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創価学会に入って、日々、南無妙法蓮華経を、となえて祈る、仏法(ぶっぽう)の信仰をしていると、『祈って、良かった!』と思えるようなことが、たくさん、起(おこ)ってくる。それは、どういうことかというと、『祈る』という行為(こうい)が、日々の生活の中で、現実に効果(こうか)をもたらし、結果として現(あらわ)れてくる!ということです。世間一般的には、「祈る」という行為が、日常の生活の中で、その効果を実感するようなことは、まず、ないと言っていいいと思います。なにか良いことがあっても、きっとあの時、祈ったから良かったんだと、後から無理(むり)やり、こじつけるのがやっとだと思う。世間一般的には、「祈る」という行為は、それほど、いいかげんなものであり、当てにならないものだと思う。それどころか、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても神社信仰にしても、観光宗教にしても、はっきり言って、でたらめな間違(まちが)った宗教なので、祈りば祈るほど、間違っているがゆえに、逆にさまざまな形で、不幸という結果がでてくるというのが、本当のところです。それに対して、創価学会の祈りは、違(ちが)う!!祈るという行為に対して、明確な結果が出てくる。祈るという行為が、生活を、人生を、幸せにしていく大きな力となる!日々、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、人生のさまざなな分岐点(ぶんきてん)において、『ああ・・! 本当に祈って良かった! 南無妙法蓮華経をとなえて本当に良かった!』と思えるようなことに、本当に実感として、出くわし、歓喜(かんき)をもって、それを認(みと)め、感じることができる・・!『南無妙法蓮華経を、となえて祈る』という創価学会の『祈る』という行為は、日々の生活や人生と、完全に直結(ちょっけつ)し、人生と未来をより良く幸せにしていくことと、正比例(せいひれい)して影響をおよぼしていく。『祈り』が、人生にとって、とても重要なことであり、かけがいのないことだと、実感できる。すなわち、南無妙法蓮華経をとなえて祈っていくことによって、さまざまな悩みや問題を解決していけ、希望に向かって、自分自身を大きく開花していけるようになっていく。本当は祈ることほど、スゴイことはない。祈ることほど、効果があり力(ちから)があるものはない。その最(もっと)も効果があり、最も自分と人生を良くし、悩みや問題を解決していけ、夢や希望をかなえていける道が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!
2012.01.28
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『私は、恩師(おんし)に見いだされ、「嵐に負けず伸(の)びよ」と、師弟(してい)の大地に植えられた一本の若木(わかぎ)であった。わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐(た)えられる。絶対に負けない。恐(おそ)れない。一日一日、青年の心をもって、胸中(きょうちゅう)で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜(ぬ)き、戦い抜いてきた。だから、勝った。だから、全民衆を護(まも)りゆく「大樹(たいじゅ)」の創価学会を築(きず)くことができた。一点の後悔(こうかい)もない。』わが心に原点の大地を持つゆえに、いかなる苦難(くなん)にも耐(た)えられる。絶対に負けない。恐れない。スゴイと思う。人生の真髄(しんずい)を感じる。師弟(してい)とは、それほどスゴク、素晴らしく、偉大(いだい)だということだと思う。人間の強さとは、何だろう?人間の幸せとは、何だろう?人間の原点とは、何だろう?負けない力とは、何だろう?その答えが、「師弟」にあるんだと思う。一般的に考える時、その決して負けない強力が原点と言える、「師弟(してい)」を持ち、築(きず)いていく生き方ができる人は、少ないと思う。堂々(どうどう)と自信をもって、師匠(ししょう)と呼べる人を持ち、その人と共に人生を生き、挑戦していくことのできる人も、少ないと思う。しかし、師匠とは、師弟とは、人生を負けず勝利していくための無二(むに)にして重要なことがらであることは、世界の良識(りょうしき)たちの一貫(いっかん)した見方であり、とらえかたです。だから、真実の生き方、真実の幸せを求めるならば、心の底から「師匠」を求めるべきであり、師弟の道に生きるべきです。けれど、世間一般的に、その師弟の道は、見当(みあ)たらない。それは、真実の道が見当たらないのと同じで、幸せを探(さが)しても探しても、つかめないようなものだと思う。だれもが求めている『強さ』の道。だれもが求めている『負けない』道。だれもが求めている確固(かっこ)たる『幸せ』の道。じつは、その確固たる強さの幸せの道をつかむことのできる生き方が、創価学会の生き方なんです。創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、世界最高の幸せの法則(ほうそく)であり、平和の法則であり、勝利の法則です。だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践するということは、その勝利の法則であり幸せの法則を、自分の人生のなかで、実践(じっせん)していくことになります。けれど、やり方がわからない。現実の人生において、仏法を、どう、とらえ、どう実践していくか、わからない・・・。南無妙法蓮華経の仏法は、すごいけれど、正しく実践しなかったら、功徳(くどく)も少ないし、本当の効力(こうりょく)を発揮(はっき)していくことも、できないでしょう・・。しかも、それは、幸せと勝利という、もっとも困難(こんなん)で、最も重要な人生の目的と言えるものです。それが、失敗の許(ゆる)されない、大変、繊細(せんさい)な問題であることは、だれでもわかると思います。だから、その最も重要で最も繊細な幸せと勝利をもたらす、最大にして究極(きゅうきょく)の力(ちから)である『仏法(ぶっぽう)』を、最高に実践し、一点の誤(あやま)りもなく示(しめ)してくれる、人間としての指導者(しどうしゃ)が、どうしても求められます。だから、どうしても、師匠の存在(そんざい)が求められます。その人生において最も重要で最も繊細な、人々の切(せつ)なる願いである、絶対の幸せ、絶対の勝利をつかむための、最高の師匠がいるのが、創価学会なんです。これは、ほかでは、けっして、つかむことのできないことです。また、それは、世界が認(みと)めることであり、池田先生は、世界の識者が認める最高の人間指導者と言えます。その師匠のもと、世界最高の幸せの法則であり平和の法則であり勝利の法則である、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)していくとき、その人は、偉大な輝(かがや)きを放(はな)ち、当然、勝利と幸せの人生を飾(かざ)っていける。それが、創価学会なんです。それができる場所が、創価学会なんです。いかなる苦難にも耐(た)えられる。絶対に負けない。恐れない。その生き方ができる唯一(ゆいいつ)の場所と言ってもいいのが、創価学会であり、その人間指導者が、池田先生であり、その、絶対負けない生き方を可能にする最高最大の力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2012.01.24
作家・山本周五郎が、言っています。『人間がいちど自分の目的を持ったら、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんなに強い迫害(はくがい)にも負けず、生きられる限り生きてその目的をなしとげることだ。それが人間のもっとも人間らしい生き方だ。』確かに、それは素晴(すば)らしい生き方だと思う。それは、だれもが望む生き方だと思う。人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。けれど、だれでも分かると思うけれど、それは、大変なことであり、至難(しなん)の技(わざ)だと言うこともできます。そんな生き方ができたら、人間として本当に素晴らしいと思うけれど、それが困難(こんなん)なこともわかる。けれど、その困難をなしとげていくところに、人間としての真の幸せも充実(じゅうじつ)も、生きがいもある。『人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。』実は、その困難の仕事を人生の中でなしとげていく強力な力(ちから)となるのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。信仰にそれほど、力(ちから)があるのか?と思うかもしれないけど、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法には、現実にその力が、あるんです。南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、現実を打開(だかい)し、現実を開いていける!あらゆる知恵や勇気、行動となって、未来を切り開いていけるのが、創価学会の仏法なんです。日々、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、その人の中から、無限の生命力を湧(わ)き上がらせ、蘇生(そせい)させていく。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から勇気と希望、情熱をたえず、湧(わ)き上がらせ、若々しく挑戦していける。創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分の生命を、精神を、たえず新しく蘇生(そせい)させ、後ろ向きにならず、前へ前へと前進させていく。だから、どんな困難にも負けないで、希望をつかんでいける!これほど強い、これほど無限のエネルギーはないんです。絶対に行き詰(づ)まりがない!!どんなことがあっても、必ず打開(だかい)していける!それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。ゆえに、山本周五郎が言うように、人間がいちど目的を持ち、その目的をなしとげようとした時、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんな迫害(はくがい)にも屈(くっ)しないて、目的を達(たっ)していくことが、現実にできるようになっていく。それが、目的に向かって、絶対に行き詰まりがない、どんなことも打開していける、無限のエネルギーであり知恵であり最強の希望となる、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです・・・!
2012.01.17
以前、聖教(せいきょう)新聞の名字の言というコラムに、良い話しがのっていました。それは、20代で関節リウマチを患(わずら)い、寝たきりとなった女性の話しでした。彼女は、心が荒(すさ)み、周囲への不満が募(つの)っていった。ある日、激励(げきれい)に訪(おとず)れた創価学会の女子部の部長が、枕元(まくらもと)で歌った。ナポリ民謡「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」。それもイタリア語だった。面食(めんく)らう彼女に部長が一言。「どんなにつらいことがあっても、生涯(しょうがい)、嵐が続くことはないのよ。」涙があふれ、周囲に感謝する心が生まれた。その後、彼女は自力で立てるようになり、友のために祈り走る広宣流布(こうせんるふ)のヒロインに成長していった。※ちなみに広宣流布とは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の思想と哲学(てつがく)を基調(きちょう)として、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。創価学会の強いところ、素晴らしいところは、こういうところにあるんだと思う。ひとりの人間が、ひとりの人間に、一対一で対峙(たいじ)し、徹(てっ)して励(はげ)ましていく。そして、ひとりを蘇生(そせい)さて、立ち上がらせていく。それができる土壌(どじょう)と哲学(てつがく)と生命のエネルギーが、創価学会にはあるんだと思う。無限の蘇生(そせい)のドラマを生み出す場所が、創価学会ではないかと思う。とかく、孤立化(こりつか)しやすい現代という世界。華(はな)やかに見える人もいるかもしれない。幸せそうに見える人もいるかもしれない。けれど、精神の底にある孤独の闇(やみ)が、どこかに潜(ひそ)んでいるのではないだろうか・・・。表面的には幸せそうに見えても、心の底に闇(やみ)が隠(かく)れている。その闇を押し隠して生きているような人も、いるかもしれない。その闇を、打ち破(やぶ)る場所が、創価学会だと思う。欲(ほっ)しても欲しても、満(み)たされない何か?がある。どんなに楽しく、幸せそうに振る舞(ふるま)っても、心の底に満たされない何かがある。人間が人間であることの証(あかし)・・・。人間が人間であることの希望・・・。人間が人間であることに尊厳(そんげん)・・・。そのだれもが心の底で、本当は欲している人間としての証(あかし)をつかむことのできる場所がある。自分が人間であることの明確な希望と尊厳(そんげん)を、心の底から感じ取ることのできる場所がある。それが、創価学会だと思う。自分が自分であることの希望。自分が自分であることの尊厳(そんげん)。自分が自分であることの証(あかし)。それを、明確に、心の底から歓喜(かんき)して、感じ、味わい、楽しんでいける場所が、『創価学会』であり、それを可能にする、哲学であり力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、心から思う・・・。
2012.01.12
以前、ブログのコメントで、「創価学会に入らなくても、南無妙法蓮華経をとなえていれば、大丈夫ですか?」という質問をされたことがあります。南無妙法蓮華経はスゴイので、となえないより、となえたほうが、全然、良いけれど、かといって、それで大丈夫かといったら、そういうことでもありません。南無妙法蓮華経の本当のスゴサは、人生を、自分を、世界や生命を、幸せに変革していく力(ちから)にあると思います。宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)していく力。世界を変えていく力(ちから)が、『南無妙法蓮華経』だと思います。けれど、ほんとうに悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえていくには、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に直結(ちょっけつ)した実践活動が必要になっていきます。いくら、南無妙法蓮華経をとなえても、現実に南無妙法蓮華経の仏法に直結した実践(じっせん)の行動がないと、自分の宿命は、変革され転換されていきません。ようすのに、南無妙法蓮華経はスゴイけれど、南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、自分の悩みや問題は、解決していかないということです。南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法の実践活動を現実にしていった時、その二つが合(あ)い重(かさ)なり、幸せが、かけ算されるように、さまざまな悩みや問題が解決し、自分の宿命が転換され、境涯(きょうがい)が変わり、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです。南無妙法蓮華経をとなえることと、仏法の実践活動の両輪(りょうりん)があってこそ、夢や希望がかない、幸せになっていけるんです。南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の力だし、南無妙法蓮華経をとなえることは、スゴイことなので、病気などの時は、真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくだけでも、病気が良くなり、治(なお)ったりすることも多々(たた)ありますが、やはり、南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、不十分だと言えると思います。どうしても、南無妙法蓮華経の仏法に直結した、真実の実践活動が必要となってきます。その仏法に直結した実践活動ができる場所が、『創価学会』なんです。創価学会は、南無妙法蓮華経の仏法を、純粋(じゅんすい)に、一点の狂(くる)いもなく、真に正しく実践している、唯一(ゆいいつ)の団体だと言えます。だから、本当に幸せになりたいのならば、悩みを解決したいのならば、また、夢や希望をかなえていきたいのならば、どうしても、創価学会という存在が必要になってきます。南無妙法蓮華経を、となえていくだけでも、時として、その人を窮地(きゅうち)から救い、助けてくれるけれども、やはり、それだけでは、本当に幸せになっていくことはできません。自分の宿命を転換していくためには、どうしても、創価学会の中で南無妙法蓮華経をとなえ、創価学会の中で、仏法の実践活動をしていく必要があります。その時、宿命が転換され、悩みや問題が解決でき、やがて夢や希望もかなえていけるようになっていくんです。だから、創価学会とは、『幸せを創造(そうぞう)する場所』であり、創価学会の中で、南無妙法蓮華経をとなえていった時、はじめて、南無妙法蓮華経のスゴサ、偉大(いだい)さ、その無限大の力を発揮(はっき)していくことが、可能になっていく!と結論することができると思います・・。
2012.01.06
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『学会員(創価学会員)のなかには、かつては、社会の底辺(ていへん)で宿命(しゅくめい)に泣き、来る日も来る日も、ため息まじりに生きてきた人たちが少なくない。その庶民が、決然(けつぜん)と頭(こうべ)を上げて、あの地、この地で、社会建設の主役となって、表舞台(おもてぶたい)に踊(おど)り出たのだ。そこに、創価学会が成し遂(と)げてきた民衆教育の、刮目(かつもく)すべて偉大な功績(こうせき)がある。』確かに創価学会は、昔は、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと、言われた。けれど、その人たちが、ことごとく蘇生(そせい)し、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は健康になって、人生を勝利していった。そして、その人たちが、今の世界192カ国に広がる、世界が期待し賞賛する、 素晴らしい創価学会を作り上げていったと言えます。その創価学会の、かつては社会の底辺にいたような人たちが、世界の平和と幸福にもたらした功績(こうせき)は、計り知れない・・!そして、これからも、世界中の宿命に泣き苦しんでいるような、さまざなな人たちを、創価学会は救い、幸せにしていくことでしょう。その中で、注目すべきは、創価学会が、このひとりひとりの悩みや問題を、現実に、ことごとく解決してきた!ということです。時代は変化しているけれど、現代でも、さまざまな問題がある。試練(しれん)がある。精神的な病気も、蔓延(まんえん)していると思う。社会における、あるいは人間における、どの問題をとっても、大変な難事(なんじ)であり、解決していくことは困難です。けれど、そのどんな問題であっても悩みであっても、それを、ことごとく解決していける力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰には、あります。だからこれからも、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、世界中のひとたちの悩みを解決し、幸せと勝利をもたらしていくでしょう。南無妙法蓮華経を、となえることは、その人の生命を蘇生(そせい)させる。その人の悩みや問題が、なんであれ、その人自身を輝(かがや)かせ、勇気をもって立ち上がらせてくれる。人間の中にある、無限といえる可能性を引き出し、開花させていく。それができるのが、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。だから、現代というさまざまな試練(しれん)や問題、悩みが蔓延(まんえん)している世の中だからこそ、この創価学会の仏法は、燦然(さんぜん)と光を放(はな)ち、いままで以上に必要な存在になっていく。世界の有能な識者たちは、そのことにすでに気づき、大きな賞賛と期待を贈(おく)っている。その人間を立ち上がらせ、無限の可能性を開花させる、真実に人間を幸せにできる唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり力でありエネルギーと言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです・・・。
2012.01.02
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