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池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、『「平和」といっても、遠くにあるのではない。 どんなに地道(じみち)に見えても、一人を大切に、一人を励(はげ)まし、一人を強く賢(かしこ)くしていくことであります。 そこにのみ、平和の世界が確実に、つくられていくからであります』と、言っています。創価学会が、なぜ、確実に、世界を平和にして行けるか?というと、創価学会が、だれよりも一人を大切にし、一人を励(はげ)まし、一人を強く賢(かしこ)くしていけるからだと、思う。それを、現実に可能にすることは、とてつもない難事業(なんじぎょう)です。けれど、その『一人の人間を強く賢(かしこ)くしていく』という、難事中の難事を、現実に可能にして、現実にひとりひとりの人間を、強く賢(かしこ)くしてきたのが、創価学会だと思う。だから、創価学会は、世界192カ国にも広がり、世界中から人材が続々と出てくるような大発展(だいはってん)を、しているそれは、深く立ち寄(よ)れば、ひとりひとりの悩みや問題を解決し、ひとりひとりの夢や希望を、かなえさせ、ひとりひとりを、現実に幸せにしてきた!ということです。それが、できるから、創価学会は、スゴイ!!それを、現実に可能にする『生命哲学(せいめいてつがく)』が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。人は、宗教をバカにする傾向(けいこう)がある。確かに、世間一般に広められている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などは、どんなに真剣にやったとしても、人間を強く賢(かしこ)くすることは、ありません。逆に、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰などは、あきらかに間違った宗教なので、人を強く賢(かしこ)くするどころか、やればやるほど、どんどん不幸になっていきます。だから、確かにそれらの宗教は、やらない方が良いし、不幸を作る原因にしかなりません。けれど、だからといって、創価学会の仏法(ぶっぽう)を、バカにするのは、お門違い(おかどちがい)で、真実の宗教というものは、現実に人々を強く、賢(かしこ)くしていくんです。人々は、なかなか、そのことを信じられない。けれど、現実に創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人々の悩みや問題を解決する力(ちから)となり、ひとりひとりを強く賢(かしこ)くし、幸せにしている。それは、そのまま、世界を着実に平和にしてきている!ということです。その創価学会に対する世界の評価は、素晴らしく、大変な期待と尊敬、賞賛(しょうさん)を、集めている。それが、世界の現実です。この創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰ほど、素晴らしい力(ちから)であり、エネルギーであり、法則(ほうそく)は、ないんです。現実に、一人一人を幸せにしていけるもの・・・!現実に、一人一人の悩みを解決し、夢や希望を、かなえていける力(ちから)となるもの・・!それを、現実に可能にしてきたのが、ひとりひとりを、だれよりも励(はげ)まし、強く賢(かしこ)くしてきた、『創価学会』であり、その無限の力(ちから)であり、可能性が、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!
2010.05.31
人間は、ほんのちょっとのことで、変わることがある。ほんのちょっと、何かが変わっただけで、未来が大きく開けてくる場合がある。勝利と敗北、それは、タッチの差かもしれない。実際、スポーツの世界では、ボールが、あとほんの1センチ、中に入っていたら、勝っていた。あと1センチ、ボールが外に出ていたら打たれなかったというのが、常識(じょうしき)です。人生も同じだと思う。何かが、あとほんの少しあったら、勝てたかもしれない。なにかが、ほんのちょっと変わっていたら、幸せになれたかもしれない・・・。それが、人生だと思う。光にしても、ほんのちょっとだけ角度が変わっただけで、時間とともに、その光がとどく場所は、大きく変わってきてしまう。ほんのちょっと、変わるだけでいい。それが、未来を開く『鍵(かぎ)』かもしれない。けれど、その、『ほんのちょっと変わる』ということが、どれだけ大変なことか・・!人間が変わるということは、実は、至難(しなん)の技(わざ)なんです。だから、人生は、難(むずか)しい・・・。だから、人生は、なかなか思うようにならない場合が多い。その『変わる』ということを、現実の人生の中で、可能にし、しかも、無限に変わっていける法則(ほうそく)であり、力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の実践なんです。だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです・・!南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命が、パッと変わっていくんです。その変化は、仮(かり)に、ほんのちょっとであったとしても、光の角度が、ほんのちょっと変わっただけでも、大きな違(ちが)いが、でてきてしまうように、南無妙法蓮華経を、となえたことによって起こる変化は、現実の本当の変化であるために、人生が、確実に、幸せの方向に変わっていくんです。やがて、その変化は、生命の根源(こんげん)からの変化であるために、自分のさまざまな悩みや困難を、解決することに、つながっていきます。いままで、どうしても解決しなかった悩みが、南無妙法蓮華経を、真剣にとなえていくことによって、不思議(ふしぎ)なくらい解決していくんです。そして、その生命の変化は、自分のさまざまな夢や希望をかなえる力(ちから)となり、自分の人生を、大きく幸せに開いていってくれることになります。それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。自分の生命を、本源(ほんげん)から、変えることのできるのは、この、創価学会が実践している『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだけなんです。生命を根源から変える唯一(ゆいいつ)の方法が、この『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちを、幸せにしている。また、それだけの力(ちから)があるから、創価学会は世界に広がり、世界中の識者から、賞賛(しょうさん)され、大きな期待を集 めている。それが、創価学会が、実践している、人生にとって最も困難で、最も大切な、『変わる』ということを、現実に可能にする、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
2010.05.27
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、『人間にとって大切なのは、いかなる思想(しそう)を持ち、いかなる行動をしているかだ。ゆえに人類最高の思想(しそう)を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対(たい)しても、胸を張(は)って、堂々(どうどう)と、わが信念を語っていくのだ。』と、言っています。人間は、当然、幸せを求め、人間として素晴らしいと思える生き方をしたいと思う。そのために、さまざまなことを学び、また、書物などを読んだりして、自分を高めようとする。けれど、思想(しそう)を探(さが)し、求めようとしているか?というと、そうでもないように思う。すなわち、『思想(しそう)』とか言うと、あんまり、おもしろくないからです。人は、おもしろいことが好きだから、堅苦(かたくる)しい思想とかを、真面目(まじめ)に求めるような人は、なかなか、いないと思う。けれど、戸田先生は、『いかなる思想を持ち、行動するかだ』と言っています。だから、思想(しそう)は、確かに大切なんです。そんな「思想」なんて考えなくても、普通に生きていれば、それなりの思想が身につくんだ・・と、言う人も、いるかもしれません。けれど、それで、本当に幸せになれるかというと、なれないことが多いのも事実だと思う。本当に幸せにはなれないということは、やはり、何かが、欠(か)けている!ということだと思う。本当は幸せになるために、欠けているもの・・・・。実は、それが、『思想』だと思う。すなわち、最高の思想は、最高の行動を生むことになり、それは、そのまま、最高の幸せにつながっていくからです。その人類最高の思想が、戸田先生が言うように、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。しかも、創価学会が実践している『南無妙法蓮華経の仏法』は、単なる思想というよりも、最高の思想を生み出すパワーであり、エネルギーであり、力(ちから)なんです。南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践することに よって、自(みずか)らの生命に、人生において勝利し幸福になるための『最高の思想』が、自分の中から、湧(わ)き上がってくる!ということです。そうなれば、その湧(わ)き上がった思想は、行動へとつながり、自分の人生を、幸福へ、勝利へと、大きく動かしていくことになります。それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです。最高の思想が、生命の底から湧(わ)き上がり、その素晴らしい思想を発散(はっさん)して、生きる!!そして、『南無妙法蓮華経』という、生命を幸福にするエネルギーは、自分のさまざまな悩みや問題を、解決していき、やがてその生命の底からの思想の力(ちから)によって、自分の夢や希望を、かなえていくことになっていきます。それが、現実の生活と完全に直結(ちょっけつ)した、南無妙法蓮華経の仏法という、『最高の思想』なんです。だから、戸田先生が言うように、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法という、人類最高の思想を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対しても、堂々(どうどう)と、胸を張(は)って、生きて行くことができます。なぜならは、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法という、人類最高の思想は、世界を幸せに変え、その人に、最高の勝利と幸せを、もたらすからです。
2010.05.23
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、沖縄を初訪問した時、着いた瞬間から、激励(げきれい)に次(つ)ぐ激励だったそうです。「まさに1分1秒も無駄(むだ)にしない気迫(きはく)を感じました」と同行者も言っていますが、沖縄の創価学会員の人たち、地域の人たちを、瞬間瞬間(しゅんかんしゅんかん)、真剣勝負で、激励(げきれい)していった。地元(じもと)新聞社の記者も言っています。「いろいろな人が沖縄に来るけれども、ここまで一人一人を激励される指導者は、いない!」その池田先生の真剣勝負の『激励』によって、築(きず)かれてきたのが、創価学会なんだと思う。また、その池田先生の真剣勝負の激励によって、創価学会員の勝利と幸せが、築(きず)かれてきたとも言えます。また、創価学会員ではなくとも、池田先生に励(はげ)まされ、大きな希望と勇気を、もらい、人生を、たくましく生きることのができた人たちも、数(かぞ)えきれないほどいる。また、池田先生の励(はげ)ましに、ふれ、創価学会に入った人も、たくさん、いる・・。また、池田先生の励ましの対話によって、世界の友好と平和が、どれだけ、築(きず)かれてきたかも、計(はか)りしれない。世界各国の指導者や識者、学者や芸術家などとの対談集は、56冊(さつ)にも及(およ)び、多くの平和を望む人たちに読まれ、影響(えいきょう)を、及(およ)ぼしている。それも、一人の人間を徹(てっ)して励(はげ)まそうとする池田先生の『激励』だと思う。またその激励は、一国の首相であろうと、一庶民であろうと、変わることがなく、ひとりひとりに大きな希望と勇気、生命に及(およ)ぼす感動となって、一人一人の人生を幸せに向かって、歩(あゆ)ませてくれているんだと、思う。それが、創価学会の師匠(ししょう)であり、世界の師匠であり指導者と言える、世界が認(みと)める『池田先生』なんです・・・!
2010.05.20
ドイツの文豪(ぶんごう)、ヘッセが、『大切なのは始めることであり、目を開くことなのだ』と、言っています。日蓮大聖人の御書(ごしょ)の中にも、『開目抄(かいもくしょう)』という御書が、あります。(御書とは、日蓮大聖人が書かれた論文(ろんぶん)や手紙を、集めたもので、それぞれ、その内容によって、何々抄(しょう)とか、何々論とかの名前が付(つ)いています。)その日蓮大聖人の御書(ごしょ)の中にも『開目抄(かいもくしょう)』という御書があり、文字通り、『目を開く』という意味で、人々の目を開く・・、生命の扉(とびら)を開く・・、不幸の闇(やみ)を打ち破(やぶ)り、幸せの扉(とびら)を、開くというような意味があると、思います。人間が持っている真っ暗(まっくら)な闇(やみ)・・・。人間に、つきまとう、さまざまな不幸・・。また、不幸の根本原因とも言える生命の闇(やみ)・・。その人々の生命に宿(やど)る、根源的(こんげんてき)な不幸を、打ち破るために書かれたのが、『開目抄(かいもくしょう)』だということが、できると思います。その生命に宿(やど)る根源的な不幸を、打ち破る秘宝(ひほう)が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。この南無妙法蓮華経の仏法(ぷっぽう)は、人々の目を開く『鍵(かぎ)』なんです・・!人間の生命が持っている悲哀(ひあい)、悲しみ、苦しみ、絶望、その生命を覆(おお)う闇(やみ)を、根源から打ち破り、本来の生命である、『幸せの太陽』を、昇(のぼ)らせるのが、日蓮大聖人の・・、また創価学会の仏法(ぶっぽう)である、南無妙法蓮華経を、となえる信仰なんです・・!この人間の生命の課題、根源的な苦しみ、悲しみ、もっと言えば、『不幸』を、打ち破ることのできるのは、はっきり言えば、この『南無妙法蓮華経』しかないんです!!他の何をやっても、これだけは、ダメです!!!南無妙法蓮華経しか、ありません・・!南無妙法蓮華経を、となえることは、『目を開くこと』そのものなんです・・!逆に言えば、南無妙法蓮華経を、知らず、南無妙法蓮華経を、となえない生き方は、わかりやすく言うと、目を閉(と)じて生きるようなものであり、どうしても、自己の生命の暗闇(くらやみ)を、閉(と)ざすことは、できません・・・。『南無妙法蓮華経』 イコール 『生命の目を開くこと』なんです!だから、南無妙法蓮華経を、となえていった時、どうしても解決しなかった悩みや問題が、解決し、壁(かべ)のように思えた夢や希望も、かなえていけるように、なっていくんです!ヘッセが、『大切なのは始めることであり、目を開くことなのだ』と言っていますが、人間の生命という観点(かんてん)から考えると、実は、最も大切なのが、この、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、始めることになります。そして、その時、生命の目が開かれ、自分の生命と人生に、本当の意味での幸せが、開けてくる・・・!それが、創価学会が実践している、不幸の闇(やみ)を打ち破り、幸せの目を、無限に開いていく、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!
2010.05.17
仏法(ぶっぽう)では、人間の生命の素晴らしさ、偉大さ、尊(とうと)さ、人間の生命の可能性を、『宝塔(ほうとう)』を通して表現しています。『宝塔(ほうとう)』というと、わかりずらいですが、宝塔とは、宝(たから)の塔(とう)です。金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で造(つく)られた、東京タワーのような塔(とう)に、人間の生命を、たとえています。その人間の生命の素晴らしさを、現(あらわ)した宝(たから)の塔(とう)、すなわち宝塔の大きさは、どれくらいか?というと、地球の半径もの高さがある塔(とう)だという。ようするに、見上げても見上げても、はるかかなたまである、肉眼では、見通(みとお)すことは、できない、計(はか)る事ができないほどのスケールを持った宝(たから)の塔(とう)!それが、人間の生命の偉大さであり、素晴らしさだと言う。その地球の半径もの大きさの塔が、すべて、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で、できている。それが、人間の生命であり、人間の生命の素晴らしさだと、いう。自分の生命に、それだけの宝があるなんて、とても、思えない・・・と、言うかもしれない。けれど、それだけ大切で偉大で、素晴らしいのが、人間の生命なんです。問題は、その生命の無限の宝、無限の可能性を、どうやったら、引き出すことが、できるか?ということです。また、金銀、財宝、あらゆる宝石でできた宝塔とは、いったい、何を意味しているのか?ということです。実は、その人間の生命の宝塔とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。南無妙法蓮華経とは、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石でできた生命の中に存在する『宝塔(ほうとう)』そのものなんです。南無妙法蓮華経が、生命の中にある、無限の宝(たから)なんです。もっと言えば、人間の生命の中にある、あらゆる輝き、あらゆる財宝、あらゆる可能性とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。宝塔(ほうとう)といえる素晴らしい、偉大な生命の宝(たから)は、『南無妙法蓮華経』以外、存在しないとも言えます!それほど、スゴイのが、『南無妙法蓮華経』なんです。地球の半径もの大きさがある宝塔・・・。そんなものが、自分の中にあったら、ぜひとも、その宝塔を出現させたいし、絶対、欲(ほ)しいと思う・・・。その自分の中にある無限と言える宝塔を、出現させる、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。これ意外に、自分の中から、生命の宝と言える『宝塔』を出現させる方法は、ありません!!だから、たとえ、どうしても解決しない悩みがあったとしても、どうしても乗り越(こ)えられない困難が、あったとしても、真剣に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中に、生命の宝と言える『宝塔』が出現し、ありとあらゆる悩みや困難を、乗り越え、解決していくことが、できるんです!そして、自分のざまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです!!だから、南無妙法蓮華経は、『宝塔』なんです!だから、南無妙法蓮華経は、人間の生命のなかにある、ありとあらゆる素晴らしい財宝となるんです!その自分の生命の中から、無限とも言える、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石の塔(とう)のような偉大な可能性、無限の勝利と幸せを、引き出していけるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2010.05.12
創価学会初代会長の牧口常三郎先生が、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に入信したときの気持ちを、こう述(の)べています。『言語(げんご)に絶(ぜっ)する歓喜(かんき)をもって、ほとんど六十年の生活法を一新(いっしん)するに至(いた)った。』生活を一新(いっしん)するほどの歓喜(かんき)!言葉では、言い表(あらわ)せないほどの歓喜!それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。南無妙法蓮華経は、生命における究極(きゅうきょく)の蘇生(そせい)の力(ちから)なんです。だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、生命が蘇生(そせい)し、いままで感じたことのない歓喜を、味(あじ)わうことになっていく。そして、自分の生命そのものが、変革(へんかく)されていく!!それは、そのまま、自分の人生を、変革していくことに、つながっていき、幸せに向かって、未来を大きく開いていくことに、なっていく。また、南無妙法蓮華経の生命を蘇生(そせい)させる力(ちから)は、自分のさまざまな悩みや困難を、解決する力となり、今まで、どうしても解決できなかった悩みを、解決することに、なっていきます。だから、言語(げんご)に絶(ぜっ)する歓喜なんです!だから、生活を、一新(いっしん)する歓喜なんです!すなわち、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰は、幸せをもたらす太陽のように、自分の生命に、かぎりなく大きな希望と歓喜と幸せを、もたらすんです!!それは、実際にやってみないと、わからないし、体験しないと、わからない。だから、わからなくても、ともかく、やってみることです!!その時、自分の生命に太陽が昇(のぼ)り、自分のもっている、さまざまな悩みが解決したり、生命に感じる大きな変化を、自分で、体験していくことでしょう。その証拠(しょうこ)として、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちに、幸せと勝利を、もたらしています・・・。それが、創価学会が実践している、生活を一新(いっしん)するほどの歓喜であり、言葉に言い表(あらわ)せない歓喜である、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・。
2010.05.09
聖教新聞に、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、友好と平和を築(きず)くため、ソ連を2回目に訪問した時の話しが、のっていました。ソ連での全日程を終え、池田先生が「さよならパーティー」に臨(のぞ)んだ際(さい)の様子です。池田先生は、話しました。「『よく、日本人は熱(ねっ)しやすく冷(さ)めやすい』と言われます。国と国との友好にあっても、確かにそうした傾向(けいこう)があることを、日本人の一人として私も残念に思っております。」最後のあいさつで、こう率直(そっちょく)に語ったあと、次のように決意を披露(ひろう)した。「真の友好とは、その場限(ばかぎ)りのものではなく、将来にわたる、崩(くず)れざる友好でなければなりません」「私は、永遠に日ソの平和交流を貫(つらぬ)いていきます----------- その決意を、遺言(ゆいごん)にも似(に)た思いで、ここに語っておきます。」と・・。このあいさつを聞いた女性が立ち上がり、嗚咽(おえつ)をこらえながら語り出しました。「私は・・・・今の池田先生の話しを聞き、先生の行動を見て・・・・・、初めて、通訳(つうやく)をしてきてよかったと心から言うことができます。 先生、ありがとうございました!」それは、池田先生の第1次訪ソ(ほうそ)の時から同行してきた、通訳の女性でした。日本人の悪い面を嫌(いや)というほど見聞きし、そして池田先生の誠実一路(せいじついちろ)の行動を目撃(もくげき)したからこそ、池田先生の言葉の真実が、胸に迫(せま)ったのだと思います。ガンジーの非暴力(ひぼうりょく)思想研究で有名なサンフランシスコ州立大学のルナイン教授は、かつて池田先生と出会った際(さい)の印象(いんしょう)を、次のように述懐(じゅっかい)しています。「多忙(たぼう)な要人(ようじん)といわれる人ほど、一時(いっとき)の出会いに心を込(こ)めない人が多いように思われます。一人に会った瞬間に、もう次の人との出会いのことを考え、『心ここにあらず』との印象(いんしょう)を与(あた)えることが、しばしばあります。しかし、池田先生は、『今、ここにいる人』に対し、最大の誠意(せいい)をもって、一人一人と人間としての温(あたた)かな交流を果(は)たされたのです。私は、そこに人間性の美の極致(きょくち)を見る思いさえしました。」そう大感動して、語られています。池田先生の人間外交(がいこう)は、人間対人間。一国の首相であろうとも、庶民(しょみん)であろうとも、変わらない。その池田先生の誠心誠意(せいしんせいい)の人間外交が、多くの難局(なんきょく)を、打開し、多くの平和と友好の歴史を、築(きず)いてきたのは、歴史上の事実です。その賞賛と評価が、池田先生に対する、世界の大学からの285におよぶ名誉学術称号(名誉博士や名誉教授など)や、660を超(こ)える世界の都市からの名誉市民称号(しょうごう)、28の国家勲章(こっかくんしょう)、また世界からの4000の顕彰(けんしょう)となって、あらわれているんだと思います。
2010.05.05
世間のニュースなどを、見ていると、暗い話しが多い。もちろん、明るい話題、楽しい話題もあるけれど、やはり、暗い出来事、ネガティプな情報が、多いのも事実だと思う。だから 、新聞なども一般紙は、暗い話しが、多くなってくると思う。ところが、聖教新聞(せいきょうしんぶん)は、違う。聖教新聞は、創価学会の機関紙だから、創価学会の情報も多く出ているけれど、大きな特徴(とくちょう)として、紙面に、希望の言葉、励(はげ)ましの言葉、人生を前向きに挑戦していける、ポジティブな言葉が、あふれている。それは、見る人が見れば、よく!わかる・・!ある少女がいた。・・彼女は、創価学会員ではないけれど、自分の家で聖教新聞(せいきょうしんぶん)を、とることになった。彼女は、その聖教新聞の記事を読み、聖教新聞が、大好きになった!なぜかというと、聖教新聞には、希望の言葉、勇気の言葉が、ちりばめられているからだ!そして、彼女は、自分が好きな言葉が出てくると、切り抜き、スクラップノートを作り、大切にしてきた。そのノートは、何冊(さつ)にも、なった・・!そして、彼女は、大人になっていく。彼女が独り立ちし、親元を離(はな)れる時、親に「創価学会にだけは、はいるなよ!」と言われたそうです。(笑・・)けれど、彼女には、確信があった。聖教新聞を切り抜いた何冊ものスクラップノートは、そのまま、彼女のこころに、希望と勇気と励ましとなって、刻(きざ)まれていた。そして、彼女は、創価学会に、入った!!なぜなら、それは、聖教新聞の希望の言葉の通り、『幸せの道』であり、『希望の道』であり、『勝利の道』だからです。そして、彼女は、創価学会の活動に、清々(すがすが)しく、希望と幸せをもって、取り組(く)んでいるそうです。創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰は、暗い世の中の、暗雲(あんうん)を、吹(ふ)き払 (はら)う太陽なんです。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命から、無限のポジティプな心を引き出し、開花していける!そうなれば、当然、悩みや苦難を乗り越(こ)えることができ、そのポジティプな生命から、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。こんな暗い様相(ようそう)の世の中だからこそ、南無妙法蓮華経の太陽がもたらす光は、無限に輝(かがや)いていく!!どんなネガティブも、追っ払(おっぱら)い、清々(すがすが)しく、無限の希望を持って、進んでいける!!それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』と、いうことなんです。だから、聖教新聞は、明るい!!希望が、あふれている!勇気が、みなぎっている!励ましの言葉に、満(み)ちている!心というのは、不思議(ふしぎ)です。希望があれば、どこまでも、開花していける。勇気があれば、人生は、どこまでも開いていける!それが、できるのが、創価学会が実践している、最強最大のポジティブ思考とも言える、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2010.05.02
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