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いつまで使っていたのだろう? 幼少の頃、夏の夜には必ず蚊を避けるための「蚊帳」を寝室に貼った。緑色の大きな網のようなもので、それを部屋の四隅から吊るす。除虫菊の蚊取り線香は点けていたものの、蚊はちょっとした隙間からも入ってくるから必需品だった。子供にとっては、夜になって大人が蚊帳を吊る時間も、楽しみのひとつ(o^―^o)ニコ「おやすみなさい」を言って蚊帳の中に入る時は、一緒に蚊が入ってくることがないように、蚊帳の裾をほんの少しだけ持ち上げて急いでくぐる。それでもたまに蚊は入ってしまい、気付かずに寝ると夜中に「ブ~~~ン」とあの羽音が聞こえてきて、大騒ぎで電気を点け確認したっけ。まだ幼かった頃の私は、蚊帳の天井部分のたわみに乗ってみたくて仕方がなかった。蚊帳を海に見立て、上で泳いでみたかった。実際に挑戦しようとしたけれど、乗ることすらうまくできなかった。家に蚊帳は何帳あったのだろう?祖母の部屋と両親の部屋と、私の部屋、妹の部屋。いえいえ、夏の間、子供たちは親の部屋で一緒に寝たような記憶がある。蚊帳は部屋全体に貼られるので、けっこうサイズが大きく、6畳間や8畳間、それ以上のサイズもあったか。ただ、6畳未満のサイズはなかったのかもしれない。今でも、あの蚊帳を使っている家はあるのだろうか?調べたら、蚊帳の素材は変っても蚊帳自体は販売されているようだ。赤ちゃん用はともかく、一人用のもあるようで、それはテントの様に設置するらしい。でも・・使っている人を、私は一人も知らない💦
2026年07月27日
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一日24時間のうち、寝ている時間以外は常に右目を塞いでいる。左目は普通に見えるが、右目は見るものすべてが結構な角度で左下がり⤵。両眼を開けると、目まいがするくらいグシャグシャと世界は傾ぎ、数歩歩くこともできない。寝る時はもちろんコンタクトも眼鏡も外して裸眼。夜中に目覚めたり完全に起床する時は、その状態で両眼を開けるわけだが、すぐに「右目レンズに眼帯を装着してある」眼鏡をかけないと、トイレにも行けない。この瞬間、自分が今、回旋複視になっていることを思い出す。思い知らされて、一気に落ち込む。どうしようもなく、このまま消えてしまいたいと思う時もある。なんて弱いんだ。たかだか片方の眼が不自由になっただけで、左目はちゃんと見えているのに…。右目だって、強度の斜視になっただけで、視力はちゃんとあるというのに。まあ、両目で見て視力が1,0になるよう調性してあるから、片目だけでは0,6くらいしか見えていないし、利き目は右目なので、利き目ではない左目で見ると焦点がずれ、ピッチャーからカップに飲み物を注ごうとすると、的が定まらずにこぼれたりは常(´;ω;`)ウッ…右目を塞いでいても光は拾うから、右目をぎゅっと硬くつむらない限り、見える世界は不安定。辛い…。慣れるしかない、と思うものの、一か月以上経ってもまだ慣れない。仕方ないよね。72年間も利き目の右目をメインに両眼で生きてきたんだもの。それにしても、長く生きていると、思いがけないことにぶち当たる(´;ω;`)ウッ…29歳の秋、突然の呼吸困難で気管支喘息を発症したと知る。その前にパニック障碍。これは発症時期が定かでない。もしかして10代終りか?56歳秋に、祖母からの遺伝性糖尿病と判明。軽い薬の服用で済んではいるが…。58歳の秋には、起きたら右足が床に着かず、その日から歩行困難となった。整形外科で見放されて、東洋医学の脊椎矯正師さんに8か月かかったが歩けるようにしてもらえた。67歳の初秋には気づいたら右手が不自由になっていて膠原病の「限局性強皮症」が見つかり、一昨年の70歳の秋は、いつものようにウォーキングをしていて転び、右手首骨折。生れて初めて全身麻酔での手術を経験した。そして今回・・。年女で、しかも魚座はとてもluckyな年だと言われていたのに、である。この先、どんなことが待ち受けているのだろうか?何が起きても、それは受け入れるしかないとは思うものの、いつものような楽観的な見方ができない。もしかして、すぐ先に今生の終りがあるのだろうか。マスコミに長くいた仲間たちは、74歳の壁を越えられずに逝った人がとても多い。来年の3月で73歳を迎える私だから、もしかしたら同じようにカウント段階に入っているのかもしれない。あの世に行くことはかまわない。怖いのは自分の足で歩けなくなったり、誰かの世話を受けなければ生きていかれない状態になること。それでも・・・それが運命なら受け入れるしかないんだろうな。ひどくネガティブな気分になっている。 大好きな5月だというのに、情けない(´;ω;`)ウゥゥ
2026年05月24日
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とっくの昔にこのブログに書いていたと思っていた。ところが探しても見つからない。よくよく考えたら、以前、某新聞へエッセイとして掲載させていただいたことを思い出した。その文章が頭の中に残っていたのか? ここでは初めて書くことになる・・・多分。グループサウンズ(通称GS)の最盛期は、たった4年と短命だったらしい。それでも私にとってその4年間は、小学校6年生の後半から高校1年生の前半で、いじめに遭っていた中学での辛い3年間を、このかたのおかげで乗り切れたと言える。OXの野口ヒデトさん。1968年5月に「ガールフレンド」でデビューしたOXは、チャートを駆け上がり、3曲目の「スワンの涙」で爆発的な人気を得た。とにかくヒデトさんは歌がうまい。これが私のとって、魅力の第一番だったか。淋し気な顔立ちに、ハスキーでセクシーな歌声。時に派手なアクションも、私には素敵に見えた。同世代のかたなら覚えておいでだろうが、コンサートで歌うミック・ジャガー&キース・リチャードの名曲「テルミー」で、ヒデトは歌いながらトランス状態に陥り、やがて失神。それを見たファンの若い女子が客席で何人もつられて失神し、社会問題になった。当時のPTAや教育委員会がOXコンサートへの出入りを禁止し、そうでなくても親が厳しい私は、一度も生でOXを見たことがなく、レコードとテレビだけで憧れを募らせていたっけ。そんなヒデトさんと、40代半ばにお目にかかれた。レギュラーページを持たせていただいていた「月刊CATS」誌で、彼の猫さんを取材させて貰えたのだ。マスコミ嫌いで有名だったヒデトさんが、初めて自宅へ招いての取材(愛猫たちを撮影するため)。私は大事にしまっていたレコードをすべて持って、ご自宅を訪ねた。それらを見たヒデトさんは「売れなくなってからのもあるね。本当にファンだったんだね」と、昔からの知り合いのように話してくださり、しかも猫さんのことを「一匹二匹」ではなく「ひとりふたり」と呼ぶ感覚も同じで、本当に嬉しかった。取材のあと、行きつけだというイタリアンの店でご馳走になった(o^―^o)ニコちなみにヒデトさんの奥様も一緒。こちらはカメラマンと編集者が同席。話題はOX時代のことに終始し、幾つかのマスコミには知られていなかったことを話してもくださった。至福の時って、こういうことを言うんだろうな(⌒∇⌒)およそ30年前の私に、教えてあげたかった。「いじめに遭っても頑張って生きてきたから、ヒデトに会えたんだよ」
2025年12月03日
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年末年始はここもお休みにします。パソコンを離れて、のんびり、かな?2026年、私は3月16日に72歳になる「年女」です。いい年にしないとなあ。皆様も、よいお年をお迎えください(o^―^o)ニコ1月6日に再開予定です。
2025年12月30日
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奇しくも横浜開港記念日だった昨日(6月2日)の朝刊で、作詞家・橋本淳さんの訃報を知った。「奇しくも」というのは、いしだあゆみさん歌唱「ブルー・ライト・ヨコハマ」の作詞をした人だからだ。この歌がリリースされたのは、1968年12月25日だったそうで、私は中三だった。当時20歳だったあゆみさんが、軽いステップを踏みながら、🎵街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルー・ライト・ヨコハマ🎵と歌う姿は、とてもチャーミングで、どこかアンニュイで、大人の女性の香りを感じた。ちなみにあゆみさんはフィギュアスケートの選手でもあったので、ステップも優雅だった。我が実家は横浜市でも北部、つまり東京都区内に近く、都内に勤める人が断然多いベッドタウンなため、横浜の観光地を歩くことは日常ではなかった。それでも周りは皆「横浜」の雰囲気が大好きで、横浜市民であることに誇りを持っていたように思う。中高生時代のデートはといえば、横浜の観光地が多かった(もしくは江の島まで足を延ばすか…)。6月2日の開港記念日は、市立の小中学校はお休み。6月は祝日がないので、それもとても嬉しかった(^▽^)祖母と横浜高島屋に行き、最上階のレストランで食事をしたりしたっけヽ(^。^)ノ今は港で花火大会が行われ、昨夜も雨の中、華やかな音が我が部屋にも届いていた。そして6月、は・・・私にとっては祖母と父の命日がある特別な月でもある。5月の爽やかな日々を堪能し、本格的に蒸し暑くなる前に、ふたりとも彼岸の向こうに渡った。よかったね。春の空気に包まれたまま旅立てて。今でもそう思う。祖母も父も、暑いのは異様なくらい苦手だったもの。子供時代は梅雨も、その後に続く暑い夏も、私は決して嫌いではなかった。1か月以上もある夏休みはやっぱり嬉しかったし、梅雨の雨続きの日も、それなりに趣きがあって好きだった。夏が異様な暑さを抱えるようになってからだ。6月の声を聞くと「ああ、もう大好きな春が終ってしまった」と落ち込んでしまうのは。今年はとくに酷い。原因はもちろん、この眼の病気。ウォーキングはなんとしても続けたい。歩くことが好きだし、何より14年前にいきなり歩行困難になってからは、また歩けなくなることが怖いのだ。歩き出すと1万歩は軽く越える。それは苦痛ではなく、ひたすら楽しい。でも、この夏はどうなる?去年も猛暑日が続いたが、横浜駅まで出て、冷房が利いている地下街を西から東へと歩きまわった。それだけで8000歩は超えた。今年もそうするしかないと思うのだが、眼が不自由で階段やエスカレーターの下りが怖い。幾度も踏み外しそうになって、そのたびに冷や汗をかく。でも、歩けなくなってしまう不安を思えば、細心の注意を払って歩くしかない。大好きな、おばあちゃん、お父さん、そして神様。どうか力を貸してください。これから来る長くて暑い夏を、乗り切らせてください。夏を嫌いにならないように、楽しむことを許してください。
2026年06月03日
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とにかく眠いのである。夜中はノンストップで6時間くらい眠り、その後はしばらく考えごとをして眠れないでいるが、やがていつの間にか二度寝に入り、完全に床を離れるまでに計8~9時間は寝ている。なのに、昼間も眠ってしまうΣ(・ω・ノ)ノ!特に通院やウォーキング、買い出しなどで出歩いた日はひどく、帰宅後にバタンQ(って死語?)1時間は眠る。やはり片目を塞いでの生活は、転ばないようにと気を張っている分もあり、疲れがハンパではないようだ。4月15日の夜中2時過ぎに起きた際、突然の発症を知った。その後、一か月検診ではまったく変化なし。プリズム眼鏡を作れる状態にはなってこない。先生から「もっと大きな病院へ行きますか?」と聞かれてしまった。このままなら手術が必用な範囲のようだ。一応、あと一か月様子を見ることになり、迎えた6月。発症からちょうど2か月の15日に、起きたら自分の手と足に両眼の焦点が合っていた。もしかして! と期待を胸に部屋の中を見まわした・・・が、ダメ、やぱり右眼で見える世界は大きく傾いていて、両眼を開けては歩けない。ただ、少しでも変化があるのは、多分、よい兆し。そう信じて、希望を持つことに決めた。複視の場合、何もせずとも元の状態に戻る場合があるそうだから。まだ発症から2か月半。 ネットで回旋複視を検索すると、どこでも「半年ほど様子を見る」とある。ときおり新井薬師さんの「治眼御守」を握りしめ、祈る。今の状態では、とにかく階段やエスカレーターが怖い。これから猛暑となったら、頭がクラクラして足元に気を回せない日もあるだろう。行動範囲が尚更に狭まれる(´;ω;`)ウゥゥでも、大丈夫。 きっと大丈夫。乗り越えられる試練しか与えられないと言うじゃない?だから、 きっと、 大丈夫!ポジティブに考えよう。 どう考えるかは自身の選択。結果はひとつ、だ。
2026年07月06日
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スイカのジュースがブームになっているそうだ。実は数年前から私はこれが大好きで、時々買っていた。ただ血糖値の問題があって今年は購入に至っていないが…(生のスイカもGI値が高めなので滅多に食べない)。スイカで思い出したことがある。まだアテネの学生だった頃、外国人が多い地区の高級スーパーで「スイカの缶詰め」なるものを見つけた。びっくりした。ミカンや桃やパイナップル、葡萄等の缶詰めはもちろん知っているが、スイカ?!そもそもスイカはあの食感も大事と思われる。缶詰にしたら損なわれてしまうのでは?高かったけれど、どうしても気になって買ってみた。う~~~ん(。´・ω・)? スイカのシロップ漬けだけれど「やっぱりね」の食感(;^ω^)これ、誰が食べたがるのだろう? と正直、思った。スイカはあちこちに名産地があるようだが、母の実家がある奈良県もそうだ。毎年のお盆休みに母は私達姉妹を連れて里帰りをしたが、近所からたくさんのスイカが届けられた。ただ、スイカの種を取る小さなフォークのようなものを渡され、「種は口の中に入れてはいけない」と、食べる前に取るように厳しく言われたのには閉口した。それでも井戸で冷やしたスイカは夏のご馳走だった(o^―^o)ニコスイカ割りもさせてもらえた。奈良では食べた記憶はないが、横浜の地元の八百屋さんには黄色いスイカもあって、それは「クリームスイカ」と名づけられ、その色味がかわいくて好きだった。スイカの缶詰め・・そういえばもう見かけない。やっぱり需要がないんだろうか(・・?
2026年07月24日
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友人のブログに「レッドロブスター」に行った時の話しが写真と共にアップされていた。いわずと知れたロブスター料理のチェーン店だ。もう20数年ほど昔のことになるが、一度だけ、江ノ島店に行ったことを思い出した。散策で鎌倉に行った時、小町通りの入り口近くで同年代の白人女性に声をかけられた。道を聞かれたのだ。 私は老若男女、色々な人に道を聞かれやすいΣ(・ω・ノ)ノ!いきなりの英語。 最初はもごもごと頭の中に「右」だの「左」だのの単語が浮かんだが、やがて彼女はランチをしたくて、店を探しているのだと判り、それなら一緒に行こうと意気投合。肉は食べないのだと言ったら「レッドロブスター🦞ならいい?」と彼女。どうやらおおよその場所は知っているらしい。了解して、交番で行き順を聞き、二人で向かったのが江ノ島店だった。江ノ電に乗ったんだろうな? 覚えてはいないけれど・・。で、初めてのお店。 案内された席に座ってメニューを拡げ、オーダーを決める。お店の人が来て、パンにするか、ご飯にするかのチョイスを聞かれた。でも・・そこで私は英語の失敗をしてしまったのだ(´;ω;`)ウゥゥ「Bread or rice?」と、頭の中にアルファベットを並べればよかったのに、口をついたのはカタカナ英語。瞬間💦💦 彼女は固まった💦💦💦 そして「ごめんなさい。もうご飯は選べないわ」と。そうだった。riceを「ライス」とカタカナ英語で発音すると「lice(虱=シラミ)」になるのだ( ノД`)気まずい雰囲気が、一瞬・・。でも、もともと陽気で優しい人柄なのだろう。 次の瞬間、笑顔を見せてくれ、お店の人に「Bread」と言った。あの時の彼女、それから数回会い、でも1年後にアメリカに帰ってしまった。一応メルアドは交換して幾度かはパソコンからメールを送ったが・・いつの間にかそれも途絶えた。どうしているかなあ?もうあのメアドは生きてはいなかった…。元気でいてね。 幸せでいてね。
2025年10月18日
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7月5日の朝日歌壇にこんな短歌が載っていた。スマホより車窓を選ぶ江ノ電の 客は静かな時間を生きる(つくば市・石上徳千代さん。高野公彦・選)以前書いたように私は、乗り物に乗ったら、それが乗り慣れた在来線であっても必ず窓の外を眺める。私にとって乗り物は、イコール、車窓から景色を眺め、それを堪能するものなのだ。江ノ電には、車窓から海岸線がすぐ目の前に望める区間がある。海岸線に並行して電車が走っているのだ。 家から1時間ちょっとで行かれる別世界(o^―^o)ニコ短歌を読み、その世界を頭の中に思い浮かべていたら、急に江ノ電に乗りたくなった。 そう、昨日のこと。昨日の最高気温予報はまだ30度に届くかどうか。でもこの先は真夏日が続くらしい。大好きな湘南モノレールにも乗りたい。回旋複視になってしまって、この春は江の島方面に行かれなかった。「今日しかない!」 思い立ったが吉日で、8時半に出発。横浜駅から東海道線で約15分、大船駅に出、そこから湘南モノレールで15分、江の島へ下る。モノレールは線路の上を走るタイプではなく吊るされたタイプで、それがまた遊園地の乗り物みたいで楽しい(o^―^o)ニコ湘南モノレールからは高低差がある鎌倉山の景色を眺めつつ、海が見えてくる瞬間を待つ。終点が江の島駅。でも江の島に渡ることは最初から諦めていた。エスカーで一区間だけ登った江島神社で降りたとしても、帰りは階段しかない。今の私の眼ではとても無理。湘南モノレール江の島駅から徒歩ですぐの「江ノ電」に乗り、鎌倉方面へ向う。車窓から見える海は思ったよりも波が高く、サーファーがたくさん出ていてご機嫌な景色ヽ(^。^)ノ海岸へ出よう、そう思った。でもどこの? 材木座海岸? 七里ヶ浜? 稲村ケ崎? そうだ! 人が比較的少ないであろう由比ヶ浜がある。鎌倉駅より2駅手前の由比ヶ浜駅で降りて、海岸へ向った。徒歩5分くらいか。砂浜が近付くにつれ、潮の香りが漂ってくる。この香りは、子供の頃に海水浴で毎年行った、千葉の保田海岸を思い出す。砂浜で外国人の子供たちが波と追いかけっこしているのを眺めたり、打ち寄せる波と戯れたり。贅沢な時間を得られた。 来てよかった。 眼が不自由なこともしばし忘れられ、大好きな香りと音に包まれたひととき。こんなことが、至福になる昨今(o^―^o)ニコ
2026年07月09日
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朝5時台には、もうジョギングの若者やワンコ🐕🐶の散歩に出ている人を多く見かける。ジョギングをしている人は、どの人もおしゃれ。ウエアに気を遣っていることが判る。でも・・ワンコの場合は・・まちまち。特に大型犬と一緒の人は、汚れてもいいような服装も目立つ。そこで思い出したことがある。 もう30数年も昔のこと。アテネ時代の後輩に降りかかった事件(?)で、彼女には当時高校生の一人娘がいた。何らかの縁でハスキー犬を飼うことになった犬好きな一家。ハスキーはたいていが人懐っこくてかわいい。 ただ・・体はデカい。 なので散歩に連れて行くと、身長148cmで瘦せ型の彼女はグイグイ引っ張られ、時に怖い思いをするらしい。ある日、彼女は娘が中学の体育の授業時に履いていたジャージを身に着け、リードを握り、ワンコの散歩に出た。途中、急な坂道を下っていた時のこと。坂下に友達でも見つけたのだろうか? ワンコはいきなり猛ダッシュをかけたという。彼女は焦った。でもハスキーの力は強い。あっと言う間に引っ張られ、前のめりになって転び・・そこからが悲劇だった💦転んだにも関わらず、ワンコは止まってはくれず、彼女はズルズルと坂道の傾斜を滑ち落ちていく。残念なことに、娘のジャージは彼女には少しサイズが大きかった。いつの間にかジャージは地面に置いていかれ、中味だけが坂を下った。つまり・・・脱げた。しかも運悪く、その日履いていたパンティはウエストのゴムが緩かった。「仰向けでなかったからまだよかった」と彼女は言ったが、下半身セミヌードになって坂を下る。それでもワンコのリードを放さなかったのは、さすがだと褒めてあげたい(^▽^;)💦結果・・通りがかった男性は眼を反らしたのかどうか、哀れ彼女はなんとか立ち上がり、泥を払う間もなく半分脱げたパンティを履き直し、ジャージを拾いに戻ったという。この話、あまりにもおかしかったので、葉書にしたため、当時はまだ放送されていた「笑っていいとも!」の視聴者参加コーナー宛に送った。見事にTOP採用され、私はタモリさんがムンクの叫びポーズを取っているイラスト付きの、赤いTシャツをゲットしたのだった(⌒∇⌒)
2026年06月06日
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片眼を塞いだままの生活は辛いが、なんとか読書は続けたい。右眼をつむり左眼だけで少しずつ読もうと決め、眼が疲れない程度に進めている。サイモン・ヴァン・ブーイ著 (寺尾まち子訳)の「83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。」(角川文庫)を開いた。夫を亡くし、一人息子まで彼岸の向こうに送り、ひとりぼっちで生まれ故郷に戻って来た主人公・ヘレン。もうこの世に未練はなく、早く夫や息子のいる場所へ旅立ちたいと思うだけの日々だった。ところが思いがけない日がやってくる。息子との想い出がある玩具と全く同じものをゴミ捨て場で見つけ、思わず拾って帰ったら、そこに隠れていたのが・・グレーのハツカネズミだった。ヘレンは高齢になって引退するまでは心臓外科医だった。ハツカネズミは言わずと知れた、実験に使われる動物である。愛情を感じたわけではなく、それでも日々気にしていくうちに、その愛らしさに心惹かれていく。83歳の、もう終わりを待つだけだった人生が大きく変わっていく。 明るい方へと・・・。ほんわかと温かい気持ちになれる本📖(o^―^o)。ハツカネズミ・・私も飼ったことがあった。結婚してすぐの頃。新居である自由が丘の賃貸アパートは、もちろんペット不可だったが、小さなネズミは鳴かないし、臭いも掃除さえ怠らなければ全くしない(と言っていい範囲)。何故飼うことになったのか、どこで手に入れたのか、すっかり忘れてしまったが、「バタータ」と名づけて世話をした。 真っ白で、きれいなコだった。懐くことはなかったように思う。それでもケージの掃除や餌やりの際に掌に載せても嚙まれたりはしなかったし、家で原稿を書く際の休憩時間を、バタータを見て過ごし・・・やっぱり癒されていたのかな? 家に生き物がいるということだけで生活にリズムが生まれたし、やっぱり楽しかった。バタータは2年くらいで、その生涯を終えた。亡骸は実家の庭に埋めたっけ・・。バタータが、物語の中のハツカネズミとリンクした。前にも書いたように、寝る前に必ず、今まで関わってきた動物たちの名前を声に出して呼んでいる。もちろん、バタータの名前もそこにある。来世で一緒になるコたちの中に、バタータも入っているのよね?(o^―^o)小さいけれど、短い期間だったけれど、確かに私の人生の中に存在した「たいせつな命」。
2026年06月24日
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