愛犬こなつのバリュー投資日記
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第一章 出会いインターネットが急速に普及し、私は「バリュー投資」という考え方に出会った。企業価値よりも安く放置されている会社を見つけ、じっくり保有する。まるで宝探しのような世界に、私は夢中になった。楽天ブログでは、多くの個人投資家たちが自分の考えを書き、銘柄を語り合っていた。私は読むだけでは物足りなくなり、自分でもブログを書き始めた。最初は真面目な投資ブログになるはずだった。ところが、書いているうちに笑いを入れたくなった。気がつけば、お笑い系投資ブログになっていた。投資の話をしながら、読者を笑わせる。そんな変わったブログだった。ありがたいことに、多くの人が読んでくれた。コメント欄には毎日のように投資家たちが集まり、議論し、笑い合った。ネットの向こう側には、年齢も職業も違う仲間がいた。あの頃の楽天ブログは、まるで一つの大きな投資サークルだった。その仲間たちの中から、やがて伝説になる人たちが現れる。資産を何倍にも増やし、投資本を出版する人。テレビや雑誌に取り上げられるカリスマ投資家。誰もが憧れる存在へと成長していく人たちを、私は画面越しに見送っていた。一方の私はというと、相変わらず慎重だった。損をすることが怖かった。だから徹底した分散投資を続けた。そして、ひたすらバリュー投資を貫いた。その結果、大きく負けることはなかった。しかし、大きく勝つこともなかった。資産は少しずつ増えていく。けれど、その成績はインデックスファンドにすら届かない。我ながら、なんとも地味な成績だった。それでも私は、自分のやり方を疑わなかった。焦らず、欲張らず。ゆっくりでも、お金は増えている。それで十分だと思っていた。その考え方を根底から覆したのが、コロナ禍だった。世界が止まった。街から人が消え、会社は在宅勤務になり、これまで当たり前だった日常が一瞬で崩れ去った。「良い会社を買って、長く持っていればいい。」そんな単純な話ではなくなった。世の中そのものが変わってしまったのだ。私は必死になって調べた。コロナで伸びる会社はどこか。人々の生活はどう変わるのか。何が売れ、何が売れなくなるのか。そして、もう一つの問いを自分に投げかけ続けた。人は、何を「良い会社」だと思うのか。企業を分析するだけでは足りない。市場を動かしているのは、人間だ。人々が未来に何を期待し、何に夢を見るのか。私は数字だけでなく、人の心理を考えるようになった。その頃からだった。今まで見えなかった景色が、少しずつ見えるようになった。株価の裏側にある期待。ニュースの奥に隠れた本質。市場が向かおうとしている未来。点だった知識が線になり、線が一本の道になっていく。ある日、私はふと思った。「……ああ、分かった。」もちろん、何でも分かるようになったわけではない。相場に絶対はない。負けることもある。それでも、自分の中で何かが変わった。殻を一枚破った感覚だった。投資成績は、それまでとは明らかに違う伸び方を始めた。私は静かに確信した。――ようやく、自分は投資家になれたのだ。そして同時に思った。株式投資とは、お金を増やす技術ではない。世界の変化を読み、人間を理解し、自分自身の弱さと向き合い続ける旅なのだと。第二章 市場は未来を買うコロナ禍で私が学んだことがある。株価は現在を映す鏡ではない。未来を映す望遠鏡なのだ。感染者数や緊急事態宣言ばかりを見ていても、お金は増えない。市場が次に何を期待するのか。そこに答えがある。最初に目を付けたのは、食品スーパーだった。どれだけ世の中が混乱しても、人は毎日食事をする。外食が減れば、その分だけ家庭で料理をする機会は増える。しかもスーパー各社は、感染対策として新聞折り込みチラシを減らし、店内の照明まで落として営業していた。「これは利益率が改善する。」私はそう考え、スーパー関連株を買った。予想は外れなかった。次に考えたのは、働き方だった。リモートワークが当たり前になれば、人は毎日都心へ通う必要がなくなる。「地方へ移り住む人が増えるのではないか。」そう考えた私は、住宅ローン「フラット35」を主力事業としていた日本モーゲージサービスに注目した。住宅需要が高まれば、この会社の追い風になる。その読みは的中した。株価は力強く上昇し、私の口座残高も静かに膨らんでいった。さらに私は、ワクチン接種のニュースを見ていて、あることに気づいた。「何百万人もの人が接種するなら、会場はどこでやるんだ?」学校、体育館、公共施設だけでは足りない。仮設の会場が必要になる。そこで思い浮かんだのが、ユニットハウスやレンタルスペースを手掛ける三協フロンテアだった。株を買ってしばらくすると、各地でワクチン接種会場として同社の施設が活用され始めた。市場もその価値に気づき、株価は大きく上昇した。私は少しずつ確信を持ち始めていた。ニュースを追うのではない。ニュースの一歩先を考えるのだ。やがて市場の視線は、コロナそのものではなく、「アフターコロナ」へ移っていった。次に人々は、何をしたいのか。私は考えた。答えは簡単だった。旅行だ。ずっと我慢してきた人たちは、必ず外へ出る。その恩恵を最も受ける会社はどこか。私が選んだのは、共立メンテナンスだった。ホテル業界は深刻な打撃を受けていた。「倒産するかもしれない。」そんな悲観論が市場にはあふれていた。だが私は、逆に考えた。最悪の時期さえ乗り切れば、反動は必ず来る。旅行需要は消えたのではない。抑え込まれているだけなのだ。私は株を買った。そして、人々が旅行へ出始めると同時に、株価は力強く戻り始めた。市場は未来を織り込み始めたのである。百貨店にも同じことが言えた。人が戻れば、買い物をする。買い物をすれば、高級ブランドの紙袋が必要になる。そこで私は、高級紙袋の専業メーカーであるザ・パックを買った。さらに、家賃保証会社のイントラストにも目を向けた。もともと高い成長力を持っていた会社だが、コロナ禍では営業活動が制限され、本来の実力を発揮できずにいた。しかし営業が再開されれば、再び成長軌道へ戻るはずだ。そう考えて投資した。読みは、またしても当たった。一銘柄ではない。二銘柄でもない。次々と、自分の描いたシナリオ通りに株価が動いていく。もちろん、すべてが完璧だったわけではない。相場に絶対はない。それでも、それまでの私とは明らかに違っていた。私は企業を見ているつもりだった。だが本当に見なければならなかったのは、人の行動だった。人は何を恐れ、何を望み、次にどんな生活を送ろうとしているのか。その答えが分かれば、その先に利益を得る企業が見えてくる。そして、その企業を市場が評価する少し前に投資する。それが投資なのだ。気づけば、私の運用成績は初めてインデックスを大きく上回っていた。何年も追いつけなかった相手を、ようやく超えた。証券口座の数字を見ながら、私は静かに笑った。「これが、覚醒というやつか。」派手な感動はなかった。ただ、長いトンネルを抜けた人だけが味わえる、静かな確信があった。私はようやく理解した。株価を動かすのは決算だけではない。未来への期待だ。そして投資家とは、未来を想像する仕事なのである。
2026.07.26
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