんな困難も社会の波瀾(はらん)も、乗り越えさせ、一人一人を最高に輝(かがや)かしい人間として、幸福にしきってきた!ということです。それだけのパワーと力(ちから)とエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、ある!!ということです。だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、素晴らしい人材が、続々と社会で、活躍(かつやく)している!たしかに、社会には、さまざまな困難がある。壁(かべ)がある。どんな波瀾(はらん)が、押(お)しよせてくるかも、わからない。けれど、それらを乗り越えないかぎり、幸せを、つかむことば、できない・・!だから、幸せになるためには、社会のあらゆる波瀾(はらん)に打ち勝っていける人間になるしかない!!!そのどんな社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間に、確実に、必ず、なっていける、最高にして究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・!
2010.01.29
仏法に『神天上(かみてんじょう)の法門(ほうもん)』という法則が、説かれています。仏法でいう、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守るという契約(けいやく)を、しています。その法華経とは、すべての人に、最高の幸せを、もたらす、幸せの根本法則のようなものです。すなわち、法華経(ほけきょう)とは、すべての人を、幸せにすることのできる、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』のようなものです。幸不幸から、考えるならば、生命というのは、その『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、どれだけ、たくさん、とり、どれたけ、たくさん、食べるか?で、幸せになれるか、なれないかが、決まると、言えます。その『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』が、『法華経(ほけきょう)』なんです。ということは・・・『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べるということは、『法華経』を、どれだけ、たくさん実践(じっせん)したか?どれだけ、真剣に実践したか?ということに、なってきます。だから、『法華経』を、真剣に、たくさん、実践していくことが、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べることになります。そして、神々は、その『幸せの元(もと)』、『幸せの原料』を、人々が食べたあとの、「残りかす」・・ようするに、幸せに、ただよう匂い(におい)、幸せに、まとわりつく香り(かおり)を、食べて、生きていると、されています。だから当然、神々は、幸せの原料、幸せの元が、たくさん、あるところに、集まってくるわけです。これは、なんとなく、わかると思います。人間だって、幸せの人の周(まわ)りには、人が、たくさん、集まってきますが、不幸の人の周りからは、どんどん、人が、去っていきます。これと、同じ原理です。神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守ると、契約(けいやく)を立てているわけだし、だいいち、神々の好物である、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)は、法華経を実践する人から、できてくるので、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)を、食べたいので、法華経を実践している人がいる、その土地、その場所に、居座(いすわ)っていると、いうわけです。ところが、人々が、法華経に違背(いはい)して、でたらめな宗教に走ったり、法華経自体を、捨て去っているために、神々は、法華経の行者を守るという、契約を、守ることも、できず、好物の『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、食べることが、できないので、愛想(あいそ)が、つきて、とうとう、その土地、その場所を、離(はな)れ、天上界に、帰ってしまうという、話しです。これが、仏法で説かれる、『神天上(かみてんじょう)の法門』です。今、日本に、はびこっている、神社、仏閣(ぶっかく)は、すべて、真実の法華経とは、かけ離(はな)れた、でたらめなことを、やっています。ようするに、金儲け(もうけ)しか、考えていないし、教義(きょうぎ)なんて、デタラメで、無いに等しいというか、無いより、まだ悪い、かってに、教義を、ねじまげて、金儲けに、利用しているだけです。だから、神々は、愛想(あいそ)が、つきて、天上に、去(さ)ってしまっていますから、いくら、神社、仏閣を、立てたところで、そこに、神々など、いません!じゃあ、神々が去った、空(から)になった神社、仏閣に、何が?いるかと、いうと、神々が去ってしまって、空き家になっているので、「これは、ちょうどいい!」と、悪鬼、魔神、化け物、ゲテモノが、住み着くことに、なります。だから、神社、仏閣だと思って、手を合われたり、願い事を、したところで、それは、悪鬼や魔神、化け物、ゲテモノに、祈りを、ささげることになり、そういう、化け物に、祈りを、ささげるということは、化け物に、命をささげる結果になり、自分の生命に、悪魔や化け物が、乗り移る形になり、さまざまな形で、その人の人生に、不幸が出現してきます。これが、宗教における、不幸になる原理です。だから、正月などに神社や仏閣(ぶっかく)に初詣などに行きますが、人々は新年なので良い事があるように神社や仏閣に行きますが、新年早々、不幸になる原因を作りに行っているに過(す)ぎません。実際、真剣に祈れば祈るほど、どんどん不幸になっていきます。ひどいことを言っているようですが、本当のことだから、しょうがありません。間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、不幸にしてしまうんです。神社だから、仏閣だから、神聖(しんせい)なのではないか・・と考えるのは、間違えで、本当は、逆に、神社や仏閣などの間違った宗教が、不幸の根源(こんげん)には、あります・・。これが、本当のところです。そのことに、早く早く、気づいてほしい・・・。それとは、逆に、さきほどの『神天上の法門』から、考えるならば、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を守る契約(けいやく)を、結(むす)んでいるわけだし、ようするに、自分が、法華経の行者になれば、神々は、その人を、守るために、天上から、戻(もど)ってくるわけです。その重要な『法華経(ほけきょう)』ですが・・・、法華経といっても、その時代時代によって、その表現の仕方が、違います。そして、今の時代の法華経とは、実は『南無妙法蓮華経』の七文字なんです!この『南無妙法蓮華経』の七文字が、法華経なんです。だから、この『南無妙法蓮華経』の七文字が、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』に、なるわけです。そして、神々は、その『幸せの元』『幸せの原料』を食べた、残りかす、(香り(かおり)とか、匂い(におい))を、食べて生きているわけなので、ぼくたちが、その『幸せの原料』を、たくさん、たくさん、食べれば食べるほど、神々が、自分の周り(まわり)に、集まってくるわけです。神々が、自分の周りに、集まってくるので、当然、その自分は、幸せになっていくわけです!!!その『幸せの元』『幸せの原料』を、食べるということが、実は、『南無妙法蓮華経を、となえる!』と、いうことです。だから、南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、『幸せの原料』を、たくさん、食べることになり、当然、幸せの、残りかす、幸せの香(かお)りや匂(にお)いが、たくさん、でるので、神々は、大いに喜び、どんどん、集まってくるわけです。そして、神々が、集まれば、集まるほど、当然、自分は、守られ、幸せになっていきます。それが、創価学会が、実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる!』という、生命を『幸せ』に変革していく、仏法の実践(じっせん)です。 だから、神々は、神社、仏閣にいるのでは、なく、『南無妙法蓮華経を、となえる人』のもとに、いるんです。『南無妙法蓮華経を、たくさん、となえる人』のもとに、神々は、たくさん、集まってくるわけです。しかも、南無妙法蓮華経の法華経を、現実に正しく実践しているのは、創価学会だけなので、『創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえる仏法を、実践している人』のものに、神々は、集まってくることになります。だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるわけです。この話しは、具体的に、人間のような形をした、神々が、いるという説明ではなくて、『幸せになるための、生命の原理』を、説明したものです。そして、実際に、そうなります!!!!それは、幸福と勝利の姿(すがた)を通(とお)して、世界192ヶ国の創価学会の人たちが、証明しています・・・!
2010.01.26
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『仏法に無駄(むだ)はない。仏眼(ぶつげん)・法眼(ほうげん)で見れば、信心の途上(とじょう)でぶつかる苦悩や課題は全部、意味がある。祈り、戦い、負けずに進んでいけば、あとで振(ふ)り返ったとき、一番良い方向に進んでいたことがわかります』創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、本当に『無駄(むだ)がない』んです!!ようするに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を根本にして、人生に挑戦していくと、やったことすべてが、報(むく)われていく!ということです。努力が、すべて、幸せと勝利の結果として、花開き、実(み)を結(むす)ぶということです。そうなるのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。普通、人生、だれも未来は見えない。どうなるかも、わからない。もちろん、タイムマシンなんて無い・・・。もちろん、人それぞれ、未来を良くするために努力はするけれど、最高の結果と未来を生むには、どうしたらいいかなんて、本当には、わからい。けれど、この創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、実践していくと、見えないはずの未来が、なぜだか見えてるように行動することが、できるようになってくる。まるで、タイムマシンで未来を見てきたみたいに、最高の結果を生む方向に行動し進んでいける。それは、自分では気がつかないかもしれないけれど、結果として、一番良い方向に進んでいける!単純(たんじゅん)に言うと、自分にとっての最高の幸せ、最高の勝利を、つかめる!!ということです。なぜだか、必ずそうなっていけるのが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。未来は、どうなるか、わからない。まして、最高の結果を生む方向に進めるか?なんて、普通は、わからない。けれど、この南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、つらぬいていった時、まるで、未来を見る事のできる千里眼(せんりがん)のように、あたかも、タイムマシンで未来を見てきたように、結果として、一番良い方向に進んでいける!そうなっていけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!
2010.01.21
創価学会は、世界192カ国に広がっているわけだから、いろいろな人がいる。ヨーロッパなど、海外では合理的で個人主義的な考えの方も多いようです。だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を説明するのにも、日本とは説明の仕方が違うそうです。どこの国でも根本的には変わらないと思うけれど、海外の創価学会員に説明する時、その時の状況や個人によって違うとは思いますが、だいたい、『だからこそ!』という話しをすると、納得(なっとく)することが多いそうです。人それぞれ、悩みはある。こうだから、だめなんだ。とか、こうだから困ってしまう。とか、「こうだから」ではなくて、『だからこそ!』・・ だからこそ、がんばる!だからこそ、戦う!だからこそ、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰によって、悩みを解決していく!だからこそ、創価学会の信仰によって、宿命(しゅくめい)を変革し、境涯(きょうがい)を変え、幸せになっていく。「だから」ではなくて『だからこそ!』「だから」から『だからこそ!』への変換(へんかん)!!一見(いっけん)、「だから」に『こそ』を足(た)しただけだから、あんまり変わらないように思うかもしれない。 けれど、「だから」と『だからこそ』では、天国と地獄(じごく)くらい違ってくる!「だから」は愚痴(ぐち)の命です。こうだから、だめなんだ。こうだから、もう・・・。「だから」を並べたら、切(き)りがないかもしれない。「だから」にはいつでも逃げ道があり、後ろ向きの命が出てしまう。けれど、『だからこそ』だと180度違う!!だからこそ、がんばろう!だからこそ、戦うんだ!だからこそ、この南無妙法蓮華経の仏法の信仰によって、宿命転換(しゅくめいてんかん)していこう!そこには、どんな時にも愚痴(ぐち)がない!どんな状況でも、その状況を出発点として、前向きに挑戦していく清々(すがすが)しい希望がある!『だからこそ』だと、たとえどんな状況でも、絶対に愚痴(ぐち)はないし、後ろ向きにはならない!どんな時でも前向きに挑戦していける!それが、『だからこそ』なんです!だから、『だからこそ』という発想は、スゴイことだし、素晴らしいことなんです!けれど、ここまでだと、どこかのセミナーと、たいして変わらない。いくら、『だからこそ』だと言ってみたところで、現実の苦難うずまく世界に生きていると、『だからこそ』の方が良いことは、わかっていても、現実には、それができないで、『だから・・』になってしまうことの方が、多いからです。これでは、だだの理屈にすぎません。けれど、これが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法だと、ガラッと変わってくる!創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、現実に確実に、『だからこそ』を可能にする、ものすごいパワーであり力(ちから)であり、エネルギーなんです!!南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、現実に人間の生命を変革してしまうんです!現実に人間の生命を、絶望から希望へ。あきらめから挑戦へ。悲しみから歓喜へ。宿命に打ちひしがれている自分から、宿命を打ち破る自分へ。夢をかなえていける強い自分へ。 自分の生命の中にある、あらゆる不幸を、幸せへと変革してしまうんです!それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、実際に、「だから」という、あきらめと苦悩の生命から、『だからこそ』という希望と挑戦の幸せの生命に、変革されていくんです!だから、悩みや問題を、解決でき、そして夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです!南無妙法蓮華経を、となえていくと「だから」から『だからこそ』に変わっていくんです!日本的に言えば、南無妙法蓮華経を、となえていくと『負(ま)けじ魂(だましい)』が、ふつふつと、湧(わ)き上がってくるんです!だから、勝てるんです!だから、幸せになれるんです!それが、「だから」から『だからこそ』へと大きく自分の心と生命を、変革しゆく、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!
2010.01.18
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践していったときの、個人の幸せと世界平和の関係について、だいたい、次のような例(たと)えを、話されています。創価学会の人たちが、この南無妙法蓮華経の仏法によって、幸せになっていく、その個人の幸せを、「豆腐(とうふ)」に例(たと)えるならば、世界平和は「おから」で、つまり、その副産物(ふくさんぶつ)で、自然のうちに成し遂(と)げられるのだ---------と。一人一人の幸福の中に、世界平和がある!ということです。この創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法というのは、スゴイ法則であり力(ちから)なんです!世間一般的に考えられているボランティア的な考えとは、わけが違うんです!!世界平和とか世界の幸せとかいうと、なんか、自分とは遠い感じがしてくる。自分を捨て、自分を犠牲(ぎせい)にしないと、世界平和や世界の幸福が、成し遂(と)げられないような錯覚(さっかく)に落ち入る場合もあるかもしれない。また、自分を犠牲(ぎせい)にできるような無私(むし)の人でないと、世界平和に貢献(こうけん)できないように錯覚(さっかく)する場合もある。けれど、この創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、違うんです!!自分の幸せと世界の幸せが、まったく反比例しない。自分が幸せになった分だけ、世界も、かけ算のように、幸せになっていく!それが、現実に可能で現実に実感できるスゴイ力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。南無妙法蓮華経は、世界を幸せにしていける最高の法則であるけれど、だからと言って、自分を犠牲(ぎせい)にすることは、まったくない!!この南無妙法蓮華経の仏法の信仰によって、自分が幸せになっていくことに、全力で挑戦していくことが、そのまま、世界の幸せに、つながっていく!しかも、確実に!!だから、どんな人でも、どんな環境の人でも、どんな立場の人でも、自分も幸せになると同時に、世界を幸せにしていくことが、できる!!こんなスゴイ法則であり力(ちから)は、他には絶対に、ありません!!!そして、最も重要なことは、この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、確実に、一人一人の問題や悩みを解決して、夢や希望を、かなえ、必ずその一人一人を、幸せにしていく力(ちから)が、ある!!ということです。しかも、南無妙法蓮華経は、世界を幸せにする最高無二(さいこうむに)の法則でもあるので、自分が幸せになった分、かけ算のように、必ず、世界も幸せになっていく!ということです!その一切(いっさい)の矛盾(むじゅん)がない、どんな人でも、世界の幸せのために生きていける、最高にして最大の方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!
2010.01.15
人は、それぞれ、生きていると、人生を一瞬(いっしゅん)にして決しなければならない場面に出くわすことがある。その時に、躊躇(ちゅうちょ)するか、決断(けつだん)して前へ進むか、それによって大きく人生が変わってきてしまう場合もあると思う。また、それほど大きな出来事ではなくても、一瞬にして、決断をするか、しなかいかで、一日や未来が、変わってきてしまう場合も、多いと思う。また、なにかの災害や災難にぶつかった時に、勇気を持って行動し、人々を助けることができたという場合もあると思う。そしてその時、躊躇(ちゅうちょ)し、行動ができなかったために、後になって、後悔(こうかい)するようなことも、あるかもしれません。それもこれも、一瞬(いっしゅん)の決断です。このさまざまな一瞬の決断の時に、勝つか?負けるか?が、決まってきてしまうということも、言えるかもしれません。よく、なにかの災害などの時に、創価学会の人たちの 、勇気あるスピィーディな善意の行動によって、創価学会に対する考え方が、180度、大きく変わったという例が、多々あるようです。もっとも、創価学会の人たちは、たくさんいますので、いたらない人も、たくさん、いるとは思います。けれど、一般的に、創価学会の信心と活動を真面目にやっている人たちは、何かあった時、そういう勇気あるスピィーディな善意の行動が、できる場合が多いようです。なぜ?それができるかというと、日々の生活の中で、創価学会の信仰と活動によって、人々に尽(つ)くすということが、身に付(つ)いているからです。けれど、それはただ単(たん)に、訓練(くんれん)を受けているという基準(きじゅん)ではなくて、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、自分の生命から、人々のために生きようとするプラスの心、人々を幸福にしていこうというプラスの生命が、自分の中から、自然に、湧(わ)き上がってきている!と、いうことです。そういうプラスの素晴らしい生命が、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、普段から自分の中から、湧(わ)き上がってきているので、何かあった時でも、自然にそういう善意の良い行動が、できてくる!ということです。これは、人々のためにプラスになるだけでなく、自分自身を大きく助け、自分の人生を大きく幸せにしていく結果となります。南無妙法蓮華経を、となえていくということ、そして仏法の実践活動である創価学会の活動をしているということは、その生命のプラスの力(ちから)、勇気、希望、決断力、挑戦する前向きな力、それらを、無限に開花させていくことに、なっていくんです。それは、最初に言ったように、人生において、一瞬(いっしゅん)で勝負を決しなければならない状況の時にも、大きな力(ちから)となって、その人を助け、幸せの方向へ、大きく動かしていきます。その瞬間を決する幸福の力(ちから)を、大きく開花させる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、あるんです!
2010.01.12
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言ってます。『最強無敵(さいきょうむてき)の妙法(みょうほう/ 南無妙法蓮華経)の利剣(りけん)を持つ私たちは、不幸を幸福に、宿命(しゅくめい)を使命に変えることができる。』妙法(みょうよう)の利剣とは、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえて祈る信心のことで、この創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる信心があるかぎり、不幸を幸福に、宿命(しゅくめい)を使命に、変えていけるということです。(ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です。)創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法は、どんな苦難が来ても、さあ!宿命転換(しゅくめいてんかん)の時だ。大境涯(だいきょうがい)を開くチャンスだ!と、腹(はら)を決めていった時 、一切(いっさい)を幸福への原動力に変えていけるんです!!池田先生が、言っています。『信心とは、永久に「蘇生(そせい)」であり、永遠に「復活」の道だからです。』永久に蘇生(そせい)、永遠の復活!スゴイ言葉だと思う!!創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、限界がない!ということだと思う。永遠に希望を持って生きていける!そして、現実に自分の生命を蘇生(そせい)させ、自分の人生を復活させて、生きていくことが、できる!こんなスゴイことは、他では絶対にないと思う!!!また、これだけの確信と希望を持って、生きていけることも、他では決してない!と思う。その最強無敵の、絶対にして永遠の希望が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!
2010.01.08
釈迦(しゃか)といえば、ほとんど知らない人は、いないと思う。お釈迦様(おしゃかさま)とか、いうこともあり、釈尊(しゃくそん)とも仏陀(ぶっだ)とも、呼ばれているようです。その釈尊(しゃくそん)が、僧侶(そうりょ/坊[ぼう]さん)について、言っています。『僧侶(そうりょ)は、葬式(そうしき)には、出てはいけない。葬式は、親族や親しい人たちで、やるものであって、僧侶が出るものではない!!そんな暇(ひま)があったら、今、現在、苦しんでいる人、困っている人の元(もと)に、行ってあげなさい!』本来、仏教に坊主(ぼうず)が、葬式に出るなんてことは、ないんです!ということは、どういうことかと言うと、現在、葬式とかになると、どこかの坊主が、金をもらってお経(きょう)を、あげにやってきますが、あれは、仏教でもなんでもない!!単なる金儲(かねもう)けのゲテモノ宗教だということです。あんなものが、仏教だと思われたら、釈尊が、あまりにも、かわいそうです。ようするに、金もうけのために、釈尊の仏教を、利用しているに、すぎません!!昔の権力者たちが、庶民を隷属化(れしぞくか)するために、葬式と仏教を利用して、今のような儀式(ぎしき)を、つくってしまったに過(す)ぎません。まあ、儀式があるから、体裁(ていさい)がつくこともあるかもしれませんが、まだ、それだけなら良いのですが、それらの葬式仏教にしろ、観光仏教にしろ、また、神社信仰にしても、それらは、あきらかに間違った宗教だと、いうことです。それは、ちょっとまともに考えただけでも、わかりますし、また、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った悪(あ)しき宗教であることが、わかります。それが、間違った宗教だというだけで、済(す)めば良いのですが、間違った宗教というものは、必ず間違った結果を、生み出すんです。原因と結果の法則から、考えれば、それは当然のことです。すなわち、間違った宗教に祈ったり、供養(くよう)したりしたら、自分は、かりに良いことだと思ってやっていたとしても、必ず不幸という結果が、返(かえ)ってくると、いうことです。人は、宗教にたいして、あまりにも無頓着(むとんちゃく)ですが、実は、宗教というのは、人間の幸不幸を決定づける重要な部分を,しめているんです!!ある意味、宗教というものは、とても恐(こわ)いんです!そのことを、人は、どうしても、わかろうとしない!!人に降(ふ)り掛(か)かってくる、さまざまな不幸。その不幸の根源には、かならず間違った宗教があるんです!宗教というのは、かならず、自分の生命に影響を与え、自分の人生に大きな影響を、与えてしまうんです!!だから、間違った宗教に祈りをささげたり、供養(くよう)をしては、いけない!!と言っているんです。それは、間違った結果、すなわち、なんらかの不幸が、必ず自分の生命と人生に、返ってきてしまうということです。その重要性に、人は、早く、早く、気づくべきです・・・!では、その間違った宗教による悪しき影響を、断(た)ち切るためには、どうしたらいいのか?それは、正しき、人々を現実に幸せにしきることのできる宗教に、つくしかありません。それ以外に、間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る方法は、ありません!!その間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る真実の宗教が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!この正しき真実の仏法である、南無妙法蓮華経の仏法は、太陽のようなものなんです!太陽が昇(のぼ)れば、どんな影(かげ)も消え失(う)せてしまう。すなわち、南無妙法蓮華経の仏法という幸せの太陽が、昇(のぼ)ったならば、どんな不幸の影も、消え失せてしまうということです。それだけのスゴイ力(ちから)が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法には、あるんです!南無妙法蓮華経の仏法は、幸せを生み出す最大最強の力(ちから)であり、法則なんです。だから、かりにどんな悩みや苦難があったとしていも、この南無妙法蓮華経の仏法によって、悩みや問題を解決し、努力しだいでは夢や希望も、かなえていけるんです!!それが、創価学会が実践する、どんな不幸の影も消し去ってしまう、幸せの太陽のような、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!
2010.01.05
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『誰(だれ)かに愚痴(ぐち)をこぼしても、何も生まれない。題目(南無妙法蓮華経)を唱(とな)えて、ご本尊(ほんぞん)に悩みを訴(うった)えれば、勇気と智慧(ちえ)と力(ちから)が湧(わ)いてくる。智慧(ちえ)が光る。諸天善神(しょてんぜんじん)が、厳然(げんぜん)と、あらわれる。』ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です。また、諸天善神(しょてんぜんじん)とは、創価学会の南無妙法蓮華経を仏法を、実践していると、自分の夢や希望、祈りを、かなえることを、バックアップし助けてくれるような存在が、自分の人生に、現(あらわ)れてきます。こういう自分の祈りが、かなうためにどうしても必要な存在が、現実にあらわれてきたりする、その存在を諸天善神(しょてんぜんじん)と、いいます。また、そのような、あらゆる現象(げんしょう)を、諸天善神と、とらえることも、できます。よく人が言うように、本当の祈りというものは、弱いものが、おすがりするものでは、ない。本当の祈りというものは、強くないと、できないんです!そして、その祈りは、勇気と智慧(ちえ)と、強い強い生命の力(ちから)となって、自分の中から、わき上がってくるんです!そして、それと同時に、自分の夢や希望をかなえるために、どうしても必要な、自分をバックアップし助けてくれるような存在も、自分の人生に、現(あらわ)れてくる。それが、力(ちから)ある、本当の祈りなんです。だから、その強い祈りによって、内面的にも、外面的にも、自分の夢や希望を、かなえる、あらゆるものが、わき上がってくるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、祈りなんです!だから、よく人が言う、宗教なんて、弱いものがするものだというのは、おかど違(ちが)いで、強いから、祈ることが、できるんです!よく、創価学会を、バカにする人のような言い方を、させてもらえれば、『弱いから、祈れないんです!』自分の生命の中にある、『信じることのできない弱さ』、『祈ることのできない弱さ』が、その人に大きな悩みや不幸として、のしかかっている!と言うことが、できます。(だからと言って、間違ったものに祈ってはいけない。間違ったものに祈れは、どんなに強く祈っても、間違ったものに祈っているので、どんどん、不幸になっていくからです。だから、正しい対象に祈るというこが、とても大切になってゆき、創価学会の存在が、とても重要になっていきます。)創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法は、その信じることのできない弱さ、祈ることのできない弱さを、打ち破り、ご本尊に、真剣に、南無妙法蓮華経を、となえて祈ることによって、自分の弱さを打ち破り、勇気や智慧(ちえ)、挑戦しゆく強い強い生命力を、わきあがらせて、人生を勝利し、幸せになっていけるんです。そして、その強い祈りは、自分の周りや環境、世界をも動かし、自分の希望や祈りをかなえるために必要な諸天善神とも言える存在も、あらわれてくるんです。祈ることほど、強いことはないんです。祈ることほど価値があり、あらゆるものを、生み出していけるものは、ないんです!それが、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえて祈る』ということなんです。
2010.01.02
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