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 過疎地、田舎、と言われる地方に住んでいると、特に暴力団の存在を意識することはないが、でも、台風12号の豪雨被害の地方にも、振り込め詐欺や、そのほかの暴力団的な魔の手のごとき甘いささやきにも似た文言、いや、キャッチコピー金融パンフレットなどが目に付く。被害者への魔の手に、その背後の暴力団を考える。


 暴力団排除条例が47都道府県で施行され、刑法的な意味を持って、全国の暴力団に挑戦する。暴力団組織に挑戦するための国家的な仕組みではなく、地方条例で、47都道府県が暴力団排除の足並みをそろえる。暴力団排除の為に、暴力団に接する市民を罰するのが目的なような暴力団排除条例である。極端な言い方をすれば、日本国民の中に、暴力団の特別枠を設けたのだ。そして特別枠の暴力団員の人権さえも無視するかのごとき条例である。暴力団員と関わる人々の、日常的な生活も規制し、宗教的自由も無視するかの如しで、明らかに行き過ぎだと思う。それでも暴力団対策となると、そんなことも認めざろう得ない、と言うのが、一般的な市民感情などと言う事になりそうだ。


 47都道府県共通の条例に違和感があるが、でも、やっぱり暴力団排除が目的だから、そのための対策として共通するのは当然だ。暴力団新法が制定された時も、暴力団にも人権があり、日本国憲法の謳う、法の下平等を犯すのではと論議が白熱したものだ。暴力団排除と、暴力団員の人権であり、暴力団の家族の人権であり、暴力団と関係する人々の人権である。それにしても、47都道府県の暴力団排除条例と、それにともなう警察の動きは、少々行き過ぎだ。暴力団擁護のために文句を言う人はいないと思うが、人権の観点から文句を言う人は多いだろう。特に山口組の本拠地のある兵庫県警の、近くの神社への圧力は宗教の自由を謳う憲法に底触するのではの指摘が多い。


 初詣は誰にも許される宗教の自由である。近くの寺社仏閣へのお参りは、日本人的宗教観の原点であり、又、日本的の習慣である。宗教心がなくても、寺社仏閣に詣でるのが日本人だ。近くの神社への祈願を阻止する国家権力の横暴と、暴力団側の弁護士は主張する。これまで、警察も寺社仏閣への圧力は遠慮気味であったが、ついに暴力団排除の為に、暴力団ではなく、暴力団に関わる人々に圧力を加え、そして罰を与える暴力団排除条例が、目に見える形で、一般市民にも迫ってきたのだ。


 一般市民と見分けがつかないスマートなやくざはいくらでもいるだろう。関西系の何処から見ても一般人には見えない極道的な暴力団は避けて通ることもできるが、東京の暴力団員は一般人と見分けがつかない。洗練されたスマートな青年風、また、おしゃれなで粋なIT紳士風、また、平凡この上ないサラリーマン風とか、生真面目な公務員風暴力団員もいるようで、あなたは暴力団員ですかと、訊かないかぎり判別不能では、万人を相手にする商売人は苦労する。


 それにしても、商店街や、あるいは映画館などの娯楽施設、果ては冠婚葬祭まで、暴力団排除では、暴力団員は息苦しいが、悪知恵の働く暴力団が、はいそうですかと、引き下がるとは思えない。全国を塗りつぶした暴力団排除条例の抜け道を探し、目に見えない抵抗を示すだろう。そして、暴力団排除条例のおかげで、暴力団が少なくなったような気がするだろう。でも、暫くして、気がついた時には、また、新たな特別法が必要と言う事になるだろう。単純な表現で、いたちごっこ、が続くわけであると、行き過ぎた暴力団排除条例に皮肉を言いたい。暴力団を必要悪とは言わないが、行き過ぎた正義は、悪と同じだと、重ねて皮肉を言いた。


 でも、暴力団排除条例に期待する人も多い。
 でも、商売人にとっては、厄介だ。
 暴力団も消費者の一人、お客さんの一人。






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最終更新日  2011.10.25 16:41:13
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